願い

...ガム?


ポケットに突っ込んだ香の指先に触れたのは、銀色のガムの包み紙だった。
昼間に日課のナンパに出掛けて以降、撩がアパートに戻ったのは日付を越えた後だった。
ここ最近では、そんな風に撩が連絡もなしに帰ってこないということは、殆どなくなっていて、香は撩が帰ってくるまで非常に心配していた。
秋の日に、何が何でも生き延びると誓い合って以降、何が変わった訳でも無いふたりの生活でも、やはり確実に変わったことはあって、
久し振りに撩が夕飯の食卓に居ないということが、香の心に暗い影をもたらしていた。

帰宅した撩は、いつも通りの撩だった。
酒に酔っている訳でもなく、怪我を負っている訳でもなかった。
脂の浮いてテカった額や頬を見て、相当に汗を掻いたのだろう事だけは、香にも見てとれた。
何をしてきたのか、撩が自分から言わない限り、香も訊かない。
その微妙な薄い壁の向こう側は、何となく香には踏み込むことの出来ない撩だけの世界のような気がするから。
香は努めて明るい声を出して、半ば撩の尻を叩くようにして浴室に放り込んだ。
風呂から上がって暑くなるだろう撩に合わせるために、エアコンの設定を22℃に下げた。
香にとって肌寒い室温で、手に取ったのが撩の夏物のコットンのジャケットだった。
ソファの背に無造作に脱いで掛けられたジャケットと、ホルスターに収まった銃を見ると、撩が帰宅したのを漸く実感して香は安堵した。
持ち主が入浴中なのをいいことに、香はこっそりとジャケットを羽織った。

撩自身はあんなに汗を掻いていたのに、不思議とジャケットからは汗の臭いはしなかった。
濃い煙草の匂いの奥に、薄らと硝煙の匂いがした。


ポケットから取り出した銀紙を鼻にくっ付けて、香は嗅いでみる。
薄甘いミントの薫りがした。
子供の頃の香が好きだったガムは、ブルーベリーの味だった。
噛みはじめの濃い味が、口の中でどんどん薄くなっていくのが悲しかった。
ポケットの中にあったのは、その銀紙だけだった。
香は目を瞑って想像する。
銀紙を使っていないということは、撩はきっと噛んだ後の味の無くなったガムを何処かに吐き捨てたのだろう。
コンビニで煙草を買うついでにガムを買う撩を想像してみても、何だかしっくりこないから、
誰かに、1枚どう?と勧められて貰ったという設定で想像してみる。
だとすれば、撩にガムをくれるのは誰だろう。
野上冴子、ミック、海坊主、情報屋のおじさんたちの中の誰か。
それが誰であれ、香の知らない撩の姿を香は想像する。

何年も一緒に暮らして、相棒として働いて、何でも知っているような気がしても、実際には沢山の知らないことがある。
このガムを噛んでいた撩を、香は知らない。





∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗





お前は、犬かっっ。



撩が風呂から上がった時に、香はジャケットの袖口をクンクン嗅いでいたから、少しだけばつが悪かった。
撩のジャケットはブカブカで、袖がとても長い。



臭いから洗ったほーがいーかなって思ってただけよ。



気まずさを誤魔化すために、香はわざとぶっきらぼうに可愛くない返事をした。
こういう所が良くないのよね、と香も内心では自覚している。
ワンワンって返事した方が撩は笑ってくれたかな?と、激しい後悔が香を襲う。
このところ、香はこんな風に思いを巡らすことが増えている。
どういう風に振る舞えば、撩が自分のことを女性として意識してくれるのだろうと思い悩む。
せめて一緒に過ごす時間くらいは、撩の穏やかな笑顔を引き出せる自分でいたい。



へーへー、そんじゃ相棒殿に洗って頂きましょうかね。



撩は確かに笑ったけれど、それは穏やかな笑顔というよりは、苦笑といった方が適切な微妙な表情だった。
そんなやり取りの方が、今のふたりには馴染んでいて、あっという間にいつも通りの空気になる。
いつも通りということは、ひどく安心な気持ちをもたらす反面、軽い絶望に襲われる。
カジュアルなコットンのジャケットを、香はいつも洗濯機で洗ってしまう。
クリーニングになど出していたら、勿体無いのでそうしている。
脱水の時間と、干し方にさえ気を付ければ、型崩れを起こすことなくきれいに洗える。
それはまるで、自分たちみたいだと香は思う。
適切な距離の取り方と、近付き方にさえ気を付ければ、最高に居心地の良いパートナーでいられる。
きっとふたりは型崩れを起こして、2度と元に戻れなくなることが怖いのだ。



