15萬打リクエスト~はじめに~

おはこんばんちわ、ケシです。


この糞寒い季節、如何お過ごしでございましょう。
皆様方に措かれましては、お風邪など召されませぬよう謹んでお慶び申し上げます(←マイブーム・笑)


えぇ~~っと、以前にまるん様より 150000ヒットのキリ番リクエストを頂戴いたしておりまして。
そちらの方に、そろそろ取り掛かろうと思います。
ざっくり言えば、パラレル長編になります。
パラレルがお嫌いな方は、リターンでお願い致します(*´∀`*)ノシ

あまり詳細を書くと、面白くないのでざっくり説明。
↓↓↓↓


(まるん様のリク)
りょうちゃんと香ちゃんには、それぞれ彼氏彼女がいる。
(りょうちゃんは、“彼女”じゃなくても可。)
香ちゃんはそこそこの腕前で、ハニートラップなんかもこなすやり手。
りょうちゃんが段々、香ちゃんに惹かれて最終的にハッピーエンドで。




えぇ~と、これをワタシ的に解釈いたしまして、設定を考えました。
設定さえ出来たら、話は自動的にどうにかなるので書いて行こうと思います。
以下、設定。
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第1夜 星の降る街で

まるで真っ黒い原石の中に眠る、煌びやかな宝石のように。
濃紺の天鵞絨に散りばめられたスパンコールのように。
輝く街を見下ろすコンクリートの屋上は、冷え冷えと静まり返っていた。
絶え間なく流れるヘッドライトの光の大河と、欲望の渦巻くネオンの底から聳え立つ高層ビル。
大企業の社屋に、高層タワーマンション、シティホテル。
撩には須らく関係の無い世界の代物だ。



撩には根城など無い。
けれどこの数年は、この街に拠点を構えている。
薄汚れた古いちっぽけなビルだ。
あのネオンとライトと喧騒のずっと奥底、この街の深部でまるで深海生物のようにひっそりと存在する。
撩の棲む世界とはそういう所だ。
それは北米に居た時も同じ様なモノだった。
この世は、富める者と貧しき者、持てる者と持たざる者、強い者と弱い者が存在して初めて成り立つ。
撩は初めから何も持たなかった。
否、正確に言えば、何も持たされずこの世の果てに放り出された。
航空機の中から。

放り出された幼児の頃から今までで撩が身に付けてきた全ての事柄は、
全て撩の意思と選択に基づいたものだ。
銃の腕前も、殺し屋という身の上も、その中でも極上と謳われる仕事に関する評判も。
撩は自分という人間を良く解っている。
だからこそ周りからもそれなりの評価を受ける。
いつだって撩は、多くは望まなかった。
そもそもの始まりからして、あの墜落で命を落とさなかった事がまぐれでしかない。
だから(それが幸せなのか不幸なのかは別として)生きているだけで、もう既にアドバンテージだった。
死んでしまっても元々の零に戻るだけ。

そう意識して生きている人間と、
自分の身の上に“死”という厄災が降り懸るワケなど無いと思って生きている人間とでは。
生き方が大きく異なるのも、当然の事なのかもしれない。
撩の身近には、死の臭いが充満している。
他人の“持っている”モノになど興味は無いし、それを奪う事に躊躇も憐れみも無かった。
ただあるのは依頼を確実に遂行する事だけだった。
そうすれば撩は、自分の生を長らえる事が出来た。

でもそれが何だって云うのだと、撩はいつも考えていた。

長らえて一体、自分に何があるというのか。
まだ撩には自分が死ねない事も、生かされている事にも何の理由があるのか。
それともそもそも、その事自体には何の意味も無くただの偶然なのか。
何も解らない。
解るのは自分には社会の一番底の底で、汚物を迅速に処理していく才覚があるという事だけだった。





吐く息が白い晩だった。
そのビルは35階建ての高層ビルで、昼間は何百・何千という人間が働いているけれど。
深夜、誰もが寝静まる頃合いは誰も居ない。
監視カメラと防犯システムと守衛だけがその大きな建物を守っている。
尤も撩にとってはその程度のセキュリティなど、無いにも等しい。
撩が仕事場を選ぶ基準は、どれだけ標的と効率的に接触でき、且つ安全か。それだけだ。
何の変哲も無い普通の晩に、その屋上には先客が居た。


ベージュ色のトレンチコートの懐にライフルを隠し持った撩に背を向けて、女が立っていた。
ダウンの詰まった丈の短い黒いブルゾンに、黒いスキニーパンツに黒いワークブーツ。
手にはM70を握っていた。
色濃く残る硝煙の臭いは、そのライフルが使用された痕跡を物語る。
ブルゾンの襟元に掛かる栗色の柔らかそうな癖毛だけが、何か場違いな印象を撩に抱かせた。
女は撩の気配に、ゆったりと振り返った。

恐ろしく顔立ちの整った女だった。
蒼黒い夜の空気に、女の顔だけはまるで白磁のように滑らかに白かった。
女はまるで花の蕾が綻ぶような柔らかな微笑みを浮かべて、優雅に会釈した。

お先に。

ひと言だけそう呟いた彼女の声は、高いようで低く澄んでいるようで微かにハスキーで。
撩の耳に届いた瞬間に、まるで淡雪のように融けて消えた。
声だけでは無い。
彼女の顔も気配も、鮮烈なようで、淡い。
擦違い様、バニラとジャスミンの混ざったような薫りがふわりと薫った。
それでも撩には遂行すべき依頼があるので、若干の後ろ髪を引かれながらポイントに立つ。
奇しくもそれは、それまで彼女が佇んでいた場所で。
撩はライフルを構えながら、まさかという思いが過った。
そのビルの程近く、対面するように聳える西新宿のシティホテル32階のスイートルームに、
この晩のターゲットが居るはずだ。

スコープを覗くとそこには、撩が仕留めるはずだった黒い噂の絶えない悪徳政治家の骸が転がっていた。
彼はまんまと眉間を撃ち抜かれ、撩の覗くスコープからは流れ出る鮮血までが確認できた。
恐らく彼が息絶えてものの数分。
数分前にそこに居たのは、まるで華奢な子猫の様な女が1人。
撩は慌てて背後を振り返る。


そこには誰も存在せず、残り香すら残さず。
撩の記憶の中にだけ、まるで溶け残った淡雪のように彼女の残像が浮かんでいた。
恐らくは、その記憶ですら時間と共に淡く不確かなモノになるだろうと、その時の撩には感じられた。


(つづく)




第2夜 HotButteredRum

よぉ。

おぉ。






区役所裏のホテル街の内の1つから、撩が出て来たところで偶然にもばったりミックに遇った。
撩は後腐れの無い女としか寝ない。
その日の夕方、たまたま近所のコンビニで顔を合わせたセックスフレンドと、
屋台でおでんを食べながら酒を飲み、適当に空室のあったホテルに入って、セックスをした。
互いに友情にも似た好感以上の感情は無いので、純粋に行為に没頭出来ると撩は思う。
無駄な感情は身を滅ぼす。
撩は女が好きだ。
柔らかくて温かいしっとりとした皮膚の質感は、男には無いモノだ。
けれどそれは、具体的に誰という訳でも無く、ただ漠然と女と寝るのが好きだ。
相手など、病気持ちでなければ誰でも良い。
けれど新規開拓も面倒臭いので、撩は数人のセックスフレンドと適当に遊んでいる。
相手が何処の誰で、何をしているのかなど欠片も興味の無い撩は。
女に質問したりはしない。
女の方にしても、名乗っているのが本名なのかどうなのかも解らない。
それはお互い様であろう。
ついさっきまで一緒に居た女は、良く眠る女だ。
女はいつも先に寝息を立てて寝てしまうので、撩はいつも枕元にホテル代だけを残してサッサと帰る。
疲れている女なのかもしれない。
まるで武装しているようなブランド物のスーツを身に纏い、
仮面の如き化粧を施して、そのクセオヤジ臭い屋台のコップ酒を呷る。
この街では、男も疲れているけれど。
女だって疲れている。






