Thank you for your tenderness

交通費はね、向こう持ちだからタクシーを呼んだよ。






香は客間のドレッサーに向かいながらそう言って、深いボルドーのルージュを引いた。
ティッシュを一枚引抜くと、軽く上下の紅を押さえてそこに、ゴールドカラーのグロスを乗せる。
その一部始終を、客間の入り口と廊下の境界線に立って見ている僚に。
少しだけ視線をくれると、ニッコリと微笑んだ。

だから、少しぐらい飲んだって平気だよ?

これから仕事に行くと言うのに、相変わらず相棒は僚に甘い。
また鏡に向き直り、プラチナのピアスを着けながらそんな事を言う。
そのピアスに仕込まれた石の裏側には、小型の発信機が付いている。
香の身支度を見詰めながら、ニヤついている僚もまた、日頃は着ないようなよそいきだ。
勿論、僚の仕立ての良いスーツも、香の上質なドレスも、香の親友から提供されたモノだ。
生憎、冴羽商事には、その様なモノをたとえ必要経費だろうと購入する余裕は無い。
物好きな某デザイナーは、季節に応じて何かと贈り付けて来るので、
こういう時には、非常に重宝している。











依頼の内容によっては、2人はおよそ縁の無いパーティー会場に潜入を余儀なくされる場合がある。
僚も香も堅苦しいのは嫌いだが、お仕事なのでしょうがない。

それでも、今回に関しては。
依頼内容も大したモノでは無いし、とある金持ちの身内同士の諍いだ。
解決の目処もほぼ付いているという事で、香の発言もやや甘いのは否めない。
パーティーは、依頼人の娘のバースデイパーティーだ。
今年、23になる娘の誕生日を、某高級ホテルの広間を貸し切ってやるという感覚は、
冴羽商事の2人には理解不能だが、世の中にはそういう人種もいるらしい。

揉め事の発端は、その娘の婿取りに関する事だった。
依頼人には、その1人娘だけで他には子供に恵まれなかった。
彼女が中学に上がる頃、親戚同士の話し合いにより、
娘婿には親戚筋に当たる5つ年上の男が選ばれた。
しかし、彼女が年頃になって恋をしたお相手は苦労人で、とても聡明で人柄のよい男だった。
片や、予定にしていた親戚の道楽息子は、親の財産を食い潰すばかりの放蕩息子に成長した。
そこで一旦、親戚同士での取り決めは白紙に戻った訳だが、相手方は納得しなかったのである。
そこには、財産・相続・地位・名誉など、世の中の大半の大人の事情が絡んで来て、
若い2人の恋路を阻む妨害が、後を絶たなかったのである。

その話しを聞いて、香は独りヒートアップした。
何としても彼女の縁談をつつがなく纏める為にも、妨害には屈さないと息巻いた。
そして、冴羽商事の2人が行ったのが、多少、姑息な手ではあるが。
例の放蕩息子に対する、ハニートラップだった。
戦闘員なら、幾らでも僚のつてで確保できる。
ボンボンの放蕩息子よりも、1枚も2枚も上手の手練れの女達を放蕩息子の元へと送り込んだ。
遊び人を自認するチャラいボンボンなど、手玉に取る事など簡単な事で。
複数人の戦闘員(キャバ嬢)たちが、同時に彼を色仕掛けで罠に嵌めた。
勿論、彼の言動、行動は全て僚に筒抜けであり、それは即ち依頼人の身内全てにも筒抜けだ。
知らぬはボンボン本人とその両親だけである。
僚と香は一応、興信所の調査員で素行調査の名目で、
今夜、誕生日会の席でその報告書を発表する事となっている。
そして、同時に彼女の恋人を婚約者としてお披露目する予定だ。






















カオリン、ちょっと飲み過ぎじゃね?




依頼は無事、何事も無く終わった。
何しろ恥ずかしい証拠が次々と出て来るのだ。
相手方も強くは出て来られない、自業自得とはまさにこれだなと、僚は背筋に悪寒が走った。
今でこそ、カオリン一筋の新宿の種馬だけど、数年前までは自分も他人の事は言えない。
ロクデナシだった。
もっとも、香は。
そんなロクデナシの事をも見捨てずに、一途に愛してくれたので今がある。


季節柄、ワインが美味しい。
香は強くも無いクセに、勧められるままグラスを重ねていて、陽気に僚に甘えている。
ピンヒールの足元にハラハラしているのは、僚1人だ。
外の世界は、肌寒いを通り越した季節だけど、
香のドレスは季節とは関係無しに露出度がやけに高い。
クロークに預けたファーコートは、流石にデザイナー氏からの借り物だ。
普段、真っ白な首元がほんのりと紅い。
僚はもうそろそろかと、香を連れて会場を後にした。
依頼人の当主はしきりに2人に感謝し、帰り際、恐ろしく高価なシャンパンを持たせた。














ねぇ、りょお。帰ったら、シャンパン飲もうね。






そう言って僚にしな垂れ掛かる香の呂律は、もう既に怪しい。
タクシーに乗り込んですぐに、ファーコートは脱いでしまった。
無造作に座席の片隅に追いやられ、酷い扱いだ。
素面の香本人が見たら、眉を潜めるだろう行動だが香は酔っているので問題無い。
僚はそんな事はどうでも良いので、香の華奢な腰を抱き寄せる。




あぁ?今日はもう、充分呑んだろう?


えぇぇぇ~~、イイじゃんたまにはぁ

Thank you for your tenderness



香は依頼の間中、例の放蕩息子に怒り心頭だった。
今回の一件で、ヤツに大打撃を食らわしてスッキリしたのだろう。
今日の香はいつにも増して、大胆だと僚は思う。
思うケド、言葉にはしない。
このままアパートに着いたら、酒など飲まずに寝室へ直行しようと思っている。
抱き寄せた香の、甘い匂いを感じながら邪な想いを募らせる。
少しだけ渋滞する夜の街には、気の早いイルミネーションが灯っている。


少しだけ窓の外へ、気を取られた隙だった。
ワインの色をした香の唇が、僚の頬に触れた。
僚の首に回された香の手と指先は、僚の髪の毛を愛おしげに擽る。
もう待てないから、取敢えず。
僚はその艶やかな唇を塞いだ。



ルームミラー越しに、僚と運転手の視線が重なる。

鏡に映った僚の頬には、深い色をした形の良いキスマークが鮮やかに残っている。
僚がおどけた様に、眉を吊り上げると。
運転手もニヤッと笑って、肩を竦めた。
信号が青に変わって、タクシーは更に加速して夜の新宿へと急いだ。


僚は心から、相棒に感謝している。
愛してくれている事に。
傍に居てくれる事に。
優しく柔らかく、自分を甘やかしてくれている事に。
もうすぐ、冬が始まる。















やっと、書こうかなと思えるようになりました。
タイトルは、励ましてくれた皆様へ捧げる言葉です。
ありがとうございました。
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[ 2013/12/01 11:18 ] 短いお話 | TB(0) | CM(10)

お題92. 有罪か無罪か

ねぇ、美樹さん。ちょっと、相談があるんだけど・・・・






香が声を潜めてそう言った時、昼下がりの喫茶・キャッツアイには2人以外、誰も居なかった。
だから、声を潜める必要は全く無いのだけれど。
香のその表情を見れば、“相談”とやらの内容が何となくは察しが付く。

美樹の夫は非常にシャイである。
それは、美樹がまだ幼い少女の頃から変わり無い。
今の歳なって振り返れば、男だらけの戦士たちの世界で。
若い兵隊たちは、性欲の話題に関してはあからさまだった。
その当時の美樹には、よく意味が解らなかったけれど。
今にして思えば、そういう話題で盛り上がっている間、
夫は美樹をさり気なくその場から連れ出して、2人きりで武器の手入れをした。
そんな時間の中で、自然と美樹は武器の取り扱いを学んだ。

ファルコンは、すぐに顔に出ちゃうのよね。と、夫を思い出しながら目の前の友人を見る。
ココにも若干1名、すぐに顔に出ちゃう人物がいる。
相談があると言った割に、真っ赤な顔をして伏し目がちに俯いている。
耳たぶは真っ赤で、これからどう切り出そうかと思案する様子は。
彼女の相棒でもあり、彼女を溺愛する彼女の恋人で無くとも、可愛いなと頬が緩む。

美樹は、自然な動作で香のカップにお替りのレギュラーブレンドを注ぐ。
香は思わず、顔を上げる。
お替りはオーダーしていないからだ。
香の表情だけで、何を言いたいのかを察するのは、美樹にとっては簡単な事だ。





良いのよ、サーバーに残ってたから。これ以上は煮詰まっちゃうから。




本来、オーダーごとに淹れるコーヒーを、美樹がこんな風に言うのは。
香にお替りの奢り分の事を、気にせず飲んでもらう為だ。
そう言って笑うと、美樹は背後のキャビネットから自分用のマグを取り出して、自分の分も注いだ。
香は嬉しそうにニッコリ笑う。
最近の香は、非常に幸せそうである。
長年恋い焦がれていた、スケベ男と正式に男女の仲となったのは、数ケ月前の事だ。
柔らかそうな頬は薔薇色で、伏せた睫毛は驚くほど長い。
カップを持つ指先はしなやかで、
この華奢な手でどうやってあのハンマーを操っているのだろうと、美樹は不思議に思う。





それで?相談って?




なかなか切り出さない香に、美樹がホンの少しの助け船を出す。
一瞬、躊躇いがちに息を吐いて、香は意を決したように話し始めた。






















・・・意味わかんない。





香は眉間に皺を寄せて呟いた。
場所は、冴羽アパート6階客間、シングルベッドの上。
キルティングのベッドカバーの上に、香は正座して腕組みをしている。
その真向いには、コチラも真剣な表情で胡坐を掻いた冴羽僚がいる。
そして、何やら深刻な表情の2人の間に置かれたモノは。



色とりどりの女性用下着である。



真紫のシルクサテンに、豪奢な黒いレースがあしらわれた上下セット。
白いシフォン素材のベビードールは、胸元のリボンで留めるようになっていて、
裾を真っ白なラビットファーが縁取っている。
深いグリーンのショーツは、
腰の両側が紐になっていて蝶結びを解けば簡単に脱げるようになっている。
その他にも、およそ、香が選びそうにない、良く言えばセクシー。
率直に言えば、卑猥な下着たちが小山を成している。
勿論、これらをセレクトして来たのは、目の前に座る男である。
彼は自称・人間メジャーという特殊技能を活かして、香の躰にピッタリの下着を大量に購入して来た。
それらは、見るからに高級そうではあるものの、どれにも共通して言える事は。


これ、肝心な部分を隠す気無いでしょ?


という事である。
香が愛用する下着は、もう少し実用的だ。
勿論、僚とむにゃむにゃするようになってからは、以前よりは少しだけ気にはするようになった。
例えば、これもうそろそろ寿命かもしれないなぁと思うけど、
勿体無いから使っていたブラジャーは、思い切って捨てた。
でも香が好きなのは、もう少し機能性とか着心地の方を重視したモノだったりする。
少なくとも。
今この目の前にある、非常に布地面積の小さいモノでは無い。
そして、更に香の理解の範疇を超え、香の思考を混乱させるものは、相方の理屈である。




僚曰く、これは過去への罪滅ぼしだそうだ。




これまで、香と暮らしてきた数年間。
僚は香の下着をくすね続けた。
ただでさえ苦しい家計の中で、
香にとってみれば下着を紛失する事は、多大なる経済的損失だった。
現場を押さえる事が出来れば制裁を加えて来たし、
僚のテリトリー内でそれらを発見したら、有無を言わさず回収した。
これまでの数年間、それは相方同士の奇妙な攻防だったのだ。
よくよく考えれば、唯一欲情しないとか言いながら、下着をくすねると言う行動に。
激しい矛盾を感じるし、冷静に考えればそこの矛盾を突けば、
僚を動揺させる事ぐらい簡単だった筈だけど。
何故だか香もそこには触れず、不毛な攻防を繰り返した。
それも、ある意味では2人の大切な歴史だけれど、傍から見たらコントである。


その無意味な遣り取りも、この所は既に過去のものとなっていて。
香はそんな事(僚の盗癖)すら、忘れつつあった。
しかし、3日前。
僚が突然、その大量の下着を得意気に購入して来たのだ。
それらは香が管理する家計費とは、どうやら別立てらしい。
エロ本や、エロDVDや、その他諸々僚の趣味に充てる為の特別会計らしい。
そこら辺には、香はノータッチである。
生温い目で遠目に見守っている。
それらのセクシーランジェリーを目の当たりにして、唖然とする香に。
僚は真剣な表情で、持論を展開し始めたのだ。



これまで散々、オマエの下着をくすねて来た。
その謝罪の意味を込めて新しい下着を買って来たから、これで無罪だよね?


