※基本スペック※必読※

このお話しは、パラレルです。
夫婦探偵シリーズの2人が、夫婦になる前のお話しです。
高校生(その前から)のカオリンを、リョウちゃんが大人げなく洗脳して、
夫婦になるまでのお話しです。


パラレル、全然OKな方だけ『第1話 初恋の彼』にお越し下さいませ。





リョウちゃん(29歳)・・・新宿の種馬。探偵(独身)。槇村兄妹とは、幼馴染み。
              カオリンが幼少の頃より、嫁として娶る事を勝手に決意。
              決して、ロリコンのつもりは無いが、
              シスコンの秀幸からは、ロリコンの認定を受ける。
              

カオリン  (17歳)・・・高校3年生。3月生まれなので、18歳になるのは卒業式の後。
              小さい頃は、僚はただの兄貴のお友達のお兄ちゃんだったが、
              思春期を迎え、僚の努力の甲斐もあり、晴れて初恋の人になる。
              自覚は無いが、極度のブラコン。


秀幸    (29歳)・・・香の兄、僚の親友。警察官。自他共に認める、極度のシスコン。
              母親は香が物心つく前に他界、
              父親は香が中学に上がった年に殉職。
              その頃には既に秀幸も警察官だった為、兄であり槇村家の大黒柱でもある。


ミック   (29歳)・・・僚と秀幸の高校時代からの親友。フリーのジャーナリスト。
              僚とは双璧を成す、プレイボーイ。無駄に男前。
              香の事も、4歳の頃から知っている。
              最近すっかり超絶別嬪に育ったとはいえ、
              さすがに高校生はまずいだろと思いながら、密かに僚を観察している。
              とは言え、香を見て可愛いなあとは考える、完全なる色魔。


伊集院隼人&美樹・・・僚のビルのすぐ近くにある喫茶店キャッツ・アイを営む夫婦。
              僚は暇な時、大抵ココに入り浸っている。
              僚と香の恋愛を、陰ながら応援している。


じいちゃん(教授) ・・・僚の祖父。香の事を、孫である僚以上に溺愛する爺さん。
              なにやら凄い人らしいが、その片鱗は無し。






伊集院夫妻や、じいちゃんは出演の機会があるかどうか今の所未定ですが、
どっかでブッ込んでいけたら良いなぁと、目論んでおりまっす。

夫婦の“リョウたん&カオリン”の恋人時代です。

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第1話 初恋の彼

「香ぃ~~、またお迎えに来てるわよ。香の か・れ・し

今週の教室の掃除当番である香が、教室の床を掃いていると、
そう言って親友の絵梨子が教室へ駆け込んで来た。
先程ホームルームを終え、まばらとは言え、未だ数人のクラスメートは残っている。
めいめいが部活に行く前だったり、放課後の課外に行く前だったりするこの時間。


香も絵梨子も、この後の予定は無い者同士だ。
2人とも、進学は希望していないので、わざわざ課外など受けない。
帰宅部なので、部活にも出ない。
至って地味な高校生活も、もう残すところ1年を切った。高校3年生の4月半ばである。
部活にも、委員会にも、面倒臭い事には何ひとつ参加しない地味な彼女らだが、
彼女たち自身は、決して地味では無い。
香も絵梨子も、校内で知らぬ者はいないほどの、美人2人組だ。
特に香は、男女問わずモテまくっているが、本人にその自覚は無い。


絵梨子の言葉に、数名の男子が無表情に固まっている。
何処かで机の上から、派手に筆記用具を取り落す音が聞こえるが、2人は無関心だ。
そして当の香は、絵梨子の言葉にキョトンと首を傾げる。
「???かれし・・・???」
そんな香に、絵梨子は窓際で校門を指差す。
「ほら、あの人。こないだもお迎えに来てたじゃん?彼氏さんなんでしょ?」
後は部室に行くだけの数人の運動部男子が、話の続きを聞く為に、
無駄な時間稼ぎをしている事など、彼女たちは全く気付いていない。


絵梨子に釣られるように、香も窓際に近付く。
遠くに見える校門の傍に佇んでいるのは、薄らでかい大男、冴羽僚だ。
「あ、リョウたん。・・・ふふふ。違うよ、絵梨子。リョウたんは、彼氏じゃ無いんだよ。」
そう言って、香がニッコリ微笑む。
この無敵の微笑みが、一体何人の男子を参らせているのだろうと、絵梨子は思う。
「じゃあ、あの人は香の何なの?一体。」
そんな絵梨子の質問は、どストレートで、
時間稼ぎ男子たちは、心の中で絵梨子に賞賛の拍手を送る。
「・・・?何?・・・って、何だろう、解んないや。えへへ。」
そんな風に笑う香は、一見美少年にも見えるほど、涼やかな印象の爽やかショートヘア美人だ。
実際、下級生女子からの香のモテ方は、異常である。
時間稼ぎ男子たちは一転、答えの出ない一連の2人の遣り取りに、落胆の溜息を漏らす。
勿論、彼女たちの知った事では無い。










僚は、香の初恋の人だ。
それまでただの幼馴染みのお兄ちゃんだったケド、
中学生の時初めて僚を好きだと、香は自覚した。
でも、その時には僚はもう大人の男の人で。
とてもカッコイイし、きっと彼女さんぐらいいるに決まっていると、
香は最初からそう思っている。
僚と兄の秀幸は親友で、僚はしょっちゅう槇村家へ遊びに来るし、時には泊まってゆく。
だから香にとって僚は、初恋の人であり、兄貴みたいなモンである。


