① 不思議な女 

※原作程度、(中盤、モヤモヤ期くらい)を想定して書いております※




撩は深夜遅く、自宅アパート前で頭上を見上げる。
まただ、と胸の内で呟く。
この感情に名前を付けるとすれば、一体何になるのだろう。
苛立ちでも無く、諦めでも無い、モヤモヤとした気持ちの奥底にチラチラと見え隠れする。
ホンの少しの煌めいた光のようなもの。
ネガティブな感情なのかポジティブな感情なのか、それすらも良く解らない。
それは撩にとっては、未だかつて経験した事の無い現象だ。

自分のねぐらに、何者かが居るという事。
その事自体が、これまでの撩にとってはイレギュラーな事態であり、ちょっとした事件なのに。
その者はまるで無自覚に、無邪気に、すっかり撩の元に居付いてしまった。
そいつの名前は、槇村香という。
ひどく脚の美しい若い娘だ。
生物学上は女で、けれど恐ろしく口は悪い。
ちょっと短気な一面もあって、口より先に手が出る時がある。
複雑な事情や偶然の出会いの集積で、彼女は殺し屋の相棒に名乗りを上げた。
撩は時々、あの晩の事を思い出す。
彼女がそう言った時、自分はそれを受け入れるべきでは無かったのではないかと。




激しい雷雨の晩だった。
彼女の兄は、彼女の行く末を撩に託して死んだ。
それでも、彼が撩に望んだ事は、果たしてこういう事だったのかどうか。
撩には正解が解らない。
彼女は初め、撩の部屋とは別の下の階に住んでいたけれど。
いつの間にか気が付けば、今では撩が生活するフロアと同じ6階にまでやって来て。
いつの間にか撩の身の回りの世話を焼いている。
彼女の真意がどういったものなのか、正確な所は撩には解らない。
恐らくは自分に対して憎からず思っていてくれているだろう事は解る。
けれどその気持ちと行動が、殺し屋で浮浪雲の様な自分に向けられて相応のものなのか、
撩には客観的なジャッジは下せない。
不思議な女である。
束縛をしているようでそうでも無い。
一見、狭量に見えて、実際は恐ろしく懐の深い女だ。
それは計算でも何でも無く、恐らくは彼女の本質的な業である。
彼女は世間をあまり良く知らないちっぽけな女だけど、
男だとか女だとかいう以前に、非常に正直で善良な人間だ。






撩は他人を殺した。
それが生業だから、仕方ない。
良い事か悪い事か、白黒をつけるとするならば。
他人を殺す事は悪い事だろう。
結果、どのように未来が転がろうが、
人殺し以上の何か悪い出来事を食い止める為の悪い事であったとしても、
悪い事に違いは無いのだ。
マイナスとマイナスを掛けてプラスになるのとは違って、
悪事は何処までいっても、どんな大義名分を掲げようと、悪でしかない。






案の定、舗道から見上げた6階のリビングには灯りが灯っていて。
彼女は起きていた。
部屋中に満ちる、淹れたての珈琲の薫り。
アルコールの匂いで擬態して帰った男を出迎えるには、健全すぎる空気。
おかえり、と改めて言いながら、ソファに座る撩の前に小さな音を立ててマグカップを置く彼女は。
パジャマの上に薄手のカーディガンを羽織り、真っ白な頬に睫毛が影を作る。
撩はいつも無意識に、彼女の事をつぶさに観察してしまう。
不思議で今までに出逢った事の無い種類の人間だけど、撩は彼女が嫌いでは無い。
むしろ、居心地は良い。
それでも、どんなに気を許せても。
その少し前に悪い事をして帰って来た自分を、彼女に晒す事は出来ない。
彼女にだからこそ晒せないとも言えるだろう。
その感情がどういった類の物なのかは良く解らないけど、強いて言えば。
撩は彼女に幻滅されたくないのだろう、失望されたり軽蔑されたくない。

