№8 ここには誰れも来ぬものを

小さくて愛らしい外見には似つかわしくない渋めのエンジン音と小さな振動を感じて、
麗香がブランケットから顔を出すと、赤いミニクーパーは静かに動き始めるところだった。
砂利敷きの林道なのに、驚くほど滑らかに進み出したのは多分、撩の気遣いだ。
助手席へ一瞬チラリと目線を寄越した撩は、信じられないくらい埃まみれだった。


「起こしちまったな、すまん」


仮眠しろ、と言って麗香を置いて暗がりへ消えた撩は、どうやらあの後独りで片付けてきたらしい。
どの位の時間が経ったのか麗香には判らなかったけど、
真夜中だった空の色に少しだけ明るさが混ざり始めていた。
夜明けはまだだけど、少しだけ朝の気配がする。


「ごめんなさい、最後まであなたに頼りっきりで」
「別にぃ、どってことないさ 俺にとっちゃ何てことない相手だ」


麗香が一人で探偵事務所を開いてもう数年になるが、
今回ばかりは己の力量を超えた依頼に関わってしまったと反省している。
基本的に非合法の世界に足を踏み入れるつもりは無い麗香だが、
自分のやっていることが、限りなく黒に近いダークグレイであることを今回、痛感した。
その割には、麗香自身の実力は素人に毛が生えた程度である。
麗香はこれまで、心の何処かで香のことを、
撩に守られているだけの素人だと見下していたことに気が付いた。
それでも麗華自身がこうして、撩の仕事を目の当たりにしてみて少しだけ思い直したことは、
槇村香という人間は、麗香が考えているほど素人という訳でもないのかもしれないということだ。
麗香とて数年間は、警察官として様々な世の中の修羅場を見聞きしてきた自負はあるが、
香が撩の傍で実際に経験してきた全ては、法律の外側の最も暴力的な世界の修羅場なのだ。
同じ場面に遭遇したとして、麗香が香よりも上手く立ち回れるのか、正直麗香にはわからない。
どちらがより彼の役に立てるのかなんて、比べること自体そもそも無意味なことなのかもしれない。
ひとつ確かに言えることは、彼女は彼の隣でずっと彼をサポートしている。
何より、彼がそれを望んでいる、その事実。それが全てだ。



新宿に帰り着いたのは、早朝だった。
冴羽アパートのガレージにミニクーパーがするりと滑り込み、いつもの定位置に収まった。
撩と麗香は示し合わせた訳でも無いけれど、自然と地下の射撃場へと向かった。
撩は今回の仕事で使った銃火器の類を手入れして仕舞う為に、
麗香は地下で繋がった自宅へと帰る為に。


「ありがとう、撩 助けてくれて」
「いや、礼はいい これは俺のやるべきことなんだ」
「…どういう意味?」


麗香には本当に、意味が解らないのだ。
撩が自分自身の危険も顧みず、こうして何も言わずに体を張って協力してくれる意味が。
麗香が初めて撩とあった時の、友村刑事の時のことも、
本当ならば撩には何の得もない、関わりもない事柄をまるでスーパーヒーローのように解決して、
だからといって何の見返りも求めないことが。
確かに表向きには、一発やらせろだの何だのとふざけるけれど、こちらが応じようとすれば、
それはただの冗談に過ぎないことを思い知らせるように、サッと引いていく。
そんなことをされたら、好きになってしまっても仕方ないじゃない?と麗香は思う。

あまりにも真剣な表情で麗香が訊ねるので、撩は思わず苦笑してしまう。
昔の撩ならば多分、不必要な面倒事に首を突っ込むことなど無かっただろう。
海坊主とも、ミックとも、昔のしがらみには、
複雑な事情が絡んでいて、敵対していた時期もあった。
どんなに軽口を叩き合っても、懐の銃の引き金はいつでも引ける心構えでいた。
『仲間』だなんて何の他意もなく言えるようになったのは、本当にこの数年の話だ。
何よりも、海坊主やミックとまた昔のようにやり合えば、香が悲しむ。
撩はまず一番に、そう考えてしまうようになった。


「仲間だから」


きっと香なら、麗香が困っていれば助けてやれと言うだろうから。
今回、撩と麗香が組んで仕事をしていることについて、
恐らく香が多少なりとも傷付いていることは、撩もわかっている。
それでも尚、香なら麗香の窮状に際して、
力になってやれと言うだろうと思ったから、撩は麗香を助けた。
誰かの為に自分の持っている力が役立つのであれば、
それを使うことは当然だと考える相棒に影響されて、撩はこの数年で考え方が変わった。
頑なな撩を変えることの出来る能力を持った強い女は、それでも毎度、己の非力を嘆いている。


「仲間以上には、なれないの?」
「…。」


麗香の視線に含まれる熱の意味を知っている撩には、答えてやれる言葉は持ち合わせていない。



   香さんにあって私に無いものってなに?



麗香の問いは真っすぐに撩を射る。正直、撩にはわからない。
どうして自分がこんなにも香に惹かれるのか。
麗香だって、充分に良い女だということはわかっている。
麗香でもなく、冴子でもなく、他の誰でもなく香でないと駄目な理由。
そんなことは、撩にだってわからない、理由などない。
でも、この期に及んで麗香をこれほどまでに追い詰めてしまっているのは、きっと。
撩の煮え切らなさが招いてしまっている事態には違いない。
言葉や約束で縛れない分、曖昧さと狡さで香に甘えてしまっている撩は、
それと同じだけの残酷さで、『仲間』なんて口当たりのいい言葉を使って麗香を傷付けている。
それは、香に対して『相棒』という言葉を使うのと根本は同じだ。
時にはハッキリと拒絶する優しさも、必要なのかもしれない。


「なれないよ、俺が惚れてるのは香だ」
「はっきり言ってくれたの、はじめてね」
「今更だろ?俺みてたらバレバレじゃん?」
「そうだけど、言って貰わなきゃ諦めがつかないこともあるのよ」
「…そうだな」


好きの気持ちを言ってやらないと伝わらないのと同じように。


「もう此処も塞がなくちゃね」


そう言った麗香は笑っていた。
この恋で人知れず何度も涙を流したけれど、最後に胸に残ったのは不思議な清々しさだった。
もしかすると麗香は、ほかの誰にでもなく、撩自身に引導を渡して貰いたかったのかもしれない。
本当のところでは、撩の気持ちなど、彼自身の言葉通りにバレバレだった。
空気を読んで察して自分から身を引くのと、言葉にして貰ってあっさり振られるのと、
どちらが良いかは人それぞれだろうけど。
麗香が心の奥底で求めていたのは、後者だったのだと麗香自身もやっと気が付いた。
撩が自分のことを仲間だと思ってくれているのなら、それだけで充分だと麗香は思えた。


「ああ、そうして貰えると助かる うちの相棒、やきもち妬きだから」


やっぱりそう言って笑った撩がイケメン過ぎるから、未練がましい気持ちになる前に、
麗香は射撃場に背を向けて何も言わずに手を振った。





(つづく)

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[ 2021/06/14 09:36 ] ゴンドラの唄 | TB(0) | CM(1)

楽しみにしてます

ずっと楽しみにしてました♪
[ 2021/06/16 19:33 ] [ 編集 ]

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