うわぁ、懐かしいなぁ。
夕食後、珈琲を飲みながらテレビを観ていた香がそう言ったので、
撩はソファにごろ寝して愛読書を読み耽っていたのを一時中断し、顔を上げた。
テレビに釘付けの彼女の横顔は、どことなく少年のような無邪気さを漂わせ、いつかのシュガーボーイの頃を彷彿とさせた。
なんてことない夜のニュースは、ずいぶん昔のとある漫画の新作アニメ映画が公開されることを伝えていた。
丁度、年の頃でいえば、当時の子供だったと思われるニュースキャスターのテンションは、異様に高い。
勿論、撩にはよく解らない世界のよく解らない時代の話だ。
きっとその頃、同じく子供だったであろう撩は飛行機から投げ出されたばっかりに、壮絶な人生を歩く羽目に陥っていた。
漫画や映画やその他の様々な娯楽を撩が体験したのは、既に大人になってからだった。
特に面白いとも感じなかったのが本音だが、それらを享受出来ることの平穏さや豊かさの方がより、撩にとっては大きな出来事だった。
まさにカルチャーショックというヤツだ。
計算合わなくね?おまぁ、幾つだよ。ずいぶん昔の漫画だってよ?
ふふふ、多分アニキの方がタイムリーに観てたんじゃないかな?
アタシはアニキが読んでた漫画を、こっそり持ち出して読んでたの。それに多分、アニメは再放送世代だから。
香はそう言うと、頬を染めて嬉しそうに笑った。
まるで好きな奴の話でもするように。
だからその端正な眉間に深い縦皺が刻まれたことも、苦虫を噛み潰したような表情も無理からぬことであろう。
そうでなくともここ最近、仲間内では撩のポーカーフェイスが崩れつつあると専らの評判だ。
人間味を増した撩を変えたのは、他の誰でもなく香に違いない。
二人は最近、急速に距離を縮めつつあるらしい。
確たる証拠は無いものの、彼らに近い同業者達の見解としては悉く一致している。
一線は越えていない、が、逆にそこを越えていないだけで、それ以外殆ど全ての要件でカップルとしては成立している。
一度は危機に直面し、秋の日の湖畔で互いの気持ちなどぶつけ合った甲斐もあり、もはや互いに気持ちを隠すつもりは無いらしい。
喧嘩腰で相互に罵り合いながら嫉妬し、束縛して絆を深め合うという回りくどい愛のやり取りを公衆の面前で恥ずかしげもなく毎日繰り広げている。
という有り様なので、冴羽撩という男は漫画の主人公にまで嫉妬の対象を拡大するつもりのようだ。
どういう関係だよ。
は?なにが?
その漫画の主人公とお前だよ。
···何それ、馬鹿じゃないの、二次元にまで嫉妬すんの?キモいんだけど。
香は一息にそう言いつつも、やはり頬を染めて相好を崩した。
たとえ相方がどう思おうが、子供の頃に大好きだったキャラクターが新しくなって動き回る姿を観れるのは、どう考えても嬉しいらしい。
相方の度を過ぎた狭量な嫉妬心など簡単に凌駕する程度には。
そうねぇ、やっぱり、 ヒーローだったのかな。アタシにとっては。
年の離れた兄はいつも、仕事で帰りが遅かった。
淋しく無かったといえば嘘になる。
けれど、それを言葉にできない境遇だった香は、一人遊びの上手な子供だった。
テレビは簡単に淋しさを紛らわしてくれたし、淋しさを埋めてくれるヒーローは香にとっては心強い味方だった。
何だか憂いを帯びた表情で、良い歳した女が、味のある発言したような雰囲気になりかけてはいるが、要するに子供の頃にド嵌まりした漫画及びアニメを懐かしんでいるに過ぎない。
しかし、面白くないのは撩の方である。
彼女にとっての“HERO”は、常に自分でないといけないのだ。幾ら子供の頃の話だとはいえ、彼女の頭の中で自分の知らない“HERO”に居座られては困ってしまう。
くっだらねぇ、ガキかっつーの。
そういう自分の方が子供じみた嫉妬を滲ませている自覚は、撩にはない。
けれど最近の香には、もう解っている。目の前の男が結構なヤキモチ妬きだということを。
けれどこの香のヒーロー好きは、意外と撩にも無関係な話では無かったりする。