なんだ、やなとこで出くわすな。


そう言って笑った金髪の腐れ縁は、冬の真夜中には不釣り合いな真っ白いスーツを着ている。
撩はマジックミラーになった自動ドアから出て来たところで、
ミックはその前の通りを歩いているところだった。
ミックの傍らに女が居ない所を見ると、今夜は取り込み中という訳では無いのだろう。
自然と2人は並んで歩く。
少し歩いた所に、2人の行きつけのバーがある。
何も言わずとて、2人の足がそこに向かっているのは明白だ。





お楽しみだったのか。

・・・別に、特に楽しかないけどよ。

ふぅん、この節操なし。

お前にだけは言われたくない。




撩が北米からこの島国に移って来た時、ある1人の昔馴染みを頼った。
昔馴染みといっても、撩がその人に初めて逢った時、撩はまだホンの子供で。
その人はその時から既に、老人だった。
その人には沢山の借りがあったし、沢山世話にもなった。
何故だかその人は撩を可愛がり、何の得にも成らない撩の面倒を見てくれた。
一番、世話になったのは薬に冒されて死にかけた時の事だ。

撩が単身この国にやって来た数年後、ミック・エンジェルは撩の後を追うようにここにやって来た。
確か撩より1つ2つ歳は上の筈のこの男は、初めて逢った時からやけに馴れ馴れしく撩に纏わりついた。
初めはゲイなのかと疑ってしまったほどに。
しかしその疑問はすぐに払拭された。
撩はこれまで自分以上の女好きは、この男以外見た事が無い。
そして付合いが長くなるにつれて、この男の他人との距離の取り方を目の当たりにし。
撩にとっては馴れ馴れしいこの距離感は、ヤツにとってはどうやら普通の事らしいと気が付いた。
こう見えて、ミック・エンジェルも殺し屋だ。
けれどミックは、殺し屋と情報屋と表向きにはライターをやっている。
兼業農家ならぬ、兼業殺し屋といったところか。
その昔、2人は手を組んでいた事もあったし、
対立するちっぽけなギャングの用心棒として雇われて対立した事もあった。
(尤も、どんな状況であれ2人の関係性は変わらないので、結果ギャングたちが振り回されて終わった。)








で、振り向いた時にはもう忽然と消えていたと。

うん。




ホット・バタード・ラムのバターが溶けて、アイリッシュグラスの中身がコックリとした黄金色に輝く頃。
撩はその話しを切り出した。
寒い夜更けに無意識に背中を縮めてドアを開けた常連の大男2人に、
マスターは、取敢えず飲んで暖まんな、とそのカクテルを出した。





ちょっとだけ、噂は小耳に挟んだ事はあるな。

どんな?

通称、黒猫。名前の由来は、いつも黒ずくめの服を着てるからとか、猫みたいに敏捷だからとか。それに、



それに?

黒猫みたいに縁起が悪いからとか。

・・・・・・。

でも、死ぬほどイイ女らしいとか。




それは間違いない、と撩は胸の内で呟く。
極上のイイ女だった。
あの屋上で、鮮烈でいて淡い雪の様な相反する矛盾したイメージを喚起させたあの彼女は。
時間の経過と共に、消えて無くなるどころか。
撩はずっと気になっている。
正直言ってしまえば、ついさっきセックスフレンドと獣じみたセックスをしながらも、
頭の片隅の何処かで、彼女のイメージを追っていた。
イメージの端っこは掴めそうで掴めないもどかしい苛立ちを、この数日ずっと撩に齎している。
その感情が何なのか、撩は自分の意思とは裏腹に溢れ出て来るこの感覚を正直、持て余している。




・・・若そうだったけどな。

確か、まだ若いと思うよ、彼女には相棒が居たらしいけど。

けど?

死んだらしい。

相棒って男か?

気になるのか?





厭らしくにやけるミックに撩は、鼻の頭に皺を寄せる。
この男のこういう所が、非常に鬱陶しいのだ。
ミックはそんな撩の表情を楽しみながら、小さく笑う。
ミックは良く笑う。
まるで殺し屋には似つかわしくない程に。





俺もそれ以上の事は、良く知らない。 実際に見た事も無いしね。一度お目に掛かりたいね、是非に。





あの晩、屋上で撩は仕事の先を越された。
普段ならプロの殺し屋として、憤慨するところだが。
不思議と撩はその事に関しては、綺麗サッパリ忘れていた。
クライアントは、撩が殺した訳でもないのに依頼料をきちんと支払ってくれた。
この世の何処かに、もう1人あのターゲットを恨んでいる依頼人が居たという事なのだろうか。
その依頼主は、彼女(黒猫とかいう)を雇い、撩の依頼主は撩を雇った。
そういう事か。
1つの標的に、殺し屋が2人。
それがたまたま、彼女と撩だったというのか。
考えれば考える程、撩は彼女の残像に囚われ続ける。
グラスの中で融けたバターのように、彼女の残像が絡み付く。




酒が進むにつれ、ミックは撩にやたら絡んで、その彼女が気になるのかと冷やかしたけれど。
撩は無視して黙って酒を呷った。
撩のこの心の内を正確に他人に説明するのは不可能に思えたし、面倒臭かった。
けれど違うのだ、気になるとか惹かれるとか、そういう次元では無いのだ。
何故だか撩は、あの彼女とこれから先、
関わっていかなければならないという奇妙な予感めいたものを感じていた。
何の根拠も無いけど。




(つづく)



第3夜 毒蜂

再び撩が彼女を見たのは、豪奢なホテルの大広間で催されたパーティーでの事だった。
擦れ違う時に、彼女からは薔薇の薫りがした。





その宴は、某大手芸能プロダクションの創立40周年記念のパーティーだった。
誰しも一度はテレビで見た事のあるような顔ぶれが、立食形式の会場内にわんさか居る。
勿論、撩には何の関係も無い集まりだが、意味も無くそんな場所には近付かない。
ターゲットはその中に居た。



撩が初めて人を殺した記憶は、非常に幼い頃のものだった。
撩が育ったのは、南米の小国のジャングルの奥地にある貧しい村だった。
元々は、古からその土地に生きる先住民族達の村だったけれど。
近代になって西洋人が開拓という名の侵略を始めてから、その土地の悲劇は始まった。
侵略と抵抗と暴虐と反乱の歴史はそのまま、その村の歴史となった。
支配者たちは勝手に自分達の都合の良いように国を分け、線引きし、領土と領民を我物とした。
その村は、撩が墜ちて来るずっと以前から、国家と名乗るならず者と闘っていた。

自分の名前も年齢も良く解らない程幼かった撩を育てたのは、海原神という男だった。
彼は日系人で、親の代が南米に入植した世代だ。
初めは様々な夢を抱いて、多くの日本人がほぼ地球の真裏へと命懸けで渡って来た。
それから半世紀後、その土地で生まれた海原神の目にその夢の新天地がどう映ったのか。
それは誰にも解らない。
多分、資本主義や白人至上主義に絶望し、世の中を蔑んでいたのだろうと今になって撩は思う。
ともかく、撩を拾ってその村に連れて来て育て上げたのは、海原神だった。
少年になった、けれどまだ戦地に連れて行くには未熟な子供に。
海原は自動小銃とサバイバルナイフを持たせた。
自分の身を守れず死んでゆく人間は、たとえ子供でもその村では淘汰される。
それはまるで野生の動物と同じ理屈である。
撩はそうやって育った。
その村の女子供は、大麻草を栽培した。
栄養と作付面積の少ない土地には、ちょうど良い作物だったし。
収穫した大麻草を高く引取ってくれる仲買人がいて、良い商売になっていた。
その金で、村の男達は武装した。
子供の中で男の子は皆、戦士になる事を前提に育てられた。撩と同じだ。
撩と同い年位の一緒に育った男の子たちは、撩が立派な兵士になる頃には全員死んでいた。
そうやって生き延びて、村の為に闘う男は自然と淘汰されて精鋭へと育った。
それでも、その屈強な男達も。
政府軍との闘いで、簡単にあっけなく死んでいった。
撩には死というものが身近にあり過ぎて、あまりにも日常の一部と化している。