どうやら僚は至って真剣らしいと、香はその眼差しから読み取った。
真剣な顔で、そんな事を言う冴羽僚という男を、大概でどうなんだと思うケド。
ふと、思い直すと。
香は、他でも無いこの男が世界で1番好きなんだよなぁ・・と、複雑な気持ちになった。
更に、黙り込んで呆れている香をヨソに、僚は飄々と言ってのけた。




じゃあ、過去の清算を終えた所で、今日はどれにしよっかぁカオリン



真剣な表情から一転、これ以上無いほどに鼻の下を伸ばす男を香は脊髄反射で叩き潰した。
それから3日。
僚はずっと、その事を根に持っているのだ。
曰く、自分は償った筈なのに酷いと。
しかし、香としては何だか釈然としないのだ。


一応、あれからその下着たちは、綺麗に畳んで自分のクローゼットに仕舞った。
釈然とはしないものの、下着に罪は無い。
そして、あれから夜が3回。
何だかんだで、香はその下着の中から比較的大人し目のモノを選んで身に着けた。
香は自分ばかりが損をしているような気がするのは、気のせいだろうかと思っている。



僚は過去に、香の下着をくすねた→(香には理解不能だけど)むふふ
僚は償いとして、卑猥な下着を香に贈った→(香には理解不能だけど)むふふ

香は過去に、下着をちょろまかされた→非常に困った
香はここ数日、不本意ながら卑猥な下着を身に着けている→釈然としない




こうして、事実を客観的に紙に書き出してみたりもした。
それでも。
こんな風に考えてしまう自分が、心が狭いのかなぁ???と、香は悩んでいるのだった。
確かに、僚が喜んでいるらしいという事だけは、満更でも無かったケドとも思う。

















ねぇ、どう思う??美樹さん?






どう思うかと問われて、これ程微妙な気持ちになった質問は、これが人生で初めてである。
美樹は曖昧な笑みを浮かべながら、コーヒーを啜った。
確かに、相談があると言われて水を向けたのは、自分だ。
けれど、誰がこんな話を予測出来ただろうか。




ねぇ、やっぱりさぁ、海坊主さんも下着の好みとかを押し付けたりするもんなの?




香のそんな質問に、美樹は不意に咽そうになった。
彼女の夫に限っては、そんな事はしない。
冴羽僚や、ミック・エンジェルとは、そう言う意味では対極にある。
美樹は苦笑しながら、それでも一応、相談をしてくれた信頼に応える為にも、話しを続ける。
それに香の言う“卑猥”なので、その下着たちがどの程度のものだったのかは定かでは無い。





ウチの事はどうでもイイのよ、香さん(汗)それより、そんなに酷いの?その下着って。


・・・・・・何処で買うのかなぁって感じかな。


・・・・・・そう。
でも、冴羽さんが喜んでて、香さんもそれ程嫌じゃ無いのなら。
気にしないでもイイんじゃない?



う~~~~ん、でもさぁ。百歩譲って、下着は使うとしてもね。


えぇ。


無罪になったっていうのは、釈然としないのよね。どう思う?


・・・そうね、有罪だと思うわ。日頃の行い込みで(苦笑)


そうよね、やっぱり(怒)









女達の意見が見事一致して、彼に有罪判決が下された時。
件の冴羽僚は、木枯らしの吹く晩秋の街角で、性懲りも無く、日課のナンパを繰り広げていた。
勿論、成果は0である。
この時の彼はまだ、数時間後に相棒から制裁を受ける事も知らずにいた。









[ 2013/12/04 20:09 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

お題74. 支える力

真っ暗な雑木林の中。
吐く息は白い。
香は腕時計を確認する。

22:38

最後のトラップのワイヤーを張って、香は無意識に息を吐く。
緊張していなかったと言ったら、嘘になる。
この林の先には、如何わしい商売を生業とする、けれど表向きは健全な実業家の別荘がある。
明日、朝一番に。
ターゲットである別荘の持主が、この林道を通る事になっている。
香の今回の役目は、この雑木林の林道に大掛かりなトラップを仕掛ける事で。
僚の今回の役目は、この数日の暗躍によりこの別荘へとターゲットを誘導する事と、
トラップに掛かった所を、捕獲する事だ。


その林道の先には、別荘の他は何も無く。
今はまだ、嵐の前の静けさだ。



僚と香は今回、別行動を選択した。
1つには依頼の遂行までに、それほど時間を掛けられなかった事と。
もう1つ。
いい機会だから自分に任せて欲しい。と、香が僚を説得した。
初め、僚はすぐにウンとは言わなかった。
たとえそこにトラップを仕掛けなくても、その先の別荘でケリを着ければ良いと考えていた。
しかし、調査を進めて行く中で、
当初の想定以上に、ターゲットの周りの護衛の人数が増えそうな事が判明した。
そうなると、黙っていないのは香だった。
雑魚はある程度、トラップで篩いに掛けた方が効率が良いと援護を買って出た。




僚は正直、不安が無いとは言えなかった。
香を信用していない訳では無い。
むしろ、きちんとやるだろう事はこれまでの経験上、予測は出来ている。
何より、香のトラップの今現在の腕前を、身を持って知っているのは、他でも無い僚だ。
それでも僚の胸の奥に、複雑な気持ちが過るのは。
きっと、ただのエゴだろう。
それでも、結局は僚は香に大切な局面を託す事にした。
確かに今では、2人でシティハンターなので、託さない理由は無い。






香はその日、ほぼ1日を掛けて緻密に張り巡らした罠を、振り返る。
全長2㎞ほどの私道には、大小さまざまな仕掛けが施されている。
果たして奴らのうちの何人が、無事あのロッジまで辿り着けるのかは未知数だ。
ココで足止めを喰えば喰うほど、僚の手間は省けるのだ。
そう思うと、この肉体疲労さえ心地イイと思うのは、
恋するアシスタントの悲しい性なのかもしれない。






僚の顔を最後に見たのは、今朝、朝食を囲むダイニングでの光景だった。

今日1日僚は、これまでずっと影から外堀を埋めていたターゲットの裏稼業に関して。
最後の一手を掛けている筈だ。
常に、警視庁の女豹とは連携している。
奴らの悪行は、シッカリとバレていて、僚が捕獲するまで泳がされている状態だ。
奴らが潜伏できる最後の砦が、その別荘なのだ。
明日、奴らは必ずそこへと駆け込む。
それは巧妙に練られたシナリオで、僚が描いた通りの動きを奴らは見せる。
セオリーなのだ。

香はお腹減ったなぁ、と思う。
途中、携帯していたチョコバーを齧った時は、まだ陽が高かった筈だ。
意識すると盛大に腹の虫が騒ぎ始める。
林道を外れて、10㎞ほど下った所の国道沿いになら、まだ開いている店があるかもしれない。
香が小走りでフィアットの傍まで戻ってみると。










小さな愛車の隣に、これまた小さな相棒の愛車が停まっていた。
そして、ミニのボディの向こう側に細く白い紫煙が見えた。








よぉ、おつかれ。





そう言って咥え煙草でニッと笑った僚が、放って寄越したホットの緑茶のペットボトルは。
まだ、充分温かかった。
助手席のシートから僚が取り出したビニール袋の中には、
お馴染みの牛丼チェーンのテイクアウトの容器。3人前。





なんで、3つ?


あぁ?俺が2つ喰うの。




さも当然のようにそう言う僚に、香は思わず吹き出す。
温かいペットボトルが、気が付くと悴んでいた指を解している。
温かいと思う。
香はまだまだ世間知らずの小娘の時に、僚の世界に飛び込んで。
これまで、自分の不甲斐無さに泣けてきた事はあっても、その世界は常に香にとって温かかった。
僚は何も教えてくれなかったけれど、香は僚の背中から学んだ。
何より僚は、世界中でまず1番の香の味方で居てくれた。
言葉では裏腹な事を言っても。
こうやって、香を温めて解してくれる術を知っている。
大切な僚の背中を、半人前のアシスタントに託してくれている。






半熟卵は?


勿論、付いてる。


ツユだく?


ああ。おまぁの好きな紅ショウガも、多目に取って来た。


さすが、パートナー。





そう言ってニヤッと笑った香の、おでこや頬は薄っすらと汚れているので。
僚は牛丼屋で余分に貰ったおしぼりを、差し出した。


















車を停車している位置は、完璧。
恐らく僚でも、身を潜める為に愛車を停めておくならここを選ぶだろう。
トラップの出来も上々。
あれなら、ちょうどいい感じに敵サンの反撃を封じつつ、
大人数を生け捕りするのに、過不足無い。
相棒は、僚が思っている以上に手練れだ。
もうそろそろ、その事を認めない訳にはいかないだろう。
こんな風に空気が澄んで、星が綺麗に見える夜などは。
僚もさすがに素直になれる。
しかし、それは相棒がスヤスヤとミニクーパーの助手席で仮眠している事が前提だ。


チープなテイクアウトの晩ご飯を済ませると、相棒は既に眠たげに欠伸をし始めた。
朝まで動きは無いから、仮眠してろ。と言った僚の言葉に、やけに素直に従った。
きっと、疲れていたのだろう。
カーキ色のツナギとワークブーツを身に着けたまま、ブランケットに包まって眠ってしまった。


その晩、何度目か。
車の外に出て、僚は煙草を吸った。
もうそろそろ、東の空が白み始める。
奴らが動き始めるのも、時間の問題だ。
恐らく、相棒が目を覚ます前には、片が着いているだろうと。
僚はもう1度、手の中のリボルバーを握り直す。
コートに仕込んだ銃弾も充分である事を確認して、
相棒の体温で曇った窓ガラスを車の外側から、愛おしげに撫でる。
この存在が、僚が生きている原動力だ。



朝陽が完全に昇り切るまでには片付くだろう。
僚は乾いた落ち葉を踏みしめながら、相方の整えた舞台へと進んで行った。
[ 2013/12/07 22:01 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

お題82. 指折り数えて

僚が午前2時を過ぎて、自宅へ帰った時。
香はもう既に、客間で眠っていた。
玄関の前から気配でそれを感じながら、僚は少しだけ淋しいと思ってしまう。
もっとも毎晩、趣向を凝らした鈍器で殴り付けられるよりは、なんぼかマシだけど。




灯りの消えたリビングを横切ると、暗い筈の空間にいつもとは違う光源が出現している。



香が槇村と暮らしていた団地の部屋から持って来た荷物の中に、それはあって。
多少、古ぼけてはいるものの。
物持ちの良い兄妹だけあって何処も傷む事無く、冴羽家にやって来てからも毎年お目見えする。
安物のちっぽけなクリスマスツリー。
とうとう、今年も出したか。と、僚は知らず微笑む。
毎年微妙に、ちまちまとオーナメントは変わっていたりする。
電飾は、今年から青いLEDに替えたようだ。


初めの頃、殺風景な殺し屋の住まいにそんなモノを持ち込む相棒に。
僚は戸惑った。


僚がこれまで見て来たクリスマスツリーは、アメリカに居た頃も、それ以外でも。
もっと立派なモノばかりだったけど。
でも、それらは全て、僚の棲む世界には全く関係の無い世界のいわば、象徴のようなモノだった。
幸せや豊かさや温かさの象徴だった。
だから、僚は戸惑った。
死に別れた相棒だった男が持っていて、僚には縁の無かった温かさ。
その意味さえも知らぬままに、楽し気に飾り付けをする現相棒に、
僚は意味の解らない嫉妬を覚えた。



それでも。
数年後、それすらも2人のいつもの暮らしの中に溶け込んでゆくうちに。
そのちっぽけなクリスマスツリーが、
生れて初めての僚のクリスマスツリーだと思える位にはなった。






テレビのすぐ脇の壁には、今月の初めに香がぶら提げたアドベントカレンダーがある。
10個の窓がもう既に開いている。
その子供騙しのカレンダーを、香に贈ったのは向かいの堕天使だ。
どうやら、その小さな厚紙の窓を開けると、小さなオーナメントが出て来るらしい。
ミックにその壁掛けの使い方を聞いて、香はキラキラと目を輝かせて喜んだ。
アメリカの子供にとっては、12月の定番アイテムだけど。
香の子供の頃には、それは無かったらしい。
香は12月に入って毎日、楽し気にその窓を開けている。


クリスマスだからと言って、多分特に何の予定も無い。


最悪、依頼が入れば、年中無休24時間営業の冴羽商事は、クリスマスどころでは無い。
それでも。
香は楽しそうに指折り数えている。
多分、クリスマスだけじゃ無い。
クリスマスが終われば、正月を。
正月を過ぎれば、バレンタインデイを。
バレンタインデイを過ぎれば、その後に続く誕生日や色々を。
そうやって、2人で暮らしているうちに。
気が付くと、僚には関係の無かった筈の世界の端っこが。
少しだけ僚にも近付いてきた。
思いの外、その温かさは心地良くて。
僚は何だか気恥ずかしい。
誰に言い訳する必要も無いけれど、
イエス・キリストだけはそんな僚を見てほくそ笑んでいるような気がしてしまう。



忘年会と称して、夜遊び三昧の僚に。
この数日、香も大概で小言を言うのは諦めて、日付が変わると眠っているらしい。
お陰で毎朝、僚のブランチを作る香の機嫌は最悪だ。
だから僚は、香が嬉しそうな表情で小窓を開けているアドベントカレンダーに、少し嫉妬している。



軽い酩酊で、心地良い気怠さを纏った身体をどさりと、ソファに投げ出して壁を睨む。
ジーンズのポケットから、家の鍵とライターをローテーブルの上に放り出す。
人差し指が、ムズムズする。
あの厚紙の11番目の小窓を、今ココで開けたら・・・
香は何と言うだろう。
いつものお楽しみを、僚が勝手に開けている事を知ったら怒るだろうか。
僚の口角がニィっと持ち上がる。



ソファから立ち上がって、テレビの脇に掛けられたカレンダーの、
11番目の黄色い厚紙の点線に沿って、指をグッと押し込んだ。




















あぁぁぁぁあ~~~~






翌朝、僚がまだ寝床で惰眠を貪っている頃、香はその異変に気が付いた。
それは今日の午後、一通り家事を終えた後に、コーヒーかココアを飲みながら行う、
香のお楽しみの瞬間だった筈なのに。


