第11話  エンドライン

岡崎健太がどういう人間で槇村香とどういう関係なのかを充分に理解し、今回の依頼は嫉妬に値するような事案ではないと判断をした筈の撩は、それでも軽く嫉妬を覚えていた。


岡崎の命を狙っていた暴力団関係者と地方議員は、冴羽商事の描いた計画通りに身柄を警察に引き渡すことで、今回の事件は幕を閉じた。午前中のまだ早い時間帯に事件は落着し、すでに昼のニュースでは速報として大きく取り沙汰された。
その短時間に詳しい事件のあらましが発表できたのは、ほかでもない岡崎のこれまでの命懸けの取材の賜物だ。依頼人の無事を護れたのは勿論だが、香は同級生の仕事が良い形で成果を上げたことに対しても喜んだ。今夜はお祝いしようと、この数時間、何やら張り切って香がキッチンに籠っていたのは撩も岡崎も知っている。


それにしても張り切ったな、というのが撩の感想だ。
通常の食卓の風景も多分、標準的な2人暮らしの食卓よりもボリュームがあるほうだとは思うけれど、やや大きめのファミリーサイズのダイニングテーブルには、所狭しと香の手料理が並んでいる。この宴の主役が自分ではなく、依頼人だという事実に撩は嫉妬を覚えたのだ。
それにいつだったか、2人で飲んでねと言って歌舞伎町の顔見知りのオカマから貰ったワインのボトルも並んでいる。多分この先、撩と香の2人きりで、そのワインを開けるようなシチュエーションは当分訪れないと思われるので、今このお祝いと称した宅呑みで開けなければいつ開けるのか、撩にもそれは判らないのだけども、兎にも角にも撩が思わず、それ開けちゃうんだ…という微妙な心境になったのは事実である。香が鈍いのはきっと、こういうとこだ。




「いや、凄いな。これ全部槇村が作ったの?」

「お祝いだからね」




撩の複雑な心境など知る由もない同級生コンビは、他意は無いのだろうけどニコニコしている。
香には撩の心の内など知りようもない。



「食べてみないことには凄いかどうかわかんねぇぞ、胃薬準備しとくか」

「アンタはいつも一言多いのよ」


撩は確かに一言多いが香はいつも言葉より先に手が出るので、隣に並んでいた撩の鳩尾には綺麗に香の拳がめり込んでいた。そのようなやり取りはこの依頼の間に幾度となく目にしてきたので、はじめは驚いていた岡崎も完全に見慣れていた。多少荒っぽい2人のコミュニケーションも、このコンビを理解してしまえばそれは傍目には愛情表現にしか見えない。






結果から言えば、料理の出来は満点だった。食べてみなくてもわかりきっている。
そんなことは誰より撩が知っている。3人ともよく食べて、よく飲んだ。
ワインのボトルは早々に空になったし、撩はストックしてあるバーボンを持ってきて岡崎と一緒に飲んだ。香もワインだけでなく、更にビールまで飲んだのだ。料理がなくなって酒だけになってもダイニングから場所を移して、盛り上がった。
岡崎は撩の知らない頃の香の話を沢山話したし、香はそれを聴いて本当に楽しそうに昔を思い出した。撩はそれでも不思議と嫌な気持ちにはならなかった。槇村秀幸の目線で語られる香、一度だけシュガーボーイの頃に出会った香、自分の目で見て今目の前にいる香。そして撩の知らなかった友達の目線で見てきた高校生の頃の香。きっと可愛くて、しっかり者で、でもどこか抜けてて、屈託なく笑う香を、多分岡崎は、撩に教える為に話してくれているだろうことが、撩にも解った。
きっといつか時間が経った頃、その少女の香も撩の心の中に棲み着くのだろう。

夜も更けて日付が変わる少し前には、
香はリビングのソファでしっかりと酔い潰れて眠りこけていた。



「槇村が寝てる内に帰ります」

「泊ってけよ」


柄にもなく、撩は自分の口から出た言葉に自分で驚いた。
岡崎はまるで、ずっと昔からの友達だったような笑顔を撩に向けて首を振った。


「そんな野暮じゃないです」

「なんだよ、それ」


まだこの時間なら表でタクシー拾えるから、と岡崎は言った。
彼は気を利かせているつもりかもしれないけれど、残念ながら前にも後ろにも進めない雁字搦めの自分を、撩は情けないと思った。玄関先で見送りながら、ありがとうと言った撩に、岡崎は意外そうな顔をして笑いながら帰って行った。本当に撩はありがたかったのだ。
自分と暮らしていることで過去の人との繋がりを、香は意識して断ってきたのではないかと撩は前から思っていた。別に撩がそうしろと言った訳でもないし、そうすべきだと思っていた訳でもない。でもきっと物分かり良くお利口さんであろうとしがちな相棒は、誰に言われるわけでもなく自分で考えてそうしている。だから岡崎が少しの間だけでも現れて、香が楽しい気持ちになってくれてたのなら、撩はありがたかった。撩には同じことはできない。
撩はとりあえずソファで眠りこけている相棒をそのままにして、客間のシーツを取り換えた。
昨夜まで別の男が寝ていたその布団に彼女をそのまま寝かせるのは、絶対に嫌だから。









月明かりが忍び込む薄暗い部屋の中に、彼女が眠っているだけで撩の胸は締め付けられた。
酒の飲み過ぎとかでは断じてない。
香にとって今夜の酒は、己のキャパを超えた飲酒量だったかもしれないが、
撩にしてみれば、むしろいつもより全然少ない。ほろ酔いといったところだ。
理由などひとつしかない。
彼女の髪や肌に触れたら甘いのは判り切っている。でも、同時に胸が痛むことも撩は知っている。
触れられないとわかっている彼女に焦がれているからこんなにも胸が苦しいのだ。

そっと髪を撫でる。
でもただそれだけだ。
それ以上、彼女に踏み込む資格は自分には無い。
もっと違う自分であったら、殺し屋なんかじゃない普通の男として、
ただの何処にでもいる平凡な人間だったなら、
彼女の気持ちに甘えることだってきっと出来たはずだ。でも現実は違う。
現実は時に、撩に様々な試練を突き付けてきたけど、
一番きついのは彼女と出会ってしまったことかもしれない。
いつもいつもいつも、考えても仕方の無いことを撩は考えてしまう。



「…りょおのバカ」


寝言すら可愛いと思ってしまって、撩はさすがに悪酔いしたかもしれないと思い込むことにした。
そろそろリビングに戻って呑み直さないとやばいかもしれない。
もう一度だけその癖毛に触れた。



うん、俺はバカだよ。間違いない。
そしてお前は綺麗だ。


決して穢せない類の綺麗さだと撩は頑なに信じているから、
岡崎には申し訳ないが、彼が思っているような関係には多分この先なれないと思っている。

(つづく)
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[ 2021/04/14 02:11 ] pretend | TB(0) | CM(0)

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