それでは、あの彼女はどうなのだろうと撩は思う。
擦れ違うと花の薫りのする女には似つかわしくない殺し屋という職業を、
何故に女は生業とするのだろう。

彼女は目立つ広間のフロアには姿など見せなかった。
黒い絹のロングドレスは、他の誰より露出は少なく。
長袖に黒いレースのグローブまで嵌めている。
黒い高いエナメルのピンヒールを履いた彼女は、かなりの長身で。
彼女の細い腰に手を回すターゲットの人気俳優と並んでも身長にはさほど差は無かった。
宴が始まってからずっと、ターゲットをさり気なく監視していた撩の目を、いつの間に盗んだのか。
広間の外の廊下で彼女は、ターゲットを射止めたらしい。

擦違い様、彼女が撩の瞳を覗き込んだのが解った。
ホンの刹那、撩と彼女の視線が絡まる。
全く気が付く気配も無い標的を後目に、またしても2人の殺し屋が交差する。



花の匂いを嗅いだのと一続きの動作で、彼女の背中を振り返って。
撩はまるでギュッと心臓を鷲掴みにされたような感触を覚えた。
正面から見ると、まるで喪服のように見えなくも無いほどの黒ずくめの彼女の背中は一転。
大きく背中の開いたデザインのドレスの下には、下着の存在を示す物は何も無い。
真っ直ぐに伸びた背骨と、まるで羽根でも生えてきそうな華奢な肩甲骨。
括れたウエストから広がる女性らしい丸みを帯びた骨盤の張りと丸くツンと上がったヒップ。
背中の開きはヒップの谷間すれすれのところまで延び、
見えそうで見えないというスケベ心を揺さぶる代物だった。
黒猫という名前に反して、撩の脳裏にこびり付いたのは彼女の真っ白でシミ1つ無い背中だった。


それ程、のんびりと眺めていた訳でも無い。
時間にして、ホンの数秒ほどだった。
彼女はターゲットに腰を抱かれ、そのまま高層階用のエレベータの中へと消えた。
またしても撩の目の前で、ターゲットを掠め盗られた。
ちゃっかり標的を横取りされたにも関わらず、撩がまたしてもやられたと臍を噛んだのは翌朝の事だった。







人気俳優の死は翌朝の朝刊で、大きく取り沙汰された。
死因は、飲酒後にバスタブに浸かったまま眠りこんだ事による溺死。
中年と呼ばれる年代になっても独身を貫き、幾つになっても若々しく、女性ファンの多い役者だった。
恐らく、バスタブに沈めたのは黒猫だろう。
もしかすると、依頼の内容から察するに、飲酒では無くオーバードーズの可能性もある。
その辺りは、同じホテルで盛大なパーティーを開いていた事務所サイドの何らかの圧力があって、
情報が公にされていないのだろう。

ハニートラップを張った彼女が実はミツバチではなく毒蜂であったことを、男はどの時点で知っただろう。
死にゆくバスタブの水の底から見上げた彼女は、どんな顔をしていただろう。
撩は無意識に彼女の事ばかりを考えていた。





(つづく)


第4夜 絶対領域

その猫のマークの喫茶店は、表向き至って普通のカフェだけど。
地下には非合法のエリアが存在する。
喫茶店の客は普通の堅気の皆さんであるが、地下を利用する人間は特殊な職業ばかりである。
例えば、撩のように。



伊集院隼人という男は、その昔傭兵をやっていた。
扮装の起こっている各地を転々とし、
ある時期、撩の育ったゲリラたちの村とも対立する政府軍の兵士として闘っていた。
撩とは、その頃からの因縁である。
今でこそ彼は一線を退き、パートナーと共にカフェを経営する悠々自適の生活を送っているけれど。
その巨体には不似合いなエプロン姿は、時に客を委縮させる。
パートナーの美樹も、女だてらに傭兵として跳ね回っていたけれど今ではすっかり、カフェの女主人だ。
彼等にはカフェ経営という表向きの顔とは別に、裏稼業を生業とする裏の顔も持っている。

伊集院はガンスミスであり、武器商人であり、情報屋でもある。
彼の元に依頼しておけば、大概の武器は入手できるし、無いモノはカスタム出来る。
しかし彼は非常に気位の高い男で、己の主義に反する客は相手にしないし、商売気は無い。
即ち、彼の元で取引をさせて貰えるという時点で、
裏稼業従事者としての大きな篩いに掛けられるようなものだ。
この国は、銃器に関して厳しい規制が掛かっているので、
そもそも伊集院ほどの武器商人もそうはいない。
ある意味では、裏街道を歩く人間で彼を知らないとなるとかなりのモグリだし、
彼に相手にされないとなると、大した人物では無いという証だ。







撩がキャッツの店内に入ると、カフェには1人の客もいなかった。
(信じられない事だが、この東京のど真ん中でそれは珍しい事では無い。良くある風景だ。)
終いには、カウンターの中に美樹でさえ居なかった。
そもそもその日は、撩は地下に用があって出向いたのであって、
コーヒーはついでだったので慣れた足取りで、店内奥の地下への階段を降りた。
階段の中程に居たのは、彼女だった。





地下での用を済ませたのであろう彼女は、手ぶらで。
大きく襟ぐりの開いたボートネックのニットのワンピース姿だった。
勿論、黒ずくめは毎度の事だ。


黒いアンゴラのハイゲージニットは、滑らかに彼女の身体にフィットしている。
透き通るように白い首筋には黒い革紐のチョーカーに黒い鳥の羽根飾りがふわりと揺れている。
ワンピースの丈は、マイクロミニで。
膝上まで編上げられた黒いブーツを履いている。
上段を見上げる彼女の唇には、真紅のルージュが引かれ、
ゴールドのラメの光るグロスがぽってりと立体感を強調していた。



撩と目が合うと彼女は、ふんわりと柔らかな笑みを浮かべた。
この地下の存在も、2度のニアミスも、知らなければ誰が彼女を殺し屋だと思うだろう。
彼女は撩からターゲットを掠め盗った事など、まるで悪びる素振りも見せずに。
こんにちわ、と会釈をした。
撩が小さく会釈を返したのと、狭い階段で擦れ違ったのはほぼ同時だった。
擦れ違った彼女からは、イランイランのエキゾチックな薫りが漂った。









撩は伊集院との世間話もそこそこに用件だけを手短に済ますと、
元来たようにカフェへの階段を一段飛ばしで駆け上がった。
先程はカウンターの中に居なかった美樹はいつの間にか戻っていて、
黒の彼女は、会計を済ませている所だった。
一足遅れの撩の為に、カウンターのいつもの席にはいつものコーヒーが置かれている。
撩はドキドキする胸の内を隠したまま、何気ない素振りでいつもの席へと座る。
横目で彼女を観察しながら、コーヒーを口へと運ぶ。
まるで撩と入れ違う様に、彼女は。
さよなら、と言って店を出て行った。
暫く、タイミングを計った後、撩はさり気なく美樹に探りを入れる。





さっきの子、常連?

さっき?

あの、黒のニットの。

あぁ、・・・そうね。 なぁに?気になるの?冴羽さん。

・・・・・・・べ、別にそんなんじゃないけど。

常連さんよ、地下もこっちの方も。

初めて見たな、(ここではね)。

そういえば、冴羽さんとタイミングが合う事は無かったわね、これまで。





美樹はそう言って笑う。
けれど、それ以上の顧客の情報を漏らす気も無い美樹の笑顔に、隙は無い。





何て名前?あの子。





撩のひと言に、店内の静寂が余計に際立つ。
サイフォンのコポコポという音とコーヒーの薫りだけが、店内に広がる。
美樹はニンマリと口角を持ち上げて、他人の悪い笑みを浮かべる。





それ以上の情報には、情報料が発生するわよ?




