⑫ 孤独な闘い

光点の示す先は、港の付近だった。
この街には豊富な水揚げ量を誇る漁港とは別に、国際貿易港としても知られる大きな港がある。
仲根製作所が製造する数多くの重機は、この港の税関を通ってアジア方面の中継貿易港へと輸出される。
まさしく、今回の件の最終の砦ともいえる場所だ。
どういうカラクリがあるのかを、今の所調べているのだけれど。
どうやら先方がその尻尾を見せてくれたという事か。
撩はチラチラと雪の舞い降りる街並みを縫うように、ミニを港に向かって走らせた。








男は調べてみたのだ。
あの女が、槇村香は怪しいなんて言うから。
確か、槇村は東京支社の第3営業部からの配属だと聞いていた。
その部署に、男の元同僚が2年程前に転属になっていたのを思い出した。
その元同僚に白々しく連絡を取り、何気なく槇村香に関する情報を聞き出そうと思ったのだ。
結果、そんな女性は知らないという事だった。
それ以来、男の疑念は深まった。












槇村香さん、それに沢田常務、貴方がたは余計な事を知り過ぎた。
そしてもう1人、槇村さんの“彼氏”、いや冴羽撩でしたっけ?あの、薄気味悪い大男。
3人役者が揃ったところで、仲良くあの世にご招待致しますよ。
貴方がたには、不正輸出の濡れ衣を着て戴かないとね。
もう暫く、この部屋でお待ちください。






逆光を背にした男は、そう言うと笑いながらその部屋を出て行った。
男の言葉から、一緒に捕えられて拘束されている男性が沢田常務だと香は知る。
香はガタガタと震えながらも、頭の芯は冷静だった。
ブラウスの袖に仕込んでおいた剃刀で、男が弁舌を振るっている間に手首の戒めを解いていた。
ドアから差し込む光が細くなって、完全に遮断されて外から鍵を掛けられた音を確認すると、
香は両腕を自由にした。
噛まされた猿轡を解き、すぐに傍らの沢田常務の拘束を解いてやった。
香は撩から聞かされていた事を思い返す。
撩が身辺を洗っている沢田常務には、何ら不審な点が見られないし、
黒幕では無いと思っているという、撩の見解だ。
この場にこうして一緒に閉じ込められて、今の男に濡れ衣を着て貰うと言われていたという事は。
撩の見解は正しかったと言える。





あ、ありがとう。君は・・・?

初めまして、沢田常務。槇村香と申します。パートナーの冴羽がお世話になってます。




こんな状況なのに、そう言ってニッコリ笑った彼女が。
とても美しいと、沢田は思った。
そして、この彼女が例の“冴羽クンの彼女”かと合点がいった。
沢田は自分のスーツのジャケットを脱ぐと香に着せた。
困惑する香に沢田は、自分はこの土地で生まれ育ったんだ、このくらいの寒さは平気だ。と笑った。
香も小さく頷くと、遠慮なくジャケットを借りる事にした。






あの、大丈夫ですから。撩が必ず迎えに来ますから。



香は自分のベルトに発信機が取り付けられている事を知っている。
何か異常があれば、撩が駆け付けて来てくれる事も。
恐らくは初めに異常に気が付くのは、遠く離れた東京のチームだろう。
データを送信している途中で、香との連絡が数時間に亘り途絶えれば、必ずその事は撩にも伝わる筈だ。
香にはここが何処なのかも、今が何時なのかも何も解らないけれど。
パートナーを信じている。
沢田が深く頷く。






何か時間が解るもの、お持ちですか?



香の問い掛けに、沢田がジャケットを指し示す。
香は許可を得て、ポケットの中を探る。
しかしポケットの中身は全て無くなっていた。
財布も携帯電話もそれどころか、香も沢田も腕時計すら外されていた。
香は意識を失う前の、女子トイレ前での出来事を不意に思い出す。
ミック宛に資料を送信して、トイレに立った。
用を済ませて外に出ると、そこにはいつも香に親切にしてくれる向かいのデスクの彼女が居た。
香は何も疑う事無く、お疲れ様、と声を掛けた。
けれど彼女は何も言わずに、薬品を染み込ませたハンカチを香の鼻と口に押し当てたのだ。
まさか彼女が、と思いながら香の意識は急速に沈んでいった。






君らも、この件を探っていたんだね。



香はコクンと頷く。
君らも、という事は常務も何か知っていたのだろう事が窺える。
香が訊ねる前に、沢田は語り始めた。
それは遡る事、この年の夏前の事だった。
沢田常務と仲根社長は家族ぐるみの付合いだった。
何しろ、沢田はおろか、沢田の妻も結婚するまでの数年間、社長の元で秘書をしていたのだ。
2人の仲を取り持ったのが、他でも無い仲根社長その人だった。
沢田には彼に対する、深い尊敬の念と一生返せない程の恩義がある。
感謝こそすれ、彼を裏切るなど絶対に有り得ない事だ。


不正輸出に関わっている社員がいるという噂を耳にしたのは、妻・美咲だった。
その日は幹部社員の妻ばかりが集まって、社長夫人の主催するお茶会に呼ばれていた。
彼女らはやはり皆、家族ぐるみで仲が良く、そういった集まりが催される事は珍しくも無かった。
その日、社長の仲根は昼過ぎまで家に居て、お茶が入ったから呼んで来て下さらない?と、
夫人に頼まれたのが美咲だった。
彼女が秘書だった経緯は、全員の知る所で。
社長が他のメンツとは明らかに違った愛情を、彼女にかけている事は皆知っている。
勿論、厭らしいものでは無い。
まるで娘のように沢田美咲の事を、仲根夫婦も可愛がっていたのだ。
仲根の書斎のドアをノックしようとして、美咲は不穏な空気を感じ取った。
誰かと電話で会話をしているらしい気配。
美咲はいけないと思いつつも、心配でそっと聞き耳を立てた。
そこで聞き取ったのが、不正輸出という言葉と、公安が動いているらしいという断片的な情報だった。
数日間悩んだ末、その事を美咲は夫に話した。
沢田は衝撃を受けた。


基本的に沢田は、自分の身の回りにいるスタッフを信頼する事でこれまで働いてこれた。
自分の元に居る部下の、悪い所を見るのでは無く、
良い所を見、伸ばしていけるような職場づくりを目指していた。
そして部下を信じていた。
けれどその中に、仲根社長を裏切っている人間が居るのだという事実。
そこに直面した時、沢田は1人でこの件を内密に調べようと決意した。
なるだけ穏便に、当事者と社長の間で解決できるように尽力する事が自分の役目だと思った。
沢田が仲根社長の異変を感じたのは、秋の初めだった。
自分が疑われているのではないかと、薄々感じ始めた。
それでも、真相さえ明らかになればその疑いも晴れると信じていた。
何しろ沢田は、会社の掲げる理念に対して、何1つ後ろ暗い覚えは無かった。
だから堂々としていようと己を鼓舞した。
孤独な闘いだった。
その孤独な闘いに、乗り込んで来たのが冴羽撩という男だった。
沢田にはすぐに解った。
彼がこの事件に何らかの一石を投じてくれると。





