#1. 彼女はクイーン

30000Hits Req. Vol.8 ケシ meets カズル



おはこんばんちわ、30000Hitsリク企画。
お次は、カズル様のリクエストでございます。
設定は、基本の2人。関係は原作程度。全8話(予定)のお話しです。
それでわ、スクロールしてご覧ください(*´∀`*)ノシ











































もう今は 彼女はどこにもいない

朝はやく 目覚ましがなっても

そういつも 彼女とくらしてきたよ

ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた

僕は Day Dream Believer そんで

彼女はクィーン
         (作詞・作曲JohnStewart / 訳詞・忌野清志郎)









RRRRRRR


ベッドサイドの目覚まし時計が、けたたましいベルと共に朝7:00を知らせる。
僚は頭まで被ったブランケットから、腕を伸ばして手探りでベルを止めた。






僚にとってこの時間は、無駄に早過ぎる。
あれから、もう1年になる。

1年前、この目覚まし時計は、香の部屋に置かれていた。
香はいつも、この時間に規則正しく目覚め、朝から洗濯をして掃除機をかけ、朝食を作った。
10:00になったら1度、新宿駅に赴き伝言板の確認をして戻り、
11:30に僚を叩き起こした。

毎日同じだけ時間が進み、24時間経ったらまたベルが鳴る。
そこに、香が居ても居なくても。







1年前、香が僚の元を出て行った。



何も言わなかった。
それまで、何の素振りも見せずに、僚が日課のナンパから戻ると居なくなっていた。
最低限の身の回りの物と、着替えを少し。
賊に攫われたとは思わなかった。
何故なら、香と槇村の写った写真立てと、母親の形見の指輪が無くなっていたから。
それらを持って出るという事は即ち、

香が自分の意志で、この部屋を出て行ったという事だ。





置手紙すら無かった。
理由も、別れの挨拶も無い。
彼女と最後に交わした言葉は、何の変哲も無いありふれた言葉だった。
あの時、僚は。
珍しく香の淹れたコーヒーを飲んで、旨いと言った。
香は目を丸くして、雨でも降るのかな、と言った。



けれど。
普段、し慣れない事や言い慣れない事をするもんじゃない。
僚は心底、そう思う。
あの後、僚はナンパに出掛けて、香と言葉を交わしたのはそれが最後になった。









それから、香が何処で何をしていたのか。
僚は香が出て行ってすぐに、手を尽くして調べた。
香の消息や行動を調べる位、僚には容易かった。
けれど、香が去って4か月後。
彼女が普通の暮らしの中で、落ち着いているのを確認してからは。
僚は彼女の事を、詮索する事を止めた。
今現在も、
彼女があの場所で、あのまま独りで、幸せにやっているのかどうか。
もう僚には、解らない。









ブランケットの中で、僚は丸くなってずっと前の事を思い出す。


芳ばしいコーヒーの匂い。
掃除機を掛ける香の気配。
遠くから僚を見付けて、笑いながら駆け寄ってくる香。


香が居なくなったリビングは、何処となく埃っぽいし。
僚が眠るベッドのシーツはいつ変えたのかも覚えていない。
キッチンには生活の匂いはしなくなり、
冷蔵庫の中にはミネラルウォーターと、缶ビールだけが冷えていて。
そのずっと奥に。
1本だけ、付箋の付いたヱビスの350ml缶がある。
付箋には、香の文字で。『飲み過ぎ注意!! 1日1本迄。』と書かれている。

香の部屋は、あの日僚が調べたきり、一度もドアが開かれる事は無い。






今なら、確かにハッキリと解る。
彼女は僚にとって、間違いなくクィーンだった。













香の部屋にあった目覚まし時計を、僚は自分の枕元に置いた。
今でも香は、この時間に規則正しく生活しているのだろうか。
そう思うと、僚の心の奥の奥で小さく何かが軋むように少しだけ、僚の胸を締め付けた。


いつまで自分は、こうしているんだろう。


それは、僚自身にも解らない。
この時計の電池が切れた時、朝7:00のモーニングコールが途切れた時に。
僚に掛かった魔法は、解けるのかもしれない。


(つづく)



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#2. 独り暮らし

目覚ましよりも先に目が覚めてしまう。

香は布団の中で、朝7:00の合図が鳴るまで息を潜めて待つ。
それはまるで執行を待つ死刑囚のようで、もう一度目を閉じるけれど眠気は訪れない。







香が生れて初めて独り暮らしを始めて、もうすぐ11ヶ月になる。
物心ついた時には、香の傍にいるのは兄だった。
その兄を亡くしてからの6年間、香の傍に居てくれた彼を裏切ったのは。
他でも無い自分自身なのに、香は未だにたった独りの生活に何処か馴染めない。
初めの頃は、料理の量をどの程度作れば良いのか解らずに、
絵梨子から、誰がこんなに食べるの?と呆れられた。


今では、1人分の食事を作る事にも慣れたけど、独りで食べる事には未だに慣れない。


僚はいつも。
香の料理の腕が上がらないとぼやいていたけれど、それでも香の作ったモノを、
食べ残した事は、そう言えば6年間一度も無かった。
料理は褒めない僚だったけど、
香の淹れたコーヒーは、ごくまれに美味しいと言ってくれた。







あの日、香が出て行こうと決めたあの日も。

僚は香のコーヒーを飲んで、旨いと言ってくれた。
結局それが、最後に聞いた僚の言葉になったけど。
あの後、日課に出掛けて行った僚の背中を見送って、香はあのリビングで泣いた。
どうしてよりによってこんな日に、
どうせなら嫌いになれるような酷い事を言ってくれればイイのにと思った。




