74.実験用マウス

「なぁに?それ。」





撩が持ち帰った箱に、香は首を傾げた。
一見すると重たくは無さそうだが、結構な大きさの段ボールの中からプラスチックの透明の箱が現れたので、香は更に怪訝な表情を深める。



「依頼だよ。こいつが今回のガード対象、者?人間じゃねぇけど。」



そう言って撩の指し示した指の先には、透明の箱の中に木屑のような木製のチップのような不思議な物が詰まっていて。
箱の内部には丸い回転する物体が据えてある。
香にもこの物体が何をする物かということ位の知識はある。
この中にネズミが入って回すやつだ。
小学生の頃、同級生の間でハムスターを飼うのが流行った時期があった。
香も飼いたかった記憶があるが、兄と二人きりの団地住まいだし、そんなワガママを言うこと自体が当時の香にとっては出来ないことだった。
誰だったかはもう忘れたけれど、友達の中の一人の家に招かれて遊んだ時に見せて貰った覚えがある。
とても臆病で小さなネズミは、それでも香の掌の上で小さく丸くなってとても柔らかだった気がする。

撩はリビングのローテーブルの上にそっとケージを置くと、人差し指を唇に押し当てて声を潜めた。




「臆病な奴だから。」



香は訊きたいことが山ほどあるけれど、とりあえず頷いた。
残りの色々を撩は段ボールから取り出すと、ローテーブルの上に次々並べ始めた。
ペットフードとおぼしき袋に、ケージに敷き詰められた物と同じ巣材のようなもの。
餌を容れるための小鉢のような皿に、ケージの天井部分にあたるメッシュの所に取り付けられるようになった水飲みボトル。
香は撩の開封作業を横目で見ながら、撩の指示に従って黙って静かにケージの中を観察した。
しばらくして小さな巣材の小山がモゾモゾと動き出したかと思うと、真っ白な美しいネズミが現れた。
毛皮は真っ白な綿毛のようで、つぶらな瞳はルビー色をしていた。
小さな足先や鼻の先は、ほんのりとピンク色をしていた。
毛の生えていないピンク色の長い尻尾が伸びている。
暗い箱の中から突然、明るい場所に出て来て、戸惑っているように見えたけど、本当の所は香にはよく解らなかった。





「ハムスター?」

「いんや、実験用マウス。」

「マウス?」

「うん、マウス。ま、今は依頼人のペットでもあるけど。」




そこだ。
まずはそれから訊かないと始まらないと、香は気が付いた。
そもそも、いつの間に依頼を受けてきたのか。
少なくとも、つい2時間ほど前に午後の伝言板確認に出向いた際には、依頼など無かった。




「まぁ、行き掛かり上、受けざるを得ないというかなんというか····不可抗力というか····」

「なによ、歯切れが悪いわよ。何があったのよ。」





午後の公園のベンチに、何やら深刻そうな表情で深い溜め息をつく女子中学生が居たらしい。
膝には撩が持ち帰ったこの段ボール箱一式を抱え困っていたので、事情を訊いたというのだ。
その撩の言う、行き掛かり上とやらの状況にいつかの既視感を覚える。
公園で泣いていた小さな女の子の依頼を500円で請け負った、あの時の撩に出逢って香は初恋に落ちた。
あの時、お人好しの相棒の奴(兄貴だ)が勝手に引き受けた、と撩は言ったけど。
多分、撩だって充分お人好しだ。


その小さな生き物は、とある製薬会社の研究者の実験の成果で何やら特別なネズミらしい。
遺伝子を操作されたネズミは不老不死、すなわち実験の結果が正しければ、永遠に死なないらしい。
件の女子中学生は、その研究者の一人娘でネズミの飼い主だ。
父親が作り出したそのネズミと、家族の一員として2歳の頃から生活を共にしてきた。
その可愛いペットが今、命を狙われているというのだ。
数日後に、父親が研究の成果を学会で発表することになっている。
恐らくその情報を何処からか嗅ぎ付けた産業スパイに、狙われているという。
奪われたら最後、ネズミ君は解剖に回され体の隅々、細胞に至るまで調べられ無惨な最期を遂げるだろうというのだ。
リミットは父親の学会発表の日まで。
研究が公になれば、簡単に手出しは出来なくなるだろう。





