第10話  ロマンス  

無事に解決したのを祝って、今夜はみんなで飲もうと言い出したのは香だった。

午前中には事件も解決して、岡崎をアパートに匿う理由ももう無くなったはずなのに、
香は何故だか、解決祝いと称したその日の夜の予定を着々と決めてしまった。
いつも以上に夕食のメニューに力を入れ、その料理の腕を如何なく振るうことにしたらしい。
フリーという立場柄、時間の融通の利く岡崎に、この夜までアパートに滞在して明日帰ればいいと、
遅めのブランチを食べながら無邪気に言った香を、撩が全く止めもしなかったことが、岡崎には意外だった。
この依頼の間、きっと撩にとって岡崎は招かれざる客なのだろうと、岡崎自身が感じていたからだ。
当然のように岡崎が今夜泊まることを前提に話を進める香に、撩は何も言わず目を細めているだけだった。






「なんか、すみません。」


食後のコーヒーを飲んで、岡崎は屋上にむかった。
案の定、撩はそこにいて感情の読めない顔で手摺に凭れて煙草を吸っていた。
岡崎の声に振り返ると、撩は半分ほどに短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
屋上のコンクリートの上に吸殻を散らかすと香が怒るので、
撩は自然と、屋上に上がる際に灰皿を持参するのが習慣になっている。
気が付くとこうして香によって馴らされた撩の習慣は、日常の至る所にありすぎて、
今ではもう、撩自身にもあまり自覚はない。


「なにが?」

「いや、事件は解決したのに、なんだか図々しく居座ってしまって。」


撩はまるで、岡崎が面白いことでも言ったかのように破顔した。
初めて会った日の冴羽撩とは、まるで別人のような表情をする人だと、岡崎は思った。
そんな風に笑うことも出来るんだと、意外に思った。


「アイツぁ、言い出したらきかないからな。」


彼にそういう顔をさせているのは、紛れもなく槇村香という存在なのだということに、
岡崎はその撩のひとことで全て理解した。
彼は決して、自分の言葉で香に対する気持ちを表すことは無いのだろうけれど、
全身全霊を込めて彼女を愛しているのだろう。
それを彼女を守るという行動で、体現しているのだ。


「ま、良いんでない?アイツが楽しんでたら、とりあえず平和だから。」

「怒らせたら結構めんどくさいですからね、槇村。」

「そーゆーこと。」


たった数時間前に、埠頭の倉庫であったことがまるで嘘のように穏やかな時間が流れている。
正直、岡崎には彼や香の生きている世界が、現実のことのようには思えなかった。
だからこそきっと撩と香には、通常では考えられないような葛藤があるのだろう。
今回は、彼らの周到な作戦によって、原田と山岡とその手下達を罠に嵌めたけど、
毎回このような展開に持ち込めるとは限らないのだろう。
本当に香が捕らえられ、ギリギリのやり取りの中で撩の判断一つで、生死を分かつ場面だってあるだろう。
岡崎にはそれは、想像を絶するような世界だ。


「冴羽さん。」

「ん?」

「俺、高校の頃、槇村のことが好きでした。」

「そっか、物好きなんだな。」

「この間、久し振りに会って、めちゃくちゃ大人になった彼女を見て、正直少し気後れしたんです。」


撩は彼の言葉に、何を言ったらいいのかわからなかった。
撩が知っている制服姿の香は、まるで男の子のような生意気な女の子だった。
兄貴のことが心配で、心配するあまりに関わってはいけない危ない男の傍に近付くような、
世間知らずで無鉄砲で、でもそれと同時に放っておけない庇護欲を掻き立てる儚さを併せ持っていた。
澄んだ目で撩の深淵を無遠慮に覗き込んでくるから、撩はあの頃から香といると調子が狂う。
それまで何をやろうが誰を殺ろうが咎めたことなど無いような良心の欠片を、香は撩の喉元に突き立てる。
いつの間にか撩の心の中には、香がいつも居座っていて、
何をするにも彼女ならこういう時、何を思うだろう、何て言うだろう、と撩に問い掛ける。
撩がこれまで独りで作り上げてきた世界に、香が棲みつくことで、色と匂いと温度が加わった。
欠けていたピースや、独りでは見付けられなかったピースが、撩の心に音を立ててはまる。
たったひとりのちっぽけなあのシュガーボーイに出会ったばっかりに、撩はずっと調子を狂わせっぱなしだ。