だから多分、香はいつまで経っても、やっぱり僚の事は嫌いにはなれないんだと思う。
香はこの1年、コーヒーは飲んでない。








眠れない頭の中には、取り留めもない記憶が浮かんでは消える。




僚と暮らしたのは、27年の人生の中のたったの6年に過ぎないのに。
香には、僚と出逢う前にどうやって生きて来たのか、どうしても思い出せない。
6年間、冷静に思い返せば酷い事も沢山あったし、
いつだって自分は僚に腹を立ててばっかりだったけど。
思い出すのはいつだって、僚の優しい笑顔や、大好きだった仕草で。
香は思わず自嘲する。
僚が香の頭を撫でるあの大きな掌の感触は、今でも覚えているのに。
もう僚は居ない。
毎朝、それを反芻しないと一日が始められない。






理由はあの暮らし全てであり、そのどれでも無い。
有るようで無い。


香があの日アパートを出る、ひと月ほど前。
僚は左胸に大怪我を負った。
ひとつ間違えば、あの時に僚が死んでいても不思議は無かった。
それでも僚は、致し方の無い“事故”だと言ったけど。
あれは。
間違いなく、自分の判断ミスだったと香は今でも思う。


自分の行動1つ、言葉1つが、僚の生き死にに関わっている。


そんな事は、あのハタチになった晩に解りきっていたつもりでいたけど。
実際には、何にも解っていなかった自分に、香は心底嫌気がさした。
でもそれは。
こうして時間を置いて冷静に考えると、ただの理由の1つに過ぎない。


香は僚を愛していた。
初恋からずっと、好きになった男性は僚1人だ。
香はもしかすると、僚に色々と望んでいたのかもしれない。
相棒としての自分の不甲斐無さ。
ハッキリとしない僚の気持ち。
膨らんでゆくばかりの自分の気持ち。

何よりも束縛を嫌い、自由な風みたいな掴み処の無い彼に、
自分は、大きな枷を嵌めていたのかもしれない。
だから、香はあの日。
僚の手足に嵌った枷を解いた。

否、それは言い訳かもしれない。
香はあの甘やかで非現実的な、僚との6年間から逃げ出したのだ。
あの僚との日々は、今はもうまるで。
夢の中の出来事のように思える。


我儘で欲張りで罪深く業が深いのは、他でも無い自分自身。
相棒として信じてくれた僚を、あの日裏切って家を出た。









RRRRRRR


目覚ましが7:00を知らせる。
アラームのヴォリュームは、一番静かな音に設定していても香は一度も寝坊はしない。
香は布団の中で、もう一度伸びをして。
自分自身に言い聞かせる。



もう、彼は何処にもいない。





朝は必ず規則正しくやって来る。
そこに僚が居ても居なくても。


(つづく)

#3. Still I'm gonna miss you

そのバーに入った時、ヴォリュームを絞ったスピーカから、
ローリングストーンズの『Ruby Tuesday』が流れていた。







同じ名前のイギリス人ロッカーを思い浮かべる度、ミックは思い出す事がある。


ミックがまだアメリカに居て、もう少し若かった頃。
仕留めたターゲットの妻と、自堕落な情事に耽っていた時に言われた事だ。
安いモーテルのけばけばしい壁紙の部屋の、年季の入ったテレビからは、
『Honky Tonk Women』が流れていた。




同じミックはミックでも、アンタのその薄い唇が。
冷酷そうでゾクゾクするわ。



そう言って夫を失ったばかりの女は、ミックの手管に溺れた。
確かに、あの頃の自分は。
非情で冷酷な殺し屋だったと、ミックは思う。
そしてそれは、この同じカウンターで飲んだくれている元相棒も、同じだった。






数年振りに僚と日本で再会して、ミックは正直、我が目を疑ったモノだ。

ミックの知っていた僚は、
いつ死んでも構わないというオーラを振り撒きながら、
ミックの比では無いほどの非情さで、引き金を引く男だった。
ある意味、怖いものなしに生きていた僚ほど、怖い者はいなかった。
それが日本のこの街で再会した僚は、まるで別人だった。
生に執着する者の目をしていた。


香の為に生きようとしていたのが、ミックにはすぐに解った。

そして、程なくして。
ミックもまた、その僚の気持ちを痛いほど理解する事になった訳だけど。
香はずっと、僚の事しか眼中には無かった。













なぁ、リョウ。


・・・ぁあん?


オマエ、なんて様だよ。メシも喰わずに飲んでんだろ?


・・・・フフ、おまぁいつからセラピストになったんだ??







バーボンを呷りながら茶化す僚は、ここ最近。
雰囲気がまるで、あの北米時代を彷彿とさせる。
香が居なくなったのは、ちょうど去年の今頃だった。


香が居なくなった後の僚は、生温いボディガードの依頼など受けなくなってしまった。
近頃の僚はすっかり、あの元の暗い色の目をした“死神”に逆戻りしていた。
今の僚が瞳の奥に何を宿しているのか、ミックにはすっかり読めなくなった。







オマエ・・・大概で素直になれよ。


どういう意味だ?




溜息混じりにそう助言するミックは、至って真剣だ。
僚が無意識に、スッと目を細める。
最近では、ちょっとした事にさえ、僚は無遠慮に殺気を垂れ流す。
まるで狂犬のようだったこの男を、香は確かに掌で転がしていたに違いない。
あの頃の僚は、狂犬というよりは忠犬だった。
香が隣にいる事で、僚自身の精神の調和が保たれていたんだと、ミックは思う。

香と一緒に居た僚が、これまでミックが見て来た中で最も人間らしい生き方をしていた。















逢いに行けよ。


・・・・・・・。


居場所、知ってんだろ?


知ってたら、なんだ?


逢いに行け。


何の為に?


