風呂について

皆様、おはこんばんちわ。ケシです。

突然ですがワタシ、クナイプのバスソルトが超好きで新しい商品が出ると取り敢えず試すのですが。
この春の新商品で、バニラ&ハニーっつぅのが出てまして、早速購入しました。
サクラってのもあって、こちらも試したのですが、ワタシとしてはバニラ&ハニーの方がお薦めです。
なのに、大きめサイズが売ってたのはサクラの方でソンボリです(ノД`)ノ
(あくまでも個人の好みの問題です。サクラも良いにほいです。)
うちの近所のドラッグストアの問題なのかもですが。
仕方なく、バニラ&ハニーの小袋を買い占めてやりましたょ(´ 3`)ふふーんだ。



ま、どういう基準でそのような品々を選ぶのかっつーのは、
それを使ったカオリンをりょうちゃんがこっそりクンカクンカして、悶絶するかどうかです(変態基準)

うそ、好みの問題です。断じて好みの問題です。(大事なので二度言います。)
ティッシュペーパーを買うつもりでドラッグストアに行ったのに、つい余計な物を買ってしまうアラフォーです。




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[ 2017/02/01 13:35 ] 未分類 | TB(0) | CM(3)

ひさしぶりに。

こんつわ、ケシです。
仕事中に新しいお話の妄想が湧き出て止まらない現象に見舞われたので、
アウトプットしようと思います(*´∀`*)ノ

多分、長編になるかと思います。
いつも順序だてて構成を考えてる訳でなく、
思い浮かんだままに書いてますゆえどんくらいの長さになるのかは、今のところ未定です。
なるべくお待たせせずに更新出来たらと考えております。

いぇい、皆さんお久しブリーフ(・∀・)v
久し振りなので(いや、通常運転か。)文章可笑しな感じだったとしても、スルーで出来れば薄目で生暖かい目でご覧下さい(笑)


[ 2017/02/10 20:07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

№1 再会

「···あ。」

「おぅ。」







それは、数ヶ月振りに目にした互いの姿だった。
銀座のソニー通り沿いの舗道を歩いていた。
時間は日付が変わる少し手前で、撩は仕事を終えた帰りだった。仕事は相変わらずだ。
彼女が撩の傍に居ようが居まいが、撩は世の中の最底辺でヘドロのような輩を始末して生きている。
いつもの草臥れた(けれど嘘みたいに撩の身体に馴染んだ)ジャケットを着て、
いつものホルスターの中には使い慣れたリボルバーが収まり、
いつものサイドゴアのブーツを履いて、いつも通りにも程がある撩の前に現れた久し振りの香は。

華奢なピンヒールとシルクサテンの深いネイビーのロングドレスを纏っていた。
色の白い肌に良く映える洗練されたデザインだった。
薄手のストールを羽織ってはいるけれど、薄い布に透けた細い肩は、撩がかつてよく見知っていた彼女の骨の形で。
それが決して人違いなどでは無いことを、撩に物語っていた。

香が立っていたのは一件の商業用ビルの前の舗道で、そのビルに取り付けられた看板には数件の高級クラブが名を連ねていた。
香より幾らか年嵩と目される女性2名と、香の合計3名は、
羽振りの良さそうな黒塗りのハイヤーの後部座席に手を振って、お辞儀をしているところだった。
遠ざかるハイヤーが信号待ちを終え、ヘッドライトの河に消えるのを見送ってから振り返った香の目の前を偶然通り掛かったのが撩だった。




かつて二人は、誰よりも近い距離で、互いのことなら何でも解っているつもりだった。
信頼もあったし、絆もあった。けれどある時、道は二つに分かれてしまった。
互いによく話し合った末の、円満的別離だった。
憎からず想い合っていた。けれど、互いを想う気持ちは強ければ強いほど、互いを傷付け拗らせ擦れ違い続けた。
あの時二人は、誰よりも近くそして一番遠い場所にいた。








「何してんの? おまぁ。」

「ぇへへ、バイト。ここの6階のお店なの。」

「そっか。」

「そっちこそ、珍しいのね。銀座なんて。」

「···んぁあ、ま、ちょっと野暮用で。」

「そう。」








香はそれ以上は何も訊かず、ふんわりと花のように微笑んだ。
その時になって、撩はようやく彼女のことを子細に観察した。
彼女は、撩がこれまで見たどの時よりも美しく化粧を施していた。
明らかに以前よりも、メイクが巧くなっている。
そのことが彼女と別れてから経過した時間と、今の撩の知らない彼女を表しているようで、
撩の胸は知らず締め付けられるような疼きを訴えたけれど、撩はそれをポーカーフェイスで遣り過ごした。
二人のホステスが、先に戻ってるわねと香に耳打ちして、撩にも軽く会釈をするとエントランスへと消えた。



訊きたいことは山ほどあった。けれど撩には、言葉などひとつも思い浮かばなかった。
そもそも、互いに互いを縛る枷を解き放つ為に、あの時苦しみながら決断したのだ。
あの時は、それが二人にとって最良の選択だと信じていたし、笑顔で別れようと言い合って握手をした。
二人ともこれまでの数年間を否定したくはなかったし、それは今でも大切な時間で宝物だったと断言できる。
そう決めたはずなのに締め付けられる胸の痛みの意味を考えると、
撩はこの先、この痛みがきっとずっと自分自身を苦しめるだろうと直感でそう感じた。




「元気にしてる?」

「あぁ、見ての通り。」

「風邪、引かないように気を付けてね。」

「ああ。オマエの方こそ。」



そんな薄着で、という言葉を撩は口には出さず、胸の内に留めた。
誰にとも言えないカッコ悪い嫉妬をしているようで、可笑しな気持ちになったからだ。
以前の撩ならば、嫉妬を隠してチャラチャラすんなと言えたけど、枷を解いた撩には香にそんなことを言える資格はない。






「うん、ありがとう。じゃあ、元気でね。」




そう言ってはにかむ香は、撩の知っている槇村香だった。
撩の棲む禍々しい世界にだけはどうしても引き込みたくないと想い続けた、あの美しい生き物として撩の目の前に存在していた彼女だった。
彼女は少しだけ大人っぽく成長していて、華奢なピンヒールで歩くのにも慣れた様子だった。



(つづく)

[ 2017/02/10 21:19 ] the Rose | TB(0) | CM(3)

№2 矜持

香の銀座のクラブでのアルバイトは、週に3日ほどの頻度だ。
昼間はちゃんと本業があるからだ。
撩と自分の二人でシティーハンターだった香が、それを解散するにあたって一番にしないといけないことは求職活動だった。
撩は香とパートナー解消したところで、転職する必要など無い。
でも、香には撩から離れてあの裏稼業を続ける理由など無い。
撩も幾つか香に合いそうな職場を提案してくれたけれど、香は教授が紹介してくれた小さな食品メーカーの事務の仕事を選んだ。
至極地味で、真っ当な仕事だ。そして、それが初めての香の実質的社会人経験だった。
撩は餞別に、驚くほど高額な“退職金”入り香名義の預金通帳を香にくれた。
これは撩は知らないことだが、その通帳を香は教授に任せた。
そんなお金を受け取れないし、だからといって香が突き返しても撩は絶対に受け取らないから、教授の方から撩にそれとなく返して欲しいと懇願した香に、
教授は最初、しれっとした口調で貰っておいて損は無いじゃろ?と笑った。
けれど香は引かなかった。
それならば、寄附でも何でも良いから何処かの知らない人の為に役立つことに使って欲しいと言った。
香の強情な様子に折れたのは、教授だった。

二人の行く末を蔭ながら見守っていこうと決めている老人は、苦笑してその香の言葉に頷いたのだ。
そして、ひとつだけ提案をした。提案というより、むしろ願いだったのかもしれない。
香と同じかもしくはそれ以上に、冴羽撩という男を知っている老人には、餞別を受け取れない香の気持ちにも理解は出来るが、
それ以上に、それを用意した男の気持ちの方が良く解る気がしていた。
だから、それからの新生活の為に必要な経費だけは、その金を遣うように勧めた。
そのあとの残りは、香くんの望むようにしようと笑って。


香が今現在独りで暮らしている1LDK、築15年のアパートへの入居、引っ越し費用と新生活の為に揃えた細々した物は全て“退職金”を遣った。
地味な仕事で得る報酬は慎ましいけれど、香の第2の人生のスタートはお蔭で何ひとつも不自由は無かった。
香は今でも、撩の全てに感謝している。
香を愛する者だと言って抱き締めておきながら、それでも尚、二人の関係を曖昧なものとしようとした撩に心が折れてしまったのが発端で、この現状があったとしても。
そしてあの当時は、それが香の中では途徹もなく大きな問題だったのは事実だけれど。
今こうして離れてみて、香には撩の目一杯の優しさが身に沁みて理解できる。
あの時は、互いにギリギリの精神状態で、こんな風にしか互いの想いを実現できなかったけど、でもこれが二人の愛情と尊重の形なのだ。
あれから数ヶ月、仕事にも慣れ、職場には数人の友人も出来、撩が傍に居ないということ以外は何の問題もない。
もう二度と二人の生き方が交わることなど無くても、香は確かに撩に愛情を抱いている。
けれど、彼の傍に居て彼の愛を乞うことだけが全てでは無いと思っている。
これから先、多分、香は撩以外の男性に興味が持てる気がしない。
きっと恋愛も結婚もしないと、頑なに思い込んでいる。




ということは、これからの独り身で俄に問題となってくるのは老後のことだった。
まだまだ20代の香には、些かフライング気味な悩みと言えなくもないが、当人にしてみれば大切なことなのだ。
ただでさえ社会人としては、スロースターターなのだ。
厚生年金にしても、普通に勤めてきた人間と較べても納付出来る額は限られている。
始まりが遅くても、定年は同じところで訪れるのだ。
そもそもこれからずっと、安定的な生活を営めるという保証もない。
色々を考えた末に辿り着いた解決策が、本業とは別のアルバイトだった。
はじめ、水商売は選択肢の中に存在しなかった。
しかしあらゆる求人情報を比較検討し、時間に対しての対価など合理的に判断した結果、今の店に世話になることとなった。

きっと他人から見れば、アホなんだろうと香は思う。
片意地を張って、撩のくれた大きな餞別という名の最後の愛情を手放して。
それならば、素直にあの金を受け取っていた方が賢かっただろうと。
理屈では解っている。
けれど、香は自分の人生を自分の手で拓きたいと思っている。
撩の傍に居たあの頃も同じように考えて、そして散々足掻いていた。
撩の傍で、自分に出来ること、自分にしか出来ないことを必死で探していた。
けれど、今なら解るのだ。
あの撩の目一杯の優しさは、優しいけれど決して香を独りの人間として自立させてはくれないものだった。
香がたとえ知っていても決して触れられない撩だけの領域があって、撩はそこを頑なに守っていたし、香はそれを見ないふりをして感情を殺した。
あのまま今でも同じことを続けていたら、それはそれで不可能なことでもないかもしれなかったれど、現実は違うのだ。
二人で死ぬほど考えて出した結論が今なのだ。


