46. 願わくば

「家族の形に決まりってないけど、やっぱり嫌な仕事だったな」


ひとしきり求め合ってようやく熱も収まりかけた寝室で、そう香が呟いたので、
まだそのことを考えていたのかと、撩は苦笑した。
ヘッドボードに凭れて煙草を吸う己の隣で、枕に俯せた彼女の裸の背中と尻は眩いほどに白い。
ベッドサイドのオレンジ色の照明だけが灯った薄暗い部屋で、
彼女の肌はまるで発光しているかのように輝いていて、撩は無意識に彼女の背中を撫ぜた。

依頼人は、親との関係を抹消したいと相談に来た。
子供の頃からあらゆる虐待を受け、まともに育てられた記憶は無いという。
親元を離れられる年齢になって社会に出た時は、清々した気持ちになって自由を味わった。
そして社会に出て、所謂世の中の『普通』というものを知り、
自分の子供時代が如何に失われたものだらけだったのかを知ったという。
そのことが原因で、幾つかの心の病気にも悩まされた依頼人だが、今では仕事での成功を収めた。
親元を出て以降、連絡を取ることは無かったが、何処で嗅ぎ付けたのか、
親は現在の依頼人の居場所と地位と、年収を知っていた。
独りの力で何とかこれまでやってきたと自負する依頼人が、
そろそろ恋人との結婚を考えようかと思い始めた矢先の、最悪のタイミングだった。
依頼人は別に、親に対して暴力的な復讐心がある訳でもない。
ただひたすら、もう関わりたくないのだという。
彼の人生に必要なのは、自分に害しか齎さなかった両親ではなく、
彼を支えてくれた大切な『他人たち』だった。
そういう話なら、うちよりも弁護士事務所のほうが適任では?と提案したのは香だった。
一応、何でもやります、とビラに書いてはいるけれど、
どう考えても冴羽商事に出来ることがあるのかどうか、疑問に思えたからだ。
撩は特に何も言わず、香と依頼人のそんなやり取りを静観していた。

「弁護士を交えて話す、ということは少なからず相手と話し合う余地があるということです」

依頼人は、ジッと香の目を見ると、穏やかにそう言った。
依頼人曰く、彼等(両親)と今更、話し合うことなど何もなく、
ただ生物として親であるという事実だけで、幼い子供を蹂躙し、
その上この先、搾取する気で近付いてくる人間と、まともに話し合う時間や労力を使いたくない。
大切なのは、今自分の傍に居てくれる人間関係だけだという。

「私たちに、何をご依頼ですか?」

そう訊ねた香に彼が言った依頼内容は、彼の両親に彼が死んだと思わせて欲しいというものだった。
自分の存在がこの世から無くなれば、彼等も諦めるだろうと。
実際には、彼は死なないし、これから先もこれまで通り生きていく訳だけども、
彼の両親にだけ、彼が死んだと思わせる。
少しばかりいつもと毛色の違う依頼ではあるものの、
困惑の表情を浮かべる香をよそに、それまで沈黙していた撩があっさりとその依頼を請けたのだ。
彼の両親に突き付ける為だけに、幾つかの公的な書類を偽造し、
SNSなどのネットで拾える彼の情報について、ごく限られた範囲で抹消もしくは捏造する。
それには撩が使える様々なコネクションが活かされた。
彼の毒親の元に、撩と香は弁護士を名乗って訪れた。
彼が死んだという証拠となる偽造された書類を渡し、彼の遺言に則りこちらに赴いたと説明し、
生前の彼の意思に基づき、財産も然るべきところへ寄付し、両親に遺すものは何もないと伝える。
勿論、(書類の偽造以外に)法的に問題が無いかどうかは、
新宿の片隅に怪しげな法律事務所を構えている、強面の不良弁護士の監修済みのシナリオだ。
依頼人の言葉通り、一般的な常識や教養とは無縁の初老の夫婦に、
これ以上ことの真相を追求する能力も熱意もないだろうことは、撩も感じた。
ただ彼等はこれから先、
経済的に世話になろうと目論んでいた当てが外れて苦々しい表情をしただけだ。
依頼人は実際には死んでいないけど、両親の戸籍から分籍し、表面的には姿を消した。
これが今回の依頼の全てだ。


確かに香ははじめから、この依頼に乗り気でなかった。
撩が何も言わずに依頼を請けた後も、何度か件の不良弁護士に振ってはどうかと、
撩に詰め寄ったが撩は頑として首を縦には振らなかった。
香とて、頭では理解している。
生物学的に親子でも、埋まらない溝がある親子など星の数ほどいるし、
本当に子供にとって、悪魔か鬼でしかない親も存在するということは。
それでも親に死んだと嘘を吐かないと生きていけない依頼人も、実の子供に嘘を吐かれる親も、
悲しくて香はやりきれなかった。
関東の北の外れの依頼人の実家から新宿へと戻るミニの車内で、
香は撩に、こんな依頼は二度と請けないから、と言うとすっかり黙り込んだ。
いつもなら仕事で遠出して長丁場のドライブを余儀なくされても、
香が何かと話し掛けてくるから撩が時間を持て余すことは無かったが、
今回の香は色々と思うところがあったらしい。