もう大丈夫です、私達、あ、撩と私って事ですけど。
私達に何かあればすぐに警察が動く事になります、でもそれ以前に撩が解決しますから。




香には沢田の話しに出て来た、“公安”という言葉で全てに合点がいった。
教授からの依頼、冴子と撩の繋がり。
以前からそれは解っていた。
撩という男を、彼等が徴用する理由。
撩の殺し屋としての一流の腕だけでなく、彼の特異な生い立ち。
戸籍の無い彼が、闇の世界で暗躍して巨悪を潰しても。
法で裁く対象がこの世には存在しないのだ。
実像はあれど、存在が認められない特異な男。
撩は彼等にとっては、透明人間で、人の生き死にを法律の枠を超越した場所で操作する、
神様のようなモノなのだ。悲しいけれど。
彼等のご都合主義など、撩はお見通しで。
解っていて加担するのだろう。
それが撩の考える“正義”と利害が一致した時に。
香はそんな裏の事情を憎んでもいるけれど、撩がそれを受け入れて自分に出来る事をやるというのなら、
迷わず撩の選択を支持する。
迷わずに撩をアシストする。
撩と一緒に死ねるのなら、迷わずに死ぬ。
それはあの奥多摩の湖の畔で、叫んだ気持ちそのままだった。


誰もが皆、孤独な闘いを続けている。
香は撩の孤独を少しでも、自分にも背負えたらとずっと思っている。
そうじゃなきゃあのハタチの夜に、彼の相棒に立候補した意味が無い。
撩が好き。
撩を愛している。
それだけでは足りないもっと深い気持ちが、香をいつも突き動かしている。


こうして撩を信じて待つ事も、解決の為の何らかの糸口になる筈だと香は信じている。


(つづく)



スポンサーサイト



[ 2014/11/03 13:19 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

ケシ子の3D二次創作。

おはこんばんちわ、ケシでっす(*´∀`*)ノシ


いやぁ~~すっかり肌寒い今日この頃ですね。
本日、ワタシは仕事帰りに手芸屋へと寄り道をしたのですが。
本来、毛糸を買おうと思って立ち寄ったにも関わらず、
なんと初めて羊毛フェルトの材料と道具を買っちゃった(予定外)

手芸全般、大体なんでも好きなケシ子ですが。
羊毛フェルトは何だかやらず嫌いだった訳です。
だって単純でしょ~~~。羊毛丸めてチクチクやるだけだし。
どちらかというと、七面倒臭い方が好きなタイプなので。
延々、チクチクやるだけの羊毛フェルトをわざわざやってみようとは今まで思わなかったのです。
でもですね、なんだか突然やりたくなったんですよ。
多分、肌寒いからでしょうね・・・
羊毛ですからね、何しろ。



という訳で、ニードルから何から一気に衝動買いしたケシ子ですが
(当初の目的であった毛糸も無事購入。)
勿論、まず初めに作ったのは。
シティハンターファンなら、当然作るよねって事で。









2014-11-04-23-27-06_deco.jpg
こちら。
軽いけど、100tです。


2014-11-04-23-27-35_deco.jpg
反対側は、天誅仕様となっております。


2014-11-04-23-28-01_deco.jpg
てっぺんに金具を埋め込んでみた。
これで、家の鍵にも付けられるし、ファスナーのチャームとしても使えます。
けれど多分、付けません。


2014-11-04-23-53-15_deco.jpg
大きさはこんな感じです。




いつもこんな事ばかりしている、しょうもない中年です。
皆様、お風邪など召されませぬよう。
ごきげんよぉぉぉぉおお
ばいちゃ。



[ 2014/11/04 23:57 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

⑬  黒幕

撩は港へと車を走らせながら、数十分前の事を思い返す。


ミックの話しに寄れば、香はトイレに行って来ると言い残したまま連絡が途絶えたらしい。
資料室から一番近い女子トイレ。
撩はその入り口付近に立ってみた。
その会社の各フロアの要所要所には、防犯カメラが設置されている。
通常ならばそれは、単なる防犯用で。
従業員を監視するような目的の物では無い。
その日のその時間、香もこの場所に立ったはずだと撩は考える。
その場所の思いの外近くに、カメラは設置されている。
撩は迷わず、一階の守衛室へと走った。













ウチの奥さん、発明好きでさぁ。

へぇぇぇすごぉおいっっ どんなもの発明したんですか?

この間は、カラス撃退用ヘルメットをね。

・・・ははは。





薄暗いその部屋は、どうやら使われる事の無くなった何処かのオフィスの会議室の様な所だ。
香と沢田が拘束されていた周りには、古い事務机やスチール棚がまるで押し込まれるように置いてある。
解るのは先程男が出入りしたドアだけで、暗幕でも引いてあるのかその中はやけに暗く。
何処に窓があるのか定かでは無い。
もしかすると、押し込まれたガラクタが完全に採光を遮ってしまっているのかもしれない。
2人は下手に動いて危険を冒すよりも様子を見る事にしようと、呑気に構えていた。
けれど、互いに1人きりでは無かったからこそ、落ち着いていられた。
開口部の少ない密室は、初めの内こそ寒さを感じていたものの慣れればそれほどでも無かった。
2人は先方に怪しまれないよう、拘束されて転がされたままの場所に並んで座り込んだ。









恩田琴美さん?




撩が海外事業部を訪れると、数人の女性社員からの視線を感じた。
初めて見掛ける男性社員、しかも超絶イケメン。
その視線の種類は、およそ仕事とは関係無さそうな好奇心に満ちた物だった。
撩は心の中で、やっぱ俺イケてるわぁ、と思ったけれど、そんな場合じゃ無かった事を思い出す。
彼女の向かいの席は空席で、それもその筈。
今その向かいの女はシャツ一枚の寒々しいスタイルで、何処かに監禁されている筈だ。
この恩田琴美という女が、薬を用いて意識を失わせている間に。




その男の目には、不思議な力があって。
何処か心の奥底を射抜くような、黒い光を宿していた。
彼が何も言わない前から、槇村香の事を訊かれるんじゃないかと予感した。




突然現れたイケメンが、恩田琴美の前で声を掛けたのを。
他の社員たちが遠目に仕事をしているフリで観察する。
撩は気配や空気を読む事に関しては、野生動物並みに鋭いのでそんな周りのリアクションを、
解っていて解らぬフリをする。
香が座っていたと思しきデスクを挟んで、向かい側に座る表情の強張った女。
撩はゆっくりと、手前のデスクを観察する。
ブロック型の黄色いメモ用紙には、香の文字でメモ書きが残されていた。
他の誰か宛の電話の取次メモ。
それは確かに香の字で、メモの端っこにクルクルとペンの試し書きのような線が描いてあるのは、
電話をしながら手持無沙汰な時の、香の癖だ。
撩は新宿の2人のあの部屋のリビングの電話の横のメモ用紙を思い出す。
帰りたい。
今すぐ。
アイツと2人で。











あ!