今は、撩の思惑や優しさに囚われず、自分の人生の舵を自分が握っていられる立場だ。
そして、こうなる為に二人で苦しんで結論を出したのだから、香は自分の人生のけりは自分で着けてやるという気持ちで今を生きているのだ。
あのお金を、当の撩から受け取るということは、そんな香の気持ちに矛盾する。
だから教授に我儘を言って、無理を通した。
二人で出した答えの良い面は勿論、淋しさや悲しみや全てのマイナス面も互いが等分に引き受け背負わなければ、
二人の別れもそれこそこれまでの数年間さえも、意味の無いものになってしまう。
それに香は、撩の居ない淋しさだけは別として、今のこの生活は嫌いじゃない。
何より、全てのことを自分で選び、自分の責任において行動することの自由を感じている。
決して撩が香の自由を奪っているという訳では無かったけれど、実際には香は雁字絡めだった。
撩の気持ちや自分自身の気持ちが、香を本来の香として動けなくしていた。
そういうことはきっと、渦中に居ては気付けないものなのだ。
台風の目の真ん中が、驚くほど静かなことと同じように。





「槇村さぁん。」



不意に向かいの席の同僚に声を掛けられて、香は書類の上から目線を正面に上げた。
彼女は、香のひとつ年下だけど、香の3年先輩だ。
可愛らしい愛嬌のある顔立ちに、ピンク色のフレームの眼鏡を掛けている。
身長が小さくて、女の子らしくて、コケティッシュな魅力に溢れている。
そんな彼女はいつも、背の高い香をモデルさんみたいと言って、羨ましがる。



「なぁに?」

「今晩、飲みに行かない?田中君達も一緒だけど。」

「いーよ。」

「りょーかい。」




普通の生活だ。
何処にでもあるありふれた、普通の平和で長閑な。
普通の仕事と、それに支障の無い程度のアルバイト、自分を害するつもりの無い善良な人間関係。
でも、香の前には撩が居ない。ただそれだけだ。

オーライ、上手く両足で地面に立って歩を進めている。

香はあれからそれだけを意識して生活している。
撩はもう居ない、何がなんでも香のことを守ってくれる正義のヒーローは居なくなったけれど、
きっとあの街で、世界の何処か片隅で、彼もそして香も元気に生きている。
それだけで良い。



(つづく)

[ 2017/02/12 19:42 ] the Rose | TB(0) | CM(1)

№3 故意

仕事を終えてからバイト先へと出向く香は、他のホステスたちよりも必然的に始動は遅くなる。
店内のバックヤードに設けられたメイクルームには、香と同じように専業ではないホステスの為に結構な数のドレスが用意されている。
それは袖を通す度にクリーニングに出され、いつ誰が身に着けても構わない状態でスタンバイしている。
香はその中から、その夜に纏う1着をいつも適当に選ぶ。
化粧は、昼間の食品会社に勤めている内に自然と覚えた。
自分には無理だと思っていたことは、やってみれば意外と日常の一部となって、香には全く自覚は無いけれど、彼女は以前に比べて女らしくなった。
香はバイト仕様の少しだけ濃い目のメイク直しを終えて、ふと両手の爪先を見詰める。


だって、ネイルなど施しているのだ。あの槇村香が。
そんなに派手でもない控え目なピンクベージュのフレンチネイルだけれど、香はそれを見るたびに今の自分を再認識する。
爪は伸ばさない。
撩と暮らしていた時には気付いていなかったけれど、
香は自分で思っていた以上に料理をするのが好きだったことに、独り暮らしを始めて気が付いた。
爪を伸ばしていたら、料理がし辛いので伸ばさない。
でも、何かしら以前と違う自分を確認する為のものが自分には必要だという気持ちに駆られて、香はこうしてネイルを施している。
さすがに化粧は出来るようになっても、ネイルは難しかったので、香は食品会社の向かいの席の同僚に格安でセンスのよいと評判のサロンを紹介してもらった。
コケティッシュな彼女に誘われ、休日の昼間に度々サロンを訪れ、好きな色を選び、綺麗なお姉さんと他愛もない世間話をしながら過ごす。
そんな世界があったということを、香は撩の造ってくれた穏やかな囲いの外へ出て初めて知った。



オーライ、だいじょーぶ、アタシは大人なんだから。
密やかに煌めく爪の先を見て、香は勇気を貰う。
メイクの最後の仕上げに、ルージュを引いた唇の上にグロスを載せる。





「かおりさん、ご指名のお客様がお待ちです。」



ノックをしてメイクルームに顔を出したのは、ボーイの男性だった。
香は背後のドアから顔だけを覗かせた彼に、鏡越しに微笑むとはぁい今いきますと答える。
週に3日しか出勤しない香には、固定客がそれほど多いわけでも無いけれど、店側が扱いに苦慮するほどの成績というわけでも無いらしい。
一応は、及第点といったところのようだ。
香も子供ではないので、さすがにこういう世界で働く上で求められる成果を知らないわけではない。
それでも、他のホステスの話しによれば、この店はその面では比較的良心的なのだそうだ。厳しいノルマが課せられるということもない。
本業ではないので、同伴もアフターも一切出来ないという香の条件を受け入れてくれたので、働いても良いかなと思ったのだ。
借り物のドレスに薫りが移らないように気を付けながら、香は露出した肘の裏に控え目に香水をつける。





フロアにはマホガニーのバーカウンターがあって、バカラのグラスと洋酒の瓶がずらりと並ぶ。
深い緋色の絨毯は、短いけれど緻密な毛足でピンヒールが床にぶつかる高い音を掻き消すように出来ている。
店内の中央に吊るされた豪奢なシャンデリア以外は、間接照明が使われている。
幾つかのテーブル席の奥、少人数用の席にその見知った男は座っていた。
香を指名した、張本人だ。










本当は来るつもりなど無かった。
あの時に、全ては終わったはずだった。
彼女を害する全てから彼女を遠ざけたくて、自分の元からも遠ざけたのに。
何故だか撩は吸い寄せられるように、その晩その店を訪れて、香を指名した。
数日前に通りで鉢合わせたのは単なる偶然だった。けれど、この夜は故意だ。
故意に香に近付いてしまった。
香がその席に来るまでに、撩は何度も逡巡した。自分自身の理解不能な行動に目眩を覚えた。
自分は何がしたくてここに来たのか。
自分は槇村香という女にこれ以上何を求めているのか。
その先にあるものが、何なのか。
そもそもその先、などというものが存在するのか。
これは未練なのか。
悶々と考えていると、身に覚えのある柔らかな気配がすぐ傍にやって来た。





香は一瞬だけ驚いて目を見開いたけれど、すぐににっこりと微笑んで撩の隣に座った。
ヌーディーなシャンパン色をしたドレスは、シンプルだけれど背中が大きく刳れたデザインで、
香は惜し気もなくその美しい背骨と肩胛骨の陰影を衆目に曝している。
撩が細心の注意を払って、大事に大事に自分以外の者の目に留まらぬように、閉ざされた温室で育てた薔薇の蕾のようだった香は。
いつの間にか、撩の知らない内に咲いていた。





「ていうか、何で源氏名じゃねんだよ。本名じゃん。ダメじゃん、危機管理。」




暫くの気まずい沈黙の後、撩は香の作った水割りで口を湿らすと一息でそう言った。
香は思わず笑ってしまった。
眉をハの字に下げて苦笑しながら、香は懐かしかった。
こうして照れ混じりに香を叱る撩が懐かしくて、嬉しかった。




「だって。」

「だって、何?」

「3日3晩考えたんだけど、なんにも思い浮かばなくって。」




思い浮かばなかったのは本当で、でも心の何処かでは淋しかったのかもしれない。
撩と離れて始めた新しい生活では、みんな香のことを“槇村さん”と呼んだ。
親しみを込めてファーストネームを呼んでくれる相手など、数ヶ月経ってみてもまだ居ない。
今はもうここだけだ、香を香と呼んでくれる居場所は。





アホか。




そう言って呆れたように笑いながら、グラスに口を付けた撩を見ていると香は自分が今居る場所を忘れそうになる。
まるで新宿のあの部屋のあのリビングに居て、笑っているような。




「香。」

「ん?」

「綺麗になったな。」



撩は願わくば、その花の綻ぶのを目の前でリアルタイムで見届けたかったのかもしれない。
知らない内に咲いてしまった可愛い花を、撩は愛でるように目を細めた。



香は思わず俯いて、両手の爪先を見詰めた。
だいじょーぶ、アタシは大人なんだから。
そう言い聞かせると、溢れそうになった涙は自然と引っ込んだ。
久し振りに、撩が自分の名を呼ぶのを聞いた。



「ありがとう。」



香は自分でも驚くほど自然に、これ以上無いほどに綺麗に笑顔を作れた。



(つづく)

[ 2017/02/13 16:01 ] the Rose | TB(0) | CM(0)

№4 好意

やっぱりここに居た。




その声に座ったまま振り返った香の栗色の癖毛を、屋上を吹き抜ける風が揺らす。
いつも事務所の自分の席で、向かいの彼女とお喋りしながら摂る昼食は、本日ボッチ飯になってしまって気分転換がてら屋上の青空の下でのランチになった。
向かいの席の彼女は、病欠だ。
そういえば数日前から、鼻声だった。
香に声を掛けたのは田中といって、香より2つ年下の同僚だ。
彼と香と向かいの席の彼女も含め、4人ほどがひとつのデスクの島として一塊で仲が良い。
大体、職場絡みで食事や飲みに行くのもその4人一緒でということがこのところデフォルトになりつつある。

まだ若い目の前の男のスーツ姿に、青さが感じられると思ってしまう香が無意識に思い浮かべてしまっているのは、多分。
冴羽撩の残像だ。
彼は左手にコンビニの弁当の入った薄茶色のビニール袋を提げて、断るでもなく香の隣に座った。
屋上にはベンチと灰皿代わりの、水の入った防火用の赤いバケツがあるけれど、喫煙者はほぼ居ない。
屋上は香と田中の貸しきり状態で、気分転換の時間が一転、香にとっては多少気詰まりな時間となる予感がした。
友達としてのグループ付き合いは全然構わないし、むしろ楽しいとさえ香は思っているけれど。
こうして男性と二人きりという状況は、正直面倒臭いというのが香の本音だ。




「珍しいのね、コンビニのお弁当なんて。」



彼のランチの定番が、近所の定食屋だということは解っている。
今日に限って行かなかったらしいけど。



「ま、たまにはね。なんか飽きちゃって。」



そう言った彼の言葉は、香に昔のどうでもいいほど些細な記憶を呼び起こさせ、一瞬だけ時間を止めた。

午後の退屈な時間に気分転換を兼ねていつものコーヒーではなく紅茶を淹れた香に、俺も同じものを飲むと言った撩は、優しく笑っていた。
それならば、撩の分のコーヒーを淹れて来るよ?とソファを立とうした香に、撩は目の前の田中と同じ言葉を発したのだ。
そんな些細なやり取りなど、今の今まで忘れていたのに。
撩との6年間は、ふとしたきっかけで香の中から溢れ出してきて、いつも香の思考回路を寸断してしまう。
それが良い、と言って香のマグカップを横取りして残りの紅茶を飲み干した撩に、頬を膨らませた香が拗ねて怒る所までがセットで思い出される。




