第2話  噂

香がまたしても岡崎健太に会ったのは、新宿駅東口伝言板前だった。
数日前に会った時は、午前の日課の時だったけれど2度目は午後だった。
あの時は香に気が付いた彼が背中から声を掛けたけど、今度は逆だった。
彼はまるで何か思い詰めたかのように何度か躊躇い、チョークを握ってはまた戻した。
何か悩み事でも抱えているように、香には見えた。
あの時、久し振りに色んな話をしたのに、彼はそんな素振りなどまるで見せなかった。


「健太?」


香の呼び掛けに応じたのは、やはり同級生の彼であった。
彼は一瞬、驚いた表情を見せたけれど、それが香だとわかるとすぐに嬉しそうに微笑んだ。


「やぁ、また会ったね。」

「どうかしたの?」

「え?」

「あ、ぅん、なんか思い詰めてた感じがしたから。」


岡崎は俯き加減で小さく笑った。
前回、ここで香と会った時に気の重い用事を済ます予定だったけど、止めにして真っ直ぐに帰ったのだった。
ここ最近の悩み事は、あの香とのひとときの一瞬だけは忘れていられた。
それが単なる現実逃避だということは重々承知で、日延べをしてしまった。
槇村香と再会した日を、台無しにする勇気が無かった。
けれど現実は切迫していて、藁にもすがる思いでまたここへ来てしまった。
もう一度、香に会えたのは全くの想定外であった。
それでも彼女に、こんな悩み事を打ち明けて良いものかどうかはわからない。
何より彼女に迷惑を掛けてしまうことになっては、取り返しがつかない。


「大丈夫?健太。」


心配そうに覗き込む香の薄茶色の瞳と目が合うと、岡崎は高校時代の香を思い出した。
ちっとも変わらない澄んだ眼差しに、油断すると泣きそうになった。


「なぁ、槇村。新宿駅東口の噂って知ってる?」

「···噂?」


香はこの位から何となく、気が付き始めた。
彼がチョークを手に取って目の前の黒板に、何を書き込もうとしていたのかを。



“ここに、XYZって書いたらどんな悩みでも解決してくれる、腕利きの仕事人とコンタクトが取れるって噂。”



香が思った通り、彼の目的は自分達へのSOSだった。
あの躊躇い方を見る限り、この間の偶然の出会いの時も、
もしかすると依頼をしようかどうしようか考えあぐねていたのかもしれない。


「何か困ったことがあるのね。」

「え?」

「大丈夫、それ噂じゃないから。」


槇村香はにっこりと微笑み、大きく頷いた。
何故だか頼もしげに見える彼女は、あの少女の頃の正義感に溢れた、
いじめっ子や不良の粗暴な振る舞いを許さなかった槇村香そのままな気がした。
そういえば数日前に一緒にお茶をした時に、
今現在の香が何をしているのか訊きそびれていたことを岡崎は思い出した。
香も香で、特に訊かれなかったので答えなかった。


「アタシ、その“仕事人”のパートナーやってるの。」



とりあえず連絡先を、と香に言われ岡崎は名刺を渡した。
依頼の内容をざっくりと説明すると、香は変に意識もせずに岡崎にハグをした。
大丈夫よ、安心して。そう言って背中を擦ってくれた。
多分ただ純粋に、慰めてくれているのだということは岡崎も充分に理解している。
それ以上の他意はないし、彼女は昔からそういうタイプだった。
でももう、彼も香も高校生の頃のように子供じゃないのだ。
新宿駅の雑踏の中で、こんな風に気安くスキンシップをしても良いような女じゃ無いのだ、今の彼女は。
近付いた彼女からは仄かに柔軟剤の清潔な薫りが漂って、
こんな状況下なのに岡崎だけが妙に狼狽えてしまった。

相棒を連れてくるから、とりあえず待っているようにと、とある喫茶店を指定された。
岡崎にしてみれば、まさかの展開だった。
自分が連絡を取らなければと思っていた、まるで都市伝説のような噂の主が彼女だったなんて。
正確には、彼女とその“相棒”らしいけれど、とにもかくにも岡崎は今、命の危険を感じている。
救って貰えるのならば、藁にもすがる思いだ。









またしても撩にその不穏な報告が入ったのは、情報屋からの連絡だった。
日課のナンパを終えてアパートに戻ると、香は不在だった。
別に不思議でもなんでもない、この時間なら香は恐らく伝言板の確認に行っている。
リビングの電話に出ると情報屋は、新宿駅東口で香と例のあの男がハグをしているのを見たという。
まさか香に限って、そんな街中の雑踏で、自分達のホームと言っても過言ではない身近な場所でそんなこと。

「有り得ない。」

撩の独り言は妙に情けなく、リビングに響いた。
何が起こっているのか、撩には理解できなかった。
確かにこの数年、ひょんなことから香と組むことになって、仕事はおろか生活までも共にしてきて、
何度、危険な自分の元から彼女を遠ざけなければいけないと思ったか知れない。
本来ならば自分と一緒にいて良いような女じゃないのだ、彼女は。
きっと死んだ彼女の兄も、こんな未来を望んではいなかった筈だ。
それでも何故だか離れられずにこれまでやってきた。
チャンスは何度かあった。今後のことについて彼女と向き合うチャンスは。
けれどその度に、妙に名残惜しくて時間稼ぎをしてしまった自覚はある。
気の無い素振りをして、互いに核心には触れずにきた。

タイムアウトってことなのか



撩は頭の中が真っ白になって、ぼんやりしてしまった。
力なくソファに身を委ねる。
いつかは彼女を自分の元から立派に自立させねばなんて、偉そうにする必要もなく、
彼女はもしかすると自由意思を持って、ここを旅立って行くのかもしれない。



そんな撩の気も知らないで、元気の良い足音が階段を駆け上がってくる気配で撩は我に返った。
玄関のスチール製の扉が勢いよく開けられ、
その扉が閉まるか閉まらないか微妙な間合いでもう既に、スリッパを履いた足音が廊下を駆けて来る。
その気配だけで、相棒がいつになく慌てていることが判る。
撩が胸の内で香のリビングに入ってくる間合いを読んだのと、ほぼ同時にリビングのドアも勢いよく開いた。



りょおっっ!!


香は肩で息をしている。多分、駅からここまでかなり急いで帰って来たらしい。
妙に真剣な目をしてジッと撩を見詰める。


「あん?どったの?カオリン。」

「会って貰いたい人がいるの。」

「・・・。」



はぁ?!
ド直球で来やがった。
この場合、もしかしたらこれから自分は香の兄貴でもないのに、
香さんを僕に下さいとか言われるんだろうか、などと撩は瞬時にリアルに想像してしまった。
ダラダラと自分の気持ちに言い訳を重ね、見て見ぬ振りをしてきたツケがとうとう回って来たのかもしれない。
撩はこれまでの人生において、最も大きな修羅場を前にして己の頭に血が昇るのを感じた。


(つづく)

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[ 2020/03/03 13:27 ] pretend | TB(0) | CM(0)

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