02 沈黙の意味

やっぱり、2人だけの食卓だと静かだと香は思う。




昨夜の食事まで、冴羽アパートには依頼人の美女が泊まり込んでいた。
僚好みのセクシー系美女は、見かけによらず才女で有能な科学者だった。
ミックとかずえさん経由で持ち込まれた彼女のボディガードを、僚はイキイキと楽し気にやっていた。
何かと僚は彼女に話題を振る、僚もああ見えて色んな事を知ってる博学だから。
彼女と僚の会話について行けないのは、香1人で。
2人とも別に意識はしていないのは、重々承知だけど、彼女もとてもイイ人だったけど。
香は少しだけ、蚊帳の外に追いやられたみたいでその数日間、悲しかった。


僚が女性と見ると張り切るのはいつもの事で、慣れっこだし、そこに意味は無いんだと解っているけれど。
香はこういう時、僚にとっての自分の存在とは何だろうと疑問に感じる。

冴子さん
美樹さん
麗香さん
かずえさん
歌舞伎町のお姉さま方
街行く大勢の女の子たち
数多の依頼人
僚と親密に関わって来た過去全ての女性達

その全てに、僚は惜しみなくサービス精神を発揮して、愛嬌を振舞う。
それなのに、香には。
僚はいつだって手を抜いているとしか思えない、力の抜き方だ。
別に、チヤホヤされたいとか、構って欲しいというワケでも無い。
ただたまには、僚の方から香に話したい事とかって無いのかな?と思うと悲しくなる。


香はいつも、テレビを観て興味を惹かれた事とか、外であった楽しい事とか、色んな事を。
僚に教えてあげなくちゃと思うし、その気持ちを僚と共有したいと思ってしまう。
まず一番に、僚に話して聞かせたいのだ、いつだって。
だけどこんな風にわざと沈黙してみても、僚は気が付かない。
香が喋らなければ、2人だけの食卓は驚くほど静かだ。
















イカと大根の煮付けを頬張って、2杯目の御飯を平らげた時に、僚はふと思った。
いつもなら、煩いほど僚に甘えてくる(自覚は無いようだけど)相棒が。
今日はやけに静かだ。
黙々と僚と同じモノを向かい側で食べている。
それでも、彼女は僚に比べると少食なので1杯目の御飯を七分どこ食べた辺りだ。
何事か考え事をしている彼女は、何処か上の空だ。
それでも、僚が空のお茶碗を差し出すと何も言わずに、お替りをよそっている。




御味噌汁は?




炊飯器に向いて僚に背を向けたまま香が訊ねる。
キャベツと油揚げの味噌汁も、つい先ほど空にした。




ん?・・あぁ、じゃあ頼む。


ん。






2人の生活に、言葉は少ない。
何故だか昔から、香は皆まで言わずとも色んな事を察してくれて、気が回る。
香と出逢うまで、他人とこれ程までに密接した生活を送った事が無かった僚が、
これ程までに、違和感なくむしろ快適に暮らせてきたのは、多分、相手が香だからだ。
香が話す芸能人の話しや、歌舞伎町の住人達の話しは。
実際にテレビを観たり当人たちに見聞きするより、生き生きとしていて。
実際、僚は。
香に関しては、聞き役でいる方が楽しいのだ。
香以外の余所の女達は、誰しも皆、自分が一番でないと気が済まない女王様なので、
男が話題を振るのを、当たり前だと思っている。

だから僚は、同等で居られる相方がこの世で一番、好ましい女だと思っている。

香が楽しそうにお喋りしてないと、僚も楽しくない。
香が些細な嫉妬をしているだなんて、僚は微塵も気が付かない。
香が僚の前に、湯気を上げる味噌汁とご飯を置いた。







ねぇ、りょお?


ん~~~?




漸く香が口を開いたのは、ミルで食後のコーヒーを挽いている時だった。
と言っても、食事が終わったのは香だけで。
僚は5杯目の御飯を頬張っていた。
この時には、香にとっても先程からの思案の種は、純粋な疑問に変わっていた。
純粋に訊いてみたくなった、その明らかなる態度の違いと力の抜き方の理由を。
答え如何では、ハンマーを振りかざす事も忘れない、準備に抜かりはない。




りょおってさ、


なに?


たまには、私に話したい事とかなんか無いワケ?


・・・無い。


・・・・・・・あぁ、そう(怒)






香の手の中に、ハンマーのグリップが握られた時。
僚がポツリと言った。






おまぁの話し聞いてた方が、100倍面白れぇからなぁ。


////え?





そう言ってニッコリ笑った僚が、全く毒気も無くからかっている風でも無かったし。
何よりカッコ良くて、香はドキドキした。
つい今しがた、自分ばっかり僚に話題を振って、
聞いてるんだかどうだかも怪しい相棒との遣り取りが不公平だと思っていた香は。
思わず心が弾んでしまう。

僚が楽しいって思ってくれてたなんて。

それだけで些細な事など、香はもうどうでも良くなってしまう。
確かに2人だけの食卓は、静かだし言葉数も多くは無い。
けれどそれは、誰にも邪魔されない2人の大切な時間を意味していたりもするワケで。
たった一言、僚の答え1つで。
香の心は軽やかになる。
香の一番は、悔しいけれどいつだって僚なのだ。
僚が楽しいなら、香も楽しい。














ねぇねぇ、今日さ美樹さんがね・・・   
うん

・・・・それで、ミックったら・・・
ああ

・・伝言板には依頼は無かったんだけど、
おお、で?









それでね、だからね、こうだったの。と、
香の話題は切れ目なく次の話題へと移行しながら続いてゆく。
香が思っている程、本来の僚は口数の多い男では無いのだ。
香の前でだけは、僚は自分を取り繕う事無く、本来の自分で居られる。
きっと香には、僚のそんな気持ちの色々が解っているワケでは無いだろうけれど。
言葉の足らない僚の、僅かな言葉を正しく読み取る才能がある。
そして僚には、香を納得させる一言を選び取る才能がある。
他人はこれを、相性とかフィーリングと呼ぶのだろうけど。
それに関して2人は、奇跡とも言うべき嵌り方で完全に一致する。

たとえそれが沈黙でも。
きっともうそこには、穏やかな空気が流れている。









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この扉絵も好きなんです(*´∀`*)

走りながら、焼き芋とか無理。
お茶無いのに焼き芋とか無理。
[ 2014/03/03 23:05 ] お絵描き練習 | TB(0) | CM(0)

