第7話  縁

「ごめん、変なこと訊いて。」


岡崎は自分の言葉が、香の表情を曇らせたことを後悔した。
確かに自分も彼女も、あの頃に比べて大人になったのだ。
他人に立ち入られたくない領域のひとつやふたつ、誰にだってある。
香はそれでも首を横に振った。


「いいの。」


死んだのよ、アタシがはたちの時。仕事中に。
元々、撩は兄貴の仕事仲間で。
だから行く宛ての無くなったアタシが転がり込んでも、何も言わずに受け入れてくれたの。
アイツのこと意地悪だって言ったけど、本当は優しい奴だってことアタシが一番良くわかってるの。



香はそう言って笑った。もう、悲しそうな顔はしていなかった。
ということは、この数年はこうして冴羽撩と生活を共にしてきたということかと、岡崎は考える。
確か、香にとって兄はたった独りの家族だったはずだ。
その彼を喪ったあとの香を慰めたものは、もしかすると撩との生活の中にこそあったのかもしれない。
だから、2人のやり取りの中には、時に独特な絆のようなものを感じることがあるのかもしれない。
もしもその岡崎の考えが間違いでなかったら、到底、そんな2人の間に割って入ることなど出来ようもない。
香と撩の両方が口を揃えて、ただの仕事仲間だというのならそうなのかもしれないけれど。
それ以前に、2人はもう既に家族だ。



「好きなのか?冴羽さんのこと。」

「そういう風にみえる?」

「うん。」

「じゃあ、そうなのかもしれないわね。」

「なんだよ、それ。」

「だって、そんな小さな言葉ひとつじゃ表せないもの。撩のことは。」



その香の言葉で、岡崎の初恋は完膚なきまでに終了した。
そもそも、これまで付き合った女性の数人ぐらいは居たし、
別に槇村香のことだけを高校生の頃から思い続けていた訳でも無いから、そんなに凹んでいる訳でもない。
どちらかというと、やり残した小さな謎解きの答え合わせが出来た感じだ。
きっとあの日、新宿駅で彼女と出逢えなければ、彼女がこの仕事をやっていなければ、
もしも自分が命を狙われていなければ、もう二度と彼女には逢えなかったのかもしれないから。
この数年の間に悲しい思いもしてきただろう彼女が、今こうしているとわかったことがただ単純に嬉しかった。









「どうやら、あのライター、ボディガードを雇ったらしい。」


山岡がそう言うと、原田は苛立たしげに煙草を灰皿で揉み消した。
チョロチョロと自分たちの周りを嗅ぎ回って、目障りな存在だった。
山岡とは政治の道に進む以前から、持ちつ持たれつの間柄なのだ。
今までの色々を公表されると、社会的立場が脅かされるような事柄も少なくない。
こういう時に、邪魔な存在を排除してきてくれたのが正に山岡であって、
互いにズブズブの間柄はもう今更、どうすることも出来ないので後戻りはないのだ。


「どの程度の輩なんだ?そのボディガードとやらは。」

「噂では、かなり腕の立つ相手らしいが、なにこっちもうちの若い衆とは別に、裏の人間に手を回しといたさ。」

「大丈夫なんだろうな、もしもあの小バエみたいな男にあんな記事を書かれちまったら、次の選挙は厳しいぞ。」

「わかってるよ、不法投棄の件が明るみになれば、一番の痛手はうちだからな。」


山岡が雇ったのはやくざとはまた種類の違う裏の人間だ、所謂ヒットマンと呼ばれる殺しをも厭わない男だ。
そのボディガード諸共、あの目障りな記者を闇に葬ってしまえば一件落着だ。








撩がアパートに帰った頃、6階も5階もとうに灯りは消え、寝静まっていた。
撩は階段を昇りながら、この先の展開を思案していた。
要するに岡崎がこの先、邪魔の入った取材を継続して進め、
確証さえ掴めれば早急に記事にして公表してしまうのが、相手にとっては最も不都合なはずだ。
社会的制裁は免れない。
この数日、撩が情報収集を行う間、岡崎健太はアパートに籠り原稿を書き進めている。
撩の調べで、まだ岡崎が掴めていなかった情報もチラホラ出てきている。
撩が秘密裏に情報収集を行い、裏を取って、岡崎が記事に起こす。
流れとしてはそれが一番、効率的だろうと撩は考える。
依頼人の目的は、命の危機を回避しながら不正を世の中に公表することなので、
彼の書いた記事が雑誌に無事掲載されれば、それで良いのだ。









「それで、その冴羽とかいう男はどうなんだ?殺れそうなのか?」


山岡はその薄らでかい体躯のヒットマンに、多少怯みながらも威張って訊ねた。
若い衆が色々とリサーチを重ね、信頼できる筋に紹介を受けたというその男は、
異常に無口でこれまでの経緯を語る山岡の話を、黙って聴いていた。


「・・・フンッ、探偵に毛が生えた程度の男だ。任せとけ。俺を誰だと思ってるんだ?」

「おぉ、さすがに心強いな。頼んだぞ。」


ニヤリと笑った髭の口元が不気味さを演出し、
長年極道の世界で鎬を削ってきた山岡をもってしても、計り知れない恐怖を感じた。









撩はこのところ、階段の途中で足を止めるのが癖になっている。
あと1フロア昇れば自宅玄関なのだが、その手前の5階で寄り道する。
香がその扉の向こうで眠っている。
確かに、初めの1~2年はこんな風に同じアパートとはいえ、部屋は別だったのだ。
あの頃は別段、それが淋しいとも感じていなかったけれど、
一旦近付いた距離が遠のくことは、意外と淋しいものだと、撩は妙に可笑しな気持ちになる。
離れなければいけない、自分が傍にいて良い相手ではない、ただの仕事相手だと嘯きながら、
就寝時以外は、いつもと何ら生活に変化はないというのに、それでも離れがたい気持ちが滾々と沸いて出る。
冴子の言うように、もしも今後、久し振りに再会した元同級生と香の間に恋が芽生えたら、
その時、自分は彼女のことを祝福し送り出してやれるのだろうかと、
撩はこのところ無意味な自問自答を繰り返している。
自分とは違い堅気の世界で、社会のために意義のある仕事をしている男ならば、
香の隣にいて相応しいのか。
離してやれないその手の先に繋がるのは、香の幸せに繋がる未来でないといけないのだ。
それだけは確かだ。
撩はそっと、その冷たいスチールの扉に触れる。
一番近くにいるのに触れられない、一番遠い彼女を想いながら。


(つづく)



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[ 2020/03/16 21:42 ] pretend | TB(0) | CM(0)

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