あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。

早朝の爽やかな風が助手席の窓から入り込む。
空気には少しだけ、海の匂いも混ざっている。
海沿いの道を飛ばしながら、隣で騒ぐ相棒を見遣る。
夜中の内に依頼を片付けて現場を離れたのは、まだ夜明け前だった。
少しづつ空の色を変えながら昇って来る朝陽と、それを乱反射する三角の鱗のような波を見ながら。
香のテンションは、MAXである。

海沿いの一本道はもう暫く続くので、暫くこの日常からかけ離れた光景を堪能できる。





ねぇねぇ、ちょっとだけ海に降りてみようよ。

やだ、眠みぃ。とっとと帰って寝たいの、リョウちゃん。

ちぇっ、ケチ。




それでも香は、楽しげで。
窓の外に腕を出して、風を受けている。
ほら、危ないから。と嗜める撩は、まるで保護者だ。
早朝の内に帰らないと、道は混み始めるし涼しいのも今の内だ。
だから飛ばしている。
そもそも、法の枠外に生きている男に法定速度は無用だ。
風に乗って漂う香の髪の毛の匂いに昨夜の硝煙が微かに残っている。
意識すまいと思えば思うほど、撩は香を女として意識してしまう。
勿論、香には内緒だ。
そんな風に本音と建前を使い分けて、もう何年になるだろう。
お互いに生きて守り抜くと約束して以来、別に気持ちを隠す必要も無いのだけれど。
撩はこう見えて、意外に照れ屋で小心な生き物なので傷付く事が怖いのだ。
彼女は純粋で邪気の無い分、何が撩を苛むかという事すらまだ知らない。

例えば。
『え?! ヤダ、りょおってば変態っっ』とか、
『アタシ、そういうつもりじゃなかったのに・・・』とか、
『こんなアタシで良ければ、家族に・・まぁ、兄貴みたいなもんだと思って。』とか言われたら、
一生立ち直れない事は、言うまでもない。
そして、彼女ならその可能性も無くは無いと思える所が悲しい。
大体、香は気付かな過ぎなのだと、撩は胸の内で憤る。
空気を読むとか、雰囲気で察するとか、肌で感じるとか、そういうニュアンスが一切、通用しない。


撩は少しだけスピードを緩めて、煙草を咥えて火を点ける。
海風の匂いと、香のシャンプーの匂いと、ライターのオイルの匂いが混ざる。
夏の終わりの匂いがする。
灰を落とすついでに、カーラジオに手を伸ばす。
そしてラジオをつけた瞬間に、スイッチを捻った事を激しく後悔した。
その曲は、撩が一番嫌いな曲だった。
そんな事など露ほども知らぬ香は、先程からのテンションも相まってラジオに合わせて楽しげに口遊む。




やぁれぇ~~ばぁ でぇ~きぃるよ
できるよ やぁればぁ
やぁるぅ~しかなぁぁいぃんだ、か、ら、
やらなきゃ だめなのよぉ~~



香がノリノリで唄うこの部分である、撩が嫌いなのは。
否、嫌いというよりも厳密に言えば、心に深く突き刺さる。
何もこんなに、“やる”を連発しなくたっていいじゃないかと思うのだ。
言われなくても、やりたいのは山々だ。
やることやらなきゃ、この先、2人の関係になんの進展もない事は百も承知だ。
けれどやれない撩だから、これ程までに悶々としているのであって。
“出来るよ、やれば。”
と言われても、やっぱり出来ないのだ。

ていうか、年頃の若い娘がさっきから大声で、やる、やる、なんて唄ってはしたないなんて。
撩は常日頃の己の言動を棚に上げて、そんな事まで考える。
この帰り道の途中、5回ほどラブホテルの前を通過した。
田舎ってなんでやたらラブホが多いんだろう、と思いながら運転する撩だが、
その如何にもな建物は、どうやら相棒の視界には入ってないらしい。
撩にしてみれば自分ばかりがそういう事を意識していると思う事で、更に一人で悶々としてしまう。
華麗なる悪循環である。
撩は思わず、カーラジオのスイッチを捻る。



突然、撩がラジオを消したので香が抗議する。
それは、撩の心を深く抉る2回目のサビが訪れる直前の事だった。
いいとこだったのにぃっっ とふくれる香を軽くいなして、
撩は前方に砂浜へと降りる事の出来るスペースを見付けると、ミニを路肩に寄せた。
その撩の行動に、香は早くも盛り上がっている。
何だかんだ言いながら、りょおも海に寄って行きたかったんでしょ♪と言いながら、
薄茶色の瞳で助手席から撩を覗き込む。
そのいちいちが、撩を煽っているとも知らずに彼女は無防備に振舞う。







歩道から数段の階段を降りると、砂浜特有の固そうな植物が生えていて、
その先に、きめ細かな砂の地面が広がっている。
撩は暫し、その場に佇んで海を眺めた。
時々、車道の方から通り過ぎる車の気配がする以外、波の音しかしない。
車から降りるや否や、波打ち際まで駆けて行った香の背中を見送りながら。
誰に言うでも無い撩の言葉が、空に吸い込まれる。




あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。ってか、俺達ゃいつになったら出来るのかねぇ。
 


もう、夏も終わりかけている。
思いの外、呑気な声音が出たけれど。
実際はこう見えて、非常に焦っていたりもする。
取敢えず、いきなりエッチはまずいから軽くチュウからか、などという腹積もりは、
勿論、彼女には内緒である。












クレイジーケンバンド  『あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。』

という曲からイメージを戴きました。
この曲は、冴羽氏応援ソングにしか聴こえません。
ワタシは、CKBのCDはジャケ買いでついつい買っちゃうんですケド。
中身、ちゃんと聴いてません(汗)
個人的には、横山剣さんの作った株式会社西原商会の社歌が好きです。
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[ 2014/09/01 21:25 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

すげぇぞ、新人職人(笑)

おはこんばんちわ、ケシで御座います(*´∀`*)ノシ


サイケデリック手拭い、罌粟乃屋です。
興味のある方は、追記からどうぞ。
期待の大型新人(ニューフェイス)が、良い仕事をしております(真顔)

HarvestMoon

末端から体幹へ、表面から深部へ

柔らかく齎されるさざ波のような刺激は、

徐々に香の神経を冒し快楽へと浸す。

些細な刺激は、気が付いた頃には大きな快楽の渦となって香を呑み込む。

何度も呑み込み、飽和して、弛緩する。

まるで潮の満ち引きのように、香を持ち上げたり突き放したりする。

その度に香は声を上げ、睫毛を震わす。

香を突き動かす万有引力は、楽しそうに彼女を抱くパートナーだ。







香は秋という季節が好きだ。
体温の高い男は、まだまだ眠りに就くまでエアコンをつけたがるけど。
窓を開ければ、気温の割にはカラッとした秋の気配がもうすぐそこまでやって来ている。
昼間の空の色と雲の形も、数日で刻々と様変わりする。
曜日も時間も誰にも縛られない自由な裏稼業に身を置く2人だから。
香はせめて、季節の移ろいには敏感でありたいと思っている。

夕方、スーパーのタイムセールでの戦利品を片手に帰路に着く香の後ろから。
撩が声を掛けた。
2つある内の重たい方の袋を、何も言わず手繰りながら自然な動作で香の隣を歩く。
軽い散歩を兼ねて、公園を突っ切って歩く香を見付けたのは、きっと偶然では無い筈だという事は。
もう今では、香も知っている。
撩とベッドを共有するようになって、何度目かの季節が巡った。
何気ない排気ガス混じりの空気の中にも、微かに秋の気配は感じられる。
だから香は撩にそう言うと、
撩は自分でもそうと意識しない内に、香以外の誰にも見せない柔らかな笑みを零す。



ええぇぇ、まだ暑ぃし。 全っ然っっ 秋の気配なんかしねぇよ。



そんな事を言う代謝の良い男は、
Tシャツの上から羽織ったジャケットの袖口を折って、額に薄っすら汗を浮かべている。
香はクスクス笑いながら、スカートのポケットから畳んだハンカチを取り出すと、
彼の額の汗を拭き取った。
香のそんな行動に、不意を突かれて無表情になる撩が。
実はメチャクチャ照れているのだという事を、香は良く解っていない。



うん、だから暑いからビール買って来たよ。安かったの。



そう言って香が指さした撩の持つビニール袋の中には、350mlの缶が6本入っている。
家に帰って良く冷やして。
香は、先日教授の家に行った時に貰った銀杏を、ガスコンロの火にかけて炙ろうと思っている。
日が暮れるのが随分早くなった。






風呂から上がって、寝室にやって来た撩がエアコンのリモコンを触る一瞬前に。
香がそれを取り上げた。
ビールを飲みながら抗議する撩に、香は窓を開ければ涼しいからと笑った。
確かに開け放った窓からは、薄い風が柔らかに流れて2人を撫ぜた。


















・・何、見てる?