「そういう槇村さんは、いつも手作り弁当なんだね。」

「うん、大したものは詰めてないけどね。昨夜の残り物がメインなの。節約の為にね。」

「エミちゃんは、ダイエットの為だって言ってたなぁ。そういえば。」




エミちゃんとは、向かいの席の病欠の彼女のことだ。
彼女も毎日弁当を持参しているものの、それは多少、香とは趣が違っていて。
お洒落なランチボックスには彩り重視の温野菜や、低カロリー高蛋白の蒸し鶏なんかが多い。
そういえば、炭水化物は入っていない。
弁当箱代わりのジップロックコンテナーに、煮物や和え物や玉子焼きを入れて、ご飯に紫をかけた香の弁当は。
エミちゃんのそれと較べると、些かお母さんじみている気がしないでもないけれど、香は自分で作った弁当が意外と好きだ。
旨ぇ、とまるで何処かの誰かさんみたいに心の中で自画自賛しながら、毎日食べている。
それに生憎、香にはダイエットは必要ない。むしろ、この数ヶ月で漸く元に戻したのだ。
撩のパートナーを辞める話が俄に浮上してから、実際に独りになるまでに、気が付くと香の体重は随分減少した。
精神的なストレスの影響だ。香は、そんな自分に正直驚いたりした。
自分としてはもう少し図太い性格だと思っていて、自分にもそのような繊細な一面があったんだと、他人事みたいに妙に可笑しな気持ちがした。



「そうね、女の子ならそういう意味合いもあるのかもね。」



向かいの席の彼女は、甘いものが好きで、可愛いものが好きで、ダイエットが好きだ。
別にダイエットなどしなくても、充分に健康的で魅力的なのに。
何処か他人事のように呟いた香に、田中は少しだけ言葉を探す。




「槇村さんだって、女の子じゃん。」

「まぁ、一応そうなんだけどね。」





あはは、と笑う香はきっと自分自身が、どういう印象を周りに与えているのか自覚は無さそうだと、田中は思う。
こういう槇村香の一面が、年上のはずなのに守ってやりたくなる理由なんだよな。と、男が常々考えていることなど、勿論、香は知らない。

気詰まりだなんだと思いながらも、香は基本的にはひとが好いので気が付くと誰とでも同じ距離でコミュニケーションを図る。
時々、思い出す撩の欠片だけ、表に溢れ出すことの無いように気を付けさえすれば、それは簡単なことだ。





「あの、槇村さん。」



それまで、先日の飲み会での他愛もない話題で盛り上がっていたはずの田中が、突然、緊張した面持ちで姿勢を正した。
香は未だに弁当を食べている途中だというのに、彼はもう既に早々と食べ終えてゴミはビニールの中に一纏めにしてある。



“ちょっとっっ、食べるの早過ぎだよっっ。ちゃんと噛んでんの?”


香の脳裏には、呆れたように笑いを含んだ自分の声と、口一杯に香が作った食事を頬張る撩の姿がちらつく。
撩はいつも子供みたいにガツガツと掻き込んで、旨いっていうくせに味わっているのかどうかすら不明な勢いで、食べていた。
でも、呆れながらそれがとても嬉しかった。





「ん?」

「あの、突然申し訳ないんだけど。」

「なぁに?」

「好きです。槇村さんのこと。出来れば、付き合いたいと思うくらい。」




香は唐突すぎる話題に、箸を取り落とす寸前ではっと我に返り、ぎゅっと箸を握り直した。
動揺を覚られぬよう、小さく呼吸を整える。
笑顔を作る。大人だから、大丈夫。




「あはは~ホントに、突然。」

「あ、ご、ごめん。  なさい。」

「でも、何で?」

「え?」

「アタシの何処が?」





香の質問はむしろ、田中にとっては意外だった。
香ならば、これまでだって少なからず、こうして異性に気持ちを打ち明けられることくらいあっただろうに、と。



「どこがっていうと、はじめに入社してきた時から綺麗な人だなぁって思ったし。」

「見た目がタイプなの?」

「あ、いや、勿論、それだけじゃない。内面も素晴らしいなって思ってる。」





香は無言だった。
ぼんやりと、田中の言葉の意味を考えているようでもあり、何も考えてないようでもあった。
失恋の覚悟を僅か数秒で固め沈黙に耐え兼ねた田中が、
笑って前言撤回を求めようと口を開きかけた僅か手前で香が口を開いた。








アタシね、好きな人が居るの。
その人とはもう、これから先どうにもなれなくて。
でも本当に大好きだったし、今も大好きなの。
だから、田中さんとはお付き合い出来ないです。ごめんなさい。





そう言って、申し訳なさそうに苦笑した香に、田中は全力で頭を降った。



「いやいやいや、僕の方こそ急にこんな話しちゃったから。まじでホント気にしないで?  下さい、はい。」

「あ、はい。あの気にしないから、良かったら今まで通り皆でご飯行ったりとかは、出来ればそのままで。」

「勿論、それは。そうしてくれると、僕としても非常にありがたく存じます、ええ。」

「ふふ、良かった。」

「うん、良かった。」





多少の強引さは否めないけれど、なんとか告白以前の状態に互いにリセットすることで話は纏まった。




「···でも、内面なんて簡単にわかるものかしら?」

「え?」

「アタシは最後までわかることが出来なかったように思うわ。」

「その彼のこと?」

「うん。わかりたかった、誰よりもわかりたかったの。でも、他人が他人をわかるってこと自体、不可能に思えるわ。」

「どこが好きだった?」

「え?」

「その彼のこと。見た目?」



田中がそう問えば、香がプッと吹き出して、二人はしばらく声を立てて笑った。
どちらも、失恋した者同士だ。
香は撩の端正な横顔を思い出す。
温かくてがっしりと大きな手と、それでいて美しい彫刻のような指先も。
香の胸の内を騒がしいほどざわめかす、セクシーな喉仏の骨も。
伏し目がちな時にだけ気付く、意外に長い睫毛も。
確かに全部が美しくて、全部が好きだった。
でも、見た目は関係ないとも思う。




「うん、カッコいいよ。でもそれだけじゃないわ。ひとことで、この気持ちを表すなんて無理。」




撩を好きな理由なら沢山ある、でも、好きになるのに理由など無い。
香は撩への気持ちを言葉にする術を、残念ながら持っていない。
でも心の奥に確かに、その想いの塊は存在している。
それはもう既に香自身の一部と化していて、香から切り離して考えることなど到底不可能なことのように思える。



「良いんじゃない?」

「え···」

「人を好きになるのに、理由なんて必要ないよ。僕は、それで良いと思う。」




香はもうそれ以上、喉を通る気のしない食べかけの弁当に蓋をして、俯いた。
両手の爪の先を見詰めて、自分に言い聞かす。
撩の欠片が香を突き破って、暴れ出さないように。
それでも、もう手遅れだった。
子供騙しのおまじないでは、どうしようも無い場合もある。

溢れる涙の粒は、香の中に存在する撩の分身だから、他の誰にも見られたくなくて。
それが例えば、気を許した失恋仲間でも見られたくなくて。
香は両手で顔を覆うと、声を立てずに静かに泣いた。


(つづく)
[ 2017/02/13 23:06 ] the Rose | TB(0) | CM(1)

№5 乖離

今からヘルプにつくお客様、あけぼのフーズの会長さんだから。
くれぐれも失礼の無いようにね。






香はメイクルームで口紅を直しながら、そんな忠告をするベテランのホステスに鏡越しに小さく頷いた。
その会社は、テレビを点ければ有名芸能人が起用されたCMを観ることが出来る、誰もが名前を聞いたことのある大企業だ。
とりわけ主力の即席麺の分野では、売上は業界№1のシェアを誇る。
その会社の専務はもともと、この店の常連でママの客だ。
その専務に連れられて、その晩一緒に訪れたのが会長はじめその会社のお偉方連中ばかり4名だ。
店側としても、なんとしても満足をして帰って貰わねばならない上得意の客という訳だ。
香はママのヘルプの一人として、そのテーブルに着くことになった。



「へぇ、アタシ、あそこのカップラーメンよく食べるんですよ。」



そう言ってにっこり笑う香に、先輩ホステスは苦笑した。
撩と暮らしていた頃、伝言板に依頼の無い日が連続更新されて財布の中身が乏しくなると、
撩と二人でぼやきながらその会社のカップラーメンのお世話になったものだ。
撩が気に入っていたのは味噌味で、香は醤油味だ。カップ焼そばもよく食べた。
実は袋入りのラーメンもよく活用していた。鍋の〆にもぴったりだ。
しかし、よく食べる。と、言いながら香はこの数ヶ月、思い返せば即席麺を食べてなかった。
あれらはきっと、万年金欠の冴羽商事の救世主だったのだ。



数十分後、香の隣にはその会長と呼ばれるじい様が座り、嬉しそうに相好を崩して香の華奢な手の甲を包むように撫で回していた。
何故だかその老人は香をいたく気に入り、二人は妙に意気投合している。
大きな会社のお偉方だというわりに彼はどこにも偉ぶった様子はなく、香は何処か教授に似た雰囲気の好好爺をすっかり懐柔していた。
香はもとより、このタイプの相手には好かれる傾向にある。
香が即席袋麺に合うトッピングのレシピを熱く語ったのを、どうやら気に入ったらしい。
定番の商品から期間限定商品に至るまで幅広く、味の感想を香に求め、香の聡明且つ的確な返答に満足げに頷いていた。
図らずも、撩との万年金欠生活の賜物が役立つこともあったのだ。
香が幾つか挙げたトッピングのレシピを、その会社の公式ホームページの調理例として掲載しても良いかと問われ、香は快諾した。
香の生活の知恵は、企業のトップに認められ、その結果の今この状況だ。
他3名のお偉方が引くほどの、会長の喜びぶりだった。
まるで孫ほどの香を隣に座らせ手を握り、楽しそうに酒を飲んでいた。





「今日は、ご苦労様。本当に喜んで頂けて、良かったわ。貴女のお陰よ。」



香がバイトを終えて店を出る間際に、ママは香を呼び止めてそう告げた。
普段、1アルバイトの香がわざわざこうしてママに声を掛けられることは、殆ど無い。
シフトや業務に関する細かいことは、支配人である年配の男性が一手に引き受けて行っており、
普段はそちらとやり取りするのが主で、ママはどちらかというと教育係のようなものだ。
接客中の各々のホステス達を、彼女は然り気無く観察していて、それぞれの個性にあった付け回しを行い店を切り盛りする。
不味い接客があったりすると、やんわりとホステス達に接客を指南する。
幸いにしてこれまで、香は接客に関して指導されることもなかった。
別に自分を取り繕うこともなく伸び伸びと働いているが、店にとって特に不都合は無いらしい。



「あ、いえ、はい。ありがとうございます。」



香はその美しい人の前では、無駄に緊張してしまう。
高そうな着物をいつも身に纏い、立ち居振舞いと言葉遣いは優美の一言だ。
何より、他人の本質を見極めるような、全てを見透かされてしまいそうな雰囲気を漂わせていて、
香は彼女と対面すると、自然と背筋の伸びる感じがする。



「貴女に一度、ちゃんとお話ししておかないと、って前々から思ってたのよ。」



労いの言葉の後に続いたママの言葉に、香は恐怖を覚えていた。
よく解らないけれど、叱られるのだろうと思った。
そもそも、叱られる原因に全く心当たりがなく、解らないけど叱られるということ自体で香はもう既に自己嫌悪に陥る一歩手前だった。
撩の傍に居る頃、それは香を悩ませる一番の原因に他ならなかった。
失敗をした時に、自分自身で何が悪かったのか、原因と対策を自分なりにでも分析出来ている時は、それほど落ち込むことも無かった。
一番凹むのは、自分の何処が悪かったのかを自覚出来ずに、言われてはじめてその事に思い至る、という場合だ。
叱られるかもしれないという雰囲気だけで、香を過去のトラウマが一気に襲う。
けれど、それは完全な勘違いで、香の杞憂に過ぎなかった。











え、出勤日数······のこと?




