※基本スペック※必読※

30000Hits Req. Vol.5  ケシmeets1chan 


                『波間の2人』


このお話しは、3万ヒット企画・第5弾。1chan様よりリクエストの続き物のお話になります。
パラレル設定になるので、以下のスペックをお読みになってご理解戴けた方のみ、
先へお進みくださいませ~~~~。









冴羽僚・・・・私立探偵。HN:マーロウ(勿論、由来はフィリップ・マーロウから。)


槇村香・・・・OL。HN:くろねこ。



僚と香は、チャット仲間です。
お互いに、面識はありません。




※ 話数は、今の所未定です。
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① WEBの波間で。

23:14



お風呂から上がって、お肌の手入れを手短に済ませ、日課のストレッチを終えると、
槇村香は、独り暮らしの1Kのアパートの小さな部屋で、愛用のノートPCを開いた。


仕事は可も無く不可も無く、退屈で。
入社4年目の、新人でも無く、かと言ってベテランとも言えない中途半端な年頃だ。
同期の女子達の内、もう既に2人ほど寿退社した。
残された女子達は、このところ婚活に余念がない。
香も時々、合コンに誘われるけど、正直香はいまいち興味が無いのが本音だ。
なんだか、無理やり出会いを求めて突き進むのも、違う気がすると思うのだ。
勿論、友達たちの言うように、待っていても出会いなど、そうそう訪れるモンでも無い事は、
香とてよく解っているつもりだけれど。
それでも、何処かで。


自分だけの、唯一の出会いを心の何処かで夢見ているのかもしれないと、香は思う。子供染みているケド。


香のここ最近の日課は、寝る前の30分程のチャット。
とあるコミュニティサイトの、チャットルーム。
以前は複数の人と、他愛の無いお喋りのつもりでたまに参加する程度だったケド。
今はすっかり、“ある人”と仲良しになってしまった。
どちらから誘うワケでも無く。
毎晩、この位の時間に声を掛ければ、必ずつかまる。
そして30分程、お喋りをしておやすみなさいと言い合って1日を終える。








僚は、仕事関係の書類に目を通しながら、新しい煙草に火を点けた。
ふと、壁に掛かった時計に目を遣ると、23:00を少し過ぎたところだった。


何となく、いつもの日課で。
PCに向かう。
いつものサイトの、いつものチャットルーム。
示し合わせたワケでも無いけれど、いつもの相手との他愛の無い会話。
相手の名前も知らない。
相手の顔も知らない。
けれど何も知らなくても、色々知っている。
好きな本とか、好きな音楽とか、好きな食べ物とか。








  マーロウさん、こんばんわー

  こんばんわ、くろねこさん。

  何してました?

  何もしてませんよ(笑)たばこ、吸ってました。

  そう言えば、この間教えて貰ったベーグルサンドのお店、行ってみました。

  どうでした?

  とても美味しかった(*´∀`*)おともだちにも、好評でしたよ。

  それは、良かった。アソコは、俺もよく行きます。

  そうなんですか!?私はもう何度か行ったんですよ~~~

  知らない内に、会ってるかもしれませんね(笑)

  あはは。そうかも。

  仕事はどうですか?

  相変わらずです。この間は、話しを聞いて頂けて、それだけですっきりしました。ありがとうございました。

  どう致しまして。話し聞くだけなら、いつでも出来ますよ。







そもそもの始まりは、香の勤め先のある新宿で、
何処か美味しいランチのお店が無いかと、ネットで探していたのがキッカケだった。
そのコミュニティは、新宿界隈の情報交換のサイトで。
たまたま、知り合った僚は。
新宿を拠点とする、私立探偵だった。
僚には仕事柄、情報屋と呼ばれる類の知り合いがわんさかいるが、
それと同時進行で、ネットなどの細かな情報も取り入れると、その中にも色々と興味深いモノはある。


沢山いる内の1人に過ぎない顔も名前も知らない人間が、気が付くと。
いつの間にか、良く知った友達のように感じてしまう事だって、たまにはあるのかもしれない。
まだ、2人は出逢っているようで、出逢っていない。
けれど確実に。
1日の終わりに、他愛の無い会話を交わす事が楽しくなっている。




(つづく)


② 現実的生活

お~~~い、香ぃ。置いてくよぉ~~~~




午前中の業務と、昼休みの境目。
間の悪い事に、メール便の集荷がやって来た。
総務課の入り口に設けられたカウンターで、宅配便の担当者の応対をしている香の背後に、
同期で親友の絵梨子の声がする。
香も絵梨子も、基本的に弁当持参の事が多いけれど。
週に1~2度は、外で食べたりもする。
今日は、例のベーグルサンドが美味しいと評判のカフェに行こうと、つい20分ほど前に決定したのだ。
香が秘密のお友達に教えて貰って絵梨子を誘って以来、絵梨子もその店の大ファンだ。




・・・すいません、昼休みに。


あ、いえ。お気に為さらず。大丈夫ですから。本日分は、それだけです。



小さくボソッと呟いたドライバーは、この事務所を担当して数ケ月になるが非常に愛想が悪い。
他の女子社員達は、あまり良く思っていないらしいけれど、香は大して気にも留めていない。
ニッコリと笑いながら、彼に会釈する。



じゃ、お願いしますね。














朝というよりも、ほぼ正午近く。
僚は漸く、ごそごそと起き出す。



香にとっては、深夜のチャットだけれど。
僚にとってのそれは、毎晩宵の口なのだ。
元々、夜行性の私立探偵なので、チャットタイムが終了してから盛り場に繰り出す事も、ままある。
酒臭い息を吐きながら、熱めのシャワーを浴びて目を覚ます。
すっかり眠気を飛ばして、洗面所の鏡に向かう。
電気カミソリは好きじゃないので、シェービングフォーム塗れの顔に丁寧に剃刀を当てる。
冷蔵庫の中にあったものを、もう一度思い返す。
僚はこう見えて、料理の腕はプロ並みだ。
生憎、その腕を披露する相手はいないが。











ねぇ、香。


ん~~??なぁに??





香がモグモグと、ブルーベリーベーグルのクリームチーズサンドを頬張りながら、首を傾げる。
因みに絵梨子は、プレーンベーグルのBLTサンドだ。





中村先輩とは、何も進展ないの?