開けられている。


それも、適当に、乱雑に。
香は背景も美しく描かれたそのアドベントカレンダーを。
イブが過ぎて楽しみが終わっても、自分の部屋に飾る為に丁寧に切り取り線を開いてきた。
それなのに、何故だかその1か所だけは、明らかに雑にこじ開けられていた。
それは今日開ける予定だった11番目の小窓だ。




そんな事をするのは、僚しか居ない。
香の眉間に深い縦ジワが刻まれる。
こうなったら、アイツを叩き起こしてやると、
香がくるりと7階寝室に続く階段の方へと踵を返した時に、それが視界に入った。




ガラスのローテーブルの上に放り出された、僚のもの。



煙草とライターをココに置きっ放しにしてたら、
多分起きてすぐに寝惚けながらベッドの回りを探るに違いない。
携帯に家の鍵。
きっと酔っ払って、昨夜ここにポケットの中身を出したのだろう。
僅かな硬貨と、変な風に折れ曲がったピンク色の名刺数枚。


その中にあって、それはひと際目を引いた。


僚の家の鍵と車の鍵を繋げた、シンプルな輪っかのキーチェーン。
その先に、可愛らしい小さな天使のオーナメントが連結されている。













僚が厚紙をこじ開けたら、それが転がり出て来た。
少しだけ間抜けな顔をした、小さな天使。
目を瞑って、黄色いラッパを吹いている。
頭の先から紐が延びていて、クリスマスツリーに下げられる仕様になっている。
僚はそれを、ツリーにぶら提げようとして、ハタと思い止まった。


アイツに似ている。


アイツとは、脳天気で、子供みたいに無邪気で、暖かくて、昨今の僚の新世界の創造主・香だ。
なんで僚がそのような行動に出たのかは、不明だ。
きっと理由など無いのかもしれない。
香が僚に与える温もりに、理由など無いのと同じように。

僚はその天使を手放すのが惜しくなって、自分のキーチェーンに繋げてしまった。













香は、テーブルの上の色々の中から、それを摘み上げた。
カチャリと音を立てた掌の中で、小さな天使は呑気にラッパを吹いている。
どうして僚は、これをキーホルダーにしたんだろう、と思うと可笑しくなって。
勝手に香のアドベントカレンダーを開けていた事や、雑に開けていた事などどうでも良くなった。


僚が起きた時、サイドボードの上に煙草が無かったら、探すだろうと。
香は鍵束を元に戻して、煙草とライターを手に取ると、
深酒をしただろう相方を起こさぬように、そっと階段を上がった。









[ 2013/12/11 20:48 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

お題68. プレゼントの中身

ほら、これ。






夕飯の支度をしていた香の背中に、そう言って声を掛けたのは僚だった。
どうやら、今晩のメニューはおでんになるらしい。
何故だか香は、おでんを作る時には炊き込みご飯がセットらしく。
出汁の中で大根を先に煮込んでいる合間に、ゴボウをささがきにしている。
キッチンの空間にゴボウの薫りが充満している。





うわぁ!!ホントにイイの???




下拵えの手を休めて僚を振り返り、僚の手に握られたモノを見て、香は瞳を輝かせた。
この程度の事で激しく喜ぶ相方に、僚は思わず苦笑する。
今日び、小学生でもこの程度のプレゼントにこれ程までのリアクションは無い。
香は嬉しそうに緑色と白の人差し指のデザインのビニール袋を受け取る。
僚はつい先ほど、その店のキッチン用品売り場に居た。
その売り場には、プロ仕様の道具から、初心者向け、主婦向けの調理用具から、
アイデアグッズ、可愛らしいデザイン重視のものまで、ありとあらゆるキッチングッズが並んでいる。
勿論、他のフロアには別カテゴリの売り場があって、同じように品揃えは驚くほど多い。
僚はそれを見る度に、この国の豊かさを実感する。
香はこの店のキッチン用品売り場が大好きで、駅まで行くついでに時々顔を出すらしい。
香曰く、テレビで話題になったアイデアグッズは、あそこに行けば大抵売っている、らしい。




そもそものきっかけは、先日2人で観ていたクイズ番組だった。
香と公私共に、正真正銘、相棒となった僚は、最近夜遊びの頻度がめっきり減った。
特に今年の冬は例年になく寒いから、夜遅くに外を出歩くのが尚更億劫なのだ。
12月に入って香がコタツを出してからは、特に。
僚が外出する意欲も減退の一途を辿っている。
そんな冬の夜、2人は仲良くコタツに並んでテレビを観る。
そして、クイズ番組はいつからか、必ずと言っていいほど2人の賭けの対象となっている。
ルールは至極単純、解答が発表される前にお互いに考えた答えを言い合う。
正解した方が勝ち。
2人とも不正解の場合、ノーカウントだ。
大抵は僚の圧勝で、僚が強請る賭けの賞品は大抵、キスだとか、その晩の寝室での色々だとか。
殆どが、形には残らない卑猥なお強請りだ。
香が勝つ事は、滅多に無い。


その日、香と同じ答えを発表したおバカキャラの男性タレントは。
解答が発表されるまでは、全共演者から失笑を買ったけど。
結果、スーパーヒトシ君人形をゲットした。







その売り場に立って、僚は激しく脱力した。
香が欲しがっていて、けれどいつも買おうかどうか迷った挙句に、
後ろ髪を引かれながら帰って来るそれは。
季節柄、アイデア商品コーナーの一角で、山積みされて売られていた。
その価格、400円也。


こんくらい、迷わず買えよ。


僚は思わず小さく呟いて失笑したけれど、師走の混み合った店内で。
そんな僚の呟きになど誰も気にも留めない。
香が書いてくれたメモには、“レンジ餅網”という、そのままのネーミングが記されている。


混み合って行列を作っているレジ前で、僚は顔見知りのゲイバーのママに声を掛けられた。
僚が手に握った餅網(とはいうモノの、プラスチックで出来ている。)を見て、
彼(彼女と言うべきか、出勤前の彼女のヒゲ回りは青い。)は、一頻り爆笑した。
“だって新宿の種馬が~~~”とか、“色男が餅網って~~~”とか言う言葉を、
僚は聞こえないフリで、スルーした。
そんな彼女が手にしていたモノは、乙女チックなピンク色のラーメン丼だった。


こないだ、洗ってて割っちゃったの。お気にだったのに。


僚は聞きたくも無いオカマの私生活を垣間見る羽目になった。
挙句別れ際に、最近めっきり来店の足が遠のいた僚に、ちゃっかり営業までして去って行った。
僚が覚えている限りあの店に最後に顔を出したのは、11月の初めだった。
どうやら、今から出勤準備の為にヒゲを剃るラメの光る濃い紫色のネイルの彼は。
新宿の2DKのマンションに猫と暮らし、ピンク色の丼を愛用しているらしい。
人生色々だと、僚は感慨深い気持ちになりながら、師走の街を急いで帰路に着いたのだ。











香が何でそれが欲しかったのか。
僚はそのクイズ番組を2人で観た夜の、2人の温かなベッドの中で聞かされた。
既に1度、2人は絶頂を迎えた後で、心地良い疲労感にまったりとしている時だった。
そんな合間に、そうやって色んな話をするのが、僚は嫌いじゃない。
僚には他人に語って聞かせる程の思い出も、感傷も、心の中の何処を探しても無いけれど。
香の取り留めもない話しを聞くのは、好きだ。
大した事じゃなくても、初めて知る香の色々を聞く度に。
香という人間の情報が、どんどん蓄積されていき、世界中の誰よりも深く彼女を知る事になる。




あの時にね、食べたお餅が忘れられないの。



そう言って、香はうっとりとした表情で目を閉じた。
情事の後の艶めかしさを色濃く残しながら、話題は餅の話しだった。
まぁ、それが香らしいと言えば、香らしい。





それは、香が小学校5年生の時の記憶だった。
香は昔から、この街のごく近く。
都会の団地育ちだ。
香の通う小学校の同級生も似たような環境で。
餅と言えば、スーパーに売っている個包装されて乾燥剤の入った固いモノだった。
それをオーブントースターで焼いて食べる。
もしくは、雑煮に投入して煮込んで食べる。
その程度の認識だった。


それが、小学校5年生のあの冬に。
香の既成概念を揺るがす、餅革命が起こったのである。
何故、あの年だけあのようなレクレーションが催されたのかは、今となっては不明だが。
その年の冬休み前に、全生徒と父兄も参加して餅つき大会があったのだ。
父兄と言っても、秀幸は忙しいから不参加だった。
けれど、都会の学校の生徒には、同じように複雑な家庭環境の子供も珍しくは無く。
香が取り立てて肩身の狭い思いをしていたかと言えば、そうでも無い。
そもそも、全校生徒と言っても人数はそれほど多くも無かった。


その時に食べたつきたての餅に、香はある種のカルチャーショックを覚えたのだ。
そもそもどうやって餅が作られるのかすら知らなかった。
柔らかで滑らかな餅を丸めながら、香はとても楽しかった記憶と、
初めて食べる物への生々しい驚きの記憶が強烈に香の脳内に刻み込まれた。
レクレーションの終わりに、家族へのお土産という事でビニールに詰められたそれを。
香は家に持って帰ってから、いち早く秀幸に食べさせてあげたかったけど。
師走の忙しい秀幸が帰って来た零時過ぎには、香はもう既に眠った後で。
つきたてだった柔らかいお餅は、いつもの香のよく知る固い白いお餅になっていた。








そんな子供の頃の記憶の断片を、
香は素っ裸の滑らかな太腿を布団の下で僚の足に絡めながら、語って聞かせた。
僚は背中から香を抱き込んで、手持無沙汰な右手は香の乳房をやわやわと揉む。
つきたての餅の話しを聞きながら、僚はその柔らかさをそうやって想像した。
香の子供時代の記憶は、僚の脳内の香というフォルダーにまた1つ上書きされる。
そのレンジ餅網を使えば、ものの数十秒でつきたてのような柔らかなお餅が食べられるというのだ。
便利な時代だ。
それをテレビの情報番組で目にして以来、香はその便利グッズが欲しくて堪らなかった。
あの餅つき大会の後、暫くその柔らかなお餅について、何かと兄に語って聞かせる妹に。
秀幸は優しく笑いながら、お兄ちゃんも食べたかったなぁと言った。
秀幸もまた、同じ環境で育った都会っ子だ。
もっとも、大人になった秀幸は餅がどうやって作られるのか、
出来立ての餅がどういうものか位は知っているので、そんな妹が可愛い、それだけだった。


そんな秀幸の心情など、もう香には解らない。解りようも無い。
だから、香は。
未だにお兄ちゃんと、あのお餅が食べられたら良かったのにと思い続けている。
僚もまた、この国に来て数年。
初めて餅を食べたのは、香と初めて過ごした正月の事だった。
僚にとってその食べ物は、他の数あるこの国特有の不思議な食べ物の1つに過ぎない。
香の記憶という奥深い世界の片隅で。
兄妹の思い出や、香の思考と密接に繋がった原体験。
それを香の口から聞かされると、まるで僚も子供の頃にそんな体験をしたかのような錯覚をする。


僚は子供の頃の、小さな香を想像する。
秀幸と2人で、ささやかながら完成された甘やかな幸福な世界で育って来た小さな女の子。


その彼女と今、こうして布団の中で縺れ合いながら温め合っている不思議に。
僚は妙にくすぐったい気持ちになる。
僚の子供の頃は、如何に生き延びるかが最大のテーマだった。
初めて銃を撃って人を殺したのは、多分まだ小学校低学年くらいの頃だったと思う。
独りぼっちだった頃の僚なら、そんな苦しい過去をふと思い返して、息苦しくなっていた。
だから自分自身を守る為に、思い出さないように心の奥底に閉じ込めていた。
最近、少しづつそんな頃の事を思い返す時間が増えた。
息苦しくなった時に限って、香はそっと僚の心ごと温めるように包んでくれる。



僚は香の胸を撫でながら、ギュッと目を瞑る。
掌の柔らかさは、僚の心を落ち着ける。
香はまるで、超能力者みたいに、勘の良い猫みたいに。
息苦しくなりかけた僚の心の動きに呼応する。
香は僚の腕の中でクルリと向きを変えて、僚の唇にキスをする。



ねぇ、りょお。もう一回しよ?