子供の頃から兄と二人暮らしだった影響で、男の子のように育った香は、女の子の好むような漫画やアニメよりも好きなのは常に少年漫画や戦隊モノだった。
だから、思春期真っ只中のあの時の撩との出会いは、香にとって大きな意味のある出来事だったのだ。
ずっと憧れていたような漫画の中の主人公のような男が、リアルに存在したのだから。
けれども、ひとつわかったことがある。
現実の香にとってのヒーローは、全然完璧超人なんかじゃなくて、スケベで意地悪でヤキモチ妬きで、どうしようもないけれど、どんなヒーローよりも香の心を奪ってしまった。
なかなか素直には本人に言えないけれど。
りょおの方こそ、子供っぽい。
香がそう言って小さく笑うと、撩はばつが悪そうにムスッとしながら愛用のマグカップを差し出した。
どうやら無言で珈琲のおかわりを所望しているらしい。
どうも互いに素直になれなくて、こうしていつも意地を張り合ってしまう。
仕方がないなぁ、と言いながらも、香は自分の淹れた珈琲を求められることが嬉しかったりする。
それだけじゃない。
撩のそばで、撩の役に立てることが嬉しかったりするのだ。
香の一番のヒーローは、くだらないことでヤキモチを妬きたがるちょっと変な中年男だけど、現実とはそういうものだ。
心強い香の唯一無二の味方は撩だけだ。
香はヒーローの為に、新しい珈琲を淹れることにする。
りょお。
ん?
今はね、あんたが居てくれるからそれで良いの。
香がそう言ってリビングを後にしたので、残された撩は思わず独りで赤面した。
無意識に頬が緩んでしまう。
そんな可愛いことをいうのなら、なんならこのあとモッコリしてやろうか、などと不埒な中年ヒーローは考えている。
新作アニメ制作が発表された記念ということで。
久し振りすぎて、文章の書き方わからなくなりました。やばい( ;´・ω・`)
「手当てするから、上がってって。」
麗香が心配そうに眉根を寄せてそう言ったのを、撩は何も言わずに小さく首を振るだけで応えた。
撩は薄く微笑んだけれど、麗香には撩の内心を推し量ることは出来なかった。
撩の仕草から近寄りがたい雰囲気が感じられて、麗香はもうそれ以上何も言えなかった。
「まだ、終わった訳じゃねぇから油断するなよ。近日中には片付くとは思うけど。」
「わかったわ。…撩、ありがとう。」
「あぁ、お疲れさん。」
寂れた埠頭の倉庫街で、思いがけず銃撃戦が始まった。
撩は手慣れたもので飄々と応戦し、あっさりとその場は片が付いたのだけど、麗香は戸惑っていた。
いざその時になれば、卒なくアシスト出来ると思っていたけれど、現実は甘くなかった。
足手纏いにならないように振舞うので精一杯で、自分がどれだけ彼の役に立てたかは判らなかった。
多分、撩の二の腕を掠めた傷は、自分のせいだと麗香は思った。
きっと撩独りなら、あの程度の事は日常茶飯事で、怪我など負うことなく済むのだろう。
撩は大したことない掠り傷だと言って、笑ったけれど。
修羅場での己の存在が、少なからず撩のパフォーマンスに影響したのは間違いないだろうと、麗香は思う。
だからこそ、彼の腕に滲んだ赤い色を見て、せめて手当だけでもさせて欲しかった。
けれど、ある一定の距離から先に彼に踏み込むことを、まるで拒むように薄い拒絶の空気が彼を包んでいる。
なにも今にはじまったことではない。
それはいつものことだけど、麗香にはそのあと一歩を進める為の手立てが解からない。
どうすれば撩の心を感じることが出来るのか、いくら香を出し抜いて一時的に組んで仕事をしても、
それがただの己の自己満足に過ぎないという事実を、何も言わない撩から突き付けられている気がする。
はじめはただただ嬉しかった。
仕事とはいえ、それが如何に危うい案件だったとしても、撩と組んでやれるだけで単純に嬉しかった。
撩と数時間、共に過ごす為の理由があって、撩と言葉を交わせることが嬉しかった。
でも、こうして隣のビルに消える後ろ姿を見送る度に、苦しくなっていく。