香が高校生になってから、秀幸は刑事になった。
それまでは比較的、時間に余裕のあった兄が一転、
超多忙になり、家に帰って来る時間はまちまちだ。
独身の働き盛りの刑事など、こき使われるのが当たり前で。
香も淋しいなんて言えない事は、百も承知だ。
傍から見ると槇村兄妹は、異常なまでの仲良し兄妹なのだ。
特に兄の妹に対する溺愛振りは、時に周りがドン引く程である。


しかし兄妹にとっては、子供の頃からのその距離感は当たり前で、
香は初めの内は、兄のいない夕食のテーブルが淋しくて辛かった。
そんな香の傍に居てくれるのは、いつだって僚だった。
僚は秀幸の次に、香の事なら何でも知っている。
香が淋しがっている事も、そしてそれを決して表には出さない健気な所も。
そして何より、僚はいつだって暇だし、香は僚にとって将来の嫁なのだ。
僚以外、誰も知らない事だが。


今現在、秀幸は大きなヤマを抱えていて、家に戻るのはせいぜい2~3日に一度だ。
だから僚は最近、堂々と香を誘っては夜の街に連れ出している。
勿論、いつもの僚のテリトリーのような、如何わしい場所では無い。
至って健全なデートである。
食事に連れて行ったり、映画を見たりだ。
傍から見れば、単なる兄妹か援交にしか見えないデートだが、僚は虎視眈々と狙っている。
香をモノにする日を。


普段、槇村兄妹は外食などしないので、香には全く縁の無いようなイタリア料理屋に、
僚は制服姿の香を連れて行った。
食事をしている間ずっと、香はその味に感動し、家で兄に作ってやるんだと微笑んでいた。
それはいつもの事だ。
兄妹、仲が良過ぎるのだ。
そこに有るのは純粋な家族愛だと、僚も重々理解はしているが、
この様な香を見るにつけ、僚は心の底から親友に嫉妬する。
しかしその一方で、親友に対して優越感も覚える。
何しろ兄貴では、どんなに愛していても結婚は出来ないのだ、永久に。
兄貴のような信頼を得、その実、恋人にも夫にもなれる自分のポジションが、
実は最も美味しいのではないかと、僚は密かに思っている。
今はまだ香の様子を見ながら、少しづつ手なづけている段階だ。
僚の最終目標は、香を娶る事だ。それ以外、僚の望む事など無い。





食事を終えて、僚は香を家まで送る。
住宅街の中の公園を2人で歩いている時だった。
もう槇村家は、目と鼻の先だ。
香は学校での他愛ない出来事を話して聞かせていた。
僚はそんな香の言葉を、一言一句漏らすまいと、相槌を打ちながら必死に聴いている。
男子高校生になど、負ける気などしないが、万一香に手を出す輩がいては大変だからだ。
何事にも、リサーチは大切だ。
「・・・でね、絵梨子ったらね、リョウたんの事“かれし”だなんて言うんだよ?」
香はそう言って、可笑しそうに笑った。
香にとっては、きっと自分は兄貴のようなもんなんだろうと、僚は少し遺憾に思う。
しかし思うだけでは終わらないのが、冴羽僚である。


僚はいきなり、香の華奢な手頸を掴むと、自分の胸に抱き寄せてキスをした。


香の手から、重たい学校指定の通学用バッグが落ちる。
子供の頃から何度も、兄や僚と遊んだこの公園で、香は突然僚にキスされた。
その事を理解するまでに、少しだけ時間が掛かった。
触れるだけのキスを終えても、僚は香を抱き締めている。
辺りはすっかり真っ暗で、公園の隅にある街灯だけが2人を照らしている。
香は何だか妙に照れ臭かった。
キスをした事もだけれど、僚の腕の中に囲まれている事が。


「あ、あああの。・・・リョウたん?」
「ん?」
「・・・・ど、どうしたの?急に・・・」
「・・・嫌か?」
僚は優しい目をして香に問う。
香は思わず、フルフルと首を振った。
嫌なワケでは無い。僚は大好きな、初恋の人で、今現在も片思いの人なのだから。
僚はフッと笑うと、噛んで含めるように香に言った。


俺は・お前の・彼氏だから。


「・・・ふぇ?」
香はまさに狐に摘まれたかのように、ポカンとしている。
僚はそんな可愛い女に苦笑する。
もう一度、柔らかそうなホッペに軽くキスをすると、OK?と訊ねる。
香は見る見るうちに真っ赤になるものの、小さくコクンと頷いた。
そんな香に、僚はますます笑みを深くすると、
今度は触れるだけじゃない、舌を絡めるようなキスをした。


すっかり息が上がって、グッタリした香を抱っこして僚はブランコに腰を下ろす。
香を膝の上に乗せて、香の躰を己の胸に凭せ掛ける。
少しだけブランコを揺らしながら、香の髪を優しく撫でる。
暫く2人とも言葉も無く、ボンヤリする。
香の呼吸が整った頃、ポツリと呟く。
「・・・知らなかった。リョウたんが彼氏だったなんて。」
「・・・そうか?」
「・・・うん。」
「じゃあ、今日1つ勉強になったな。」
そう言って僚が、ニヤリと笑う。





それが2人のファースト・キスだった。
槇村香はまだ知らない。
近い将来、この男が己の生涯の伴侶となる事を。



(つづく)


第2話 リョウたんの彼女

「で?香はどう思ってんの?その、リョウたんさんの事。」

お弁当箱の中の薄焼き卵を纏ったチキンライス(完全なるピカチュウの形である。)を、
惜しげも無くフォークで崩しながら、絵梨子は香にそう訊ねた。
香は絵梨子の質問の内容よりも、絵梨子のお弁当箱に釘付けになる。
(あ、ピカチュウ・・・・)
絵梨子のママが作るお弁当は、毎日完璧なキャラ弁だ。
香は毎日それを見て感嘆の声を上げるが、当の絵梨子は子供っぽい、と言って眉を顰める。
香の作るお弁当の方が、よっぽど美味しそうだという。
確かに香の作る弁当は、何日かに一度、朝一緒に家を出る兄の分の弁当も一緒に作っており、
まさか捜査一課の刑事の弁当がキャラ弁というワケにもいかないので、至って普通の弁当だ。


