№6 恋

不本意ながら麗香が実家で両親のご機嫌伺いをした翌日、
撩からRN探偵社の事務所へと電話が入った。
撩の寝室へ繋がる直通電話や、射撃場に掘って繋げた地下トンネルを、
半ば強引に図々しい振りで利用する麗香とは対照的に、
撩は決して麗香に対する一線を踏み越えてくることはしない。
撩は麗香の自宅のほうの番号はたぶん知らないし、別に知りたくもないらしい。
麗香としては、撩に訊かれれば何だって包み隠さず答えるつもりでいるけれど、
きっと撩は、彼の中で決めたある一定の距離を越えて自分に近付く気は無いのだろうと、
麗香はほんの些細な彼の気配や振舞いを通して悟っている。
撩が決めた撩と麗香の距離は、あくまでも仕事を介した知人。
それ以上でも以下でもないのだろう。
だから撩は用があれば事務所へとアクセスしてくるのだろう。
別に何の矛盾点もないその事柄ひとつに、麗香は毎度思い知らされるのだ。
わかっている、本当は。
彼にとって自分が、取るに足らないその辺の知り合いの一人でしかないことを。
それは麗香が最も受け入れ難い現実だったりする。


「…恐らく、今晩あたりケリがつく」
「そう、じゃあ覚悟してあたるわ」
「それなんだけど、お前は来なくてもいい、俺一人で大丈夫だ」


一瞬、麗香は撩の言葉を上手く飲み込むことが出来なかった。
否、頭ではわかっている。これは彼の優しさだ。
恐らくは修羅場になるであろう今夜の仕事を、彼は独りで被る気でいる。
彼とはそういう男だ。
元はと言えば麗香が持ち込んだ面倒事を、誰に不平を漏らすでもなく、
自身の危険をも顧みることもなく、ただ粛々と片付けていく。
彼のそういうところが好きなのだ。
表面的にはどうしようもないチャラ男にみえる撩の、
この本質こそが他人を惹き付けるのだろうと麗香は思う。

『彼女にあって自分に無いものと、彼女に無くて自分にあるもの』

ここ数日、彼と一緒に仕事をしながら、麗香はそのことをずっと考えていた。
今ここで、お前が来なくても大丈夫だと言われたからといって引き下がってしまえば、
何故だかこのまま一生、彼の核心には迫れないような気がした。
彼の優しさという庇の下で囲われた彼女と、自分は違うのだということを伝えたかった。



「これはうちの案件だから、当然私も同行するわ」
「…危険が伴う現場だ」
「ええ、承知の上よ」


少しの間、撩が何事か思案しているのが、電話越しに伝わる。
麗香は撩の答えを待つ間、受話器を握る手が震えるのを感じた。
本当は怖い。
警察に属していた時も、友村刑事の件でひとり暴走した時も、
本当の意味では、法律や組織や身内に守られていた。
最終的には何処かに、心の拠り所となる何かがあったから、大胆に行動できたのだ。
けれど彼の(彼等の)棲む世界を、本当の意味で麗香はまだよく知らない。
撩が危険だという事柄を、軽視しないほうが良いのではないかという考えも麗香の脳裏に過る。
彼女への対抗心が、己を衝き動かしてはいないか。
それは逆に、この間の晩の出来事のように、撩を危険に晒すことに繋がるのではないか。
撩の腕に弾が掠めた記憶が、一瞬で蘇る。


「俺は俺の仕事をするまでだ、ついてくるのなら自分の身は自分で守れ」
「わかってる」


麗香は撩の言葉を聴いた瞬間に、本能で怖いと感じた己の直感を封印した。
覚悟を固めた。
中途半端な優しさなら、要らない。
自分が巻き込んだ事件で、撩に迷惑を掛けるくらいなら、撩が負傷をするくらいなら、
自分の身を自分で守れないのなら、その時は死ぬまでだ。

