第1話 湖の畔

このお話しは、原作の最終回直後 奥多摩話しケシver.です。
続きモノのお話しです。



























俺は、
何がなんでも愛する者のために生き延びるし、
何がなんでも愛する者を守り抜く!!






香は自室のベッドに突っ伏して、その言葉を何度も思い返していた。
11月にしては暖かな陽気は、香の自室兼客間の8畳間に明るく降り注ぐ。
思わず頬が緩んでしまう。
あの日から、3日。
いつも通りのくすんだ新宿の街に戻って、いつも通りの冴えない生活だけど。
香はいつも通りに振舞いながら、どこかフワフワと地に足が着いていない。


僚が初めて、愛の言葉を自分に向けてくれた。


それが自分をこんなにも幸福で満たしてくれるなんて、香は今まで知らなかった。
午前中の内に、掃除は済んだ。
洗濯物は、まだ乾かない。
伝言板の確認には、まだ早い。
いつもなら、コーヒーを飲みながらテレビを観るか、雑誌を読むかのどちらかだ。
けれど、この3日間。
香は何も手につかない。
何を観ても何を聴いても、言葉は香の耳と目を素通りし、
香の脳内にこだまするのは、あの日の僚の柔らかな愛の告白だけだ。


ベッドの横に敷いたクリーム色のラグの上に、ぺたんと座り込んで。
薄いベージュ色のキルティングのベッドカバーの掛かったベッドに、クッタリと凭れる。
昨日は肌寒かったけど、今日は一転暖かい。
薄手のモヘアのセーターにジーンズ姿の香の頬が、心なしか薔薇色に染まる。
ベッドの上には香が作った“リョウちゃん人形”が居て、黒いボタンの瞳で香をジッと見詰める。
香はボンヤリと幸せに浸りながら、自分のおでこをそっと撫でる。
















一気に形勢が逆転して、香の拘束が解かれた時。
香はすぐにでも僚に飛び付きたいのを我慢して、いつかの種族維持本能について今一度確認をした。
それが、決して僚の気まぐれなどでは無く、本能の表れでも無く、
僚の真摯な本心だと解った時に、香は死んでもイイと思えるくらい嬉しかった。
暫く言葉も無く抱き締めあった後に、僚が香の額に軽く触れるだけのキスをした。
香は多分、一生。
あの秋の午後の光に煌めく、湖面の輝きを忘れない。
生きて今を過ごせる事に感謝した。
僚と一緒に過ごしてきたこの数年間、
香は人生のどんな時より強く何度となく、命の尊さを噛み締めてきた。











前にも一度、経験した事のある触れ合いは、香をまたしても舞い上がらせた。
前回、屋上でのキスは相棒への感謝のキスだったけど。
今回は、“愛する者”への告白のキスに違いなく。
あの時には想定外に風邪を引いた香だったケド、今回は無事何事も無く日常に戻って来れた。
しかし、あれ以来。
香はまるで熱に浮かされたように、フワフワとした奇妙な高揚感に包まれている。
今回は風邪では無く、これは多分。

恋煩いだ。

香の頬を薔薇色に染め、身体を火照らせ、慕情はますます募り、
香の身体の内からまるでエイリアンのように膨らみ続ける。
いつかその真っ白な皮膚を突き破って現れるのはきっと、
少しだけ遅咲きの初恋に身を焦がす1人の女だ。






ねぇ、2回目だね。





香が楽しそうにクスクス笑いかけるけど、ボタンの瞳には何も映らない。
香はそっと手を伸ばして、ポリエステルの綿の詰まった軽い相方を愛おしげに抱き締める。
まだまだ、当の本人には正面切って向き合えるほど、心は落ち着いてはいない。
それでも明らかに、恋しいという気持ちが今までとは違う形に変わりつつある。
その感情の名を、香はまだ知らない。
















撃って僚!!
それであんたが生き延びられるんなら・・・
あたしの命であんたの命が助かるのなら本望よっ!!