2人は中庭の芝生の上で、脚を投げ出して弁当を食べている。
梅雨の少し手前の、気持ちのイイ春の日差しが2人に降り注ぐ。
2人は恋バナをする時には、お弁当はココと決めている。
教室で食べる時には、いつも不定期で5~6人の女子で輪になって食べるので、
聞かれたくない女友達も中には居るのだ。
まるでスピーカーみたいに、お喋りなヤツとか。
今日の議題は、香と例の“リョウたん”という彼についての筈だが、
当の香は、何やらポケッと他人事だ。


「ちょっと、香?聞いてんの?」
「ん?何が?」
ブロッコリーを頬張りながら、キョトンと首を傾げる親友に、絵梨子は溜息を漏らす。
「どうしたの?溜息なんか吐いて。何か、悩んでんの?」
そんな事を言う香は、先程の絵梨子の質問など聞いちゃいないのだった。
「私は何にも悩んでないわよ。悩んでんのは、香の方でしょ?」
「ほぇ?」
「愛しのリ・ョ・ウ・た・ん
絵梨子がニヤリと笑って香の耳元で囁くと、香は途端真っ赤になる。


数日前、香は家の近所の公園で、僚にキスされた。
そして、僚は香の彼氏なんだという事実を知らされた。
そんな一方的な通達は、香にとってはまさに青天の霹靂で。
この数日は1人悶々と、その僚の言葉の意味について考え続けた香だが、
結果、絵梨子に相談しようという、何の解決にもならない答えを導き出した。
そして、この日の午前中の授業4コマを最大限に使っての手紙のやり取りによって、
数日前、香の身に起きた重大事件(彼女たちにとって、ファースト・キスは事件だ。)は、
絵梨子にも知らされる事となる。
因みに、絵梨子と香の席は隣同士なので、手紙のやり取りが教師にばれる事はまず無い。


「・・・い、愛しのって・・・」
香は真っ赤になって、遠い目をしている。
「で?どう思ってんの?香自身は。」
香の極度の奥手っぷりには、絵梨子は慣れている。
香の動揺など軽く無視して話しを進める。そうじゃ無いと、昼休みだけでは時間が足りないのだ。
「どどどどうって???」
あまりの香のドモリ方に、絵梨子は思わず苦笑する。
「だからぁ、そのリョウたんさんの事。好きなの?どうなの?」
香はいきなり素に戻って、絵梨子、リョウたんにサン付けはヘンだよと、ヘラヘラ笑う。
絵梨子はそんな親友の頭を軽くはたいて、そんな事はどうでもイイからと先を促す。


「どっちなのよ?」
「な、何か絵梨子怖いよ?・・・・好き。」
眉間にシワを寄せた親友のあまりの剣幕に、香は漸く質問に答える。

いつから?

ん~~~、解んない。生まれた時からずっと知ってるし。お兄ちゃん的な意味ならずっと昔から。でも。

でも?

恋って意味なら、・・・中学ん時から。あ、でも、リョウたんは大人だし。
私の事なんか、ただの妹だと思ってんじゃないかと思ってたんだけど・・・何か違ったらしくて・・・

いくつ?

へ?誰が?

そのリョウたんに決まってんじゃん。

29。

大人だね。

うん、大人。

彼女とか、居るんじゃない?

・・・・

香?

そこ、一番気にしてんの(鬱)

よし。訊いてみよう。

は?

香、携帯出して。

え?

いいから、携帯。

今?

そう、今。

ええぇぇぇ~~~、今?







有無を言わせぬ親友の剣幕に慄いて、香は今携帯電話の呼び出し音を聞いている。
相手は勿論、私立探偵の冴羽僚である。
5回目のコールで、僚は出た。
「もしもし、どうした?カオリン。学校じゃないの?」
学校の中で僚の声を聞くのは初めてで、何故だか香はものすごくドキドキした。
「うん。学校。」
「なに?何かあったか?」
「ううん、別に何も無いケド。」
香がそう言った瞬間、絵梨子が隣で香の肩を小突く。
肝心な事を訊けとの、無言の圧力である。


「何だよ、カオリン。何にも無いのに、リョウたんの声聞きたかったんだ?かぁいい♪」
香が電話を寄越した経緯など知る由も無い僚は、電話の向こうで脳天気な事を言っている。
「あああぁのさぁ、リョウたん。」
「ん~~、マジでどうした???カオリン?」
「ちょ、ちょっとね。リョウたんに訊きたい事があって・・・」
「・・・何?」
「・・・・ん~~と。リ、リョウたんって、彼女さんとかいるの?かなぁ・・・なんて。


香がわざわざ僚の携帯に電話して来る事など滅多に無いので、僚は内心何事かと心配していた。
そして一体何を訊かれるのかと、妙に緊張していたが。
何の事は無い。
カワイイ僚の未来の嫁は、何とも可愛い質問を引っ提げて、電話を寄越してきた。
思わず僚の顔に笑みが広がる。
この前の夜の、公園でのキスが脳裏に甦る。
「いるよ。」


え?