香は、拍子抜けした小さな声でそう呟いた。
そんな香の様子を見て、ママは楽しそうに笑った。


「えぇ、今の週3日から、少しだけでも増やすことは出来ないかしら?という相談よ。」

「はぁ。」



緊張して青ざめた表情から一転、安堵で気の抜けたような表情を経て、最終的には困惑の表情を浮かべる香は確かに見ていて飽きず、
ただ見た目が美しいだけではない独特な魅力と、素直で気負った所がなく、
専業のホステスたちと違う素人っぽさが良い意味でウケているのだろうとママは分析している。


「叱られるとでも思ったの?」

「あの、ええっと、はい。正直いうと。」

「うふふ。貴女、嘘の吐けないヒトなのね。」



ママのいうには、このところ香を目当てに来店する客が右肩上がりに増加していること。
どうしてもとは言わないが、出来る範囲で出勤を増やせれば店側としても香にとっても悪い話では無いだろうということだった。
指名の数はそのままホステスの成績として反映され、毎月のその数で給料も変わるのだ。



「ここ最近、新しく来てくださるようになったお客様もいらっしゃるでしょう?」



そのママの言葉で、香が脳裏に思い浮かべたのは撩のことだった。
店の前の通りで偶然再会して、その後唐突に撩が来店して以来、実をいうと撩は何度か香を指名して来店している。
撩が何を考えてここを訪れるのか、香にはよく解らないけれど、初めの内は顔を見れただけで嬉しかったというのが本音だ。
けれども、回数を重ねる毎に、香の胸の内には言い様の無い感情が蓄積されていた。
化粧をして、着飾って、撩に酒を作りながら、現実感は薄らいでいた。
撩も香も、互いに今とは全く違った顔をよく知る間柄だったはずなのに。
それは撩だけど、撩じゃない。香だけど、香では無かった。
二人が望んで納得して出した答えは、少なくともこういうことでは無かった気がする。



「あ、あの、すぐにはお返事出来ないかもしれません···」

「えぇ、それはわかってる。貴女はお昼間のお仕事もあるんだし。ゆっくり考えてくれれば良いわ。」



香には手に負えないことが多すぎる。
自分の感情と現実の表している事柄がどう結び付き、本当のところ何を求めているのか。
解らないから、いっそ全てを放り出してしまいたかった。


どうしてこんなに遠くまで来てしまったのだろう。
香は確かにあの時、自分には全く違う見たことのない世界へ踏み出すことが必要だと思っていた。
撩と香の二人だけの世界に張り巡らされた囲いの外へ出て生きていると、世界の果ては遠く何処まで行っても正解など無い。
囲いの内側でさえ、答えなど見付けられずにいたのに。
どうして広がった世界の外に答えが見付かるなんて錯覚していたのだろう。
それでも、踏み出してしまったからには、進むしかないのだ。
何処かにあるのかもしれない、そして何処にも無いのかもしれない場所に向かって。


(つづく)

[ 2017/02/16 16:52 ] the Rose | TB(0) | CM(1)

№6 接吻(キス)

香はもう既に後悔していた。
よく解らない衝動に突き動かされて、久し振りにその7階建てのビルの前に立っていた。
夜の深い時間に、彼が帰っている気配は無く、
舗道から灯りの点らない6階のリビングと7階の寝室の窓を見上げる。
以前は自分の家でもあったこのビルの601号室の鍵は、あの日ここを出てから捨ててしまった。
二度と戻らない決意で、今現在の自宅近くに流れる小さな川の中に投げ捨てたのだ。
あの時、強く強く決心したはずなのに、香は今、自分の中の矛盾と闘っている。
今夜、銀座の店でのアルバイト最終日の仕事を終えて、新宿までタクシーを飛ばしてやって来た。













「どうしても、辞めるの?」



香が辞めさせて欲しいと相談したら、ママは淋しそうな顔をした。
出勤日数を増やして、もっと頑張って欲しいと期待されることは、香にとっては重荷でしか無かった。
撩の元にいた間はずっと、自分の仕事を撩に認めて貰いたい一心だった。
それは撩から離れて、自分で見付けた仕事だったはずなのに、自分の頑張りを認めてくれた場所なのに。
香は全然嬉しくなかった。
それ以上に、何ひとつ覚悟など出来ていない自分が、怖くなったのだ。
自分の接客と自分自身に、客が高い金額を払うだけの値打ちがあるとは、香には思えなかった。


「はい。でも今月末までは、ちゃんと働きます。」

「どうしてなの?」

「アタシ、考えが甘かったんです。アタシに務まる仕事ではないって、痛感して。」

「そう。残念だけど、仕方無いわね。この世界、来るものは拒まず、去るものは追わずよ。色んな事情の子が働いてるから。」





ママはそれ以上は踏み込まず、香の要望に応じてくれた。
それからの半月は、いつも通り週3日で2週間ほど働いた。
その間、店に撩がやってくることは無かった。
それならそれで、また元通り撩に会うこともないいつもの日常が戻るだけの話だ。
そう考えると、香は居ても立ってもおられず、気付くと店を出たすぐ前の通りでタクシーを拾っていた。




6階のベランダを見上げる。
あの場所は確かに、数ヶ月前までは香の唯一の居場所だった。
撩の傍を離れるなんて、香には絶対に出来ないことだと思っていたのに。
絶対という言葉は、絶対ではない。







「何やってんの?おまぁ。」




飄々とした声がして香が振り向くと、驚きを隠さない撩が立っていた。
黒いコートに、黒い革のパンツ、酒を飲んでいた気配は微塵もない。
微かに薫る硝煙の匂い。
それだけで、今夜の撩が何をしていたのか想像できた。恐らくは“仕事”だったのだろう。



「どうした?なんかあったか?」



撩の問い掛けが優しくて、香は言葉に窮した。
やっぱり来るべきでは無かったと、改めて思い知る。



「用があったなら、上で待ってりゃ良かったのに。」



先程から、撩ばかりが言葉を発していた。
何があったのかと問われても、答えようがない。
バイトを辞めただけだ。たまに来てくれた撩に、もう会えなくなると思ったら急に淋しくなった。
ただそれだけだ。それにもう、




「鍵は持ってないの。」



撩の眉間に薄らと、皺が寄る。
捨てたという言葉は、何故だか使えなかった。


「処分したの。もう使うことも無いだろうから。」



撩が一瞬だけ顔を伏せて、小さく息を吐いた。
眉間の皺と溜め息と、撩の仕草のいちいちが香の後悔を加速させる。
もしも数分前に戻ることが出来たなら、撩と鉢合わせする前に香はさっさとその場を去っただろう。
こうして急に訪れた元相棒に、撩は呆れているのだろうと思うと、香を動かしていた衝動の塊が急速に萎えてしまう。



「ま、取り敢えず上がれよ?···ったく、俺が何時に帰るかも解んないのに、こんな所でボーッとして。」

「あ、あああの。ごめんなさい、もう帰るからっっ。」

「帰るって、どうやって?」

「えへへ、その辺でタクシーでも拾うから、だいじょーぶ。」





またしても、撩は小さく溜め息を溢す。
鋭い目付きをして香の手首を乱暴に掴む。



「しょうがないから、送ってく。」



そう言って、連れて行かれたのはガレージだった。乗れよ、と言いながら撩は、さっさとミニの運転席へと滑り込む。
前までは、そこは自分の場所で、当たり前に座っていたその席に、香は躊躇いがちにドアを開けて座った。



こういうつもりじゃなかった。
仕事を終えた後の撩を煩わせるつもりでは。
じゃあ、どういうつもりで、この新宿の冴羽アパートを訪れたのか。
香は自分の中途半端さに、涙が出そうになって、情けなくて、
ハンドルを握る撩の横顔は見れないから、窓の外を眺めた。
撩には会わないと決めた決意も、アルバイトも、そしてずっと昔に心に誓った生きて誕生日をずっと一緒に迎えるという約束も。
簡単に翻して、全部から、ただ逃げているだけだ。
多分、物事の限界を作ってしまっているのは、香自身の心だ。



窓の外を流れる景色は、キラキラと光るネオンと街灯とテールランプで滲み、一筋の光の河になる。
時速60㎞のスピードで、香は新宿から遠ざかる。






「それで?何があった?」

「え?」

「何かあったから、わざわざ来たんだろ?」



そんな風に言われると、理由など何でも良かった気がした。
ただ単純に、撩の顔が見たかっただけなのかもしれない。
香は、俯いてじっと指先を見詰める。



「辞めたの、銀座のお店。」

「そうか。」

「うん。」






撩は、それ以上は何も訊かなかった。
互いに何も言わないまま、香の住む街へと辿り着く。
香が新しい家を探す時に、撩も色々と骨を折ってくれたので場所はわかっている。
住宅街の隙間を縫いミニがアパートに近付くにつれて、香はもう一度決意を固める。
一瞬だけ揺らぎかけた、独りで生きてゆく決意を。
撩が滑らかな操作でミニを路肩に寄せた。
小さな路に面して建つ5階建てのアパートが、香の帰るべき場所だ。
この助手席を降りれば、もう会わない。もう二度と。
香がドアに手を掛ける一瞬前に、香の鼻先にふわりと硝煙と煙草が薫る。


一瞬遅れで、それがキスだと気が付いた。
予想以上に柔らかな撩の唇は、熱かった。
それは、数十秒間柔らかに香に触れて、離れていった。


「も···ぅ、会わないから。ごめんね、最後まで撩を困らせて。」

「·······あぁ。」


自分では気が付かない内に、香の頬に涙が一粒転がった。
一言だけ、絞り出したような撩の返事は掠れていた。
これで本当に最後だと、香は自分を奮い立たせてドアに手を掛けた。
ドアが半分開いたところで、撩が香の手首を掴む、掴まれた手首は燃えるように熱い。
鼓動は高鳴る。




「香、  もしも何か困ったことがあったら、伝言板を使え。絶対に助けに来るから。」



香が撩の言葉に頷くことは無かった。
ただ、淡い微笑みだけを返して、ドアの外へ飛び出した。
小さな赤い車と撩を残して。


(つづく)


[ 2017/02/18 19:25 ] the Rose | TB(0) | CM(2)

№7 本音

撩はハンドルに頬杖をついて、大きく息を吐いた。
多分、困らせてしまったのは自分の方だと撩は思う。
もう充分に自覚している。
あの店に勤める香を指名して訪ねていたのも、今夜のキスも、全て己の未練からくる行動に過ぎない。
はじめの内は、自分の未練がましさを認めるのが嫌で、別の言い訳を自分自身に言い聞かせていたけれど。
それは全て自分の心の中の状態の話で、解りきっているのに自分を誤魔化すのが馬鹿らしくなって、途中から撩はほぼ敗けを認めている。
全てのはじまりから、今も尚、撩は香に惚れている。
そして気が付くといつの間にか、彼女は撩の両手をするりと抜け出して、手の届かない場所へと行ってしまった。