夢見る頃を過ぎても

ひな祭りはとうに過ぎてしまった。









香は午後のリビングで、桜の塩漬けを浮かべた緑茶を飲みながら、
その丸っこいフォルムの紙粘土製の人形を、手のひらの上で転がした。
自然と笑みが溢れてしまうユーモラスな表情の男雛と女雛。
依頼人の手作りだ。

“これ。おねえちゃんに、あげるの。”

厳密に言えば、依頼人の孫娘、4歳の幼稚園児が作ったそれは。
依頼が終わって彼女がアパートを去る間際に、香に贈られた。


4歳にして、誘拐予告を受けてしまった彼女はしかし、
自分の身の上など何処吹く風で、天真爛漫に振舞った。
彼女の両親祖父母の企業を相手に脅迫行為を繰り返していた犯人の捕獲は、僚に任せて。
この依頼では、専ら香は保育士と化していた。
身の安全が確保されるまではと、
大好きな幼稚園を休むことを余儀なくされた彼女の遊び相手は香だった。
そんな中で、彼女が作ったのが紙粘土のお雛様だった。
彼女は大きなお屋敷のおうちに帰れば、立派な七段飾りのお人形を持っている。
大人たちに溺愛されて育つ彼女は、大切な一人娘なのだ。







香は小さな子供の相手をしている間ずっと、かつての兄との生活を思い出していた。
このアパートに香が住むようになって早数年。
兄と住んでいた公団を出た時は、なにせ急だったからゆっくりと荷物を纏める暇も無かった。
とりあえず、手早く荷造りをしたのを覚えている。
そしてそのまま、階下の空き部屋へと仕舞い込まれたままの槇村家の思い出の中に、
恐らく、それはあるだろう。

槇村家にとって、香が養われて来るまでは子供は秀幸1人だった。
あとから兄に聞かされて知ったのは、香がやっと1歳になる春に。
父が嬉しそうにそれを買って来たのだという。
お内裏様とお雛様だけの、シンプルなガラスケースに収められた雛人形。
2部屋とダイニングキッチンだけの小さな槇村家にぴったりの小さなお人形だった。



友達の中には、とても立派な雛人形を持っている子もいた。
遊びに行った先で、見せて貰った事もある。
当時、香はまるで男の子のようにお転婆だったから、あまり興味は無かったけれど。
槇村家の茶の間のタンスの上に兄が飾ってくれる雛人形が好きだった。
友達にそれを言うのは、照れ臭かったけれど本当は大好きだったのだ。



おひな祭りを過ぎても出してたら、お嫁に行き遅れると教えてくれたのは、同級生だった。





槇村家では確か、毎年しばらく飾っていた気がする。
タンスの上に置かれたガラスケースを、香が1人で触ると危ないと言って、
兄はいつも非番にならないと片付けてくれなかったけど、今にして思えばあれは。
兄の密やかな呪いの儀式だったような気がしてならない。
香を嫁に出さなくて済むように。
そんな季節の思い出も、香が成長すると共にお人形自体を飾るのを止めてしまった。
僚と暮らすようになってからも、あのお人形は仕舞い込まれたままだ。
だから、小さな依頼人に贈られた雛人形は、とても久し振りの感情を香に思い出させた。
依頼が終わったのは、ひな祭りの後だったから。
とっくに片付けられる運命のそれだけど、香は何だかずっと飾っておきたいと思った。
今現在、そのまん丸い2人は冴羽家リビングのテレビの横に鎮座している。
香はそれを時々、こうして手に取って眺めてみる。
子供の頃よりも、大人になってからの方が、香は女の子らしい。
秀幸が女の子らしくしなさいと、口を酸っぱくして言っていた事が今なら良く解る。


ゴメンな、また今年も片付けるの遅くなったな。


そう言いながら、秀幸は少しも悪びれて無かったような気がして。
思い出すと、香は可笑しくなった。
兄貴らしい、と香は思う。






大丈夫だよ兄貴、私、お嫁にはいかないから。




かつて、あの2人の食卓で何度も言ったその言葉を、香は微笑みながら小さく呟いた。
確かに香は、僚と生きている限りは、お嫁には行かない。
一生槇村家の娘で、秀幸の妹だ。
今となっては、兄が本当のところ、どう考えていたのかは知る由もない。
けれど、僚とこうして暮らしている香を空の上から見て笑ってるかもしれないと香は思う。

お嫁さんになる。
お母さんになる。
素敵な旦那様と添い遂げる。

そんな夢を見るには、香はもうすっかり大人になってしまったけれど。
香のそばにいてくれる相棒は、そんなありふれた夢なんかよりも、
もっとスリリングで、もっとワクワクする、非日常の夢の世界を香に魅せてくれる。
他の誰よりも、香を特別な気持ちにさせてくれる。
香を心ごと攫って抱き締めてくれる。
兄の密かな行き遅れのオマジナイは、
もしかしたら僚と出逢わせてくれる為の伏線だったのかもしれない。

それだったら、素敵かどうかは置いといて、香は僚と死ぬまで添い遂げたいと思っている。







[ 2014/03/05 14:43 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

そこは決めて欲しかった・・・(ノД`)・゜・。

肝心な所でヘタレるのが、冴羽クオリティ。
[ 2014/03/06 23:44 ] お絵描き練習 | TB(0) | CM(2)

やっぱり対で描かないと・・・

ジャージも誘い受けに見えてしまうケシ子・・・
多分、重症。
[ 2014/03/07 21:08 ] お絵描き練習 | TB(0) | CM(0)

03 こんなにも好きなのに

リビングのローテーブルの上に、僚が珍しく忘れ物をしていた。


幾ら超人的能力を持ったモッコリスケベでも、たまには忘れ物ぐらいする。
まぁそれでも、それは。
香に見られても構わない類のモノだから、忘れるんだろうとは香も思う。
小さなモレスキンのメモ帳。
香は何度かその中身を見た事がある。
僚が日頃、ちょっとした事を書き留めているモノだ。
僚が香に見せた事もあるし、仕事中に手の離せない僚に代わってメモを取らされた事もある。
小さな字でびっしりと、香には意味の解らない事もあれば。
どの仕事の時のものか思い出せる事もある。
日本語だけで無く、英語や香には読解不能の言語も混じっている。

そのメモ帳の中程に、その女の子リストはある。
上から、




野上冴子
れいかちゃん
美樹ちゃん
かすみくん
名取かずえちゃん
・・・・


以下、延々と続いている。
僚曰く、“カオリンとコンビを解消した場合の後釜候補”らしい。
なんでも以前に、
香が僚に愛想を尽かしてミックの事務所に転がり込んだ時(そう言えば、そういうこともあったなぁ・・・)に、
僚が考えてリストアップしたらしい。
そしてその事を、僚はヘラヘラしながらサラッと白状した。
実質的に考えて、そのリストはただの僚の願望混じりの戯言に過ぎないけれど。
香はこれを見るとやはり、モヤモヤする。