突然、何かを思い出したように声を上げた沢田に、香が首を傾げる。
沢田はニッコリ笑うと、香に着せたジャケットの胸の内ポケットを探るように言う。
香は不思議そうに首を傾げながらも、そのポケットを探ってみる。



・・・あ。


それは細長い形の紙の箱。
1粒で2度美味しい、キャラメルの箱だった。





良かった、それは取られなかったようだ。



そう言って笑う推定50代男性は、かなりお茶目だと香は思う。
何処か似ていると思う。
自分の最愛の相棒に。
2人はクスクス笑いながら、1つずつキャラメルを頬張った。











沢田常務の秘書の冴羽です。 幾つか、あなたにお伺いしたい事があって来ました。




そう言って彼は笑った。
俺はここでもイイけど、場所変える?と訊かれたから。
恩田は頷いて、撩の先を歩いた。
社内ではまずいような気がして、会社の傍の地味な喫茶店に撩を案内した。










沢田常務が、今現在、失踪されてね。




そう切り出した男の話しが、恩田には意外だった。
てっきり、槇村香の事を訊かれると思っていたからだ。
沢田常務の事などは、何も知らない。




それと時を同じくして、女性社員も1人消えている。



恩田はその時漸く、怯えたように俯いた。
その彼女の反応を見ながら、撩は彼女が何処まで関与しているのだろうかと簡単に探りを入れる。






3階のトイレの前の廊下でね、薬を嗅がされたらしいんだけど。  そうだったよね?

    ・・・え?

君がやったんだもんね?そっちの方は。

・・・・・・。

で、常務の方はどうやったんだ?

わ、わわ私。

ん?

常務の事はっっ  何も、知りません。




撩は険しい顔を作って、彼女を凝視する。




へえ。常務の事“は”? じゃあ、槇村香のほう“は”、やっぱ何か知ってるんだ。



恩田はハッとする。
言葉の端々には、無意識の内にボロが出てしまう事がある。
彼女は確かに、槇村香の事は知っている。
男に頼まれたのだ。
大好きな男だ。
彼が自分を都合よく利用している事などは、重々承知だけど。
それでも、頑張ると少しだけ嬉しそうにしてくれる。
それだけの為に、恩田は彼の為に何かをしたかった。
槇村香に、恨みは無い。
イイ子だったと思う。
でもあの後、彼女が何処に連れて行かれて、何がなされているのかなど。
恩田は知らない。




さっき係長に聞いたら、今日あの部署で欠勤してるのは1人だったね。



その撩の言葉に、恩田はハッと顔を上げる。
渡辺主任は今日は、休んでいる。
風邪で熱があるという事らしい。
けれど、風邪などでは無い事を、恩田は知っている。
香の肩を抱くようにして非常階段に向かうと、外階段へと繋がるドアの向こうに。
目立たないように地味な格好をした彼が立っていた。
グッタリと脱力した長身の身体は、華奢とはいえ恩田には重たかったけれど。
渡辺俊介は、軽々と抱えて階段を降りて行った。




渡辺主任は、今何処にいる?

・・わ、解りません。

君は、何を隠してる?




何を隠しているのか、その撩の言葉に恩田琴美は我に返った。
それはそっくりそのまま、昨夜、渡辺に投げ掛けた恩田の言葉だったからだ。
いつもの安ホテルのけばけばしい寝具の上で、彼女は小さな薬品の入った瓶を渡された。
君は何も知らなくてイイから、ただ槇村香を眠らせて連れて来れば良い。と言われた。
そんな事を言われても、それは明らかに犯罪だ。
だから彼女は珍しく、強い口調で男に詰問した。
何を隠しているのかと。
何を隠して、自分に悪事へと加担させようとしているのかと。
けれど、男は調子よく曖昧に誤魔化しながら、有耶無耶のまま恩田を抱いた。
解っていて自主的に誤魔化されている自分の嫌な匂いを嗅いだような気がして、吐き気がした。

思い出すと自然に涙が出ていた。
彼が良からぬ事をしているのは、知っていた。
聞くのは怖いから、知らぬ振りをした。
多分、とても悪い事。
時々、会社の中の噂や、情報を彼に齎したりもした。
心の何処か片隅では、いつか彼が破綻すればいいのにと思っていた、大好きだけど。
彼が何もかも失って、途方にくれた時に自分だけが味方で居れば。
その時は彼も、自分だけを見てくれるかもしれないから。
でも、そう考える事はきっと。
彼の悪い企みと同じだけ、悪い事なんだろうと恩田は思う。






彼女が泣きながら、フルフルと首を振る。
解りません、と小さな声で呟く。
でも多分、主任は悪い事をしています、と。







撩は恩田琴美を喫茶店に残し、足早に店を出て駐車場へと向かいながら教授へと連絡を取った。
早急に調べて欲しいのは、渡辺俊介と彼に接点のある税関職員について。
それが解れば、事件は自ずと切り崩される。
目指すは、港の広大な面積のコンテナ荷捌き場の何処かだ。


(つづく)




[ 2014/11/07 22:10 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

⑭ 同じ部屋

あ、あのさぁ。りょお・・・

ん?

こ、ここここの部屋だけなの?