撩の額からは無数の汗の玉が滑り落ち、肩や背中を流れる汗と混ざり合いシーツを湿らせる。
もはや柔らかく撫ぜる風だけでは、撩の熱は冷める事はなく。
ベッドサイドのキャビネットの上に放置した飲みかけの温いビールの匂いを辺りに撒き散らした。
全部飲み終える前に、口付けが始まって今に至る。
緩やかに抽挿を繰り返しながら、穏やかに撩が訊ねる。
滑らかな香の額に小さくキスを落とすと、その額にも薄っすらと汗の膜が覆っていた。
その水分すら愛しくて、腰だけは使いながら抱き締めて頬擦りをする。
全身で撩を求め、貪りながら。
彼女の瞳は撩を素通りして、ずっと上を見ている。





満・・・月・・だ・よ。

あぁ、十五夜か。



そう言われて初めて、撩はこの夜が満月だったと思い出す。
確かに窓の外がやけに明るいけれど、
如何せん撩は窓に背を向けて必死で、組み敷いた相棒を悦ばせるのに忙しかったのだ。
それどころでは無い。



・・ね・・・ぇ、りょお・・・も見・・てっっ おつ・・き・・・さまあぁぁっっん



撩の動きに合わせて切れ切れにそう言う、彼女の表情を堪能しながら。
撩は満足げに抽挿を繰り返す。
まだ撩は、昇り詰める程の切迫感は無い。
香はもう既に何度か、小さな快楽の波をやり過ごしている。
後は、撩の匙加減1つでこの1回戦の終結を迎える事が出来る。
冴羽撩と言う男は、風情や情緒などに全く重きを置かない男なので。
わざわざ行為を中断してまで、月見はしない。
窓に背を向けて彼女と向かい合っている限り、満月は拝めない。



綺・・麗・・・・だ・よっっ



そう言って眉根を寄せる彼女の方が、余程綺麗でそそる。
彼女の中で、撩の器官が固さを増す。
柔らかいような固いような苦しいような蕩けるような、不思議な彼女の中で。
撩は無意識に、歯を喰いしばる。
気を抜くと多分、アッサリと逝かされる。




しゃあねぇな。


撩は香の耳元でそう囁くと、彼女の丸くて引き締まったヒップを両手で鷲掴みにする。
撩の掌の中に、張りと弾力の塊のような滑らかな肉が包まれる。
繋がったそのままで、一気に体勢を上下入れ換える。



じゃあ、カオリン上ね。



そう言った撩の胸板の上に脱力した香が、しな垂れかかる。
また違った角度で繋がった2人は、暫くそのままで新たな感覚を辿る。
香の柔らかな髪を撫でながら、撩は胸の上に香を抱いて真夜中の月を見上げる。
まるで恋する惑星の様な2人は、互いに引力で惹かれ合い。縺れ合う。
汗で湿った薄い皮膚1枚を隔てて混ざり合えない、互いの内なる神秘を求めて。
2人はそれぞれの小宇宙を、夜毎探索するのかもしれない。

取敢えず、1回目の探索を終えるべく。
撩は香の細い腰を抱き直した。






カオリン、俺。 お月様見たら、狼男になっちゃった。




そう言って耳元で、アオーーンとふざけた遠吠えをしてみせる男に。
少しだけ息の整った香は、思わず吹き出した。
確かにこのモッコリスケベの相棒に、
情緒とか風情とか大人のムードとかを求めても仕方ないという事を思い出したのだ。
そして自分は、そんな彼が大好きなのだという事を。




ねぇ、りょお・・・連れてって。

お安い御用で。



甘えたように強請る彼女に応える為に。
撩はスパートをかけた。
秋の夜長は、まだまだ始まったばかりだ。













なんか、今日は。
中秋の名月らしいっすよ。



[ 2014/09/08 23:12 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

ふと、思いまして。

おはこんばんちわ、ケシです。

あの、ワタシふと思ったのですが。
ワタシの書くお話しって、普通に携帯とかスマホの描写あるけどさ。
80年代から90年代初頭って、携帯無いよね。

実はですね、近い内に奥多摩直後のお話しで中編~長編ぐらい(予定)のお話しを書こうかなぁ。
と、思ってるんですが。
その中に、どうしても電話でやりとりしなきゃいけない場面が多々ありまして。
今まで、そんなことどうでも良いじゃんって感じで適当に携帯電話の描写を書いてたんですが。
気にする人もいるかもなぁと、ふと思い立ちまして(笑)
一応、その辺のワタシの中でのスタンスを明確にしとこうかと思いまして・・・


早い話しが、ワタシの書くお話しにはこれからも携帯電話の描写は書いてゆくと思います。
違和感を覚える方は、どうか見なかった事にしてスルーして下さい。
脳内で、固定電話に変換して下さってもイイですし、
“好みじゃねぇ”
“しっかりとした時代考証も無しに話しを書くヤツは言語道断”
と、お考えになる方は深く考えるのはやめて下さいとしか言えません(笑)

まぁ、今のところそう言った点に意見をされた方はいないので、大丈夫なんだろうなと解釈して好き勝手に書いてますが。
誰でも無い、自分自身で奥多摩後の話しを妄想してて、多少引っ掛かったもので(テヘ)
まぁ、それ言い出したら、何を書くのにも注意書きやら警告文やら余計なモノを書かないといけなくなってしまうので、
先に自分としてのスタンスを表明しとこうと思ったんです。
80年代当時がどうとか、今現在、2人は幾つぐらいなんだろうとか、
律儀に歳を取るシステムは、当ブログでは採用しない事にしております。
従って、携帯とかスマホとか出て来ても、ふ~~~んそんなもんねって感じで流して下さい。

適当ですみません(*´∀`*)ノシ

※お話自体は、近々アップ出来たらと考えております。



[ 2014/09/10 20:34 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

① 別離

その部屋の前で、撩は香の掌の上にもう1つの部屋の合鍵を握らせた。
少しだけ困ったように苦笑いして、しっかりしてくれよ相棒。と言うと、香の癖毛をクシャッと撫でた。




その日の夕方に初めて訪れたそのアパートの1室で、今夜から暫く。
香は独り暮らしをする。
仮住まいのそこは、新宿のアパートの自分の部屋とは全く違って。
見慣れない壁のクロスも、真新しい安物のカーテンも、全てが寒々しい。
大きめのボストンバッグの中に入るだけ。
それだけを持って、香はこの見知らぬ街に来た。
それは勿論、撩も同じ事で。
撩の場合、香以上に荷物は身軽だった。
お互いに、これから暫く必要になるスーツなどは前もってこの部屋と撩の部屋へと送っておいたのだ。
それをちょうど、到着と同時に受け取った。
香は床に直接敷いた布団に寝転んで、
さっきの別れ際、撩がくれた銀色に光る合鍵を天井に吊るされた電灯に翳す。
撩の部屋の鍵だ。
撩の相棒になってもうすぐ6年。
あの新宿のアパートに転がり込む前は、兄と2人暮らしで。
その後はずっと撩と一緒だったから、香は生れて初めて全くの独り暮らしになる。
見慣れない壁も天井もカーテンも淋しいけど。
一番淋しいのは、撩がいないという事だ。







奥多摩の教会で伊集院夫妻が結婚式を挙げたのは、つい数日前の事だ。
結婚式の真っ最中に、新郎新婦を銃撃し、白昼堂々香を攫った連中の大半は。
撩と海坊主で始末した。
残された首謀者とその側近達は、日本警察の手から国際法に則り、インターポールへと引き渡された。
彼等は国際指名手配された、世界中でも最も危険な部類に数えられるテロリストだった。
彼等との駆け引きを制し、香を無事自分の元へと奪還した撩は。
その勢いのまま、香に初めて己の気持ちを告白した。
偶然とはいえ、今までにない湖の畔での良いムードに、
撩は流れでキスでもしてしまいそうな所をグッと堪えて、美樹の緊急オペをしていた教会へと戻った。
相変わらずの奥手っぷりを如何なく発揮して、2人はまだハグ止まりの関係だ。

教会で応急的な処置を施して、その日の内に美樹は教授宅へと運ばれた。
結婚式という一生に一度の大事な日に負傷した新婚夫婦を、香はとても心配し、
同時に酷く、責任を感じてもいた。
そもそも夫妻を狙撃した奴らの狙いは、撩であり香であったから。
事態が急展開したのは、奥多摩から戻った翌日。
美樹の容体を気にして居ても立ってもいられない香と、
無意識に罪悪感に苛まれ憔悴している香の事の方が心配な撩は、2人で教授宅へ美樹を見舞った。
数時間をそこで過ごした帰り際、2人は教授に呼び止められた。