香は思わずベーグルを喉に詰まらせそうになって、慌ててアイスティーを啜る。
中村とは。
営業部の3年先輩だ。
香はつい最近まで、彼の存在はよく知らなかったのだけど。
数ケ月前に1度、同じ課の女の子に誘われて付いて行った飲み会に、彼も居た。
それから、社内で顔を合わせれば世間話をする程度の付合いだった。


急展開したのは、ひと月ほど前だ。


大事な話しがあると屋上に呼び出された。
そして、交際を申し込まれた。
それは、つい2~3日ほど前の出来事のように思えるけれど。
もう既に1カ月近く、返事をしないまま放置している。
実は、ここ最近の香の心のモヤモヤは、主にこの事だったりする。
彼の事は、別に好きでも嫌いでもない。
ただの会社の仲間だ。
それまでは、社内で顔を見ても何とも思っていなかったのに。
香は無意識に、営業部のあるフロアには極力近付かないようにしている。





進展って、別に。先輩とは何の関係も無いし・・・




確かにあの日、中村は。
嫌なら返事はしてくれなくても良いからと、言った。
結果的には、その言葉に甘える形にはなっているモノの。
それはそれでまた、礼儀を欠いているのではないかとか、逃げているだけでは?と、
遠回しに香にとってのストレスになっているのも、事実だ。



(・・・やっぱり、はっきり断るべきよね・・・気が重い。)



でも別にさぁ。





絵梨子は他人事なので、至って脳天気だ。








香は、彼氏もいないんだし。付き合ってみたって良いんじゃない?
彼、優しそうだし。
営業部では、結構人気あるみたいよ?





絵梨子の言葉には答えずに、香は無言で最後のひと口を飲下す。
香はこういう時、いつも何だか違うと感じてしまう。
周りの友達たちは、こういう時。
そんなに好きじゃなくても、取敢えず付き合ってみたりする。

まぁまぁ、カッコイイし。
優しそうだし。
結構、人気高いし。

一体、そんな事がそんなに大切なんだろうかと、香は思う。
それは。
好きだから、付き合いたい。という事と、どれだけ違うのだろう。




もっとも、こんな事を絵梨子に言うと。
『だからこそ、お試しで付き合ってみるんじゃないの。』
と言われるに決まっているけど。

















昼下がりの新宿界隈をプラプラしていると、僚は様々な人間に声を掛けられる。


ホステスだったり、バーテンだったり、ホームレスだったり、ゲイだったり。
そして、彼らは。
情報屋だったりもする。
僚の事務所にコンタクトを取る手段は、少し特殊だ。
JR新宿駅、東口伝言板。
その伝言板に、XYZの暗号3文字。
この情報化社会に有って、非常にアナログでレトロな通信手段だ。




その日、僚がいつもの如くその黒板の前に立つと。
メッセージが残されていた。

XYZ


それは、もう後が無いという、依頼人からのSOSである。




(つづく)


③ 2つの異なる世界。

定時に仕事を終えて、電車に揺られて新宿から3駅ほどの自宅マンションに戻る。



17:00が終業で、それから徒歩と電車で最寄駅まで20分程度。
駅から家までの間に、スーパーへ寄り道する。
ちょっとした商店街も近くにある。
家に着くのが、18:00前後。
それから、晩御飯を作る。おかずは少しだけ多目に作って、翌日のお弁当の分にする。




香が自宅の玄関ドアを開けたのと、電話の呼び出し音が鳴り始めるのがほぼ同時だった。



(・・・・まただ。)


このひと月ほど、これは毎日の事だ。
まだ、誰にも打ち明けていないケド、このひと月。
香は何者かにストーキングされている。
確たる証拠があるワケでは無い。
それでも、必ずと言っていいほど香の帰宅に合わせて無言電話が鳴り始める。
それは香が受話器を取るまで、鳴り止まない。





・・・・はい。


・・・・・・。


もしもし?


・・・・・・。


あの、どちら様ですか???


・・・・・・。


いい加減にして下さいっっ!!何が目的なんですかっっ


・・・・・・。


・・・け、警察に言いますよ?






香の声は微かに震えていた。
受話器越しに、ストーカーが軽く息を吐いて笑ったのが解る。
しかし、次の瞬間。
掛かって来た時同様、一方的に通話が途切れる。


ツーツーツーという、機械的な音を聴きながら。
受話器を握った香の手が震えている。
確かに電話の向こうの相手は、香がこの部屋に帰宅したタイミングを承知しているのだ。
香は受話器を握ったまま、その場にへたり込む。
自分に向けられたその感情が、悪意なのか好意なのかそれ以外か。
相手が誰なのか。


普段は楽観主義で、プラス思考の香も。
さすがにこの状況は、精神的に堪えている。










遡る事、数時間前。
午後のオフィスで、香の携帯に公衆電話から着信があった。
香は不審に思いながらも、トイレに立つ振りをしながら、
滅多に誰も使わない階段の踊り場で、応答した。





・・・・はい。


槇村さんですか?


はい。


新宿駅東口伝言板にXYZ、こう言えば誰だか解りますね?


あ、えぇ。・・・・探偵サン。


そうです、冴羽と言います。







それは、この一連のストーカー被害の相談をお願いする事にした、探偵からの連絡だった。













好きでも無い相手からの、交際の申し込み。
正体不明の、連日の無言電話。


ここ最近、心がモヤモヤとする様な事ばかり、立て続けに起こって。
正直、さすがの香も気が滅入っていた。
だからますます、香の専らの息抜きと楽しみは、寝る前の数十分のチャットだった。





  こんばんわ、くろねこさん。

  こんばんわ、マーロウさん。

  何してました?

  ちょうど、PC立ち上げたところでした。マーロウさんは?

  ビール、飲んでました。

  え、私も飲んじゃおうかな・・・

  飲んじゃえ、飲んじゃえ。






その晩は、金曜日で。
翌日は会社は休みだけれど。
昼間、連絡を貰った『冴羽さん』という探偵と、午前中に待ち合わせなのだ。
待ち合わせ場所は、新宿のキャッツ・アイという喫茶店だ。
そこなら、入った事は無いケド場所は知っている。
香は冷蔵庫に、1本だけ350mlの麒麟・一番搾りが入っていた事を思い出す。




  ちょっと、待っててくださいね。

  お、飲む気満々だ(笑)

  はい(笑)満々です。




香はこの後、電波の向こうのお友達とビールを飲みながら、
いつもより少しだけ、夜更かしをした。



(つづく)



④ 交差する世界

その喫茶店の前を、これまで香は何度も素通りした事があった。



新宿に勤めるようになって、4年。
見た事はあってもそこは、香にとって風景の一部だった。
その日初めて香は、そのドアを開けた。


軽やかなカウベルの音と、美しい女性と、ギョッとするほどいかついマスターが出迎えてくれた。


広い店内に客は1人も居なかった。
新宿のど真ん中に有って、これ程までに広いカフェがこれ程までに閑散としていて、
商売として成り立つのだろうかと、香は余計な心配をしてしまう。
約束は、午前11:00だった。
香が5分前にそこに到着しても香以外に客の姿は無いので、きっと探偵はまだ来てないらしい。




いらっしゃいませ、どなたかと待ち合わせ?


え?




美しい女主人がニッコリと微笑んで香に訊ねた。
香は一瞬、ビックリする。
どうして解るのだろう、と。
もっとも、香の知る由では無いが、
探偵こと冴羽僚はこの店の常連で、彼が依頼人との接触に使うのはいつもこの店の一番奥のボックス席で、
待ち合わせておきながら遅刻するのは、ヤツのお決まりのパターンで、
彼が受ける依頼は、美女からの依頼に限るという鉄則がある。
この店の一見客で、若くて美人で、店内に入った途端に誰かを探している素振りを見せる場合。
それは十中八九、冴羽商事の依頼人だ。




あ、あの。はい。




香が躊躇いがちにそう答えると、女主人(美樹)は奥のボックス席へと案内した。
店内には、客は誰も居ないのにコーヒーの薫りだけは、心地良く立ち上っている。




もう少し待ってて頂戴ね、冴羽サンもその内来るから。


・・・・・え?