僚の鼓膜を香の囁きが優しく湿らす。
上書きされた。
小さな香と、小さな僚は。
もう立派な大人でもう淋しくなんか無いし、この温かくて幸せな2人の世界には。
2人以外誰も登場人物はいない。
邪魔する無粋な輩を退治する術は、心得ているし。
2人でいる、ただそれだけで満たされている。
だから、近い内、僚はそのレンジ餅網とやらを購入して、香と柔らかいお餅を食べようと思った。














僅かな時間に、数日前の寝室での遣り取りを思い出していた。
それから先を、リアルに思い返すと今ココでしたくなるから、強制的にシャットアウトをした。
ゴボウの薫りが僚を、現実の世界に繋ぎ止めてくれる。
香はもうシンクに向き直って、包装を剥がされた餅網を洗っている。
テーブルの上に置かれた厚紙に、簡単な使い方が印刷されているのを僚は読んだ。
読みながら脳裏を流れる映像は、寝室での香の痴態だ。
乳房の感触は、掌が覚えている。

餅1個(約50g)、600Wで40秒。

邪念を振り払うかのように、僚はその言葉をまるで呪文のようにブツブツと唱える。
シャットアウトしたはずなのに、なかなか出て行かない。
香は知る由も無く、ゴボウのささがきを再開した。
細いウエストに、紺色のエプロンの紐が蝶結びされている。
くすんだ赤色のスキニーパンツに包まれたお尻は、キュッと上がっていて僚好みだ。
僚がブツブツと呟く、餅網の使用時間を聞きながら香はクスクス笑う。





そんなにお餅食べたいの? でも、今日は炊き込みご飯だから、お餅は明日の朝ね。





そう言った香の背中を見ながら、僚は。
何処にでもある、些細な幸せを噛み締めた。
過去を辿れば、誰しも何かとあるモノで。
記憶という無意識の世界には、たとえどんなに鍛えても太刀打ちなど出来ない。
僚でさえ、誰にも打ち明けた事は無いけれど、時折過去の記憶に打ちのめされそうになる。
それでも、それを癒してくれるのは。
時間の経過と、幸せな今なのかもしれない。
現金な僚の腹時計が、グーッと鳴って。
香がまた楽しそうに、クスクスと笑った。








“レンジモチアミ”というのは、実在するグッズです(笑)
先日、東〇ハン〇で購入しました(テヘ)
キッチングッズ売り場、大好きなんです(*´∀`*)
[ 2013/12/15 17:12 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

お題96. 振り返ってみると

そうかっっ!!そういうことだったんだっっ






槇村香は、小春日和の午後の光の差し込むリビングで。
ハタと膝を打つと、そのある一つの真理に辿り着いた。
香のこんがらがった初恋を、解きほぐす事になるかもしれないヒントを与えたのは、
やけに重たい女性誌だった。
香は普段、そういう雑誌を好き好んでは読まないけど。
喫茶キャッツ・アイでたまたま目にしていたそれに、親友のデザイナーの特集記事が組まれていて、
その上、昨日その雑誌の最新号が発売されたので、どうせ捨てるならと貰い受けて帰って来たのだ。
初めは、勿論お目当ての『エリ・キタハラ特集』の、
来シーズンのコレクションへ向けての彼女の意気込み、なんていうものを熟読し。

ほぇ~~~~えりこはすごいな~~~

などと、呑気に感心していた。
香は基本的に、至って呑気だ。
相棒の冴羽僚と一緒に居れば、役割上、何となくツッコミ役を引き受けてはいるものの。
それはあくまで、役割分担としてのツッコミで。
真のボケ担当(ナチュラル)は、香だったりする。




そして、依頼の無い午後の徒然なるままに。
2杯目のコーヒーを淹れて、他の記事にも目を通したのだ。
先月号なので、些か気が早い気もするけれど、もう1つの大々的な特集が。

“クリスマスまでに彼をGETする為の12の恋の裏ワザ”なるものだった。


そう言われてみれば。
もうすぐ、クリスマスだ。
1年前のちょうど今頃、香は少しだけ進展を期待したりもした事もあった。
なにせ、去年の秋ごろに美樹と海坊主の結婚式があって。
その時に色々と、お互いの気持ちを確かめ合ったりもしたようなしないような・・・
気が付くと、早いモノで。
あれからもう既に、1年が経過した。
結果、進展は無い。
強いて言えば、あれから僚は香に少しだけ優しい。
香はそんな気がしている。
でもそれは、気のせいかもしれない。と、思わないでも無い。
早い話しが、大した変化は無い。















・・・吊り橋?


うん、吊り橋。


・・・・。






香はシッカリと頷くと、ご飯を一口食べた。
香がおかずの生姜焼きと白飯を咀嚼する顎の動きを、僚は虚ろに眺めた。
冬の寒空の中、日課のナンパに励み、街中に不穏分子が無いかを一通り見て回る。
すっかり冷えて帰宅すると、出来立ての夕飯と最愛の相棒が待っていた。
本日のメインディッシュは、僚の好きな豚の生姜焼きで。
汁物は、アツアツの豚汁だった。
それだけで、本日の特売は豚肉だった事が窺える。


香の左手には、僚とペアの夫婦茶碗(♀)が乗っている。
艶やかな薄手の白磁のその茶碗を、香がとても気に入ってこの数年来愛用している。
右手にはお互い、これもまた揃いの鎌倉彫の夫婦箸を握っている。
これは数ケ月前に、伊集院夫妻に貰ったモノだ。
新婚旅行のお土産だ。
“夫婦”茶碗とか、箸とか。
そういうモノを何の抵抗も無く使っている割には、今の所2人に“夫婦”意識は、皆無だ。




僚は、自分の聞き間違いでなければ、何だか凄い事を言われたような気がすると。
それから先、大好きな生姜焼きの味が全く解らなくなった。











あのね、吊り橋の上でね初めて異性と逢うとするでしょ?

そしたらね、普段街中で出逢うよりも、余計にドキドキするんだって。

それはね、不安定な吊り橋の上で、怖いなぁっていうドキドキもあるんだけど。

何だか、脳みそが錯覚しちゃって、恋かもしれないって思っちゃったりするんだって。









面白いでしょ?と、笑った香に。
僚は思わず反射的に、話しを広げてしまったのだ。
これがいけなかったと、後から僚は思い返す。





で?その吊り橋とおまぁに、何の関係があるワケぇ?




少しだけ、気になったのだ。
僚は湖の畔で一世一代の告白をした(つもり)でこの1年、肝心な所で素直になり切れず。
人一倍鈍感な槇村香には、僚のささやかなアプローチは一切効果が無い。
どうでもいい事には、打てば響くような返しをしてくるくせに。
香は肝心な所で、僚の発する空気を読んではくれない。
華麗なるスルースキルである。
だから、何だか香の恋愛観が垣間見れるようなこの話題に、まんまと釣られてしまったのだ。
冴羽僚とした事が。





いや、だからさ。私もそうなんじゃないかなぁって。




そう言って綺麗に微笑んだ香の笑顔には、一点の曇りも無く。
それは嫌味でも、皮肉でも、自虐でもなんでも無い。
まるで、明日は晴れるかなぁとか、依頼あったら良いなぁというのと、同じテンションだった。
香曰く、これまで自分は僚に対して常軌を逸してドキドキしてきたけれど。
そして、それを初恋だと思い込んできたけれど。
もしかするとそれは、吊り橋効果だったんじゃないだろうか、というのだ。

そもそも振り返ると、高校生の時のあの初めての出逢いから、いきなり僚の仕事に同行したのだ。
そして2度目の出逢いは、人身売買シンジケートの囮になったし。
兄が死んだ直後は、街中の公園でヤク中のイカレた男を爆死させるし。
狙撃されかけた事も、拉致監禁された事も数知れず。
家の中にセスナが突っ込んで来るし、沈みかけた船の中で一度は死も覚悟した。
そして、いつだって一緒に居て、一緒に乗り越えてくれたのは僚だったのだ。





そりゃあ、ドキドキもするよねぇ。




そう言って笑った相棒に、僚が一体何と言えたろう。
一瞬香は、僚が初恋だと言った。僚に常軌を逸してドキドキさせられているとも言った。
けれど、その全てが吊り橋効果で合点がいったと言われたら、それ以上何が言えよう。
その晩の食後のコーヒーがやけに苦く感じたのは、僚が予想以上に凹んだ証拠だ。














翌日午後、僚はナンパにも出る事無くリビングでゴロゴロしていた。

無意識の相棒に凹まされたからじゃない、寒いからだ。と、自分自身に言い聞かせる。
ソファに寝転んでエロ本を広げても、全く集中出来ない。
原因は、例の『吊り橋効果』である。
エロ本を床の上に放り投げて、俯せから仰向けの体勢に変えようとした時に。
それが視界に入った。
リビングのガラステーブルの下。
ちょっとした棚になっている。
普段、ティッシュの箱や、リモコン類の入った小さな籠を置いてある所にそれはあった。
香にしては珍しく、分厚い女性ファッション誌が置いてある。
如何にもコンサバティブでフェミニンなOL女子達が愛読しそうなその雑誌を。
僚は手に取った。















くっそ、コレか。アイツに余計な事、入れ知恵しやがったのはっっ(怒)





“クリスマスまでに彼をGETする為の12の恋の裏ワザ”

というその特集記事の12の内の1つに、吊り橋効果を利用せよ。とある。
香の場合、己の恋心はきっと勘違いなのだという勘違いを引き起こしたその理論を。
逆利用して男を漁れ、と啓蒙している。
それはオトコにしてみれば、単純に害悪だ。
この記事の意図する所とは明らかにずれた形であるにせよ、僚にとってもそれは単なる害悪だ。
有害図書である。
僚は迷わずその雑誌を、ゴミ箱に放り込んだ。
僚の携帯に馴染みの情報屋から連絡が入ったのは、その時だった。
















香は足の速さには、少しだけ自信がある。



そいつらが東口を出た香の後を尾けて来ていた事は、薄々解っていた。
スタジャンの内ポケットには、調整し直したローマンがある。
その反対側には、ごく細いワイヤーと小さめのナイフ。
赤と黒のギンガムチェックのネルシャツのボタンは、発信機になっている。
サイドゴアの黒い革のブーツの底に細工して、少しの火薬も持っている。
それでも無用な衝突は避けたいと、香はいつも思っている。
これらの装備は、あくまで自衛の手段だ。


人気の無い昼間の歌舞伎町を、まるで敏捷な野良猫のように香が駆け回る。
もう既に同じ場所を、数回は巡っている。
もうそろそろ撒いても良い頃だと思うけれど、相手もなかなか諦めが悪い。
走るのは得意だけれど、少しだけ香の喉の奥に血のような鉄錆のような匂いが込み上げる。
息が切れる。
しつこいなぁっっもうっっ。と思いながら、香は曲がるべき路地を、1本間違えた。
その先は、生憎、袋小路だ。

















お前ら、ウチの仔猫ちゃんに何か用?







そう言って、いかつい3人の男達の背中を取ったのは、
コルトパイソンを握って、煙草を咥えた僚だった。
男達の向こう側に、強気な瞳の相棒がローマンを構えていた。
たとえ香が銃を握っていても、相手は男3人だ。
僚が来るまで、お互いに一歩も引けずに緊張が走っていた。
僚の出現に、男達は香から僚へと視線と集中力を移す。
その隙を狙って、香が最も近くに位置した男の股間を蹴り上げた。
その一連の流れで、2人目の男の横面にパンチを繰り出す。
3人目、僚の放った銃弾が、男の手にした銃の銃身を弾く。
たった数秒、僚が登場しただけで。
形勢は一気に逆転した。
香がスタジャンの内ポケットから、僚へワイヤーを放る。
それを受け取った僚は、男達の腕を縛り上げる。
その間、顔色1つ変えず、煙草を咥えたままの僚に。


香が、やっぱり。
ドキドキしたのは、否めない。






コレハ


吊リ橋ノ効果ナノカナ


ソレトモ  ヤッパリ  恋ナノカナ  解ンナイヤ





















その夜、香は湯船に浸かって1時間以上考えた。
ドキドキと吊り橋と僚と香と歌舞伎町鬼ごっこについて。
考えても答えは出ない。
あの雑誌の恋の裏ワザを読んだ時には、何か神の啓示のような閃きが有ったような気がしたけれど。
何だかまた良く解らなくなった。
でも。
そう言えば、あれは。
初対面の男女の話しであって、香と僚はいつも一番傍に居て、もう既に結構な年数経つのだ。






どんだけ長い事、吊り橋の上にいるのよ。




香は何だか、考えるのが馬鹿馬鹿しくなって風呂から上がった。
温めの湯に長時間浸かって、身体は充分に暖まっていた。
キッチンでコップ1杯のミネラルウォーターを飲んでいた。
そこへやって来たのは、Tシャツの上にちゃんちゃんこを羽織った僚だ。










おまぁ、どんだけ長風呂だよ。






呆れたように、僚が笑う。
僚は香の前にとっくに、風呂は済ませている。
確かに香は長風呂だけど、僚はカラスの行水だ。






考え事してたの。


ふ~~~ん、それで?


え???


考えてみて、やっぱり吊り橋効果だったの?







