第5話 決壊

・・・今夜は、行かないで。




香が耳まで真っ赤にして、意を決したようにそう言ったのは。
あの日から14日後の事だった。
極々小さな声で呟かれたその言葉は、しかし。
僚の耳にはしっかりと届き、まるで砂漠を湿らす夜露のように僚の心を潤した。















2週間経って、美樹の怪我ももう随分良くなってきている。
それでも相変わらず心配性な香は、昼間は僚を連れ立って連日教授宅へと通う。
そして、そこで目の当たりにするのは、伊集院夫妻のアツアツ振りだった。
それは、結婚前から変わらぬいつもの光景だが。
やはり香はそれを見て、自分達を振り返らない訳にはいかない。
それだけでは無い。
向かいのミックと教授の助手のかずえが、同棲生活を始めた。
自分達の周りのカップルは、次々と身を固めてゆくのに。
彼らよりもずっと以前から、一緒に暮らしている自分達に何ら進展は見られないのだ。



何がいけないんだろう、と香は思う。
あの日、僚は確かに自分の事を“愛する者”だと言ってはくれた。
たとえそれが、危機的状況に於ける非常時のテンションだったとしても。
その後、2週間。
僚はあの時の事を否定するでも無く、ただ少しづついつも通りの日常を取り戻しただけだった。
そうなのだ、ただそれだけの事だ。
別段、ケンカをする訳でも無く、意地悪を言うでも無く、ただ穏やかに2人は生活している。
あんな場面で、あんな風に言ってくれて、おでこにちゅうをして、
それでもこうして穏やかで居られるという事は。
裏を返せば、憎からず想ってくれてると考えても良いいんだろうか、と香は思う。
そして、ふと思い返す。

あの時、僚は言葉をくれた。
あんな状況下で敵を倒し、無傷でお互い再会できた。
助けてくれた。
それなら自分は一体、僚に何を返せただろう。
あれ以来、伊集院夫妻を傍で見て来て、羨んでいただけでは無いのだ。
彼らはいつだって、互いに正直で、対等だ。
どちらか一方だけが相手に尽くすのでは無く、互いに労わり合う。
それに気が付いた時、香は僚に果たして何を返せるだろうと思った。
否、僚のしてくれた事に礼を尽くすとかそういう大げさな事では無く。


大事な事は、素直に向き合う事なんじゃないかと気が付いたのだ。
香はいつだって、僚の言葉や出方を待っていた事に気が付いた。
僚は“愛する者”だと言ってくれた、じゃあ、自分は?
そう考えてこれまでを振り返ると、意外と香自身もなかなかの天邪鬼だった。
似た者同士なのかもしれない。











夕飯を食べ終えて、香がリビングにコーヒーを持って来る頃には、腰の辺りがそわそわ落ち着かない。

それはここ数日の、夜のお約束だった。
何となく落ち着かないから、コーヒーを飲み終えるとそそくさとネオンの下へと逃げる。
自分でも意気地なしだという自覚はある。
逃げるまでは良いけれど、キャバクラやラウンジに行く気はしない。
自然と足は、1人で飲めるバーへと赴く。
そんな繰り返しだ。

香と一緒に居たく無いワケでは無い。
むしろ、逆だ。
一時たりとも離れたくはない。
別に用事は無くても、ずっと香を見ていたい。
けれど、そんな欲望のままに香の傍に居たら、多分、歯止めは効かない。
あの日から、時間の経過とともに香への想いは募る一方だ。
香は香で、1人悶々と悩んでいるけれど、そんな事は僚の知る由では無いので。
僚も僚で、悶々と考え過ぎている。
結論としては、似た者同士だ。


言葉に力が宿ると言うのは、本当の事だと僚は思う。
これまで、必死に香を女として見なす事を避けて来た。
初めはその必要があったから、そうして来た。
けれど、いつしかそれが互いを縛り付け、苦しめて来た。
そして一旦解放した戒めは、まるで砂の城郭が崩れ落ちるように、あっけなく決壊した。
後に残るのは、只々香が好きだと言うその感情だけで。
僚は改めて自覚する。
己がこの数年間、如何に香中心に生きて来たのかを。
多分、そんな全てのベクトルを香に一気に向けるのは危険だと、本能がブレーキを掛けるのだ。

香に嫌われたくない。

その一心で、僚は表面上、いつも通りに徹する。
けれど、僚が夜の街へと出て行こうとする度に、香が浮かべる薄い落胆の表情に気付かない辺りは、
僚としても、この数日平常心では無いとも言える。










たまには、自分から素直になってみようかと勇気を出した。

普段の香からは想像もできない台詞に、柄にも無く動揺して、思わずニヤケてしまった。









りょお、・・・・・・・今夜は、出掛けて欲しくない。







何も言わない僚に、香がもう一度言った。
微かに声が震えている。
真っ赤な顔で、目の縁には薄っすら涙が溜まっている。
妙な間を置いて。

僚は香を抱き寄せた。

そこで初めて、僚自身も出掛けたくなど無い事に気が付いた。
ずっとこうしたかった。
すぐ目の前に、柔らかで温かなその存在がいつでもあったのに。
甘える事が怖かった。
甘えたら最後、何かを失ってしまいそうで恐れていた。
けれど、何も失う事など無かったし、恐れる必要も無かったのだという事に、
6年かかって漸く気が付いた。
香が遠慮がちに、両腕を僚の背中へと回す。
そんな仕草すら可愛いと、僚はもう1度キツク香を抱き締める。