僚は、秋の午後を静かに自宅アパートの屋上で過ごしていた。
胸ポケットの煙草のパッケージに手を伸ばしかけて、躊躇して止めた。
この3日、煙草が減らない。
手摺に凭れて頬杖を付く。
いつもならこの時間はナンパに励んでいるか、悪友が嫁と営む喫茶店に入り浸るかだ。
もっとも、キャッツは暫くは休業だ。
肝心の美人ママは、怪我の療養に努めている。


あの日、あの白いドレスが紅く染まった光景を。
自分と相方に重ねてしまわなかったと言えば、嘘になる。
僚はこれまでいつだって、香を喪う事に怯えて来た。
世界№1の殺し屋だなんて言われても、所詮はそんなものは他人の言う事だ。
僚自身は、至って普通の人間だと自覚している。
ただ行き掛り上、殺し屋という職業を生業としている。


あの日、香が叫んだ言葉が頭から離れない。
香はいつだってこういう女だ。
僚がどんなに突き放そうとしても、必ず僚の隣に立って、悪戯小僧のように笑って見せる。
あの時の香の瞳の色が、僚の脳裏に鮮明に焼き付いている。
いやらしさの欠片も無いやりとりと、命懸けの状況の筈だけど。
僚は思い出す度、どうしようもなくムラムラしてしまう。
胸の奥に甘酸っぱい感情が広がる。
それを少しでも味わいたくて、煙草の煙を吸い込むのが惜しいのだ。
そして躊躇って、何度も赤いソフトパッケージをポケットに戻す。


多分、あの日、その感情は明確な形になった。


香を抱きたい。
香を自分の腕の中に囲い込んで、一生傍に置いておきたい。
何がなんでも生き延びて、何がなんでも守り抜くから。
だから、香に愛されたい。




ホンの一瞬、香の額に触れた感触を思い返す。
本当は、唇に触れたかった。
いざという時に、意気地なしなのは自覚している。
もう今更、親友からの預かりものだとか、兄貴代わり妹代わりだとか言うつもりはない。
柄にも無く持て余している愛の熱量に、僚は自分でも少し驚いている。
僚は人生で初めて、恋というモノに身を焦がしている。




(つづく)
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[ 2013/11/04 07:56 ] Close to You | TB(0) | CM(0)

第2話 共に生きるという事

奥多摩での結婚式から一続きの騒動があって、1週間後。


僚と香は教授宅を訪れていた。
勿論、あれ以来ココには頻繁に通っている。
美樹の怪我の具合は経過も良好で、
銃で撃たれた怪我に比較的免疫の無い香だけが、酷く自己嫌悪に陥っている。
けれど、当の美樹本人から、アッサリとその必要は無いと断言されてしまったので、
表面上は至って普通に振舞いながら、極力明るい話題を選ぶように心掛けている。
例えば、怪我が治ったら新婚旅行はどうするのかとか、そういった事だ。


常人よりも驚異的な回復力があるとはいえ、流石にこの1週間は入浴は控えている。
もっとも美樹は元々、戦場育ちで。
その程度の事で打ちのめされるようなやわなメンタルは持ち合わせてはいない。
その日、香は美樹の髪の毛を洗ってあげる約束をしていた。




身体はね、ファルコンが拭いてくれるんだけど、髪の毛はさすがに洗わないと痒くて・・・



前日にそう言った美樹に、香は顔を真っ赤にしながらそれならば明日、自分が洗うと言ったのだ。
赤面していたのは、あまりにも美樹がサラッと夫との日頃の生活の一端を垣間見せたからで。
もしも自分がこの先、同じ状況下に置かれた場合。
相棒が同じ事をしてくれるのだろうかと、不覚にも想像してしまった。










ごめんなさい、痛かった?




無意識に薄っすらと眉を顰めた美樹に、革張りのリクライニングチェアを起こしながら、
香が心配そうに訊ねる。
教授宅の大きなシンクのシャワーヘッドの付いた洗面台の前に、椅子を持ち込んで髪の毛を洗った。
美樹は、平気よ?と言うとニッコリと微笑んだ。
それでも香は、フトした瞬間につい、ごめんなさいという言葉を使ってしまう。
罪悪感は消せない。






美樹さん。


なぁに?