撩は苦笑いしながら、咥えたマールボロに火を点けた。
深く吸い込んだ煙草の煙の中に、微かにイランイランの薫りが薫ったような錯覚を感じる。
脳内では階段の中程に居た彼女の姿が、フラッシュバックする。
黒いニットに、黒いブーツ、今日も全身黒で固めていた彼女の。
太腿の僅かばかりの絶対領域が、撩の脳裏に浮かぶ。
屋上で見た時も、パーティー会場でも、さっきも。
黒い服しか身に着けない彼女の、それでも撩が思い出すのは。
透き通るほどに真っ白な肌の色だ。
黒が印象的なだけにその中に存在する白は、
余計にコントラストを強めて強烈なインパクトを撩に与える。



あのように体に沿うようにフィットした衣服なら、恐らくは彼女の愛用する銃は。
あのミニスカートの下、サイホルスターに収められているのだろう。
さほど大きな銃を使っている訳でもなさそうだと、撩はコーヒーを飲みながら分析した。


(つづく)




第5夜 赤い夜

撩の育ての親は今、世界を席巻しつつある、ある企業の創始者として辣腕を振るっている。
あの頃、資本主義や拝金主義を憎んでさえいるようにみえたあの男は。
今では世界のブラックマネーを動かすその渦中にいる。
そういう世界も苦しいものだろうと、撩は思う。
撩が昔から闘ってきた相手は、自分自身の運命だ。
時に運命を呪い、世界を憎んだ。
自分の乗った飛行機が墜ちなければ、今頃自分は何をしていたのだろうと夢想した事もあった。
そして、過去がどうであれ、もしかすると自分はこの殺し屋という道を選んでいたのかもしれないと、
漠然と考えたりもした。
いずれにせよ、過去は消えない。


過去はいつも、撩を捕えにやってくる。
気の置けない相棒が出来て、ちっぽけな安穏が訪れようとしたらそれはやってくる。
相棒の幼い娘の命をだしにして、つまらない場末の殺し屋同士の殺し合いをさせる。
撩が抱いた女を消しに来る。
薬と金と権力を使って、残忍なゲームに撩を参加させようとあの手この手で撩に近付く。
あの男が自分に執着する理由が、撩には解らない。
金も地位も権力も手に入れて、あれ以上何を求めているのか解らない。
撩があの男の思い通りに動いた所で、それがあの男の何になるというのだろう。
撩以上にあの男を慕い、忠義を尽くす人間だって掃いて捨てるほどいるだろう。


けれどそれでは駄目なんだろうと、撩は心の何処かで諦めてもいる。
あんなに酷い仕打ちをしたくせに、あの男にとって息子は撩だけなのだ。
撩にとっても親父はあの男だけだ、望むと望まざるとに関わらず。
それでも撩は今はまだ、出来る限りの抵抗をしようと思っている。
確かにあの時彼は撩を拾って、立派に育て上げてくれた。
撩が敵陣でヘタを打って捕まった時、自分の足を犠牲にしながらも救出してくれた。
その恩義を忘れてはいない、けれどもまた、それ以上の数多の恨みも忘れてはいない。
海原神は、闘っているのだろう。まだ未だに。
彼はきっと、何かと闘い続けていないと生きてはいられない男なのだろう。
イデオロギーが歪んでも、
この世のあらゆるものを手中に収めても、
何と闘っているのかという事すら忘れても。
彼は今も苦しい闘いの只中にいるのだろうと、撩は諦めながら同情している。


行きつけのバーの女主人に誘われたから、彼女の場末感漂うアパートの一室でセックスをしていた。
彼女は撩より、随分歳上で撩の遊び相手の1人だ。
恐らく豊富であろう経験は、撩が何もしたくない時には非常に助かる。
ただその若干スプリングがへたり気味のベッドに気怠く横になっているだけで、
彼女は撩を奮い勃たせ、快感へと導き、彼女自身も勝手に気をやってくれる。
撩としては何もしてやった覚えは無いのに、挙句、ありがとうなんて言ってしな垂れかかる。
こうなるともはや、セックスですら無い気がすると撩は思う。
互いに、マスターベーションと同じようなものだ。
どうせマスターベーションなら、気兼ねは要らないと思いながら。
撩はセックスの最中、ずっと考え事をしていた。
昔の事だ。
昔のかつて親父と呼んだ、悲しくて憎い男の事だ。
彼が吸っていた煙草の匂いや、大きく見えた乾いた掌の温度だ。
そして、もっと強くなるための薬だと言って見せられた注射器とアンプルの事だ。
どんなに記憶の底に沈めようと思っても、過去は消えない。



泊まってってもいいわよ?と言った女の言葉を聞かないフリして、撩は表に出た。
どうせ同じ、狭い新宿の街の中の住人なのだ。
撩が落ち着けるのは、自分のねぐらだけだから、女の部屋で眠るなんて真っ平御免だ。
風が刺すように冷たいと思って、撩はポケットの中の携帯電話を確認する。
夜の一番深い時間帯に、さすがにジャケット一枚は堪える。
足早に部屋に帰る途中の路地裏で、4度目の彼女を見た。










ビルとビルの隙間。
コンクリートの壁に背中を凭れるようにして、彼女は座り込んでいた。
ピッタリとした黒い革のツナギ。
首を折って項垂れる彼女の表情は解らない。
茶色い癖毛がビル風に靡く。
利き手には、コルトローマンを握っていて。
その指先から流れる赤い液体が、近付いた撩のすぐ傍まで小さく流れている。
撩の心臓が早鐘を打つ。




おいっっ、大丈夫か



思いの外、大きな声で呼び掛けていた。
彼女の小さな顔が上がる。
真っ白を通り越して、蒼白い。
彼女は撩を見上げると、ニッコリと微笑んだ。
微笑んだ次の瞬間、まるで眠り込むように目を閉じた。




ば、ばっかっっ 寝るなよっっ   おまえ






気が付くと撩は、彼女を抱き上げて連れ帰っていた。
生憎、彼女は死んだわけでは無く。
どうやら撩の腕の中で、寝息を立ててぐっすりと眠り込んでいた。
彼女の指先から滴る赤が、アスファルトに点々と印を残す。
家に着くホンの手前で撩は、この夜がクリスマスイブだと気が付いた。




(つづく)










第6夜 野良猫

撩は自分でも、どうしてそんな言葉が口を吐いて出たのか良く解らなかった。



彼女を連れ帰って、怪我の状況を調べると暗い路地裏では良く解らなかったけれど。
丈夫な革のツナギの上腕部が綻びていて、血はそこから流れていた。
ソファに横たえた彼女のツナギのジッパーを降ろす時に、撩は意味も無く照れた。
彼女は眠っているし、別に疾しい事をするわけでは無くあくまで手当をしようと思っているだけなのに。
心臓は煩いほどに動悸した。
ツナギの下から、黒いTシャツを身に着けた華奢な躰が現れた。
出血が酷いようであれば、教授の所へと連れて行く事も考えたけれど。
一通り調べて、大丈夫だろうと判断して手当てをした。
恐らく弾が掠めたのだろう。
血が滲む皮膚は抉られ、その痛みが如何ほどのものか撩には解り過ぎる程解っている。
そしてこの状況で安堵して眠ってしまっている彼女の疲労が、よほど深いものだという事も。
それからほぼ丸1日、彼女は昏々と眠り続けた。
撩の部屋の、簡素なソファの上でブランケットに包まったまま彼女は寝息を立てた。



長い睡眠から目覚めた彼女に、撩は名前を訊ねた。
彼女は小さな声で、“香”とだけ答えてボンヤリと自分の置かれた状況を確認していた。




貴方が助けてくれたの?

あぁ、大した事はしてねぇけど。

貴方は?

ん?