あの頃の撩は、まさか香が自分の元を離れたいと言い出すとは思いもしていなかった。
けれど香の言い分に、ぐうの音も出なかった。
これまでどんなに彼女に感謝していても、惚れていても、
その事実を彼女に“伝える”ことを怠ったのは、撩の落ち度だった。
彼女が撩の元を出ていった理由はひとつでなく色々あって、そのどれもが正論だった。
仕事に関して、自分をパートナーとして信頼してくれていないと言われれば、そんなことはないと答えたけれど、
実際に香に隠している後ろ暗い事柄は腐るほどあって、それら全てを白日の下に晒すことはほぼ無理だった。
互いの恋愛感情に関しても、全ての感情を撩にぶつけてくる彼女に対して、撩が応えてやれることは、ホンの少しだけだった。
それでもこの数年、香と暮らしを共にするようになって、何度もこれではいけないと思いながら、
一進一退を繰り返し、歩みは亀のように鈍いけど、撩にしては随分進歩はしていたはずだ。
後にも先にも、香以上に己の腹の中を晒して見せた相手はいない。
けれど、それだけでは足りなかったのだ。
本来なら対等であるべき関係に於いて、撩と香のスタンスは違い過ぎた。

まるで腹も胸も切り裂いて、全てを捧げるように本心から相手に尽くせる香と、
物心ついた頃から相手を疑うことしか知らなかった、心や弱味を見せることに不慣れな撩だから、
その溝は初めは小さな一筋の分かれ目だったとしても、数年をかけて大きく深く育ってしまった。
恋心と愛情を育みながら、深刻な溝をも産み出していたのだ。
その部分を見て見ぬ振りをして後回しにした結果、二人は今こうして、等しく罰と痛みを背負っている。



香の部屋なら、どの窓か判っている。
引っ越しの時に、何より安く済ませようとする香に断固抵抗して、この比較的セキュリティのしっかりしたアパートを薦めたのは撩だ。
この5階建ての3階南向き角部屋が、今現在の香の住まいだ。
振り返りもせずにエントランスに消えた彼女の細い背中が、瞼の奥に焼き付いて離れない。
それから数分、前の舗道に停めた愛車の中から彼女の部屋の窓に灯りが点るのを見守る。
それで良いと、あの時に決心したのだ。
大切なものを手に入れるのを諦めたことも、失ったことも初めてではない。
何より、彼女が元気で幸せならば、遠くから彼女を見守ることが出来ればそれで良いと。
そう決めて、彼女を囲いの外へ解いたのだ。
だからこの先、彼女を害するものは全て排除する。
彼女に対する悪意の芽は、片っ端から潰してやる。
彼女を守る楯になる。
たとえ彼女に伝わらなくても、それがこれまで伝えることを疎かにしてきた自分への罰だと思っている。

けれど撩が少しばかり傷付いたのは、彼女が新宿のあの部屋の鍵を処分していたことだった。
何も考えずに、合鍵を持っているだろうと思い込んでいた脳天気な撩の発言に、少なからず香の言葉はショッキングだった。
まるで冷水を浴びせられるように、撩は今の自分の立場を思い知らされた。
撩はまたしても、心の何処かで香が自分を忘れる訳はないと思い込んでいた。
何も求めない、彼女の幸せだけを願う、そう自分に言い聞かせても。
それでもまだ、心の何処かで彼女との未来を期待している。
未来なんて、昔の撩には存在さえ疑うレベルの夢物語だったはずなのに。
昔の撩の前には、無数の死の臭いが立ち込めていて、いつ死んでもおかしくないレベルだったのに。

香と出会って初めて、撩は未来を信じられた。
初めて、死にたくないと強く願った。
香だけが、撩の生きる理由で、それだけは今現在も変わらない。
見守る撩の目に、窓の中の暖かい温白色が灯る。
今頃彼女は、撩の仕掛けた口付けを持て余しているかもしれない。
そう思うと、撩は自分の余裕の無さに苦笑した。

撩は改めて、香が好きだと強く思った。撩の願いは、ただただ彼女が幸せで笑っていてくれることだ。









香はどうにか家の中に辿り着いて、灯りを点けるのが精一杯だった。
床にへたり込んで、膝を抱えた。
どうして初めてのキスが最後のキスなんだろうと思うと、涙が溢れた。
この部屋の中でだけは、香は誰にも遠慮せずに声を上げて泣くことが出来る。
明日が休日で良かったと、香は何処か冷静な気持ちで思った。
きっと、明日の朝は目が腫れて酷いことになるだろう。
でも、沢山泣いたら、気持ちを切り替えようと香は思った。

布団を干して、洗濯をして掃除をして、新しい自分に生まれ変わろう。
撩のことはきっとこれから死ぬまで忘れるなんて出来ないから、その気持ちを抱えたままで自分らしさを追求してみせる。強くなる。
フレンチネイルの指先で、唇に触れる。
撩からの最後の贈り物をお守りにして、香は強くなりたいと心から願った。




(つづく)

[ 2017/02/20 02:49 ] the Rose | TB(0) | CM(4)

№8 客人

バイトを辞めて、撩に会わない決意をもう一度固めた夜からも3ヶ月が過ぎていた。
香は休日のスーパーマーケットの入り口に、フリーペーパーの求人誌を見付けて思わず手にとっていた。
銀座の店でのバイトのお陰で貯金は捗ったけれども、また何かしらバイトはやろうかと思い始めていた。
香は時々、あの夜のミニの中での出来事を思い出すけど、なんとか冷静でいられる程度に時間は経った。
いつの間にか、独り暮らしをはじめて1年だ。
スーパーマーケットに行って、一人分の食材を買うことにも慣れた。
おかずを作り過ぎることもない。

買い物から帰ると、朝の内に干した洗濯物を取り込む為にベランダへ出た。
何気無しに前の通りを見下ろしてしまう。
最後にミニが停まっていたあの同じ場所に、黒塗りの高級車が停まる。
見慣れないその光景に、洗濯物を取り込む手を動かしながら香は横目でその車を眺めていた。
高級車の後部座席のドアが開いて出てきたのは、香のよく知る相手だった。
彼は3階南向き角部屋のベランダを見上げると、小さく片手を上げてにっこりと微笑んだ。







「いやこちらこそすまんのぉ、急に来て。」



ごめんなさい生憎、お茶請けが何にも無くて、と言いながら香が淹れたての緑茶を出すと教授はそう言って笑った。



「元気かね?」

「はい。」

「仕事は順調かい?」

「はい、とても。いい人たちばかりに恵まれて、助けられてます。」

「そうかい、安心したよ。」



そう言って微笑んだ老人につられて、香も警戒心の無い打ち解けた笑みを漏らす。
この目の前の老人には、返しきれない程の恩がある。
撩と一緒にいた頃にも、出ていくと決めた時にも、そのあとも。
けれど、香が何より一番に感謝していることは、ずっと昔に撩をエンジェルダストの死の淵から助け出してくれたことだ。
彼が居なければ、香が撩に出会うこともなかった。



「もう、1年になるのぉ。」

「···そうですね。」


必然的にその話になるのは、香も覚悟していた。
撩は、香にとっても教授にとっても、大事な存在であるのには変わりがない。



「どうじゃね?何か心境の変化はあったかの?」

「そうですね、沢山覚えたことはあるし、学んだこともあるけど···」



香はゆっくりと言葉を選ぶように、俯いた。
教授は香の言葉の続きを、気長に待っていてくれる。
撩と離れた生活は、確かに淋しいけれど、それだけでもない。
香は、この1年で自分が如何に世間知らずだったのかを痛感した。
でも、悪いことばかりでも無かった。
沢山の素敵なことも経験した。同年代の友人たちと楽しむことや、おしゃれをすること。
自分の気持ちに向き合うこと。
撩の気持ちを想像すること。
今思えば、撩の発した言葉のひとつ、撩の行いひとつひとつに、撩からの優しさが満ちていた。
撩の元に居ては気付けなかった、キラキラと輝くような宝物に気が付くことが出来た。


「基本的には、何も変わってないような気がします。」


香の言葉に、教授が深く笑んだ。
そして、教授が今ここへ香に何を伝えに訪れたのか、その瞬間に悪い予感がした。













「何か、あったんですか?」

「あやつが怪我をしてな。深傷を負って今はウチに居る。」

「······‼  怪我って、酷いんですか?」

「ま、命に別状は無いけど、暫くはベッドから降りられんじゃろうな。」





香は、絶句して呆然としていた。
確かにあの頃、それをいつも心配していた。
あの生活から離れて1年、今の生活は平和すぎて、忘れかけていたことを思い出す。
ヒリヒリとした、世界No.1の凄腕スイーパーの助手としてのあの頃の生活を。
疲れ果てて逃げ出したあの場所に、その知らせひとつでリアルに引き戻される。
冷静で居られるようになってきたと思っていたのに、胸の奥を握り潰されるような痛みが走った。




「あやつに、会いに来ては貰えんかのぉ?」



目を見開いて顔面蒼白になった香の目の縁に、涙が溜まる。


「あ、いや。勘違いはせんで欲しい。元気は元気じゃ。死に目に会いに来いという訳じゃありゃあせん。何しろ、我が儘でな。ちいとばかり、香くんにお灸を据えて貰わんとな。あやつには、怪我人の自覚が足りんでのぉ。ふぉふぉふぉ。」







少し独りで考えさせてください、と言った香に、待っとるよ、と言い残して老人は帰って行った。
撩のこと抜きでもたまには顔を出しなさい、とも言ってくれた。
教授の前では気丈に振る舞って、玄関先まで見送った香だったけれど。
ドアを閉めた途端、玄関の土間に座り込んでしまった。





撩が怪我をした。
それも、暫くは教授にお世話になるくらいの大怪我。
我儘を言う程度には元気でも、ベッドで過ごす程の怪我。
撩の体に、また傷が増えてしまった。
そう思うと、香の胸はうるさいほど騒いだ。




しばらく放心して、香は意を決したように立ち上がると、部屋に戻って電話を掛けることにした。
取り敢えず明日、3ヶ月振りに撩に会うために仕事を休む。
上司には、身内が入院したことにして、嘘をつく。
決意は揺るがない、けれど教授が恩人で撩が大切な存在だということは、香にとっては一生変わらない事実なのだ。
言い訳なのかもしれない、けれどこのまま何もしなければきっと後悔するような気がした。



(つづく)

[ 2017/02/21 11:29 ] the Rose | TB(0) | CM(4)