美樹はそう言うと、キョトンとする香を残してカウンターの中へと戻って行った。
香には、全てが異次元の世界のように見える。
あのガラスのドアをくぐった瞬間から、妙な世界に紛れ込んでしまった様な錯覚を覚える。
どうしてあの人は、自分の待ち合わせ相手の名前を知っているのか。
香は不思議な喫茶店の4人掛けのボックス席で、ボンヤリと呆けていた。





はい、どうぞ。




香の意識を引き戻したのは、またしても美樹だった。
香の前に、薫り高い香ばしい液体の注がれたカップが置かれる。
そこで漸く、香は喫茶店に入ったのにオーダーをし忘れていた事に思い当る。




あ、そういえば私。注文、してませんでした。


良いのよ、気にしないで?どうせ、お会計は冴羽商事に回すんだから♪どうせなら、何か食べる?




は???と、香が首を傾げたのとカウベルが鳴り響いたのはほぼ同時だった。
冴羽僚は、約10分の遅刻だった。
店内の一番奥、ボックス席には栗色のショートカットの、色白美人が座っていて、
何やら美樹と話している。




(よっし、モッコリちゃん



僚は心の中で小さくガッツポーズを決めながら、渋い表情を作ってボックス席に近付く。
美樹が僚に向き直って、遅刻よ?と香の代わりに抗議して、僚は思わず苦笑する。





遅くなって申し訳ない、冴羽です。


あ、あの私は。槇村です、槇村香。ヨロシクお願い致します。




香は咄嗟に立ち上がって、ペコリと頭を下げた。
そんな香に僚は、更に相好を崩す。
申し分ないスタイルの良さである。
遅れてやって来た己へ苦情を言うでも無く、むしろその優しく丁寧な物腰に、好感すら覚える。



(やばい・・・リョウちゃん、超タイプかもぉ


あ、あの。冴羽サン???




僚がふと我に返ると、依頼人・槇村香が訝しむように僚の顔を覗き込んでいた。
僚は冷や汗を掻きながら、軌道修正を図るべく着席するよう促して、香も微笑みながらそれに従う。





それじゃ、改めて。依頼の内容をお伺いしましょうか?






今はまだ2人とも、お互いが深夜のお友達だという事に気が付いてはいない。


(つづく)


⑤ 既視感

・・・・なるほど、ストーカー被害ね。




僚は、目の前の美しい依頼人をじっくりと観察しながら、
しかしそうとは悟らせぬ素振りで、話しを引き出す。
それまで明るい表情だった彼女は、依頼内容を確認し始めると途端に怯えたような表情を見せた。
確かに、都会の真ん中の女性の1人暮らしの部屋で。
何者かの不穏な気配を感じながら暮らす事は、恐怖以外の何物でも無いだろう。
コクンと頷く香に、僚は更に質問を被せる。









それで・・・、何か心当たりは?


心当たりと言いますと?


例えば、最近恋人と別れたとか、身近な人物と揉め事があったとか?






僚の言葉に、香が暫く何事か思案する。
全く無いとは、言えないかもしれない。
気が重い返事を先延ばしにしている事が、1つある。






・・・・あの、実は。もしかすると、全く関係無いかもですケド・・・・


大丈夫ですよ、それを調べるのが私の仕事です。些細な事でも、気になる事があれば話してみて下さい。


ひと月ほど前、職場のある先輩に交際を申し込まれたんです。けれど、まだお返事してなくて・・・


それで?お相手は、しつこく貴女に付き纏っているとか?


あ、いえ。それは無いんです。もしも、その気が無ければお返事は要らないからと仰ってて。


貴女は、その方に何とお応えするつもりなのですか?


え???


あ、いや。べ、別に変な意味じゃありませんよ?あくまで、ストーカーの犯人を探る為に必要な情報です。


あの、私は別に先輩の事をそういう目で見た事無かったので・・・お断りしようかと・・・






僚はふと、最近何処かで聞いた様な話だなと、苦笑する。
あれはいつだったか、数日前。
深夜のチャットの会話の中でも、似たような事を聞いた気がする。









 くろねこさんは、恋人は?

 ・・・いませんよ。マーロウさんは?

 残念ながら、俺も(笑)

 実はまだ今まで、誰かを好きになった事が無くて・・・いい歳して恥ずかしいんですケド

 そんな事に、歳とか関係無いですよ。幾つになっても出逢いはあるし恋はするもんです。

 ・・・そういうモンですか。

 そういうモンです(笑)好きでも無い相手と付き合う必要なんか無いですよ。

 そっか・・・。ありがとうございます。何だか、少しだけ気持ちが晴れました。










香はそれでも、まさかあの先輩とストーカーが関係があるとは思えないので、
一応もう一度、念を押す。







あの、冴羽サン?


はい?


それでも、先輩はそんなストーカーなんてする人では無いと思うんです。


はい、大丈夫です。まだ今の段階で、彼を犯人だと決めつけるのは早計です。
勿論、他の可能性も当たりますから。





僚がそう言うと、香は安堵の表情を浮かべる。
それでも僚は、その職場の先輩とやらを重点的に調べる事にする。
ヤツが彼女に交際を申し込んだのは、ひと月前。
彼女のストーカー被害が始まったのも、ほぼひと月前。
彼女はヤツの気持ちに応える気は無く、返事もしていない。
そもそも、ストーカーなどという陰気な手段を選ぶ人種は、表向きではイイ人を装っている事は珍しくない。





先輩の事に関しては、私もいけないんです。彼の言葉に甘えて、お返事を避けてますから。


好きじゃないんでしょ?その人の事。


え??あ、はい。正直言うと・・・




じゃあ、気にする事は無い。好きでも無い相手と付き合う必要は無いですよ。







そう言ってニッコリ笑った僚を、香は思わず呆然と見詰めてしまった。
つい最近、全く同じセリフを聞いた。
正確には声を聞いたワケでは無い。
パソコンのモニター越しの会話。
今では、香の大事な秘密の友達。
彼も全く同じ事を言ったのだ。
それは不思議な感覚だった。
この台詞の一致を境に、香は画面の中の言葉1つ1つをこの目の前の探偵の声に変換し始めた。




2人はまだ、お互いがくろねことマーロウだという事に気が付いてはいない。
それでもお互い無意識に、初めからまるで初対面だとは思えぬ程、話しやすい相手だと思っていた。



(つづく)