香にとっては、僚以外、相方など居ないし、
そもそも相棒が僚だからこそ、今現在このような裏稼業に身を置いているのだ。
いつだって香にとっては、僚ありきで僚が1番なのに。
僚にとっての相棒とは、そういうモノでは無いらしい。と、香はそのリストを見た当時思った。
それはまるで永遠とも思える香の片想いを象徴しているようであり、
その想いが晴れて実った今でさえ、妙に癇に障る。
香はこんなにも僚が好きなのに、まるで僚はそうでも無いみたいで。

香はその黒い表紙のメモ帳を手に取ると、
中を見てみたい衝動と見てもムカつくだけだという理性の狭間で、揺れ動いていた。
そんな時に、けたたましくリビングの電話が鳴り響いた。






はい、もしもし。




香は用心の為、電話では名前を名乗らない。
この家に電話を掛けて来る人間は限られているけれど、僚と知人以外は物騒な電話だったりもする。




あぁぁ、俺だけど。



相手は先程まで香が考えていた、張本人だ。






俺って誰ですか?! そんな名前の人存じ上げませんっっ


・・・なに拗ねてんの?カオリン。今日は、女の子の日じゃ無かったよね??


!!!!(怒)ガチャンッッ






思わず衝動的に香が受話器を叩きつけた直後、もう1度ベルが鳴る。
恐らくは、僚以外いない。
香は冷静になる為に、10コール目で受話器を取った。








なによ?


何、怒ってんの?カオリン。・・まぁ、イイけどさ。俺、そこにメモ帳置いてなかった?


・・・・・・・・あるよ。


おおぉぉぉ、良かった良かった。


で?


は?


それだけ?用事。


うん、それだけ。あるなら良いんだ。






そう言った僚に、香は無性に訊いてみたくなった。
だから訊いてみた。
昔ほど意地を張る理由はもう、2人には無い。




そのメモ帳なんだけど、

うん、なに?



香はそのメモ帳に残された、過去の僚の戯言に対するムカつきと疑問を投げかけた。

僚には香以外にも、余所に沢山の選択肢を持っている。
片や自分には僚以外いないし、そんな事を考えた事も無い。
果たして僚にとって、それならば、これだけは香以外無いと言える事は何なのか??

という、香以外誰でも解りきっている事を訊いたのだ。
僚の目に女など、香しか映っていない事は周知の事実なので。
この香の質問は、客観的に見れば、ただのバカップルの愛情確認でしかない。






僚は携帯の向こう側で、真剣な表情をして拗ねている相棒を想像して無意識に微笑んだ。
思わず小さく呼気が零れる。
1番は誰なのかと真面目に訊いてくる、僚のオンリーワンが僚は愛しくて堪らない。





まず初めに。


うん。


この携帯の、短縮00番はカオリンの携帯だ。


うん、他は?


この携帯の、メールフォルダーにはカオリン専用フォルダーが作られている。他はごちゃまぜだ。


うん、次。


カオリンのハンマーを受けて無事でいるのも、身体を張ってトラップを全力で受け止めるのも、
俺だけだ。


なに威張ってんの??それはアンタがろくな事しないからでしょ?  次。


カオリンの初めての男は俺だ。


///////ななな、なによ、急にっっ  そそそそういう事じゃ無くてなんか無いの?


カオリンの最後の男も、俺の予定だ。今のところ。


・・・・・・。


で、納得した?  要はさカオリン。


・・・なに?


死ぬまで離さなきゃ良いわけだろ?おまぁの事。簡単な事さ。お解り?カオリ君。


わ、解った/////


ん、お利口さんお利口さん。じゃ、もうじき帰るわ。







そう言って、通話は途切れた。
香は受話器を持ったまま暫し放心した後、テーブルの上の件のメモ帳を手に取った。






僚が帰宅すると、キッチンからは夕飯の支度をする香の気配といい匂いが漂っていた。
リビングのテーブルの上には、例の愛情確認の発端となった噂のメモ帳が置かれていた。
その中程、香をいつもモヤモヤさせていたページは、破かれて手帳の横に丸めて置かれていた。

その可愛らしい相棒の嫉妬に、僚は懐からライターを取り出すと灰皿の上でそのリストを燃した。
こんなにも真っ直ぐに愛情をぶつけられたら、真心込めてベッドでお応えしなくちゃなぁと、
ふしだらな事を考えながら。





愛の種

ねぇ、このこは何処から来たのかな?






ベランダに座り込んだ香が、僚に訊くとも無しに訊いた。
小春日和の午後は、僚に眠気をもたらす。
開け放たれたサッシの向こうから入る空気は、薄い春の気配を孕んでいる。
春の気配と、ベランダに揺れる二人の肌着から薫る柔軟剤の匂いと、
香の楽しげな声。

ソファに仰向けて、目を閉じかけたのを抉じ開けて。
僚はゴロンと寝返って俯せると、まるで子供の様に顎の下に腕を組んでそこに頭を預けた。
植木鉢の前にしゃがみこむ華奢な背中を見ながら、
僚は顎の下の腕を伸ばしてテーブルからタバコを取る。
灰皿はついさっき、香が洗ったので綺麗になっている。




すみれ?

うん、ちっちゃいけど強いのよ。




背中を向けたままそう言う香は、まるで自分の事の様に誇らし気だ。
その鉢には、本来シクラメンの球根が埋まっている。
2年前の秋の終わり頃に、香にその鉢植えを呉れたのは僚の行き付けの店の女主人だった。
年の瀬を前に入った報酬で、借りを返すべく僚のツケを精算して回る香に気紛れで呉れた。
彼女らにしてみれば、花など売れるほど見慣れた物で。
実際に季節柄、取引先や得意客に贈られたシクラメンが売るほど余っていた。
そのうちの1つを香に呉れたのだ。
そんな余り物の可哀想な鉢も、香にとっては愛情を存分に注ぐ対象だった。
香は、その鉢を一番日の当たる窓辺に置き、エアコンの風が当たらないように気に掛け、
時々は液体の肥料の入った水をやり、古くなった葉や花弁をこまめに除去してやっては声を掛けた。
ひと冬は、咲き誇り。
翌年も、花を付けた。
2年目に花を付けたのを良いことに、香は3回目のこの冬も一生懸命世話をしたけれど、
球根はピクリともしなかった。