撩は本当は理解出来ないわけでは無いし、客観的にジャッジを下せない訳では無い。
白黒つけたくないだけなのかもしれない。
白黒つけてしまえば、自分は黒で、彼女は白だから。
明るいリビングの電灯の下では、その揺るぎ無い2人の立ち位置が明確に暴かれてしまいそうで。
撩はいつも、彼女が起きているかどうか舗道から見上げて確認してしまう。
くっきりと濃い珈琲の薫りは、撩の面倒臭く取り留めも無いしょうも無いわだかまりを融かしてしまう。
そんな撩の心中など我関せずで、彼女もすぐ傍で珈琲を啜る。


こんな時間なのに、たった今豆を挽いたかのような芳ばしい薫りは、
撩を少しづつ穏やかな気持ちにさせる。
彼女には、歌舞伎町の街で飲んだくれて遊び歩いたフリをしてみせても。
本当はちっとも酔ってはいないし、頭の芯は冷えていた。
酔ったフリで水をくれと言った撩に、珈琲を淹れて持って来た彼女の真意は解らないけれど。
でも何となく、撩のそんなデタラメな嘘など、とっくに見透かされているようにも思える。
2人は言葉も無く、夜更けに珈琲を飲んでいる。
こういう時互いに、何のしがらみも興味も関心も無い男と女なら、キスの1つも出来るのだろうけど。
生憎、2人には言葉に出来ない感情が縺れすぎているから何もしない。
これまで簡単に肉体関係を持った女には感じなかった感情を、
撩はキスの1つも出来ないでいる口の悪い中性的な相棒に抱いている。
この感情が飽和した先に何があるのだろうと想像すると、撩は少しだけ恐ろしい。
今まで怖いものなど無かった筈なのに。


少しづつ、まるで生温い湯の中に浸るように、撩は解けてゆく。
それは懐の深い、彼女の温度だ。




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[ 2015/02/21 08:54 ] undo | TB(0) | CM(0)

② tears of a clown   

※原作程度、(中盤、モヤモヤ期くらい)を想定して書いております※





香は珈琲をドリップする事だけに集中した。
珈琲を淹れるのは香の日課だけれど、それは概ね相方である冴羽撩の為に淹れられるものである。
真夜中の深い時間、どちらかというと夜よりも朝に近い時間は、
冬の終わりの空気に春の気配が混ざる季節に似ている。

相棒の好みは、深煎りの豆を濃い目に淹れたものだ。
香にはちょっと濃すぎるので、いつも温めた牛乳を入れる。
砂糖を入れないカフェ・オ・レを、香は悪くないと思っているけど(というか、好物だ。)
撩は子供っぽいと言って笑う。
そんな撩を見ると、香はつい数年前の高校2年生の春休みの事を思い出す。
もしかすると、撩にとって自分は未だあの頃のシュガーボーイのままなのかもしれないと思う。
あの時の事を、撩が憶えているのかどうか、
そもそもあの時の男の子(仮)が香だと解っているのかどうか、香には解らない。
あの時、香は名乗った訳でもないし、あの3年後にもう一度男と勘違いされたので、
ひょっとしたらあんな事があった事すら、撩にとってはどうでも良い事で忘れてしまったのかもしれない。
それでも香は、まるで昨日の事のように憶えている。


あの頃から、とっくに知っていた。
撩が“そういう”男だという事くらい。
仕事によっては、命を頂戴する事も厭わない生業。
解っていて尚、香の初恋は撩だったしあれからずっと撩の事を見てきたから。
だから解っている。
撩のデタラメな嘘も、欺瞞的な日常も。
撩が香に対して、無遠慮なようでいてその実、薄い隔たりを決して崩さないのと同じように。
香は自分自身の心を、ずっと欺いている。
本当は撩の本当のパートナーになりたい、兄がそうしていたように撩から信頼される相棒になりたい。
撩の足手纏いでなく、撩の片腕になりたい。
そして、ずっと撩の隣に居たい。
だけどそう思っている気持ちは、見て見ないフリをしている。
言葉はいつも思っている事の半分も表さない。
小難しい事などどうでも良くて本当は、撩が好き。