名前。

んぁあ、冴羽撩だ。好きなように呼べよ。






撩の言葉に香は、生意気そうにフフンと笑った。
撩は自分でも良く解らないままに、怪我が治るまで暫くここに居ろよ。と、言った。
何故、そんな事を言ったのか、どういう心境なのか自分でも説明がつかなかった。



じゃあ、アタシの事も好きなように呼んでね。



と言った彼女の言葉に妙に浮かれていたのかもしれない。
おまぁ、ねぐらは?と、訊ねた撩に彼女は。



沢山あるけど、1個も無い。



と、解るようで解らない返事をした。
ここは良いお部屋ね、そう言って小さく笑った。
すごく落ち着くわ、と香が言った時から。
撩と香の奇妙な同居が始まったのだけど、この時はまだ2人とも何も考えてはいなかった。








香は撩に拾われてから、数日間、何をするでも無く撩の部屋で過ごした。
撩はいつも通りの生活で、昼間に外に出たり、夜は飲みに出掛けたり、軽く仕事をしたりもした。
香はソファで眠った。
もしかすると、撩の居ない間に香も外には出ていたのかもしれない。
気が付くと、着替えの服もいくらか持っていたし、着替えていた。(勿論、真っ黒だ。)
腕の傷はまだまだ治らないし、本当に香は撩の言ったように治るまで居るつもりなのかもしれないと、
撩は思って、思った途端心が弾むのを感じた。
よくよく考えれば、可笑しな話だ。
彼女は殺し屋で、素性も良く解らない。
これまでの撩なら、真っ先に警戒するような相手の筈なのに。
何故だか始めから、撩は彼女に一切危険を感じないのだ。


香は毎回では無いが、気が向いたら料理を作ってくれた。
普通に旨かった事が、撩としては意外だった。
彼女が風呂から上がると、撩は彼女の傷の消毒をしてやった。
別に自分でも出来るだろうが、
撩が何も言わずに手当をするのを彼女も何も言わずに受け入れていた。
不思議と彼女に対して、性欲は抱かなかった。
香という女は、そういう雰囲気を微塵も感じさせなかった。
恐ろしく整った顔立ちに、モデルの様な完璧な肢体。
殺し屋という職業の匂いを全く感じさせない、不思議な雰囲気。
ただ1つハッキリ言える事は、彼女はこれまで撩が出逢ったどんな女とも違っているという事だ。








撩が咥え煙草で香の抉れた皮膚に、脱脂綿に含ませた消毒液を塗り込む。
香は眉1つ微動だにさせず、黙って耐えている。
痛くないワケがないという事は、撩自身が重々身を持って知っている事だ。
表に表せないモノが深ければ深いほど、痛みや傷や後悔や苦しみが大きければ大きいほど。
どんな表情(かお)をすれば良いのかなんて解らなくなるし、言葉は意味を為さなくなる。
撩はその事を、己の経験則から悟っているが。
きっと香もそうなんだろうと無意識に、自分との共通点を探る。
綺麗な肌に残る生々しい傷跡が、撩の胸を締め付けた。


風呂上りの彼女は、シンプルなコットンの黒いショーツに黒いタンクトップだけを身に着けて、
撩のグレイのバスタオルを肩に掛けている。
洗い晒しの癖毛の先から、滴がタオルに染み込んでゆく。
撩の部屋で居候を始めて、彼女からは撩と同じシャンプーと石鹸の匂いがする。
撩はフッと、空気の塊を短く吐き出すように笑った。


おまえさ。


撩の言葉の続きを促すように、香が首を傾げる。
2人とも、恐らくは馬が合うのだろう、言葉数が少なくとも疎通は図れる。
この数日で、内心、互いにそれは感じていた。
皆まで言わずとも伝わる感覚。フィーリング。


着てる下着まで、黒なんだな。




撩の言葉に、香は口の形だけ笑った形になる。
ゆっくりと撩の顔を見詰めながら、撩の唇に挟まれたマールボロを摘む。
撩の口から吸い差しの煙草を奪うと、それをそのまま咥えた。
ゆっくりと深く吸い込み、鼻の穴から盛大に煙を吐いた。
そんな至極オッサン臭い仕草ですら、彼女がやると優雅に見えた。
香は美しい人差し指と中指にマールボロを預けて、目を細める。



喪に服してるのよ。



そう言うと、香はニッコリと微笑んだ。
撩はミックの言葉を思い出す。
死んでしまったという、彼女の相棒の話しを。
死んだ男の存在と、彼女の心の中に占める男の大きさや位置を想像する。
黙り込んだ撩に、香は言葉を続けた。





貴方だってそうでしょう?

???

そんな真っ赤なTシャツとか、変な色のジャケットとか着てても、

余計なお世話だっっ(笑)

全身で喪に服してるの、良く解るわ。





ここで初めて、彼女が死んだ相棒の話しでは無くもっと他の何かについて語っているのだと、
撩は気が付いた。
身近すぎる死の臭いと影。
諦めにも似た悲しみ。
日常に埋もれた非日常。
何となく彼女の言っている事が解るような気がした。
今この時も、次の瞬間には過去に変わる。
撩にも香にもきっと、もう自分ではどうにも出来ない決定的で圧倒的な過去があって。
その事に囚われ続けて、今がある。
足掻いてもそれは、決して解放してはくれないのだ。
彼女はこれまで自分が失ってきたものに対して、哀悼の意を表しているのかもしれない。
そう思いながら撩は、彼女の細い二の腕に包帯を巻いた。



(つづく)


第7夜 奔走

ねえ、撩。

ん?

グリーンピースは好き?食べられるの?






突然の香の質問に、撩は質問の意味を(というよりも、意図を)暫し考え込んだ。
別に好きでも嫌いでも無い。
世の中はクリスマスを過ぎ、どうやら来る正月に向けて盛り上がりを見せているようであるけれど。
殺し屋に、盆も正月も関係無い。
撩はあの貧しいゲリラの村を出るまで、クリスマスや新年の幕開けを祝うという習慣を知らなかった。
否、正確には、知識として知ってはいたけれど。
世界の何処で、そんな事が行われているのか知らなかった。
平和な世界が何処か余所で、その時を同じくして存在するという事を信用していなかった。
その事を考えると、世の中は不公平で不条理で自分の置かれた境遇はあまりにも不幸過ぎるから。
考えないようにしていた。
神様もサンタクロースも平和な世の中もその戦いに勝利する事も、
撩は心の中ではずっとただの理想で夢だと思っていた。
撩はその戦いの中で命を落とさない限り、
死ぬまで永遠にあの地獄からは逃れられないのだと思っていた。
いつもお腹を空かせていて、薄汚れた戦闘服一枚で森の中で何日も過ごし、
少しの物音にも耳を欹て、怯え、食べられそうなモノは何でも仕留めて食べた。


だから、あの村を幾人かの仲間と共に出る事にして、資本主義の大きな世界に潜り込んだ時。
全てが目映く見えた。
甘い食べ物が甘いと感激し、大きな物音が危害を加えるものでは無いという事に喜んだ。
あの時の気持ちと感触は、未だに憶えてはいるけれど。
今では当たり前の事になって少しばかり贅沢になった。
あれから何年経ったのか、数えてすらいないけど。それでも、
撩は何処か浮かれた12月の雰囲気は、好きになれない。
自分の居場所はそこには無いと感じてしまうから。
あの切実だった過去の地獄の世界から抜け出したつもりでいても、
きっと完全には抜け出してはいないのだろう。
否が応でも、あの場所が撩の故郷であり、今の撩を創り上げた場所なのだ。
物理的にそこから逃げ出しても、心と記憶はふとした隙にあの頃へと撩を連れて行く。
嫌いな食べ物など、何も無い。
食べられるモノなら何でもいい。
撩は周りの物事に、多くを望まない。
望んだ挙句に失望する事ほど、痛手は無い。





別に、好きでも嫌いでも無い。何で?