⑥ 1つ屋根の下

冴羽アパートは、新宿歌舞伎町とは目と鼻の先にある。



僚の素性は謎のベールに包まれており。
知人の類は数多くいるものの、本当の事を知っている者は殆どいない。
しかし、巷の噂では。
僚の母親は、銀座の超高級クラブで伝説と謳われた美人ホステスで。
僚はその彼女の私生児で。
その伝説上の人物に僚を産ませた父親は、
政財界を陰で牛耳る超大物フィクサーであるというのが、定説だ。
確かにそれが本当ならば、まるで流行っても居ない探偵事務所をやりながら、
都内の一等地に持ちビルを所有し、呑気に独身生活を謳歌している事も、合点がいく。
もっとも、どんな情報もあくまで噂の域を脱しない。


そんな冴羽アパートの6・7階部分が、僚の自宅だ。
男の独り暮らしには些か広過ぎるその部屋で、僚は好き勝手に生きている。
僚の営む探偵事務所は、5階にある。ガレージは1階だ。
それ以外、テナントは皆無で。
全てが空き部屋だ。


『この部屋、好きに使って良いから。』


僚がそう言って香を案内したのは、5階の事務所と同じフロアにある2LDKのごく普通の一室だった。
仕事柄こんな風に、依頼人を数日間に亘って招き入れる事もままある。
その為に、その部屋だけはすぐに使えるように整えている。












俺の部屋は、すぐ上の6階だから。
何かあったら、気軽に声掛けてね。



その日初めて会った冴羽探偵は、そう言って古いビル特有の薄暗い階段を上がって行った。
その部屋は、思った以上に綺麗だった。
恐らく内装は、定期的にリフォームが施されているらしく、古さを感じさせないモノだった。
香はそこに、数日分の着替えと会社に通うのに必要なモノだけを持ってやって来た。
大抵何でも揃ってるから、という僚の言葉通り。
すぐにでもそこで、普通に生活を始められる状態だ。
僚は2LDKの室内をざっと説明して、自分の部屋に帰って行ったのだ。



香は、薄いグレイのキルトのベッドカバーの掛かったシングルベッドに腰を下ろした。
何だか急な展開で、想像以上に疲れていた事に気が付いた。
そのまま目を瞑って、ゴロンとベッドに横になる。
そして、昼間あった出来事を思い返す。









昼前に不可思議な喫茶店で、僚に初めて会った。
それからそのままあの店で昼食を摂り、その足で香の部屋へと向かった。
大きな背の僚には、些か可愛らし過ぎる愛車のミニクーパーで香のアパートへ向かう途中、
僚は香に部屋に着いたら一切物音を立てない様に、と言った。
香の話しから推察すると、恐らく室内に盗聴器が仕掛けられている可能性が高いので、
ひとまずは、それを撤去するという事だった。


実際、僚が調べてみると計4個の盗聴器が室内から発見された。


その全てを、僚が壊してしまった。
そしてその代わりに、今度は僚が隠しカメラを設置した。
盗聴器を破壊されたと悟った犯人が、もう一度香の部屋へと侵入してくる可能性があるからだ。
そして、香は僚のビルへと暫くの間、避難する事になったのだ。




香は正直、ショックじゃ無かったと言えば嘘になる。
少なくとも一度は、あの小さな忌々しい機械を設置する為に、何者かが香の部屋へと侵入していたのだ。
もしも。
そんな時に、犯人と鉢合わせてしまっていたりしたら。
そう考えると、背筋が凍る。



このビルへ来る前に、僚と一緒に外で夕食は済ませて来た。
取敢えず、土曜日だし。
次の日も休みだし、後はお風呂に入るだけだから。
香は何となく、何もする気になれずそのまま気が付くと転寝してしまっていた。










3時間ほど眠って、香が次に目覚めたのは23:00の少し手前だった。
香は、自宅から持って来たボストンバッグの荷物の中から、
ノートパソコンと、Wi-Fiのルーターを取り出す。
着替えや身の回りの物を纏めながら、香は少しだけ迷ってパソコンも持って来たのだ。
色んな事が起こっている今だからこそ、香には“彼”との電波上の会話がとても大切に思えた。
香に自覚は無いけれど、今では香の心の結構な割合を、マーロウ氏が占めている。










 こんばんわ、マーロウさん。




香の呼び掛けに暫く経ってから、僚が応えた。



 こんばんわ、くろねこさん。すみません、お風呂に入ってました。

 いいえ、コチラこそ。すみません。

 くろねこさんは、何してましたか?

 何もしてなかったんです、ボンヤリしてて。

 今日のお休みは、何処かへ出掛けました?

 何処かへ出掛けたというより、正直、世界の果てに流されてしまったみたいな日でした。

 何か、あった?

 ・・・・色々あって、気持ちが塞いでます。こんなんじゃダメですね。。。

 晴れた日や、雨の日があるのと同じで。そんな日もありますよ、誰でも。

 マーロウさんも?

 そりゃ、勿論。

 そういう時、どうしてますか?

 煙草の本数が増えます(笑)

 そして、飲みに行ってる(笑)

 あはは。どっちも、私には無いなぁ。

 何か、気分転換が出来れば良いんじゃないかな?

 例えば?

 うう~~ん、そう言われてみると難しいけど・・・ま、ありがちなとこでアロマとか?

 あ、好き。アロマ。マーロウさんのお薦めの薫りは?

 そうだな、清々しい感じが好きかな。サンダルウッドとか。

 あぁ、イイですね。落ち着きそう。














結局、香はその後1時間ほど僚とのチャットを続けた。
気が付くと、転寝をする以前の心の状態よりも、随分気持ちが上向いていた。
アロマポットやオイルなんかはさすがに持って来ていない。
アロマは楽しめないけれど、それ以上に気持ちは落ち着いていた。
壁に懸けられたシンプルな時計を見ると、0:00を少し過ぎたところだった。




(お風呂、入ろうかな・・・)












香が風呂から上がって、脱衣所で髪を乾かしている時に、それに気が付いた。
ドライヤーはココにあるから、と僚が教えてくれたその棚の中に。
アロマポットが置いてあった。
オイルも1本だけだけど、ちゃんとあった。
小さな瓶に書かれた文字を、辿る。



“sandalwood”



香は思わず微笑んだ。
それは小さな偶然だったけど、
最悪な土曜日を最悪な気分のまま終える事が無くて良かったと、香は心からそう思った。



(つづく)

⑦ 依頼人と探偵の食卓

香は、1フロア上階の6階玄関の前にやって来ると、
スチール製のドアの横についたインターフォンを鳴らした。





香がこのビルに来たのは、前日の土曜日の事で。
日曜日は、会社は休みだ。
土曜日は、僚との初顔合わせから、盗聴器撤去、そして急遽このビルに避難する事に決まって、
昼も夜も外で食事を済ませた。
一応、すぐに生活できるように何でも揃った(アロマポットまで)部屋だったけど。
流石に食材は、買い出しに行かないとどうしようもない。





『・・・どっか、出掛ける時は声掛けて?車出すから。』



昨夜、僚は香にそう言った。
一応、彼は調査係兼ボディーガードなので、スーパーに行きたいだけとは言え、
勝手に行動するのはまずいだろうと、香は思ったのだ。
時刻は、午前9:00である。












