30. 明日の予定

明らかに失敗したなぁ、と香は思う。

つい数日前に、依頼を完遂し。
午前中の伝言板の確認の時に、銀行へと赴いた。
ご丁寧にも依頼人は昨晩、指定の口座へ送金したと連絡を寄越してくれたので、無駄が省けた。
ATMを操作して、公共料金の引き落とし口座へと過不足無く移すと香は生活費を少しだけ引き出した。
撩は、香が転がり込んだ初めから。
2人で請けた依頼の報酬の管理は香に一任してくれているので、
(主に生活費の面で)何にどれだけ経費が掛かっているのか、きっと詳しくは知らないだろうと香は思う。
香は締まり屋だから、2人の生活に関する諸々の出費は非常にタイトに抑えられている。
撩のツケに関しては、またこれは別問題だし、
生活費とは別に枠を設けているので家計簿とは別の帳簿だ。(因みに、これを撩が見る事も無い。)
日頃、口煩く撩にも節約を求める香だけれど。
これらの金が、非常に大切なものだという事が解っているからこそ、口煩くもなるのだ。
依頼人から頂戴する報酬は、普通の生活では考えられないような大金だ。
それを託してでも、2人に縋らざるを得ない人たちの苦労の結晶で。
撩の身を危険に晒して得た大事なものだ。
一円たりとも無駄には使えないと、香はいつも肝に命じている。


だからスーパーの特売ともなれば、俄然、血が騒ぐのも無理は無い。
そうした情報を上手く活用しなければ、とてもじゃないけれど生活費は幾らあっても足りない。
何せ同居人は、1人で5人前くらいを平然と平らげる大飯喰らいなのだ。
朝、朝刊の折り込みチラシに入っていた、最寄りのスーパーの特売情報は、
きっと神様からの贈り物に違いないと、香は朝食の納豆を混ぜながら天を仰いだ。(室内だけど)
朝食を食べながら、洗濯機も回して、チラシのチェックまで済ませる香の目に飛び込んできたのは。


新米・コシヒカリ(5㎏) 1580円(税別)


安い。
しかも昨夜、依頼人からの入金の連絡も入ったこのタイミング。
これはきっと、香にこの新米を買えという神の啓示である。
本当ならば10㎏くらい買っておきたい所であるが、それを抱えて帰る事を考えたらそれは躊躇われる。
それに、きっとその米を求めてやって来る客は、香1人では無いのだ。欲張ってはいけない。









この季節がいけないんだと、香は思う。
新米は無事、GETした。
5㎏分の重量が、ビニール袋を通して香の腕に食い込む。
しかしそれだけでは無かったのだ。
人並み以上には、腕力に自信のある香だけれど。
さすがに買い過ぎた。
新米に始まり、大きなサツマイモ、カボチャ、大根、玉葱。
どうしたんだこの店、儲ける気あるのかと疑問に思うほどの安売りをしていた。
こんな日に限って、シャンプーの詰め替えまで大特価だし、ポイント5倍デーである。
余程、一度帰って出直そうかとも思ったけれど。
レジに並ぶ長蛇の列を横目に見ると、とてもそんな気にはなれず。
香はええいままよと、めぼしいものを籠に放り込み、今に至る。

嫌な予感はもう既に、袋詰めをしている時から感じていた。






・・・・・・なんで、こんなよりによって重たいモンばっか・・・馬鹿じゃないの?アタシ。



最短距離で家に帰り着く為の、近道の公園内でふと我に返って立ち止まった香の呟きである。











階段の下から、香が大きな声で朝メシが出来たと叫んでいたのは知っていた。
いつもなら、数回叫んでも静まり返った7階寝室に、
業を煮やした香が突入し、一暴れした後に撩の朝が始まる。
本当は大きな声で呼ばれた段階で、とっくに目は覚めているけれど。
撩は香がやって来るまでは、絶対に起床しないと決めている。
特に理由は無い、ただの構ってちゃんである。
冴羽撩は見た目に寄らず、結構甘えん坊なのだ
尤も、彼が全力で甘えるのは、同居人である槇村香に対してだけで。
しかし彼女はそんな彼の些細な甘えになど付き合っている程暇では無いので、結構冷たい。
傍から見れば、俺様な彼に献身的に尽くす健気な彼女、という図式で認識されている2人は。
実のところ、意外と甘えたな彼とアッサリとした彼女だったりする。


その朝(ほぼ昼)は、幾ら待っても香の突入は無かった。
その代わり、玄関ドアが静かに開閉する気配と彼女が不在である証の静けさが満ちていた。
撩は暫く、枕元のフリップクロックの薄いプラスチックの板が時間を刻む音を聴いてたけれど。
香が居ないのでは、寝床でウダウダしていても意味は無いので起床した。
キッチンにはいつもの撩の席に、伏せられた茶碗とお椀。
コンロの上のホーロー鍋には、しじみの味噌汁。
ラップを掛けられた皿には、昨夜、撩が飲みに出て食べなかった夕飯の残りの生姜焼き。
深めの鉢には、冷めて味の染みた筑前煮。
小皿には、少しだけ甘い香が作るいつもの玉子焼き。
朝から些かヘヴィなメニューと量だけど、これらは至って通常の冴羽撩に用意された朝食だ。