日本海側に位置するうら寂しいとある地方都市。
それから数日の間で、撩はこの街に暫し滞在する為の準備を整えた。
部屋を用意し、最低限すぐに生活を始められるように手配した。
自分だけならもっと簡単に済ます事も出来たけれど、今回は香も一緒だから。
撩はいつにも増して慎重に事を進めた。

夕方、どうにか互いの部屋に落ち着く所までを済ませ、依頼本番は翌朝からだ。
翌日の朝には、撩と香はとある企業に潜伏して秘密裏にとある事件の真相を追究する。
淋しくないと言えば嘘になる。
つい数日前、香に気持ちを漏らしてから。
撩はこれまでに無く、高揚していた。
柄にも無く、香と2人のこれからの生活を色々と妄想しては、幸せ気分に浸っていたのに。
幸か不幸か、教授経由で依頼が舞い込んだ。
しかも結構大掛かりな依頼で、依頼の都合上、2人でシティハンターの相棒同士は、
別居生活を余儀なくされた。
しかも、見知らぬ土地で。

撩は窓際に座って、煙草を燻らせた。
つい先程飲み干したビールの空き缶に、灰を落とす。
普段、香に見咎められたら小言の1つも言われそうな仕業だが。
今のところ、香はいないので誰も撩に煩く言わない。
思い出すのは、秋晴れの陽の光を反射する湖の水面。
ほっそりとした華奢な首筋に絡まる、ホトトギスの花。
日頃あまりしない、香の薄化粧。
こんな事になるのなら、いっそ。
あの時に我慢などせずに、キス位しとくんだったと撩は思い返す。
なんでこんなタイミングでこんな依頼を持ち込むのか、あの狸ジジイはっっ。と思わないでもないが。
それもよくよく考えれば、もしかすると教授なりの計らいなのかもしれないと撩は考える。
どう考えてもあのまま、いつものように暇を持て余した撩と香だったら。
きっと香は、何度謝って何度美樹が気にするなと言ったところで、納得はしないだろうし。
毎日あの屋敷に通いつめ、自分自身を追い込む事は目に見えていた。

夫妻の負傷は確かに謝っても謝り切れない、撩にとっては大きな借りとなったけど。
けれど、周りの連中は皆、裏稼業の人間なのだ。
万が一の事態に、結婚式も葬式も関係無い世界で生きて来たのだ。
だから実際には、さほどのショックを受けている訳でも無いし、
張本人の美樹ですら、香ほどには落ち込んでもいないのだ。
周りの全員がむしろ、香の憔悴ぶりの方を気に掛けていたぐらいだ。
暫く、強制的にでもこうやって環境を変えた方が、お互いに無用に神経をすり減らす事も無いだろう。
撩はむしろ、ちょうど良かったのかもしれないとも思っている。
美樹や海坊主に対してこの大きな借りを返して行く事は、これから先幾らでも出来るのだ。
謝罪の言葉では無く、行動で。





“電話、するから。”

“うん。”

“あんま、心配すんな。大丈夫だから。”

“うん。”




香の言葉数が少ないと、撩はつい励ますような口調になってしまう。
でも、このタイミングでこの状況になった事は、きっとこれから先の2人の関係にとって、
きっと何か深い意味を齎すはずだと、撩は信じている。
夕方、合鍵を渡して香の癖毛を撫でた時。
離れ難くて、思わずこのまま一緒に居ようと言い出しそうになったのは、他でも無い撩自身だった。
寸での所で、それだけは踏みとどまった。
意外と近く、2ブロック先に今夜から香の眠る部屋がある。
互いに、自分の部屋と合鍵を持っている。
電話も出来る。
依頼が終わるまでの、短い期間だけの別居に過ぎない。
それでも、心にぽっかり穴が開いたように感じる撩は。
まるでその心の隙間を埋めるかのように、2本目の缶ビールを開けた。









撩がいないという事が一番だけど。
この数日間、香の心に大きく暗い影を落としているのは、美樹の事もある。
香は脳裏に焼き付いた、血の染みたウェディングドレスを何度も思い出した。
どんな想いであのドレスを、美樹が一針一針縫ったのか。
どんな想いで2人が結婚式を挙げようと思ったのか。
怪我は慣れっこだからと言った美樹の言葉は本当だろうし、
これまで生半可な道を通って来てない彼らだから、怪我ならもっと酷いモノを負った事もあっただろう。
けれど、そういう問題では無いのだと香は思う。
だからこそなのだ、そんな風に過酷な人生を歩んできたからこそ。
2人の大事な日を台無しにしてしまった事が、その原因を作ってしまった事が許せないし悲しいのだ。


香は鈍く銀色に光る撩の部屋の合鍵を眺めながら、考えた。
これから先、自分に出来る事は何かと。
そしてこんな時に東京を離れて、こうして依頼を無事に遂行する為には、自分はどうあるべきかと。
頑張ろうと思う。
撩のアシストの為に出来る事は、全力で。
淋しいという言葉は封印しようと、香は心に誓った。




(つづく)


[ 2014/09/11 22:03 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

② 不正輸出疑惑

その町は、日本海に面した港町で主な産業は漁業だ。
若者の漁業従事者が減る一方の昨今、
その町を拠点として上場企業にまで成長したその重機製作会社は。
何の変哲も無い地方都市にあって、若者の雇用先として大きな役割を果たしている。
11月の終わり、東京はまだまだ冬というより秋の風情だったけれど。
この町はもう既に、冬景色だった。
積もってこそ無いけれど、朝晩はチラチラと雪が舞っている。
仲根重機製作所は、戦後の経済成長とインフラの整備に連動するように発展を遂げた。
都会のビルを建設する時も、道路や土地を整備する時も、重機は大きな役割を担っている。
戦後、先代が起こした小さな製作所は、敗戦をバネにしてどうにかこの国を立て直そうという理念の下、
業界を牽引してきた。
今では、発展途上国への重機の輸出、地雷撤去の為の国際協力にも力を入れている。
つまるところは、何より平和の為に。
少しでも多くの地域で、インフラの整備や安全な街づくりが進められるように。
この会社自体が成長を遂げた今、それが会社の掲げる企業理念だ。


教授経由で依頼を持ち込んだのは、この会社の二代目で社長の仲根忠弘だった。
先代が戦地から命からがら引き上げて、この会社を立ち上げた時。
何よりも一番に目標に掲げたのが、これからの世界を自分達の手で平和なものにして行くという事だった。
それが今、根底から覆されかねない事態に陥っている。
どうやら、社員の中に重機の不正輸出に関わっている者がいるらしいという疑惑があるというのだ。
日本海に面した地の利を活かして、大型の船でアジアの各方面へと重機の輸出を行っているけれど。
これまでその中に、正式に契約を結んだ事実の無い送り先に、数台の重機が不正に送られているという。
目的は恐らく、軍事目的の転用。
その全ての送り先が共産圏の大国でもある、隣国だ。
彼の国に渡っているとなれば芋づる式に、
半島の独裁国家の核開発などにも利用される可能性もゼロでは無い。
もしもそういう事になれば、会社の信用問題どころか、それ以前に国際問題である。
早急に真相を解明して、出来るだけの手を打つ為にも今回撩と香に白羽の矢が当たったという訳だ。
内部に潜入して疑惑の黒幕社員の焙り出し、というのが今回の任務だ。
社長の仲根が関与を疑っているのは、常務の沢田である。
彼は海外取引に関する部門を統括しており、最終的に契約の締結に判を押すのは彼だ。



撩は、この沢田常務付の秘書として配属された。
ちょうど秋口に、前任の女性秘書が結婚を機に退職して後任を据える予定だったのも幸いした。
そして香の配属先は、海外事業部である。
主にそこで海外との遣り取りのメールや文書を翻訳する係りに宛がわれた。
勿論、香に翻訳など出来る訳も無いが、これに関しては教授とミックも絡んだカラクリがある。
そもそも、社長ぐるみの潜入捜査なので香が周りに疑われない為のフォローは万全だ。
唯一、不安な要素があるとすればパソコンや事務機器の取り扱いという初歩的なものだが。
これに関しては、教授宅で依頼を請けてからこの町にやって来るまでの数日で、
香は教授にみっちりレクチャーを受けた。
この会社は、本社はこの地方都市だが東京に支社を構えている。
事務方は主に東京がメインで、本社は大規模な工場と海外事業部がメインである。
東京から転属されて来る者が居ても、なんら不審な点は無い。
しかも仲根社長は、この依頼に際して不自然にならない程度の人事異動を行った。
撩と香以外にも、他に4~5名ほど東京と本社で入れ替わった者が居るので、まず怪しまれる事は無い。
いずれにせよ、これからどの位の期間、この町に滞在する事になるのかは定かでは無い。
不正輸出に関わる犯人を見つけ出すまでは、2人は暫く別居生活だ。
はじめ撩は、何も別々に暮らす事も無いかとも思ったけれど。
新宿のど真ん中と違って、ココは狭い田舎町なのだ。
他に取り立てて大きな雇用先がある訳でも無い町で、多くの人間がこの会社に関連する者だ。
何処で誰に見られているかもしれない状況下では、潜入の事実が漏れないようにする為にも、
撩と香は極力、接点を薄めた方が得策だと思ったのだ。