そう言った撩に香はニッコリと笑って、それなら良かったと答えた。
グリーンピースのポタージュスープを、突然発作的に食べたくなったので作ろうと思ったというのだ。
撩の口角は知らず、持ち上がり笑顔を形作る。
撩は多くを望まないけれど、
こうして不意に訪れた楽しみを甘受する程度の器の大きさ位は持ち合わせている。
早い話しが、嬉しいのだ。
得体の知らない殺し屋の女と、ひょんな事から一緒に過ごし、
奇妙な雰囲気に多少呑まれている感は否めない。
撩は信仰を持たないし、神様も信じちゃいないけれど。
香と出くわした事はまるで、神様のボートに揺られているようだと感じている。
どんな女を抱いたとしても、どんなに近い距離まで近付いても。
撩はこれまでまるで地球の内と外に居るような感覚だった。
言葉も通じないし、温度も空気も時間も、全て違う星の生き物のように感じていた。
けれど不思議と香は、他の人間と違って初めて。
撩の前に現れた同じ星の下に生まれた、同じ種類の生き物のように思えた。
撩は床の上に座ったまま小さく伸びをした、黒いニットを着た華奢な背中をボンヤリと見つめた。






撩が新宿の街の住人に誘い出されて飲みに出て、帰って来ると香は居なかった。
キッチンに残された鍋の中には、こっくりと濃い黄緑色の液体が入っていた。
チキンブイヨンと甘い豆の匂いがした。
テーブルの上には、茶色の紙に包まれたバケットが置かれていた。
何処のパン屋で買って来たのかは知らないけれど、それはきちんとイーストの匂いが薫り、
カリカリに焼かれて旨そうだった。
発作的に食べたくなったと言った張本人が、果たして食べたのかどうか解らなかったけれど。
それから香は、丸一日経っても帰って来なかった。










防音仕様の重たい扉を開けると、ガンオイルと火薬とコーヒーの匂いがして、
ヴァイオリンが奏でるジムノペディが流れている。

その部屋の奥の机に座った大男は、依頼人から預かった銃を繊細な手つきで手入れしていた。
撩の姿をチラリと一瞬だけ見て、また視線を手元に戻した。
顎の先だけをクイッと向けて、コーヒーメーカーのある方を差した。
勝手に注いで飲めという事らしい。
いつもの事なので、撩も勝手にそうする。
撩が口を開く前に、男はまるで見透かしたように口を開いた。






猫を拾ったらしいな。

・・・さすが、良くご存知で。

アイツは中々のドラ猫だぞ。




伊集院はそういうと豪快に笑った。
通称、黒猫と呼ばれる香もここの顧客だ。






それがさ、ここ2日ばかり帰って来なくてさぁ。海ちゃん、何処行ったか知らない?

放って置け、元々、野良だ。飼い馴らせるようなタマじゃねぇ。

まぁ、飼い馴らそうなんざ思っちゃいないけどよ。

ほんとか?そうは見えねぇけどな。





いちいち伊集院が皮肉っぽく笑うのが、撩の癪に障った。
大体、この男は。と撩は思う。
こんな怪物みたいなナリをしていながら、あの超絶イイ女と懇ろになって少々、調子こいている。




ばぁかっっ、俺ぁ女には不自由してないっつ~の。



ただ、アイツ、怪我治って無いし。と、ボソッと呟いた撩に、伊集院はフンと小さく鼻を鳴らした。
あの程度の怪我が、自分達にとって大した事では無い事くらい撩とて重々解っている。
もしかすると、彼女を自分の手の中に留めておく為の口実が欲しいだけなのかもしれない。
撩は昨日から、街中を香を探して回っている。
もう数時間で年越しらしいけれど、撩には何も関係の無い事だった。
あれから撩は鍋の中のスープを皿に移して冷凍庫へ入れた。
香が居なくなっただけで、リビングは冷え冷えと感じた。
多くを望まないつもりだけれど、人間は忘れっぽい動物でもある。
撩は自分でも知らぬ内に、少しづつ贅沢になっているのかもしれない。






その翌日も、撩は香を探した。
さすがに正月には、いつもより新宿の街も落ち着いていた。
花園神社の前を通ると、初詣に訪れた参拝客の中の顔見知りに声を掛けられた。
挨拶もそこそこに、撩は歩き回った。
もしかすると、と思ってビルとビルの隙間を確認した。
黒い服に擦れ違うたび、目で追った。
撩には盆も正月も関係無いので、ずっと探し物をしていた。
これまでこんなにも何かに執着した事など無かった。
自分の元から消え去れば、それまでだと思っていた。
自分は一体どうしたいのか、なんで彼女を探さずにはおられないのか、
撩は自分でも良く解らない気持ちに駆られて、焦燥感で喉が渇いた。
元日の日付も変わろうかという頃合い、撩は冷えた身体を引き摺ってアパートに帰った。
何処かで一杯引っ掛けて帰ろうかとも思ったけれど、そういう気分にはなれなかった。





玄関のドアを開けるとそこには、黒いワークブーツが転がっていた。
香の物だ。
撩は思わず目を疑って、急いで靴を脱いだ。
はやる気持ちを抑えてリビングのドアを開けると、子猫はソファの上で丸くなって眠っていた。
恐らくはシャワーでも浴びたのだろう。
濡れたブラウンの癖毛はそのままで、ブランケットすら使わずに寒そうに身体を丸めている。
彼女は、着替えていて。
いつもの黒いインナーでは無く、何故だか撩のクローゼットに仕舞われていた白いTシャツと、
穿き古したぶかぶかのジーンズを穿いていた。
Tシャツの袖からチラリと見える傷跡はそのままで、撩は思わず目を逸らした。
消毒もせず、包帯も巻かずに眠ったのだろう。
少しだけ治りかけた傷に、薄っすらと血が滲んでいる。


それでも、この部屋に気まぐれに帰って来た女に知らず頬が緩む。
一体、外の世界で彼女が何をしてきたのか解らないけれど。
彼女が目を覚ましたら、傷の手当てをして、冷凍庫の中のスープを温め直してやろうと思いながら。
撩は華奢な躰にブランケットを掛けた。




(つづく)



第8夜 理由

撩には、警察内部に多少顔の利くコネクションがある。
所謂、キャリアと呼ばれるその女との出会いはナンパだ。
挑発的なファッションに身を包んだその女が、まさか警察官だとは微塵も思わず撩は誘ったのだ。
彼女との付き合いは数年に亘るけれど、いまだ撩の誘いへの答えは保留のままだ。
半分、コントのシナリオのように撩は目の前に餌をチラつかされて利用されるし、冴子は利用する。



はい、ご所望の内部資料。高くつくわよ?



そう言った女に、撩はフンと鼻を鳴らす。
その手には乗らない、今回に関しては感謝こそされてもおかしくは無いケースだ。



冗談だろ、感謝して貰いたいぐらいだぜ。お前らが、ユニオンに手ぇ出せるっつ~んなら別だけど。




冴子は肩を竦めると溜息を吐いた。
個人としては、断じて許してはおけない連中だと冴子も考えている。
けれど、この国の一部の富裕層や政治家は確実に奴らに掌握されている。
そこには想像を絶する程の巨額な金の流れが存在し、その大河は確実に。
持てる者と持たざる者を対岸に分断し、世界を分けている。




忙しそうな女と別れ、撩は混み合った駅前のカフェに入った。
カウンターでブラックコーヒーを受け取ると、
分煙の為に仕切られたガラスの檻の様なスペースに落ち着く。
クラフトの封筒に収められたレポート用紙には、クリスマスイブに起きた変死事件について記載されている。
歌舞伎町の片隅で額を撃ち抜かれて死んでいる男が発見された。
その場所は、香が座り込んでいた路地の目と鼻の先である。
死体からは複数の成分不明の薬物が検出され、男は身元不明ではあるものの、
一部の捜査員の証言によると、
恐らくはユニオン・テオーペの末端構成員の可能性が極めて高いというものだ。
死体の傍らには、銃弾の残滓とも思われる複数の物的証拠が残されており、
銃弾が貫通したと思われる頭蓋内の状態を見た所、
使用された銃弾は357マグナム弾と考えるのが妥当。と、いう事だ。
これは恐らく、香の握っていたコルトローマンから発射されたものだろう。