変なタイミングで僚から抱き寄せられて、
香がその状況に気が付いてドキドキするまでに、2秒ほど掛かった。
僚は香の言葉に応える代わりに、香を抱き締めた。
僚の腕の中は温かくて、ジャケットからは薄い煙草と硝煙の匂いがした。
顔を埋めたTシャツからは、清潔な柔軟剤の匂いがした。
香が知っている僚の匂いだ。
それは6年間、ずっと香の傍にあった。
手を伸ばせば触れられそうで、その実、香の指先をするりとすり抜けては掴み処が無かった。
甘える事が怖かった。
甘えてしまえば、この2人の完結した世界が崩壊するような気がしていた。
初めて、僚の核心に触れた気がした。
包みたいと思った。
許されるのなら、この孤独で気高く生きて来た、けれどとっても温かい男(ひと)を。
そう思ったのは香の筈なのに、逆に僚から包み込むように抱き締められた。









なぁ、香。





暫く経って、言葉を発したのは僚だった。
僚の胸板にくっ付けた耳を通して聴く僚の声は、いつもより深くて穏やかだった。






ん?


おまぁは、どうしたい?これから。





あまりにも漠然とした質問に、香は一瞬状況を忘れて僚を見上げる。
思いの外近い互いの距離に、更に頬が熱くなるのが解る。
香なりに、僚の質問に全力で答えを探す。
これから先、どうしたいのか。
そんな事を言ったら、答えは山ほどある。
けれど、一番大切で誰にも譲れない事は、1つだけだ。






ずっとずっとずっとずっと死ぬまで、僚の傍に居たい。





ただ、それだけだった。
それは相棒としては勿論だけど、人生を分かち合うパートナーとして。
1人の女として。
僚の一番近くに居たい。

香の答えに僚は、思わず破顔した。
同じだった。
惚れた女と、考える事までそっくりで。
もうこれは、運命なんじゃね?なんて考える。








・・・りょおは?


へ?


りょおはどうしたいの?


それ、訊いちゃう???カオリン


ふぇ?????








それまでの真剣な言葉と、
甘い雰囲気が一気に台無しになりそうな厭らしい笑みを浮かべて、
冴羽僚は槇村香の耳元で、囁く。





こういう事がしたい。





それは、目にも留まらぬ早業であった。
流石は泣く子も黙る、新宿の種馬である。
純粋培養の初心者相手に、いきなり本気のキスをした。
それは、2人が。
本当の意味で、“パートナー”になる数時間前の出来事だった。









ただ傍に居たい、そんなシンプルな愛情がすぐそこにあった事に、
2人は6年目にして、漸く辿り着いた。



(おわり)



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[ 2013/11/11 02:02 ] Close to You | TB(0) | CM(3)

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[ 2016/02/14 22:41 ] [ 編集 ]

奏さま、いつもありがとうございます(*´∀`*)ノシ

お返事遅くなって申し訳ありませんm(_ _)m

> 奥多摩後どうなったのか、25年たった今でも妄想の種です。
> どうやって一線越えたのかしらと大人になった私はつい考えたり(笑)

ホント、それ。
原作ラストが想像にお任せしますパターンなんだから、二次創作しちゃっても仕方ないですよねぇ(言い訳)
ていうか、二次創作して下さいって言ってるような終わり方ですよねぇ、あんなの。
死なせやしないよ(キリッッ)っていってハグだけなんて(悶々)
チューは???チューは無しかよっっ(ガルルルゥ)ってなりますよねぇ。
あんだけ、モッコリモッコリ言いながら、チューも無しなんてイケズ過ぎる(ノД‘)・゜・。
だから、二次創作やってます(開き直り)(*´∀`*)


> 私としては適度にいちゃついてほしい反面、
> 憎まれ口たたいたりハンマーしたりもしながら楽しく暮らしててほしいです。


それ、ワタシも賛成に一票。
イチャイチャ&仲良くケンカする2人希望です。
トムとジェリーの次に、仲良くケンカするんですよ。もう、犬も喰わないっつってね。
お返事遅くなりましたぁ、こんな過去に書いたお話にお言葉下さって嬉しいです(´∀`◎)
ありがとうございまぁぁぁああっす♪
[ 2016/07/08 18:21 ] [ 編集 ]

Best

奥多摩後を描いた二次創作は数あれど。
これだ!と、一番しっくりきたのはこちらの作品でございました。
2人ならきっとこうする、こう言う、こう考えこう行動する。作者様の原作への考察とキャラクターへの愛の賜物かと。
読ませていただきありがとうございました!
[ 2021/05/25 23:48 ] [ 編集 ]

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