№9 依頼

広い庭に降り注ぐ午前の陽光を遮るように和らげるレースカーテンの引かれたその部屋で、撩は静かに寝息を立てて眠っていた。
部屋に入った途端に鼻をつくのは濃い消毒薬の臭いで、その奥にうっすらと血の匂いも混ざっている。
撩の顔には無精髭がポツポツと生え、頭に巻かれた包帯の厳重さに香は眉根を寄せる。
教授の話によれば、撩の回復力ならばすぐに治るだろうと言うことだが、やはり見るからに重傷なのは、さすがに香でも判る。
窓辺の小さなテーブルには、花が活けられている。
香がベッドの傍らに置かれたシンプルな椅子に掛けると、その気配で撩の瞼が薄らと開いた。
こんな状態でも、撩の眠りが浅く気配に敏感なことに、香の胸は痛む。
どんな壮絶な過去が今の撩を作り上げたかを知っている香にとっては、それは時に頼もしくもあり、悲しくもある。
こんな時くらいゆっくりと休んで欲しいのに、自分の来訪が撩の安眠を妨げたことに香は少しだけ緊張した。



ぼんやりと開いた撩の目がしばらく天井を眺めた後で焦点を定め、傍らに座る香を見つめた。
一瞬、驚いたような顔をした後で、撩の口角が緩やかに上がる。



····来てたのか。



そう呟いた撩の声は、少しだけ掠れていた。
少し強めに設定された空調のせいで、その部屋は少し乾燥している。



「教授か?」



香がこくりと頷くと、撩は呆れたように笑った。



「ったく、あの狸ジジイ。大袈裟だっつーの。」



そう言いながら、起き上がろうとする撩に、香は咄嗟に椅子から腰を上げた。
香の心配を余所に、撩は意外にもしっかりと起き上がったので、香は撩の背中を軽く支えた。
ベッドの足元の方に大きめのクッションが置いてあるのを見て、香は瞬時に状況を覚る。
クッションに手を伸ばして掴むと、それを撩の背中とヘッドボードの間に差し入れる。
普段は起きている時にこうしているのだと、直感的に気が付いたのだ。



「ありがとな。」


撩の口から漏れた意外にも素直な謝意に、香は一瞬驚いて、ほんのりと頬を染めた。
頭をふるふると降って、撩の言葉に応える。



「大丈夫なの?」

「んぁ? あぁ、大したこたぁねぇよ。」



言葉の割に、手当ては物々しい。
起き上がった撩の裸の上半身には、厳重に包帯が巻かれ、所々薄らと赤いものが滲んでいる。
撩は、慣れた手つきでヘッドボードの端に掛けられていた白いシャツを取ると、包帯の巻かれた体の上に羽織った。




互いにすぐに、言葉は尽きた。
久し振りに会って、何を言えば良いのか撩も香もよくわからなかった。
けれどこうして会って、顔を見て声を聞くと、香はひどく安堵した。
やはり香は自分で思っていた以上に、心配していたのだと改めて自覚した。
香の胸の奥を支配していたネガティブな気持ちの塊が解けて、長い溜め息に変わる。
部屋を満たす消毒液の臭いで、暗い考えが洗い流されるような気持ちになる。




「この前は悪かったな。急に。」

「え?」



突然、撩がそう言って謝るから、香は一瞬何のことか解らずに首を傾げる。
この前、の出来事について思い返して、ミニの中でのファーストキスを思い出した。
よくよく考えたら、撩に会うのはあれ以来で、撩の大怪我の報せに我を忘れていたけれど。
そういえば撩とキスしたんだった。と意識したら最後、香はみるみる内に真っ赤に変色して頭から湯気を上げる勢いで恥ずかしくなった。




「あの、ぅん。だいじょーぶ、だから。」

「そうか。」

「うん。」



撩は、真っ赤になって照れている香を、優しげに微笑みながら見詰めているけれど。
そんな話を蒸し返されて、恥ずかしさに俯いた香には撩の表情などを確認する余裕など無かった。
こういうことかも知れないと、撩は穏やかに分析した。
色んな経験や知識や性格の違いは、こうやって同じ出来事でも二人の気持ちの違いを生む。
撩がどんな表情をしていて、香がどんな気持ちでいるのか、
互いが自分の感情に精一杯で余裕を失ってしまえば、気が付くことなど出来ないのだ。
他人同士なのだから、それはどうしても仕方の無いことで、どちらが悪いわけでも良いわけでもない。
単純な話で、それを伝え合えば済むことなのだ。
伝え合えばきっと、互いが同じ方向を向いているということにも気付くことが出来る。




「XYZだ、香。お前に頼みがある。」

「なぁに?」




撩の依頼は、大したことでは無かった。
怪我を負って、それでも最後の力を振り絞って此処に辿り着くと、
意識を失っている間に教授による治療が施されていた。
最低限の着替えだけは、ミックがアパートから持ってきてくれたけれど。




「アイツ、全っ然っっ気が利かなくてさぁ。」



そう言って、撩は笑った。
怪我はしているけれど、本当にいつも通りの彼の様子に、香もつられて笑う。



「わかった。じゃあ、着替えとか身の回りの必要なもの用意してくれば良いのね?」

「悪ぃな、やっぱこういうことは、おまぁが一番よくわかってるから。」



撩の言葉に思わず涙腺が緩みかけたけれど、次の言葉に教授の言っていたことを理解する。



「それと、ついでにタバコも買ってきてくんない?」

「それは、駄目。」

「ちぇ、ケチ。」




そんなやり取りに、香は懐かしさを覚える。
でも、今の香にはこのやり取りの裏に隠された、撩の優しさがちゃんと伝わっている。
涙が出そうになった香を先回りして、きちんと逃げ道を用意してくれている。
思えば、いつだってそうだったのかもしれない。
香が落ち込んでいても、失敗しても、泣いていても。
口は悪いし素行も悪いけど、いつだって撩は自分から香に隙を見せておどけてくれていた。
香にハンマーを繰り出させ、気持ちをリセット出来るように逃げ道を用意してくれた。
本当なら隙なんて無いほぼ完全無欠な彼のどうしようも無い部分を、彼は自分にだけは見せていてくれたのだ。いつだって。
そのことに気が付いたのが、撩と離れて独りになった後だったのが皮肉だ。




「あ、でも、アタシ。···アパートの鍵、持ってない···」



そう言って、表情を曇らせる香に、撩はクローゼットの方を指差した。
香がその扉を開けると、がらんとした空間にはハンガーに掛けられた、撩のジャケットとホルスターだけがあった。
ホルスターの中には、撩の大事な愛銃が収まっていて、その革製の重厚な装具とジャケットは。
血に染まって、所々赤黒く変色していた。
特にジャケットは撩が流した血液をしっかりと吸い込み、殆ど元の色が判らなくなっていて、穴や綻びが無数にあった。



「ポケットの中に、鍵が   」


途中まで言って、撩は香がそのジャケットの惨状にショックを受けているのに気付く。
確かにそれは、包帯を巻かれた彼自身を見る以上に凄惨だった。
撩本体は生々しい傷も包帯で隠され、そのいつもと変わらぬ口調で思いの外元気そうに見える。
けれど香は改めて、今回の事の大きさを目の前に突き付けられた思いだった。
彼の棲む世界をゾッとするほど、意識させられる。
香はその世界に彼独りを置き去りにして、あの日逃げ出してしまったのだ。
香の胸が鋭く痛む。





「そのジャケット、気に入ってたけどな。もう駄目だな。」




そう言って、撩が笑った。
その言葉を背中で聞きながら、香は堪えきれずに声を上げて泣いてしまった。
撩はそのジャケットを、香の目に触れさせてしまった失態を後悔した。

どうして人間に感情なんていう最高に面倒臭いものがあるのだろうと、撩は思う。
沢山の後悔と悲しみと涙と痛々しさと愛しさが、ぐちゃぐちゃで。
今この場で、香の細い背中を抱き締めてやれない自分が悔しいと撩は思った。
自分が小さな虫けらで、香が幸せな薔薇の花ならばこんなにも苦しくて泣くことも無いだろう。
それでも、撩は香がこの世にいる限り、自分も生きていたいと願っている。



(つづく)


[ 2017/02/23 12:32 ] the Rose | TB(0) | CM(2)

№10 珈琲

香は撩に背中を向けたまま、手の甲で涙を拭うと、多少無理矢理ではあったものの笑顔を作った。
撩からの依頼は、確かに受けた。
厳密にいえば、香はもうシティーハンターでは無いのだから、可笑しな話だけれど。
もしかすると、こんな風に撩が香に頼み事をしたのは初めてかもしれない、と思ったら。
何としても応えたかった。
血塗れのジャケットのポケットから、見慣れたキーケースを取り出すと、その中の1本、アパートの鍵を取り外した。
冷たく鈍く光る銀色のそれを、香はギュッと握り締める。

「じゃあ、確かに。借りていきます。」

強がりの笑顔で振り返った香は、撩にそう言うとその部屋を出た。
残された撩は、力無くぐったりとベッドに横たわる。
背中に当てられていた大きなクッションを、脇へ追いやる。
実をいうと、そんなに元気な訳でもない。正直、今回の怪我はそう生易しいモノではなかった。
それでも撩が、最後の力を振り絞って此処まで還って来たいと思った原動力は、彼女だ。




















「それで?どのくらいで、回復しそうなんですか?」


香の問いに、教授はにっこりと笑うと、薫り高い玉露を啜った。
空を見詰めて、考える素振りをみせる。


「そうじゃのぉ…1週間か、10日、といったところかのぅ?」


教授の説明によれば、常人なら全治2カ月は余裕でかかるところだという。
しかし、撩の回復力と生命力をもってすれば、その位が妥当だろうということだ。
とはいえ、それは完治という訳ではなく、ベッドから起き上がって自由に動けるという意味だけど、
教授が言うには、ベッドから起き上がればあの男は、新宿に帰るじゃろ。とのことだった。

香はその屋敷の応接間に、教授とかずえと向かい合って座っている。
二人を見据えて、香は深々と頭を下げた。


「お二人に、お願いしたい事があるんです。」

















カウベルを鳴らして、午後の喫茶店を訪れたのは懐かしい常連客だった。
何しろ、1年振りだ。
美樹は扉の向こう側から現れた彼女を見て、一瞬、言葉を詰まらせた。
彼女の顔を見て、美樹は自分がどれだけ彼女のことを心配していたのか、改めて自覚する。







「残念ね、せっかく香さんが来てくれたのに、ファルコン今日は“仕事”なのよ。」

「こちらこそ、ご無沙汰してて申し訳ないです。たまには、顔を出さないとって思いながら、つい。」

「すごく、…すごく会いたかったわ、香さん。」

「ごめんなさい。」



香は、今日は謝ってばかりだと思った。
久し振りに出向いた教授宅でも、かずえに同じことを言われ、同じように謝った。
気が付かないでいた。
この街で出会った彼女たちが、これほどまでに自分を気に掛け、心配していてくれたことに。
きっと、彼女たちだけじゃない。ミックや海坊主も同じように思ってくれているだろうことは、わかる。
独り暮らしを始めて、撩と離れて、新宿を離れて、それでも人との縁までが切れることにはならないのだ。
教授が香のアパートを訪ねて来てくれた時、撩のことに関係無く顔を出しなさいと言ってくれたのは、こういうことだったのだ。
香は今更ながら、この街と、撩を介して繋がった人たちの温かさを思い知る。
この1年、香は自分のことで精一杯で、そのことに思い至ることなどほぼ無かった。