撩は彼女に対して、何が何でも守り抜くし、生き延びると誓ったらしい。
奥多摩で派手にやらかして、無事に彼女を奪い返したあの修羅場の後で、
そう言って彼女を抱き寄せたらしい。
別にそんなことは聞きたくもなかったし、興味も無かったけれど、
仲間内では一時期、その話題で盛り上がったので麗香も知っている。
心はもう既に同じ方向を向いたコンビなのだろう、でも恋人としての確固たる進展はまだ無いのだ。
可能性はゼロではない。
きっと撩がその命を懸けて守り抜くのは、彼女だけなんだろう。
それならば自分は、意地でも足手纏いにはならない。
完璧にアシストしてみせる、麗香はそう思った。
何故なら麗香には、その選択肢しか残されていないのだから。







それでも現場は撩が想定した通り、非常にタフなものだった。
自分の身は自分で守れと、麗香に言ったものの、実際には撩は独りで動く時以上に気を遣っていた。
ただ麗香もそれ相応の覚悟をもってこの場に臨んでいるらしいことは、撩にも理解できた。
時折、撩は「大丈夫だから、力を抜け」と、緊張した麗香に助言しなければいけなかった。
今回の仕事の最終局面において、死を予感するほどの身に迫る危険は無かったが、
思いの外、相手方の警戒心は強く想定外の長期戦を強いられていた。
当初の撩の予定としては、
夜の闇に乗じて駆け回り、夜が明ける頃には新宿に帰り着いている筈だった。
けれど気が付くと、もう丸一日が経過しようとしていた。
目に見えて、麗香には疲労の色がみられた。
三日三晩獲物を追ってジャングルの中を彷徨っても堪えない撩とは、そもそも違うのだ。
敵が潜伏している山奥のアジトから、撩はわざと離れた場所へ移動すると、
静まり返った安全な林道の脇道へ、愛車を停めた。
誰も通らない真夜中の林道の奥で、ミニは一時的な避難小屋のような役割を果たしてくれるだろう。


「ここなら安全だから、お前は束の間でも仮眠をとれ」


何かと思えば、撩は林道の片隅の目立たない場所に、隠すようにミニを停車して麗香にそう言った。
麗香の重苦しい雰囲気をまるで和ませるかのように、笑顔を作って見せて冗談交じりに言った。


「もっこり虫はその辺うろついとくから安心して休め、しっかり鍵掛けてブランケットに潜ってな」


ほれ、と言って後部座席に置かれたブランケットを撩が放ると、
ふわりと優しく柔軟剤の薫りが漂った。


「で、でも…撩は?」


すまなそうに眉根を寄せる麗香に、撩は小さく肩を竦めてみせただけで車から出た。
四つのドアの全てがきっちりと施錠されているのを確認して、林の中の暗闇へと消えた。
確かに麗香は、正直クタクタだった。
撩の足手纏いにならない為に、縋り付くだけで精一杯だった。
悔しいけれど、麗香の力ではこれ以上、意地を通して我儘できるのも限界だった。
そんなことは全て、撩には見透かされていたのかもしれない。
窓の外から自分の姿が見えないように、麗香はブランケットを頭から被った。
何処かで嗅いだことのある匂いだと思ったら、それは彼女の匂いだ。
撩と香の生活の匂い。
彼女が洗濯で使う柔軟剤や、二人で使うシャンプーや彼女の使うボディクリームや色々が混ざった。
複雑な気持ちに飲み込まれる暇も与えずに、疲労は麗香を急速に眠りの底へと引き摺り込んだ。


麗香を休ませている間にケリをつけようと、撩は林の中の道を進んだ。
途中、山越えの峠になっている国道へ出た。
これまでの山道とは違い、数は非常に少ないけれど等間隔に道を照らす灯りがある。
そのずっと奥に、薄ぼんやりと電話ボックスの明かりが見えた。
半日ほど経った頃から、度々撩の脳裏を掠めていたのは、撩の身を案じる相棒の顔だった。
撩は無意識に、ポケットの小銭を探る。


(つづく)



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[ 2021/06/02 16:38 ] ゴンドラの唄 | TB(0) | CM(1)

いやっふぅー!

待望の時、来たり!
再開嬉しいです。
ありがとうございます♪
[ 2021/06/03 12:45 ] [ 編集 ]

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