午前零時を少し回った頃だった。
香はリビングにいた。
撩が夜遊びで家を空けていようが、仕事だろうが、この時間なら香はまだ眠らない。
洗い髪をバスタオルで乾かしながら、深夜のテレビ番組をぼんやりと観ている時間だ。
玄関の扉が静かに開く気配がしたので、撩が帰ったとわかる。
もうすぐで足音がリビングの前まで聞こえて、そのドアを開けて入ってくるだろうと、香はタオルを被って目を瞑った。
撩が廊下を歩く姿を想像する。
今夜の撩が何処でどんなことをしてきたのだろうと、想像する。
ただいま
床の上にぺたんと座ってパジャマ姿でバスタオルを肩にかけた香が、撩を見上げる。
心配している素振りを隠して、明るく笑う。
今回の件は、互いに最初からわかっている仕事なので、無駄な掛け合いは要らない。
おかえり
香は知らないけど、撩がこうして家に帰るといつもと変わらない日常があることが、撩を慰めている。
知らず知らず無意識のうちに、撩に怪我が無いかチェックする癖が付いてしまった香は、そうとは悟らせぬ視線で撩を見詰める。
それはすぐに見てとれた。綻んだ長袖のシャツの袖に薄く滲んでいる赤は、血の色に違いない。
さほど出血量は無いらしい。恐らくもう、血は止まっている。
袖に目を遣って、撩の顔を改めて見ると、2人の視線が絡む。
香の考えていることくらい、撩にも判るだろう。暫く沈黙が2人を包む。
「脱いで」
沈黙を破ったのは香だった。
撩はまるで抗えない催眠術にでもかけられたように、香の言葉に従って長袖のシャツを脱いだ。
香が何をするつもりなのか、言葉にせずとも解っている。
シャツの下に、ヌメ革のホルスターが現れる、撩はそれも脱ぎ去ると、収まった愛銃ごとソファに放り投げた。
香も肩にかけていたバスタオルを床の上に放ると、キャビネットに仕舞われている救急箱を準備した。
手慣れた香の手際は良かった。
丹念にアルコールを含ませた脱脂綿で傷口を拭い、綺麗に血の跡を消した。
アルコールでひやりと感じる皮膚に、香の指先が触れるたびに撩の内側に妙な感覚が沸き起こる。それをポーカーフェイスで隠しながら、押し殺す。
香もまた無表情だった。
大袈裟に騒ぐほどの傷でも無いけれど、内心では胸が張り裂けそうだった。
それでも、こうして努めて冷静に撩の手当てをすることが、自分の役割だと思っているから、香は心を押し殺す。
他の誰でもない、自分以外の誰かに撩の傷を触れさせるのだけは嫌なのだ、と香は思う。
こうして素直に撩が己に身を委ねてくれるから、香はたとえ現場に赴くことを許されなくても、撩の相棒でいられる気がする。
それでも以前、海坊主との決闘で撩が酷く傷付いた夜は、手当てをするのが辛すぎて、
いつも撩の怪我の原因となる自分が悔しくて、いっそ自分にはパートナーの資格が無いのではないかと思い悩んだ。
けれど、あれからも何度かこうして撩と向き合う内に、香の心境にも変化が現れた。
パートナーだからこそ、撩がどんな状況であれ冷静に対処する。
たとえ心が痛んでも、泣くまいと香は心に誓ったのだ。少しづつではあるが、撩の傍に居て香も強くなった。
大丈夫、もう血は止まってるから。
あぁ、サンキュ。
言葉は少ないけれど、2人には確実に目に見えない絆がある。
その傷に誰も触れさせたくないのは香だけはない。
撩もまた、香以外の人間に己を委ねるのを良しとしない。
互いに未だ唇にさえ触れた事のない仲なのに、心の中も含めて、互いの傷を知り尽くしている。
どんなに身近であっても周囲の人間には、恐らく解らないであろう2人の世界は、こうして少しづつ積み重ねてきた結果だ。
押し殺した感情の内側には、熱い血潮が流れている。
それを知りながら2人は、今はまだこうして心の中で互いを思い遣ることしか出来ずにいる。
(つづく)
※ お手当て出来るの、お互い以外で教授だけは例外です(笑)
嬉しいニュースを糧に、途絶えていた更新を頑張ろうと思ってます。
生温く見守って頂けたら、幸いでございます。