香が朝、弁当を作る為に起きた時。
冬の朝はまだ明け切っておらず、窓の外を眺めると暗い空から小さな雪の欠片が舞い降りてきた。
新宿では、まだまだ暖房は必要無い気候だったけど。
撩はこの部屋に、小さな石油ファンヒーターを準備してくれていた。
香は狭い台所に立つ前に、ヒーターのスイッチを入れた。


(りょお、ちゃんと起きれたかな。)


香はいつも撩の心配ばかりしているけれど、こと仕事に関する事では信頼のおける男のなので。
きっと大丈夫だろうと、結論付けた。
香はお弁当とは別に、少し多めに朝ご飯を作る事にした。





撩が出社の為にアパートを出た時。
ドアノブに紙袋が提げられていた。
中身は大きなオニギリが2つと、玉子焼きと焼き鮭だった。
お弁当箱など無いから、ラップで包んだ上からアルミホイルで二重に包まれていた。
中には香の筆跡のメモが入っていて、一言だけ。

“朝ご飯、食べてね。”

と、書かれていた。
どのタイミングで食べろと言うのか、撩は思わず苦笑したけれど。
有難く頂戴する事にして鞄と一緒に、紙袋も持って出掛けた。
吐く息が白い、身の引き締まるような朝だった。

これからいつまでこの生活が続くのかはまだ解らないけれど、とにかく。
早く終わらせよう、と撩はアパートの階段を駆け下りた。



(つづく)


[ 2014/09/13 23:59 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

③  東京

冴羽くん、君面白いねぇ~~~  どう? 今夜、綺麗処と一杯?

いやぁ、イイですねぇ。本社に異動になって良かったなぁ。魚は旨いし、酒は旨いし。






そうやって調子を合わせる撩は内心、非常に拍子抜けしていた。
自分が監視する筈のターゲットがどういう人物なのか見極める最初の対面は、
多少なりとも無意識に力が入っていたようだ。
しかし、この沢田という男は予想を斜め上に裏切って、なんとも気さくというかフランク過ぎるというか。
誰もが聞けば知っているような大きな会社の幹部でありながら、飄々とした佇まいは。
冴羽撩としては、他人とは思えない親近感を覚えずにはいられない。




君、ゴルフとか好き?


沢田が人懐っこい笑みで無邪気にそう訊ねた。
そう言われてみれば、彼はこの季節だというのに似つかわしくない小麦色の肌をしている。















教授、ワザとでしょ?



研究室のパソコン越しに、かずえが面白そうにそう言った。
皆まで言わずとも、それが何の事か老獪な狸ジジイにはちゃんと伝わっている。
それと全く同じ言葉を、昨夜は美樹にも言われた。
美樹と海坊主の怪我に関して、香は必要以上に責任を感じている。
そして、表面的にはいつも通りに振舞っていた撩もまた同じく。
確かに賊の狙いは撩と香だった。
彼等の生業を考えると、それはもう仕方のない事で。
誰に責任があるとか無いとかそういう問題ではない事は、身近な人間なら誰もが理解している事だ。
それを頭で理解はしていても、どうしても気持ちが追い付かない事はこれも仕方がない。
伊集院夫妻が、どんなに心底気にするなと言っても気にしない訳にはいかないのが香であり、撩なのだ。




ふぉふぉ、人間、気分転換は大事じゃよ。




そう言ってお茶目な老人は、助手にウィンクして見せる。
つい先程、この助手の恋人で元殺し屋の外人が持って来た差し入れのバームクーヘンを食べながら、
助手の淹れた濃い目の玉露を啜っている。
全く縁もゆかりも無い土地で、誰の目も気にせず、仕事に集中しながら、
互いの存在価値の大きさを再確認するのも、たまには良かろうて。と、老人は笑う。




逢えない時間が愛育てるって言いますもんね。

そういう事じゃ。  かずえ君も、たまには彼に試練を与えてみてはどうかね?

あら、ウチは結構、放置プレイですもの。こう見えて上手い事手綱を引いたり緩めたりしてるんです。

大変じゃのぉ、かずえ君も香君も。悪ガキの相手は。

ほーんとっっ、手が掛かるんですよ。

ふぉふぉふぉ。




しかし悪ガキほど可愛いというのが、口にはしなかったけれど正直な所だ。
傍から見れば、撩もミックもどうしようもない根無し草のロクデナシだったけど。
少しづつ変わりつつある。
かずえが献身的な介護で、ミックの心を解かしたように。
香が真っ直ぐな信頼を寄せて、撩と絆を結んだように。
季節は巡る。




もうすっかり、冬じゃのぉ。



教授が、窓の外を眺めて呟く。
奥多摩の結婚式までは、気持ちのいい秋の様子だったのに。
綺麗に整えられた庭に木枯らしが吹いている。



ココア飲みたいの。

じゃあ、買っておきますねココア。



そう言ってかずえはニッコリ笑った。
この年老いた恩人も、撩やミック同様、手が掛かるけど可愛い男だと思っている事は。
本人には内緒だ。












槇村さんって、東京に住んでたんでしょ?

ええ、新宿です。

良いなぁ~~~、ザ・都会って感じよねぇ。

そういうものですか?

そりゃそうよ、ここは何にも無い町だもん。






皆、都会に憧れるもんよ。と言って、その彼女は笑った。
彼女は香の向かいのデスクに座っていて、初めて香と顔を合わせた時から何かと世話を焼いてくれる。
彼女曰く、この町ではこの会社に入るのが1つの目標であるらしい。
漁師か農家かの家業を継ぐか、自衛隊に入るか、役所に勤めるか、この会社に就職するか。
大袈裟に言うと、選択肢はその程度だという。
郊外に馬鹿でかいショッピングモールが造られ、若者がたむろするのはそこ位。
良く言えば長閑、平たい話しが過疎化が進行しつつある日本中どこにでもある平凡な地方都市だ。

彼女は、大阪の大学に進学して外国語を学んだ以外は、ずっとこの町の親元で生活しているらしい。
たとえそれが格好悪い事だと解っていても、田舎者は都会に憧れるものなのだと、
弁当を食べながら力説した。




私は、憧れたなぁ。 お盆やお正月に、家族で里帰りする友達に。



香はそう言うと、玉子焼きを頬張った。
朝、撩の部屋のドアノブにぶら提げた朝ご飯にも、同じモノを入れておいた。
撩はちゃんと食べているだろうかと、頭の片隅でそんな事を考える。
子供の頃から、あの新宿の街とそう遠くない場所で育った。
同じ区内の古ぼけた団地だ。
香の故郷は、何の美しい景色も無い、美味しい食べ物も無い、排気ガスに煤けたあの街だ。
香はむしろ、こんな風に自然に囲まれて美味しい魚や野菜が沢山あって、
家族とずっと暮らせるほうが幸せなのだという事を知っている。





槇村さん、東京に彼氏とかいるんでしょ?

へ?

