№3 味方

「えぇぇ~じゃあ結局、行かなかったの⁉」





目を丸くして問い掛ける美樹に、香はこくんと頷いた。
腰に手を当てて大袈裟に溜め息をつく美樹を横目に、
その夫は、恐らく一連の話の流れを知ってはいるのだろうが我関せずで、黙々とグラスを磨いている。



「ごめんなさい。」



しゅんと項垂れる香を見て、美樹の表情が幾分和らぐ。
美樹が声を荒げて呆れ果てたのは、彼女に対してではなく、彼女の相棒に対してだ。
これまで何度、このような事があっただろうと美樹は思い返す。
一度は思わせ振りに振る舞っておきながら、香の期待はいつだって拍子抜けに終わるのだ。
原因はいつも彼の問題で、美樹には香の気持ちが痛いほど解るので、思わず感情的になりすぎたことを少しだけ後悔する。
カウンター越しの美樹の代わりに、すぐ隣の席から香を慰める白い手袋の手が伸びる。




「残念だったね、カオリ。ったく、リョウは相変わらずバカなヤロウだ。
ボクで良ければ、ディナーくらいいつだってご一緒するよ?」



そう言って、香の癖毛を撫でながら小さくウィンクを寄越すミックに、香は笑いながら首を横に降った。
せっかくのデートのセッティングをふいにしたことについては、済まなそうにしている香だけど、意外にも笑顔は明るかった。
ふふふ、と笑いながら、美樹とミックを見た。



「美味しいお料理を無駄にしちゃったことは、申し訳なかったんだけどね。」



香はいつもと変わりない表情で、そこまで言うとコーヒーをひとくち含んだ。
落ち着いたその物腰で、香が撩に対して怒るどころか失望しているわけでも無いことが判る。
そもそも、その話題にしても。
美樹にどうだったのかと訊ねられ、香も仕方無いので淡々と事実を述べただけで。
いつものような、撩に対する愚痴といった要素は微塵も感じられなかった。
コーヒーを飲みながら、何処か余裕さえ漂わせた表情で、香がにっこりと笑う。
思わず、美樹とミックは互いに顔を見合わせて、首を傾げる。




「仕方無いの、お仕事だから。撩が悪いわけじゃないの。」




けれど美樹の記憶が正しければ、ここ数日、伝言板に依頼は来なかったはずだ。
他の誰でもなく、この目の前の彼女がそう言って溜め息をついていたはずだけど、と考える。
まるで美樹がそう考えたことを察するように、香が補足する。




「まぁ、伝言板にきた正式なって意味では無いんだけどね。あはははぁ。」




最後は、乾いた笑いとひと続きで溜め息に変えるという、香の得意技を駆使している。
香は基本的には正直で、嘘がつけない性格だけれど。
その笑顔の裏側にどんな思いを抱えているのか、他人には見せないところがある、と美樹は思う。
いい意味で我慢強い、言い換えれば他人行儀なのだ。
美樹は本当に、香のことを親身に心配している。
香がたとえ笑っていても、それが心からの笑顔なのか疑ってしまう癖がついてしまった。
それもこれも偏に、あの男の非常に難解な精神世界のお陰だと、美樹は考える。
確かに冴羽撩は、魅力的な男には違いない。
それは美樹も認めるところだ。
けれど彼の抱えた全ての世界、背景が複雑過ぎて、恋愛沙汰に向かないとは思う。
それでも、そんな彼にこそ最も相応しい相手なら、香しかいないだろうと思うのだ。
それは同時に、彼女にとっての茨の道を意味するのだけど。

伝言板を通さずに、撩が携わる仕事。
それがどういうことか、この場にいる香以外3名には解っている。
だから、この話はそれ以上追求も言及も出来ないのだ。
香は残りのコーヒーを飲み干すと、もう一度美樹にディナーをふいにしたことを詫びる言葉を残して、帰っていった。
曰く、スーパーのタイムセールの時間らしい。




残された3人は、それぞれに撩と香の行く末に思いを馳せる。
そして、いつも美樹は反省するのだ。
自分が如何にお節介なのかを。
こういう時、いつでもニュートラルな立場で寡黙な、夫の優しさを実感する。
今のやり取りでも、美樹が根掘り葉掘り訊ねなければ、香が撩の依頼の件を洩らさなくて済んだはずだ。
自分を通り越して、知らない依頼人と撩だけで片付けられる仕事に、香が傷付いていないわけがない。
それを誤魔化すように、笑いながら溜め息をつかせるようなことをさせたのは、
他でもない、美樹自身のお節介の結果だ。



「ファルコン。」

「なんだ?」

「貴方の優しさは特別だわ、いつもそう思うわ、私。」

「···そう思うなら、あいつらのことは少し放っておいてやれ。遠くから見守るのも優しさだ。」

「そうね。」




そんな夫婦のやり取りに、今では唯一の客となったミック·エンジェルが異を唱える。
しかし、彼の言い分は、いつだって正論のように聞こえて自分都合だったりする。





「No、No、No  それは違うね。イジュウイン夫妻。」

「どうして?」

「人にはそれぞれ役割てものがあるのさ、ミキ。」

「···役割。」

「そう。」




つまりこういうことだね、と言いながらミックは持論を展開した。
ミックが言うには、
ウミボーズは遠くで勝手に見守ってれば良いさ。
ミキはあれこれとお節介を焼きながらも、友人として香を支えていてあげなければいけない。
そして、ボクは。リョウの代わりに紳士的にカオリを慰める係なのさ、むふふ。
ということらしい。

尤もらしい持論だが、最後に厭らしい含み笑いを隠せなかったので、下心は見え見えだ。
最後まで真面目に聴いて損した、と思った美樹の代わりに、夫はフンと鼻で笑って一蹴した。
ミックはどこまでいっても、ミックに違いない。
自分都合の男、それがミック·エンジェルなのだ。





それでも、香の味方には違いない、と美樹は思う。
ここにいる3人が3人とも、香のことを友人として大事に思っている。
そして、撩のことも。




「何か飲む?」



仕方無いので、美樹は喫茶店の女主人という本来の立ち位置に戻って、ミックに訊ねる。



「じゃ、もう一杯おかわりを。」




ミックがにっこりと微笑む。
依頼を抱えているという香の言葉を裏付けるように、確かに撩の姿をこの数日見掛けない。
色々と悩ましいことはあるにせよ、新宿界隈は今日も平和だ。



(つづく)
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[ 2017/10/18 17:00 ] ゴンドラの唄 | TB(0) | CM(1)