撩はそこまで読んで、また元の通りにその資料を封筒に仕舞った。
警察はこの件を一切公にはしていないので、新聞の小さな記事にもこの事は載らなかった。
この数年、驚異的なスピードでユニオン・テオーペが、この小さな国に侵攻を謀っている。
元々は、南米の麻薬密売組織であるその組織は、今や堂々と合法的な製薬会社をフロントに据え、
世界各国にその商売の手を広げている。
その大元締めであり、創業者が撩の育ての親・海原神なのだ。
奴等のやり方はまず、各国の政治家や実業家に取り入る事から始まる。
大きな目的は、軍需産業としての大口の取引なのでフロント企業の業績は二の次だ。
そしてそれと同時に、アンダーグラウンドでも暗躍する。
安い合成麻薬を、盛り場を中心に売り捌く。
当て所無く燻ぶっている連中を組織に引き入れ、末端の構成員として使う。
表向きの商売で上がる利益とは別に、闇のルートから上納される利益もかなりの額である。

それでも警察は、その事に向き合おうとはしない。
捜査線上に“ユニオン・テオーペ”の影がちらつくと、内部機密として扱い問題を先送りする。
末端の問題を論うと、都合の悪くなる連中が確実に存在する証拠だ。
臭いものに蓋をし、事勿れ主義で誤魔化す事が、事態をますます悪化させている。
実際、警察の中枢は別として、
現場レベルではその組織の本当の恐ろしさを理解していないというのが実情だろう。

香が殺ったと思われる件の人気俳優は、麻薬常習者だった。
ユニオンの主力商品は、エンジェルダストという最悪最低の悪魔の薬だが。
それは主に、戦場で戦う兵士向けに開発されたもので娯楽用のカジュアルな商品とは違う。
彼が使っていたのは、ユニオン・テオーペが大衆向けに開発した向精神薬である。
一見、覚醒剤や大麻などのような分り易い副作用は見受けられないが、
その依存性と危険性はどの薬物よりも極めて高い。
彼はバスタブで溺死せずとも、放って置いても2~3年後には死んだだろう。
薬物を使うという事はそういう事だ。
それでは何故、撩の元に(そして、恐らくは香の元にも)彼を消す依頼が入ったのか。
彼はユニオンのフロント企業である製薬会社の広告塔に、大々的に抜擢された。
年末年始の胃腸薬のCM、風邪薬、鎮痛剤、果ては水虫の薬のCMまで彼が務めた。
何も知らない消費者は、露出度の高さやイメージで商品を選ぶ。
その売り上げが、世の中の歪を広げ、組織を巨大なモノへと育てている。
それを阻止する為の依頼だった。

ホテルのスイートルームで狙撃されて死んだ政治家は、かつて厚生労働大臣を務めていた。
その時に、ユニオン傘下の製薬会社の日本支社設立に尽力したのが彼だ。
その裏には、巨額のブラックマネーの存在がある。
殺されるその時まで、彼とユニオンの間には黒い癒着があった。





撩と香の出逢いを考えた時、その全てにユニオン・テオーペが絡んでいる。
撩がその事に薄々気が付き始めたのは、街中の正月気分もそろそろ抜けてきただろうかという頃だった。
彼女の標的も、最終的には。

海原神なのではないだろうか。



その考えが脳裏を掠めた瞬間から、撩の中でその事ばかりが大きく膨らみ続け払拭できないでいた。
撩が今、こうして殺し屋として生きているのは、勿論これしか道が無かったという事も大いにあるけれど。
ひとつには、ケリをつける為。
どんな男であろうと、海原神は撩にとって唯一無二の存在であり、
奴の狂気の発端に、少なからず自分も関わっているのではないかと、
撩はあの時からずっと思い続けている。
そしてあの狂ってしまった男を、狂気の底から引き摺り出せるのは最終的に自分だけだと。
警察が動き出した時にはもう、手遅れだろう。
この国は内側から喰い散らかされて、残るのは無残な骸だけとなるだろう。
過剰なカインドネスと性善説は身を滅ぼす。
それがこの国の国民性であり、美徳でもあるだろうけど、ウィークポイントでもある。
それは世界基準では、ただの美味しいカモだ。
純粋で気高く慎ましやかな民族は、いつだって禍々しい醜悪な世界に蹂躙される。
その事を幼い撩に教えてくれた男は今、死すら恐れない廃人を作り出す悪魔の薬を売り捌いて、
世界を蹂躙している。














どうして、ユニオンを追ってる?





そう撩が訊ねると、香は臥せていた顔を上げて撩を見据えた。
黒いリブ編みのセーターを着て、撩のジーンズを穿いている。
どうやらその古ぼけたジーンズを気に入ったらしい。
気が付けば、撩が香を拾って来てもうすぐ1ヶ月が経つ。
撩のアパートの地下には射撃場があり、そこで2人は向き合った。
ガンオイルと硝煙の臭いが充満する地下室で、彼女からは白檀の薫りがした。





2年前、パートナーが死んだの。




彼女の言葉に、撩の心がザワザワと波立つ。
ミックの言葉が耳に蘇る。
やはり、噂は本当だったらしい。
不思議な雰囲気を纏った彼女の唯一の、男の影。
撩は訳も無く緊張した。




実の兄だったの。死んだパートナー。









兄の秀幸が何故、殺し屋をやっていたのか、香は知らない。
物心ついた時には、香の家族は兄だけだった。
兄は香が同じ道を選び、相棒になると言った時激しく反対した。
けれど香は、人生に於いて他の選択肢など一切考えていなかった。
兄を家族として、愛していた。
もしも兄が死ぬのなら、自分も生きていても仕方ないと思っていた。
だから自分の知らない所で死なれるよりも、一番近い場所で兄と共に生きようと思った。
その兄が殺された。
ユニオン・テオーペという麻薬密売組織に。

兄は生前、ドブネズミにはドブネズミなりのルールがあるし、
行動原理というものがあると常々、香に言って聞かせた。
彼を呼び付けて、自分達の傘下に下るように詰め寄り、承服しなかった彼を組織は殺した。
兄が死ねば、自分も生きてはいけないだろうと思っていた香は、生きている。
生きて、兄を殺した相手と闘うと決めた。
それが香がこの世界に留まっている理由だ。








貴方は? ユニオンに何の恨みがあるの?貴方も追ってるでしょ?






この時、撩はこれまで誰にも話した事の無い事を、何故だか告白した。
彼女になら全て話せる気がした。
撩は被害者でありながら、心の何処かで罪悪感も感じていた。
あんな薬を打たれてあの場で自分が死んでいれば、
その後あれを広めようなんて馬鹿な事を、あの男も考えなかったかもしれない。
自分が生きている事、その事自体をもう何年も撩は悔いていた。
それは懺悔だったのかもしれない。
しがない罪人は、聖母マリアを前にして赦しを乞う為に涙を流す。






エンジェルダストを、この世で初めて投与されたのは



俺だ。










撩は自分でも気が付いていなかった。
撩の頬に伝った一筋の涙を、香が華奢な指先で拭った。
パイプの椅子に情けなく座り込んだ撩を、彼女のしなやかな躰が包んでくれた。
撩の柔らかな黒髪を、香の指先が優しく梳かす。
泣いても良いんだと、まるで甘やかすように。


(つづく)



LastNight an offer

なんじゃ、ベビーフェイス。辛気臭いのぉ、儂の大事な蔵書にカビが生えそうじゃ。




そう言って、撩の昔馴染みは笑った。
実際、撩はこれ以上無いというほど憂鬱な表情で、その屋敷を訪れていた。
マホガニーの猫脚にゴブラン織りの古臭いソファに寝そべった撩を、
その人はかれこれ1時間近くも待たせていた。
散々待たせておいてあんまりな言い草である。
撩が口を開く前に、老人が先手を打った。