途端に、香が真っ赤になる。
入浴で充分に暖まった体温が、更にもう一段階上昇する。
コップの中の水を、思わず一気に呷る。
僚がニヤニヤしながら、そんな香を眺めている。
前日、無邪気に凹まされた仕返しだ。









・・・じゃない、と、思う/////








香には、そう答えるのが精一杯だった。
今、解った。
これは、そんな錯覚なんかじゃ無い。
間違いなく、
恋だし、何なら僚の事を 愛している。
真っ赤になった香の風呂上りの唇に、ふわっと何かが触れた。
離れてそれが、僚の唇だった事に気が付いた。




あの雑誌の意図する所とは、多少ずれてはいるかもしれないけれど。
確かに、槇村香は。
クリスマス前に、彼氏をGETした。















種族維持本能の逆バージョンぽいのが書きたかったんです。
[ 2013/12/18 20:08 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

Wonder mushroom

えへへ、アタシもたまには飲んじゃお。







そう言って、リビングに戻って来た香は。
僚の3本目のビールと、自分の1本目と、野菜と、マロニーを持っていた。
教授が珍しく香を呼び付けたと思ったら、どうやら用件は食料を恵んでくれるという事だったらしい。
それも、非常に珍しいもの。
良く解らない教授のコネクションには、狩人もいるらしく。
鹿狩りに出掛けた知り合いが、見付けて来たらしい。
それを有難くも頂戴したが、如何せん老人一人では食べきれるものでは無いから。
日頃、食費を捻出するのに四苦八苦している大食い男の相方に呉れてやろうと思い立った。
老人はあれで、自分の身内も同然の捻くれたベビーフェイスの面倒を見る香に、
少しは責任を感じているらしい。




軽く2~3㎏はありそうな、天然の舞茸だった。
舞茸というキノコは、市場に出回っているものの殆どは栽培モノだ。
わりかし何処にでも自生するキノコではあるものの、天然ものは非常に希少で高価なキノコらしい。
大きな塊になったキノコを、香が抱えて帰って来た時。
僚は初めて見る気味の悪い物体に、思わず眉を顰めた。
それでもそれは、よく見るとたまに見かけた事のある食材で。
(けれどスーパーに売っている見慣れたモノは、コイツに比べると切れっ端だ。)
冴羽商事の2人には、その価値は良く解らないけれど。
晩秋の山に霜が降る頃に採れるものは、愛好家にとっては最上級品であるらしい。
香が嬉しそうに本日の献立を発表した。






炊き込みご飯と、
天麩羅と、
鮭と舞茸の味噌仕立てのお鍋。





リビングのローテーブルの上は、食材と料理でほぼ埋め尽くされた。
真ん中には、ガスコンロと土鍋が鎮座し。
土鍋の中では、舞茸と鮭と厚揚げと、冷蔵庫の中に残っていた野菜が。
いい感じに煮えて、旨そうな匂いを放っている。
僚はひたすら、鍋を喰らい、天麩羅を齧り、炊き込みご飯を搔き込んだ。
旨いモノを喰って上機嫌の香は珍しく、快く僚にビールを出してくれる。
外に飲みに行く事を考えたら、安上がりだからだ。
それに何より、本日のメイン食材は(最上級なのに)タダだし、鮭は特売だったのだ。



オイシイね。
そう言って、明らかに普段の3割増しで食の進む香の。
指の先を、僚は見詰める。
清潔に短く切り揃えられた桜色の爪、鍋を囲んで温まったであろう香の指先は。
白とベージュとピンクを巧みに混ぜ合わせたような、まろやかな色合いで。
その手は、この世の穢れなど一切知らないかのような無垢な輝きを放っている。
天麩羅にされたキノコにサクリと歯を立てる独特の歯触りを感じながら、
その指を口に含む感触を、想像する。
噛み付いて、歯を立てたら、香はどんな顔をするだろうか。
困ったような顔をして薄っすらと涙目になる香が、僚の脳内で映像化される。


けれど実際は僚の脳内の香とは対照的に、
目の前の実体の伴った香は、滅多に無い山の恵みを無邪気に味わっている。
天麩羅にひとつまみ塩をかけて、ひと口齧る。
油が付いてテカテカ光る唇が、美味しぃと呟いて弧を描く。
金色のアルミ缶を傾けて、香がビールを飲むその喉元に、意識は自然と引き寄せられる。
僚はここ数ケ月、沢山我慢を重ねている。
原因は、無邪気な目の前の相棒だ。
否、もっと根本的な事を言えば、原因は己だ。
やりたいけれど、汚したくはない。
独占したいけど、素直になれない。
困らせたいけど、喜ばせたい。
もっと。
知りたい、教えたい。


僚はそんな煩悶とした矛盾を抱えながら、香の前で道化を演じる。
本当は、本当の自分を、本当の香を、擦り切れるまで分かち合いたい。
それは多分、一本のラインを飛び越える勇気さえあれば。
実現可能な望みだろうけど。
僚は未だ、その河を渡れずにいる。
香が無意識の内にやっている事全てが、僚の胸に甘い疼きを齎す。
何かのはずみで、その衝動が僚を食い破って現れそうになるけれど、それをずっと我慢している。
しかし、2人の関係性に於いて、本当は我慢する理由など1つも無かったりする。
様々な言い訳を考えるのは、僚の得意技だ。





今日は天気が悪いからやめとこう。とか

どうせなら大安吉日に。とか

昼間、アイツのことこっぴどく怒らせちまったから、今日は無理。とか

テレビの星占い(一応、香と同じ牡羊座で判断している)が最下位だったから。とか




それでも、昔のように。
自分自身に、絶望的な言い訳はしなくなった。
2人で生きてゆく事に、少なからず前向きな光は差している。
香はこの数年で、SugarBoyから匂い立つようないい女に成長したけど。
僚もまた、成長したのだ。
僚の取皿に、香がバランス良く鍋の中身を取り分けるその仕草を見ながら。
僚は随分昔の気持ちを思い出す。












あの頃は、自分の気持ちを告げる事は、この世の終わりのように思っていた。



気が付くと、小さな仔猫のような小娘が僚の全てになっていて。
それを自覚した時に、僚はそれまでの自分の生き方を根底から覆されたような気持ちになった。
まさか自分が誰かを好きになって、愛しいという思いに絡め取られそうになるなんて。
そんなの嘘だと思いたかった。
そんな感情は、身を滅ぼすと思っていた。
自覚して以来、僚はいつも思い悩んだ。
いつ、香を自分の元から追い出そうかと。
よくよく考えれば、本気で追い出す気ならいつだって良かったのかもしれない。
けれど僚には、追い出す事など出来なかった。
したくなかったのだ。
傍に居て欲しいのは、傍に居たいのは、誰でも無い僚自身だったから。


あの頃はもっと、下らなくて救いようの無い言い訳ばかりを、僚は自分に言い聞かせていた。
よくもまぁ次から次へと思い付いたけど、今ではサッパリ思いつかない。
きっとあの頃は、僚にとって少しだけ遅く来た思春期だったのだろう。
普通の人間なら、10代の初期に訪れる恥ずかしい時代を、
僚はシビアな世界で生き延びる事だけを考えて生きて来た。
だから色恋に塗れたり、
今日明日にどうなるものでも無い大げさな心配をして憂鬱になったり、
自意識過剰かどうかをそれこそ過剰に考え過ぎたり、けれど結局は、何の意味も無かったり。
そんな事を考えている自分に気が付かず、しかも周りにダダ漏れだったから。
まさかイイ歳こいたオッサンが、思春期だったなんて思いもしない香を傷付け続けた。
そうやっているうちに、僚の思春期は気が付くと過ぎていた。
もう今更、香を追い出す気など無いけれど、
それならば健全なる成人男子の健全なる欲望も満たしたくなるのが世の常だ。



湖の畔で香に気持ちを告げた時、1つ目の河を渡った。
けれど、河はその後に幾つも僚の行く手を阻んでいる。



今、僚の目の前には。
香と自分との肉体関係を取り持つ大きな河が横たわっている。
この大河に比べれば、ちっぽけな愛の告白などは小さな小川だ。
天麩羅をむしゃむしゃと咀嚼する香の唇が、
箸を器用に挟む香の指先が、
ビールを呷る香の喉元が、
少しだけ薔薇色に染まる色白の香の頬が、僚を淫らな気分にさせる。
もしかすると、このキノコ。
マジックマッシュルームじゃねぇの?と思うけど、
香が抱えて来たあの塊を確かに僚も確認したので、それは無い。



いつからこの目の前の女が、自分の一番大切な存在になったのか。
僚にももう思い出せない。
大切なのは、今現在で。
大人になれば普通は、思春期の時の事など都合良く忘れるように出来ている。
だから僚も、都合良くあの頃の事は封印する事に今ココで、キノコを食べながら決めた。
間違いなく黒歴史ではあるけれど。
今夜、気持ちよくビールを飲んで、旨いモノを喰らって、目の前に香が居て。
今でしょ?と、何者かが脳内で僚をそそのかす。










昔の人は、そのキノコを見付けたら喜んで舞い踊ったという。
嬉しい時に喜び、悲しい時には泣く、楽しい時に笑って、腹が減ったら喰って、やりたい時にやる。
その点に於いては、香は僚よりも随分お姉さんなのかもしれない。
香はある意味では、特殊な僚の人生にとって掛け替えの無いお手本なのだ。
そんな風にシンプルに生きて行きたいと、僚は強く願っている。
誰にも負けないと、負けたくないと思って力んで生きて来た僚を、アッサリと打ち負かしたのは。
真っ直ぐで何の打算も持たないバカ正直な香だった。
香がアホみたいな顔をして、僚の煩悩になど微塵も気付かずに。

もう1本、飲む?

なんて上目遣いで訊ねるから、僚は思わず笑ってしまう。
多分、今夜。
僚は大きな河を渡るような予感がしている。












ついはずみで、“今でしょ”使っちった(テヘ)
これは多分、数か月後に見たらワタシの黒歴史です(笑)
[ 2013/12/21 22:16 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

toadstool

俺は毒キノコ。
俺の傘は鮮やかな赤色で。
俺の軸は太くて長い。
俺は見るからに毒々しいから、森の生き物たちですら避けて通る。

俺は毒キノコ。
相手にされなくてちょうどいい。
食べたら死ぬよ?
だから見て見ぬ振りで上等だ。

俺は毒キノコ。
ある時、世間知らずな子供のリスが寄って来て。
俺を居心地の良い枯れ木のベッドから連れて行こうとした。
だから俺は、精一杯の抵抗で毒のある傘や軸を見せつけた。

俺は毒キノコ。
世界中の汚い雨を浴び続けて。
誰も居ない淫靡な森に逃げ延びた。
後は腐って土に還るだけだった。

俺は毒キノコ。
赤いシャツと、黒いリボルバー。
毒の染みた弾丸を込めて、糞みたいな奴らを始末する。
世界に疎まれて憎まれても構わない、上等だ。



毒を持ったキノコと、毒など効かないリスの仔は。
いつしか淫靡な森で仲良くなった。
リスはキノコの身の上を憐れみ。
キノコはリスに憧れた。
リスはキノコに雨が掛からないように、木の葉で屋根を作ってくれて。
キノコはリスに災いを齎す悪魔の存在を教えてやった。
ある時、リスがキノコをひとくち齧ってみた。

毒があると嘯いて強がっていた毒キノコは、魔法が解けて見目麗しい王子様になった。
キノコの王子様がキスをすると世間知らずなリスの仔は、赤毛のお姫様になった。


2人は誰も知らない淫靡な森の奥で、朽ち果てるまで幸せに暮らした。








キノコを題材に童話風に書いてみました。
リョウちゃん、キノコの王子様(笑)
こんな事を書いてるワタシは、キノコ嫌いです(T∀T)
因みに、『toadstool』とは、毒のあるキノコという意味です。
[ 2013/12/22 23:20 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

聖しこの夜

普段まめに掃除をしているつもりだったけれど、やりだすと意外にも汚れていると香は思う。
去年の大掃除は、監視していないとすぐにサボろうとする僚の尻を叩きながら、
手伝いとは名ばかりの二度手間を正しながらだったので、時間的には随分遠回りをした。
今年はその点、1人なので楽チンだしスムーズに事が運ぶ。
香にはそもそも、脚立を使って手の届かない場所など無いし。
力仕事を苦にするタイプでも無い。(苦にしてたら、ハンマーなど振り回さない。)
思春期の頃は、如何にも女の子らしい女の子に憧れた事もあったけど。
もうこの年になれば、それがキャラじゃない事ぐらいは解っている。

今年は、捗る。
今日はまだ、クリスマス・イブだというのにもうそろそろ大掃除も終わりそうだ。
これもひとえに、この家の中での一番の散らかし屋がこの数日留守にしているからかもしれない。
掃除は捗るけれど、香はやっぱり本音では。
暮れも押し迫って、僚とあーでもない・こーでもない言いながらやる方が楽しかったりする。






まだ大晦日まで1週間あるからなぁ、どうせ僚がまた散らかすんだろうなぁ(苦笑)





思わず零れる独り言にまで、相棒が現れるほど、香は僚が恋しい。
香が7階の寝室で一人きりで眠る夜は、もう5回を数えている。
大晦日までの間に、僚が帰って来るものとして発された独り言だが。
僚がいつ戻るのかは、ハッキリとはしない。
事件が解決しない限り、戻ってくることは無いだろうから。

依頼が舞い込んだのは、12月の上旬の事だった。
年末年始を前にして大きな依頼が舞い込んできたのは、家計的には非常に喜ばしかったけれど。
思いがけず大掛かりになってきた展開に、香は一人淋しい思いをしている。
今回の依頼は、教授経由で持ち込まれたもので。
僚が昔、アメリカに居た頃の事と何やら深い関係があるらしく。
今回僚は一時的に、ミックと組んでいる。
ミックは実戦から遠のいているとは言え、色んな分野で僚のアシストをするぐらいの事は造作も無い。
現に今回の黒幕は、僚は勿論ミックも良く知っている相手らしいので、
確かに香がでしゃばるよりも、ミックとの方が何かと都合が良いらしい。

もっとも、それは香が聞かされた僚のタテマエで。
本当を言うと、僚はただ単に香を危ない現場に近付けたくないだけだ。
僚の本音は、頭数だけは無駄に多い雑魚の相手をして疲れて帰った時に、
香が旨い飯を用意して待っていてくれたら、それが一番嬉しかったりする。
香はそんな僚の本音などは聞いた事無いけれど、言われなくてもそうするつもりだ。
この5日、何度か僚の方から電話があった。
変わった事は無いか?と、訊ねる声は受話器越しに香の鼓膜を優しく震わせ、
気を緩めると涙が出そうになるのを必死に我慢していたから、香はいつもより言葉数が少なかった。