うん。充分だろ、これだけ広けりゃ。





確かにその部屋は、充分すぎる程充分に広くて贅沢だった。
だから香が言っているのは、
スペースの問題ではなく今夜ここに相棒と二人きりだという事への困惑の表れである。
丸1日前の今頃、ちょうど撩が香と沢田を助けに来てくれた。
それから1日しか経っていないのに、この急激な状況の変化に香は上手く付いて行けずにいる。








港の税関の建物が新しく改装工事を終えるのは、来年の春の予定らしい。
今現在は、仮に設けられた事務所と改装が済んだ部分から順次移転している。
とは言え、同じ港の敷地内での話だ。
以前に使われていた建物は、取り壊しにかかる準備の為に足場が掛けられ、
工事用の防音シートで覆われていた。
取り壊し工事も着工前で、税関の職員も用が無いその場所は誰も近付かない死角となっていた。
香と沢田が閉じ込められていたのは、その建物の一室だった。
処分される予定の古いオフィス用品と共に遮光カーテンで閉ざされていた上に、
建物を覆うようにシートが掛けられ、その上外では雪が降っていた。
さすがに、あの段階で凍死されたら段取り的にまずかったのだろう。
辛うじて通じていた電気を使って、空調だけは使ってくれていたので二人は凍死せずに済んだ。


撩は港に到着して、一番にその建物を疑った。
だだっ広い港の敷地だとしても、其処此処に何らかの人々が動き回り、
ひっきりなしに届く海上の輸送船からの荷物を、淡々と捌いていく日常が流れている。
時間が止まっている場所はそこだけだった。
平日の真っ昼間、香と沢田は人目を避けるように拉致されて来たのだ。
その建物ほどお誂え向きの隠し場所は無いだろうと思う。
意外と浅はかな犯人の目論見に、相手は素人だなとピンと来た。
勿論、犯人の内の一人、渡辺が素人なのは間違いないけれど。
渡辺はむしろ一番下の使いっ走りに過ぎないだろう、
それと肝心の仲根製作所側の内通者というだけの役割だ。
彼一人でやれるような犯罪ではない。
そして、この時の撩の予感は、結果としては正しかった。

渡辺を操って不正輸出を企てていたのは、税関の職員の一人だった。
男は金光 哲治という、元在日3世だった。
彼の祖父のルーツは北朝鮮系で、第一次大戦後に日本に渡って来ている。
どういう経緯があったのかは定かではないが金光哲治は小学校に上がる前に、
父親と共に日本に帰化している。
戸籍上は、日本人に間違いは無い。
朝鮮系の日本人ということになる。
ネイティブ並みに話せるハングルと広東語の能力を買われてこの職を得ていたようであった。
なにしろ海を挟んで、取引相手は主に半島と大陸の人達である。
入港する船も圧倒的にその2国のものが占めている。
言葉が解ればそれだけ重宝される。
帰化して尚、彼等の血族の祖国は半島であったのだろう。
祖国の偉大な指導者に報いる為に、軍事転用目的の今回の事件を企てたのだ。
渡辺は、そこまでの事情は何も知らない。
渡辺と金光は、子供の頃からの付き合いだった。
金光が幾つか歳上で、渡辺は子供の頃から大概の悪さは金光から教えられた。


二人とも地元では目立った不良という訳では無かったらしい。
普通に地元で進学し、片や地元の優良企業へ、片や地元の経済を支える重要な要へと職を得た。
けれど、親や近所から見れば普通の良い子でも。
彼等の友人達に言わせれば、彼等は結構な悪だったらしい。
見るからにぐれる訳でなく、
上手く世渡りをしながらも悪どい事がやれるのも他の悪ガキ達とは違っていた。
渡辺が片棒を担いだのは、その様な腐れ縁とのしがらみ及び、金目当てだった。
半島に不正な取引の重機が亘るまでに、大陸を経由する。
その間に複数のブローカーが介在する。
有り得ないほどの金が動いていた。










撩は昨日の相棒救出の時点では、犯人達との接触は避けた。
こっそりとその薄暗い場所に忍び込み、二人を連れてその場を去った。
上記の様な詳しい事情が明らかになったのは、二人を連れ出した後の事だったのだ。
教授の調べで解ったのだ。(撩はいつも思うのだけど、あの狸爺のリサーチ能力は恐ろしい。)
幸い二人には、怪我1つなく。
呑気にキャラメルなど食べていた。
その場所に行き当たって、相棒を見付けると。
彼女は屈託なく、ブカブカのジャケットを羽織っていた。
間違いなく、隣に座っているオッサンの物だと言うことは、
数時間前までそのオッサンと対面して仕事をしていた撩には理解できる。
否、事情が事情なだけに致し方の無い事だという理屈は撩にも解る。
解るけれども、事情と感情とは別問題だ。
撩はムッツリとしながら、相棒のジャケットと。
車に積んでいた己のダウンジャケットを突き出した。
さぞかし撩の可愛い相棒が寒がっているだろうと慮って、持ってきたのに。
キャラメルって。
(因みに彼女は、笑顔で撩の掌の上にもキャラメルを乗せた。撩も撩で遠慮なく食べたけども。)
香はにっこりと微笑んで、自分のジヤケットの上に撩の煙草の匂いのするダウンを着込む。
それまで着ていた沢田のジャケットは、元通り持ち主の手に戻る。
取り敢えずは、ばれないように脱出するぞ、と言う撩に続いて二人は後を追った。



それからは、あっさりとしたものだった。
人質が脱出したことすら気付いてさえいなかった、悪党二人を拘束したのは。
東京の捜査本部から遠路遥々赴いていた、公安だった。
今回の事件の依頼人は仲根社長であると同時に、
教授の働きかけにより公安の関係者も一枚噛んでいた。
今後の成り行きは、冴羽商事の知ったこっちゃ無いのだ。




事件の全容が明らかになったその晩(昨夜だ)、撩は仲根社長と会っていた。
是非にも、何か礼をさせて欲しい、何でも好きなものを、何が良い?と譲らない依頼人に。
それならば、と撩が強請ったのがこのお宿である。
豊富な湧出量を誇る温泉に、窓から臨む荘厳な雪の日本海。
蟹を筆頭に、新鮮な海の幸。
その宿は、数ヵ月先まで予約を取るのが困難な人気の旅館で。
季節はクリスマス直前。
その中でも人気の最上クラスの一室で、簡単には泊まることなど出来ないその部屋を。
地元の有力者でもある彼は、その場で押さえてくれた。
どうやらその旅館にとって、彼は最も大切な顧客らしい。
2日間だけで良いと言った撩に、正月位まで押さえられるけど?と、依頼人は答えたけれど。
それはさすがに撩も丁重に、お断りした。

香にはあくまで、偶然にもそこしか空いてなかったのだという事にしておくつもりだ。
この3週間、一時的とはいえこの街には二人の生活の痕跡がある。
ごく短期で部屋や駐車場を借りて、ひと月にも満たず退去する為には、
それなりの様々な撩のコネクションを活用した。
その後処理をしないといけないから、というのが表向きこの宿に逗留する理由だ。
勿論それは嘘では無いけれど、そんなことに2日間もかからない。
8割方は、撩と香が二人きりになる為の口実に過ぎない。
それに、週末には間に合うように帰らないと、香は怒るだろう。
週末は、キャッツでクリスマスパーティーだから。