香は僚のそのひと言に、泣きそうになった。
あの夜、香は一晩中眠れなかった。
嬉しくて、ドキドキしていた。
でもやっぱり、リョウたんにとって自分は、妹だったんだ。
香の目の縁に、ジワリと涙が滲む。


「どんなヒト?」
「誰が?」
「リョウたんの、彼女さん。」
「・・・・・・かわいいよ。」
「そっか。」
「うん。てか、おまぁだけどね。」
「え?」


だからぁ、この前言わなかった?
俺がカオリンの彼氏なら、カオリンは俺の彼女じゃん?
違う?



「そ、そうなの?」
「そうじゃないの?」
「そうなんだ。」
「そうだよ。・・・OK?」
「は、はい。」
僚は何だか妙なやり取りに、クツクツと笑う。
「なぁ、カオリン。おまぁは、俺の彼女なんだから。いつでも、電話しろよ。待ってるから。」
・・・うん。ありがとう。じゃあ、また。
「あぁ、しょうもねぇ事ばっかしてないで、ちゃんと勉強しろ?」
「えへへ。じゃあね。」
「ああ。」




“彼氏”との通話を終えた香を待ち受けていたのは、瞳をキラッキラさせた親友だった。
「何だって?やっぱ、居るって???」
そう言って身を乗り出す絵梨子に、香は苦笑しながら答える。

「・・・なんかね。」
「うんうん。」
「・・・私だって。」

ヤッタじゃぁぁ~~~ん!!!
そう言って親友は、香を抱き締めて、自分の事のように喜んでいる。
香はそれを見て、嬉しくなった。
さっき電話で言われた僚の言葉が、本当の事なのだと実感できた。



しかし、2人はまだ気が付いていない。
昼休みはとうに終わり、とっくに午後の授業が始まっている事に。





(つづく)




第3話 幼馴染みの夜

「ごめんな、香。今日はホントに早く帰れると思ったんだよ、お兄ちゃん。・・・すまない。」


お兄ちゃん、大丈夫だから。
ホントに、気にしてないから。
お仕事頑張ってね。気を付けてね。


「あぁ、なるべく早く帰るから。」


うん、待ってる。
もう切るよ?


「あぁ、後でな」


うん、じゃあ。







秀幸からそんな電話が掛かって来たのは、18:30を回った頃だった。
下校時間の16:30頃に、香の携帯に秀幸から電話があった。
今日は久々に、早く帰れそうだと。
久し振りに一緒に夕飯を食べようと。
だから香はとても嬉しくて、兄の好物ばかり沢山作った。
ちょうど兄の好きな鶏の唐揚げを揚げている時に、その電話が入ったのだ。
帰る間際に入った、緊急通報。
今夜は遅くなりそうだと、秀幸は言っていた。
香は思わず、ダイニングテーブルの上を見詰める。


もう殆ど、支度は出来ている。
粉をまぶした唐揚げを揚げてしまえば、後は食べるのを待つばかりだ。
けれど。
香1人じゃ食べきれない。
今日は金曜日で、明日は学校がお休みだし。
お弁当も作らない。この大量の料理をどうやって片付けようか。
「・・・・・・どうしよう。」
香は受話器を握ったまま、暫し呆然とする。
取敢えず、唐揚げ粉をまぶした鶏肉だけでも揚げてしまおうと、香は受話器を置いた。










香は槇村家の小さなリビングで、電気も点けずにボンヤリしている。
ご飯はすっかり完成しているけれど、全く食べる気になれない。
この小さいけれど、一応庭もある古ぼけた一軒家は、両親が2人に残してくれたモノだ。
香は3人掛けのベージュのソファに座り、色んな事を考える。
死んでしまったお父さんの事や、写真でしか知らないお母さんの事や、
まだ、刑事になる前に交番で働いていたお兄ちゃんの事。
夕方に1人で家族の帰りを待つのは、淋しい。
それでも、香には待つ事しか出来ない。
香との生活を守る為に、兄は大変な仕事を頑張ってくれている。
勿論、その為だけじゃないけれど。
でも、兄が頑張ってくれているお陰で、香はご飯が食べられるのだ。
淋しいは、禁句だ。


そんな事を考えながら、香はいつの間にか眠っていた。


ピンポ~ン
玄関のチャイムの音で、香は目を覚ました。
一体、今が何月何日の何時なのか、ヘンな時間にうたた寝をした香は良く解らないまま、
兄が帰って来たと思って、玄関に向かった。











僚が槇村家の玄関のチャイムを鳴らして待っていると、暫くしてドアが開いた。
開いたと同時に僚の胸に飛び込んで来たのは、将来の僚の嫁。
香だ。

お兄ちゃん!!

そう言うなり、突進してくる香。
どうやら、人違いらしい。
僚は苦笑する。


「・・・カオリン、俺だ。」
その声に、香はハッと我に返る。
「あ、リョウたん。」
どうやら、少し寝惚けているらしい。
寝グセの付いた、柔らかいクセ毛。
少しだけ舌足らずな、鼻声。
そして。
頬についた涙の跡。
玄関から先は、電気が点いている気配も無く真っ暗だ。
僚は後ろ手に玄関のドアを閉めると、鍵を掛ける。


真っ暗な玄関先で、香の細い身体を抱き締める。
「寝てたの?」
香の背中を優しく撫でながら、僚が訊ねる。
香はコクンと頷く。
「槇ちゃんは?まだ、帰ってねぇの?」
「・・・うん。遅くなるって。」
香は心なしか涙声だ。
「それで?淋しくて泣いてたのか?」
そう言いながら、僚は香の涙の跡の付いた柔らかな頬にそっと口付る。
「・・・泣いてないもん。」
香はそう言いながらも、大きな瞳に見る見るうちに涙を溜める。
僚はニッコリ微笑むと、優しく口付る。
香の目からは涙が溢れて、キスは少しだけ涙の味がした。




お兄ちゃんが早く帰ってくると思ってね。

うん。

ご飯作り過ぎちゃって。

うん。

どうしていいか、解らなくなっちゃったの。

・・・・・・・カオリン。

ん?