・・・あ。




毎日、掃除している筈のリビングも。
本腰を入れると、結構無駄な物で溢れている。
香がフローリングに座り込んで、傍らにゴミ袋を置いて仕分けをしているのは、
テレビの下のキャビネットの引き出しだった。

いつか使おうと思いながら期限の切れた宅配ピザのクーポン券。
僚が買ってきたコーラのペットボトルに付いていて、
捨てるに捨てられなかった小さなキャラクターのマスコット。
駅前で配っていた何の花が咲くのかも良く解らない、花の種。
ひとつずつ要るものと要らないものに別けてゆく。
花の種は、確かガレージに使ってない植木鉢があったのを思い出しながら、要るものの方へ選別した。
何故だか、耳かきが4本も出てきたのには香も思わず呆れてしまった。
そんな中から、香が見付けたのは。
季節外れな線香花火だった。





確かそれは。
香は思い出す。
あれは、8月の終わりか、9月の始めか。
いずれにしても、夏が終わりかけた頃。
僚が珍しく、カレーライスが食べたいと晩御飯のリクエストをくれた日の夕方だった。
いつもなら、とっくにナンパを終えて帰ってくる時間になっても、
カレーが出来上がっても、僚が帰って来なくて。
香はベランダに座って夕焼けを見ながら、僚が帰って来るのを待っていた。
夕方の空気に少しだけ、秋の色が混ざっていて香が訳も無く泣きそうになった頃。
僚は帰ってきたのだ。
コンビニの袋に入ったその線香花火を持って。
あの日、カレーライスを食べる前にベランダで2人でキスをした。





僚を待っている時の寂しさは、季節が変わっても同じだ。
今年は、一緒にクリスマスを過ごすのは難しそうだ、と香は無意識に溜息を吐いた。
どうせ1人なら、ケーキは食べきれないし、夕飯も特別じゃ無くて良い。
脂の乗ったブリがスーパーで安かったから、大根と一緒に煮たら良いかもと思って買ってきた。
僚が居なかったら、同じ献立を何回も食べないと無くならない。
ブリ大根は、昨夜から鍋の中で良い具合に味が沁みている。























僚がガレージに車を停めたのが、23:30頃の事で。
辛うじてイブの夜に帰宅できた。
きっと、香の生活のペースでいけば今頃は風呂に入っている頃かと予測する。
けれどリビングに入ってきた僚が見た光景は、想定外のものだった。



灯りの落とされたリビング。
何故だか外気温とさほど変わらない寒さ。
ベランダに続く掃出し窓は開放されていて、開け放たれた窓際の床の上に香が座り込んでいる。
恐らく風呂から上がって数時間後の癖毛からは、シャンプーの良い匂いが漂っていて。
その甘い薫りに混ざって、嗅ぎ慣れたような親しみ深い火薬の匂い。
僚の防寒ライナーを取り付けたモッズコートからも似たような硝煙の匂いがする。
香はネルのパジャマの上に僚のぶかぶかのウールのセーターを着て、
更にその上に僚の防水加工のダウンベストを羽織って、着膨れている。
足元には、マイクロフリースの柔らかな靴下を履いている。

線香花火







何してんの?





僚が不意に声を掛けるから、小さくなった火の玉がバケツの水の中に落ちた。
小さくジュッと音を立てて、オレンジ色の火が消える。
香は僚を振り返る。








線香花火。


季節外れだな。


うん、見付けたの。掃除してて。


そうか、湿気てなかった?







香が小さく横に首を振る。
線香花火は冬でも、変わらず綺麗だった。
どうして花火は夏のものなんだろうと思いながら、香は小さく燃える紙縒りの先を眺めていたのだ。
冬の澄んだ夜の中のオレンジ色の炎は、香の心を妙に落ち着かせてくれた。








あ、おかえりなさい。


おぉ、ただいま。





思わず忘れそうになった〝おかえり”という言葉を言ったら、何故だか涙が出そうになって。
鼻の奥がツンとした。
立ち上がると、香の傍にやって来た僚の腕の中に潜り込む。
花火の匂いも硝煙の匂いも、一緒になって香の鼻を擽る。
外から帰って来た筈なのに、僚の腕の中は暖かい。







お花の種もあったの、引き出しの中に。


何の花?


さぁ?わかんない。春になってのお楽しみ。


なんだよ、それ。





夕方、香はガレージの中を探して、空いた植木鉢と数か月前にホームセンターで買った腐葉土を見付けた。
何の花が咲くのか解らない種を蒔いて、水を遣った。
ベランダは寒いかもしれないから、キッチンに置いた。
晴れの日は外に出してあげようと思っている。
クリスマス・イブだけど、ケーキは無い。
この後、僚は温め直した夕飯を、こたつに座って食べるだろう。







晩飯、何?


ブリ大根。


腹減った。


すぐ、温めるね。






僚は無意識に、香の前では無防備に笑うから。
それだけで充分だと、香は思う。
それは、ケーキより甘い。
僚の夕飯を温める為に、温かな腕の中から出ようとする香の手首を僚が掴む。
香の耳元で、その前に。と囁いて、香を抱きすくめる。


クリスマスチウ



ベランダとリビングの境目で、数日振りのキスを交わす2人を包むように、
天鵞絨の様な紺色の空から、真っ白な綿雪が降り始めた。



(Special thanks to nase)
[ 2013/12/26 17:51 ] 短いお話 | TB(0) | CM(0)

お題69. ありがとうの気持ち

駅前の交差点で見上げると、灰色の新宿の空は厚い雲に覆われていた。
冬の曇り空は、時間の感覚を狂わせる。
遠いようでいて近いような、遠近感の掴めない空を見上げながら香は。


今はもう決して逢う事の出来ない人を想う。


彼がこの世を去る時に、香は何も知らず食事の支度をしていた。
最後に彼を見た時には、それがこの世で最後の会話になるなんて思いもしなかった。
いつも。
何も言わなくても、傍に居てくれると、傍に居られると信じていたけれど。
人の一生なんてどうなるか、誰にも解らない。
その時、彼が何処に居て何をしていたのかなんて、香にはもう解らない。
解る事は、ただただ早過ぎたという事だけだ。
木枯らしが、ボンヤリと佇む香の頬を撫でる。
身を切るように冷たい筈の北風も、それを感じられる事こそが今香自身が生きている証拠だと思える。



死んだら何処に行くんだろうか、あの雲の上だろうか。と、香は考える。



生きている事が、痛みや寒さを、喜びや悲しみを抱えて歩く事だとしたら。
例えば、死んでしまったら、もう痛みを感じる事は無いんだろうか。
そして、喜びをも感じる事は出来なくなるのだろうか。
取り留めもなく思考は渦巻いて。
信号を待っていた筈の交差点に立ち止まり空を見上げる香の隣を、無表情な人の流れが通り過ぎてゆく。


















音も無く、香の頬に落ちて来る。
真綿のような雲の中から、湿った雪が降りて来る。
どんなに目を凝らしてみても、それが何処から落ちて来るのか正確な出所は掴めない。
見れば見る程、遠近感は曖昧になって雲の厚さと空の低さに息苦しくなる。
香の赤みの差した頬の上で、雪は水へと形を変える。
それはまるで涙のように、香の頬を滑り落ちる。

『見て見て、お兄ちゃん。これを食べながら雪を捕まえたら氷イチゴだよ。』

子供の頃の香の口の中には、いちごミルクの三角形の飴があって。
落ちて来る雪に向かって大きく口を開けて受け止めていたら。
ばっちいからダメだよと、教えてくれたのは兄だった。


今なら、降って来る雪を食べたりはしないけれど。
降る雪を見て思い出す光景は、沢山ある。
頬に落ちる雪の冷たさを、静かに感じながら。
香の立ち止まった先の信号が、3度目の青に変わる。
また人の波が、動く。





















なぁに、間抜け面してボンヤリしてんの。





行き交う人の流れの中から、頭1つ大きな見慣れた男の姿が現れる。
雪が降り始めた冬の街中で、僚は薄着だ。
カッコ付けちゃって、と香がいつもからかう伊達男スタイルだ。
僚は反対側の舗道で、ボンヤリした香が信号を3度やり過ごすのを見るともなしに見ていた。
まるで、それは。
儚くて、真綿のような雲の中に吸い込まれていってしまいそうで。
心配になって、横断歩道を渡ってしまった。





・・・雪、降り出したの。


あぁ、どうりで寒ぃと思った。


暖かいアウター着ないからだよ、そんな薄着で。






そういう香は、しっかりと目の詰まった固いウールのダッフルコートを着て、
モヘアのロングマフラーをグルグル巻きにしている。
太めの畝のマスタードイエローのコーデュロイパンツの裾は、
ドクターマーチンのエンジニアブーツの中に綺麗に収まっている。
手にはスーパーの袋を持っていて。
中身は、サツマイモだ。
ストーブの上で焼き芋にして、僚と食べようと思ったのだ。
灯油代も馬鹿にならない昨今の燃料事情に、その火の熱エネルギーを少しも無駄にしない為の、
エコ活動の一環だ。
昨日は、イチゴジャムを作ったし。(家中に充満する甘い匂いに、僚は不平を漏らした。)
その前は、おでんを煮込んだ。
薬缶をかけておいたらポット要らずだし、一石二鳥どころか、冬場はフル稼働で家事を助けている。







ナンパすんのに、着膨れてたらカッコ悪いじゃん。





香がそんな僚の発言に、無言で鼻の頭に皺を寄せて顔を顰める。
彼女が心底呆れた時に、無意識に浮かべる表情だ。
香にはそんな僚の言い分に関しては、一切、理解不能だ。






アンタ、それ以外考える事無いの?


無い。


・・・お芋、焼くけど食べる?







僚は声を出さずに、けれど、しっかり頷いた。
本当はもう、僚にはナンパを続ける気などサラサラ無いのだ。
香と2人でアパートに帰って、ストーブの上で芋を焼いて温まるという素敵プランに胸を躍らせている。
僚は最近、言葉でこそ表現はしないものの、素直になったと香は感じている。
焼き芋ひとつで、こんな風に簡単に帰宅する。
焼き芋>ナンパというのは、香にとっては非常に喜ばしい傾向だ。
少し前を歩く、
ツイードのジャケットと草臥れた(僚曰く、イイ感じのダメージドジーンズらしい)ジーパンと、
大きな背中を見ながら、香は歩く。
アパートまで、徒歩数分。
そんな香の頬を、もう一度大きく北風が撫でてゆく。
僚が無言で、ジャケットの肩を竦めたのが解る。





香はもう一度立ち止まって、真綿のような雲を見上げる。
雪はいつの間にか、ハラハラと本格的に降り始めて、舗道の脇の植え込みを薄っすらと白く染める。
そんな香を僚が少し離れた場所で立ち止まって、見詰める。






お~~~い、早く帰って芋喰うぞぉ。





暫く動かない香に、しびれを切らした僚が苦笑しながら声を掛ける。
香も思わず笑ってしまう。
カッコ付けて、薄着でナンパしてたクセに。
3時のおやつは焼き芋だ。
ストーブで焼いたお芋、お兄ちゃんも好きだったなと、香は思い出す。
冬は、思い出す事が沢山ある。
空気の匂いや、空の色や、肌が感じる温度に、色々な記憶が呼び起される。
雲の上にいるだろう彼(あにき)の事を考えながらも、僚と何だかんだで仲良く暮らしている。
香の傍にいるのが当たり前だった存在は、いつの間にか彼から僚に変わっていた。

『ありがとう、お兄ちゃん。』

無条件で愛してくれて。
優しく叱ってくれて。
いつでも傍に居てくれて。
素敵な人に出逢わせてくれて。

香はもう一度だけ空を見上げると、小走りで大きな背中に追いついた。


[ 2013/12/28 20:42 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

お題32. お元気ですか?