香はそんな部屋に泊まるのは、生まれて初めてだ。
そもそも東京を遠く離れて、少しだけこんな風に旅行みたいなのも初めてかもと嬉しくなる。
けれど、そのすぐ後に。
そんな浮かれた気分を戒めるように、
あくまで自分達は、仕事でこの街に訪れているという事を思い出す。
それに、東京にいる美樹の怪我の事もまだ気掛かりだった。
そして気になるのは、この宿の豪華さと料金の事と、撩と今夜ここに二人なのだと言うことだった。
部屋には半分バルコニーにせり出す形で、お風呂がある。
勿論温泉で、大きな窓から雪の降る日本海の荒波を一望できる。
広い居室の襖を開けると、更に奥はベッドルームになっていた。
ベッドは辛うじて2つだけど、それはごくごく近くで隣り合っている。
ここに2泊するらしい。
他には部屋が空いていないらしいから、我儘は言えないし。
撩は特に気にしている風でも無さそうなので、香だけが妙に意識しすぎるのもなんだか恥ずかしい。
そんなことばかり考えていたから、香が気が付かないのも無理はない。
そもそも彼女は、撩の己に対する恋心に関してのみ殺人的に鈍いのだ。


槇村香はまだ知らない。
相棒が意図的にその部屋を用意したことも。
相棒の熱い想いも。
彼が今夜、お互いの関係を前進させようと決意していることも。



(つづく)



[ 2014/11/13 20:27 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

最終話  Breakthrough

厚く垂れ込める灰色の雪雲の切れ間から
目を見張るほどの真っ赤な夕陽が沈む
雲を浮かべた天空は上の方から紺色に染まる
灰色と紺色と茜色の空の下に
白い波しぶきを上げなら寄せては返す荒れた海


飛んでいる海鳥も凍えそうな外の景色とは対照的に、2人の居る場所は暖かだった。
恥ずかしいからという香の言葉に、照明を消した浴室の湯船の中で。
撩は香の背中を包み込むようにして、首筋に顔を埋めた。
香には何もかもが初めてで、今すぐにでも眠ってしまえそうなほどの倦怠感を感じながら、
窓の外の景色に圧倒された。
本当にこの部屋に、撩と2人きりで夜を迎えるのだろうかと考えていた1日前からは、
想像もつかない1日だった。








滅多に食べられないような食事を目の前にして、香は胸が一杯でいつもより食が進まなかった。
それは撩も同じで。
けれど、互いに自分の考え事で精一杯な2人には、そんな事になど気が付く余裕も無く。
2人は珍しくお行儀よく食事を終えた。
風呂にしようかと言ったのは、撩だった。
せっかくあんなに立派な風呂が部屋にあるんだから、入って来いよ、という彼の言葉に。
香は激しく動揺しつつ、離れの大浴場へ向かった。
風呂場の窓は遠慮なくバルコニーに面して、居室の窓から風呂場が見える。
恐らくは、家族や恋人同士で泊まる人向けの部屋なのだろう。
まさか撩が自分の入浴中に覗くほど、自分に興味を抱いているようには香には思えないけれど。
(あくまで、香の見解である。)
何かのはずみで見られたら、死ぬほど恥ずかしい。
そう思って香は、着替えと化粧品を持って部屋を出た。


撩から離れて、温泉に浸かっている時にだけ。
香は漸く落ち着いた気分で、力を抜く事が出来た。
気詰りという訳では無い。
これまで数年間、何の意識もせずに2人でまるで家族並みに生活して来たのだ。
だからそれは、言葉にするのは難しいけれど。
あえて言うならば、緊張していたのだろう。
湯の中で香は、その日1日の撩を思い返した。
撩に連れられて、その宿に着いたのは昼前の事だった。


撩から救出されたその日の晩、香は退去の為に荷物を纏めた。
元々、いつでもそこを離れられるように準備はしていたから、それ程時間は掛からなかった。
事前に撩が揃えておいてくれたモノは、そのままにしておいて大丈夫だと言われたので。
香は自分が東京から持って出た物だけを、また送り返す為に荷造りをした。
そしてその晩の内に、撩が業者を引き連れてやって来て、配送の手筈を整えた。
勿論、撩の方の荷物も同様だ。
ただ撩は、あと2日間だけココに残るからその分の身支度だけしておいてくれと言った。
そして翌日にミニで迎えに来た撩に連れて来られたのが、この宿だった。
ココに2日泊まるから、とだけ伝えて撩はちょっと出て来ると言って、香を1人にした。
恐らくは、この街を後にする為の色々な手続きを済ませてくるのだろうと香にも解った。
夕方に撩が戻ってから暫くすると、部屋に料理が運び込まれ2人きりで緊張しながら食事をし、
そして今に至る。


泉質は微かに粘りがあって、湯の中から腕を持ち上げるとまるで化粧水の中に浸かっているようで。
気持ち良かった。
大浴場には、同じように湯を使う数名の女性がまばらに居たけれど、それ程多くは無かった。
もしかすると、大半の人は夕飯の前に風呂に入ったのかもしれない。
大浴場の窓からも、日本海が見渡せる。
夕方、夕陽が沈むのを風呂に浸かりながら眺めるのは贅沢だろうなと香は思った。
あともう一泊するのだから、明日の夕陽はココで見ようと香は考えていた。
撩は穏やかな顔をしていたなぁ、と香は思う。
いつもとどう違うのかと考えても、具体的にはどういう事なのか香にも解らないけれど。
最近の撩は、香に優しい気がする。
そしてそれが、いつからだろうと暫く考えてから気が付いた。

あの奥多摩での湖の畔の、あの時からだ。

すぐに用意して現場に行くぞ、と言ったアパートのリビングでも。
不安で泣きそうになった香を宥めるように頭を撫でながら、合鍵を握らせた時も。
ミックと3人で飲んだ居酒屋で、あんまり飲み過ぎんなよと苦笑いした時も。
電話越しの声も、言葉も。
全部、撩は優しかった。
その事に、湯の中で突然気が付いた。
今夜、あの隣り合ったベッドで、2人はどんな風に眠るのかな、と香はずっと考えていた。
考え過ぎてのぼせそうになった所で、香は風呂場を後にした。




部屋に戻ると、撩は部屋の風呂を使った後だった。
いつもならテレビを観ながらビールでも飲んでいるだろう相棒は、
神妙な面持ちで香が戻るのを待っていた。
この直後の撩の言葉に、香はこの宿を撩が用意した意味が漸く解った。
撩に誘われるまま、香はベッドに入った。
怖くは無かった。
撩も緊張していたんだという事が、何故だかよくわかったから。
2人で初めての事に挑戦しようと、そう思えた。
これまで何だって2人で一緒に乗り越えて来た。良い事も悪い事も。
だからそれは、今回2人が乗り越えなければならない大事な局面なんだと自然にそう思えた。



