第5話  慕情 

「ちょっとこの後、出てくるから。留守頼むな。」



撩が不意にそう告げたのは、夕飯も終えようかという頃合いだった。
香はとうに食べ終え、岡崎ももうそろそろ食べ終わる頃だった、
空いた皿から順に下げながら、香はこの後のことを脳内でシミュレートしていた。
撩だけはいつも通り、何度目かのおかわりをしながら結構な量をマイペースに食べている途中だ。
食後のコーヒーを淹れたら、男たち2人のために風呂の準備をするつもりだった。
この日の午後に岡崎の依頼を受けて、そこからトントン拍子に話は進み、
香は急遽ではあるが、これからしばらく5階で眠ることになる。
勿論、それ以外は普段通りだ。
依頼人と撩の為に、食事や生活の世話をしながら、その時が来れば撩と共に現場へ赴くだろう。
どうせ5階で寝るのだから、風呂は5階で済ませるつもりだ。
いざという時の為に、香が以前使っていた1室はすぐに使えるように備えている。


「出てくるってどこに?」

「ん~、ちょっと気になる点があってな。調べ物。」

「そう、コーヒーくらいは飲んで行くでしょ?」

「・・・いや、やめとく。コイツにだけ淹れてやればいい。」

「そう。気を付けてね。」

「ああ。」


一連の2人のやりとりを何気なく目にしながら、岡崎は先ほどの香との会話を思い出していた。
香曰く、2人はただの仕事仲間であり、それ以上でもそれ以下でもない、ということらしい。
けれどこうして2人の生活の様子を垣間見ていると、仕事仲間というよりは殆ど家族に近いものを感じる。
付き合っているのだとばかり思っていたが、確かにその雰囲気は恋人のそれというよりも、まるで夫婦だ。
けれどそうではないらしいので、やっぱり色恋の介在しない家族関係といったほうが、適当なのかもしれない。
香には確か、兄が1人居たと岡崎は記憶している。昔の香との会話の中には、頻繁に兄の話が出てきたし、
1度だけ高校の卒業式の日に、岡崎もその姿を見たことはあった。
今の香からは、そういえば彼の話は一言も出てこないな、と岡崎はフト気が付いた。
ただ、間借りすることになった客間のキャビネットの上には、
今より少し前、岡崎が良く知る香に近い香と一度だけ会ったことのある彼女の兄が写る写真が飾ってあった。







「じゃ、行ってくるから。戸締りしっかりな。」


撩が愛用のサイドゴアブーツを履くのをぼんやり眺めながら、香は見送っていたけれど、
撩がそう言ったタイミングで、香は少しだけバツの悪そうな表情で頭を掻いた。
『戸締り』という言葉を言われると、さすがに香の計画を告げない訳にはいかない。


「あ、あのさぁ、りょお。そのことなんだけど・・」

「?」

「戸締りはしっかりするよ?勿論。そこは任せといて欲しいんだけど、アタシ、今夜から5階で寝るから。」


・・・はぁ?!


「・・・だって、しょうがないじゃん?客間には健太が寝るんだし、アンタの部屋には寝れないから、そうなるでしょ?必然的に。」




香の何とかするという言葉は、要するにそういうことだったらしいと撩はこの時初めて理解した。
確かに現実的に考えると、結局はその方法しかない。
香にそれを聞かされるまで、じゃあどういう解決策があるのかといわれれば、撩は何も考えていなかった。
というよりも、どうせ香はきっとあの時みたいにリビングのソファを使って眠るつもりだろうから、
自分もなんだかんだ言って、香が寝入った頃を見計らって香を自分の寝室へ寝かせ、
入れ替わりで自分がソファで眠ればいいと思っていた。
とんだ計算違いだった。


「おまっ、マジで言ってんの?」

「大丈夫よ、仕事はいつも通りちゃんとやるから。それよりホラホラ、遅くなるわよ、行ってらっしゃい。」


言い出しにくいことは、相手がちゃんと向き合いにくいタイミングで切り出すに限るので、
香は撩の背中を急かすように押しながら玄関の外へと押し出した。
まだ何か言いたげな撩に手を振って、反論を許す前に玄関の扉を閉めた。


「よし、なんとか有耶無耶の内に誤魔化せたわ。」


香は満足げに頷いたけれど、扉を隔てて反対側の撩は、ちっとも誤魔化されてはいなかった。
確かにわがままを言っているのは自分の方だという自覚はあるけれど、
まさか香がそんな作戦を打って出るとは思ってもみなかったので、撩は何となく釈然としなかった。
予定調和でことが進むものだと、勝手に考えていたシナリオ通りに動かない相棒の掌の上で、
撩は結局上手に転がされているのかもしれない。