最近、子猫ちゃんが棲み付いておるらしいの。



撩は思い切り顔を顰めて、またかよ。と小さく呟く。
伊集院といい、教授といい、撩が何も言わない内から知っているから鬱陶しい。
撩は寝そべったまま、ダンガリーシャツの胸ポケットから煙草を取り出す。




なんで、知ってんすか?誰もかれも。



膨れっ面の撩の言葉に、教授は相好を崩す。
どうやら他の人間にも、香との同居生活について面白がられているらしい。
撩は自覚が無いけれど、意外と子供っぽい所がある。
超一流のスナイパーも老人にとっては、いつまでも初めて逢った幼い時のままだ。




皆、お前さんの事が気になるんじゃよ、愛じゃよ、愛。

きんもっっ、鳥肌立つわ。止めて下さいよ。

ふぉふぉふぉ、可愛いのぉベビーフェイスは。




撩は眉間に寄せる皺をますます深めて、深い溜息を吐く。
趣味の悪いジョークを受け流して、本題に入ろうとするとまたしても老人に先を越された。






それで、そんな顔してここに来たという事は、悩み事かね。子猫ちゃんかな?原因は。

・・・・・・。

そうみたいじゃのぉ。柄にも無く、心を掻き乱されて動揺しておる。そんな感じじゃな♪






撩は楽しげにテンションを上げる老人の言葉を無視して、
煙草に火を点けようとするも、こういう時に限って、愛用のジッポーは中々点火しない。
イライラして、一度咥えた煙草をまたパッケージへと戻す。
確かに撩は今現在、自分でも良く解らない感情を持て余している。
教授のペースとなったこの流れを断ち切るべく、撩は1つ咳払いをする。






ま、そんな事はどうでも良いんですけど。
教授、ご存知なんでしょ? 元々、彼女の事。


まぁね、知ってるよ♪


海原とユニオン絡みの依頼を、俺と彼女の両方に仲介したのは貴方ですか。








撩の質問に、教授は意味あり気な微笑みを湛えながら、窓の外を眺めた。
常緑の庭木以外は寒々しく葉を落とし、片隅の池の水面はピクリとも動かない。




気が付くのが遅いわい、ベビーフェイス。



そう言って撩を振り返ると、老人は盛大に破顔した。
対照的に撩は、真剣な表情で彼を見据える。




何故です?

怖い顔してからに、なんじゃいつもカワイコちゃん紹介したら、喜ぶくせに。

何故です?

お前さんに、お似合いじゃろう? タイプじゃないかね。喜ぶと思ったんじゃがのぉ。

っんだよっっ、見合いのノリかっつ~の。





そう言って唇を尖らす撩に、教授は漸く本当を明かす。






彼女と、お前さん、互いの為じゃ。あの子は真剣じゃ、真剣に神の奴を狙う気じゃ。


俺だって、真剣ですよ。あの男には、色々と恨みがありますからね。


儂はの、撩。お前さんの事は今更、心配はしとらんよ。
でも彼女は別じゃ、神という男は狡猾で頭の良い男じゃからのぉ。
ただ勢いだけでぶつかって勝てる相手じゃない。
お前はあの子のお守りじゃ、そして、あの子もお前のお守りじゃ。
あの子が傍に居る限り、お前は命を粗末には出来んじゃろ。



そう言うと、老人は優しく笑った。
撩はいつだってこの人の掌の上で、上手い事転がされている。
亀の甲より年の功とはよく言ったもんで、撩はいつも彼にだけは全く歯が立たない。




のぉ、撩よ。

はい。

もうそろそろ、自分を責めるのは止めなさい。お前はお前の望むモノを手にしなさい。罰は当たらんよ。








撩は新宿のアパートに戻る愛車の中で、
最後に言った教授の言葉の意味を、何度も考えた。
撩が望むモノ。
金には興味が無い、食べる物にも、着る服にも。
撩が望むモノ。
今撩が、失って一番惜しいと思うモノ。


撩は思い出した。
火薬とガンオイルの匂いの中に混じった、白檀の薫り。
柔らかな指先が髪の毛を撫でる感触。
寒空の中を探し回った時の、焦燥感。
流れる血を見た時の、心臓を引き絞られるような胸の痛み。
彼女の事を、香という得体のしれない女の事をもっと知りたい。

撩は気が付いた。
2年前に死んだという男に、自分は嫉妬している。
その元相棒の為に命を賭して危ない橋を渡っている彼女の瞳に、自分を映したい。
彼女の怪我が治っても、自分の腕の中に囲っておく理由が欲しい。

撩は彼女が欲しい。













おかえり。

ただいま。





撩がアパートに戻ると、車の中でずっと考えていたその彼女は。
寝起き(もう昼過ぎだ)の寝グセだらけの髪で、欠伸をしながらコーヒーを飲んでいた。
いつもの黒いショーツの上に、撩のアラン模様の毛玉だらけでぶかぶかのセーターを着ている。
丈が太腿の中程まである大きなセーターの下から伸びる、すんなりと細い素足。
ソファの上に胡坐をかいて、コーヒー片手に新聞を読んでいる。

いつになく真剣な表情で、目の前に視線を合わせて座った撩に。
香は首を傾げて、飲む?とマグカップを差し出す。
撩は要らないと、首を振る。





なぁ、香。

なに?

お前と俺はさ、最終的な目標は同じな訳じゃん?

そうなの?

そうだろ。

で?







撩は、真剣な表情で居住いを正す。
小さく咳払いをする。





だからさ、オマエには新しい相棒が必要だろ?





香はキョトンとしていた。
無理も無い、撩は教授宅から帰って来るまで、やる気満々で満を持してこの提案をしたのだ。
寝起きの彼女とは、テンションが違い過ぎる。
けれども、元々頭の回転が速く聡明な彼女なのだ。
撩の言葉の意味を理解して、フッと笑った。




うん、まぁ別に良いけど(笑)


ぃよっしゃぁああっっ





大袈裟に喜んで、ガッツポーズなどを決める撩に。
香は初めは吹き出して、それからお腹を抱えて笑った。
笑いながら、気が付くと泣いていた。
香はずっと孤独だった。
兄を失って、自分自身も数え切れないほど沢山の命を奪って来た。
これから先もずっと、そうやって生きて。
目標を遂げたら、死のうと思っていた。
恨みを晴らすだけの無為な人生。
けれど、香にはそうする事しか考え付かなかった。
ごくたまに、もっと他に何か出来る事があったんじゃないかと、考える事もあった。
兄が死んでしまうもっと前に、もっと何か別の方法が。
でも、過去は取り消せないので諦めながら死んだように、生きていた。



でも、撩と逢って。
少しだけ気持ちが変化した。
今までは、同じ場所にずっと居続ける事が苦痛に思えていたのに。
この部屋は、まるで昔から住んでいた場所のように落ち着いた。
何より彼は、一緒に居てとても楽だった。
これまで出逢ったどんな人ととも違う、不思議な雰囲気を纏っている。
彼の事は意外と嫌いじゃない、というよりむしろ好きだ。
彼と居て、香は何年か振りに心から笑ったりした。








宜しくな、パートナー。



そう言って、撩は涙で濡れた香の頬を両手で包んだ。
乾いた指で、そっと涙を拭った。
2人は生まれて初めて、他人の温かみを知る。






あぁぁぁっと、それとな、香。

なぁに?

初めに言っとくけどさ、俺、メッチャクチャえろいからさ。

うん、何となくは知ってる。

取敢えず、パンツ1枚でウロウロすんじゃねぇ。何か穿け。






2人は冬の暖房の効いたリビングで、クスクス笑いながら。
気が付くと、口付け合っていた。
撩の脳内に、老人の言った『愛じゃよ、愛。』という言葉が木霊した。

冴羽撩は生れて初めて、誰かを愛するという意味が少しだけ解りかけたような気がしていた。






(おわり)





まるん様、リクエストこんな風になりました。
カオリンの男の影は、槇ちゃんだったってオチで。
お粗末様でしたぁ~~~~
リクエスト、ありがとうございます(*´∀`*)ノシ