狂おしい程の快感と痛みが綯交ぜに交差する夜の中で、香は何度か意識を手放し、
気が付くとまた、撩の手によって高められた。
撩の手は熱く乾いていて、手で触れた後を追うように唇が香を撫ぜた。
何度も口付け合った。
一度昇り詰めた後、撩が告白した事実に香は驚いたけれど、思わず笑ってしまった。
香が酔い潰れて撩が連れて帰ったあの晩、香の寝顔に撩がキスした事。
ごめんな、初めてのキスが実は寝てる時で。と、済まなそうに笑った撩が香は無性に可愛く思えた。
香の胸に顔を埋めて、照れ隠しする撩の頭を抱き締めた。



忘れたの?りょお。はじめてはあのガラス越しだよ?


香がそう言うと、撩は泣きそうな笑いそうな複雑な表情で、香をきつく抱き締めた。
そしてもう一度、香を抱いた。
痛みが幸せを齎す事もあるのだという事を香は知った。
そして痛みを与える男の手によって、それ以上の快感を齎される事も。
そのままの自分で良いのだと感情を隠さなくても良いのだと、撩が全身を使って香にそう言っているようで。
香は幸せなのに涙が溢れて、撩が香の頬に唇を寄せた。
香は恐らく、この美しくて強いパートナーが居なければ、もうこの先生きては行けないだろうと確信した。
この手も声も瞳も唇も。
全てが愛おしい。撩に抱かれながら、香は撩の手を握った。
決してこの手を離さずにいようと思った。
それに答えるように、撩も大きなその手で香を優しく包んでくれていた。




朝も昼も、食事は隣の部屋に運ばれていたのを香も解っていたけれど。
そのまま置いといてくださいと、撩は仲居さんに言った。
多分、そういう遣り取りの合間に撩が、軽い冗談で仲居さんを笑わせているんだろう。
香は微睡みながら、そんな声をベッドの中で聞いていた。
撩はまるで香を甘やかすように、食事をベッドに運んだ。
2人で他愛も無い話しをしながら時間をかけて食事をした。
浴衣の下の撩は裸で、同じように裸の香が横になるベッドに浴衣を脱ぎ捨てると潜り込んだ。
1日中、撩は香を腕の中に抱き締めて、ただ何をするでも無く口付たり髪を撫でた。
これまでとのあまりの変わり様に、香が一度その事を指摘すると。
撩は意地悪な顔で香の頬を摘んだ。


俺がどんだけ我慢してたと思ってんだ、このやろ。


そんな事を言うもんだから、香は笑いながら涙を零した。
片想いしていたのは自分だけだと思っていた。
だから、撩の優しさに気付けなかった。
これからは、幾らでもそんな撩に気持ちを返してゆけると思った。






香がベッドの中で、昨晩の大浴場での話しをするから。
それなら一緒に見ようと、撩はそう言った。
日本海に沈む夕日を、温泉に浸かりながら眺めてみたい。
恥ずかしがる香を宥めつつ、風呂に湯を張り、抱き上げて連れ込んだ。
刻々と様子を変える外の景色を2人で見ながら、撩は湯船の中でもう1度香を抱いた。
グッタリと力を抜いて己の胸に体を預ける彼女の首筋に、鬱血の華を咲かせる。





・・・綺麗だけど、なんか少し怖いね。


厚く低く垂れ込めた雪雲は、灰色で。
太陽が水平線に沈むにつれて黒くなる。
黒と紺色と朱と灰色の混ざった空は、自然と人の心に畏怖の念を抱かせる。
ポツリとそう言った香に、撩も何故だか武者震いする。

この世は綺麗だけれど恐ろしくて儚くも毒々しい。
たとえ2人が殺し屋とその相棒で無くとも、いつどこで何に飲み込まれてしまうかも知れない。
未来は明るく、そして同時に恐ろしい。
喪いたくない者が出来た時、その本当の怖さを心の底から実感する。
それでも僚は、決してこの柔らかな相棒を離さないでいようと思う。
薄汚い恐ろしい禍々しいものから、彼女を守り通そうと改めて心に誓う。




怖くないよ、香。
2人なら、怖くない。



撩が胸の内でそう言ったのを、まるで聞こえたみたいに香は撩を振り返ると、
ニッコリと微笑んで、撩に口付た。
思いがけず、撩の目からは涙が溢れたけど。
照明の落とされた湯気の中の浴場で香には気付かれずに済んだ。
この腕の中の柔らかで華奢な相棒が、実は世界で一番強いんじゃないだろうかと撩には思えた。






(おわり)


もしかすると、この後の事を少し書くかも・・・
気が向いたら。




[ 2014/11/16 13:58 ] Breakthrough | TB(0) | CM(5)

30. 明日の予定

明らかに失敗したなぁ、と香は思う。

つい数日前に、依頼を完遂し。
午前中の伝言板の確認の時に、銀行へと赴いた。
ご丁寧にも依頼人は昨晩、指定の口座へ送金したと連絡を寄越してくれたので、無駄が省けた。
ATMを操作して、公共料金の引き落とし口座へと過不足無く移すと香は生活費を少しだけ引き出した。
撩は、香が転がり込んだ初めから。
2人で請けた依頼の報酬の管理は香に一任してくれているので、
(主に生活費の面で)何にどれだけ経費が掛かっているのか、きっと詳しくは知らないだろうと香は思う。
香は締まり屋だから、2人の生活に関する諸々の出費は非常にタイトに抑えられている。
撩のツケに関しては、またこれは別問題だし、
生活費とは別に枠を設けているので家計簿とは別の帳簿だ。(因みに、これを撩が見る事も無い。)
日頃、口煩く撩にも節約を求める香だけれど。
これらの金が、非常に大切なものだという事が解っているからこそ、口煩くもなるのだ。
依頼人から頂戴する報酬は、普通の生活では考えられないような大金だ。
それを託してでも、2人に縋らざるを得ない人たちの苦労の結晶で。
撩の身を危険に晒して得た大事なものだ。
一円たりとも無駄には使えないと、香はいつも肝に命じている。


だからスーパーの特売ともなれば、俄然、血が騒ぐのも無理は無い。
そうした情報を上手く活用しなければ、とてもじゃないけれど生活費は幾らあっても足りない。
何せ同居人は、1人で5人前くらいを平然と平らげる大飯喰らいなのだ。
朝、朝刊の折り込みチラシに入っていた、最寄りのスーパーの特売情報は、
きっと神様からの贈り物に違いないと、香は朝食の納豆を混ぜながら天を仰いだ。(室内だけど)
朝食を食べながら、洗濯機も回して、チラシのチェックまで済ませる香の目に飛び込んできたのは。