今夜も、撩が夜の何処かで本来の仕事をしている事は何となく解っている。
こういう晩は、布団に潜り込んでも眠気はやって来ない。
命の遣り取りの現場で、取られるのが撩ではない保証など何処にも無い。
粗挽きの豆がお湯を含んで細かい泡を立てながら、膨らむ。
ただ生きていて欲しいだけだ。
他人が客観的に判断を下せば、彼はただの犯罪人なのかもしれないけれど。
香にとっては、世界中に唯一無二のかけがえのない人間だ。
他のどんな悪人の命を奪っていようと、何百何十という命の重さよりたった1つ、
香にとっては撩の命が一番重い。
それ以外のどんな人間も、香にとってはどれも同じで、どれもどうでも良い。
こんな風に考える事自体、撩が背負っている罪となんら変わりはしないと香は思う。
人間は誰しも同じように汚くて、厭らしくて、利己主義で傲慢だ。
自分にとって大切なものだけが大切で、他の事などどうでも良い。
綺麗事抜きで語れば、それが香の恋心だ。
因果な男に惚れてしまったとは、毎日思う。
それでも不思議と、こんな自分が不運かといえばそうでもないと思っている。



大きめのマグにたっぷりと2杯分、最後の滴がサーバーに落ちる少し前に玄関から相棒の気配がした。
何となくもうすぐ撩が帰って来る気がして淹れ始めた珈琲は、頃合い良く注がれた時だった。
兄が生きていた頃、2人で暮らす部屋で香の淹れた珈琲を兄は褒めてくれた。
香は上手に淹れるな、と兄は微笑んでそう言ってくれたけど。
あの頃よりも、珈琲もお茶も上手く淹れられるようにはなったと、香は思う。




玄関先で酔っ払った振りをする撩を見て、香は確信した。
今夜の撩は、夜遊びでは無い。
キッチンから漂う目の覚める薫りに、一瞬だけ撩の表情が変わったから。
その後すぐに、また元通り酔っ払いの腑抜けた顔をしてみせたけど、
どちらが本当の撩の表情かくらい、香には解る。
香だって、伊達に何年もこの男だけを見てきた訳では無いのだ。






カオリ~~~ン、お水ちょうらい、お水ぅ

ったく、しょうがないなぁ。毎晩毎晩、飲んだくれて。何処にそんなお金があるっていうのよっっ





キッチンに戻った香が、珈琲を手にしてリビングに入ると撩はソファにだらしなく寝そべっていた。
マグカップをテーブルの上に置くと、撩はのそのそと起き上がった。










・・・今日は、牛乳入れてないんだ。




暫く何も言わずに、2人で珈琲を飲んでいたけれど、不意に撩がそんな事を呟いた。
入れようと思ってはいた。
ドリップし終わったら、耐熱グラスに一杯分の牛乳を入れてレンジにかけるつもりだった。
でも、その前に撩が帰って来たから。
そんな事はもう、どうでも良くなった。
外でたとえ何があっても、酔っ払った振りで帰って来てくれる撩の方が。
香にとって優先順位は高い。

果たしていつの日か彼が、自分の事を相棒(シュガーボーイ)ではなく、
1人の“女”として見てくれるようになる日が来るのだろうかと、香は可笑しくなった。






たまにはね、ブラックが飲みたい時もあるのよ。

っかぁ~~~、ガキのくせにいっちょまえに。

っるさい、エロオヤジ。

安心しろ、ガキは対象外だ。







互いに憎まれ口を利いても、それが冗談だというのは暗黙の了解だ。
今夜の仕事が2人にとってそうであるのと同じように。
2人の間にある薄い隔たりを、こうして軽い冗談で薄めて溶かしてゆく。
希釈された日常の欺瞞という名の毒が、いつか致死量を超える時まで。



[ 2015/02/24 22:03 ] undo | TB(0) | CM(3)

③ 優しい嘘吐き

※原作程度、(中盤、モヤモヤ期くらい)を想定して書いております※






香にとって、嘘を吐く事なんて朝飯前の出来事だ。
槇村香は正直者で善人で嘘が吐けなくて、穢れなき存在だと思い込んでいるのは周りの連中だけだ。
香はいつだって思っている事の半分も言葉にはしない。
どんな風に応えれば、どんな言葉を使えば、どういう風に振舞えば、
世の中から乖離して浮かんでいる自分が世間に馴染めるのか、ただ単に良く知っているだけに過ぎない。
それは多分、生まれながらにして香が背負った宿命なのだ。
香自身が物心つく前から既に、香は“可哀相な子供”だった。