香は緩やかにウェーブの掛かった、艶やかで豊かな美樹の黒髪をタオルで拭きながら、
その話しをした。
ちゃんと謝りたかった。






ごめんなさい、折角の結婚式を台無しにして。
美樹さんはね、謝る必要は無いって言ったけど。
やっぱり、私の心の中の申し訳ないって気持ちは、どうしたって消えないの。
本当に、ごめんなさい。






鏡を通して香と美樹の視線が絡まる。
美樹は小さく頷きながら、ニッコリと笑う。
美樹の中では、こうして世話を焼いてくれる香の気遣いだけで、もう充分なのだ。





香さん。


はい。


ファルコンの左の太腿にね、銃創があるの。まぁ、もっとも1つじゃないけど。


・・・。


その傷の1つにね、私が12歳の時のものがあるんだけど。
その傷はね、敵方に掴まりそうになった私を助け出してくれた時のものよ。
私の腰にも、銃創があってね。
その傷は、私が敵の弾からファルコンを庇ったものよ。14歳の時だった。







香は美樹の話しを真剣な表情で聴きながら、息を呑んだ。
この美しくて強い姉のような彼女は、香の憧れでもある。
一見、普通の幸せな奥さんに見えて彼女もまた、
僚と同じく、子供の頃から戦場を生き抜かねばならない過酷な運命を背負って来たのだ。
香はいつかの白い船の中での、僚の言葉を思い出した。
彼が父親と慕った男が、自らの命を顧みず、その足を犠牲にして彼を助けてくれた時の事。
そういう強い絆が、美樹と海坊主にも確かにあるのだという事を、香は改めて実感した。





これはね、結婚記念日の傷痕よ。




そう言って美樹は、包帯の巻かれた鎖骨の上を愛おしげに触れた。
それが強がりでも何でも無く、本当に幸せそうだったので香は驚いた。
まるで数日前に、怪我が治ったら熱海に新婚旅行に行きたいと言っていた美樹と何も変わらない。





指輪はね、簡単に外せるでしょ?

でもね、銃創は消せないわ。

私とファルコンの両方に、結婚記念の傷痕があるの。

私達らしいと思わない?





怪我をするのは確かに痛いし、不便な事も沢山あるけど。
でも悪いことばかりじゃないわ、私とファルコンの歴史なの。
全部に大切な思い出があるの。
そう言って柔らかく微笑んだ美樹に、香は声を上げて泣いてしまった。



















海ちゃん。


何だ?


今回の事、本当に済まなかった。


・・・フン、どうした?らしくもねぇ。







教授の家の、美樹が寝泊まりしている部屋からは、庭の端の錦鯉の池が良く見える。
奥多摩から1週間。
あの頃、あの湖の畔で少しづつ紅葉が始まっていたけれど。
1週間経って漸く、街中の教授の庭の楓も少しづつ紅葉し始めた。
池に落ちる真っ赤な葉を、丸々と肥えた鯉たちが水の中から突く。
香は今、美樹を連れて洗面所にいる。
髪の毛を洗うらしい。





そりゃ、俺だって偶には、反省ぐらいするさ。





そう言った僚に、そりゃそうだ。と、海坊主は口端を歪めた。
むしろ、毎日でも反省して懺悔しろ?と、憎まれ口を叩くのはいつもの事だ。
男達はヒッソリと笑う。







なぁ、僚。


ん~~~?


お前、あまり完璧主義に走るのも、考えもんだぞ?


あぁ?どういう意味?









普段は恐ろしく無口な男の言葉は重い。
そもそも、僚も海坊主も同じ穴の貉なのだ。
同じ世界で、互いに掛け替えの無いパートナーを得た者同士。
彼らの味わって来た心の葛藤や思いは、相通ずるものがあり過ぎる。







俺は、これから先。
たとえ美樹の手や足が無くなっても、アイツの命さえ無事ならそれで構わない。
アイツがアイツとして、この世に存在してくれる事だけで充分だ。


・・・。


だから、畏れるな僚。








生きてさえいれば。

それ以上、海坊主は何も言わなかった。
海坊主が美樹を子供の頃から見て来て、僚と同じように考えなかったワケは無いのだ。
それでも2人は離れずに、共に生きる事を決めたのだ。
そして僚も、あの湖の畔で決めたばかりだ。
勿論、海坊主の言っている事は痛いほど良く解る。
美樹は海坊主と組んでいる以外にも、単独で依頼も請けるプロの殺し屋だ。
ある程度の覚悟が無ければ、それを冷静に受け止める事など決して出来ない。



それでも、僚は。
解ってはいても、心の片隅で、
完璧主義で何が悪いと思っている。
あの香の綺麗な体に、真っ白な肌に。
傷を残す事など絶対にしないと、自分自身に誓いを立てる。
たとえ、香が同じ泥水を被る気でいる事を知っていても。
だからこそ、この目の前の男の凄さが解る。
ある意味では、僚は決してこの男を超えられない。







海ちゃん、おまぁやっぱ凄いわ。





僚の言葉に、海坊主は小さく鼻を鳴らして応えただけだ。
最愛の妻が戻る前に、シーツを新しいモノに取り換えて器用にベッドメイクを施している。
なんだかんだで、男達はパートナーを溺愛している。






共に生きる事を考えるのに、秋ほど相応しい季節は無い。


(つづく)




[ 2013/11/04 12:41 ] Close to You | TB(0) | CM(2)

第3話 停滞(勘違いver.)