新米・コシヒカリ(5㎏) 1580円(税別)


安い。
しかも昨夜、依頼人からの入金の連絡も入ったこのタイミング。
これはきっと、香にこの新米を買えという神の啓示である。
本当ならば10㎏くらい買っておきたい所であるが、それを抱えて帰る事を考えたらそれは躊躇われる。
それに、きっとその米を求めてやって来る客は、香1人では無いのだ。欲張ってはいけない。









この季節がいけないんだと、香は思う。
新米は無事、GETした。
5㎏分の重量が、ビニール袋を通して香の腕に食い込む。
しかしそれだけでは無かったのだ。
人並み以上には、腕力に自信のある香だけれど。
さすがに買い過ぎた。
新米に始まり、大きなサツマイモ、カボチャ、大根、玉葱。
どうしたんだこの店、儲ける気あるのかと疑問に思うほどの安売りをしていた。
こんな日に限って、シャンプーの詰め替えまで大特価だし、ポイント5倍デーである。
余程、一度帰って出直そうかとも思ったけれど。
レジに並ぶ長蛇の列を横目に見ると、とてもそんな気にはなれず。
香はええいままよと、めぼしいものを籠に放り込み、今に至る。

嫌な予感はもう既に、袋詰めをしている時から感じていた。






・・・・・・なんで、こんなよりによって重たいモンばっか・・・馬鹿じゃないの?アタシ。



最短距離で家に帰り着く為の、近道の公園内でふと我に返って立ち止まった香の呟きである。











階段の下から、香が大きな声で朝メシが出来たと叫んでいたのは知っていた。
いつもなら、数回叫んでも静まり返った7階寝室に、
業を煮やした香が突入し、一暴れした後に撩の朝が始まる。
本当は大きな声で呼ばれた段階で、とっくに目は覚めているけれど。
撩は香がやって来るまでは、絶対に起床しないと決めている。
特に理由は無い、ただの構ってちゃんである。
冴羽撩は見た目に寄らず、結構甘えん坊なのだ
尤も、彼が全力で甘えるのは、同居人である槇村香に対してだけで。
しかし彼女はそんな彼の些細な甘えになど付き合っている程暇では無いので、結構冷たい。
傍から見れば、俺様な彼に献身的に尽くす健気な彼女、という図式で認識されている2人は。
実のところ、意外と甘えたな彼とアッサリとした彼女だったりする。


その朝(ほぼ昼)は、幾ら待っても香の突入は無かった。
その代わり、玄関ドアが静かに開閉する気配と彼女が不在である証の静けさが満ちていた。
撩は暫く、枕元のフリップクロックの薄いプラスチックの板が時間を刻む音を聴いてたけれど。
香が居ないのでは、寝床でウダウダしていても意味は無いので起床した。
キッチンにはいつもの撩の席に、伏せられた茶碗とお椀。
コンロの上のホーロー鍋には、しじみの味噌汁。
ラップを掛けられた皿には、昨夜、撩が飲みに出て食べなかった夕飯の残りの生姜焼き。
深めの鉢には、冷めて味の染みた筑前煮。
小皿には、少しだけ甘い香が作るいつもの玉子焼き。
朝から些かヘヴィなメニューと量だけど、これらは至って通常の冴羽撩に用意された朝食だ。

そして、テーブルの上の忘れ物で、彼女の今朝の不在の理由が解る。



安っぽい紙質の目がチカチカしそうなカラー写真の折り込み広告には、
重要な、しかし冴羽撩にはほぼ関係の無い情報がこれでもかと盛り込まれている。
油性の赤マジックで、大きく囲まれたコシヒカリの写真の下には、大袈裟な大特価の文字。
彼女がその先着50名様限りという小さな文字を見逃す筈は無い。
これでは確かに、怠惰な相棒の寝覚めの世話など焼いてる暇は無かろうと、
当の怠惰な相棒は大きく頷く。
朝食は毎度の事ながら、非常に旨く、撩の空腹を存分に満たした。
贅沢を言えば、食後の相棒のコーヒーが足りないけれど、特売ならば仕方のない事なのだ。











あ、りょお。 おはよう。



もう少しで、公園の出口に差し掛かるという所で、咥え煙草で現れたのは件の大飯喰らいの同居人だった。
公園内に植えられた樹木は、殆どが紅葉を迎えていて、ハラハラと落ち葉が舞う。
撩のショートブーツが乾いた落ち葉を踏む音が、香に近付く。
撩はおはようも言わずに、香の前に立つとスッと腕を差し出した。




ん。

ん??


同じたった一文字の音を発したコンビの、その音のアクセントが全く違う。
撩は意味の通じない鈍い女の腕からひったくるように、ビニール袋を取り上げる。
その時になって、香は漸く気が付く。
いつも撩より、ワンテンポ遅いのだ。
少しだけにやけた顔を誤魔化すように、香は次の瞬間には軽口を叩く。





なぁに? 珍しいじゃん。さては昨日、またごっそりツケ増やしたな?



そんな事を言いながらも、香の声音は笑みを含んでいる、怒ってはいない。
撩は胸の内で、素直じゃ無い奴、と思う。
オンナ扱いしないならしないで怒るくせに、偶にこうして優しくすると慣れていないから、
リアクションに困っている。
可愛いヤツだと思っているのは、未だ彼女には内緒だ。
別にこれと言って、彼女をオンナ扱いしないのに理由は無い。
すぐにでも最大級のオンナ扱いで、その清らかなヴァージンを美味しく平らげてやっても問題無いけれど。
でもこの絶妙な距離感をもっと楽しんでいたいという気持ちも無くは無い。




まぁ、たまにゃ良いだろ。




煙草を咥えたまま撩がそう言ったので、煙草の先から灰がボタン雪の様にふわりと落ちる。
お米も野菜も、重たいものは全部撩が持ったので。
香の手には、シャンプーとリンスの詰め替えだけが入ったビニールが残された。
軽い袋をぶら下げながら、撩の隣を歩く。
撩の横顔を見上げると、顎の下に少しだけヒゲの剃り残しがあった。
2人で落ち葉を踏み鳴らして歩く傍から、ハラハラと落ち葉は降り積もる。
赤や茶色や黄色い枯葉が、まるで雨のように撩の上に降り注いで。
真っ黒な癖毛の上に、枯葉が1枚落ちた。




ねぇ、りょお。 マフラー編んだげよっか?