階下の玄関から、何やらチャイムの鳴る音がする。


僚は潜り込んだ布団の中から、ヘッドボードに置かれたデジタル時計に手を伸ばす。
薄暗い布団の中に引き込んだ、赤く光るデジタルの数字は午前9:00をお知らせしている。
僚にとっては、まだ夜明け前に等しい。
けれど、5階に美人の依頼人がいた事を瞬時に思い出す。
僚はガバリと、勢いを付けて起き上がる。









玄関ドアが開けられた時、香は心臓が止まるかと思った。



玄関の向こうから現れた探偵は、上半身裸で、スウェットのボトムだけを身に着け、
盛大に寝グセを付けて、むくんだ寝起きの顔だった。
実際の所、男性のこのような姿に、香はほぼ免疫が無い。
目の遣り場に困るので、不自然に明後日の方向を向いたまま僚に用件を伝える。






あ・・・、すみません。起こしてしまいまして・・


あ、いやぁ。こっちこそ、ゴメンね。寝起きで。





そこまで答えて、どうやら彼女は己のカッコに困惑しているらしいと、
漸く気付いた僚は、苦笑しながらドアの内側に体を隠して顔だけを突き出した。





なんか、あった??


あの、スーパーに行こうと思って。一言、声を掛けてからにした方が良いかなと思って・・・


あ、そか。うん、声掛けて貰って良かった。じゃあ、すぐ支度して来るから階下(した)で待ってて?


1人でも大丈夫ですよ?ここ、会社の近くだし、スーパーの場所も分りますから。


いや、ダメだ。車出すから、部屋で待ってて。


・・・そうですか。なんか、ごめんなさい、日曜日なのに。







香は知る由も無いけれど、僚に日曜日も平日も関係無い。
休日だから朝寝をしているワケでは無く、
毎日がこんな風だとは僚は敢えて言及はせず、曖昧に頷いて見せた。












15分後、5階の香の部屋に僚が迎えに来た。


先程とは打って変わって、
紺色のジャケットの下に淡いピンク色のシャツを身に着け、ジーンズを穿いている。
寝グセはシッカリと整えられ、何故だかむくんでいた顔もスッキリ引き締まりヒゲも剃っている。
仄かにブルガリのブラックが薫る。
香が階下に降りるのを見送って、僚は驚異的なスピードで身支度を整えたのだ。
香はその速さと変わりように、内心驚愕した。








結局僚は、郊外の大型ショッピングモールへと香を連れて行った。
広々した食料品売り場を、一緒に籠を持って並んで歩く。
僚もついでなので、冷蔵庫の中身を思い出しながら、食材を選ぶ。








冴羽さんは、自炊なさってるんですか?


ええ、一応。


そうなんですねぇ、どういうの作るんですか?


普通ですよ、簡単なもの。1人だったら、あまり手の込んだもの作るのも面倒だから。


ふふふ、私も同じです。


いかに洗い物を、最小限に留められるかが重要です。


ですです。







2人は思わず、事件の事も忘れて“独り暮らしあるある”で盛り上がる。
そんな事を言いながら、お互いに野菜や肉を選んでゆく。
香が籠の中のカボチャを見ながら、挽肉を手に取って何やら思案していると、
僚が小さく1つ、咳払いをした。







あ~~~、あの。


はい?なんです??冴羽さん。


・・・いっその事、


はい。


一か所で食事を済ませれば、


・・・。


洗い物、最小限で済みますよ?


・・・・・・・・ですね。









その日の昼食は、僚がペンネ・アラビアータを作り。
香がバジルのサラダと、玉葱とコーンのコンソメスープを作った。


夕食は、
僚が鯵の南蛮漬けを作り、香はカボチャのそぼろあんかけを作った。
味噌汁は相談の上、ワカメと油揚げに決めた。





2人は意外に、食べ物の好みで意気投合した。



(つづく)




⑧ 熱愛疑惑

ねぇ、香?あんた、いつの間に彼氏出来たの???




・・・・・・ふぇ?








その日のランチの途中の、絵梨子の唐突な質問に。
香の口元まで運ばれかけたオムライスが、皿の上に落下する。
香には絵梨子の言葉の意味が、全く理解できない。






どういう事?


どういうって・・・、ココ最近送り迎え付じゃない。みんな、知ってるわよ。


・・・・。





その洋食屋は、香が僚にチャットで教えて貰って、時々通うようになった店である。
勿論香は、マーロウが僚である事には全く気が付いてはいない。


朝と夕方、僚は香を赤いミニクーパーに乗せて送ってくれる。
会社まではむしろ、歩いても行けない距離では無く。
けれど、僚には別の思惑もあるようなので、香は別段拒む事も無く送り迎えに甘えている。
香が仕事をしている日中は、僚もストーカーの方の調べを進めているらしい。






・・・その事なんだけどね・・・、絵梨子。




どうやら香の全く予想だにしていなかった疑惑(恋人発覚)が、一人歩きをしているらしい。
これは可及的速やかに、事の真相を明らかにしておかないと。と、香にしては珍しく計算が働いた。
漸く香は、これまで数週間に亘るストーカー被害らしき事を絵梨子に打ち明けた。
そして僚はただの探偵で。
彼の事務所のビルには、急を要する依頼人などを一時的に匿っておく為に部屋を設けてある事。
すぐ近くなんだけど、用心の為に彼が送り迎えをしてくれている事を説明した。





どうして、相談してくれなかったの?


・・・まだ、ストーカーかどうか良く解らなかったし・・絵梨子に迷惑掛かるといけないからって思って。


ばかっっ、なに遠慮してんのよ!!・・・でも、怖かったでしょ?


うん、すっごく。それに、








・・・それに???


盗聴器がね・・・・・出て来たんだ。4個も。だから、私の思い過ごしでは無かったみたい。


っっ!!!  で?何か心当たりは無いの?







思わず前のめりになって、絵梨子が香に詰め寄る。
香は苦笑しながら、小さくフルフルと首を振る。





まぁ、でも。


ん?


何はともあれ、今現在は探偵サンに調べて貰ってるんだから、少しは心強いわね。


うん、ハッキリと解決するまで、1人で部屋に帰るのは怖いから。






だから、冴羽サンのとこに避難させて貰って感謝してるの、と言って香はオムライスを口に運んだ。
絵梨子も、神妙な面持ちで頷く。絵梨子はハヤシライスを食べている。






冴羽サンって言うんだ、あの人。


うん。


幾つ?


は?知らない。


どう?


何が?