午後の中途半端な時間に、チャイムが鳴ったのは“あの日”から10日目の事だった。






あ、・・・ミック。


やぁ、カオリ。





玄関に出てみれば、それは相棒の元相棒。
ミック・エンジェルだった。
ミックと逢うのも、あの教会の結婚式以来、10日ぶりだ。





あの、僚は今出掛けてて・・・




そう言った香に、ミックはニッコリと微笑むと手に持ったケーキの箱を持ち上げた。
どうやらミックのお目当ては、香らしい。
香もつられて微笑むと、躊躇なくミックを招き入れた。








ゴメンね、カオリ。急に押しかけて。


全然、大丈夫だよ。コチラこそ、大したお構いも出来ませんで。






そう言った香は、いつもと趣向を変えてアールグレイを淹れた。
僚はいつもコーヒーばかりなので、紅茶は時々香が1人の時に飲む。
ミックが買って来たアップルパイには、紅茶の方が合いそうだから淹れてみた。
僚は居ない。
ここ2~3日、また日課のナンパに出掛けるようになった。
奥多摩の後、暫くは僚も家に居る事が多かったし、
香はもしかしてもしかすると、少しだけ、期待したりもしたのに。
結局はこの数日の2人の空気は、またいつもの“気のおけない相棒”体に戻りつつある。
あの後、香がまるで恋煩いのようにふわふわと夢見心地だったのも束の間。
何だかすっかり我に返ってしまって。

結局、これで良かったのかもしれない、これが一番イイのかもしれないと思い始めている。

あの恋煩いの時には、なんだかあと一歩の所で、
違う形態の感情の塊を掴めそうな感覚だったのに、寸前で掴み損ねた。
でもそれも、今にして思えば。
またしても、ただ単なる香の思い過ごしか勘違いだったのかもしれない。
いつもの事だ。





元気してた?カオリ?


・・・ん~~、元気だったよ。





言葉と裏腹に、香の表情は何処か冴えない、とミックは思う。
恋人のかずえの話によれば、教授宅で療養中の美樹の怪我について、
香が一番、心を痛めているらしい。
表面上は明るく振舞ってはいても、
やはり美樹の結婚式をあんな形にしてしまった事を、何処かで悔いているようだと。
ミックがココを訪れたのには、その事も理由の1つだ。
彼らの世界では、ある意味では負傷など日常茶飯事で。
それに関して、誰が被害者で誰が加害者も無い。
それを言い出したら、キリは無い。
憎悪は際限なくループしてしまう。





頻繁に美樹の所にも行ってるようだって、カズエにも聞いてたから。
ボクもあっちに行こうかと思ったけど、あの後急にバタバタ忙しくなってね。




そう言って、ミックが小さくウィンクをする。
こういう仕草が、笑えるぐらい似合っているのがミックらしいと、香は思う。
そして“かずえ”の名前に、ふと思い出す。




あ、そういえば。かずえさん、お向かいに引っ越して来たんだってね。


あぁ、漸くウチも部屋らしくなったよ。カズエのお陰で。





まだ暑かった、夏の終わりの犬も喰わないコンビ解消劇の顛末を思い出して、
香は少しだけ、可笑しくなる。
あの時、まだまだ向かいに越して来たばかりのミックの部屋に。
香は怒りに任せて転がり込んだ。
思えばあの事件を解決した後の、今回の一件だ。
あの時、ミックの入院した病院の屋上で、
僚は、多分、種族維持本能では無いと思う。と言ってくれた。
10日前の湖の畔でも、訊ねた香に僚は珍しく照れて、『ばぁか』と言った。
あれって言えば、否定の意味、種族維持本能じゃ無いよって事なのだと、香は思っていたけど。
どうやら、僚はそうでは無かったみたい。
あの時は確かに、僚も戦闘後で神経が昂ぶっていただろうし。
香も確かに、人質として連れ去られ、命の危険まで覚悟した後だったから。
10日経った今、よくよく考えれば。



もしかすると
種族維持本能だったのかな
なんて考えてしまう











で?リョウのヤツとは、その後はどうなったの?