荒み切った家庭の愛情も冷めかけた夫婦の次女として生まれ、
生まれ落ちる前に両親は殆ど別居状態で、
両親の離婚から程なくして乱暴者の父親に、半ば誘拐されるように攫われた。
どちらかといえばより安全であったであろう母親と姉の元から連れ去られ、生き別れた。
まだ乳児であった香が、父親とどんな風に生活していたのか。
今となってはもう誰にも解らない。
それどころか、香自身も自身の出自に纏わる事情は良く知らないでいる。







撩にとって嘘を吐く事は、自分の身を守る手段であった。
時には命懸けで敵を欺き、時には仲間ですら欺いた。
喰うか喰われるか、まるで野生動物のように生き延びて来た撩にとっては。
嘘こそ真理、嘘から出た真という言葉がしっくりと馴染んでいた。
もはや撩に纏わる巷の噂の、何処までが嘘で何処までが本当か当人ですら確認の仕様が無い。
それは時として都市伝説のように実しやかに世間を駆け巡り、撩を象る輪郭線を曖昧なモノに変えた。
そしていつしか撩は、世界中にその名を轟かす殺し屋になっていた。
自分で望んだ事など、撩の人生に於いては唯のひとつも無い。
全てはまるで転がる石のように、嵐の海に浮かぶ一艘の小舟のように流れ着いてここまで来た。

普通の何処にでもいる小さな男の子だった。
荒れ狂う波間に落とされたちっぽけな命を、神は嘲笑うかのように掬い上げ翻弄した。
拾ったモノは俺のモノだとでもいうように、育てた男は撩という人間を蹂躙した。
そこには確かに愛情はあったのだ、これ以上無いというほど濃密に。
愛情を掛けるという事と、その人生を踏み躙るという事に矛盾が生まれない愛が存在するだけだ。
海原神というのは、そういう男だった。
彼に出逢った事が撩にとっての幸福でもあり、不幸でもあった。
つまるところ撩に選択肢は無かった。







選択肢など無いも等しかったのは、香も同じだ。
香がまだ赤ん坊の頃、香を攫った父親は人を殺した。
どうしようも無く弱い男だった。
夜中に眠った小さな娘を置いて、出歩いては酒を喰らった。
彼は彼なりに思い描いた理想の人生があった筈で、それでも歳を取る毎に理想からはかけ離れていった。
受け入れがたい現実から目を背けるように酒に溺れた。
酔っ払った盛り場で、下らない諍いが発端だった。
怖くなった父親は現場から逃走し、警察に追われた。
娘の事など脳裏には無かったのだろう。
行きつけの飲み屋の主人から犯人である久石の名前と境遇が証言として警察に齎された。
逃走中の事故によって父親が死んだ頃に、香は簡素なアパートの一室で保護されていた。

槇村家の娘として愛されながら、香はいつも心の片隅に淋しさを抱えていた。
忙しい父と兄、母親は居ない。
愛されている事はちゃんと解っていた。
香も彼等を愛していた。
自分には家族しか拠り所が無い事を知っていたから、淋しくても我慢した。
誰に教わった訳でもないのに、泣いてはいけないと思っていた。
彼等が香を愛してくれるように、香はその気持ちに応えなくてはいけないと思っていた。
落胆させてはいけない、心配を掛けてはいけない、いつも明るく正しくイイ子でいないといけない。
そう思うと本心の半分以上は、言葉に出来なかった。




三つ子の魂百までとはよく言ったもんで、香に染み付いたそんな人との距離の取り方は、
大人になっても変わらない。
香は自分の事を自分では、決して善良な人間だなどとは思っていない。
これまで色んな思いを抱えて生きて来た。
お父さんがいてお母さんがいて幸せそうな友達を羨み、
女の子らしい嫋やかな友達に憧れ、
香の事を小さな頃から育ててくれた父親代わりの様な兄の支えになりたくて金が欲しいと思った。
兄や父を尊敬しながら、それでももしも自分の人生がもっと違うものだったらと考えてしまう事があった。
そしてそんな風に考える自分を心底汚らわしいと思った。
兄が死んで絶望的に悲しんだのも紛れも無い事実だったけれど、
それと同時に最愛の男の相棒の座を勝ち取ったのまた現実で、
兄が生きていれば、撩という初恋の男に近付く事も無かったのもまた現実だ。
兄の死を心の底から悼みながら、兄の死によって深く知った男に骨の髄まで惚れている。