僚は香が作ったブランチと、淹れたてのブラックコーヒーを味わいながら、
腹の底から沸々と、笑いが込み上げるのを抑えきれずに、
思わず独りきりのダイニングキッチンで、爆笑した。















もうあと数日で、今年も終わる。
大掃除も終えて、ちょうど10日ほど前に今年最後の依頼も片付けた2人は。
静かな年の瀬を過ごしている。
年末年始だろうが何だろうが、僚のブランチは至っていつも通りだ。
半熟気味のスクランブルエッグに、ベーコンとじゃがいもと玉ねぎを炒めたヤツ。
それに何故か豆腐の味噌汁と、
厚切りの食パンにはケチャップとチーズとピーマンが乗せられてトーストされている。
ちょうどよくこんがりとチーズが焼ける匂いに誘われて食卓に着いた僚に、
香は豆を挽く手を止めて、冷蔵庫の扉にマグネットで留められていた封筒を手渡した。




僚は自分の為に盛り付けられた朝食の横に置かれた朝刊に、
伸ばしかけた手を戻してその白い封筒を受け取った。
訝しげに首を傾げる僚に、香はニッコリ微笑んで差し出し人の名を告げた。




大橋進さんから、ほら、夏ごろにボディーガードした報道カメラマンの。




確かに。
香からその名を聞いて、僚には覚えがあった。
いかつい見た目に反して気の弱いその男は、とある談合事件の中心人物である政治家の。
一大スクープとも言えるスキャンダル写真を撮影してしまい、命を狙われかけた。
その後、無事にその写真を公表する運びとなり、
表沙汰になった今となっては危害を加えられる心配も無い。
何しろ渦中のその政治家は、そのスキャンダルが最後の止めとなって完全に政治生命を絶たれた。
今は、これまでの悪行三昧を裁判で争っている最中だ。
正味1ヶ月ほどの護衛生活の中で、ヤツは確かに香に気があるように、僚には見えたけど。
やはり、僚の野生の勘は正しかったらしい。
その封筒の宛先は、槇村香である。


しかし、何故。
香はその手紙を僚に見せるのか?
僚は不思議に思いながら、封筒を開けて中の便箋を取り出した。



『お元気ですか?―――――

という言葉で始まるその手紙は、依頼の件では2人には大変世話になったという事と。
その後の、事件の経過と今現在の彼自身の近況が書かれている。
しかしお礼と言う割に、僚の名前が出て来たのは冒頭の1行だけで、
後は香さん香さんと、香の名前が連呼されている。
曰く、香さんの手料理は、今までボクが食べた家庭料理の中で1番美味しいですとか。
曰く、依頼の最中、香さんに言われた言葉に救われましたとか。
終始、僚にとっては胸糞悪い文言が、便箋3枚に亘って綴られており。
朝から何の嫌がらせかと、最後の数行を読んで僚の不機嫌はピークに達した。




『つきましては、近い内にまたお目に掛かれたらと考えております。
 暮れのお忙しい時節、年が明けて一息ついた頃にでも如何でしょうか?
 お返事、お待ちしております。』




明らかに、デートへのお誘いだと僚は読み取ったのだけれど。
当人である槇村香の認識は、どうやら全く違うものだったらしい。
コーヒーを慎重にドリップしながら、僚を激しく脱力させる発言を繰り出した。








大橋さん、また何か揉め事みたいだよ?年明けに、依頼してくるみたい。


はぁ?


読んだんでしょ?最後の所。


んぁ?ああ。


大丈夫なのかな?年明けとか悠長な事言ってて。ウチは、年中無休なんだけどね。







そう言って、香は苦笑した。
しかし、それ以上に苦笑してしまったのは、僚の方だった。
何処をどう読んだら、この手紙が依頼の要請に読み取れるのか。
僚には、香の思考回路は理解の範疇を超えている。
僚が香のその勘違いを正した方が良いモノかどうか、目まぐるしく考えている間に。
香はコーヒーを淹れ終り、香がいつも座る椅子の背に掛けてあったダウンジャケットを羽織り、
香曰く、年中無休の冴羽商事の依頼窓口を確認する為に、出掛けて行った。
出がけにニッコリと笑って、


食器、食べ終わったらお水に浸けといてね。


と言うと、香は静かにキッチンの扉を閉めた。
こういう時、香が超絶鈍感で助かると、僚は思う。
しかし、無性に腹が立つのもこういう時だ。
少しは俺の気持ちも察しろと、僚は思う。
何が悲しくて、相方がモテまくっている事を自慢げに見せつけられなきゃいけないのかと。
もっとも、当人にはそんな思惑など1㎜も無いけれど、天然なのでなお性質が悪い。



年の暮れでも、いつも通り旨いブラックコーヒーを啜りながら。
僚は手の中の白い便箋を見詰める。
ココにまた1人、片思いに破れた勇敢な男が誕生した。
僚はこういう事例を何度となく目の当たりにしてきたから、今一つ勇気が出ないのだと思う。
相棒には、きっと。
その想いを伝えるのは、一筋縄では行かない事ぐらい目に見えている。
朝から何の冗談だよと思うと、沸々と笑いが止まらくなって。
僚は手の中の憐れなラブレターを、燃えるゴミを分別しているゴミ箱の中に放り込んだ。
ピザ風トーストと豆腐の味噌汁という変な組み合わせも悪くないと、思ってしまう僚はきっと。

もう既に、槇村香の術中に嵌っている1人だ。












[ 2013/12/30 16:04 ] なんとなく100のお題 | TB(0) | CM(0)

年越し番外 カウントダウン in Bar XYZ

このお話しは、パラレル長編・MyNaughtyGirlの番外編です。
設定など、そちらをご参照頂ければ更にお楽しみ頂けるかと思います(*´∀`*)ノ


















その企画を発案したのは、香だった。
もっとも香も初めは、香ご贔屓の常連客に、やらないの?と言われて思い付いたのだ。



『Bar XYZ』
その店は、新宿・歌舞伎町の外れのとあるビルの1階に居を構えている。
この店のオーナーは、冴羽僚。
店長を務めるのは、共同経営者でもあるミック・エンジェルだ。
バーテンダーは、3人。
僚とミック、それと僚の恋人兼この店の看板娘とも言える、槇村香だ。



店の雰囲気は、僚がバーテンダーとして修業を積んだ師匠の店に倣い至ってクラッシック。
僚とミックは、黒いスラックスに黒いベスト、白いワイシャツと臙脂の蝶タイ。
香は、スラックスを黒いタイトスカートに変えて、シルクの網タイツを穿いている。
今でこそ、何処からどう見ても成熟した大人の女の色香を纏っている香だが。
3人が初めて出逢った頃の香は、中性的な少年のような美しさだった。

ハロウィンの晩に、常連客を招待して一夜限りの仮装パーティーを催したのが意外にも好評で。
客達は、どうやらクリスマスパーティーも期待したらしいが。
僚の独断と偏見で、残念ながらクリスマスは店休日にした。
理由は単純明快で、お仕事よりも恋人との時間を優先したまでだ。
勿論、これにはミック・エンジェルも大賛成で。
ミックはミックで、大本命の学者の彼女と熱い夜を過ごした。



僚と香は、店を構える7階建てのビルの最上階で同棲している。
僚は店のオーナーであると同時に、そのビルのオーナーでもある。
生活から仕事まで、1日のほぼ全てを一緒に過ごす僚と香だが、僚に言わせれば足らないらしい。
クリスマスなのにたまには何処かにデートしようよ、と言う香の言葉を聞き流して。
2人は1日中、ベッドの上で過ごした。
結局、クリスマスは何処も混んでいるし、
2人の寝室の温かなベッドの中が、この世で一番幸せな場所だという事は香も知っている。
2人は満ち足りた休日を過ごして、翌日からまたサービス業に徹した。


そしてその後数日に亘って、複数の常連客からクリスマスに営業しないなんて、と苦情を言われたのだ。
どうせ営業したらしたで閑古鳥だろうが、と僚は思う。
この店の常連の8割方は、女性客だ。
女性客というものは、これほど移ろいやすいモノも無い。
クリスマスなどという浮ついたイベントの日に、どれだけの客がやって来るのかも解りもしないのに、
付き合ってられない、それが冴羽僚の出した結論だった。
しかし、その余波が意外にも、今回のカウントダウン企画への布石となった。
またハロウィンの時みたいなのがやりたい、という熱いリクエストに応えて。
香が僚に、カウントダウンパーティーを持掛けたのだ。







えへへ、似合ってるよ。





そう言って向い合せに座った僚に、濃い目のシャドウでアイメイクを施す香は。
デニムのショートパンツに、パツパツの白いTシャツ(この所のバストの成長は目を見張るほどだ)を着て。
栗色の猫毛を、僚のヘアワックスでバリバリのリーゼントに固めている。
この後、腰にホルスターを提げてモデルガンを差し、トニーラマのウエスタンブーツを履けば。
大晦日の香の仮装テーマは、セクシーカウガール。
乗りこなすのは、新宿の種馬だ。

一方の恋人・冴羽僚は。
カリブの海賊をイメージした衣装を身に纏っている。
アイメイクを終えて、付髭を付けながら香がクスクス笑う。







なんか、りょお。・・・ゲイっぽくなってきた。ぷぷぷ。





それは、僚にとって禁句の1つである。
過去に僚は、香を男の子だと思い込んだまま恋い焦がれ、
己が男色に走ってしまったのかと、真剣に悩み抜いたからである。
そんな僚の恥ずかしい黒歴史を知ってか知らずか、クスクス笑う香の鼻の頭に。
僚がかぷっと噛み付く。







あぁ゛?俺がゲイなら、カオリンはオトコのコだろ~がっっ。か・お・る・君





僚がニヤリとほくそ笑む。
途端に、香がカァッと赤くなる。
色々と思い出すと、懐かしくもある思い出は。
今では何だったのかと言うほどに、脱力してしまう馬鹿馬鹿しい悩みだった。
今では週の内半分以上、もう無理と言うほど香は僚に愛されている。



午後のリビング。

もうそろそろ、1階の店内でパーティーの準備を始めないといけないのに。
2人は仮装したままで、愛し合ってしまった。
お陰で、その後の予定がかなり慌ただしいモノになったのは、2人だけの秘密だったりする。







5、4、3、2、・・HAPPY NEW YEAR !!




狭い店内にひしめき合った、思い思いの仮装をした男女が一斉にクラッカーを鳴らすので。
店の中は、酒と食べ物と火薬の匂いが充満している。
普段は、僚とミックを目当てにやって来る女性客も、香目当てにやって来る男性客も。
こういう日は、本来のパートナーを伴ってやって来る。
パートナーの居ない者は、友達連れでやって来る。
淋しげな都会の住人も、本当は皆、大切な存在がいるものだ。
近所でカフェを営む、僚の恩人でもある美女と野獣夫妻もやって来た。


そんな中ミックだけは、数日前から慌てていた。
本命の彼女の他に、遊びの相手がわんさかいるミックに。
日替わりの恋人たちは皆、遊びに行くねと、言ったらしい。
日替わり同士の鉢合わせなら、何ら問題は無い。
お互いがお互いにその存在は知らないから、表面上はただの常連客同士、もしくはミックの友達同士だ。
けれど、ミック的に。
彼女らと、かずえが遭遇するのは非常に都合が悪いらしい。
慌てふためいて、神に祈りを捧げたミックの祈りが届いたのか。
アッサリと、問題は解決した。
かずえは28日の仕事納めのあとすぐに、実家に帰った。
彼女の実家は厳格な医者の家庭で、カウントダウンにバーで乱痴気騒ぎをする様な習慣は無いらしい。
何処までも、幸運な男・ミック・エンジェルだと、僚は思う。















随分、気持ち良さそうに眠ってるな、姫様は。






そう言って目を細めたのは、スタートレックの宇宙服のコスプレをしたミックだった。
香は最後の客を見送る直前に限界を迎えて、酔い潰れてしまった。
ミックは宴の後の店内の装飾を片付け、僚は葉巻を咥えながら海賊のままシンクでグラスを洗った。
もう少しで夜が明ける元旦に、3人は全く正月らしくない風情で新年を迎えた。
この後、Bar XYZは、正月休みへと突入して、新年初開店は松の内が明けた8日からだ。
従業員の内、1人は完全に潰れて使い物にならないので、
2人はそれ以上は無駄口も叩かずに、手際良く店内を片付けた。







香が目覚めると、正月1日の朝というよりも、もう既に正午を回っていた。
僚と並んで眠るキングサイズのベッドの中は、異常に酒臭い。
付髭を外してメイクを落とした僚が、香の好きな可愛らしい寝顔で寝息を立てている。
当の香自身は、白いTシャツを着て、下半身はパンツ一丁だ。
恐らく、デニムのショートパンツは僚が脱がしたのだろう。
股下ほぼ0㎝の、長方形のショートパンツに響かないように穿いたTバック姿を。
眠りこけて意識が無いままに見られた恥ずかしさに、香は独り赤面するけれど。
前日の午後に、リビングでエッチした事は都合良く忘れている。


未だ寝息を立てている僚の裸の胸板に、まるで仔猫のように擦り寄ると。
僚は寝惚けながらも香をその腕に抱き込んだ。
上半身は裸で、ボクサーパンツ一丁の僚はまるで湯たんぽのように温かいので、
香はもう1度、睡魔に任せて微睡む事にした。



お節も雑煮も用意していないお正月だけど、大切な温もりがあるこの新しい年の幕開けに。
香は心から幸せの意味を噛み締めた。






[ 2013/12/31 15:29 ] 長いお話“My Naughty Girl” | TB(0) | CM(0)

年越し番外 除夜の鐘と露天風呂

このお話しは、パラレル長編・あぶくの番外短編です。
設定はそちらの世界観に準拠しております故、
まだお読みで無い方はそちらを一読される事をお勧めします(*´∀`*)ノ
てか、是非読んでね♪
















槇村秀幸は、俄然納得がいかなかった。



去年までなら、妹の香はこんな年の瀬には家に居て。
母親の隣で甲斐甲斐しく、お節料理の準備を手伝ったりしていた筈なのに。
今年の夏の終わりに、妹には初めての彼氏が出来た。
その相手は、香の新しい勤め先の先輩であり、秀幸のよく知る男・冴羽僚である。
自分以外の槇村家の面々(この場合、妹は当事者なので両親だ)は、何処か呑気で。
秀幸はもう少し妹離れした方が良い、なんて言うのだ。