美人だし、スタイル良いし。すっごい羨ましいわぁ。

・・・・・・・・。




香の脳内で考えていた事と、彼女の進めていた会話に若干のタイムラグが出来ていたらしく。
突然振られた(話しについて行けて無かっただけだけど)そんな言葉に。
香は思わず真っ赤になって、言葉に詰まる。

“彼氏”

という言葉に、香の脳内に浮かぶのはあのモッコリスケベだけである。
と同時に、あの湖のほとりで言われた言葉がよぎる。

“愛する者”

努めて思い出さないようにしていた、つい最近のあの光景を一瞬で思い出す。
今でも背中に回された、撩の両腕の感触が生々しく思い出される。
髪の毛に顔を埋めた撩の気配、撩の吐息が癖毛を擽る感触。





お、その表情。居るんだな。



向かいの席の彼女はそう言って、おにぎりを頬張りながら香を茶化した。
香はしどろもどろになりながら、いや、あの、彼氏っていうかなんて言うか・・・腐れ縁っていうか・・・
などと、答えてしまう。
けれど、よくよく考えたらこの町には。
撩と香の色々を知る人間は居ないのだし、
嘘を吐いているようで申し訳ないけどこの町に滞在するのは期間限定だし、
確かにあの時、撩は愛する者だって言ってくれたし、
撩は抱き締めてくれたから。
香は、思わずコクンと頷いた。
頷いた途端、急に恥ずかしくなったので。
香は誤魔化す為に、口一杯にご飯を詰めて俯いた。




香の故郷は、東京で新宿で。
あの街には美味しい名物も、豊かな自然も無い。
高度成長で街は成熟しきって、煤けて疲れ果てている。
けど。

ビルの谷間に沈む真っ赤な夕陽や、煌めく宝石のような夜景を知っている。
兄や撩との思い出が沢山詰まっている。
香はあの街が恋しいと思った。
撩と暮らすあのアパートが。
今まで気が付かなかったけれど、あそこが香のホームなのだとその時ハッキリと気が付いた。
遠くから眺めて初めて気が付く事もある。
近くにあり過ぎて気が付かない幸せは、誰しも抱えているものだ。
香も、そしてこの目の前の彼女も。

香は、撩にとってもあの街がそうであって欲しいと、弁当を食べながら思っていた。


(つづく)



[ 2014/09/15 11:17 ] Breakthrough | TB(0) | CM(2)

ケシ子の至極地味な日常の話し(と、思い付きSS)

おはこんばんちわ、ケシです。

この記事は、ケシの日常の他人様には至極どうでも良い話し(お洗濯篇)となっております。
興味の無い方は、スルーでお願い致します(*´∀`*)ノシ

あ、思い付いたので、最後にSS付けました。


[ 2014/09/21 19:50 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

④ 夜更けの電話

(・・・綺麗処ねぇ。)




撩は心の中でそう呟いた。
期間限定の撩の上司は初対面で、綺麗処と一杯どうだと社交辞令を交わし。
その数日後、勤務時間終了と同時に撩を誘った。

今夜、大丈夫?

そう訊かれて、撩は勿論二つ返事で誘いに乗った。
ターゲットを良く知る為にも、酒を酌み交わすのは至極手っ取り早い。
そしてここでもまた、沢田常務は撩の想像の遥か斜め上を超えてくれた。
2人を乗せたタクシーは、市街地からどんどん離れ閑静な住宅街へと進んだ。
気が付くとそこは、小さな高台になっており。
昼間、撩が働いたオフィスのある市街地の灯りも、港の灯りも見下ろす場所に出た。
周りの住宅は高台を上がるにつれてどんどん豪奢になり、タクシーは一軒の住宅の前で停まった。
表札には『沢田』の文字。



(・・・宅飲みかよっっ)

と心の中で撩が突っ込んだ事は言うまでもない。










おかえり~~~~ 信ちゃんっっ

ただいまぁ~~ 美咲ちゃあん



ハイテンションで出迎えた“美咲ちゃん”が、恐らくは沢田常務の嫁なのだろう事は見て取れた。
確かに彼女は美女だった。
高島礼子似の和服が似合いそうな風貌だ。
確かに、彼が言う様に“綺麗処”には間違いは無い。
しかし撩は、正直人妻には興味は無いのだ。ミックと違って。
前もって沢田からは連絡が入れてあったのだろう。
沢田の妻・美咲は、にこやかに撩を招き入れると、男達をリビングに残してキッチンへと姿を消した。






美人でしょ?うちの奥さん。

ええ、とても。




取敢えず一杯どうぞ、と美咲が注いだビールを飲みながら沢田がそう言った。
撩も同じくビールを飲みながら頷く。
とてもそうは見えないが、沢田とは幾つも歳は離れていないらしい。
そう考えると驚異的な外見である。
撩の見た所、沢田はどう見ても40代後半もしくは、50代前半である。



ごめんなさいねぇ、お待たせして。





そう言って、彼女がキッチンから次々と料理を運んで来た。
見た目にも鮮やかで美味しそうな料理を見て、撩は一瞬、香の事を想った。
この家の主婦の頭の上には、
奇妙なヘルメットが乗っていて派手なピンク色のプロペラが回転している。
撩はこの家を訪れた時から、激しく気になっていたのだが敢えて触れずにいる。
けれど、知らず知らずの内にその妙な被り物に、視線が彷徨っていたのだろう。
彼女が苦笑した。



あはは、ごめんなさいね。気になるでしょ?

はい、激しく。




常務夫人は、上品なカシミヤのセーターを着て、ピッタリとしたジーンズを穿いている。
歳の割にシャープなボディラインは、見事という他ない。
明るめに染められた柔らかそうなロングヘアーの頭部には、
そこだけ何かの冗談のような黄色いヘルメットが乗っていて、
上述の通りピンク色のプロペラが付いている。




これね、耐久実験なの。

・・・。




夫妻の説明によれば、夫人の趣味であり生き甲斐は発明なのだそうだ。
こう見えて、もう既に特許を3つ持っているらしい。
このヘルメットは、同じ町内の農家の奥さんが。
畑仕事の最中にカラスが寄って来て困る。と、ぼやいていたところから着想を得て作ったらしい。
そのカラス対策に苦慮していた奥さんのアドバイスを受けながら改良を重ね、それは既に3号機なのだ。
今は、第2段階のバッテリーの耐久テストを重ねている。
この姿でプロペラを回しながら、一日中過ごしているらしい。
朝、沢田を玄関で見送った時にもプロペラは廻っていた。



気にしないでね?


そう言ってニッコリ笑った彼女は、人妻の色気を滲ませながら撩のグラスにビールを注いだ。
撩がこの夜、沢田家で食事と酒をご馳走になって解った事は。
彼が極度の愛妻家であるという事だ。
そして意外な事に沢田常務が元は、技術畑の職人肌だったという事だ。
元々、機械工学などの専門分野を学び、仲根製作所に入社した彼は。
始めは、工場で重機を設計する技術者だった。
こう見えて仕事の出来る彼は次第に、社内で頭角を現し、あれよあれよと言う間に出世し、今に至る。





なんかさぁ、余計な出世とかしちゃったからさ、全然面白くないんだよねぇ。ぶっちゃけ。




そう言って沢田は、妻の作った海老と鱈のすり身を蓮根に挟んで揚げた天麩羅を頬張った。
彼曰く、自分は工場で重機を作っている方が性に合うという。
前任の女性秘書には、そんな事を言う度に窘められたらしい。
元々、機械いじりや工作が好きで、それが高じて庭の隅に作業小屋まで作ったけれど。
出世(彼曰く、余計な出世)してしまい、以前の様な時間的な余裕も無くなり、
いつしか作業小屋に入る事も無くなったのと入れ替わるように、妻がすっかり発明に嵌ったのだった。
そして、その後出逢ったゴルフという趣味に、彼は没頭し。
今では、ゴルフ一辺倒だ。
なんでも夫妻が言うには、夫婦円満の秘訣は互いがそれぞれに全く違う趣味を持つ事らしい。





冴羽クン、奥さんは?

・・・いえ、独身です。

そうか。 彼女は?

       い、ます。(ま、相棒だけど、間違いでは無いな、うん。)

そうかそうか、彼女は大事にしないとなぁ。結婚するんでしょ?

ほぇっっ?




思わぬ話の流れに、撩は自分でも予想だにしない変な声が出た。
撩が押し黙って、言葉を発せずにいるのを良い事に。
沢田夫妻は、結婚の良さを滔々と力説し始めた。
まさか、あの小さな仮住まいのアパートで。
撩の相棒は、こんな所で噂されているなんて思っても無いだろう。











その電話が掛かって来たのは、香がもうすっかり次の日の準備まで整えて、
後はもう寝るだけとなった時だった。
時計は、23:00を回っていた。
枕元に置いた小さな携帯電話が、パートナーからの着信を知らせた。
液晶の画面に表示された名前だけで、香の表情が綻ぶ事を当の彼本人は知らない。






“それで? 週末は、ゴルフ?”

“あぁ、なんかそんな流れになってさ ”

“道具とか、どうすんの?ウェアとか。”

“俺もさ、道具持ってないしって言ったんだけど、貸してくれるって。”

“専務さんが?”

“・・・常務ね、そう、常務が貸してくれるって。”

“えへ、常務だった。でも、道具は借りてもウェアは?撩のサイズには合わないんじゃない?”



