冴羽先生と香ちゃん③(家庭教師)

で? なんでお前がいるんだ?




秀幸がそう切り出したのは、随分、時間が経過した後だった。
巷を震撼させていた連続強姦殺人事件の犯人を検挙したのが数日前で、
数カ月ぶりに早目に帰宅できる日々が続いている。
仕事中の秀幸の携帯に送られて来たメールには、絵文字付きで。
今日はお兄ちゃんの好きなカレーにします、早く帰って来てね。のメッセージが入った。
勿論、差出人は香だ。
そして勿論、秀幸は妹の作るカレーは大好物なので、
否が応でも上昇するテンションを抑えながら若干前のめり気味で自宅に戻った。
カレーライスは秀幸の好物なのだが、
この槇村家の2LDKの手狭なダイニングキッチンに当たり前のように居座る、
目の前の大男の好物でもあるらしい。
当たり障りのない世間話の延長線上の、少しだけ棘を含んだ世帯主の疑問に。
隣同士並んで座る妹と、その元家庭教師は不思議そうに顔を見合わせる。





なんでって、ねぇ。 

うん。



2人の間には、秀幸にはよく解らない理屈が存在するらしい。
“ねぇ”と“うん”だけで、会話は成立するらしい。
しかし、それでは秀幸にはどうやら通じないらしいと、香が改まる。





あのね、お兄ちゃん。

なんだ。

なんで冴羽先生がここに居るのかって言うのはね。

うん。

冴羽先生も、カレーが大好きだからだよ。

・・・。






妹を見詰めて絶句する秀幸の視界の端で、撩が楽しげにコクコクと頷く。
そもそも、この2人を引き合わせたのは他でも無い、槇村秀幸本人である。
あまりにも惨憺たる香の成績に、頭脳だけは明晰な悪友に頼ったのは藁にも縋る思いだったのだ。
結果、意外にも香は無事女子大生になった。
撩に依頼した家庭教師の契約は、半年前の1月のセンター試験の前に終了したはずだけど。
何故だか撩は、ここのところ週の半分は槇村家で夕飯を食べている。
しかしそれは、秀幸が一緒に夕飯の席に着ける時のカウントなので、
実際にはもっと入り浸っている可能性もある。


香は私大の経済学部にギリギリの成績でパスすると、サークルにもコンパにも参加せず、
講義以外の時間は、アルバイトをすると秀幸に宣言した。
これまで散々、秀幸に経済的負担をかけて来た事が香の気掛かりの種だったのだ。
少しでも(せめて食費の足しぐらいには)と、香はバイト代を生活費に充てている。
学費に関しては、両親が2人の子供の為にと積み立てていた学資保険や死亡保険金などがあるので、
槇村家の蓄えはゼロでは無い。
そもそも非常に慎ましく質素な暮らしぶりの兄妹は、それほどお金を使わないし。
秀幸は非常に真面目で几帳面な男なので、しっかりと将来を見据えて計算している。
別にバイト代くらい、香の好きに使っても構わないというスタンスだが。
そう言うと香は今この状態が、好きにしている結果だと言って笑ったので、秀幸も好きにさせている。
兄妹は仲が良いので、槇村家はいつも平和だ。



だから問題なのは、そのバイト先なのだ。



バイトを探していた香に、ウチでバイトしなよと誘ったのは撩だった。
ウチというのは、撩が代表取締役兼唯一の社員でもある冴羽商事という会社の事だ。
歌舞伎町の外れにある撩の所有するビルの一室に看板を掲げた、如何わしい何でも屋だ。
一応は探偵事務所らしいが、そうそうドラマチックな依頼が舞い込むとは限らず。
依頼内容に関してはほぼ、来るものは拒まずという感じらしい。

秀幸はもっと、
女子大生らしい感じの(コンビニ店員とか、カフェのウェイトレスとか)仕事があるだろうにと思っている。
それに出来れば、妹と冴羽撩との関係も家庭教師の契約が切れた時点で、
終了させたかったというのが本音である。
秀幸にしてみれば、純粋で無邪気な妹にとって冴羽撩という男は害悪でしかないという認識だ。
家庭教師の数ヶ月間は、言うなれば非常事態だったわけで。
香が無事、合格出来たことには率直に感謝はしているが、
その後の事はハッキリ言って、撩の下心しか感じない。