人間は清らかさだけでは本当の生を全うできないと香は思う。
尊さや崇高さと同時に汚らわしさや醜さも持って生まれて来た。
それは香だけでなく、撩もそうだろうと思う。
誰の心にも人には明かせない闇はあるのだろう。
だから撩の闇も香の闇もそれは等しく存在するもので、罪深いのはお互い様だ。
香には宗教などまるで解らないけれど、多分。
人は皆、十字架を背負って生まれて来るのだ。エゴや業を抱えて。
だから香は嘘を吐く。
本当は撩の事が好きだけど、撩を困らせたくはないし2人の関係を気まずいものにしたくないので、
本心に蓋をする。
本当は世界でたった1人だけ僚さえ居てくれればそれで良いんだけど、
そんな事は言えないので無理に笑って冗談を言う。
本当はイイ子なんかじゃない。
淋しいと泣いて暴れる事が出来たら、きっと。
夜中に眠れずに珈琲を淹れたりする事も無いだろう。
死ぬかもしれない男の背中に祈りを捧げながら、笑って送り出す必要も無いだろう。
香が撩に吐く最大の嘘は、この世で一番愛しているという気持ちと淋しくて堪らなく甘えたいという気持ちだ。
それだけは口が裂けても、言葉には出来ない。





紺色の空が少しづつ白み始めて、空の下の方は菫色に変わる。
撩は香の淹れた珈琲を飲んでいると、時々無性に心許ない気持ちに襲われる。
自分の全てを包み隠さず曝け出したいという衝動。
誰にも話した事の無い過去の話しを香に聴かせたい、けれどそれと同時に絶対に知られたくはない。
普通では無い自分の人生を普通の女に知られたら、きっと彼女の自分を見る目は変わるだろう。
けれど全てを知った彼女がどういう風に変わるのか(それとも変わらないのか)を知りたい。
香以外の女と関わる事もあるけれど、こんな風に思った事は一度も無かった。
相手の素性になど興味は湧かないし、別に知る必要もない。
けれど香の事は知りたくなるのだ。
撩がもしも、飛行機事故に遭ってゲリラの村で育ったんだという事を聞かせたら何と言うだろうとか。
今までしてきた悪い事全部、ぶちまけて笑ってやったら嫌われるのだろうかとか。
こんな晩にひとでなしを殺めてきた事を告白したら、香は。


ピュアで可愛い撩の相棒は、撩の事を嫌いになるのだろうか。






この先、いつか。
撩も香も自分の罪深い嘘を告白して悔い改める時がきたら、
薄暗い懺悔室はこのちっぽけなリビングで、互いにとっての神は互いであろう。
香の罪も撩の罪も、信仰を持たない2人には赦しを乞うのも与えるのもお互いだけだ。
御香を焚く代わりに珈琲の薫りを嗅ぎながら、
香は撩が生きて帰ってきた事に感謝を捧げ、撩は無事に戻って来られた事に安堵する。
2人には言えない気持ちが多過ぎて、仕方が無いからどうでも良い話をして笑う。
笑うしかない。




[ 2015/03/20 23:06 ] undo | TB(0) | CM(0)

④ redo(最終話)

ずっと途中だったお話しの続きです(汗)








あ、夜が明けて来た。






香がそう言ってソファを立ち上がったから、撩もつられてベランダに続く掃出し窓を見遣る。
まだ外は薄暗く、それでも暖色系の日差しの兆しが混ざった色になる。
春の初めの明け方は肌寒いけれど、ビルの隙間から太陽の隅っこが顔を出した途端に空気が変わる。
色が変わったら温度が変わる、温度が変わって世界が生き返る。
香はリビングの照明を消して、レースのカーテンを開ける。
刻一刻と色を変える窓の外が、部屋の中よりも明度を増す。
珈琲の薫りが変わったように感じる。
しょうもない事で笑っていた筈の香の横顔には、無意識に本当の笑みが広がる。
ちょっと寒いかも、と言いながらそれでも香はサッシを開けて風を入れる。
少しだけ冷たい空気がリビングの生温い空気を新しいものに変える。