そう言った香の言葉に、撩は先程まで食事を振舞ってくれていた男の姿を思い返す。
勿論、彼のウェアが撩に合う筈も無い。
恐らく、彼のボトムを撩が穿いたら、クロップドパンツ状態になるのは明白だ。




“んなもんは、どうにでも調達できるさ。てか、経費で落とせる?ゴルフウェア。”

“・・・・・・う~~~ん、まぁ。仕方ないかな。仕事の一環だもんね、経費として認めましょう。”

“サンキュー”



気が付くと、2人の会話はついつい相棒のそれになっていて。
本当は2人ともまだ数日でも、離れた生活が淋しいのだけど、本音は言えない。
2人の間には、時々奇妙な間が出来るけど、じゃあ電話切ろうかとは、お互いに言い出せない。





・・・りょお。

ん?

ちゃんと、食べてるの?ご飯。

食べてるよ。

コンビニばっかじゃ、駄目だよ。

解ってるよ。

ホントはね、   週末。

なに?





そこまで言って、香は言葉を噤んだ。
撩はその静かな間を、ゆっくりと待った。
香が電話の向こうで、小さく息を整えるのが聞こえる。




週末、そっちにご飯作りに行こうかなって、思ってたの。

・・・・・・。

りょお?  いや、でも やならイイの、別に。アタシが勝手にそう思ってたってだけだか

来いよ。

え?

来てよ。

でも、撩はゴルフなんでしょ?週末。

合鍵、使えよ。

/// い、良いの?

ふふ、何の為の合鍵だよ。好きな時に来れば良いだろ?




思わぬ撩の言葉に、香は言葉に詰まった。
撩からあの鍵を受け取った時、何故か香はそれを実際に使う事を想定していなかった。
何かこれじゃまるで、アタシたち。
付き合ってるみたいじゃない?と、思ってしまったけれど。
勿論、そんな事を香は口が裂けても言えない。




じゃ、じゃあ、行く。撩の居ない間に、日持ちがするもの作り置きしとく。

おう、サンキュ。




2人が時間も忘れて日付を跨いだ長電話をしている頃。
窓の外では、雪が降り始めた。


(つづく)




[ 2014/09/22 22:10 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

⑤ 週末

香が海外事業部の内勤のオフィスに潜入した目的は、
不正輸出関連で背任行為に加担している者の存在を突き止める為だ。
仲根社長が最も疑っているのは、この部署の統括責任者でもある沢田常務であるが。
彼一人で事が運べるとは思っていない。
必ず、それらの件で動いている部下が居る筈だと見ている。
勿論、香1人でそんな人物の特定など出来るはずも無く。
香はあくまでこのミッションに於いて、非常に重要な連絡係の様なものだ。






じゃあ槇村さんは第3営業部の香田部長からの依頼という事で、
これから毎日午後からは資料室で別件に当たって貰いますね。


配属初日にそう言って、香の直属の上司である課長はニッコリと笑った。
勿論、彼は何も知らされていない。
本当に第3営業部から香が仕事を任されていると思っているし、
香が東京支社にある、第3営業部から転属されて来たと思っている。
しかしこの、別件こそが香の今回の任務なのである。
“第3営業部の香田部長”と言うのは、今回の隠れ蓑であり、ミッション名のようなものだ。
香田部長(実在する)という体で連絡を取って来るのは、実は仲根社長である。
香が資料室へと赴くと、毎日沢山の資料が準備されている。
香は教授が準備したノートパソコンに向かうと、
教授に教わった通りのやり方で毎日その膨大な量の資料を教授宛に送るのだ。
一方、送られて来る資料は、教授とミックが順次内容をチェックし精査する。
それは過去数年間に亘る、仲根製作所の取引に纏わる内部資料で、
精査するのは海外取引に於いて、不審な点が無いかどうかだ。
契約時の法的な書類から、経理全般(請求から金銭の受領まで)の資料まで、
1つの契約に対する全ての資料が送られて来る。
普通、法的な問題をクリアして、取引が発生して、請求を起こして、代金を正確に受領してしまえば、
それ以降は、その後の修理やメンテナンスがなされるだけで、
その取引の全容を見返す事などは、これまであまり無かった。
そこにこそ盲点があるのではないかと、今一度チェックする必要があるという訳だ。
如何せん輸出が絡む取引なので、資料には外国語を使用している物が沢山存在するのと、
教授一人では到底手が足りない程の情報量なので、ミックが応援に呼ばれたという訳だ。
なにせ、社内の人間には決して漏れてはならない極秘任務なので、
ただ資料を送るだけの連絡役とはいえ、香の存在はこのミッションには必要不可欠だったのだ。

それともう一つは、女子社員の中に紛れ込んで社内の人間関係を調べるという意味合いもある。
これに関しては、香の能力が如何なく発揮されるのは間違いない。
香の得意技は、性別問わずに誰とでも仲良くなれるという事だ。
午前中の内には、香にも他の同僚たちと同じ仕事が割り当てられる。
主なものは、外国語の文書の翻訳だ。
勿論、香には出来ないけれどそれもまた、ミックへと転送される仕組みになっている。
転送されてモノの数分で、ミックから懇切丁寧な日本語訳が送り返される。
他の同僚たちよりも、目に見えて仕事は早い上に正確である。
香は適度な時間を見計らってそれらを、また依頼元の営業担当者へと転送し次々とこなしてゆく。
またその逆もあり、外国の顧客へと送る文書のチェックもある。
いずれにせよ、普通の遣り取りと違って、
大きな取引の現場なので細かなニュアンスまで正確に汲み取る事が求められる。
現場では主に英語が使用されるけれど、相手も必ずしも英語が母国語とは限らない取引先だ。
中には現地の言葉での細かな遣り取りが必要になってくる可能性も出て来る。
こう言う場合、撩と同様に何か国語も自在に操れるミックは強い味方である。
同僚たちは誰も、香が真剣にパソコンに向かっていながら実際は、
東京の金髪エロ外人に仕事を丸投げしているなどとは微塵も疑ってはいない。
むしろその仕事の速さと正確さに、すっかり感心している。
配属されて数日、今のところ香は一切誰にも疑われる事無く潜入の任を果たしている。

この依頼に携わる事で、以前は凄く苦手意識のあったOA機器やパソコン等の取り扱いに、
香は少しだけ自信が持てるようになっていた。
思っていたほど、それは難しい事でも無かった。
これから先、撩の相棒として出来る事が増えるのは良い事だと香は考えている。
冴羽商事は裏稼業なので、銃器の取り扱いや戦闘術などの鍛錬も怠る事は出来ないけれど。
何も撩をサポートするという事は、そればかりでは無いのかもしれないと思い始めていた。
これまで撩の傍に居て、撩という男の底の知れなさを感じたのは、
多言語を巧みに操ったり、完全に洗練された立ち居振る舞いをやってのけたり、
驚くほどの知識の深さと、教養が垣間見えたりする瞬間だった。
それらをどのようにして撩が身に付けて来たのかを想像するだけで、香は撩を尊敬する。
撩は生まれてこの方、学校というものに通った事すら無いのだ。
撩の相棒であるという事、撩のサポートをするという事は。
自分にとっても、自分自身を磨く事に他ならないと香は思う。
きっと、学ぶべき事は何に於いても色々とあって、
香は与えらえた機会の全てを勉強だと思う事にしている。
全ては少しでも、撩の背中に近付く為に。
















・・・一体、なに食べてんだろ。りょお。



週末、電話で話した通りに、香は合鍵を使って撩の部屋へと入った。
香が予想していたほど、室内は散らかってはいなかった。
灰皿だけが少し汚れていた。
キッチンには殆ど生活感は無く、置いてある調理器具は薬缶1つで。
ホーローのマグカップが1つだけあった。
それに日本中何処でも買える、インスタントのコーヒー。
ベッドの上もきちんと整えられ、見覚えのあるスーツが数着、鴨居に下げられていた。
小さなユニットバスの入り口の洗濯籠の中には、バスタオルと数枚の下着と靴下とワイシャツが入れられ、
トイレとバスタブと洗面所が一体化した小さな風呂場の鏡の前には、
いつも撩が使っている剃刀と、歯ブラシが置かれていた。
冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターと缶ビールがあるだけで食料は一切無し。
香はその小さな冷蔵庫の前で、溜息を吐いた。
撩は端から自炊する気など無かったのだろう。
仮住まいとは言え、香の部屋に比べてもあまりにも簡素だ。
撩は香の部屋を用意する時に、必要最低限、自炊に必要な用具は一通り揃えてくれていた。
撩の部屋にも当然、同じモノがあるのだろうと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
こういう時に、香は撩のさり気ない優しさを知る。
自炊をしないとストレスが溜まるという香の事を、誰よりも解ってくれていると感じる。
撩は不器用な男で、面と向かって香にその優しさをぶつける事はしないけれど。
香が撩の思いやりを実感するのは、決まって撩がその場に居ない時だ。
撩はずるい、と香は思う。お礼すら言わせてくれない。
撩も不器用だけど香も大概天邪鬼なので、後になって改めて“ありがとう”を言うのは照れ臭い。
だからこそ、言葉は照れるからせめて、香は撩の身の回りの世話を焼くのが好きなのかもしれない。
その全てに、香から撩への感謝の気持ちを込める事が出来るから。