香が冴羽商事で手伝っている仕事は、些か奇妙なモノが多い。
ついこの間は、ペットのアリゲーター(まだ子供のワニで小さい個体だ)を誤って排水口に流したので、
探して欲しいというものだったらしい。
香は撩と2人で、冴羽商事の会社名の入ったツナギに魚釣りなどで使うサロペット型のゴム長を履いて、
マンホールの下の下水の中を探し回ったらしい。
3日後、無事にワニをサルベージして、飼い主の元へと還した。

またある時は、別の依頼で(この依頼に関しては後日、行きつけの飲み屋で秀幸は撩に大激怒した。)
まるで内職の様な仕事を、香は少しづつ家にも持ち帰り2日ほど根を詰めていた。
どんな内職かといえば、
男性器を象ったシリコン製(ピンク色だ)の本体に小さなモーターを仕込むというものだ。
所謂、大人の玩具というやつだ。
そんな仕事をどんな依頼人がどういう経緯で持ち込むのか、秀幸には想像もつかないけれど。
どうやら急ぎの依頼だったらしく、香は夜更けの槇村家のリビングで黙々とモーターを仕込んだ。
仕事から疲れて帰り、そんな状況を目にした秀幸は思わず。
香に、それが一体何に使われるモノなのか知っているのか、と訊ねた。
ニッコリと微笑みながら、知らなかったケド先生が教えてくれた。と言った香に、秀幸は頭痛を覚えた。
香はそんな時ばかり、経済学部の学生らしく。
これも日本経済の一端を担っているんだよと、秀幸を励ました。


そんなこんなで秀幸は正直、
香と撩が仲良くする事も、香が冴羽商事でバイトをする事も良くは思っていない。
香はどんな如何わしい仕事でも、分け隔てなく頑張っているらしい。
確かにそれは、立派な社会勉強といえばそれはそうかもしれないけれど。
せめてもう、大人の玩具の内職だけはやらせないように、半ば脅迫まがいに撩に確約させた。
そして最近では、香の未知なる能力が開花しているらしい。
何故か香には、猫探しの才能があるらしく。
迷い猫探しの依頼が、ここの所立て続けに持ち込まれている。
妹が他のバイトを探す気も無いらしい事と、次第に冴羽商事での仕事を気に入り始めているらしい事に。
秀幸は少なからず危機感を感じている。



大学での講義の時間以外、香が撩の元でバイトをしているか、
もしくは撩が槇村家に入り浸っているかのどちらかだ。
今日のカレーにしたって、と秀幸は捻くれる。
もしかすると自分の好物だからというより、撩の為なんじゃないかなどと邪推する。
何しろこの所、忙しい身の自分よりも、悪友の種馬の方が妹と一緒に居る時間が長いのだ。
秀幸は全然面白くない、というよりも胸糞悪い。






ふ~~~~ん、カレーが大好きねぇ。ホントに大好きなものが他にあるんじゃないのか?撩。




そう言って撩に視線を移す秀幸の眼鏡の奥の瞳は、冷酷だ。
確か、撩と香を引き合わせた時の、一番最初の電話の向こうで秀幸は。
妹に手を出したら殺す、と淡々と呟いた。
心当たりがあり過ぎる程ある撩は、微妙な笑いで誤魔化しながらカレーを頬張った。
香だけは秀幸の言葉の意味を理解出来ないままに、
付け合せで作ったコールスローサラダの話しをしていると思っている。









槇村秀幸はまだこの時は、何も知らなかった。

妹がもう既に、冴羽商事の散らかった事務所の中で雇い主とファーストキスをした事も。
少しづつ撩の事を、初恋として意識し始めている事も。
兄として両親の分まで、妹の進学や就職や結婚に夢を見ている近い将来。
バイト先がそのまま、就職先になる事も。元先生で現ボスの冴羽撩の元に嫁ぐ事も。
今はまだ、誰も知らない。
嵐の前の静けさのひと時を。
秀幸は憮然としながらも、妹と悪友の他愛も無い話しに笑かされたりして何だかんだで楽しんでいた。



(おわり)



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[ 2014/12/10 23:28 ] 冴羽先生シリーズ | TB(0) | CM(0)

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