「思わず咄嗟にお茶に誘ったけど、自分が同級生じゃなかったら並んで歩くことすら無いんじゃないかって。こんな槇村の隣にいても引け目を感じない、堂々と胸を張って歩ける人ってどんな人だろうって。」

「アイツは、そんなこと全く気にしないさ。」

「勿論です。これは勝手な俺のコンプレックスというか、だから余計に質が悪いというか・・・」


岡崎の言葉は、撩にも痛いほど突き刺さる。
自分という人間がもっと違う人間で、もっと違う出逢い方をしていれば。
何度そう願ったか、天地がひっくり返っても有り得ない望みはただ虚しさを増すだけだ。


「初めて会った時、冴羽さんなら槇村と一緒に居てもきっと、堂々と居られるんだろうなと思ったんです。」


岡崎は最初、本当にそう思った。
背の高い美しい彼女に似合う、格好いい彼だったら、
彼女の隣でなにも気負うことなくさり気無く、手を取って歩けるのだろうと。
けれど。
第一印象というものは、大概、覆されるものだと相場は決まっている。




「俺は、 」


撩は何かを言い掛けて、言おうとした途中で胸ポケットから煙草を取り出した。
何を言うのか岡崎はなんとなく分かるような気もしたけれど、撩の次の言葉をゆっくり待つことにする。
少し喋り過ぎたから、今度は撩のターンだ。

手の中で少しだけ弄んだ煙草を軽く唇に挟む。
火を点けて深く肺に吸い込む。吸い込んで、吐き出す。


「同級生っていう関係が特別に見えて、羨ましいと思ったよ。」


もしもあの春の嵐の日に、彼女の大事な家族を奪った原因を作るような男じゃなくて、
自分の素性も分からない、本当の名前も生まれた日も国籍も分からないような男じゃなくて、
彼女を泣かせてばかりのこんな自分じゃなかったら。
撩にはもう今更、やり直しなど出来ない人生について、何度もしもを考えたかしれない。


「ですよね、そうだと思った。ずっと考えてたんです。」

「なにを?」

「俺には資格が無いって言った、冴羽さんの言葉を。」




同じなんです、俺も、冴羽さんも、そこら辺にいる誰か知らない人だとしても。
みんな誰でも平等に人は死ぬし、死ぬまで生きるから。
だから資格が無いなんて言ったら、

槇村が悲しみます。




「冴羽さん、俺、単純なことに気付いたんです。要するに、槇村が誰と一緒に居たいかってことじゃないですか?」



知らず、撩は小さく微笑んでいた。はじめはこの依頼人に苛立っていた。
依頼人にというよりも、依頼人と相棒との関係に。
自分の知らない彼女を知っている男に対する嫉妬、撩の苛立ちの原因は、ただそれだけだった。


「ま、たしかに。」

「だから、色々考え込んでも無駄ですよ。」

「アイツが俺のとこに居たいと思ってるって言いたいの?」

「それ以外、何があります?」

「・・・。」

「俺のダチ、泣かせたら承知しませんよ?」



撩の可愛い相棒は世間知らずだから、きっともっと世の中には良い男がいるだろうに。
なんの因果かわざわざ面倒くさい男を選んで、いつも危ない目に遭っている。
やっぱり、もっとシンプルな世界で、彼女に出会いたかった。




「そんなに単純な話でもないんだよ。」

「単純でいいんですよ、槇村なんか超単純ですよ。」

「知ってる。」




類は友を呼ぶのだろう。
香の友人は、お節介でお人好しだ。
無遠慮に踏み込んで、撩の逡巡などくだらないことだと一蹴する。
撩もいつかそのうち、こんな風に軽やかに単純に未来を思い描けるようになるのだろうか。
それは撩にとって、ずっと遠くに輝く星を掴むような憧れのようなものだ。




(つづく)

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[ 2020/03/21 08:27 ] pretend | TB(0) | CM(0)

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