秋の終わり頃、香は僚を槇村家に招いた。


両親は、香に紹介されるまでもなく、僚の事は良く知っていた。
将来を嘱望された優秀なスイマーの1人として。
そもそも、幼い秀幸をスイミングスクールに通わせ、
水泳選手として歩む事をサポートして来たのは両親だ。
恥ずかしい話しだが、きっと息子がオリンピック選手になる事を夢見ていたのだろう。
自分達の夢を子供に過剰に託すことを、両親は少しも悪びれてはいない。
それでも、短い選手としての寿命はとうに過ぎ、
息子も娘の彼氏も、もう現役世代では無い事ぐらいは彼らも知っている。
香がお付き合いしている人がいるの、と言って僚を紹介した時。
両親は早くも、孫の誕生に期待を寄せる事にしたらしい。
夢は諦めていないという事だ。



僚の身内は、父親1人だけで。
実を言えば、香の勤め先であるあのジムは僚の父親が経営している。
もっとも、経営しているのはそれだけでも無いのだけれど。
槇村家同様、息子に過剰な期待を寄せているのは同じ事だ。
いつまでも身を固めない息子に、早いとこ嫁が来るのを心待ちにしているらしい。
そんな状況下で。
僚と香の交際に異を唱えているのは、秀幸ただ1人というワケだ。
実際に、僚の父親とも2人は度々会食をしており、
香はもう既に僚の父親からは、非常に気に入られている。
本当に、2人が結婚するのも時間の問題かもしれないと、秀幸は1人で焦っている。



妹とその彼氏は、年越しを温泉地で過ごすらしい。
なんでも僚が、随分前から予約していた人気の宿は。
各室全離れの宿で、カップルや夫婦に人気の宿らしい。
露天風呂はそれぞれの部屋に完備で、一旦部屋に入ると一日中そこで寛げるというのが売りらしい。
そんな所で、
一体何をっっ、と想像するだけで秀幸は怒りに悶絶しかけている。
あんなに可愛かった妹は。
自分の後を付いてくる幼くて、小さかった妹は。
今や兄貴よりも、あのスケベな冴羽僚が大事らしい。

それに、何より。
純粋な兄妹愛を訴えている秀幸に、両親始め、周りの連中は。
妹離れ出来ていない秀幸がおかしいとでも言いたげだ。
兎にも角にも、槇村秀幸は何もかも納得いかない。
いかないけれど留守の間、香から世話を託された黒い出目金だけが秀幸の心の拠り所だ。










一方、そんな秀幸の心情など露ほども気に掛けちゃいないバカップルは。
温泉と海の幸山の幸満載の料理と、のんびりとした休日を満喫していた。






・・っはぁ、・・ぁん・・・さ、えばせんせぇ・・




満点の星空の下、熱い源泉かけ流しの贅沢な露天風呂では。
この日、何度目か解らない情事が繰り広げられていた。
恋人同士になっても、香は僚の事を未だ“冴羽先生”と呼ぶ。
確かに、職場では。
香は“かおり先生”で、僚は“冴羽先生”だけれど。
もしかしたら、エッチの経験値から言っても、僚は香にとって先生なのかもしれない。
初めて僚によって教えられた香の性感は、この所、日を増す毎に成長を遂げている。
香は中々筋の良い教え子だと、僚は思っている。


ごつごつした岩に背を預けて座った僚を跨ぐようにして、香が向かい合う。
その姿勢で2人は深く繋がっている。
香が好きな体位の1つだ。
2人は離れているのももどかしいと言わんばかりに、口付け合う。
その合間に漏れる香の嬌声が、僚の快感を増幅させる。


僚は昼間、香にプロポーズをして。
香はそれを承諾した。


思えば、2人が初めて出逢ってからまだ半年ほどしか経っていない。
けれど、何度振り返っても。
これはもうそうなる運命だったとしか、僚には思えない。
新年を迎えるその前に、新たなる2人の関係性を構築する為の約束がどうしても欲しかった。
僚がそんな風に思えたのは、これまで生きて来て香が初めてだった。

この人と一緒に生きて行きたい。
それが全てだ。















あ、除夜の鐘。





ついさっき、2人は果てて。
繋がった体勢のまま、お湯に浸かっている。
僚は香の肩が冷えないように、お湯を手で掬っては掛けてやる。
どうやらこの近くに、お寺があるらしい。
意外と近くに、その鐘の音を感じる。
泉質は弱アルカリで、無色透明でサラッとしていながら若干の粘りがある。
ただでさえ、スベスベで柔らかな香の肌は。
今では有り得ない程に柔らかさを増し、僚との境界線は曖昧だ。
それでも繋がった部分の明らかなる異質な存在感が、2人が別の生命体である事を突き付ける。
僚はこのまま、融けてひとつに成れたらという、夢のような妄想を脳内で膨らます。





早起きして、初詣に行ってみようか?






僚がそう言って、香の額にキスをすると。
繋がったままの香が、繋がったままの僚をキュッと締め付けた。
2人はそのまま、またしても口付を再開する。
果たして、寝心地の良い宿の布団で。
翌朝、早起きできるかどうかは疑問である。
それでもきっと、午後遅くになっても2人は宿の周りを散策し、初詣にも行くのだろう。

僚は早々と家内安全と子孫繁栄を祈願し、香は兄の為に交通安全のお守りを今年も買う。

それ以前に、激しく寝坊した朝に。
元旦のお宿特製お節料理を給仕に来た仲居さんに、
仲がお宜しいですねと微笑まれるのもお約束である。
滞在の予定は、あとまだ数日残っている。
僚は腕の中の大切な人を抱き直し、いま一度彼女を悦ばせる事に集中する事にした。
煩悩を追い出す除夜の鐘など、僚には関係無い。
これはきっと煩悩などでは無く、純粋なる愛情確認の行為に他ならないのだ。
香のか細い喘ぎ声が離れに響き渡り、除夜の鐘の音を掻き消した。



年越し番外 猫の雑煮

このお話しは、パラレル長編・猫と殺し屋の番外編です。
詳細設定は、そちらをお読みください(*´∀`*)ノ
たまに、読み返したりすると暇潰しになったりするかもですよ・・・てへ









僚の猫・香は、料理など作れない。
これまでに、何度か簡単な物なら僚が作り方を教えて2人で作った事はあるものの。
難しいモノを、1人で作れと言ってもそれは無理な話だ。
何しろ、元々猫だから。
だから、猫と殺し屋のこの家の中では、料理は専ら僚の担当だ。
香が人間になって初めてのクリスマスの時には、美樹に教わってフルーチェを作ってくれたけれど。
あれは料理では無いし、日頃食べる必要の無い食べ物だ。

片や、南米生まれ南米育ち新宿在住の冴羽僚には、別に取り立てて盆も正月も特別な感慨は無い。
それは勿論、元猫の香にしても同じ事で。
これまで2度迎えた2人の正月は、他の364日となんら変わり無い、冬の1日に過ぎなかった。
これまでは。




しかし、どうやら今年は少しだけ事情が違うらしい。


今現在、リビングの僚の膝の上で昼寝をする香と、香を膝の上に抱いて読書をする僚をヨソに。
冴羽家キッチンでは、1人の元猫の男が雑煮作りに励んでいる。
秀幸曰く、正月といえば雑煮らしい。



秀幸も元は、香と同じ親猫から生まれた兄妹だ。
それでも、初めに引取られた先の躾によってこうも違うのかと言うほど。
その特性は見事に違う。
秀幸は、老人、それもジジイに目が無い。
これもある意味では、刷り込みと言っても過言では無い。
初めに可愛がられた記憶は、いつまでも秀幸の心の中に残っているらしい。
今現在、秀幸は教授の元で暮らしている。
けれど、時折こうして冴羽家にも遊びに来るのだ。
厄介な事に、香以上に人間界に順応した秀幸は。
今では山手線や都バスに乗る方法を完全にマスターし、
以前は僚の送り迎え無しには自由に行き来出来なかったその距離を、
自分でやって来るようになってしまった。
そして、更に厄介な事に。
秀幸は香に電話の使い方を教えてしまい、兄妹は今では頻繁に電話でやりとりをする事を覚えたらしい。


その日も、秀幸は何の予告も無しに冴羽家にやって来た。
その僅か10分ほど前まで香と、秀幸の言う所の“交尾”に励んでいた僚は。
嫌な汗を掻きながら、1人焦っていた。
気にしないのは、猫の兄妹だけだ。
秀幸は何やら、スーパーの袋を持っていて来るなり雑煮を作ると言ってキッチンに籠ったのだ。
それからもう既に、数十分が経過している。
教授から聞く、秀幸の暮らしぶりは至って普通の成人男性のそれらしい。
IQはむしろ、高い位だと。
教授の所での生活を所望した時の宣言通り、秀幸が一番好む食べ物はご飯と味噌汁と鰹節らしく。
金もかからんぞ、と言って教授は高らかに笑った。


一度だけ、秀幸は冴羽家で冴子に逢った。


香は相変わらず、冴子が来た途端カーテンの中に潜り込んでしまって警戒していたけれど。
秀幸はむしろ、興味深げに冴子に近付いた。
後から僚に語った所によれば、初めて見るタイプだが悪くないという感想を抱いたらしい。
流石秀幸も、オスだなと、僚が感じた唯一の出来事だった。




それにしても、と僚は思う。
まぁ、百歩譲って雑煮を作ってくれるのは良しとしよう。
秀幸に、僚と香の団欒を邪魔する意図は無いらしい。
それでも、さっきから。
キッチンの方から、何やら甘ったるい匂いが漂って来ているのは、気のせいだろうか。
僚も、血統的には純然たる日本人には違いないけれど。
如何せん、育ちは異国だ。
それでもこれまで、雑煮を食した事ぐらいはあった。
確か、僚の記憶が正しければ。
僚の知る雑煮とは、出汁と醤油のすまし汁に何がしかの肉もしくは魚と野菜と餅が入ったもので。
地域差で、それが味噌仕立てであったり、中に入った具が違うらしいという程度の知識ぐらいはある。



しかし、そんな些細な違いで。
こんな甘ったるい匂いがするのだろうか。
これは明らかに、甘味の匂いだ。














わぁ~~~い  おぞーにー




香はそう言って目の前に置かれた汁椀を見て喜んだ。
確かに、それには焼き目が香ばしい四角い切り餅が入っている。
汁物にも違いない。
けれど、何かが違うと僚は思う。
その料理は確か、僚の記憶が正しければ、お汁粉と呼ばれた筈だ。
ご丁寧に、小さな薬味皿には。
それぞれ沢庵が2切れづつ乗っている。


これを作った当の張本人は、美味しそうに目を細めて“雑煮”を食べている。
香はと言えば、喜んだ割にはまずは警戒してクンクンとお椀を嗅いでいる。
もっとも香は、極度の猫舌なのでもう少し冷まさないと“おぞーに”は食べられない。
僚はと言えば。
静かに箸を取って、粛々とその猫の作った雑煮を戴いた。
味は完璧だった。
けれど、何かが違うと思いながら沢庵まで完食した。



それでも、まぁ良いかと思っている。
そもそも、猫が人間になった時点で普通では無いのだ。
雑煮だろうが、お汁粉だろうがどうでも良い。
僚はある意味、この兄妹に出逢って人間が一皮むけた気がしている。






香、もう少し、フーフーして。まだ熱いよ。


僚はそう言うと、ニッコリ笑った。






[ 2013/12/31 20:19 ] 長いお話“猫と殺し屋” | TB(0) | CM(0)

今年もお世話になりましたm(_ _)m

こんばんわ、ケシでございます。


皆様、大晦日を如何お過ごしでしょうか。
今年はクリスマス前後が、やたら忙しく、去年のような形のクリスマス更新が出来なかった為。
ちょっと趣向を変えて、大晦日に年越し番外と称していくつかパラレル番外を書いてみました。


今年は、一言では言い表せないような色々があった一年でしたが。
その全てが、自分自身を写す鏡だと思って、真摯に受け止めたいと思っています。


振り返ってみると、この一年。
今年の抱負・・・・・



って、ダメダメじゃん、俺。

果たして、どれだけの人が今年のケシ子の抱負を覚えておいででしょう(謎)


お・へ・ん・じ・た・め・な・い・・・とか言ってたんでげすよ、ワタシ。
でっかい穴があったら、潜り込んで引き籠りたい心境です(恥)


m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
申し訳ありませんっっっ

来年は・・とか言いながらもう数時間後は来年なんですがっっ
来年こそは、ちゃんとお返事をお返ししたいと思っております。
そして、今戴いているリクエストの方も、
ゆっくりとですが自分で納得の出来るお話しを書いて行きたいと思います。
そして、勘の良い皆様なら、薄々はお気付きかもしれませんが・・・
この所、やたらめったらケシ子がお題をこなしておるのです(でゅふふ)
今現在ワタシの、近々の目標と致しましては、100のお題制覇なのです(握拳)
・・・いやはや、その前にお返事しろって感じですが・・・


兎にも角にも、こうして考えるとまだまだ書き足りない事は、山ほどあるのです。


今年言いたかった、沢山のありがとう。
今年言いたかった、沢山のごめんなさい。

今はもう届ける事の叶わない全ての人に、そしていつも読みに来て戴ける全ての人にも。
お話しを書く事で伝わればイイなと思っています。
いい歳こいて至らない点は沢山あって、
けれどそれはこの歳になっても成長するチャンスを与えられたと思って、
自分の肥やしに出来れば良いなと思っています。
こんな真面目っぽく言ってますが、ワタシは今、人生2度目のシルバニアに嵌ってます(テヘ)




来年もヨロシクでぇぇぇぇっす!!
                 (´∀`●)ノシ   2013.12.31. ケシ
[ 2013/12/31 21:28 ] ごあいさつとお知らせ | TB(0) | CM(0)