俺、この前言わなかったっけ?

何を?

いつでも電話しろって。

あ。

淋しいよ~って泣く前に、俺に電話しろ。

////うん。

槇ちゃんはさぁ、オマーリサンだから、皆の正義の味方だけど。
俺はカオリン専用の正義の味方だから、電話1本で駆けつけるぜ?槇村家に。





そんな事を言っておどける僚に、香は漸く笑った。
「で?今日の晩ご飯のメニューは何?」
「ん~~と、鶏の唐揚げと、肉じゃがと、ツナサラダと、出汁巻き卵と、つみれ汁と・・・・」
「って、何人分?カオリン。」
「だから、作り過ぎたの。・・・食べてくれる?リョウたん?」
僚は満面の笑みで答える。
「喜んで。」










22:00を回ろうかという頃、秀幸が帰って来た。
リビングからは、賑やかなテレビの音と、妹と親友の笑い声。
秀幸がリビングに顔を出すと、香は満面の笑みでおかえりなさいと言った。
僚も、おかえり~~槇ちゃん、と言いながら、秀幸のカップでコーヒーを飲んでいる。


「来てたのか?」
「ああ。」
「何しに?」
「あ?飯食いに。」
「何でだよ。」
嬉しそうにキッチンで、料理を温め直す香に聞こえぬように、
兄達2人は、小声でぼそぼそと言い合う。
「食ったら、サッサと帰れよ。」
「何で?」
「・・・・こんな夜遅くに。香と2人きりなんて不謹慎だ。」
そう言って、苦々しい顔をしている秀幸をヨソに、僚は飄々としている。
「出たよ、シスコン発言。」
「僚、オマエなぁ・・・」
お兄ちゃあん、ご飯出来たよ~~~
何やらまだ言いたげな秀幸だったけど、香の声で兄達はいそいそとキッチンへ移動する。






「・・・・で?オマエ、もう食べたんじゃないのか???」
遅い夕食にありつきながら、秀幸が向かいに座った親友に至極真っ当な質問をする。
その質問に僚が答える前に、香が別の質問を被せる。
「リョウたん、ビール飲む?」
「おぅ、飲む。」
僚の前には、先程大量に揚げた唐揚げが置かれる。
秀幸の質問は、あっさりスルーである。
「お兄ちゃんは?どうする?」
そう言って、小首を傾げる可愛い妹に、秀幸はニッコリ笑うと、
「じゃあ、お兄ちゃんも飲もうかな。」
と答える。
「りょーかい。」
香はそう言って、冷蔵庫から冷えた缶ビールを2本取り出すと、テーブルの上に置いた。
お風呂沸かしてくるね。
香はそう言うと、キッチンから出て行った。



2人きりになると、再び先程からの親友同士の会話が始まる。
「それで?今日は何の用だ?」
「なに?槇ちゃん。そんなに自分の留守中に俺が来てたのが気に入らないワケ?」
「当たり前だ。オマエみたいな野獣が、香と2人きりなんて黙認できるか。」
「ひでぇ言われ様だな。今日あたり、槇ちゃんも事件一段落して、家に居るかなぁと思って来ただけじゃん。そしたら、カオリンが淋しいよ~~~って泣いてるしさぁ。」
「泣いてたのかっっ?!」
「あ?まぁ。多分な。頬っぺたに、涙の跡ついてた。」
「・・・そうか。」
「槇ちゃん、そんなしょげんなよ。仕方ないじゃん、仕事なんだし。」
「まぁ、それはそうなんだが・・・でも、香には悪い事した。」
「イイんじゃね?その分、俺が充分可愛がっといたから。」


僚のそんな言葉に、秀幸はあからさまにイヤな顔をする。
「・・・余計な事は、しなくてイイ。」
「何もしてねえし。」
キス以外は。
勿論、僚のその後半のひと言は、心の中で呟く。
ニヤニヤ笑う親友に、軽く溜息を吐きながら秀幸はじゃがいもを頬張る。
その時、廊下からペタペタという香のスリッパの足音が聞こえたので、
2人の会話も、自然と中断する。
兄達の攻防など知る由も無い香は、ニコニコしながら僚に問う。
「ねぇ、リョウたん。泊まってくでしょ?」
「おお。」
「じゃあ、客間にお布団敷いて来る。」
そう言うと、上機嫌の香は再び客間へと飛んで行った。


「・・・どういう事だ?」
「ま、まぁ。良いんじゃね?金曜日だし。」
たとえ世の中は週末、金曜の夜とは言え。
槇村秀幸に関しては、週末も日曜も祝日も関係無い。
片や冴羽僚に関しても、根無し草の自由業なので右に同じ。
今この家の中で、金曜の夜に自由になれる身分なのは、高校生の香だけである。
もっとも冴羽僚に関しては、週末は関係無いがむしろ毎日が日曜日みたいなモンである。
「オマエに、週末も平日も休日もあったなんて初耳だな。」
「うん。俺も初耳♪」
何を言われても飄々とした親友に、秀幸は半ば呆れている。


「でも。お兄ちゃん恋しさに、泣いてるなんて。カオリンもまだまだお子ちゃまだな。あの分じゃ、当分“彼氏”なんか出来んな。」
僚が楽し気な表情で呟く。
秀幸は口に含んだつみれ汁を、ブッと吹き出す。
ばっ、ばかっっ。かかか彼氏なんて、まぁだ早いっっ!!
真っ赤になってそう言う秀幸に、僚は呆れたように笑う。
「槇ちゃん、きょうび中学生でも色々やってるよ?カオリン、もう高3だぜ?」
「よよよよその子は、よその子だっっ。ウチは、不純異性交遊は断じて禁止だっっ。」
「ふ~~~ん、そんなもんかね。」
「そんなモンだっっ。一人っ子のオマエに、可愛い妹を持った兄の気持ちが解るかっっ。」
「・・・へいへい、さいですか。お兄様。」