え?







この日、ココを訪れたのは。
1つには、美樹の怪我についての香の贖罪の気持ちを慮ってのこと。
少しだけでも、行き場の無い感情を和やかなモノに出来たらという初恋の君への純粋な気持ち。
そして、メインは。
あの日を境に、何だか少し雰囲気が変わったと、専らの噂の2人の関係について。
香の口から、直接、真相を聞き出す為である。












どうって?





香はそう言うと、少しだけ悲しげな顔をした。
ミックはそれを見て、確かに何かが変わったのかもしれないとは思ったけど。
けれど、万事上手く解決というワケでは無さそうだと、読んだ。
香の疑問詞は、ぽっかりと宙に浮いたまま途切れて。
それに香自身が、自嘲で応えた。





どうなったのかな? 私の方が訊きたいや。





そう言って力なく微笑む香の心の中には。
確かにこれまでとは違う気持ちが有るのかもしれない。
それでも、それを香自身が具体的に理解して自覚して認識するまでには至っていない。
漠然と、大事だとか、好きだとか言ったとしても。
それは今に始まった事でも無い。
勿論、香も僚もお互いに、お互いが大事で好きなのは大前提の話しだ。
じゃ無きゃ、相棒なんて6年もやって無い。

香にはその感情を、具体的に理解する事はまだ難しいけれど。
早い話しが。
香は僚に女として愛されてみたいのかもしれない。
でもそれを実行に移す為の方法が、解らない。
そもそも、自覚も足りない。


あんなに夢見心地だった筈の恋心は、すっかり停滞気味だ。



(つづく)




[ 2013/11/07 00:37 ] Close to You | TB(0) | CM(0)

第4話 停滞(葛藤ver.)

ミック・エンジェルがそのバーの扉を開けると、
それ程広くは無い店内のバーカウンターの奥に、その男は居た。




約8か月前、まだミックが僚と対等なスイーパーだった頃。
この国に僚を消す為にやって来た。
新宿の街に着いた日のその晩も、このバーで僚と飲んだ。
あの時、ミックが香の事を僚の恋人だと思い込んで話していたら、
僚は妙に焦って、酒が不味くなると言った。
100歩譲って、あの頃はそうだったとしても。
あれから2人は共に、危ない橋を何度も渡って来たのだ。


廃ビルの屋上での、パートナーとしての決意。

白い船の中での、僚と“父親(ユニオン・テオーペ)”との闘い。

ミックを巻き込んでの、香の絶縁騒動。

先日の、

クロイツ親衛隊との攻防と、パートナー奪還。


それら全てを共に乗り越え、(海坊主の話しによれば)結構な良い雰囲気になったというのに。
どうして僚がこんな時間まで、こんな所で飲んだくれているのかミックには解せない。
そしてまた、昼間一緒にお茶を飲んだ時の香の元気の無い様子を思い出す。












ホラよ、相棒。土産だ。





ミックがそう言って、マールボロを1カートン僚の前に置いた。
パッケージは全て英語で表記されている。北米製だ。
僚がロックグラスに残った25年物のシーバスリーガルを、一息に飲み干す。
バーテンに目で合図をして、もう一杯同じモノを注文する。
ついでにミックが、オレも、と言うと年配のベテランバーテンダーは静かに頷く。





・・・元だろ、元。俺の相棒は、カオリンだっつーの。 てか、おまぁ帰ってたのか?


あぁ。




ミックは、フフと笑うと小さく応えた。
僚の言葉に、少しだけ気持ちが軽くなる。
確かに2人の間に割って入って、お節介という名の意地悪をした自覚は無い事も無い。
けれど、何だかんだ言って、2人の絆を深める事に貢献していないとも言えない。
少なくとも、僚が何の気負いも無しに自分の相棒は香だと言えるようになった事は、
素直に喜ばしい。
もう、彼女は僚にとって、『親友の大事な預かりもの』では無いようだから。






参ったよ、滞在たったの4日だよ? すっげぇハードだった。






久し振りに帰った母国では、
スイーパー、ミック・エンジェルは飛行機事故で死んだ事になっていた。
今回の帰国は、海外特派員ミック・エンジェルとしてのものだ。
元々、故郷の両親を喪ってからのミックには、向こうに特別な存在など居るはずも無く。
殺し屋としての自分を抹消して、新たに国外で働くアメリカ人としてビザの手続きを済ませて来た。
勿論、その諸々で必要な沢山の事柄に、黒いコネクションを使わなかったワケでも無いけど。
昔の繋がりは、それはそれで重宝した。