残念がる香に、もう寿命だったんだな、と僚が慰めた。
諦めきれずに、天気の良い日には何も無い鉢植えをベランダで日向ぼっこさせたり、声を掛け続けた。
そしてそんな香を喜ばせたのがこの小さな花だった。
ヒョロヒョロの茎に、薄紫色の花弁。
香が入れ替えた球根の眠る真新しい黒い土には、新しい住人が住み着いた。
はじめは何の花か解らなかったけれど、香が僚にネットで調べさせてそれが菫の一種だと判った。
それ以来、香の愛情の矛先は菫に向かっている。
冬はまだ終わっていないけど、確実に春は近付いている。
野に咲くはずの小さな花が、6階のベランダにどういう経緯でやって来たのかは不明だ。
多分、風か虫か鳥が運んだんじゃないのかという僚の言葉に香は。
自然と生命の神秘に、大袈裟に感激してみせた。

きっと季節が過ぎれば萎れてしまう小さな花を、全力で愛でる香が僚は愛おしいと思う反面、
それらが寿命を迎えたときの、香の落胆を思うといたたまれない気持ちになってしまう。





香に出逢う前の僚は、何かを愛でる事の意味が解らなかった。
いつか消え行く命というものに、価値を見出だして、慈しんでしまう事は。
同時に喪う哀しみをも内包している。
その愛が深ければ深いほど、哀しみも深くなる。
そんな事を味わう意味を、僚はどうしても見出だす事が出来なかった。





でもそれは、
何かを愛するということは。
香を見ていると意味とか理由とか、そういうモノを超越した世界なのだと気が付いた。
香を愛することを拒絶する理由なら、幾らでも見付かったけど。
理屈を越えて時間を掛けて、僚は理由のない愛情にすがる事に決めたのだ。
理由など無い。
香を愛することに、理由も意味もない。
その感情が何処から来たのかなんて、僚には解らない。
けれど、柔らかな風が揺らす香の栗色の癖毛を見ると、胸がきゅんとする。
窓から朝日が差し込むと、香に触れたくなる。
香に優しくされると、生きていて良いのだと赦された気持ちになる。

オリーブの実をくわえた鳩は、僚に平和と香を運んで来てくれたのかもしれない。








何処から来たんだろうな。

私ね、あのカラスが連れてきたんじゃないかと思ってるの。





香の言う"あのカラス"というのは、毎日午前中の間、
サエバアパート付近の電線に泊まっているハシブトガラスである。
香曰く、そのカラスは毎日同じカラスで香がおはよう、と声を掛けると。
かぁ。と返事をするらしい。
どこまでが本当の事かは解らないけれど、僚にとっての本当は香の言葉だけだと思っているので、
あのカラスは、僚にとっても1羽の唯一無二のカラスだ。
香は付き合う人間を上辺で選ばないのと同様に、黒くて不気味な嫌われものにも先入観は無いらしい。
同じ新宿の住人だ。





ねぇカオリン、すみれの花言葉知ってる?


うぅん、知らない。りょお知ってるの?


いや、俺も知らね。






そう言って、僚は楽しげにすみれの花言葉を思いながらタバコを燻らせた。
この気持ちが何処から来て、何処に向かって行くのかなんて誰にも解らない。
ただ僚は香と一緒に、毎日を慈しみ、ご飯を食べて、セックスに励み、喧嘩をしながら生きていたいと、
漸くそう思えるようになった。

すみれの花言葉は、小さな幸せという。



[ 2014/03/12 16:03 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

09 触れるだけの唇

僚は夕飯のメニューを見て、これは何か今日という日と関連があったりするのだろうかと考える。
テーブルの真ん中に置かれたガスコンロの上の土鍋では、ぐつぐつと豆乳鍋が煮えている。
白い出汁の中から見え隠れするのは、オレンジ色が鮮やかな鮭の切り身と。
立派な大きさのブナシメジだ。
大きめに切られた豆腐も、イイ感じで湯気を立てている。
豆乳鍋以外の箸休めに、春菊の白和えがある。
これというのは、もしや。




(・・・ホワイトデーに掛けているのか????)



僚は疑問に思いながらも、グラスに注がれたマッコリを飲み干した。
いつもなら熱々の鍋物には、冷えたビールがつきものだけど。
何故だか今日の晩酌は、マッコリらしい。
僚はその甘ったるい酒があまり好きでは無いが、どうやら香の話しによるとそれは貰いモノらしい。
近所の酒屋の親父からの、チョコレイトのお返しだそうだ。

“これなら、香ちゃんでも飲みやすいし、たまには僚ちゃんに付き合って晩酌でも”

という、計らいだそうだ。
せっかくだから、僚も飲んでね、と邪気も無く微笑まれたら。
メシには合わないからヤダ、とは言えずに僚は一杯だけ付き合った。








カオリン。


なぁに?


なんで今日のメニューは真っ白なわけ?ホワイトデーだから?


?????





香には、一瞬なんのことか解らなかったらしい。
キョトンと首を傾げて、暫く考えてからハッと息を呑む。
自分で食卓を整えておきながら、僚に言われて初めて気が付いたらしい。





違う、豆腐と鮭が特売だったの。




たまたまだよ、と言いながら香はケラケラ笑った。
白和えは、何となく春菊が食べたくなっただけだし。
マッコリに至っては、全くの予定外だった。
買い物帰りに酒屋の前を通りがかった所で、店主に声を掛けられ貰ったのだ。
そう言って、脂の乗った鮭を頬張る香の唇に。
僚は知らず視線を移してしまう。
香は全くの無警戒で、僚の熱の籠った視線になど気付きもしないけれど。
これが香以外の女なら、多分食卓の空気は途端に艶めいたモノになるだろう。
この相棒は、年齢に比して無邪気にも程があると、僚は多少イラッとするが。
それもこれも香の思春期からこれまでに於いて、
僚自身が香のこのような人格形成に多大なる影響を及ぼしているので、
ここで僚がイラつくのは、全くのお門違いというものだ。








思えば、半月ほど前。
午後の平和なリビングで僚は、
相棒へのチョコのお返しに、1発キスでもかましてやろうと考えていた。
それならお金も掛からないし。
妙な所で現実的な相棒も、実際は意外に少女のように夢見がちなので喜ぶだろうと。
しかし、改めて当日を迎えると。
僚は夕飯を食べる頃合いになっても、その様な雰囲気に持ち込む事など微塵も出来そうにない。
ましてや相棒は、僚からのお返しなど一切期待などしていないかのような態度である。
ていうか、そもそも喜ぶんだろうか相棒は。と、根本的な疑問まで湧いてくる始末だ。
夕方、香は。
僚に満面の笑みで、伊勢丹の紙袋を寄越した。
中身は、今夜僚が盛り場で配って回るお返しだ。
もうじきこの食事も終わると、香はきっと食後のコーヒーを淹れて、
妙に物分り良く、僚を見送るのだろうと思うと、僚は焦っていた。
一体いつのタイミングで、かましてやろうかと。