僚は内心、不純異性交遊がダメなら、結婚前提のお付き合いは?と訊いてみたかったが、
まだまだ命は惜しいので、そんな言葉は呑み込んだ。
僚は時々、こうして秀幸の事を探っている。
香を手に入れるという事は即ち、もれなく兄貴も付いて来るという事だ。
香を手なづける事よりもむしろ、難関はコチラの方だ。
秀幸とは、物心ついた頃からの付合いだ。
一見温和そうに見えるこの男が、実は相当な手練れだという事は、
誰あろう幼馴染みの己が、一番良く知っている。
しかも、こと妹に関する事に、幼馴染みも親友もきっと関係無い。
手を出しているのがバレた暁には、きっと地獄を見るに違いない。
しかしそんな事で諦めていては、一生香を娶る事など出来ないので、
こうして少しづつ様子を見る作戦だ。
多分、香が高校生、否、未成年のうちは、この兄貴は要厳重警戒だ。
だからその前に、外堀をしっかり固める意味でも、香の方から攻めている訳である。
秀幸の唯一の弱点は、香である。香が白いモノを黒と言えば、頷く兄である。
一番の攻略法は、香を味方に付ける事なのだ。


「僚、もうこれ以上メシが不味くなる様な話しは、止めてくれないか?」
「相変わらず、シスコン振りがハンパねぇな、槇ちゃん。カオリンの将来が心配だわ。」
「大丈夫だ。オマエに心配されなくとも、香の将来は安泰だ。」
そう言って秀幸は、ニッコリ微笑む。
同じ兄妹でも、これ程までに笑顔の表す意味が異なる2人も珍しい。
秀幸のそれは、半分威嚇だ。
僚も仕方なく、はははと乾いた笑いを漏らす。








そこに客間で僚の布団を敷いていた香が戻って来た。
そんな2人の微妙な空気など、全く気が付かない香は僚の隣に座る。
「ねぇ、リョウたん。DVD借りに行こう?」
「お、良いぞ。何借りる?」
「怖いのと、エッチぃの以外。」
「いつ俺が、そんなん借りたよ?」
「いつもじゃん。」
楽し気な会話が弾む2人に、秀幸が咳払いをする。
「あ~~、香?もう、夜遅いから。止めた方がイイんじゃないかな?」
僚に対峙していた時とは、まるで別人の弱腰なお兄ちゃんである。
「えぇ~~良いでしょ?お兄ちゃん。明日はお休みだし。てか、お兄ちゃんも一緒に行こうよ♪」
そう言って甘える香に、秀幸は既にデレデレである。
「ん~~、お兄ちゃんは明日も朝早いからなぁ。あんまり、夜更かしするんじゃないよ?」
「はぁ~~い」
アッサリ、許可する兄である。
僚は、秀幸のそのあまりの豹変ぶりに、毎度の事ながら仰天する。
やはり僚にとって、敵は槇村秀幸、その人である。








翌日、早朝。
秀幸が起床してリビングを覗くと、ラグの上に最愛の妹と、破天荒な親友が雑魚寝していた。
テレビの画面は、とっくにその洋画を流し終え、盛大な砂嵐が吹いている。
2人ともスヤスヤと爆睡している。
そんな2人を見て、秀幸はクスリと笑う。
昔から、僚と香は妙にウマが合う。
まだホンの小さい頃、泣き出した香に、
秀幸が何をしても泣き止まないのに、
僚がアッサリと香を笑わせる事に、秀幸はいつも嫉妬した。
香は母親の顔を覚えていない。
僚もまた、赤ん坊の頃に事故で亡くした両親の事は覚えていない。
きっと2人には、誰にも解らない秀幸にさえ解らない、
特別な絆があるのではないかと、秀幸はいつも思っている。
秀幸は香の事が可愛くて仕方ないが、同時にロクでも無い親友の事をもまた、
出来の悪い弟のように思っている。






しかし、槇村秀幸はまだ知らない。
昨夜、24時間営業のレンタルビデオ店への行き帰り、仲良く手を繋いで歩く2人を。
ビデオ屋の出入り口付近に置かれたプリクラ機で、仲良く記念撮影した2人を。
家のすぐ傍の、例の公園で、またしてもキスした2人を。

そして近い将来、彼が義理の弟になる事を。





(つづく)





第4話 子供の頃の夢

「なぁ、香。お兄ちゃんはやっぱり、進学した方がイイんじゃないかと思うよ?」

とある昼下がり、一軒のカフェに一組の兄妹が向かい合っている。
薄いグレイの夏用のスーツを着て、汗を掻きながらホットコーヒーを飲む兄。
片や涼しげな白い半そでのブラウスに、グレイのプリーツスカートの夏服姿でコーラを飲む妹。
彼らはつい先ほど、高3夏休み直前の三者面談に臨んできたばかりだ。
香は端から、進学するつもりは無い。
では、かと言って、卒業後どうするのかという事は、まだ何も考えてはいない。
自分が何をやりたいのか。自分に何が出来るのか。
香にはまだ、良く解らない事だらけだ。
だからこそ秀幸は、進学してもう少し考えたらどうかと思っているのだが、
その理屈は、妹にはなかなか通じない。