取り消して、また取り消す。
心模様はその繰り返しだ。


撩には確たる言葉が使えない。
確たる未来を語る事など出来ない。
約束なんて出来ない。
言葉は誰かを縛り付けてしまう枷になる。
かつて何度も、撩はその事を経験してきた。
何かを所有してしまう事は、何かを喪う事に怯える始まりになる。
良かれと思った言葉が、この世で最後の酷い裏切りになる事もある。
だから何度も心に描いた願望を取り消して、それでも完全に拭い去る事が出来ずに、
取り消した事を取り消した。
何度も上書きされた撩の心に降り注ぐその感情が何なのか、その点は今の所深く考えないようにしている。
幸い彼女は一見口煩いように見えて、撩の核心には触れないでいてくれる優しさを持っている。
ホンの少しだ。
香が撩の心に入って来るのは。
それも必ず彼女が意識をしていない、ふとした瞬間。
彼女は突然、撩の心の琴線を小さく震わせたりする。







朝が来たなぁ、と香は小さく呟く。
撩には聞こえないように小さな声で。
ベランダ用に置かれた撩の足のサイズに合わせたサンダルはぶかぶかで、夜露で湿っている。
香は構わずに突っ掛けながら、ベランダの手摺に凭れて街を眺める。
撩が気に入ってるこの街は、これから眠る時間だ。
撩の事を心配しながら眠らないまま、いつの間にか朝が来た。

嘘とか闇とか狡さとかそういうもの全部、丸ごと肯定できる。
香はそう思える。
そういうもの全てを纏った撩が、香は好きだ。
何も聞かされなくても何も知らされなくても、撩の口から出る言葉だけが香にとっての事実だ。
撩を取り巻く闇がどんなに根深いものであっても、
撩本人は香にとっては燃え盛る日のように思える。
今しも昇ろうとしているその太陽みたいに、香を温める術を撩は持っている。
だから、この部屋に撩が帰って来るだけで、それだけで良いと香は思っている。
必ず生きて帰るだなんて誓わなくても、酔った振りでふざけなくても、事実だけで良い。
元々香は、それ程多くは望まないタイプだから、相棒でいたい。







少しづつ昇る朝日が、香の輪郭を金色に滲ませる。
日が昇るのを無心に見詰める彼女の背中を見ながら、撩は煙草に火を点ける。
確かにこの部屋に戻る手前でアルコールを摂取してきたけれど、酔っ払うほどでも無かった。
それでも帰り着くと、まるで穢れを洗い流すかのように珈琲の薫りが満ちていて、
その上新しい一日の始まりの匂いを嗅いでしまった。
思わずアルコールと一緒に、罪の色まで洗い流してしまいそうな錯覚を、
重いタールとニコチンが辛うじて現実の事として繋ぎ止めてくれている。

気が付いてしまった。
香だけだと。
撩にとってこの世で味方は、きっと香だけだ。
香の癖毛から少しだけ覗いた耳の先の産毛が金色に光る。
ほっそりとしたパジャマ姿の彼女の影がベランダに伸びる。
気が付かないように気を付けていても、ふとした瞬間にいつも彼女は撩の心にするりと入り込む。
いつの間にか、人懐こい仔猫のように足元に絡み付く。

彼女は、自分の後ろ姿を撩がこんな風に見詰めている事をまだ知らない。
彼は、香が自分の事をどれほど深く想っているのかという事をまだ知らない。
夜の数だけ朝が来る。









ちょっと早いけど、朝ご飯作ろうか?



そう言って振り返った香が、撩には何か神々しい生き物のように見えた。













サンボマスター『だんだん』という曲をイメージして書きました。
随分、長々と時間を掛けちゃいました・・・
最近、ハワイアンキルトばっかりやってます。
出来上がりのサイズは、180㎝×180㎝の予定です。
[ 2015/05/16 06:43 ] undo | TB(0) | CM(0)