フン、それで堅気になれるんなら、安いモンだ。


まぁね。






僚はミックの土産の煙草を手に取ると、途端に懐かしい気持ちになった。
アメリカに居た頃の事を思い出しても、感傷に浸るようなモノは何も無いけれど。
あの時代が殺伐とし過ぎていたので、思い起こせば今の幸せが何倍にも増幅される。
あの頃の僚には、こんな未来があるとは夢にも思わなかった。

ファルコンやミックと再会し、今では沢山の戦火を潜り抜けて貴重な友人となり。

“オヤジ”と向き合い、彼を自らの手で葬って。

槇村秀幸に出逢い、香に出逢った。

香とコンビを組んで、香を愛して、香を喪いたくないと切望している。

僚が生れて初めて、家族だと思える女に出逢えた。
それこそが今まで生きて来た、生き延びて来た理由なのかもしれないと思う。
けれど。
1週間ほど前には、なかなか減らなかった煙草が。
一転、ここ数日恐ろしい程のハイペースで消費されている。
きっと、この1カートンもあっという間に無くなるだろう。




理由は1つしかない。



僚は香を愛している。
何度も言うのは安っぽいから、あの10日前に言ったので充分だと僚は思っている。
香をこれ程までに大切に思っているのは、全世界で自分1人だとも思う。
仕事の相棒は勿論だけど、本当は。
香の全てを欲しいと思っている。
香の額に口付て数日は、柄にも無くキュンとして煙草を吸うのも忘れていたけれど。
キュンとするような恋心などというモノは、モッコリ男にとって長続きするモノでも無く。
時間が経つにつれ、“恋心≦煩悩”という図式に移行している。


如何せん、槇村香という女は。
兄・秀幸の徹底したシスコン教育(害虫駆除)に始まり、
果ては相棒・冴羽僚による徹底した男女平等扱い(男扱いとも言う)により、
自分の女性としての価値判断に極めて疎い傾向にある。
香本人の自覚としては、未だ彼女はボーイッシュな少女の頃となんら変わってはいないのだ。
特に恋愛沙汰に於いて。


槇村はとうの昔に、早々と死んだので、大半の責任は僚にある。
槇村が育てた土壌があって、僚がそこを重点的に開拓した。
男2人の自己中で、香はすっかり純粋培養の天然生娘になってしまった。
僚は深く長い溜息を吐いた。
隣でミックがニヤついている事は、すっかり忘れている。
やりたいのは山々だ。
けれど、今まで通り大事に大事に、
まるでガラスケースの中のお人形のように仕舞っておきたい気持ちもある。
その一線を超える事は、僚にとって殺しの仕事よりも難易度は高い。
何しろ、相手は香なのだ。
仕事の面では、恐ろしいほどの野生の勘で打てば響く返しをしてくるくせに。
色恋沙汰に関しては、恐ろしく鈍い。



大体、香は。と、思う。
セックスというモノについて、どの程度知っているのだろうか、と。


きっと、義務教育をきちんと受けているので、子供の頃に性教育とやらも受けてはいる筈だ。
でもそれは、多分。
男女の性差と、身体の構造、子供が出来る仕組み、を教わった程度だろう。
大事な事は。
子供を作る前段階の話しである。
それを、成人して6年も経つ、大人の女に。
僚は今更、教えてやらないといけないのだろう。
実技は教える事は出来ても。
僚は結局、心の中の事に関して自信が無いのだ。



僚だって、この今の気持ちを恋とか愛だとか言うのなら。
初恋は香だ。
どうやって、気持ちを伝えれば良いのか。
どんな顔で、香を抱けばいいのか。
どうすれば、自分の愛情が彼女に余すところ無く伝わるのか。
僚には未だ、よく解らない。
だからビビッているのだ、情けない事に。








なぁ、リョウ。


あ~ん?なにぃ?