オマエ自身の為だ。









僚が果たして、そのミックの言葉を聞いているのかいないのか、
随分と沈黙が流れた後で、ポツリポツリと苦しげに語り始めた。







アイツぁさ・・・・俺を、・・見限ったんだ。
俺の居ない生活・・をアイツ、が選んだ。
今更、逢って   どうする?
もう、 アイツとは棲む世界が・・・違うんだよ。






ちょうど一回りしたCDは、もう一度、『Ruby Tuesday』を再生している。
唇が薄くない方の、セクシーなミックが。
未練がましい唄を唄っている。






   さよなら、ルビー・チューズデイ、
  君の名を呼ぶ事が出来ない。

   君はいつでも、変わり続ける。
   それでも僕は、君が居ないと淋しい。






僚と香はいつだって。
お互いが大切過ぎて、周りの誰でもが解りきったような簡単な事が、
時々、見えなくなるらしい。
ミックは、香の事が今でも大切だから。
そして認めたくは無いけれど、この目の前の腐れ縁の悪友が大切だから。


これからも、僚が香を迎えに行く気になるまで、こうやって尻を叩き続けるつもりでいる。


(つづく)

#4. それぞれの1年

僚が大怪我をして、教授の家で安静にしていた時から。


香はその事を考え始めていた。
その数ケ月前、美樹と海坊主の結婚式があった奥多摩で。
香は僚から、今までで一番嬉しかった言葉を貰った。
あの時は、本当にこれから一生、僚の相棒として頑張ろうと張り切った。
そして。
その矢先に入った依頼での、失敗。


香は自分の心の何処かに、奢った気持ちが有ったんじゃないかと、自分自身を責めた。


僚が助かったのは、本当にただの幸運で。
これから先、同じような幸運が味方してくれるとは限らない。
僚が深い眠りに就いたベッドの傍らで、香はその事を考えると震えが止まらなかった。
鉄錆のような血の匂いと、強い消毒薬の匂い。
僚の微かな寝息に、安堵しながらも激しく動揺していた。




もしもこの先、
この大きくて温かい命を、
喪う事になったら。


















それは、僚が奥多摩で香に告白してすぐに入った依頼での事だった。


ホンの一瞬の、気の緩みだった。
香に当たると思った弾丸を、咄嗟に庇うようにして自分で受け止めた。
否、僚の読みでは2人して避け切れると判断しての動きだったにも関わらず、
一瞬の判断の迷いが、怪我に繋がった。


柄にも無く、動揺していた。


簡単に言えば、そういう事だ。
僚にとって香は、あまりにも大切過ぎたのかもしれない。
出来る事なら、危ない現場になど連れて行きたくはない。
けれど、相棒として考えた場合、誰よりも信頼のおける相手は、他でも無い香だった。
自分が守り切れば良い、そう思っていた。


けれど、僚は解っていなかったのだ。
怪我をしたのがたとえ自分でも、香はどうしたって気に病むのだ。
どう転んでも、香が自分自身を責めるのならば、
2人して無傷であるべきだったのだ。
僚が思っている以上に、僚の体にこれ以上傷が増えてゆく事に、香は心を痛めていたらしい。
それでも尚、僚は思う。





あの時、
怪我を負ったのが自分で良かった。
あの柔らかで温かな命を、
喪う事がなくて、本当に。















出て行くと決めるまでの数週間、香は色々と考えた。




何を持って出る?
何処に行く?
これから先、どうやって生きてく?

考えても何も解らなかったけど。
香は絵梨子を頼った。
絵梨子も香を歓迎してくれた。
深い事は何も追求しなかったけれど、香の意志の固さは理解してくれたようだった。


仕事は、絵梨子が自分のオフィスで手伝うようにと、世話してくれた。
絵梨子曰く、

ホントは、モデルをして欲しいんだけど?

との事だったけど、それだけは何としても断った。
目立つ事だけは避けたかった。
僚の相棒としての6年間で、これでも少しは裏の世界に顔が割れている。
僚の元を離れた香には、自分自身を守る事すら不可能だから、
自分から危険を増やすような事は出来ない。


初めのひと月は絵梨子のマンションに居候した。
衣類はホンの少しだけしか持って出なかったけど、
絵梨子と居る限り、着替えには困らなかった。
初めて貰ったお給料と、少しだけ持っていた香自身のへそくりで次の月には、
アパートを探して来て、独り暮らしを始めた。
絵梨子はずっと居てもイイよ、と言ってくれたけど香は自分の力でやって行きたかった。
僚を思い出さない日は無かったけど、自分の力で働いてお給料を貰う事に、
少しづつ、やり甲斐も感じ始めていた。



そして、僚の元から離れて3ヶ月目に、大きな節目を迎えた。

その人は、絵梨子とは古い知り合いのメイクアップアーティストだった。
絵梨子のショーでも活躍する彼は、
香は全く覚えていなかったけれど、あの例のクリスマスの水着ショーの時、
香のメイクもやってくれたらしい。
たまたま、絵梨子のオフィスで彼と再会して、そして。
アシスタントに誘われた。


香はその話しをじっくり考えて、OKした。
彼の元でメイクを学び、それを自分のものに出来れば、
これから先、自分一人でも生きて行ける。
そう思ったから。
















香が出て行ってからの足取りを追う事は、容易かった。
絵梨子の元に転がり込んだ香の事は、絵梨子からも連絡を貰った。
けれどその時の絵梨子の様子は、これまでとは明らかに違った。
そして僚は、そんな絵梨子の言葉に頷いた。


今回だけは何も訊かないで、香の気持ちを汲んであげて?