香はすぐに料理を始めるつもりだった予定を変更して、洗濯機を回す。
ワイシャツは、クリーニングに出すので別にする。
仮住まいにはアイロンもアイロン台も無いので、
香は自分のブラウスを洗濯するのにもクリーニング屋を利用している。
少しだけ勿体無いとは思うけど、必要経費として計上すると割り切っている。
料理は香の部屋で作って、コチラに持って来ようと計画を変更した。
嵩張らないようにジッパーの付いた保存用の袋に詰めて、数日分の献立を作っておこうと思っている。
生憎、冷蔵庫も冷凍庫もがら空きなので、作り甲斐はある。








撩がその、ザッツジャパニーズビジネスマン的お付き合いの一環として、
初めてお供したゴルフを終えて帰ると、
冷蔵庫の中にはすっかり馴染み深い香の手料理がぎっしり詰まっていた。
撩には、ゴルフのスコアの相場など全く解らないけれど、どうやら常務曰く、素質があるらしい。
いずれにせよ、撩の身体能力は並みのそれでは無いので、当然と言えば当然である。
はじめ、常務に教わって何度かクラブを素振りした段階で、
撩の中では単純に、球を打つイメージを固める事が出来た。
普通はその段階のコツを掴むまでに時間を要する訳だけど、
撩には不思議と、その様にイメージを膨らませる為の能力が生まれつき備わっているらしい。
何に於いても。

小さな申し訳程度のベランダには、今朝、脱衣籠に放置していた洗濯物が干されていた。
冷蔵庫の扉に、ワイシャツを駅前のクリーニング屋に出してある事、
代金は支払い済みである旨のメモがマグネットで留められている。
灰皿は綺麗に洗われ、台所のシンクの隅に伏せて置かれていた。








もしもし

おかえり、遅かったね。

ああ。晩メシは、常務の奢りでたらふく喰って来た。

そう。





撩から電話が掛かって来たのは、23時を過ぎた頃だった。
香はもう既にパジャマに着替えて、寝る準備をしていた。






・・・ありがとな、料理。

うん。

あ、あと洗濯も。帰ってからするつもりだったから、助かった。

うん。




香は胸が一杯になった。
嘗てこれまで、こんな日常の些細な事に関して撩から謝意を表された事があっただろうか。
一緒に暮らしていると、当たり前のように流れてしまう日常が。
実はそうでは無いのだという事を、離れてみると実感できる。
これまで撩がさも当たり前のように、それらを受け止めている事について、
香は虚しさや悲しみを感じる事も、時にはあった。
けれどそうではなく、こうしてちゃんと解ってくれていたんだという事が解った。
それだけで香は充分だった。





外食とかばっかり、駄目だよ。

あぁ、そうだな。そもそも、飽きるしな。




今度から。

ん?

・・・・・・今度から、時々作ってくから。





香の言葉に、知らず撩の顔が綻ぶ。
そんな表情を、電話越しでは香が見る事も無いし、撩自身ですら無自覚だ。
確かに、この街は米も魚も美味しいし、酒も美味しい。
幸いな事に、アパートのすぐ傍には安くて良心的で旨い定食屋がある。
けれど撩が求めているものは、香の作った手料理だった。
それは意外にも撩の生活の中で大きな割合を占めていたという事に、この数日で痛感した。
いつの間にか、この数年で撩は完全に香にガッチリと胃袋を掴まれている。



うん、助かるよ。



撩は離れてみて初めて、香に素直に向き合えるような気がしている。
撩にとって、相棒としても女としても。
もう槇村香以外には、考えられない存在になっている。
この依頼が終わったら、撩はその気持ちを改めて伝えようと考えていた。


(つづく)



[ 2014/09/27 21:30 ] Breakthrough | TB(0) | CM(0)

⑥ 嫉妬

潜入開始から1週間経過しても、これという確たる手掛かりは掴めなかった。
それでも教授を中心とした今回の調査チームは、
この依頼が長期戦になりそうなことは想定の範囲内だった。
11月の後半から準備を始めてから、月が変わって12月に入った。
新宿とは全く違う小さな街の、
市街地の中心に拠点を置く地元の有力企業の傍には、この街の老舗の百貨店がある。
香はいつも出勤時にこの前を通るのだが、
12月に入った途端ショーウィンドウはクリスマス仕様に変わった。
朝晩とチラついていた雪が昼間にも降るようになった。
積もる程ではないけれど、香は生まれて初めてこんなに寒い街で過ごした。
何もかもが、太平洋側の関東の景色とは違った。



(クリスマスか・・・)



朝の通勤時間帯だというのに、人通りは驚く程少ない。
何もかもを新宿と比べてしまう。
果たして今回の依頼は、クリスマスまでに終わるのだろうか。と、香は思う。
クリスマスどころか、まさか年を跨いだりしないだろうかと心配になる。
大きなガラスに映り込んだ香は、着慣れないスーツを着て、パンプスを履いている。
スーツの上から紺色のダッフルコートを羽織って、マフラーも手袋も東京から持って来た。
はじめ、荷造りをする時に。
撩はマフラーも手袋も要らないと言った。
けれど、香が強引に送る荷物の中に入れたのだ。
撩はちゃんと防寒してるだろうかと、香の心配は尽きない。







撩は玄関を出る前に、ウールのピーコートのポケットから革の手袋を取り出した。
香が強引に荷物を増やした時には、抗議したけれど。
結果として、それは正解だった。
香はマフラーや手袋以外にもう1つ、部屋で着るちゃんちゃんこまで入れていた。
最近の撩のお家スタイルは、スウェット上下に赤い絣のちゃんちゃんこという、
とてもじゃないけれど、殺し屋には見えない風情だ。
たまには知らない土地も新鮮でイイとは思うけど、なにせ寒すぎて。
撩はやっぱり、自分達のホームは新宿だなと改めて思う。















槇村さん、金曜日の夜なんだけど空いてる?



給湯室でそう声を掛けて来たのは、香の向かいに座る女子である。
彼女とは今のところ、この部署内で一番打ち解けた間柄だ。
彼女が言うには、その週の金曜日の夜に、
少し遅くなったけど香の歓迎会を兼ねた飲み会をやろうという話になっているらしい。
企画発起人兼幹事は、渡辺主任だという。
渡辺という男は恐らくは30前ぐらいであろう、
比較的、女子社員の多い部署にあって気を使う事も多いだろうけれど、なかなかに気が利く男で。
香が潜入を開始してからこっち、何かと香にもさり気無い気を配ってくれているのが解る。
良い人だなぁ、という印象を香は抱いている。




主任、絶対に槇村さんのこと狙ってると思う。



彼女がそんな事を言うもんだから、香は洗っていた湯呑を危うく取り落す所だった。
彼女曰く、主任はイイ人だけど、ちょっと“ちゃらい”所があるから要注意だという。
あくまで噂だけど、これまで何人もの女子社員に手を出しているのを聞いた事があるという。
香は彼女の言葉を本気にはしなかった。
あはは、と笑って誤魔化しながら適当にその話しは聞き流しておいた。
きっと気のせいだよ、と香が笑うと、彼女は真剣な表情で溜息を吐いた。




槇村さんさぁちょっと思ってたんだけど、結構、鈍いよね。

そそそそうかなぁ?

鈍いね。あれは完全に、ロックオンされてるよ。

まさかぁ。

まぁ、槇村さんが気にしないなら仕方ないけど、主任にはちゃんと言っといたからね。

何を???