ったく、疎いわね。良い男かって訊いてんじゃない。


????どうだろう。考えもしなかった・・・・







絵梨子は、小さく溜息を漏らす。
同期入社で親友の目の前の彼女は、誰もが振り返るレベルの別嬪だ。
スタイルなど、まるでモデル並みだ。
これまでの4年間、香と仲良しの絵梨子の元には。
香の情報を求めて、何かと社内の男達が寄って来る。
しかし当の香は、傍から見ている限り、色恋沙汰にはてんで興味が無いようで。
実際には、絵梨子の周りにやって来る彼らは、香目当てに他ならないのに。
香は真剣に、絵梨子はモテるから。と思い込んでいる節がある。

けれど槇村香が密かに、深夜のチャット仲間の事を“いいな”と思っている事は誰も知らない。














香の職場は、定時が17:00だ。
後、3分。
香は少し離れた壁に掛けてある、まるで学校の教室にあるのと同じようなシンプルな時計を、
先程から、チラチラと見ている。
今日はもう何も起こらなければ、このまま定時で帰れそうだ。
会社の裏口の方の一方通行の狭い路地には、もうきっとあの赤くて小さな車が停まっているだろう。
香の口角が自然と持ち上がっている事に、誰一人気が付く者はいない。












17:12


地味な制服からカジュアルな私服に着替えた香が、小走りでやって来る。
僚は遠目から、やっぱ超カワイイ、と再認識する。
今まで。
依頼人にこれ程まで心を奪われた事は、無かったかもしれない。
確かに、依頼人が美人じゃないと僚のモチベーションは上がらないけれど。
それはお仕事の合間の、目の保養だったりするワケで。
毎回毎回、口説いていたらキリが無いし。
実際。
これ程までに、僚の理想に適った相手はこれまで残念ながらお目に掛かった事は無かった。


それに何より初対面から、彼女とは初めて会った気がしなかった。









ごめんなさい、冴羽さん。お待たせして。


大丈夫、全然待ってないし。






本当は僚は、16:30からココにいる。
少しだけ、格好付けてみた。
香がシートベルトを着けたのを確認して、僚がゆっくりとクーパーを発進させた。
その様子を、

会社のビルの2階の窓から中村が見ていた事を、2人とも知らない。



(つづく)

⑨ 偶然も重なれば必然

今日は?何処か寄ってく?






夕方の渋滞に軽く嵌った車内で、僚が香に訊ねる。
スーパーには、前の日に寄ったので特に買い物をする必要は無かった。
けれど、1件だけ。
香には、立ち寄りたい所があった。









あの、3丁目のTUTAYAに寄って貰っても良いですか?





そこは、会社と新宿駅の中間地点に有って。
香はDVDをレンタルする時、その店舗を利用している。
自宅近くの店舗でも、一応は会員登録をしているけれど、
このラッシュの時間帯に、少しでも距離がある所に寄って貰うよりは。
帰り道の途中にあるそちらの方が良いかな、と思ったのだ。
それに正直少しだけ、自宅周辺に近付くのが怖いという事もある。






あぁ、アソコは確か駐車場無いから、一遍帰って歩いて行こうか?散歩がてら。





と言っても、冴羽アパートからは徒歩数分の距離である。
もうそうなると、会社の送り迎えとは何ら関係は無く。
ただ単に2人で、レンタルビデオ屋へ行くというだけの事になる。
もはや、探偵と依頼人というビジネスライクな間柄を超越して、
何故だか2人は、普通に日常生活を淡々と送っている。













ここ、会員登録してるの?


えぇ、会社帰りに便利なんで。帰り道に必ず前を通るから、返却忘れないでしょ?





そう言って、店内を目的のDVDを目指しながら、香がニッコリと微笑んだ。
冴羽さんもお近くだし、ココ来られるんでしょ?と、訊ねた香に僚は、若干、曖昧に頷いた。
僚も勿論、ココには来た事はあるけれど。
僚の行きつけは専ら、
歌舞伎町のど真ん中で情報屋を兼ねたオッサンが営む個人経営の、
エロ専門セル専門の如何わしいビデオ屋だ。
僚が密かに苦笑した事に、香は気が付いてはいない。









あ、あった。






香がそう言って手にしたのは、
可愛らしいショートカットの女の子の写真の描かれた、水色のジャケット。
『地下鉄のザジ』
50年以上前のフランスのコメディ映画。
可愛くて何処か懐かしくてスタイリッシュで、甘い。
まるで僚には不似合いだけど。
それは、僚の大好きな映画だった。









 何か最近、モヤモヤする事が多くて。楽しい気分になれる映画が観たいんです。

 う~ん、じゃあ、俺のおすすめ。

 なんて映画ですか?

 『地下鉄のザジ』フランスの古い映画なんだけど、妙に好きで。

 今度、借りてみます。









もしかして。
まさか。
否だって、そんな都合のイイ話しがある訳ないだろ???
でもタイミング的には、恐ろしいまでに一致してるし・・・


僚が思わず脳内で、アレコレと考察する。
固まって眉間に皺を寄せる僚に、香が訝しげに顔を覗き込む。










あ、あの。冴羽さん???どうかなさいました?


ん?あ、いや、ゴメン。ちょっと、ボォッとしてた。


ごめんなさい、何か無理にお付き合いさせてしまって。


いやいやいや、別に全然そんなんじゃ無いから、ってかその映画好きなの?


ううん、今日初めて観るんです。お友達に薦められて。









香がそう言ってニッコリ微笑むと、カウンターの方へと進み始める。
僚もその後に続く。
もしも、彼女が“あの”彼女ならば。
これまでバラバラだった全ての感覚が、妙にしっくりと腑に落ちる。
初めて逢った気がしなかった事。
何処かで聞いた様な、会社の話し。
妙にウマが合う、食べ物の好み。



(・・・てか俺が、好きなんですけど。)


僚の心の声は、映画に対してなのか、香自身に対してなのか。
もしくは、両方か。
僚自身、このまるで映画のような偶然に、まるで夢を見ているような気持だった。


(つづく)

⑩ 彼女は依頼人

新宿3丁目のレンタルビデオ屋で、99・9%の確率で、
香が『くろねこさん』じゃないのかと、僚が思い始めてから3日。




事件が動いた。





香の部屋に仕掛けておいた隠しカメラに、ハッキリと犯人が映ったのだ。
新しく盗聴器を仕掛ける様子。
この数日、香が帰っていない事を既に察知しているのか、
ヤツは油断して、随分長い時間香の部屋で過ごしていた。
香の独り暮らしの1DKのアパートで、
ヤツはベッドに顔を埋め、クローゼットの中を物色し、1人悦に入っていた。

僚は正直その映像を、香にありのまま見せるべきかどうか激しく悩んだ。
それは男の僚から見ても、異様な光景で。
香にとって、ショックが大きいだろう事は明白だった。

この数日。
2人はまるで、友達のように、恋人のように、淡々と過ごしていた。
お互いに、23:00を過ぎるといつものチャットルームで落ち合った。
昼間の僚は、香の身辺を調査しながら、絶対に彼女を守ると思い続けた。
たとえそれが、ただのクライアントと探偵という間柄だったとしても。



犯人からの直接的な危害から香を守る事は、自分のビルに匿う事や送り迎えをする事で果たせても。



この様な、経過報告をする事で。
香の心に傷を残す事からは、どうしても守る事は出来ない。
それは僚に課せられた義務で、依頼人である限り香は現実を知る必要がある。
僚がこれまで似たような依頼に携わって、こんな気持ちになったのは初めてだった。