そう言った絵梨子に、僚は何も言えなかった。
だから。
絵梨子にも香にも言わず、陰からそっと香を見守った。
少しづつ、僚の見た事の無い服に身を包み、化粧をして、踵の高い靴を履いてゆく香が。
僚には、途轍もなく眩しく見えた。
もしも香が、自分と関わっていなければ。
香はもっと早くに、あんな風に普通の女でいられたかもしれない。
そう思う事は、僚の胸を激しく締め付けた。
香の幸せを考えた時、それはいつだって僚の頭の片隅にチラついていた事だから。
けれど、離れる事が出来なかったからこそ、あの6年間があったのだ。
それすらも、まるで否定されたかのような現実に、
僚は正直、今までのどんな怪我や災難以上に堪えた。



絵梨子の元に居候してひと月後、香は引っ越しした。
絵梨子のマンションとは違って、古いアパートだった。
香を見詰め続ける事は僚にとって辛い事だったけれど、
そんな住まいに移った香がますます心配で、僚はずっと香を見守った。






僚がふと、香の背中を見送ろうと決心がついたのは、
香が家を出てちょうど、4カ月目の事だった。



絵梨子の会社でずっと働くとばかり思っていた香は、
ある男のアシスタントとして働き始めた。
勿論、僚はその男の事を調べた。
彼は絵梨子が初めてショーを開催した時からの付合いで、
業界内ではなかなか評判のいいヤツだった。

香がアシスタントとして忙しそうに働いている様子を、コッソリと眺めながら。
僚はふと気付いたのだ。





もう、自分の出番は終わったのだと。
最後は決して、納得のゆく形では無かったけれど。
少なくとも香が生き生きと、自分の力で自分の道を見付けた。
槇村を失ってからココに辿り着くまでの6年。
僚にも、葛藤する出来事は沢山あったけど、
こうして無事に、槇村からの依頼は果たせたのではないかと、ふとそう思えたのだ。


香が巣立ってゆくまで、傷一つ負わせる事無く太陽の下に返せた。












それから、
香と僚の人生は、
大きく分岐して、
今に至っている。
何事も無く、平穏に、
メイクアップアーティスト見習いと、
殺し屋の人生は見事に重なる事無く、擦れ違った。



今はまだ・・・



(つづく)



#5. 過去

北原絵梨子は、普段とても忙しい毎日を送っている。


10代の頃の自分は。
こうして将来夢を叶えて、活躍している事など想像だにしていなかった。
そしてあの頃、同級生たちにモテモテで爽やかで明るくてのびのびとしていた親友が、
まさかこれ程までに、初恋を拗らせているなんて。
あの頃には、予想も出来なかった。





正直、納得はいかない。


香ほどの女なら、どんな最高の恋人だって選り好み放題のはずで。
今頃、幸せな家庭の1つも築いていても、不思議は無かった。
けれど彼女の運命は、ヤツとの出逢いに導かれ、気の利かない不器用なヤツのせいで。
香はまんまと、初恋を拗らせた。
それもかなりの重症だ。
不器用で口下手で天邪鬼な彼と、
照れ屋で奥手で意地っ張りの彼女の組み合わせは最悪で。

互いに好きでどうしようもなく雁字搦めなクセに、常軌を逸して擦れ違い続けている。




1年前、香から連絡を貰った時は、いつもの事だろうと呑気に考えていた。
彼らはいつだって、犬も喰わないケンカをするのは日常茶飯事で。
2~3日、彼女が頭を冷やして家に戻ると、
彼も何事も無かったように、いつもの日常に戻る。
そんな2人はもう既に、絵梨子の中では夫婦とどこが違うのだろうと思っていた。


確かに、男女の関係では無かったらしいし、明確な約束があるワケでも無かったらしい。
けれど、何処からどう見ても2人の絆は。
ただの仕事のパートナーという言葉で片付けるには、言葉が足らない。
だから、今回も。
香は一頻り彼の悪口を吐き出して、ケロッとした顔で帰って行くだろうと思っていたのに。
気が付くと、あれからもう1年になる。






ねぇ、香。


ん?


アナタに逢いたがっている人がいるんだけど?


????


デザイナーでね、私達よりも2つ歳下なんだけど。アナタに惚れてるらしいわ。






忙しい中でも、絵梨子はマメに時間をやりくりして香と食事する時間を持つ。
それは香が僚の元に居た頃から、時折続いて来た2人の習慣だけど。
香が僚の元を離れてからは、絵梨子はなるだけその時間を増やすように心掛けている。
本当言うと、香には一緒に自分のマンションで暮らしていて欲しいけど、
(どうせ、部屋は余っているのだ)
香は、どうしても自分でやりたいんだと聞かない。
この数ケ月、香のアシスタント修行も板に付いて来たらしい。
香のボスである絵梨子の友人は、香にはまずまずセンスがあると認めていた。


ココの所、お互いに忙しくて香の様子が気に掛かっていた絵梨子だけど。
香が意外にも生き生きして、楽しそうだったから、
カマを掛けてみたのだ。
勿論、香に惚れている男と言うのは、実在の人物だ。
けれど、絵梨子はそんなに簡単には、親友を紹介したりはしないのだ。
絵梨子の審美眼は、誰よりも厳しい。
そんじょそこらのオトコでは、絵梨子の御眼鏡には適わない。
今回の新進気鋭のイケメン若手デザイナーは、あくまでも当て馬だ。

それでも、やっぱり。

香の視線の先は、“ヤツ”に向かっているんじゃないかと勘繰ってしまう。
器用にパスタを巻き取っていたフォークが、ピタリと止まる。







ははは、ゴメン。
今は、そういうの興味無いの、覚えたい事ばかりでそれどころじゃないわ。




そう言って、不自然に笑う香に。
絵梨子は思わず、じゃあいつならイイの?と、言いそうになった。
きっと、時期の問題では無いんだろう事ぐらいは、解るつもりだ。
それは、今だからとか、いついつ位ならとか、そういう問題では無くて。
単に、相手が問題なのだ。
相手が、冴羽僚では無いという事が。


それまで、楽し気に仕事の話しをしていた香が、急に黙り込む。
何処か虚ろな表情で、ボンヤリしている。
香の前に置かれた旬の魚介とトマトのクリームソースのパスタは、
フォークに巻き取られるだけで、全く減らない。













まだ、忘れられない? 冴羽さんの事。


・・・・・・・。


ホントはね、言わないでおくつもりだったんだけど・・・。


・・・なぁに?