槇村さんには、ちゃんと彼氏いますからって。

・・・彼氏っっ////

こういう事はね、毅然と対応しなきゃダメなのよ。





向かいの彼女は、その気の強そうな微笑みでシッカリと頷きながら香を諭した。
どうも香の周りには、絵梨子といい、美樹といい、この彼女といい、
しっかりと芯の通った気丈な女性が多いのだ。
香には、何処か危うげで人を疑う事を知らない雰囲気が漂っていて。
どうやらこの手のタイプに、守ってやらなければという気持ちにさせる何かがあるらしい。
香自身に、自覚は無い。








昼間、撩は重役専用の会議室に潜り込み、出前の蕎麦を食べていた。
常務は午前中に出掛けて、会社に戻るのは夕方の予定だ。
それまで撩は、1人の時間を過ごせる。
つい先程は常務に宛がわれた個室に、複数個の盗聴器を仕掛けた。
こういう時こそ、本来の仕事が捗るというものだ。
天麩羅蕎麦を豪快に啜っていると、撩の携帯に香からのメールが届く。
メールの内容は、週末に飲み会があるという事。
どうやら香ともう1人、同じ時期に配属されて来た社員の歓迎会だというので参加するという事。
場所は、駅前の居酒屋。店の名前が書いてあった。

“情報収集も兼ねて、潜入ばれないように頑張ってくるよ。”

その香のひと言に、撩は思わず苦笑する。
非常に気になる。
きっとその飲み会とやらには、勿論、男性社員も複数参加するのだろう。
これは、週末までに香の方の部署の男達も少しリサーチしておく必要があるなと思う。




ったく、余計な仕事増やしやがって・・・。


撩はぼやきながらも、メールは返す。
ちょっと衣が分厚すぎる海老天を咀嚼しながら、画面を操作する。

“あんまり、飲み過ぎんじゃねぇぞ。”    

この後、香からは “りょーかい”という言葉と、にこにこ笑っている顔文字が返って来たけれど。
悲しいかな、この撩の忠告は何の役にも立たなかった。















その晩、どういう訳か。
気を付けていたつもりだったのに香は予想に反して、随分と酔っ払ってしまった。
途中、トイレに立った所まではまだ大丈夫だと思っていたのに。
トイレから出た所に立っていたのは、渡辺主任だった。
何故だか、香の鞄とコートを持って来てくれて。
危ないから送ってくよ。と、微笑んだ。
香はもう、この辺りから記憶はあやふやだった。
シッカリと歩いているつもりの足元は、床がまるで蒟蒻のようにグラングラン揺れている。




撩はその日、一度アパートに帰ってからその店の前で待機した。
そしてそれが見事に功を奏した。
香の肩を抱くようにして店の外に出て来たのは、撩の調べによれば渡辺という主任の男だった。
心配しているような素振りを見せながら、何処か厭らしい目つきをしている。






あれぇ? りょお?? りょおも飲み会にきれたにょ??



ただ、香は肩を貸す男になど何の興味もない様子で、
その店の前の薄暗い街灯の下に立った見慣れた男を、酔っ払っていてもしっかりと見付けた。
撩が少し怒ったように見せて眉を顰めると、香はまるで小さな子供のように。
酔っ払っちゃた。と言って、テヘと笑った。
撩は内心、テヘじゃねぇよと思いつつも、渡辺へと視線を向ける。




どうも、ウチのヤツが迷惑かけたみたいで。

あ、いえ。あの、表の通りでタクシーを拾うまでと思いまして。

すみません、連れて帰るので大丈夫です。





言葉は丁寧だけれど、撩の視線にはただならぬ殺気が籠っていた。
渡辺はすっかり萎縮して香の肩から手を退けた。
撩は素早く香の鞄を受け取ると、香の手を引いた。




ほら、帰るぞ。じゃじゃ馬。

りょおとぉ~~~??いっしょに?

ああ。

わぁ~~い。ねぇ、りょお、雪だるまつくろ、雪だるま。




夜も更けて、舗道には薄っすらと雪が積もり始めていた。
小1時間、そこで待機していた撩のコートにも薄く雪が積もっている。
香の足元は覚束ない。
香の身体ごと反転させて、ワザと渡辺の方から強引に背を向ける。






るせぇ、酔っ払い。もう、帰るの。

ぅるしぇえ、よっぴゃらい。

酔っ払いはお前だっつーの。




撩は苦笑する。
いつもの自分達なら、酔っ払いは撩で。介抱するのは、いつも彼女だ。
パンツスーツにヒールを履いた香のコートのボタンを留めてやり、マフラーを巻いてやる。
この辺りで、視界の隅にいたスケベ男はすごすごと店の中へと退散した。
撩は香に背中を向けてしゃがみ込む。



ほら。

ん?

おんぶ。



漸く理解して、香が満面の笑みで頷く。
ここ数日、電話の遣り取りだけで、顔を合わせる事は無かった。
久し振りの対面がこれかよ、と撩は思わず笑ってしまう。
背中に香の重みを感じながら、撩は随分昔の初めて逢った時の事を思い出した。
あの頃はまだ、香は本当に子供で。
胸なんか超が付く程の微乳だった。
今では、スーツと分厚いコートに包まれていても、しっかりと感じられるほどに成長した。
背中に当たる柔らかい感触に、撩は必死に邪念を振り払いながら湿った舗道を歩いた。
初めの内は撩の背中で意味の解らない事を呟いていた香が、静かに寝息を立てる頃。
香のアパートの前に着いた。









部屋に着いて、香を布団の上に横たえると、撩はストーブを点けた。
部屋が温まるまではそのままがイイだろうと、
コートもマフラーも身に着けたままの香を寝かす。
その時、携帯の着信音が響いた。
撩のものでは無い。
音の発信源は、香のコートのポケットからだった。
香が薄っすらと眉根を寄せる。
撩はその着信が香を起こす前に、携帯をポケットから探った。
液晶の画面には、“ミック”の文字。
撩は思わず画面に向かってメンチを切ると、通話ボタンを押した。






あんだよ、こんな時間に。

ん?あれ? オレ、リョウにかけたっけ?? カオリの番号じゃなかった?

香んだよ、なんか用かよ。

どういう事?カオリは?

寝てる。





撩の答えに、電話の向こうでミックが絶句する気配が伝わる。

“ What? いや、まさか・・・嘘だろ? ”

明らかに電話の向こうで、ミックが動揺している。
何か凄い誤解をしているらしい。








オー、リョウ。オマエ、いつの間にカオリとそんな事に。

ちっげーよっっ。コイツは今日、飲み会に連れて行かれて酔い潰れたのっっ

リョウ、この期に及んで言い訳なんて見苦しいぞっっ

だあかぁらっっ、違うってば。このボンクラエロ外人がっっ






それから、順を追って撩が説明してミックが納得するまで、5分ほど掛かった。
香はスヤスヤ眠っている。
それはそうと、お前の方こそ何の用だ、と詰問する撩に、今度はミックが説明する番だった。
どうやらここの所、毎晩、ミックと香は連絡を取っていたらしい。
それは何も、厭らしい意味では無く。
香は毎日、美樹の怪我の回復状況をミックから聞いていたらしいのだ。
この街に来てから、いつもと違う状況に置かれながらも、やはり香は気にしているらしい。
仕事の関係で日中は、マメに連絡を取り合うミックにその気掛かりな心情を漏らしていたのだ。





で?どうなの? 美樹ちゃん。

あぁ、もう随分良くなってきたよ。さすが、ミキだ。
カオリには気にするなって言ってるんだけど、やっぱり気にしない訳にはいかないらしいね。






“ま、それがカオリの優しい所なんだけどね、ぐふっっ、かあいい

電話を切った後も、撩の耳にそんなエロ男の厭らしい声がこびり付いている。
撩は、何も知らずスヤスヤ眠る香の寝顔を見詰める。
部屋もだいぶ温まって来たところで、はて、どうしたモノかと考え込む。
まさかスーツのまま寝かせる訳にもいかないだろう。
枕元には、昨夜着ていたであろうパジャマが畳んで置かれている。
まぁ、これは仕方ない。不可抗力だ、不可抗力。
撩は自分自身に言い聞かす。
それでも、寝ている相棒に欲情する訳にもいかないので。
撩は目を瞑って見ないようにしながら、何とか香の仕事着を脱がせ、パジャマを着せた。
そんな格闘を終える頃には、撩はその温かな部屋の中で汗だくになっていた。


だから、
それは、
ホンのご褒美だと思えばイイだろ、と言うのが撩の言い訳だ。





何も知らず呑気に寝息を立てる香の柔らかな頬に、思わず吸い寄せられた。
至近距離で見詰めると、撩の顔に香の生温い寝息が当たる。
微かなアルコールの匂いと、シャンプーの匂い。
もしもあのまま、あの下心満載のエロ主任にお持ち帰りされていたら。
今頃、相棒はどうなっていたのだろう。
そう思うと、撩の心臓は煩いほどに騒いだ。
無防備過ぎる相棒が、少しだけ憎らしくて。
その柔らかな頬を抓る。
どうしても、それだけは堪える事が出来なかった。



寝ている香の唇に、口付た。





香は全く憶えて無いけれど。
撩と香の初めてのキスは、この様にしてつつがなく執り行われた。



(つづく)





[ 2014/09/30 22:15 ] Breakthrough | TB(0) | CM(6)