依頼が終われば、彼女とは何の接点も無い他人同士だ。
香は普通のOLで、僚はしがない探偵だ。

けれどもしも・・・
彼女があのくろねこさんならば。
全く違った世界でもう1度、出逢う事が出来るだろうか。













お昼休みを終えて1~2時間は、マッタリとした空気がオフィスを支配する。


香は気分を変える為に、
デスクの上の文房具と一緒に置かれた、小さなプラスチックのケースを摘む。
カシャカシャと小さな音を立てて、香の掌に、ミント味のタブレットが2~3粒こぼれる。
向かいの席の絵梨子が無言で掌を突き出したので、
香はクスッと笑って絵梨子の手の上にも数粒落とす。


香の携帯に、僚からメールが届いたのはその時だった。


僚に依頼をしてから、何度か連絡を取り合う必要があった。
その度に香は、会社内の人気の無い所に行って応答していた。
そんな事を他愛ない会話の中で、香から聞いた僚は。
何かあったら、メールするから。と、メールアドレスを交換したのだった。





バイブ機能と着信音はオフにしてある。
着信ランプだけが点滅して、メールの着信を伝える。
香は一瞬、少し離れた課長の席へと視線を寄越す。
生憎彼は、デスクの上のPC画面に集中している。
少しだけ書類ファイルの陰に隠すようにして、香は自分の携帯を操作する。





14:37

受信メール:1件

送信元:冴羽さん






槇村さん。
事件の方、進展アリです。
犯人の身元を特定しました。
証拠も押さえてあります。
今夜、報告いたします。
お仕事、お疲れ様です。








たったそれだけの文章に。
香は予想以上のショックを受けた。
犯人が見付かるという事は、今回の件が解決する。
解決するという事は、もう。





あの赤い車に乗って帰りにスーパーに寄ったり。
2人で分担して晩ご飯作る事も無いのか・・・




とそこまで考えて香は、ハッと我に返る。
なんでこんな事考えてるんだろうと、ブルンブルンと大きく頭を振る。
そんな香に絵梨子が、向かいの席から様子を窺う。
声を出さずに、口の形だけで


だ・い・じょ・う・ぶ・?


と訊ねると、香がコクンと頷く。
けれど、香が思っている以上に、香の頬は真っ赤だった。
勿論、解決してくれないと困るんだけど。
けれどそれ以上に。
香はこの時漸く気が付いた不思議な感情に、戸惑って困ってしまっていた。






香は無性に、マーロウさんと話しがしたかった。
WEBの向こう側から送られて来る言葉で、勇気づけて貰いたかった。
いずれにせよ。
あと数時間後には、答えが出る。




(つづく)


⑪ 事件の真相

ストーカー事件が解決して、3日後。



会社の中でも営業部の周りには、極力近寄らないようにしていた香は。
上得意の来客用のお茶受けを買いに行くように命じられて。
新宿駅に隣接する百貨店に、鈴の形を模したモナカ(客人の好物だ)を買いに行った帰りに。



駅前の交差点で、営業部の中村にバッタリ会った。
















午後のもっとも眠気の襲来する時間に、僚からのメールがあった日の夜。


香は僚から、今回の顛末を報告された。
香の身辺にまとわりついて、香を怯えさせていた犯人は。
香の会社が利用している宅配業者の、香の部署を担当するドライバーだった。
犯人の供述によれば。
どいつもこいつもお高くとまった一部上場企業の、こましゃくれたOLの中にあって。
香だけは。
分け隔てなく、笑顔を見せ、親切に応対してくれた。
それで彼にとって香は、最高の出逢いに導かれた唯一無二の女性だそうだ。
例え香が、彼の好意に基づいた行動に、心底恐怖していたとしても。










あ、・・・中村、先輩。


お疲れ様、槇村さん。





中村はニッコリと微笑んで香に、そこらでお茶でもどう?と声を掛けた。
香はモナカの入った上品な紙袋を掲げると、もうそろそろお客様がお見えになるので、と。
遠回しに断った。
じゃ、会社まで一緒してもイイ?と、問われて。
香もそれ以上、断る理由が思い浮かばなかった。







彼氏、居たんだね。


・・・え?


あ、いや、送り迎えして貰ってるの、たまたま見掛けたから。








他愛の無い世間話の合間に、中村がそう言った。

いや、居ない方が可笑しいよね?槇村さんほどの美人さんに・・・とか。
あ、前に俺が言った事、忘れて?とか。
ゴメンね、マジで・・・とか。

すぐ隣でそう言って恐縮する彼の声を遠くに聞きながら、香は僚の事を思い出していた。




当たり前だけど。
事件が解決してから香は、僚所有のあのビルから自宅アパートへと帰宅した。
犯人を特定してからの僚の行動は、迅速だった。
何しろ、犯人が香の部屋へと侵入する事を見越していた僚は、
あらゆる証拠を掴む為の、あらゆる仕掛けを、香の部屋に施していた。
僚の知り合いだという、妙にお色気ムンムンの美人刑事に全てを託して。
今の所犯人は、拘留されている。
恐らく、順当に進めば。
犯人には、香への接近禁止命令が下されるのが妥当だろう。




『また、いつでも相談に乗るから。命令が下っても、アイツが君の事、諦めるとは限らないし。』



そう言って笑った僚の顔が、香の頭に焼き付いて離れない。
今では毎晩の日課になった、“マーロウさん”とのお喋りに。
香は自分でも無意識に。
マーロウ氏と、僚の面影を重ねている。








あ、あの。ワタシの方こそ、長い事お返事もしないまま・・・ごめんなさい。


あぁ、いいのいいの。俺が返事要らないって言ったんだし。謝らないで?









香は、中村が僚と香の関係を誤解したままである事を、敢えて訂正はしないでおいた。
漸くこの時、気が付いたのだ。
毎日の送り迎えの。
ボディーガードとは別の、僚のもう1つの“意図”に。
香は会社内での、中村との事を僚には話した。
きっと僚は機転を利かせて、ワザと架空の恋人役を買って出てくれたのだろう。
あんな風に、あからさまに毎日送り迎えをすれば、否応なく噂が広がるものだ。


傍に居てくれた時には、僚の優しさに気が付かなかった。
どれだけあの数日で、心強くいられたのかという事に。
僚と一緒に食事をしたり、他愛も無い会話を交わしたり。
気が付くと。


いつの間にか、彼の事が好きになってしまっていたのかもしれないという事に。














 ・・・マーロウさんは。

 なぁに?

 これまで、・・・失ってみて初めて気が付いた事とかありますか???

 ありますよ、沢山。

 そういう時、どうしましたか?今まで。

 ・・・今までは。
 諦めた事も、沢山ありました。


 諦め・・・。

 はい(苦笑)・・・ケド。

 けど??

 これからは、納得がいくまでは諦めないつもりなんです。

 そうなんですね。それじゃあ私も、マーロウさんを見習って後悔しないように生きてみます(笑)

 ええ、女は度胸ですょ。男も度胸ですケド(´∀`;)

 ふふふ、じゃあマーロウさんの度胸が、報われますようにお祈りしてます。







それまで続いていた会話のラリーが、ふと途切れる。
香は沈黙の中に身を置いて。
具体的にはどうすれば、後悔の無いように生きられるのか真剣に考えていた。
今、香の心の中で。
もっとも大きな心残りが、何なのか。
誰にどんな思いを伝えれば、幸せに辿り着けるのか。








 ・・・くろねこさん?