アナタが、冴羽さんのとこから出て来て暫くは、彼から連絡貰ってたの。


っっ!!!・・・うそ


ホント。香が今、ヘアメイクの仕事をしてるのも知ってるよ。


・・・・・・・い、居場所も


さぁ?そこまでは、私も知らないけど・・・でも、ホントに良いの?


何が???










香は本当に、素で何の事か解らないとでも言いたげに首を傾げる。
確かに香が、恋愛沙汰に疎すぎるのは否めない。
もしももう少し、香の勘が良かったら。
これ程までに拗れる事も無かったかもしれないと、絵梨子は思わず苦笑する。
ここまで来ると、どちらが悪いのかなんて簡単には言い切れない。
絵梨子の願う事は、単純に。
親友の幸せだ。
香が心から、自分の気持ちを一番に尊重して、未来と向き合う事。
ただそれだけだ。






このまま、冴羽さんとの6年間を過去に変えても。






その絵梨子の言葉に、香は一瞬だけ表情を曇らせた。
苦しげに歪んだ綺麗な形の眉毛だけが、香の本心のように見えた。
香は俯いて、小さく1つ息を吸い込んだ。

次に顔を上げた時には、香はもう笑顔だった。








過去に変えるも何も。もう、過去の事よ。








香はまるで、
メイクアップのデモンストレイションのモデルのように、綺麗な笑顔を作った。
それでもそれは、何処か香の気持ちを押し殺した表情だった。
昔の香は。
怒って泣いて笑って、忙しそうなほど沢山の表情を持っていた。
僚の愚痴を溢す時の香は、愚痴りながらも幸せそうだった。
いつから香は。
こんな風に、自分を殺して生きているんだろうと絵梨子は悲しくなった。


前みたいに、絵梨子が香を笑わせてあげられたら、どんなに良いか。
それでもそれは、どうやら絵梨子の役目では無いらしい。






絵梨子は、2人をこのまま別れさせるつもりなど、毛頭無い。


(つづく)

#6. 心の奥

この1年、香は6人の男性に交際を申し込まれた。






エリ・キタハラの専属モデル、28歳のイケメン。
仕事の繋がりで知り合った男性誌の編集長、34歳。
電車内の落し物を届けたのが縁で知り合ったビジネスマン(外資系商社勤務)、32歳。
よく行く近所のスーパーでアルバイトをしている、売れない劇団員26歳。
絵梨子の行きつけのカフェのパティシエ(有名人らしい)、38歳。
これまた仕事の繋がりで知り合ったバツイチのカメラマン、41歳。





恋をする機会は幾らでもあったのかもしれない。
昼間も、絵梨子の知り合いのデザイナーを紹介しようかと言われたけれど。
まるで脊髄反射のごとき速さで、お断りした。



これから先、本当に自分の人生を生きて行くつもりなら。
どうして、他人に目が向かないのだろう。



今の香は、仕事をするか、絵梨子と逢っている以外は。
精神的には、限り無く引き籠りに近い。
だから、どうしてこんな自分の事を気に入って声を掛けて来る男性がいるのかも謎だし、
その気持ちに応えられるような自分で無い事だけは、香にはハッキリと断言できる。



昼間、ごくごく久し振りに彼の名前を聞いた。



久し振りに聞いた僚の名前に、香の心は煩いほどざわついた。
もう1年も経つのに、香の僚に関する記憶や心の琴線は、非常に生々しく存在する。
普段は心のずっと奥底に仕舞っている筈なのに。
フトしたはずみに、それは香の制御を超えて勝手に溢れ出す。
潜り込んだ布団の中で、香の頬に雫が伝う。


明日はまた、朝からお仕事なのに。
ダメだ、目が腫れちゃう。


そう言い聞かせても、香の頬に涙が伝い続けた。










数日後。
その日は、渋谷のスタジオでファッション誌のグラビア撮影が行われていた。
香の主な仕事は、人気モデルのメイクを手掛けるボスの補佐役。
道具の段取りから、モデルたちがリラックスできるようにメイクルームを整える事まで。
普段、几帳面に身の回りの物事に気配りが出来る香にとっては、
取り立てて難しい仕事でも無い。
むしろその気配りの細やかさに、彼女の上司はいつも感心している。






ねぇ、香ちゃん。今日のお昼、外に行かない?




そう声を掛けられて、香が腕時計を確認するともうじき正午を回る所だった。
恐らくは、いま撮影している秋冬物のファーコートと、
ツイードのワンピースのコーディネイトを撮り終えると、一旦休憩を挟むだろう。
モデルのリフレッシュを兼ねて、2時間ほどは撮影がストップするだろう。
香は自分の大きめのトートバッグの中に、お弁当を持参しているけれど。
にこやかに笑って、頷いた。








ごめんね、お弁当持って来てたんでしょ?




そう言って、香のボスであるメイクアップアーティストの彼が、眉尻を下げる。
彼は極端に短い頭髪を、緑色に染めていて。
右の耳に1つだけ、小さなプラチナのピアスを着けている。
彼に連れられて入ったスペイン料理屋で、
2人の間には、パエリヤと生ハムのサラダが置かれ、
それぞれにガスパチョが運ばれて来た。




ははは、大丈夫です。お弁当は、夜ご飯に食べるので。



香は大抵、昼は弁当を持参する。
ただ単なる節約の一環だけど、ボスはいつも香のお弁当を覗き込んで感心する。
その度に香は恥ずかしくなる。
ただの晩ご飯の残りなのにと。
1人の食卓では、どんなに1人分を作っても、おかずは余りがちだ。



香は、コクのあるトマト味の冷たいスープを飲んで、ふと無意識に。
僚にも飲ませてあげたいな、と思って我に返った。



時々こうして、ついつい無自覚に自分自身を傷付けてしまう。
僚とは、6年間一緒に暮らしていて。
離れてからまだ、1年なのだ。
そんなに簡単には、これまで染み込んだ習慣は拭えない。
香は美味しいモノや、珍しいモノを食べた時。
無意識に、僚にも食べさせてあげたいと思ってしまう。







ねぇ、香ちゃん。




香がそんな感傷的な気分を、頭から追い払おうと考えている時に、
ボスが切り出した。





はい。


アナタこの先、このお仕事続けていく気はある?


