冴羽撩は、苛立っていた。
この数日間、撩を地味に悩ませていた相棒に関する一連の懸案事項は、想像していたものとは少し、
否、だいぶ趣が違っていた。
結果的に良かったのかどうかを判断するには、まだ時期尚早ではあるものの、
とりあえず今のところ、槇村秀幸に代わって『香さんを僕に下さいの儀式』には参加せずに済んだ。
情報屋のオッサンが妙に煽って報告してくるもんだから、撩も少し冷静さを欠いて焦ってしまった。
結果として、数日前から香に接触していた件の男は、依頼人だったらしい。
だがしかし撩は、このやり場の無い苛立ちを誰にぶつけて良いものやら分からない。
撩の眉間には無意識に、深い縦皺が刻まれている。
いつもの喫茶キャッツ・アイのボックス席で隣に座る相棒を睨んでも、
撩の不機嫌の意味が解っていない彼女はすっとぼけた表情で首を傾げる。
「何?」
「うんにゃ、別になんも。」
それでも男性の依頼になると、俄然撩のテンションが下がることなど今に始まったことでもないので、
特に気にも留めない香のリアクションとしては、呆れて肩を竦めて見せるに留まった。
そんなことよりも、目の前の元同級生・岡崎健太の窮状を報告するのが先である。
「健太、コレは冴羽撩。実働担当よ。」
「カオリン、コレって酷くない?言い方よ。」
香は撩の抗議は聞こえない振りをした。
いちいち構っていたら、肝心の本題までなかなか辿り着かないのだ。
「なんか槇村がすみません、失礼で。あ、はじめまして岡崎健太と申します。」
「どーもー。冴羽でーす。」
2人は高校の時の同級生らしいが、撩は気に入らない。
何がって、まずは香が奴のことを『けんた』なんて親しげに呼ぶところ。
そして、香の口の悪さなんていつものことだし、それもひっくるめて相棒だと撩は思っているのに、
岡崎とかいうこの男は、まるで親しい友達みたいな面をして『槇村がすみません』なんて言いやがる。
撩には良く分からない距離感だ。
そもそも高校時代なんて撩には無かったし、親しい友達なんていない。
どうせ今回は撩が渋ったとしても、友達思いの香的には、依頼を請けることは決定済みなのだろう。
撩に選択肢など、初めから無いのだ。
「で?依頼の内容は?」
「珍し、アンタのほうから仕事の話を進めるなんて。」
茶化した香の頬を抓りながら、撩は岡崎に話の続きを促した。
モッコリちゃんでも無いのに茶飲み話なんてするだけ無駄だから、撩はサクサクと事を進めたいだけである。
岡崎健太は、フリーでライターをやっている。
主に原稿を依頼されるのは、政治経済、社会問題などを主として取り上げる雑誌週刊誌だ。
本来、やりたかった仕事とは毛色が違うが、フリーで食っていく為には仕事の選り好みは出来ない。
最近ライフワークとして取り組んでいるテーマは、日本国内の環境問題について。
シティーハンターに助けを求めることになった事の発端は、この仕事の内容にある。
岡崎にはこの数カ月、追っているネタがある。
関東某県の山間部で、かなり広範囲に亘って産業廃棄物の不法投棄が行われているのだ。
現場付近には、数軒の産廃業者が作業場を構えてはいるが、
行政の書類上では違法な投棄は、どの業者も行ってはいない。しかし実態は杜撰なものだ。
この件については、深堀りすればするほど様々な疑惑が浮上してくる。
産廃業者と暴力団と地方議員の、あまり宜しくない癒着やその他諸々である。
かなり慎重に調べを進めてはいたものの、何処かで岡崎は虎の尾を踏んでしまったらしい。
1週間の内に、駅のホームで背中を押され線路に落ちそうになったことが3度あった。
自覚はあるので常に身構えている成果か、今のところ全て未遂で終わっている。
夜道で不審車両に尾けられていることもあった。
見通しの悪い緩やかにカーブした通りで、危うく轢き殺されそうになったこともあった。
犯人の心当たりなら、数パターン思い当たる節がある。但し、確証は無い。
「ま、おたくがある程度は調べてるし、黒幕はきっちり〆てやっから、おたくは悪事を全部暴いてやんなよ。」
「ありがとうございます。」
それまで緊張した面持ちでこれまでの恐怖体験を語っていた彼が、撩の言葉に漸く安堵の表情を見せた。
撩としては別に、岡崎の為に依頼を請ける訳ではない。
相棒の旧友のこの状況を見て見ぬ振りしてしまうと、
後々、絶対に面倒くさい事態に陥るのが目に見えているからだ。
ハンマーで伸されたり、飯抜きの刑に処されたり、口を利いて貰えないという状況は、
撩の生活の質を著しく低下させる。
だから、この依頼を請け負うことは即ち、香の為でもあり、撩自身の為でもある。
この際、依頼人は二の次なのだけど、それを口にすると香に殺されるので撩は口が裂けても言わない。
「よし、そうと決まれば善は急げね。健太、うちのアパートに暫く身を隠すから。」
「はぁ?!なんでだよ?おま、何処に泊めんだよ?」
「客間よ、当然でしょ?命狙われてんのよ?」
「・・・。」
客間、それは冴羽アパート6階において、香の寝室も兼ねた一室である。
依頼人が女性の場合、何の問題も無くその部屋へ泊まってもらう。いつものことだ。
だがしかし依頼人が男性である場合、いつもこの問題が付いて回る。
その間、香は一体何処で就寝するのが正解なのかということだ。
「別にアンタの部屋に、健太を泊めてくれたって構わないのよ?」
「ぜっったい、い・や・だ。何でりょうちゃんが男と同衾せにゃならんのだっっ。断るっっ」
「じゃあ、客間しか無いじゃん。ハイハイ、この話は終わり。しゅーりょー。」
いつもの2人の遣り取りを唖然として見詰める岡崎のカップに、
いつの間にか忍び寄った美樹がお代わりの珈琲を注ぎ足す。
「気にしないで、いつものことだから。」
そう言ってニッコリ笑った喫茶店の女主人は、このいつも通りのコントのような展開が結構好きなので、
冴羽商事の依頼人が男性だと、いつもこうして楽しみながら傍目から観察している。勿論、今回も。
(つづく)
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