「凄いネズミな訳ね、この子が。」

「ま、ざっくり言えばそういうこと。」



ただ数日、ネズミの世話をする訳ではないだろう。
撩は恐らく、そのスパイとやらの正体を突き止め、問題の根本から解決する気だろう。





「依頼料、500円ってことないでしょうね?」

「大丈夫、父親の製薬会社とは話をつけてあるから、安心しろ。」

「でも、可愛いねこの子。とても毛並みが良いし、10年以上も生きているなんてとてもじゃないけど信じられない。」

「まぁ、普通はぶっ飛んだ話だと思うわな。でも、ほんとの話らしい。」





どうやら撩は、日課のナンパの合間に仕事を取ってきたということだ。
撩は恐ろしいまでの強運の持ち主らしい。
依頼なんて待ってりゃその内、降ってくる。という口癖が、時々こうして現実のものとなる。
しかもネズミ相手に夜這い対策を講じる必要もなく、香としてもそれは申し分ない依頼であった。















カタカタカタカタカタカタカタカタ




今回のガード対象は夜行性だ。
香は二人の寝室に対象を招き入れると言って聞かなかった。
大事な対象者に何かあったらいけないからというのが、香の建前だ。
けれど撩は彼女の本音が別にあると分析している。
寝る時間になるまで、香は楽しそうにリビングで対象を観察していた。
とても人に懐いた対象は、ケージの蓋を開けてナッツを差し出せばその小さな手でそれを受け取り、モグモグと食べたりする。
撩が寝る時間だと水を向けても、一向に意に介さず観察を続けるので、有無を言わさず実力行使に出たところ、
香は対象を寝室に寝かせると言い出したのだ。
撩としては、何でも良いので彼女を寝室へ連れ込むために、ネズミとセットで彼女を抱えて来たというわけだ。

対象はベッドサイドのキャビネットの上に据えられ、薄暗い間接照明の中で元気に活動を始めている。
撩もまた夜行性なので、パートナーとの夜の触れ合い活動に勤しんでいる。




「ね、···りょ··お」

「ん?」



第1ラウンド目を終えたところで香が言った。
行為を終えてすぐの彼女の声は艶かしくて興奮すると撩は思うけど、そんなことを言うと彼女に殴られるのであえて黙っておく。





「あの子は死なないのよね?」

「まぁ、実験が正しければね。まだ実験の途中だから。」

「もしもね、もしも。実験の通りずっと生き続けたら、」

「うん。」

「あの子はどうなるの?」

「どうって?」

「家族も居なくなって、それでも生き続けるの?」





撩の裸の胸板に頬をくっ付けたまま、香がそう言ったので、撩は優しく香の髪を撫でた。
撩は香に訊かれるまで、そんなことを考えもしなかった。
小さな命を弄ぶ人間のエゴと言えばそれまでだ。
そうやって、科学が発展してきた。
真面目な話をすれば、きっと飼い主ならば自分が死ぬときに一緒に連れて行くのではないだろうか。
本音を言えば、実験が失敗に終わってしまえば良いと撩は思う。
少しだけ他のマウスよりも長生きして、家族にかわいがられ最終的に幸せなペットとして生を全うすれば良い。



アタシだったら、やだな。



香の声が掠れている。
先程までの、触れ合い活動の激しさを物語る喉の渇きだ。
香は終始艶かしい声を立てていて、行為の間中ずっと撩を煽っていた。




撩が居なくなった世界で永遠に生き続けるなんて地獄だよ。



香がそう言いながら撩の胸を優しく撫で上げるから、撩の腕の立毛筋が反応する。
さっきからやたらと煽ってくる相棒に、抗議の意味を込めて乳房を揉みしだく。
彼女の眉間がうっすらと寄せられ、半開きの唇は何かを言おうとして形を結ばず、熱い吐息を漏らした。
拒否反応が見られなかったので、撩は体勢を入れ替えると優しく香を組み敷いた。
香の丸い瞳を、うっすらと涙の膜が包み、唇は物欲しそうに戦慄いた。
口付けを落とすと、香はゆっくりと瞳を閉じる。




死ぬときは一緒だ。


撩が香の耳許でそう囁くと、香は恍惚の表情で幸せそうに頷いた。
何が何でも守り抜くと約束はしたけれど、寿命から逃れることだけは生物としての宿命で無理だろう。
誰しもいつかは死ぬ。
どちらが早くても遅くても、残された方が悲しむことに違いはない。
撩はもしもこの先、香に先立たれたら後を追って死のうと思う。
そして、もしも自分が先に死んで、その時残された香が悲しくてこの世の地獄だというのなら。
その時は、後から来るであろう香を待って一緒に地獄に堕ちようと思う。
それまでは、その時が来るまでの束の間の人生は、仲良く元気に生きて行くのだ。
今回のガード対象者の回す、回し車の規則的な音を聴きながら二人は2度目の行為にのめり込んでゆく。











久し振りの更新は、お題です。皆様、お元気ですか?お風邪など召しませぬようご自愛ください。
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