珈琲の薫りが懐かしかった。
撩と離れて以来、自分で豆を挽くなんてこともなく、殆どインスタントコーヒーで済ませていた。
美樹が丁寧にドリップする手元を眺めながら、色んなことを思い出す。
香は無意識にいつも座っていたスツールに腰掛けたけれど、その隣りにはいつも、撩が座っていた。
撩とこの席に座って、暇に任せて他愛もない話ばかりしていた。
喧嘩ばかりして皆に呆れられながら、それでも珈琲を飲みながらうやむやの内に仲直りしたりして。




「どう?独り暮らしは、楽しい?」



美樹は互いにしんみりしないように、努めて明るい口調で香に訊いた。
シンプルなデザインのマグカップに注がれた珈琲を、香の前に置く。
美樹が珈琲を淹れる間、物思いに耽っていた彼女は、この1年で随分女らしくなっていた。



「どうだろう。アタシ物心ついてから、全くの独りって初めてだから。」



そう言って、薄く笑って香はカップに口をつけた。
小さく美味しいと呟いて、コクリと一口飲み込んだ。
目を瞑って、深く溜め息を漏らす。
楽しいのか楽しくないのかの、質問の答えにはなっていない。



「よく、わからない。」

「そう。」



香の他に客の居ない喫茶店は静かで、絞ったボリュームの有線が、クラシックのチャンネルに合わせてある。
美樹が本当に訊きたいことは、そんなことじゃ無いような気がして、香は美樹を見詰めた。




「教授のお宅に行ってきたの。」

「会ったの?冴羽さんに。」




香はコクンと頷いた。
美樹は自分のマグカップにも珈琲を注ぎながら、撩のことを考えていた。
香が出ていってからの撩は、いつも通りを演じているようでいて、全然いつも通りでは無かった。
いつも通りを崩さないのに、いつも隣にいる存在が居ないのは不自然だった。
むしろ、彼女が居なくなって変わらない方がおかしいのに。
むしろ撩は、頑なに香の不在を認めたくないように、美樹には見えた。



「1年振り?」

「実はね、違うの。」

「どういうこと?」



香は、夜の銀座8丁目で偶然再会してからのことを美樹に説明した。
さすがに、ミニの中でのキスのことは端折ったけれど。



「道理で、なんか香さん綺麗になったなぁって、第一印象で思ったの。」

「え?な、なに言ってんの?美樹さん。アタシ、何も変わってないでしょ。」



香は真っ赤になって、ぶっきらぼうに照れている。
確かに、そんなところは何も変わってない。
元々、顔もスタイルも美しいのは前からだけど、雰囲気が違っているのだ。
撩といた頃にはあまり見なかった、化粧と服装だからかもしれない。



「誰かいい男性(ひと)はいた? 冴羽さん以上に、良いなと思えるひと。」



香は苦笑して、首を横に降った。
残念ながら居なかった。
そもそも、目が外に向いていないのだから、何処に居たって同じことなのだ。
香は、美樹と話している間に、そう気が付いてしまった。
撩の作ってくれた柔らかな拘束の中から、外の世界に出たはずなのに。
物理的距離がいくら離れても、心は彼に縛り付けられたまんまだ。
そして、それを望んで選んでいるのは、香自身に他ならない。



「香さん?今、幸せ?」



美樹にそう問われて、香は考え込んだ。
幸せと言えば、幸せなんだろうと思う。
独りで生きているように見えて、実際には色んな人に支えられて生きている。
過去も、今現在も。
随分、時間差遅れで気が付くこともある。
例えば、昔の撩の言葉の裏に隠された優しさとか。
もしもその時に、その場で気付くことが出来ていたのなら、今がもう少し違ったものになっていたのだろうかと、時々考える。
でも、もしもを言っても仕方がないし、たとえ手遅れでもそれに気付ける自分になったことに、意味があるように思う。
けれど、幸せじゃないと言えば、幸せじゃない。
最近の香は、泣いてばかりだ。
心から、心を空っぽにして笑ったのが、最後いつだったのかもう記憶は定かじゃない。


店内には、珈琲のいい薫りが満ちていて、これからあのアパートに1年振りに帰る。
ここでこうして奮起しないと、勇気が出そうに無かった。
この1杯の珈琲に、勇気を貰う。
思えばあの頃、伝言板に依頼が無いと落ち込んでは、この珈琲に元気を貰い、
撩と喧嘩してイライラしては、この珈琲に慰められていた。
香はいつもほんの目の前だけの幸せを掻き集めて、自分をなんとか奮い立たせていたのだ。
そのことに草臥れてしまった。目の前の良かった探しをすることに。
撩と二人の世界を離れてみれば、何かが変わるとでも思ったんだろうあの時の自分は馬鹿だと香は思う。
たとえ離れても、決して離れらないことが解らなかった。



「美樹さん、幸せって何なんだろう?」



難しいね、と言って香はまたカップに口を付けた。
美樹も、そうね、と言いながら微笑んだ。



「でもこの際、冴羽さんのことはどうでも良いから、たまには此処にもいらっしゃいよ。」

「うん。」


教授宅の重傷の撩のことを知っているはずの美樹の言葉が、妙に可笑しくて。
香は、飲みかけの珈琲を吹き出しそうになって、思わず笑った。
美樹がこんな風に言えるということは、きっと撩は大丈夫なのだという裏返しなのだろう。
結婚式のあの怪我の最中で誰より冷静だったのが、美樹自身だったのだ。
香はかつて、美樹の強さに憧れて、目標としていたことを思い出した。
香が小さな声で、ありがとうと言うと。
美樹は悪戯っぽい表情で、ウィンクしてみせた。
撩も早くよくなって、この珈琲を飲むことが出来れば、元気になるはずだと香は思った。


(つづく)


[ 2017/02/25 19:00 ] the Rose | TB(0) | CM(1)

№11 痕跡

香が想像していた以上に、部屋の中は秩序が保たれていた。
というよりもむしろ、香が去ったその時のまま放置しているといった方が適切かもしれない。
リビングで寛ぐこともしないのか、テレビを観ることも無いのか、
テレビの画面には1年分の埃が薄く積もり、リモコンは香がいた頃からの定位置の籠の中に収まったままだ。
カーテンがいつから閉められたままなのかは定かでないけれど、空気は淀んでいて。
窓を開けたら、昼下がりの陽が反射して埃が舞うのが見えた。
リビングで灰皿を使った様子すらなく、ガラスのローテーブルの上に乗った灰皿ですら埃が均等に積もっている。

客間兼香の部屋として使っていたあの部屋も、
香が引っ越しのために家具や私物を搬出したあの日そのままに、埃だけが全てを薄く覆い尽くしていた。

キッチンにも、生活感は皆無だった。
なるだけそのままを保っていようという撩の意図は感じられるものの、
冷蔵庫の中には食材の類いは一切無く、有るのは缶ビールだけでアルミ缶は凶暴なほどキンキンに冷えていた。
分別式のゴミ箱には可燃物は無く、不燃物の方には同じ銘柄のビールの空き缶の潰されたものだけがびっしりと詰まっていた。
造り付けの棚の中のいつもの場所の銀色の缶の中の、珈琲豆は湿気て固まっていた。

浴室のタイルの目地には所々黒いものが浮かび、カランと鏡は水垢で曇っていた。
洗面所に置かれた歯ブラシも剃刀も、最後にいつ交換されたのかすら不明で。
タオルハンガーには、タオルすら掛かっていなかった。
戸棚の中には、使われている様子の無いタオルが恐らく香が洗って畳んだ時の状態で、綺麗に収まっていて。
もう洗剤の薫りも柔軟剤の薫りも飛んでしまって、埃臭い湿気た匂いがした。
洗濯籠には意外にも洗濯物は無く、乾燥機を開けると撩のティーシャツとパンツとジーンズと靴下と数枚のタオルが入っていた。
乾かしてそのままで放置されたそれらは、皺々になっていたもののちゃんと洗剤の匂いがした。

7階の寝室には、濃密な空気がそのまま閉じ込められていた。
ベッドサイドに置かれた灰皿には、数本の吸殻が残されていて。
そのコルク色の吸い口の強く噛み締められた跡に撩を思い出して、香の胸の奥が切なく締め付けられた。
ベッドに張られたシーツは皺を描き、定期的に張り替えられた形跡は無かった。
シーツにひとつだけ、煙草で焦がした跡を見付けた。




香は、家中の窓という窓を全て開けて、空気を入れ換えた。
生活感が無い訳ではない。
撩が独りで暮らしているという空気は、痛いほど感じられた。
それがとても味気無い、ただそれだけだ。
やはり、教授の家で香が言い残して来たことは正解だったと、香は思い直した。
撩の休んでいる部屋を出て、すぐに香は決めた。
1週間、仕事を休む。
幸い先日、有給を消化するようにと上司に言われていたばかりだった。
すぐに会社に電話を入れて、休暇を願い出た。
見舞った身内の世話を暫くしないといけなくなった、と嘘を言ったら却って心配されて恐縮した。

それでも、撩にはもう会わない。
1週間もあれば綺麗に、元の通りに掃除出来るだろう。
物は弄らない。
ゴミを纏めて、埃を落として、空気を入れ換えて、水回りを磨いて、タオルのストックを洗い直す。
意外と広いこの家に、1週間通えばそれくらい出来るだろう。
撩から頼まれた身の回りの物ならば、撩に会わなくともかずえに言付ければいい。
鍵はここの掃除が終わった時に、またかずえか教授に言付けて撩へ返しといて貰うようにする。それをお願いしたのだ。
それともうひとつだけ、それはかずえに。
今現在、撩の食事をかずえが作っているらしいので、それを1週間だけ自分に作らせて欲しいと頼んだ。
だから、これから1週間、香は冴羽アパートと教授宅に通う。
毎日、撩とはニアミスするけれど、会わないつもりだ。
撩のピンチに駆け付けはしたけれど、決意が揺らいだ訳ではない。
教授も美樹も、撩はすぐによくなるのだと言った。
それだけでいい。
彼が早く日常を取り戻し、軽口を叩きながらあのカウンターのいつもの席に座って、珈琲を飲んで元気でいてくれれば、それだけで。
そこに自分が居なくても、日常は廻るし、季節は巡る。
人生は長くて世界は広いし、撩には撩の香には香の、幸せや目標はやっぱり。
互いがそれぞれに見付けてゆくしか無いのだと、香は思う。
どちらかがどちらかに寄り掛かってばかりなのは、フェアじゃない。








香はキッチンにいて日にちを確認しようと思って、つい癖で冷蔵庫の脇の壁を見遣る。
そこに掛けられたカレンダーはしかし、去年の香が出ていった月から進んでいなかった。
癖や習慣は、思考を鈍らせる。
香は少しだけ考えて、不燃物の回収日を思い出す。
3日後のその日に備えて、ゴミ箱に掛けられた不燃物を袋ごと引っ張り出す。
量の割に軽いのは、全てアルミ缶だからだろう。
ろくに食事も摂らずに、ビールを飲んでいるのだろう撩が香には容易く想像できた。
1年離れたその部屋での家事だけど、その何倍も淡々とこなしてきた日々の方が長い。
その日々の積み重ねは、香を無意識に効率的に動かした。
1袋分の空き缶を提げて、ガレージに向かう。
3日後の回収日まで、そこに置いておくためだ。