そんな腑抜けた面で飲んだくれてないでさ、 サッサと抱いちまえ。


っっっ!!ば、ばかっっ






ミックの言葉に、僚は柄にも無く動揺して煙草を取り落し、酒を吹き出した。
以前の僚は、酒が不味くなると強がりを言ったけど。
今回は、耳まで真っ赤にして焦っている。
ミックは、パーラメントの煙を深々と吸い込む。
初恋の君の初恋が、本当の意味で叶うまでもう少しだなと、穏やかに微笑んだ。




(つづく)








ミックの煙草は、勝手なイメージでパーラメントっぽいなと思うワタシ。
因みに、リョウちゃんはマールボロ。
槇ちゃんは、セブンスター。
海原氏は、ピース。というのが、ケシ的イメージです。
海ちゃんは、煙草のイメージは無いですねぇ。
ストイックなので吸わなさそう・・・
[ 2013/11/09 20:00 ] Close to You | TB(0) | CM(0)

第5話 決壊

・・・今夜は、行かないで。




香が耳まで真っ赤にして、意を決したようにそう言ったのは。
あの日から14日後の事だった。
極々小さな声で呟かれたその言葉は、しかし。
僚の耳にはしっかりと届き、まるで砂漠を湿らす夜露のように僚の心を潤した。















2週間経って、美樹の怪我ももう随分良くなってきている。
それでも相変わらず心配性な香は、昼間は僚を連れ立って連日教授宅へと通う。
そして、そこで目の当たりにするのは、伊集院夫妻のアツアツ振りだった。
それは、結婚前から変わらぬいつもの光景だが。
やはり香はそれを見て、自分達を振り返らない訳にはいかない。
それだけでは無い。
向かいのミックと教授の助手のかずえが、同棲生活を始めた。
自分達の周りのカップルは、次々と身を固めてゆくのに。
彼らよりもずっと以前から、一緒に暮らしている自分達に何ら進展は見られないのだ。



何がいけないんだろう、と香は思う。
あの日、僚は確かに自分の事を“愛する者”だと言ってはくれた。
たとえそれが、危機的状況に於ける非常時のテンションだったとしても。
その後、2週間。
僚はあの時の事を否定するでも無く、ただ少しづついつも通りの日常を取り戻しただけだった。
そうなのだ、ただそれだけの事だ。
別段、ケンカをする訳でも無く、意地悪を言うでも無く、ただ穏やかに2人は生活している。
あんな場面で、あんな風に言ってくれて、おでこにちゅうをして、
それでもこうして穏やかで居られるという事は。
裏を返せば、憎からず想ってくれてると考えても良いいんだろうか、と香は思う。
そして、ふと思い返す。

あの時、僚は言葉をくれた。
あんな状況下で敵を倒し、無傷でお互い再会できた。
助けてくれた。
それなら自分は一体、僚に何を返せただろう。
あれ以来、伊集院夫妻を傍で見て来て、羨んでいただけでは無いのだ。
彼らはいつだって、互いに正直で、対等だ。
どちらか一方だけが相手に尽くすのでは無く、互いに労わり合う。
それに気が付いた時、香は僚に果たして何を返せるだろうと思った。
否、僚のしてくれた事に礼を尽くすとかそういう大げさな事では無く。


大事な事は、素直に向き合う事なんじゃないかと気が付いたのだ。
香はいつだって、僚の言葉や出方を待っていた事に気が付いた。
僚は“愛する者”だと言ってくれた、じゃあ、自分は?
そう考えてこれまでを振り返ると、意外と香自身もなかなかの天邪鬼だった。
似た者同士なのかもしれない。











夕飯を食べ終えて、香がリビングにコーヒーを持って来る頃には、腰の辺りがそわそわ落ち着かない。

それはここ数日の、夜のお約束だった。
何となく落ち着かないから、コーヒーを飲み終えるとそそくさとネオンの下へと逃げる。
自分でも意気地なしだという自覚はある。
逃げるまでは良いけれど、キャバクラやラウンジに行く気はしない。
自然と足は、1人で飲めるバーへと赴く。
そんな繰り返しだ。

香と一緒に居たく無いワケでは無い。
むしろ、逆だ。
一時たりとも離れたくはない。
別に用事は無くても、ずっと香を見ていたい。
けれど、そんな欲望のままに香の傍に居たら、多分、歯止めは効かない。
あの日から、時間の経過とともに香への想いは募る一方だ。
香は香で、1人悶々と悩んでいるけれど、そんな事は僚の知る由では無いので。
僚も僚で、悶々と考え過ぎている。
結論としては、似た者同士だ。