そう言った香に撩は何も言わなかったケド、少しだけ小さく微笑んだから。
香は編んであげようと思った。
何色の毛糸にする?と訊きながら、撩の髪の毛に付いた落ち葉を摘む。
一応は訊きながらも、きっと香は自分で好きな色を選ぶんだろうと、撩は可笑しな気持ちになる。
これまでの撩の人生に於いて、こんな風に誰かと生活を共にし、世話を焼かれた事など無かった。
きっと他の誰かが、彼女と同じ事をしたならば。
撩にとってそれは、不快以外の何物でも無いだろう。
でも、彼女なら別に撩に何をしたって構わない。
そんな風に思っている自分自身に、誰でも無い撩自身が最も驚いている。



何色にしよっかなぁ



そう言いながら落ち葉を蹴って歩く香の明日の予定は決まった。
伝言板を見た帰りに撩のマフラーの為の毛糸を選びに行く。
短い秋の間に急いで編まないと、もうすぐ冬が来る。
彼女だけが秋の日差しの中で、
相棒の胸に燻ぶる熱い感情に未だ気が付かないまま楽しそうにはしゃいでいた。








11/22は、良い夫婦の日なので言い換えれば、冴羽商事の日ですね。
一線越えようが越えなかろうが、2人はほぼ夫婦みたいなものだと思うのです。

架空の星座

ラップが切れていたからと、香は自分に言い訳しながら夜道を歩いた。
コンビニに行くよりも明日の朝、スーパーに行った方が安いという、
至極当たり前の事を囁きかける、頭の片隅の冷静な声を聞かなかった事にして香は歩く。


吐く息は白い。
もう冬なんだなと、改めて実感する。
撩から貰ったボロいジーンズにハイネックのシャツ、その上にぶかぶかの撩のセーターを被る。
突っ掛けたスニーカーは、ナイキのコルテッツで紺色と黄色のコンビだ。
そんな恰好がまるで少年のようだという事には、香はまるで頓着しない。
彼女には、自分の価値をとりわけ女性としての価値を自覚していない節がある。
尻のポケットに小銭入れのがま口を捻じ込み、右手にアパートの鍵を握っている。
撩が夕ご飯を食べて出掛けたのは、数時間前の事だった。
香が風呂に入って、明日の朝ご飯の下拵えを軽く済ませ、深夜番組を観てもまだ帰って来ない。


香の家族は、みんな死んだ。
最後に兄が死んだのが、香のハタチの頃でもう誰も居ない。
居るのは撩だけだ。
撩にも家族は居ない。
本当の両親は誰だか解らないし、撩を鍛えた育ての父親も死んだ。
撩が殺した。
だから、撩も香も家族の居ない者同士一緒に生きている。
殺し屋とその相棒、非現実的なようでいて実際には、至って平凡な暇人2人は一緒に生きている。
それでも撩は時々、1人でその平凡な世界を抜け出して、夜の闇に出掛けて行く時がある。
今夜がそうとは言い切れないけれども。






撩が真夜中の街で、相棒を見付けた時。
彼女は白い息を吐きながら、鼻の頭を赤くさせていた。
手には白いコンビニのビニール袋。
何してんだ?と問うと、 ラップ、切れてたの。と小さく笑った。
ラップを買いにどんだけ時間をかけて、何処のコンビニまで行ったのかは不明だけれど、
撩は敢えて訊かずに小さく頷く。


人を殺した。
悪い事を沢山して、無知で愚かな女を沢山食い物にした悪い男を殺した。
悪い男を悪い男が殺して、闇に葬った。
殺した男を無知で愚かな女が、冬の夜の中を探して迎えに来た。
ただそれだけの事だ。
街は何事も無かったように賑わい、夜を謳歌する。
真夜中なのに、この街は明るい。
淀み無いヘッドライトの川も、ネオンの星々もまるで架空の星座のようにキラキラと輝く。
その下に澱のようにどんな凄惨な世界が沈澱していても、上辺だけは上等だ。
撩も香も解っているから、互いだけを信じ合って生きている。
わざわざ言葉にはしない。



香の瞳はいつも澄んでいて、撩に色んな事を語り掛ける。
それはまるで何も知らない子供のようで、撩は見ていていたたまれない気持ちになるから。
目を逸らすのはいつも、撩の方だ。
世の中のしくみを、星座の読み方を、恋の秘密を、知らない言葉を訊ねるように彼女は。
この世界の全ての秘密を、まるで撩が知っていると信じて疑わないような瞳で撩を見上げる。
教えてやりたい事は、やまほどある。
それでも撩が彼女に教えられる事も、実はやまほどある。
彼女が撩に憧れているのと同じ質量で、撩も彼女に憧れている。


撩は自分を探して夜道を歩き回った彼女の冷たい頬に、そっと唇を寄せる。
一度目は額だった。
二度目はガラス越し。
そして、三度目。
冷たい頬に、一瞬にして熱が戻る。




撩が香の頬に触れた時、香の鼻腔にアルコールの匂いと硝煙の匂いが届いた。
酒を飲んでいたのは撩の筈なのに。
香はまるで度数の強い酒を飲んだ時のように、胸の中にカァッと焼けるような熱の塊を感じた。
シャンプーの匂いの撩の黒髪が、サワッと香の鼻先を掠めた。
ドキドキした。
離れる時に撩は楽しげに、クククと笑った。


この、不良娘。深夜徘徊なんかしやがって。


そう言った背中が小さく揺れて笑っていたけれど、香が不良娘なら。
撩も不良中年だと、香は思う。
別に迎えに来た訳じゃ無いもん、ラップが無いと困るんだもん。ともう一度、香は自分自身に言い訳する。



ばぁっか、りょおのスケベッッ



すぐ後ろを歩きながら、可愛い相棒は照れ隠しに憎まれ口を利いている。
まだまだお子ちゃまだなぁ、カオリンは。と撩は思う。
自分に関係の無い世界の事など知らないし、興味も無い撩だけど。
香に教えてやれる色恋の色々ぐらいは知っている。
それでも彼女にはまだ早いような気もしている。
それもでそれは単なる言い訳で、
この柔らかで完成された2人の世界で遊んでいたいだけなのかもしれない。


まだ、教えてやんねぇよ。


撩は香には聞こえないように、口の中で呟く。
まだまだ、彼女が目覚めるまで。
彼女の世界が揃うまで。
それは残酷なようでいて甘やかな、幸せな枷となって2人を絡め取る。
吐く息が白い。











『架空の星座』(作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子)
という曲からイメージをしました。
井上陽水さんの歌詞は、艶があって大好きです。
[ 2014/11/30 15:01 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)