ふざけた遊びの延長ならキス位、挨拶代わりみたいなものだけど。
いざ、目の前の大本命にアタックしようと目論むと、無意識に掌が汗ばむ。










香はお腹一杯だなぁと思いながら、ミルを挽いていた。
僚はご飯もモリモリ食べていたけれど、
香は鍋の締めにうどんを入れる予定にしていたので、ご飯は食べなかった。
3日前に行ってみた伊勢丹の特設売り場は盛況だった。
マシュマロとクッキーとキャンディと、3種類を均等になるように買った。
後は、僚が適当に女の子達に配るだろう。
どうせ僚からのお返しは期待していないから、香は自分用にゼリービーンズを買った。
きっとコーヒーを飲み終わったら、僚は出掛けてしまう。
香はわざとゆっくりと、豆を挽いてみる。
本当は、出掛けて欲しくなど無いのだ。





香。




大抵、コーヒーが入るまでリビングで待っている筈なのに、
珍しく僚が、キッチンに戻って来た。








あ、ごめん。もうすぐだから。


え?あ、あぁ、いやそれは良いんだけどさ。


どうしたの?


・・・・お返し、まだだったからさ。







そう言いながら僚が、香のほんの傍までやって来て。
ホンの少しだけ、
触れるだけの、
キスをした。
一瞬、何が起こったのか解らなかったほどの、微かな触れ合いだけで。
香はまるで熱いお湯を呑み込んだように、胸から顔にかけてカッと火照るのが解った。
コーヒーを挽いていた事は、完全に忘れてしまった。
ボンヤリと、僚の顔を見上げるだけで精一杯だった。
僚の目が激しく泳ぐ。
けれど、香の方が輪を掛けて動揺しているから、僚の動揺には気付かない。










それとさぁ、今日帰って来る時に依頼持って帰って来るわ。


ふぇ??


まぁ、チンケな依頼だけどさ。無いよかマシだろ?







本当は、香の欲しいモノは『依頼』だったから。
僚はこの数日、依頼が無いか教授や冴子にそれとなく打診してみたけれど。
普段、香と違って熱心な営業活動などしない男の売り込みに気味悪がられて終了した。
どうでもイイ時には、重なる面倒な厄介事も。
いざ心待ちにしてみると、そんな都合の良い依頼など来ない。

ちょうど昨夜、そんな僚の元へと舞い込んだのは。
リョウちゃんが香ちゃんの為に依頼が欲しいんだって。という噂を聞き付けた、
ゲイバーのママの飼い猫を預かるだけの簡単なお仕事だ。
なんでも彼は明日から3日間、店を休んで温泉に出掛けるらしい。
予定では、馴染みのペットホテルを利用するはずだったけど、
そんなワケで、急遽、冴羽商事へと依頼する事に相成ったのだ。


香は猫が好きだし、預かるだけなら簡単だし、幾らかでも報酬が貰えるし。
夢見がちなほうのお返しはキスで返して、
現実的なほうにも一応、折り合いは付けてみた。
真っ赤になって泣きそうな顔をしている相棒を見ていると、僚の方までこっ恥ずかしいので。
僚はワザとぶっきら棒に、香の癖毛をワシャワシャと掻き混ぜると、
紙袋を片手に夜の街へと繰り出した。











お返し編。
この前の続きのようなもの。

ご訪問・拍手・コメント 毎度ありがとうございます(*´∀`*)

おはこんばんちわ。
またしても、拍手返信をオサボリしている
ケシでございます(汁)

↑汗では無く、変な汁が滲み出ております。

いやはや、随分春めいて参りまして。
早いモノで3月も後半に突入でげすよ(((;゜Д゜)))

拍手やコメントへの御礼の代わりに、ちょっくら書いてみました。


↓↓↓↓↓
[ 2014/03/18 01:07 ] ごあいさつとお知らせ | TB(0) | CM(0)

05 手を繋いだらその先は

水切り籠の中に伏せられたピカルディグラスに
勢いよく蛇口から溢れ出る水道水を注ぐ
早い春の夜気は数週間前よりも温み水道の水も凍るほどの冷たさは無い
僚のオーバーサイズのグレイのTシャツを着ると
裸のヒップは隠れてまるでそれはミニワンピのようになる
それを被ったのには特に意味も無い
ベッドのすぐ傍らに落ちていたのがそのTシャツだったからだ
Tシャツからは薄い煙草の匂いと柔軟剤の匂いがする



グラスの中の水を一息に飲む



たとえば僚なら
全くの裸ん坊で部屋を出るんだろうけど
さすがに香には誰が見ているというワケでも無いけれどそれは躊躇われる
とは言えTシャツの下は香も裸ん坊だ
香が喉の渇きを覚えて目覚めると僚は小さな寝息を立てて熟睡していた
見た目よりも意外に肉厚な僚の上唇が薄っすらと捲れて
少しだけあどけない少年のような寝顔だった
香を抱く時に心底楽しげに意地悪く責め立てる彼とはまるで別人だ
香の腰に回された筋肉質な腕は香が柔らかく持ち上げると
あっさりとシーツの中に仕舞い込まれた
香の目覚めが僚の睡眠の妨げにはならなかった様子に香は無意識に微笑んだ





昼間
3週間に亘って関わっていた依頼が終わった
依頼人の男性は命を狙われていたのでその間ずっとこのアパートに滞在した
以前は香の部屋だった6階の客間に寝泊まりするのは今では専ら依頼人だけだ
依頼人を2人で駅まで見送ってその足でスーパーに出掛けた
家に帰ってコーヒーを淹れて一服して
頃合いを見て夕飯の支度をして
夕飯を食べながら少しだけ2人ともビールを飲んで
食後のコーヒーを飲みながらキスをして一緒に風呂に入って
風呂から上がってセックスをした

丁寧に生きていると思う
生きている実感を噛み締めながら生活している

時々2人で仕事して栄養と予算のバランスを計算した食事を作り
家の中を磨き節約をして僚の手綱を締めたり緩めたり加減しながら
毎晩同じベッドで眠り何度もキスをする
香が僚とこんな風に生活するようになってまだそれほど時間は経たない
数ケ月といったところだ
それでも香にはもうそうなる前がどんな風だったのか記憶は随分薄らいでいる
お互いに悶々と片想いを煮詰めながら焦げ付く寸前だった同居生活の方が長いのに
現金なモノで甘やかな現実は辛かった事や悲しかった事など簡単に上書きしてしまった
長くて苦しかった片想いを簡単に凌駕してしまう程度には香は今幸せだ
僚の手はいつだって温かく視線は灼けるほど熱い