そして、テーブルの上の忘れ物で、彼女の今朝の不在の理由が解る。



安っぽい紙質の目がチカチカしそうなカラー写真の折り込み広告には、
重要な、しかし冴羽撩にはほぼ関係の無い情報がこれでもかと盛り込まれている。
油性の赤マジックで、大きく囲まれたコシヒカリの写真の下には、大袈裟な大特価の文字。
彼女がその先着50名様限りという小さな文字を見逃す筈は無い。
これでは確かに、怠惰な相棒の寝覚めの世話など焼いてる暇は無かろうと、
当の怠惰な相棒は大きく頷く。
朝食は毎度の事ながら、非常に旨く、撩の空腹を存分に満たした。
贅沢を言えば、食後の相棒のコーヒーが足りないけれど、特売ならば仕方のない事なのだ。











あ、りょお。 おはよう。



もう少しで、公園の出口に差し掛かるという所で、咥え煙草で現れたのは件の大飯喰らいの同居人だった。
公園内に植えられた樹木は、殆どが紅葉を迎えていて、ハラハラと落ち葉が舞う。
撩のショートブーツが乾いた落ち葉を踏む音が、香に近付く。
撩はおはようも言わずに、香の前に立つとスッと腕を差し出した。




ん。

ん??


同じたった一文字の音を発したコンビの、その音のアクセントが全く違う。
撩は意味の通じない鈍い女の腕からひったくるように、ビニール袋を取り上げる。
その時になって、香は漸く気が付く。
いつも撩より、ワンテンポ遅いのだ。
少しだけにやけた顔を誤魔化すように、香は次の瞬間には軽口を叩く。





なぁに? 珍しいじゃん。さては昨日、またごっそりツケ増やしたな?



そんな事を言いながらも、香の声音は笑みを含んでいる、怒ってはいない。
撩は胸の内で、素直じゃ無い奴、と思う。
オンナ扱いしないならしないで怒るくせに、偶にこうして優しくすると慣れていないから、
リアクションに困っている。
可愛いヤツだと思っているのは、未だ彼女には内緒だ。
別にこれと言って、彼女をオンナ扱いしないのに理由は無い。
すぐにでも最大級のオンナ扱いで、その清らかなヴァージンを美味しく平らげてやっても問題無いけれど。
でもこの絶妙な距離感をもっと楽しんでいたいという気持ちも無くは無い。




まぁ、たまにゃ良いだろ。




煙草を咥えたまま撩がそう言ったので、煙草の先から灰がボタン雪の様にふわりと落ちる。
お米も野菜も、重たいものは全部撩が持ったので。
香の手には、シャンプーとリンスの詰め替えだけが入ったビニールが残された。
軽い袋をぶら下げながら、撩の隣を歩く。
撩の横顔を見上げると、顎の下に少しだけヒゲの剃り残しがあった。
2人で落ち葉を踏み鳴らして歩く傍から、ハラハラと落ち葉は降り積もる。
赤や茶色や黄色い枯葉が、まるで雨のように撩の上に降り注いで。
真っ黒な癖毛の上に、枯葉が1枚落ちた。




ねぇ、りょお。 マフラー編んだげよっか?


そう言った香に撩は何も言わなかったケド、少しだけ小さく微笑んだから。
香は編んであげようと思った。
何色の毛糸にする?と訊きながら、撩の髪の毛に付いた落ち葉を摘む。
一応は訊きながらも、きっと香は自分で好きな色を選ぶんだろうと、撩は可笑しな気持ちになる。
これまでの撩の人生に於いて、こんな風に誰かと生活を共にし、世話を焼かれた事など無かった。
きっと他の誰かが、彼女と同じ事をしたならば。
撩にとってそれは、不快以外の何物でも無いだろう。
でも、彼女なら別に撩に何をしたって構わない。
そんな風に思っている自分自身に、誰でも無い撩自身が最も驚いている。



何色にしよっかなぁ



そう言いながら落ち葉を蹴って歩く香の明日の予定は決まった。
伝言板を見た帰りに撩のマフラーの為の毛糸を選びに行く。
短い秋の間に急いで編まないと、もうすぐ冬が来る。
彼女だけが秋の日差しの中で、
相棒の胸に燻ぶる熱い感情に未だ気が付かないまま楽しそうにはしゃいでいた。








11/22は、良い夫婦の日なので言い換えれば、冴羽商事の日ですね。
一線越えようが越えなかろうが、2人はほぼ夫婦みたいなものだと思うのです。

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