 何ですか?

 実は、アナタに色々と打ち明けたいお話しがあるんです。

 え? 
 
 俺は毎日、午後15:00頃には。

 ・・・??

 新宿の喫茶・キャッツ・アイというお店に居ますから。

 っっ!!

 もしも、くろねこさんのお時間のご都合が合えば、1度逢って戴けませんでしょうか?

 あ、あの、

 はい?何ですか?

 ・・・いえ、何でもありません。ど、土曜日でも??

 俺は生憎、曜日にはあまり関係の無い仕事をしてるから。毎日、居ます。






喫茶・キャッツ・アイ。
それは香の世界と僚の世界を繋げる、不可思議な扉のような空間だった。
そして、僚に出逢う以前から、ずっと心の何処かで惹かれていたマーロウ氏も。
この世界の入り口に縁のある人だったようだ。


生憎、明日は土曜日で。
15:00の香には、何の予定も無い。
別に、明らかな約束を交わしたワケでも無い。
けれど、柔らかなパスは。
香に向けられた。
それをゴールへと導くのか、スルーするのか。
それは、香の心1つで。





心1つで、きっと未来は幾通りにも変化し得るのだ。



(つづく)



最終話 改めましての2人

土曜日、午前11時。










僚は異常な喉の渇きで、目が覚めた。
前日の晩、いつものチャットで“くろねこさん”に、とうとう1歩踏み込む覚悟を決めた。
・・・・つもりだったけれど。
チャットを終えてすぐに、激しく後悔もした。


“くろねこさん”が、つい先日までの依頼人の槇村香であるだろう事は。
僚の中では、ほぼ確信には近いのだけれど。
でも決して、100%では無いのだ。
極めて希少な偶然の集積で、たまたまデジャヴを感じていただけだとしたら。
“くろねこさん”は、全くの別人だとしたら。
それはそれで、厄介な事になる。



僚が惚れた女は、あくまで槇村香であって。



彼女の事を全て知っておきたいが故に、己が“マーロウ”だと打ち明ける事に決めたのだ。
僚の最終目標は。
どうにかして、彼女の恋人になる事。
これから先、今回のような事に彼女が巻き込まれる事の無いように、自分が守る事。
だから僚は、“くろねこさん”が槇村香でありますようにと心から願った。

そして、それ以前に。
あんな誘い方で、果たして彼女が自分と向き合ってくれるかどうかも。
全ては、運を天に任せるしかなかった。



そんな事を考えれば考える程、僚にはどうにも我慢が効かなくなって。
昨夜はチャットを終えた後、深酒をした。
どうりで喉も渇くはずである。
















土曜日、午後1時。








香は午前中、久し振りに布団を干した。
僚の所から自宅に戻ってから、初めての週末。
天気予報は快晴。


香の留守中、ストーカーが顔を埋めていたシーツは捨てた。
そこそこ、気に入って使っていたモノだったけど。
思い切って捨ててしまった。
本当言うと、布団すら捨ててしまいたい気持ちだったけれど。
流石にそれは、思い止まった。



昨夜、いつものチャットは。
思いも寄らぬ展開を見せた。
予想外の、マーロウ氏からのオフ会のお誘いである。



香は今朝から、何をしていても何だか何処か落ち着かない。
『喫茶・キャッツアイ』には。
僚と何度か訪れた。
初めて彼に逢ったのも、あの不思議な喫茶店だった。






出逢いの初めから。
彼とマーロウには、色々と似ている所があると感じていた。
何がとは、具体的には思い出せないけれど。
僚の言葉の端々に、マーロウの言葉の断片を感じた。
自分でも無意識に、マーロウには僚の面影を。僚にはマーロウの面影を。
自分勝手に重ねていた。


だから。
マーロウの言葉に、喫茶・キャッツアイの名が出た時。
まさかそんな都合のイイ事と思いながらも、何処か心の片隅でそれを望んでいた。
前からちょっと気になる“マーロウさん”と、さり気ない優しさで接してくれた“冴羽さん”が。
同一人物ならば、多分。



自分は間違いなく、恋に落ちるんじゃないだろうかと。


香は快晴の雲一つない空を見上げて、大きく1つ溜息を吐いた。
3時間ほど干した布団を、ベランダに出て取り込む。
それは少しだけ懐かしい、太陽の匂いがした。



(・・・15:00か。どうしよう・・・)















午後2時30分。







僚はクローゼットの前で、腕組みをして何やら考え込んでいた。
“彼女”が来てくれるとは限らない。
明確な約束があるワケじゃ無し。
それでも、もしも来てくれるとしたら。
せめて少しは身だしなみという物にも、気を配った方が良いのではないだろうかと。
僚は、麻の白い長袖のシャツを手に取った。




行くにしろ、行かないにしろ。
マーロウ氏がいる時間帯まで、もうそろそろだ。
香の自宅から、新宿にある喫茶・キャッツアイまで。
徒歩と電車で、約15分。
お化粧をして出発して、ちょうど良い頃合いだ。
彼は、いつでもそこに居ると言った。
何も今日でなくとも、構わないかもしれない。
もしも、万が一。
“マーロウさん”が、“冴羽さん”では無い全くの別人だったとしても。
それを確かめる事が出来るのは、他でも無い自分自身なのだ。
香は意を決したように、小さく頷くと。
ドレッサーに腰掛けた。












午後3時。













ガラスの向こう側からやって来たのは。
入り口に背を向けて、カウンターに座っていたのは。

ザックリとしたカーキ色のサマーニットに、くすんだ赤のスキニーパンツを穿いた。
チノパンに、白い麻のシャツを羽織った。

彼女





マーロウは彼で、くろねこは彼女だった。
WEBの波間で。
広い世界の片隅で。
都会の不思議な空間で。





「やっと、逢えたね。」
「うん。」



この世の中に沢山いる男と女の中から、たった1つの組み合わせ。
砂漠の砂の中に埋もれたダイアモンドを見付けるように。
広大な海の中の1粒の真珠を見付けるように。

2人は改めて、出逢った。



(おしまい)









大変長らく、お待たせいたしました~~~~~

30000Hits企画・第5弾。

1chan様より戴きましたリクエスト、漸く完結致しました(´∀`;)ゞ

リクエスト詳細は、以下の通りですっっ。



① パラレル(リョウちゃん:探偵/カオリン:OL)
② リョウちゃんは、SNSを利用して情報を拾っている。
  カオリンは、新宿に勤めるOLで美味しいランチ情報を探している。
③ 実はカオリンは、ストーカーに狙われている。
④ ネット上で知り合って、依頼人と探偵という関係になって、次第に惹かれあっていく2人のお話し。



という感じです。
1chan様っっ、こんな感じになっちゃいましたぁぁ
お気に召して戴けたら嬉しいデッス。    
                         ケシ