グラス1杯の水を飲み干すと途端に体感温度が下がる
靴下もスリッパも履かない素足が冷える
抜け出して来たシーツの中が恋しくなって香は早く戻ろうとグラスを洗おうとして躊躇った
指先の匂いを嗅ぐと僚の匂いがする









その指は僚の柔らかな黒髪を梳いた

その指は僚に甘く噛まれ

その指は僚をなぞり 掴み 摘み 撫ぜた

僚に触れ僚を感じ僚を慰めた




だから指先から僚の匂いがする
多分この匂いを知るのはこの世で香だけだ
香を抱くのと同じように女を抱いた事など僚はこれまで一度も無い
香は僚との情事を終えて目覚めた時その指先の匂いを嗅ぐのが好きだ
僚のあらゆるポイントに触れ僚と指を絡め合ったその指を
そのままにしておきたくて
香はグラスは洗わずにシンクへと置いたままキッチンを出た







僚と初めて手を繋いだのはいつだっただろうと香は思う
それはもう随分昔の事のようにも思うけれどハッキリとした記憶は無い
エロティックな意味合いを含まないスキンシップなら
2人ともこれまで何度となく交わしてきた
僚がどう感じていたのかまでは香には知る由も無いけれど少なくとも以前の香は
手を繋いだただ純粋にそれだけの行為によるドキドキ感しかなかった
そこから先を連想出来る程の経験が無かった
今現在の香が連想するのは
僚に組み敷かれながら口付を交わし指を絡め合うひと時や
穏やかな気持ちで手を繋いで眠る事だったりする
少しは大人になった
僚が香を大人にした



きっとベッドに潜り込んだ香に僚は目を覚まして冷たいって苦情を言うだろう
すっかり冷えた足先に長い脚を絡めて
僚の匂いがする指先は大きな掌の中に包み込んでくれるだろう
もしかするとそのまま済し崩し的に口付が始まりもう一度愛し合うかもしれない
はたまたそのまま香を抱き込んで温めながら眠ってしまうかもしれない
香は冷たい素足で階段を踏みながら無意識に軽やかな足取りで寝室に戻る



いずれにせよ彼の眠るそこは香にとって幸せな場所に違いは無い





中年よ相棒を抱け ~Go ahead!! Saeba~

『今日の晩ご飯は、ココで食べるから♪ 19:00に来てね




その香からの書置きには、そう記されていた。
場所は西新宿の某シティホテル、
新宿の夜景を一望できるレストランに香はどうやら、19:00に予約を取っているらしい。
3月26日は、香が僚の為に制定した僚の誕生日だ。





僚の憶えている限り、僚の人生で一番初めの記憶は。
焦げ臭いオイルの匂いと乾いた木の枝が静かに灼けるパチパチという音だった。

周りに転がった人間らしき物体に意思は無く、
僚ただ一人だけが傷一つ無く無事にその修羅場に放り出された。
放り出されたショックからかトラウマか、後々、僚は何度もそれ以前の事を思い出そうと試みたけれど、
なに1つ思い出せる事は無かった。
父の顔も母の面影も自分の名前も、誕生日も。
そもそもその時点で、己が幾つだったのかも知らない。
二番目に憶えている光景は、上書きされた僚の新しい世界の唯一の父親、海原神の後ろ姿だった。
まるで迷子の仔犬でも拾ったかのように海原は、何度も僚を振り返ったし。
その度に僚も必死に彼の後を追って、密林の中を長い事歩いた。


それから、僚の世界は何度でも上書き更新された。


見知らぬ浅黒い男達が寝起きする簡素なテント、聞き慣れない言語の洪水。
殺伐とした幼少期の記憶。
初めて人を殺めた記憶。
初めて手酷い裏切りを受けた記憶。
初めて銃弾を受けた記憶。
殺伐とした中にも、温かい男達との絆の記憶。
初めて女を抱いた時の記憶。
その度に、僚の世界は拡がり、歪み、肉付き、抉られ、傷付きながらも形成された。
僚という不完全で危うげで繊細な男に、唯一足りないのは。
甘やかで穏やかな“家庭”の記憶だけだ。


その小さな断片ですら他人に知られると、大抵は大げさに同情された僚の人生だけれど、
(だから、僚は他人に自分の事を語るのを好まない。)
僚自身は、これといって不幸だとも思わなかったのが正直な所だ。
僚には、自分以外の人間の人生など知り得る事もなかったし、
元来僚は、他人を羨んだり、妬んだりするような精神は持ち合わせていなかった。
持てる者と持たざる者の同居するこの世界の構造を、重々身を持って知っていたし、
この世界がそれ程単純なモノかというとそういうワケでも無い事を、僚は良く良く知っていた。
僚は自分の身の程を知っている。
だからこれまで、生きて来られた。
自分を過信しない、けれど自分を疑う事もしない。
自分に何が出来て、何を持たないのか、法はいつでも自分の中に存在したし、
それを培う為の鍛錬の時だったとするならば、
あの“オヤジ”と過ごしたゲリラ部隊での暮らしも、オヤジから受けた手酷い裏切りにも、
全てに意味があったんだと、僚は今ならそう思える。



次々と、新たな局面が僚の前に立ちはだかったりもした。

相棒だと思っていた男と決闘させられたり、
相棒だと思っていた女をこましたら結婚を迫られたり、
相棒になるつもりなど無かった金髪男と、何の因果か同じ女を共有していたり、
挙句に有耶無耶のうちにコンビを組んだり、
随分昔に世話になった爺さんの伝で、小さな極東の島国に流れて来たり、
そこにすっかり居ついたり、
そこで元警官の妙に人懐こい男に懐かれたり、その妹に惚れられたりして。

いつの間にか、僚も香に惚れていた。







僚はシャワーを終えた素っ裸で、着て行くモノを選ぶ。
肩に掛けたバスタオルは、清潔な柔軟剤の匂いがする。
香が僚に内密に、絵梨子の元でバイトをしたらしいのは先月の話しだ。
それに僚が気付いているという事は、香には秘密だ。
だから今夜のホテルディナーはきっと、香から僚へのサプライズらしい。












おまぁ・・・なんだよ、そのカッコ。




そう言った僚は一応、キッチリとアルマーニのダークスーツで決めていた。
いつもは無造作な黒髪もパリッと撫で付けて、ホテルのロビーでも廊下でも僚は人目を惹いた。
しかしそのレストランの中では、僚以上に香が人目を惹いていた。
勿論、客層はその辺の牛丼屋とは違うので、
不躾な視線をぶつけて来るような下品な客はいない。
皆一様に、そうとは悟らせないさり気無さでチラチラと2人を盗み見る。
いつもは柔らかく揺れる栗色の猫毛は、サイドをかっちりとワックスで固められ、
トップはその天然のウェーブを活かして、チャーミングに整えられている。
真っ白な頬に長い睫毛が影を形作る。
何も乗せない唇はそのままで充分に艶やかで、
鼻筋の通った横顔は、中性的で性別を超越した色気を放っている。
僚のダークスーツに負けず劣らず上質な、タキシードを身に着けている。
明らかに僚よりも若くてイケメンだ。

まるで彼女は美しい青年のようにも見える。
老いも若きも男も女も、彼女を眺めて息を呑む。
恐らく今夜の彼女の装いに、親友が裏で手を貸したのは一目瞭然だ。





だってほら、今日はシュガーボーイ記念日じゃん?