え??




唐突な彼の質問に、きっと香は複雑な表情をしているだろうという自覚があった。
彼は微妙な笑顔を張り付けながら、続きを切り出す。





あのね、香ちゃんね。センスはあると思うのよ?
仕事の呑み込みも早いし、なにより。
人対人の仕事でしょ?人を惹き付ける魅力も才能の1つだし。
でもね・・・




いつに無く真剣なボスの言葉と雰囲気に、香は食事の手を止めて真剣に聞き入る。




なんだかね、今の香ちゃんには。
自分自身の心を縛る大きな枷みたいなものがあるように、私には見えるのよ。
何かに心を動かされたり、
心の底からの感情が何処かに行っちゃったみたいに見えるっていうか・・・
それはね、このお仕事を続けていく上で、
大きなストレスを抱える事になるんじゃ無いのかなぁって。




真剣な目でそう言った後に、彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。




ごめんね、知ったような事言って。
それこそ、アナタの心の中に踏み込むような事だって事は、重々承知なんだけど。









香は気が付くと。
そのオシャレな雰囲気のスペイン料理屋で。
優しくて世話好きなボスの目の前で。
多分、僚の元から離れて初めて。
人目も憚らず、泣いた。


香はきっと、1ミリも僚の事を忘れる事など出来ないでいる。


(つづく)


#7. 目覚まし

絵梨子がそこを訪れるのは、どれくらい振りだっただろうか。
香が出て行ってからも、1年が経過しているのでそれ以上である事は間違いない。



絵梨子がインターホンを鳴らしてから、随分遅れて玄関の扉を開けた彼は。
どう見ても寝起きでボサボサの寝グセ頭で、
アルコールの抜け切らない浮腫んだヒゲ面で、
上半身裸に、スウェットのパンツだけ穿いた香の想い人であった。
流石にもう起きているだろうと絵梨子が訊ねた時間は、14:00を過ぎていた。


お久し振り。


そう言った絵梨子に、彼にしては珍しく驚きを素直に表情に表した。











家の中は、絵梨子が想像していたよりはひどくは無かった。
香が居た頃よりも、確かに生活感は無かったけれどひどく散らかしているという事も無かった。
ただ、この家で彼が生活しているという空気は一切感じなかった。
絵梨子をリビングに通して、待っててと言って消えた僚は。
暫くすると、ジーンズに白いTシャツを身に着けて戻って来た。
髪の毛は一応、整えられてはいたけれど、無精ヒゲはそのままだった。
そのせいか、絵梨子には少しだけ。
僚がやつれたように見えた。
けれど、これはきっと事情を知っている者の先入観も加味されているだろう。
現に、上半身裸で玄関に出て来た僚は、相変わらずマッチョに変わりは無かった。




ゴメン、絵梨子さんが飲めそうなモノ、これしか無くて。



そう言って僚が出してくれたのは、500mlのミネラルウォーターのペットボトルだった。
後は、酒しかねぇ。と言って、自嘲気味に笑う僚に。
絵梨子もまた、微妙な表情で頷くしかなかった。
ずっと以前。
香がこの家に居た頃は、たまに絵梨子が遊びに来ると。
香はいつも、薫り高いコーヒーを淹れてくれた。
あの時は僚も、香と絵梨子には無関心を装いながら、
少し離れた場所で同じコーヒーを飲んで、新聞を読んでいた。
この目の前の、数奇な運命を背負った彼は。
あの頃が一番幸せそうに見えた。
今の僚は、専ら水と酒しか飲んでいないようだけど。
香もまた、何故だかこの1年、コーヒーは頑なに飲まない。
もしかすると2人にとって、コーヒーは何か特別なモノなのかもしれない。









香が居た頃と、随分雰囲気が変わったのね。





絵梨子がリビングを見回して、呟く。
それは別に、皮肉でも嫌味でも何でも無く、素直な感想だ。
僚は自分用にも持って来たヴォルビックを、ひと口飲んだ。




・・・アイツに、   何かあったの?



慎重にそう言った僚の言葉は、少しだけ緊張を含んでいて。
僚は絵梨子にそれを悟られなかったか、少しだけ気になった。
そんな意外と臆病でナイーブな殺し屋の内面を、知ってか知らずか。
絵梨子の口調は、至って淡々としている。






別に、何も。・・・ただ、


ただ?


香に近付きたい男なら、わんさか居るわね。香自身は、相変わらずだけど。






久し振りに聞く彼女の近況に、僚の心がザワザワと波立つ。
数ケ月前、最後に香を見た時の。
自分の元に居た頃とは違う、
化粧をして女らしい服に身を包み華奢な靴を履いた彼女を思い出す。
相変わらずとは、どういう意味だろう。
相変わらず無防備で。
相変わらず人懐こくて。
相変わらず周りのオトコを魅了しているという事か。

相変わらず、
自分一筋で、
他のオトコになど目もくれて無かったら、イイのに。

僚は思わず、そんな未練がましい自分に苦笑する。
そんな僚の思考回路の何処までを、絵梨子が見透かしているのか知らないけれど。
絵梨子の視線に、少しだけ憐れみを感じるのは、僚の思い過ごしでは無い筈だ。
僚は軽く咳払いをすると、少しだけ強がってみる。






まぁ、イイんじゃねぇの? アイツも、オトコの1人や2人いねぇとな、イイ歳だし。


・・・ふ~~ん、それで良いんだ? 冴羽さん。


・・・お、俺にゃもう、関係ねぇし。


本当に???