しかし、思うところがあったのは、撩も同じだ。
望むと望まざるにかかわらず、撩の『親父』はこの世であの男一人だ。
もしも撩が親父に拾われることが無かったら、あの時にとっくに死んでいただけだ。
生きていて何か得があったかと訊かれれば、別に何も無かった気もするけど、
少なくとも生きていなければ、香と出逢うこともなかった。
撩の中には、確かに大きく矛盾する感情が存在する。
ひとつは、海原神に対する愛情と感謝、もうひとつは彼に対する激しい憎悪の感情だ。
海原神は、まるで楽しい玩具を手に入れた撩からそれを取り上げるように、撩の相棒たちを殺した。
海原にとって何の関係もないような人間も、撩が気を許し、好意を向けた瞬間に殺しに来た。
まるで撩が海原以外の誰かを慕い、愛着を抱くことを邪魔するように。
そうする内に、撩は誰かと深く関わることを意識的に避けるようになった。そして、今がある。
海原を己の手で葬って、こうして香を愛するようになった今、
海原によって生かされてきた自分の運命を思うと、
これまでの不幸よりも少しだけ、これからの幸運が上回ってきたように思える。
依頼人が害悪だらけの親を憎む気持ちが、撩にはよく理解できる。
一度リセットして、自分の人生を生きたいと願う依頼人の気持ちを後押ししたかった。
依頼人が両親に対して復讐したいなどとは思わずに、
唯々そっと別の道を歩きたいと願うことが、とても善良に思えた。
撩は海原を殺すことでしか、彼と向き合うことが出来なかったから、尚更そう思うのかもしれない。


撩はサイドボードの上の灰皿で煙草を揉み消すと、彼女の横に寝転んだ。
横向きに肘をついた姿勢で、彼女の背中に見惚れる。


「世の中にはどうしようもない親もいるからな」


撩がそう言うと、香は横目で撩を見詰めた。しばらく二人は言葉もなく見詰めあった。
撩にそれを言われると、香は何も言えなくなる。
きっと二人が思い出すのはあの白い船でのことや、香の兄の死やミックが日本に来た経緯の色々だ。
それにソニアの父であるケニーのことも、海坊主の視力を奪った元々の原因も。
全ての元凶は、あの撩の毒親のせいである。
香が兄と血の繋がりの無いことを知ったのは、高校受験前の中学3年生の時だった。
香は自分の経験上、家族に血の繋がりは必要ないという考えだ。
けれどそれと同時に、槇村家へと養われてくる以前の、本当の自分の親のことは何も知らない。
どんな親であれ、香の親には違いないだろうけど、
その親は香が今こうして生きて、幸せでいることを知らない。
それだけは、とても悲しいことのように思うのだ。
勿論、家族という意味ならば、香の家族は死んだ父と兄と、今は撩だけだ。


「家族ってさ、自分で作れば良いんじゃない?俺たちならば痛いほど良くわかるだろ」


撩は穏やかで、驚くほど心の広い人間だと、香はいつも思う。
香の想像の及ばないほど、過酷な人生を背負ってきた筈なのに、
いやそうだからか、途轍もなく優しい。


「そうだね、彼にも幸せになって貰いたい」
「なるさ」
「うん」


依頼人は毒親ときれいサッパリ縁を切って、恋人にプロポーズをするつもりだと言った。
香は裸のまま俯せているのを肌寒く感じて、
二人して足元に蹴飛ばしたタオルケットを胸元まで引き上げると、包まって仰向けになった。
撩と愛し合った後はいつも、汗をかくほど暑くなるけれど、
だからといって調子に乗って、撩みたいにいつまでも裸でいると風邪を引いてしまう。


「香」
「ん?」


撩はタオルケットの中の香の左手を握ると、そのまま持ち上げた。
隣同士に寝転んだ二人の顔の前に持ち上げた左手を翳す。


「そのまま、腕あげてて」


撩がそう言ってウィンクしてみせるので、香は思わず意味も解らぬままに頷く。
撩は香によく見えるように、自分の右手の親指と人差し指で小さな輪っかを作った。
その撩の作った小さな輪っかが、二人の目の前に翳された香の左手の薬指に嵌められる。
輪っかは、香の薬指を囲むと、少しだけ力を込めて巻き付いた。


「俺の家族になってください」


その言葉の意味を、香は確かに受け止めた。
指輪など要らない。
撩がただ傍に居てくれれば、それでいいと香は思った。
とっくに自分の家族は撩だと思っている。
返事のキスをして、耳元で囁いた。


「勿論、喜んで」






続き物と別の、お題の更新です(о´∀`о)
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