「受験はしない。」
香は先程、担任教師の前で言った事をもう一度兄に言った。
「どうして?勉強、嫌か?」
秀幸は苦笑しながら問う。香は俯いて小さな声で、そんなんじゃないケド・・・と呟く。
「・・・じゃあ、どうして?」
秀幸は困ったような顔で訊ねる。実際、秀幸は困っている。
基本的には、素直なイイ子で、兄妹仲も良好で、あまり悩みも無い思春期を過ごしている妹は、
こと進路の件に関しては、頑として兄の意見に耳を傾けようとはしない。
どちらも折れない沈黙に、漸く香が重い口を開く。


「・・・どうしてもやりたいって事が見付からないから。」
香はそう言って、兄の目をジッと見詰める。
親友の絵梨子も、進学はしない。
絵梨子の父親は、アパレルメーカーを立ち上げたデザイナーだ。
父親に憧れている絵梨子は、高校を卒業したらすぐに父のアシスタントとして、
デザイナーを目指すらしい。
そんな風に何か目標が定まっていれば後は頑張るのみだけど、香には今の所、何も無い。
秀幸は優しく微笑む。
「だから、大学に行った方がイイんじゃないか?4年間通ってるうちに、目標が見付かるかもしれない。」
「・・・かもしれない。でしょ? もしも、見付からなかったら?」
「そしたら、その時にまた考えるさ。」
兄のそんな言葉に、香は顔を顰めると、そっぽを向いてポツリと呟く。
「そんな事の為に、何百万も掛かる学費なんか使えないよ。」


やっぱり、その事か。と、秀幸は溜息を吐く。
秀幸と香の為に、父は2人が幼い頃から学費の分として、かなりの額を積み立てて残してくれた。
父が亡くなった頃には、秀幸も既に警官として働いていたし、
香が大学へ進むぐらいの額は、充分ある。
それに父の分とは別に、秀幸は秀幸でこれまで蓄えてきた。それもこれも、全ては香の為に。
だから香の将来は秀幸にとって、決して“そんな事”では無いし、
勿論、香は進学するもんだとばかり思っていた。
確かにこれまで、香は折に触れて、進学はしないと言い続けていた。
けれど気持ちも変わるだろうと、秀幸は楽観的に考えていたのだ。
少しづつ周りの子にも影響されて、考えも変わるだろうと。しかし思いの外、香は頑なだ。


秀幸は眼鏡を外して、ハンカチでレンズを拭きながら、話しを続ける。
「その事はな。前にも話したように、気にしなくてイイんだ。父さんが生前、きちんとしてくれていたしな。心配要らないんだよ。」
香は聞いてはいるようだったが、俯いたままである。
秀幸は眼鏡を元通り掛け直すと、構わず続ける。
「なぁ、香の成績ならな、幾つも進める大学はあるじゃないか?お兄ちゃん、勿体無いと思うケドな。」
香は顔を上げると、妙にキッパリとした口調で言った。
「特にやりたい事も無いのに、どうしても行きたい大学じゃ無くて、行ける大学に行って、4年間ずっとその先の事を考えるの?それって、なんか変だと思う。」
それは、ある一面に於いては正論である。


「それじゃあ香は、学校に行く以外の、何か別の道は考えているのかい?」
秀幸とて、必ずしも大学へ行く事が全てだとは思っていない。
香が何かやりたい事があるのならば、それもイイと思っている。
香は困ったように、力なく首を振る。
それこそが、香の最大の悩みなのだ。
何をしたらいいのか、どういう選択肢があるのか、そもそもこの数ケ月で、
そんなに大事な事を、すぐに決めてしまわないといけないんだろうか。
「まぁ、いいさ。ゆっくり考えれば。お兄ちゃんが望むのは、最終的に香が一番イイと納得できる職に就く事だ。」
そう言って秀幸は、香の頭をクシャクシャと撫でた。


その日秀幸は、仕事を途中で抜けて来ただけなので、そのカフェを出て暫く香と歩いた。
この後、秀幸は署に戻り、香は家へと帰る。

ねぇ、お兄ちゃん。

ん?

お兄ちゃんは、どうして警察官になろうと思ったの?

どうして?か。

うん。

ん~~、改めて訊かれると難しいケド。・・・やっぱり、父さんの影響はあるだろうな。

ふぅ~~ん。

香は?小さい頃は、何になりたかった?

・・・小さい頃?

ああ。

ん~~~と。・・・・・・っあ!!

何だ?

お嫁さん。

・・・・・・・(冷汗)。






ココは一応訊いておくべきかどうか、秀幸は激しく悩んだ。
一体、誰のお嫁さんになりたかったのかという事を。
しかし、そんな秀幸の逡巡は、香の次の言葉によってアッサリと解明される。




私ね、お兄ちゃんのお嫁さんになりたかった。





「馬っ鹿だなぁ~~~ 香は。お兄ちゃんとは、結婚できないんだぞぉ。」
そう言った秀幸は、妙に嬉しそうである。
「知ってるよ、そんな事。お兄ちゃん、今日の晩ご飯カレーライスだから。バイバイ。」
「あぁ、気を付けて帰れよ。」
秀幸の機嫌がMAXに達した時に、香が思い出したかのように付け加える。

「あ、それと今日、リョウたんもご飯食べに来るから。じゃあね~~~」

香の背中に手を振りながら、秀幸は署に戻って急いで仕事を片付ける事を決意した。




(つづく)









第5話 人生設計 

「Hi,カオリ! 今帰りかい?」

香がミックに声を掛けられたのは、終業式の2日前。
三者面談の3日後の事だった。
駅前で、絵梨子と別れて手を振っている時に、ミックが現れた。
「あ、ミック。暑いね~~~。」
夏の夕方は、まだまだ日差しも強くセミが暑苦しさを演出している。
そんな中にあって、友人の妹は涼し気で爽やかだ。
彼女があと1歳大人なら、ミックは間違いなく口説いている。
白い学校指定のブラウスとソックスが眩しい。
「どう?何か冷たいモノでも? ご馳走するよ。」
「わぁい。ありがと~、ミック~。」
この場に僚もしくは秀幸がいれば、知らない大人に付いて行っちゃダメだよと、諭される場面である。
たとえ、香が4歳の時から知っている彼であっても。