香は今から洗濯機を回すために、ジャケットを羽織ったままリビングを後にした。
幸いこのアパートの住人は、自分たち以外にいないのだ。
夜中に洗濯機を回そうが、掃除機をかけようが、ハンマーで床に大穴を開けようが、苦情は出ない。
脱衣所で洗濯機の中にジャケットを放り込んで、お洒落着コースにセットしたら、台所から冷えた缶ビールを持ってくる。
リビングで涼んでいる撩に渡したら、きっと撩は腹へったって言うだろうから、
そしたら香は面倒臭そうな振りをして、しょうがないなぁと言いながら、
撩のためにとっておいたラップの掛かった夕飯を、温め直すのだ。
ビールとご飯を一緒に出さないのは、香の作戦だ。
少しでも多く、撩とのやり取りを楽しめるように。
いかにも面倒臭いという素振りを見せながら、本当は楽しんでいる。
可愛く甘えることが苦手な質なのだ。




∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗




撩は風呂上がりに、台所を経由してビールを持って行こうかと考えて、躊躇した。
きっと撩が何も持たずに手ぶらでリビングに戻れば、香がそれを持って来てくれるだろうと予測はついた。
そして現に今、ジャケットを洗うと言って脱衣所に向かった彼女の次なる足取りは、台所へと進んでいる。
多分、彼女は冷蔵庫の中から、キンキンに冷えた缶ビールを持って来て渡してくれるだろう。
どちらも、素直じゃないのはお互い様で、素直じゃない甘え方までそっくりなのに無自覚だ。

撩は濡れた髪をタオルで乾かしながら、ローテーブルの上のそれに気が付いた。
小さなそれを摘まみ上げると、知らず口許は綻んでしまう。





ごめんな、リョウ。毎度、厄介事持ち込んで。



彼女のことを思ったら、オマエの身を危険に晒してるオレなんか恨まれても文句は言えないんだけどさ。
ミックはそう言いながら、薄い板状のそのガムを撩に手渡した。
この世界から足を洗ったとはいえ、こうしてたまに、昔馴染みに付け回されることも皆無じゃないミックを、撩は軽口を叩きながらも援護してくれる。
口では何だかんだ言いながら、同じ薬に冒されたことのあるミックへの仲間意識なのか、
ミックの引けない引き金に、あれ以来代わりに指を掛けてくれるのはいつも撩だ。





別にぃ、オマエが何処で野垂れ死のうが、俺的にはどーでもいんだけど。
オマエが死んだら、アイツが悲しむからな。




撩がそう言うと、ミックは小さく笑った。
撩の言うアイツとは、勿論、香のことだ。
ミックを狙う輩を、昔懐かしいコンビネーションで退治した男ふたりは、
狭苦しいミニの車内でそんなやり取りをしていた。
ハンドルを握る撩の隣の、いつもの香の指定席にはミックが座っていて、ふたりは珍しく煙草を吸わずにガムを噛んでいた。
撩が剥がした包み紙を、ミックはダッシュボードの上で何やら折り畳んでいる。



オレ達、二人とも。たった独りの女のために、命を粗末に出来ない身の上になっちゃった訳だ。



そう言って、ミックは如何にも楽しげに眉を持ち上げて見せた。
撩はフンと鼻を鳴らしながら、ゆっくりとブレーキを踏み込む。
早く帰りたい気持ちとは裏腹に、さっきからやたらと信号に引っ掛かる。



しょうがねぇな、惚れた弱味ってやつだろ。

ヘェ、前と違って否定はしないんだ? シュゾクイジホンノーじゃないらしいからね。

ああ。



撩は苦々しい顔をして、窓の外に噛みはじめたばかりのガムを吐き捨てた。
代わりに、胸ポケットから煙草を取り出して吸いはじめた。
甘ったるいガムなんかより、よほど煙草の方が撩の気分にはフィットしている。
信号が青に変わるのと、ミックの折り紙が終わるのはほぼ同時だった。
撩がチラリとミックの方へ視線を遣ると、ミックはウィンクをしながらそれを摘まんで見せたのだ。



上手いもんだろ?これ、カオリに折り方教わったんだよ。



ミックは銀紙じゃない方の包み紙で、不格好な折り鶴を作っていた。
いつの間に、香とミックがそんなことをやっていたのか知らない撩の眉間に、無意識に縦皺が刻まれる。
いつだったか、ミックがくれた銃弾のネックレスの御礼にと香が午後のお茶を飲みながら、教えてくれたのだ。
折りながら願を掛けるのだと。
ミックの無事を祈って、と香がその時に折ってくれた黄色い折り鶴を、
ミックはオフィスのデスクの上に、大切に飾っている。



オマモリなんだってさ。









そう言って微笑んだ腐れ縁の悪友の顔を思い出しながら、撩は指に摘まんだ小さなそれを眺める。
銀色の小さな折り鶴は、ミックの折ったあれよりも上手だった。
香が撩の入浴中に、何を祈りながらそれを折ったのか、撩には解らないけれど。
たとえ解らなくても、愛おしいと思った。
今はまだ、抱き締め方の解らない撩だけど、いつかきっと彼女の心ごと全部丸ごと抱き締めて彼女と生きてゆけたらと願っている。
撩の願いはそれだけだ。