何が言いたいワケ?・・・そもそも。





絵梨子の少しだけ、
人の恋路を面白がるような雰囲気に(もっともこれは、今に始まった事でも無いが)、
僚は眉根を寄せる。
自分の周りにも、彼女の周りにも。
良く言えば世話好き、悪く言えばお節介な友人ばっかりだ。





捨てられたのは、俺の方だし。





思いの外、情けない台詞が口を吐いて出た。
でもそれが、僚の素直な感想なのだ。
保護者役はもう終わったとか、
槇村の依頼は果たせたとか、
そもそも棲む世界が違うとか、
下らない言い訳で、自分自身を慰めてきたけれど。
結局、僚は。

早い話しが、傷付いているのかもしれない。
この世で一番好きな女に、出て行かれて。

それに香は。
もう既に、新しい世界で新しい相方を見付けているじゃないかと。





アイツには、もう新しい仕事仲間がいるじゃん。




そう言って乾いた笑いを、僚が煙草の煙と一緒に小さく漏らす。
細心の注意を払って強がって見せる僚が、それでも拗ねている様に絵梨子には見える。
絵梨子がその部屋を訪れて漸く、僚の本心を垣間見たような気がした。
そう思うと、絵梨子は思わず吹き出してしまう。
いい歳をした男と女が、自分の気持ちすら上手に伝えられなくて、
1年間も擦れ違っているという事に。











なに?冴羽さん、妬いてんの?


はあ゛???妬いてねぇしっっ、ぶわっかじゃねぇ~~~の?





顔を真っ赤にして動揺する僚は、妬いてます。と言っているのと、同義だ。
絵梨子はもう既に、クスクスと笑い転げている。
一頻り笑って、真剣な表情で僚に向き直る。















冴羽さん、馬鹿はアナタよ。
1つ教えてあげるケド、香の仕事仲間の彼は、筋金入りのゲイなの。
私がみすみす、香をアナタ以外のオトコの元へ行かせると思う?







へ???




まぁ、もっとも香が愛してる男なら、別にアナタじゃなくてもイイんだけど???
おあいにく様、香に必要なのは今も昔も、アナタだけみたいなの。残念ながら。








僚はゆっくりと、絵梨子の言葉の意味を反芻する。
ここ最近の、アルコールでふやけた頭ではその言葉と、現実が上手く繋がらない。
さっきまで、妙に未練がましい気持ちが沸いたりしていたクセに。
今の香が、どんな風に生きているんだろうと、
リアルに想像すると、喉の奥に何かがつっかえたように、言葉が上手く纏まらない。
僚は手に握ったミネラルウォーターのボトルで、一気に喉を潤す。
それでも声が掠れていたのは、きっと動揺の表れだ。








・・・アイツ、  幸せ・・じゃねぇのか?




絵梨子はそんな僚の様子を、一部始終観察しながら。
もう今では、確信している。
間違いなく、僚も。
香を必要としているし、2人はこのまま別れるべきでは無いと。





さぁ?そればっかりは、香本人にしか解らないんじゃないの?
気になるなら、





アナタが直接、訊くべきよ。香に。















絵梨子が帰った後。
僚は缶ビール片手に、寝室のベッドに寝転がった。
確かに、あの男がゲイだと聞いて。
僚は妙に腑に落ちるモノを感じた。


香が絵梨子の元から離れて、あの男の元でメイクを学び始めた時。
僚は少なからず、彼と香の関係を勘繰った。
コッソリと陰ながら見守る僚の目に映ったのは、妙に親密な2人の雰囲気だった。
改めて彼がアチラの組合の方だと言われれば、それ以外の何者でも無いんだけど。
やはり、当時の僚は何処か普通では無かったのかもしれない。
突然、何の前触れも無く香に出て行かれて、
自分が思っている以上に、動揺していたのかもしれない。
気付かなかった。


冴羽僚、一生の不覚である。


という事は、なにか。

香と彼は、一見、男女カプに見えて。
その実、絵梨子×香と同じという事か・・・








んだよっっ、・・・アイツ、ゲイかよっっ!!



僚の中で、妙な安堵感と同時に、沸々と苛立ちが沸き起こる。
僚は香が堅気のオトコと幸せになれるならと、手放す覚悟を決めたのだ。
ココまでが、冴羽僚の限界だった。
何かが、僚の中で吹っ切れた。






じゃあさ、別に遠慮とかする必要無くない????





誰に言うともなく、僚はたった一人のベッドルームで呟いた。
誰も知らないけれど。






僚の枕元の目覚まし時計は、電池の寿命を迎え、
この日の明け方、5:23で止まっていた。



(つづく)


#8. I’m Believe・・・

良く晴れた午後で、午前中に干した布団はイイ感じにフカフカになっている。




ここ最近、忙しくて全く休みが取れなかった。
久し振りに3日間の纏まった休みを、ボスがくれた。
その初日からイイ天気で、香は朝から部屋の掃除や洗濯を片付けた。
今の香の住まいは小さな4階建てのアパートの、3階の角部屋だ。
1人で住むには十分な広さだけど、こうやって布団を干す時には。
香はいつも、あの新宿の、無駄に広い屋上を思い出す。
3日も休みを貰っても、香にはこの小さな我が家を片付けたら、もう予定は無い。
























こんなに天気の良い昼間に、街の中を歩くのは僚にとって本当に久し振りの事だった。





そこは意外と、新宿からもそう遠くは無い。
比較的交通の便は良いけれど、家賃の相場はさほど高く無くて。
近くに親しみやすい商店街がある。
この街に来たのは、8か月振りだった。
香は節約しながら豊かに生きる術を心得た女で、
この街を初めての独り暮らしの場所に選んだのが、香らしくて。
僚は何となくこの街の雰囲気は、好きだ。




ヒゲは剃った。
酒は3日前から、飲んでない。
あの絵梨子が訊ねて来た日に、目覚まし時計が止まっていた。
僚は昨日電池を買って来て、今朝は7:00に起きた。
キッチンに溜まったビールの空き缶を捨てて、