そう言って、悪戯っ子のように笑う香に、僚の理性が一瞬だけ揺らぐ。
今では僚は、彼女のそのシックな装いの中の中まで熟知している。
例え男装していても、その魅力には抗えない。
3月26日は僚の誕生日であり、
2人が2度、印象深い出逢いをした日でもあり、
香にとっては、2度盛大に男の子に間違われた日でもある。
誰あろう、この目の前のパートナーに。




料理は文句のつけようも無く、最高だった。
2人は少しだけ気取って、ナイフとフォークの食事をしながら他愛も無い話しをした。
僚は色々な事を思い出していた。
幼い頃の僚の本当に必要だった時期には、優しい誕生日の思い出など皆無だった。
誕生日すら無かったのだ。
僚の人生に於いて、誕生日のお祝いが登場したのは、まだホンの数年前の事なのだ。
食後にデザートと濃い目のコーヒーが供されたところで、本日のコースは終了だった。



・・・あ、ああのね、部屋取ってあるの・・・


そう言って、香が真っ赤に照れる所まで含めて最高の夜だった。
女の方からスイートルームのキーを差し出された事は、僚にとって初めての体験だった。
男装をしてサプライズのお祝いをしてくれる女も。
全てが香は、僚にとって初めての女だ。










その部屋のドアを潜った瞬間に、2人はドアを背にして口付け合った。


夜の始まりはいつもよりせっかちで、実はバースデイのメインディッシュはここから先だ。
ドアから贅沢なリビングルームまで2人は縺れ合いながら、キスをしながら進む。
ジャケットは互いに絨毯の上に脱ぎ捨てて、僚はタイを緩める。
夜景が煌めく大きなガラスに香を押し付けて、香のタイを解きかけて僚の手が止まる。
思わず頬が緩む。
香は僚の首に腕を回して、僚の襟足を弄ぶ。
そのシルバーとチャコールグレイの縞のエルメスのネクタイは、僚の持ち物だ。
夕方、クローゼットでスーツを選んだ時にも、食事中にも、全く気が付かなかった。
自分のタイを身に着けた恋人に、僚は腹の底から沸々と欲情する。





これ、俺の?



ネクタイの先っぽを持ち上げて、香に問えば。
香はコクンと頷いて、ペロッと舌を出す。
しかしサプライズはもう1つあったりする。
気持ちが逸るのを宥めながら、僚が香のシャツの3つ目のボタンを外した時。
そのタキシードには不釣り合いの、真っ赤なレースが現れた。
見間違うワケは無い。
その下着を選んだのは、誰でも無い僚自身だ。
素材はシルク、レースがふんだんにあしらわれた繊細なランジェリーは、
繊細でありながらかなり際どいデザインで、約2週間前のホワイトデイに香へとプレゼントした時に、
香は心底イヤそうな顔で、辛うじてありがとうとだけ言ったのだ。


だから僚は、それを香が身に着ける事に関しては、半ば諦めていたのだ。
そうやって香の箪笥に無駄に増えてゆく下着は、ゆうに20セットを超える。


今回のこの赤い上下セットは、ガーターベルトも合わせて贈った。
僚は瞬時に、スラックスの中でストッキングに包まれた香の美脚へと思いを馳せる。
僚にはあまり物欲などは無い。
特に欲しいモノも無ければ、金にも興味は無い。
だから香から贈られたこの夜は、僚にとっては最高のプレゼントだ。
まるでリボンを掛けられた贈り物のような彼女を、紐解く為に。
僚は香を抱き上げた。




僚の世界は上書きされる。
最愛の相棒が傍に居てくれさえすれば、もう僚には悪い事など何も起こらないような気がした。
数年前、彼女と出逢ったこの日に。
僚は生まれた事にする、これから先死ぬまでずっと。






[ 2014/03/25 21:31 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

猫改め、香と殺し屋。猫に嫉妬する女、野上麗香。

このお話しは、パラレル長編“猫と殺し屋”の番外編です。
まだお読みで無い方は、そちらも合わせてお読み戴けると、
その世界観がよりお解り戴けると思いまぁっす(*´∀`*)ノシ(宣伝)













その駅前のカフェの喫煙席で、2週間ぶりに彼の大きな背中を見付けた。


たまたまだった。
長引いていた依頼は、後味の悪い結果に終わり。
苦々しい気持ちのまま事務所兼自宅に戻るのが嫌で、そこに立ち寄った。
勿論1人だったけど、贅沢を言えば誰かと他愛も無い話しをして気分を変えたかったから。
そこに彼を見付けた時、麗香は無意識に頬を緩めた。
見慣れたツイードのジャケットに、草臥れたジーンズ。
癖のある黒髪は、襟足で小さくカールしている。
広い肩越しに揺らめく紫煙が、天井の空調に吸い込まれる。
あのジャケットの内側には、
使い込まれたホルスターと拳銃が忍ばせてある事を麗香は知っている。
麗香は煙草を吸わないけれど、
空調とガラスの衝立で分煙された、喫煙席へと迷わず進んだ。







その店に、僚は初めて入った。
新宿駅のすぐ傍、近所と言えば近所だが僚の行きつけは同業者夫妻の暇な喫茶店なので。
その全国にチェーン展開するようなカフェには、普段は用は無い。
それでも、その日の打ち合わせでクライアントからその店を指定されたからそこに居たのだ。
打ち合わせ自体はすぐに済み、クライアントは帰った後だった。
僚はオーダーしたコーヒーをゆっくりと飲みながら、
その1本を喫い終わったら帰ろうと思っていた。
そんなタイミングで声を掛けて来たのは、隣に住む女探偵だった。







久し振り、僚。元気してた?


おお、麗香。随分、久し振りじゃね?