撩はいつまで睨んでいても仕方の無いドアに背を向けて、仕事に行くことにした。
香には、今回の件で調べ物があると誤魔化したけれど、本当は今夜、殺しの依頼が入っていた。
冴子経由で持ち込まれた案件だ。
岡崎の依頼の件が無ければ、今夜撩は飲みに行く振りをして仕事をするつもりだった。




「健太、お風呂沸いたからいつでもどうぞ。タオルは籠の中に出しといたから使って?」


岡崎が香の淹れてくれた食後のコーヒーを飲んでいると、香がリビングに顔を出してそう言った。
香は5階の風呂を使うから、終わったら湯は落としていて構わないとのこと。
撩の帰りは何時になるか分からないし、シャワーで済ますことのほうが多いからそれで良いらしい。
この後、香は5階へ降りるがそのタイミングで玄関を施錠するので、
セキュリティ上、それ以降は申し訳ないが外へは出ないで欲しいと告げられた。
後は、眠るまで好きに過ごしてくれて構わないとのことだった。
岡崎に異論は無いので、しっかりと頷いた。


「槇村。」

「なぁに?」

「今日はなんか、色々あり過ぎて上手くまだ気持ちの整理が出来てないんだけど。」

「当然よ。」

「ありがとうな。」

「お礼なんて要らないわ、友達でしょ?当り前のことをしてるだけよ。」

「変わんないな、槇村は。」

「健太もね。それに、依頼料頂けるんだもの。アタシ達も助かるのよ。」


そう言ってにんまりと笑う香が一瞬、高校生の男勝りで駆け回っていた頃の彼女に見えて、
岡崎は不意に切なくなった。
どうしてあの時、いつでも学校に行けば顔を合わせることが出来たあの時に、
自分の気持ちに気付けなかったのだろうと思った。
もしも、あの時に自分の気持ちに気付いて、彼女に想いを伝えることが出来ていたら。
今の彼女と生活を共にしていたのは、冴羽撩ではなく自分であった可能性もゼロでは無かったかもしれない。
けれどそんな風に考えることは、きっと無意味だし、
たとえ好きだと伝えていたとしてもその先があったかどうかなんて、誰にもわからない。
あの時はあの時だし、今は今だし、きっと彼女の運命の人は自分では無いのだろうと岡崎は思う。




岡崎が風呂から上がると、香はもう5階へ降りていた。
岡崎もそれからすぐに客間で眠り、深夜に一度トイレに起きたらリビングに灯りが点いていることに気付いた。


「冴羽さん。」

「まだ起きてたのか。」

「トイレに起きたら、灯りが点いてたので。」


冴羽撩は、暖房の入っていない冷えたリビングのソファにジャケットを羽織ったままの恰好で座っていた。
気の抜けたような表情でぼんやりと佇む彼に、岡崎は思わず声を掛けたのだ。


「アイツが高校生の頃って、どんなだった?」


岡崎は撩の突然の質問に驚いたけれど、思わず笑みが零れてしまった。
今の彼女のことは、確かに彼の方が詳しいに違いないけれど。
昔の彼女のことならば、幾らでも覚えている。


「槇村は、曲がったことが嫌いで、正義感が強くて、怖い物無しで、相手が男子だろうが不良だろうが臆することなく意見したんです。仲間が困っていると放っておけなくて。」

「ふふ・・・変わってねぇな。」


そう言うと撩は何処か呆れたように、けれど愛おしげに目を細めた。
ジャケットのポケットから出した煙草を咥えた。
吸う?と、岡崎に問うと、岡崎は首を振った。あいにく、岡崎は喫煙者ではない。
撩は構わず、煙草の先に火を点ける。
ローテーブルの上には、香が綺麗に洗った灰皿が置いてある。
撩は昔の彼女を知らない。勿論、香も出会う前の撩のことを殆ど知らないのと同じことだと撩は思うけれど。
いつもより煙草がやけに苦い。

撩は仕事を終えてここに帰り着く前に、5階に立ち寄った。
香が眠る部屋の玄関の扉に耳を当てて、香の気配をしばらく感じていた。
人を殺して帰って来た。
もしも自分が、こんな男じゃなくて、子どもの頃に両親と乗った飛行機がジャングルに墜落することなく、
何も思い煩うこともなく普通に育って、学校に通い、就職し、何でも無い普通の毎日の中で、
彼女に出会えていたら。

考えても仕方の無いことを考えてしまうのは、撩の悪い癖だ。
人生にもしもなんて無い。
きっと彼女の隣に居ても良いのは、自分なんかじゃない。
撩はいつだってそう思っている。


(つづく)

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[ 2020/03/13 04:44 ] pretend | TB(0) | CM(0)

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