ガレージもまた、香にとっては懐かしい場所だ。
撩を見送る時も、撩と一緒に出掛ける時も、撩の制止を避けるためにこっそりとミニに隠れて乗り込んだことだってあった。
その小さな赤い車は、いつものようにそこに停まっていて。
主の不在を知っているのか、少しだけ淋しそうに見えた。



思い出すのは、3ヶ月前のあの夜の出来事だ。
きっと香の唇に触れるのは、後にも先にもあの夜のキスだけで。
香はもう誰とも恋をする気はない。
けれど、あの撩の唇がいつか、何処かの誰かに優しく触れるのだろうと思うと、胸が軋んだ。
優しく触れた唇の感触は、もう記憶から薄れかけているけれど。
強く掴まれた手首の感触と撩の手の熱さの方が、不思議と記憶に残っている。
あの時、撩は困ったら伝言板を使えと言ったのに。
何故だか今、香が撩からの依頼に応えている。

全力で応えようと思っている。
あの頃、撩の傍にいて、自分にしか出来ないことを必死に足掻きながら探し続けていた。
病室で撩は、こういうことはお前が一番解っているから、と言ってくれた。
報われないと思っていた日々の些末な事柄が、報われたと思った。
自分にしか出来ないことはきっと、自分の足元に沢山転がっていたのだ。
だから、香はこの1週間を精一杯、撩の為に使おうと思っている。


(つづく)

[ 2017/02/26 15:42 ] the Rose | TB(0) | CM(6)

№12 弱音

その晩かずえは夕食に、香の作った食事を撩の部屋へ運んだ。
香からは、それを作ったということを撩には伏せて欲しいと言われていた。
それでもそれは、意味を成さないことだろうと、かずえは思っていた。
香にはあえて言わなかったけれど、撩が香の料理に気付かないとでも本気で思うのだろうかと、かずえは香の正気を疑った。
そもそも香は、自分の存在価値を理解して無さすぎるのだ。
撩にとって彼女がどんな存在かなんて、かずえは二人に初めて会った時から解っていた。
撩がどれだけ他の女に甘い言葉を並べても、香に対する軽口の100分の1も気持ちは籠っていないというのに。
何故その違いを香だけが解らないのか、時々、不思議に思う。
きっと、好きでも嫌いでも、その感情があまりにも大き過ぎると、その大きさに惑わされて正常な判断能力を失うのだろう。
恋をすると誰しも、自分をコントロールするのが難しくなるものだ。


メインの鰈の煮付けに、茄子のそぼろ餡掛けと、きんぴらごぼう。厚揚げと玉葱の味噌汁。


まだまだベッド上で食事を摂る撩の為に、可動式のテーブルにかずえが一品づつ並べてゆく。
並べ終わると撩が箸をつけるのを横目で見ながら、サイドテーブルに置いた茶器で茶を淹れる。
まず始めに汁椀に手を掛けた撩に、かずえは内心それに行くかぁぁあ、と呟く。
味噌汁なら一発だ。気付くに決まっている。
実のところ、かずえも教授も今のこの状況を密かに楽しんでいたりする。
撩のリアクションを、ドキドキしながら窺っているのだ。
たとえ今現在、実質別居状態でも、離れても離れられない二人だということくらい、周りが一番よく解っている。
一体、何年前からこの焦れったい一進一退の攻防を続けているのか。
本当に手の焼ける二人である。



撩の表情が変わる。
ひとくち味噌汁を含んで、動きが止まる。
暫く何事か考え込んで、もうひとくち啜る。
煮付けもひとくち、口に入れる。
またしても、動きが止まる。



「ねぇ、かずえちゃん。これって。」

「ま、判るわよね。普通。」



香さんよ、と言って頷きながら、かずえは湯呑みをテーブルに置いた。
苦笑するかずえに、撩もつられて情けなく笑う。
久し振りに食べて、相変わらず旨いと撩は思った。



「なぁ、ちょっと弱音吐いてもいい?」



撩にしては殊勝な態度だった。
こんな冴羽撩が見られるのは、レアケースだろうとまたしてもかずえは考えてしまう。


「お好きにどうぞ、聞かなかったことにするわ。」


かずえがにっこりと微笑む。
ミックの時もそうだった。
ここで教授の助手でいる限り、普段は見られない彼等の本音も時として垣間見てしまう時がある。
けれど、その部分は医者として守秘義務を守る必要がある。
ミックが禁断症状で魘されているとき、彼は譫言でずっと“彼女”の名前を呼んでいた。
彼に理性が戻り、禁断症状も落ち着いたものになるにつれて、彼女の名を呼ぶことは無くなった。
けれど、だからといって彼の中にその存在が消えたなんて、かずえは思っていない。
大人の分別というやつだ。
それでも、かずえはミックに惹かれた。それでも良いと思えるほどに。
彼女への想いを心の奥に仕舞い込んだ彼ごと全て、愛そうと思った。
けれど、撩は違ったのだ。
確かに以前、少しだけ撩にも惹かれた。
けれど撩の心に居るのは、あの頃から変わらず彼女だけだ。
そこに他者が介入する余地など、少しもない。



「···俺さぁ。 やっぱ、アイツじゃなきゃダメだわ。」

「何?今頃、気付いたの?  冴羽さんて、結構バカよね。」



呆れたように腕を組む白衣の彼女の言葉が正論過ぎて、撩は吹き出した。
馬鹿なのだ、確かに。
一番大切なものを簡単に手放して、そのくせずっとそれを悔いている。
大切なものを大切にする方法など、簡単なことだ。
それすら、怠った。
目の前にある時には安心しきって、それが当たり前だと錯覚していた。
撩の幸福は、ちっとも当たり前なんかではなかったはずだ。
決して、その手を放すべきではなかったのだ。


「でも、良いのよ。バカでも幸せになったって。私達は皆、少しづつバカよ。」


香さんもね、と言って、かずえは笑った。
勿論、ミックも私も。とは、心の中だけで呟いた。












数日後、香は冴羽アパートを隅々まで掃除しながら、
晴天に任せてリネン類やタオルなどを、一斉に洗濯した。
どうやら撩は、全く交換していない訳でもなさそうだったけれど、
明らかに収納された一番上の1~2枚を、非常にスローなペースで使い回し、
挙げ句、収納の中全体の循環が停滞した状態になっていた。
1年間、使わずに仕舞いっぱなしのタオルやリネンは、心なしか微かに湿気ていた。
アイロンを掛けて仕舞っていた筈の、パリッとしたシーツもくったりとなっていた。
ベランダに出てタオルを干す横顔に、香は視線を感じた。


通りを隔てた向かい側のビルの窓だ。
彼は窓際に立って、マグカップを握ったまま片手をヒラヒラと降っていて。
香が気付いたら嬉しそうに笑った。











「ワォ、カオリ帰って来たなら来たと、早く教えてくれよ‼」


彼は数分後、そう言いながらリビングに飛び込んできた。
ミックはちっとも変わっていなくて、1年経ったとは思わせないほどにいつも通りだった。



「あ、あの、ミック、違うの。そうじゃなくて。」



香は第1陣として、午前中に干した分の乾いたタオルを畳んでいたのに、
ミックの乱入により一時中断を余儀なくされる。
教授宅に訪れてからのことを、説明した。


「そうか、じゃあリョウの奴にももう会ったんだね。」

「···うん。」

「酷い有り様でビックリしただろ?」



香は俯いて、小さく頷いた。
ミックは慰めるように、香の癖毛を撫でた。

あれでも、少しはよくなったんだよ。
食欲もあるみたいだし。
冗談なんかも言える程度には、回復したし。

ミックはニッコリ笑うと、香の頭を数回ポンポンと叩いて、すっかり埃を払ったリビングを見渡した。


「だいぶ、スッキリしたね。」

「うん、なにしろ埃だらけで。散らかっては無かったけど、結構汚れてて。」




アイツ、キミがいない間サボりまくってたからね。
お仕置きしてやんないとなぁ。
ほんとはキミに帰ってきて欲しいんだと思うよ?カオリ。



香はミックの言葉を降り解くように、首を大きく横に降る。

「嘘だと思うかい?そんなこと、リョウが思うはず無いって。」

今度は香は大きく縦に首を降る。

「アイツ、キミが見舞いに行っても、何も言わなかったの?」

「言うって、何を?」

「帰って来いって。」

香は苦笑しながら、首を横に降った。
そんな話になるわけなど無い。
1年前に、きちんと話し合って決めたことなのだ。
二人にとって、いい結果となるように。

「ったく、馬鹿だな、アイツは。いざとなったら、肝心なことが言えないんだから。」



ミックは呆れたように笑って、カオリもそう思うだろう?と、訊いたけど。
香には解らなかった。


「アイツが言わないなら、ボクが言うけどさ。帰っておいでよ、カオリ。キミが居ないと淋しいよ?」



「ダメなの。」

「どうして?」

「前に、二人で話し合ってそう決めたんだもの。」


ミックはやれやれという表情を作って、大袈裟に溜め息を吐いた。
撩も香も、結局は似た者同士だ。



「その決めたことが、間違いじゃないって、どうして言い切れる?」

「え?」

「1度決めたとしても、それが違うと思えばどこからだって、やり直せるだろう?」



一旦、離れてみて、気が付く互いの良さだってあっただろう?
ここでの6年間で、キミにとっての幸せだってあっただろう?
この1年、淋しくてリョウに会いたくなることもあっただろう?
その気持ち全部に、嘘はなかったはずだよ?



「ねぇ、カオリ。ボクの話をしてもいい?」

香はミックの畳み掛けるような言葉に、気圧されそうになりながらも、それでもちゃんと聴いている。
香はしっかりと、頷いた。

「うん。」

「ボクの初恋はキミだ。知っての通り。でも、叶わなかった。何故ならキミは、リョウのことが大好きで、ボクに恋愛感情は無かったからだ。」


うわ、改めて言葉にすると、結構抉られるね。と、言いながら、ミックは笑った。


「でね、それならばこの先、本気で好きになれる相手なんて現れないって思ったんだよ。キミ以外に。」

「···でも、」


香が言い掛けた言葉に、ミックは頷く。


「でも、カズエが現れたんだ、ハートブレイクしちゃったボクの元に。ボクはちゃんとカズエを愛することが出来た。だから、何が言いたいかっていうとさ、1度決めたことでも、それがダメならそれに縛られる必要は無いってことさ。」



香は俯いていた。
ミックの言っていることは、きっと正論だ。
建設的意見だ。
少なくとも、本心を押し殺して泣いて暮らしているよりは、まともな考え方だ。
涙が溢れてしまいそうで、香はミックの顔が見れなかった。


「アイツも大概、馬鹿だけどさ。キミも結構、馬鹿だよね?」


ミックはそう言うと、香を優しく抱き締めた。
香の細い背中を撫ぜると、香は力を抜いてミックに凭れた。
鼻声の涙声は、くぐもってミックの耳まで届く。



「ミック?少しだけこのままで、泣いてもいい?」

「良いよ、貸しといてやるね。」

「ふふふ、なんか、この借り、高くつきそうだわ。」



泣きながらでも、香が冗談を返せたから、ミックは安堵していた。
もう一歩、香が踏み出す為には結局、撩が何らかのアクションを起こすしかないとミックは思っている。
互いに、死ぬほど好き合っているのだから、単純な話だ。


(つづく)

[ 2017/02/27 06:33 ] the Rose | TB(0) | CM(2)