僚は数年来、この女探偵に惚れられている。
それに気が付かない程、僚も鈍くはない。
上品なブランド物のスーツ、バッグ靴メイク。
誰もが振り返って、2度見3度見してしまうような上玉だけど。
僚はこの女の好意には、気が付かないフリを決め込んでいる。
生憎、ご近所さんという以外の感情は僚には無い。
それに何より、彼女はかの警視庁の女豹・野上冴子の妹なのだ。
安易に思わせぶりに弄ぼうもんなら、地獄を見る事ぐらい想像に難くない。
だから、面倒臭い事はシラを切って、気付かないフリに限る。
それもある種の優しさだ。





麗香はオーダーを取りに来たウェイトレスに、カプチーノを注文する。
注文しながら、僚の言葉を脳内で反芻する。

『随分、久し振りじゃね?』

なんて言うけれど、久し振りにしちゃったのは何処のどいつよ、と麗香は胸の内で毒づく。
カウンターの僚の隣の席で、携帯の画面を確認するフリをしながら、
声のトーンを慎重に吟味しながら、質問する。
あくまで、嫌な女にならない程度に、けれど棘は含ませて。




仔猫ちゃんは?お元気?




麗香の訊ねる“仔猫ちゃん”には、“香”という名前がある。
仔猫ちゃんが香になって、もう2年程になる。
僚と香の周りの人間はもう、誰も香の事を猫ちゃんとは言わない。
“香”と呼ぶ。
その中にあって、麗香だけは未だ香の事を仔猫ちゃんと呼ぶのだ。
麗香は僚に、香の事を訊ねるけれど。
僚とはお久し振りにも係わらず、香とは週に2度は必ず顔を合わせるのだ。
だから、香が元気な事は知っている。
昨日の朝も会ったから。



















れーか、おはよう。





背中にそう声を掛けられて、麗香は朝から少しだけイラッとする。
振り返ると、燃えるゴミの袋を手にした香が立っていた。
スラリとしたモデル体型に、ノーブラで僚のブカブカのTシャツを着て。
僚のボクサーパンツ(白にピンクのハート柄だ)を穿いている。
足元には、僚のビルケンシュトックのサンダルを突っかけている。
その柔らかそうな子供の髪の毛のような栗色の癖毛は、寝グセで盛大に跳ね返り、
Tシャツからスラリと伸びた二の腕は、驚く程華奢だ。
その首筋に鮮やかなキスマークを残したのはきっと、麗香が片想いをしているあの男だ。
明らかに彼女の着ているものは、寝る前に僚が着ていたTシャツであり、パンツなのだろう。
そう考えると、麗香は無性にこの目の前の猫娘に苛立ちを覚える。
彼女は何故だか、僚がそう呼ぶのを真似るように。
麗香の事を、“れーか”と呼び捨てにする。


近隣にあるのは、事業所や店舗ばかりで。
この近所に、普通の家庭は意外に少ない。
その集積所は、近隣の4軒で使っている。
半年づつ持ち回りで、その集積所の管理をそれぞれ担当する。
ちょうど今は麗香の担当で、収集車が出て行った後の掃き掃除などをやらなくてはいけない。
香が良い子で、麗香を呼び捨てにする事に何の悪意も他意も無い事は。
その掃き掃除を、毎回楽しげに手伝ってくれる事でも良く解る。
だからこのイラツキは、ただ単に麗香の嫉妬でしかない。
麗香が惚れている男に愛されている女(元猫)。
しかも、無邪気。
麗香が掃いたゴミをしゃがんで、塵取りで受けてくれる。
けれどそのしゃがんだ彼女の癖毛から、彼の匂いがふわっと薫る。
それを憎らしいと思う自分が、醜くて麗香は嫌いだ。




香には元々猫だから、出来る事と出来ない事がある。
料理は火も使うし、刃物も使うからと、僚は香にはやらせない。
それでも、家の中の掃除とか、洗濯とか、少しづつ教えると、
香は難なくそれをこなせるようになってきた。
ゴミ捨てもその1つだ。
毎週、月・木。朝7:00までに、集積所に出す。
昼夜逆転している男が、恋人に任せるようになった家事の内、
ゴミ捨てがこれまで一番の苦痛だったのだ。
飲み過ぎて帰れば、ゴミの事などすっかり忘れるし、
いつも朝起きてというよりも、朝寝る前の雑用だったのだ。
それを香に教えると、香はいつもゴミ出しの日にはもぞもぞとベッドを抜け出して、
ゴミを出しに行くようになった。
もっとも、半分寝惚けた僚は。
香がその辺に脱ぎ捨てられた、己のシャツやパンツを身に着けて外に出ている事は知らない。

麗香にしてみたら、ゴミ捨て場で僚と朝から一言二言会話を交わすのが、
日常の些細な楽しみの1つだったのに。
いつからか僚が現れなくなった代わりに、現れるのは彼女になったのだ。
しかも、濃密な2人のスキンシップの名残を纏ったままで。

もっと以前、彼女がまだ猫だった頃。
麗香は猫を可愛がった。
好きな男が可愛がる猫が可愛かった。
けれど、それは猫だからで。
猫がある時、超絶別嬪の彼の彼女になっちゃったりしちゃったりしたら、
それはもう、全く太刀打ちできない強力な恋敵だ。
けれど、香にしてみればまた見方は変わる。
仔猫の頃に可愛がってくれた麗香に、香は懐いている。
香には恋敵とか嫉妬とか、そういう事は解らない。

麗香も頭では重々解ってはいるのだ。
この恋に幸せな結末は無いし、彼は彼女のモノだという事ぐらい。












あぁ、元気元気。多分、今頃昼寝してんじゃねえかな。





僚は香の事を話す時、本当に楽しげに笑う。
それは香が仔猫の頃から変わらない。
猫だろうが人間だろうが全く気にせず愛し合っているのは、当人たちで。
それって究極の愛じゃないの?とか思ったら、麗香は嫉妬している自分が馬鹿馬鹿しくなる。
麗香が香の事を頑なに、仔猫ちゃんと呼ぼうが。
そんな事に拘っているのは、麗香1人だ。
けれど今はまだ、その気持ちに踏ん切りを付けられないでいる。


まだまだ当分、麗香は彼女の事を“香さん”とは呼べそうも無い。
苦々しい気持ちを、ほろ苦いカプチーノで流し込んで、
麗香は訓練された美しい作り笑顔で、彼の吐く煙草の匂いを嗅いだ。








幸せな2人を他人目線で書いてみるとこうなる(笑)
という、一例です。


[ 2014/03/28 23:33 ] 長いお話“猫と殺し屋” | TB(0) | CM(0)