ふたりの男の本当の御守りは、実は彼女自身だったりする。



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[ 2017/08/11 23:37 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

満喫した( *´艸`)

こんつわ、ケシでっす。
行ってきました、これに↓。
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堪能しました、原画の数々。
ミック編と、シンデレラ編はすべての原画をタブレットで写メッて来たので、
後程ファイル整理をして、タブレット上で読む原画シティーハンターを作成しようと思います。

皆様、北九州に行ける方は是非是非、必見ですよ。
実は、ワタシは前回同じ北九州漫画ミュージアムで行われた「2013 北条司&コミックゼノン展」も見に行ったのですが、
その時は、どちらかと言うと表紙や扉に使われたカラーイラストの方が多くて、
実際、漫画原稿は今回の方が多かった気がします。いずれにせよ、死ぬまでに見ておかないと、絶対に後悔しますぜ。

実は、原稿が入れ替えになる9月にもう一度行く予定です。
グッズは、勿論、北九州漫画ミュージアム限定の手拭いとマステと、あとはクリアファイルを購入しました。
手拭いが一番うれすぃ(*´∀`*)お値段も非常にリーズナブルでした。
普段、グッズはどうでも良い派のワタシですが、手拭いとか、的確にツボを押されまして買っちゃいました。

前日に、気分を高めるために原作を読みながら寝落ちしたんですけど、
読んでた部分の原稿も沢山展示されてて、超感激でした。
これからの人も、まだの人も、本当におすすめですよ。



あと、常設展の所でやってた吉田戦車先生の原画展も、感激した~~
ワタシの好きな火星田マチ子とかの原稿もあったし、絵本の原画もあったです。
可愛くて萌え転がったです。


20170817211253176.jpg
次行ったときも、また手拭い買っちゃいそうな気がする(汗)

«追記»
そう言えば、感動したことを書くの忘れてた。
天野翔子さん回の、例の膝枕前後の原稿もあったのですが、
あの膝枕のシーンのみ、1ページ丸ごと唯一全くトーンを使わずに描かれてるんです。
凄い量の網掛けを、手書きしてあって、先生のあのシーンに懸ける熱量が伝わって来るというか。
あのシーンが、如何に大切なシーンなのかよく解るんですよ。
写真撮影が可能だった、ミック編とシンデレラ編ですら、そんな原稿は1枚も無かったし、
もしかするとあの膨大な展示のうち、トーンを使わずに描かれてるのってあれだけでした。
それを見るだけでも、一見の価値有りですよ。
[ 2017/08/17 21:14 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

判明した。

先日、シティーハンターのすべて展に行ってから、改めて原作を読み返しておるケシです。こんばんわ。

そして、判明しました。
前にエスパー魔美ちゃん読んでたら、シティーハンターによく出てくるスクリーントーンが使ってあって、
魔美ちゃん家のダイニングのカーテンと、
シティーハンターの中でトランクスの柄としてよく使われるヤツが完全に一致したって書いたんだけど。
それがどのシーンかまでは、正直調べるのもめんどいなって思ってて調べなかったんですよ。
で、XYZエディションで1巻から読んでると、結構その柄のパンツが出てくるんですけど、ほぼほぼ敵役の皆さんが穿いてらしてですね。
りょうちゃんがそのパンツ穿いてるとこあったはずなんだけどなぁ~~って思いながら読んでました。

そして、とうとう見つけちゃいました。
手塚明美ちゃんがヒロインのお話の中で、明美ちゃんの本音を聞き出すためにりょうちゃんが夜這いをかける振りをするシーンで穿いてました。
やっぱり在りました。ワタシの記憶は間違いではなかった(・e・)

因みに、手塚明美ちゃん回は銀狐が初登場するお話です。
その時にりょうちゃんにやられたのを逆恨みして、その後の銀狐とカオリンのあのお話に繋がるわけで。
非常に重要な伏線なわけです。
アニメ版の手塚明美ちゃん役を、当時おにゃんこクラブだった国生さゆりが声を演じて、その大根っぷりが有名な回でもありますな。



今現在、順調に読み進めて、アルマ王女と侍女のサリナのお話まで読みました。
ここでも、新たな発見が。
XYZエディションで、台詞が一部訂正してあるんです。
以前の版では、マルメス大臣に拉致られたサリナを救出しに行く際に、王女の身代わりとしてカツラを被ったカオリンが、

だぁれが、役不足だって?

と、役不足って言葉の誤用があった所が。力不足という本来の意味に書き換えられてた‼
今更ながら、気が付いてびっくりしました。
いやはや、何回も読んでるのに意外と流して読んでる部分があるなぁって思いますね。あはは。

てか、どの辺りでこの誤用を訂正したのかなぁ?
完全版とかでも訂正されてるのかな?
少なくとも、文庫版では訂正入ってなかったはずです。
めんどいから、調べませんけど。


[ 2017/08/27 23:45 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)