言葉に力が宿ると言うのは、本当の事だと僚は思う。
これまで、必死に香を女として見なす事を避けて来た。
初めはその必要があったから、そうして来た。
けれど、いつしかそれが互いを縛り付け、苦しめて来た。
そして一旦解放した戒めは、まるで砂の城郭が崩れ落ちるように、あっけなく決壊した。
後に残るのは、只々香が好きだと言うその感情だけで。
僚は改めて自覚する。
己がこの数年間、如何に香中心に生きて来たのかを。
多分、そんな全てのベクトルを香に一気に向けるのは危険だと、本能がブレーキを掛けるのだ。

香に嫌われたくない。

その一心で、僚は表面上、いつも通りに徹する。
けれど、僚が夜の街へと出て行こうとする度に、香が浮かべる薄い落胆の表情に気付かない辺りは、
僚としても、この数日平常心では無いとも言える。










たまには、自分から素直になってみようかと勇気を出した。

普段の香からは想像もできない台詞に、柄にも無く動揺して、思わずニヤケてしまった。









りょお、・・・・・・・今夜は、出掛けて欲しくない。







何も言わない僚に、香がもう一度言った。
微かに声が震えている。
真っ赤な顔で、目の縁には薄っすら涙が溜まっている。
妙な間を置いて。

僚は香を抱き寄せた。

そこで初めて、僚自身も出掛けたくなど無い事に気が付いた。
ずっとこうしたかった。
すぐ目の前に、柔らかで温かなその存在がいつでもあったのに。
甘える事が怖かった。
甘えたら最後、何かを失ってしまいそうで恐れていた。
けれど、何も失う事など無かったし、恐れる必要も無かったのだという事に、
6年かかって漸く気が付いた。
香が遠慮がちに、両腕を僚の背中へと回す。
そんな仕草すら可愛いと、僚はもう1度キツク香を抱き締める。








変なタイミングで僚から抱き寄せられて、
香がその状況に気が付いてドキドキするまでに、2秒ほど掛かった。
僚は香の言葉に応える代わりに、香を抱き締めた。
僚の腕の中は温かくて、ジャケットからは薄い煙草と硝煙の匂いがした。
顔を埋めたTシャツからは、清潔な柔軟剤の匂いがした。
香が知っている僚の匂いだ。
それは6年間、ずっと香の傍にあった。
手を伸ばせば触れられそうで、その実、香の指先をするりとすり抜けては掴み処が無かった。
甘える事が怖かった。
甘えてしまえば、この2人の完結した世界が崩壊するような気がしていた。
初めて、僚の核心に触れた気がした。
包みたいと思った。
許されるのなら、この孤独で気高く生きて来た、けれどとっても温かい男(ひと)を。
そう思ったのは香の筈なのに、逆に僚から包み込むように抱き締められた。









なぁ、香。





暫く経って、言葉を発したのは僚だった。
僚の胸板にくっ付けた耳を通して聴く僚の声は、いつもより深くて穏やかだった。






ん?


おまぁは、どうしたい?これから。





あまりにも漠然とした質問に、香は一瞬状況を忘れて僚を見上げる。
思いの外近い互いの距離に、更に頬が熱くなるのが解る。
香なりに、僚の質問に全力で答えを探す。
これから先、どうしたいのか。
そんな事を言ったら、答えは山ほどある。
けれど、一番大切で誰にも譲れない事は、1つだけだ。






ずっとずっとずっとずっと死ぬまで、僚の傍に居たい。





ただ、それだけだった。
それは相棒としては勿論だけど、人生を分かち合うパートナーとして。
1人の女として。
僚の一番近くに居たい。

香の答えに僚は、思わず破顔した。
同じだった。
惚れた女と、考える事までそっくりで。
もうこれは、運命なんじゃね?なんて考える。








・・・りょおは?


へ?


りょおはどうしたいの?


それ、訊いちゃう???カオリン


ふぇ?????








それまでの真剣な言葉と、
甘い雰囲気が一気に台無しになりそうな厭らしい笑みを浮かべて、
冴羽僚は槇村香の耳元で、囁く。





こういう事がしたい。





それは、目にも留まらぬ早業であった。
流石は泣く子も黙る、新宿の種馬である。
純粋培養の初心者相手に、いきなり本気のキスをした。
それは、2人が。
本当の意味で、“パートナー”になる数時間前の出来事だった。









ただ傍に居たい、そんなシンプルな愛情がすぐそこにあった事に、
2人は6年目にして、漸く辿り着いた。



(おわり)



[ 2013/11/11 02:02 ] Close to You | TB(0) | CM(3)