この街にやって来た。香を連れて帰る為に。















玄関のチャイムが鳴った時、香はベランダに出て布団を取り込んでいる最中だった。




この部屋のチャイムが鳴った事が、
これまであっただろうかと、香は少しだけ不思議に思う。
綺麗に拭き掃除をして、つやつやのフローリングの上に。
取敢えず、取り込んだ布団を置いて玄関に出てみる。








その部屋のグリーンのペンキが塗られたスチールのドアを、
僚は数ケ月前に、何度も見詰めていた。


そのドアを一枚隔てた向こう側にいる彼女が、
ほんの少し前までは、一番身近な存在だった筈なのに。
その扉はまるで、自分の世界と彼女の世界を隔てる深くて大きな谷底のようだった。
これまで怖い物など無かったけれど。
数ケ月前の僚には、どうしてもその谷を渡る勇気が無かった。


そのチャイムを、今日初めて押した。














どちら様ですかぁ?と言いながら、ドアを開けた香は。

化粧気の無いすっぴんで、色気の無いTシャツにショートパンツを穿いていて。

それはまるで、あの頃の。

2人で暮らしていた頃の、香のままで。

僚の肩からは、余分な力が抜けた。










・・・・・っっ!!!



なぁに、アホ面して突っ立ってんの?おまぁ(笑)





久し振りに逢った香は、目を真ん丸に見開いて、ポカンと呆けていた。
物陰からコッソリと見詰めていた時の、
一分の隙も無いモデルのような香とは別人だった。

でも。
僚は知っている。
これがホントの香で、僚の愛した唯一無二の女だ。








・・・・なんで?


あ?


なんで、ここにりょおが・・・いるの?







香の声は涙声で、小さく頼りなく震えていた。
久し振りに香の口から、自分の名前を聴いて。
僚の胸の奥がキュウッと音を立てて、軋んだ。









なんでってそら、おまぁ。






いつもの呑気な口調とは裏腹に、僚は妙に真剣な表情で。
香は目が離せなかった。











お前の事、迎えに来たのに決まってんじゃん。


・・・は?


なぁ、香。もう一回、俺と一緒に暮らそう。


















もしかしたら香は、こうなる事を心の何処かで待っていたのかもしれない。
自分から僚の元を去っておきながら、あれから他の誰の事にも興味は湧かなかった。
夕方のスーパーで、僚がよく飲んでいたビールを見る度に僚の事を思い出した。
街中でふと、他人の煙草の匂いが流れて来ると、
僚を思い出して、そこから先に一歩も進めなかった。
夏には僚と一緒に屋上でやった花火を思い出して、
小さなベランダで独り、線香花火をやったし。
冬になると、僚がちゃんと衣替えをして寒い思いをしていないかが気になった。

離れていても、香の心の中にはちゃんと僚が居たし、僚しか居なかった。










・・わ、私。・・・何も言わずに・・僚の事・・りょおの事、置いてったのに



あぁ、リョウちゃん、正直傷付いちゃった。





香はもう既に泣き声で、
僚は冗談めかせながらも、本音を漏らす。







りょ・・と、一緒に居たらまた私、甘えちゃうし・・・りょおの怪我も・・命も、





香が言葉に詰まる。
全てを言葉にしなくても、僚は香が自分の元を去った訳は知っている。
そして、それら全てを引き受けても。
僚は香とこの先、人生を分かち合いたいのだ。
離れている事ほど、馬鹿らしい事は無い。
















大丈夫、どんな酷い怪我ん時より、おまぁの不在の方が、正直堪えた。
もうね、死ぬ事の次に酷い目に遭ったから。



・・・・・・・。


だからさ。



ん?



責任とってよ?



へ???



俺が死ぬまで、俺の面倒一生見てよ。



//////////(赤面)












その狭い玄関先で。
僚は漸く香の腕を引き寄せて、抱き締めた。
7年間、焦がれ続けた女を、
もう二度と手放す気は、サラサラ無い。

そして、初めて。
その柔らかな唇に触れた。

ギュッと閉じた香の睫毛の先から、透明の雫が柔らかな頬を伝う。
その涙の味がする頬にも唇を寄せて、柔らかな猫毛に顔を埋める。






お願い、帰って来て?カオリン。





腕の中で香が、コクリと頷いたのを確認して。
僚は香を抱き上げた。
1Kの小さなアパートの、フローリングの上に投げ出された。
お日様の匂いの布団の上に、香を横たえて。
そこから先はもう僚も、よく覚えてはいない。




















グッタリした2人の周りを、オレンジ色の西日が差していた。
気が付くともう夕方で。
久し振りに再会した2人は、色んな事を忘れて恋人同士になった。









ココで、独り暮らししてたんだ、カオリン。


・・・うん。





香の髪を愛おしげに撫でながら、そう言った僚に。
返事をした香の声は、掠れている。






満喫した?独り暮らし。


うん、沢山新鮮だったよ。


そっか。


・・・・でも、淋しかった。






そう言った香の唇を、僚がもう一度塞ぐ。
淋しかったのはお互い様で、

そしてそれはもう、昨日までの過去の出来事だ。




(おわり)












漸く、元のさやに納まりました~~~~~
今回のお話しに、沢山の拍手やコメントを戴いた皆様方っっ
本当にありがとおございまぁぁぁぁああっす❤

今回のカズル様からのリクエストは、

『何らかの理由で一旦パートナーを解消してしまうが、
 やはり香を迎えに来てしまう僚(勿論、ハッピーエンドで)』

との事でした。
今回、初めて2人が離れ離れになるお話しを書いちゃいました。
以前のワタシには、絶対に書けないと頑なに思い込んでいた別離ネタですが。
最終的に、離れられない2人なら。
物理的距離は離れていても、別離では無いんじゃないかと思ったのです。

今までにないほどに、超切ないお話しにも関わらず、
ココまでお付き合いして戴いた全ての皆様方に、改めて感謝申し上げますm(_ _)m