「ボクが、小さい頃になりたかった職業??」
「うん、そう。何だった?」
白い麻のスーツを身に着け、綺麗な黄金色のブロンドをぴっちりと撫でつけた蒼い眼の男は、
抹茶金時ミルクのかき氷を食べながら、首を傾げる。
コーラフロートをかき混ぜながら、香が頷く。
小さい頃ねぇ。と言いながら、ミックは暫し遠い目をする。


ミックの家は、一族郎党、弁護士一家だ。
父も母も、叔父も祖父も、従兄も、全員が全員弁護士だ。
ミックは自分の意志など関係無く、小さい頃から弁護士になるべく英才教育を施されてきた。
そこにミックの夢とか、希望とか、憧れとかは一切関係無かった。
だから、ミックがなりたいモノは、いっそ絶対になれないモノだった。
スパイダーマンとか。ドラえもんとか。忍者とか。
なりたい職業を考えるという発想は、子供の頃のミックには無かった。
選択の余地は、無かった。
しかし、彼は現在弁護士では無い。フリーランスのジャーナリストだ。
小さい頃の反動か、彼は司法試験すら受験しなかった。
大学では一応、法学部に籍を置いてはいたが。


「ウチはほら、両親あんなだし。ボクに選択肢は無かったケド、まぁ、強いて言えば。やっぱり、弁護士だったのかなぁ?小さい頃は、親の言う事に疑問なんか感じて無かったし。」
ミックは苦笑交じりにそう答える。
「それがどうして、ライターになったの?」
香は興味津々である。
「知りたい?」
「うんうん。」
ミックはニッコリ微笑みながら、自分のこれまでを語って聞かせた。





まぁね、早い話がドロップアウトしたんだよ。
高校まではね、まぁまぁ勉強も出来たし、嫌いじゃ無かったんだけど、
大学では完全に落ちこぼれたね。
バイトの方が楽しくなっちゃって(笑)
単位ギリギリで、卒業するのがやっとだったよ。
司法試験なんか、受験できるような状態じゃなかったなぁ。
で、そのバイト先ってのが、ある出版社でね。
初めはバイトで顔を出すうちに、雑用から小さな記事を任されるようになって、
それが受けがイイと、時々、企画を任されたりするようになって。
同時に、カメラにのめり込んで(笑)
何かね、とても楽しかったんだ。
親に言われ続けて来たような、一生の仕事ってのは何か物凄く責任重大で。
大人になって、立派な法律家になるってのは、さも神様にでもなるようなイメージだったけど。
そうじゃない、もっと自分に合った心から楽しいと思える仕事もあるんだって事に、
そのあたりで漸く気付いてね。
後は、カオリも知っての通り。
自由気ままな、その日暮らしさ。





「ふ~~~ん、ミックのパパとママは?何も言わなかったの?」
香は優しくて、カッコイイ、ミックの両親の顔を思い出す。
ミックと彼らは、とっても仲良しだ。
ミックは大人なのに、今でもまるでミックが小さい子供のようにキスをしたり、ハグをしたりする。
ミックは、さも可笑しそうに笑う。
「あぁ、そりゃあ大変だったよ。彼らには、ホントに申し訳なく思ってるよ。でも、ボクの人生は他の誰のモノでも無い。ボク自身のモノだからね。両親のモノでも無いんだ。」
香は目をパチパチさせて、ほぇ~~と感心している。


香がもう少し大人のオンナなら、こういう時はボクという男に惚れる場面なのにと、
ミック・エンジェルは、相変わらず短絡的思考で苦笑しながら苦甘い氷を飲み下した。














香が高校最後の夏休みを迎えてから、ほぼ毎日、僚は槇村家に入り浸っている。
槇村秀幸に、夏休みは無い。
香と僚は連日、なんの縛りも苦言も、誰からの干渉も受けず、のんべんだらりと過ごしている。
槇村家の小さな仏間に設えられた、庭に面した縁側に。
2人は寝そべって他愛も無い話しをしている。
お互いの頭を突き合わせる形で、2人は仰向けで天井を眺めている。
少し離れた畳の上には、お盆に乗せられたガラスの器が2つ置かれている。
1つには、ピンク色の、もう1つには青色の妙に毒々しい水が、器の底に薄っすら溜まっている。


数十分前。
「リョウたん、何味にする~~~???」
「イチゴ、プラス練乳。」
香はニッと笑って、50円増しになります。と言う。
はい、50円。そう言って僚は、香の額にキスをする。
「カオリンは、どれ?」
「う~~ん、ブルーハワイ。ねぇねぇ、ブルーハワイに練乳って変かな?」
「どうだろうね。やってみたら?試しに。」
「リョウたんが、やってみてよ。」
「やだよ。俺は、いちごミルクなの。」


そう言いながら作って食べた、かき氷の器がそれである。
彼らはその日、もうかき氷ばかり4杯づつ食べている。
完全なる、悪ノリだ。
「・・・何か今日は、晩ご飯食べたくないなぁ。」
香がぼそりと呟く。
「かき氷ばっか、食い過ぎだっつぅの。」
僚が苦笑する。
「リョウたんだって、同じだけ食べたじゃん。」
「俺は、晩メシもしっかり食うけどな。」
そんな事を言い合いながら、2人はクスクス笑う。
それは何の話しから繋がったモノだったのかは、定かでは無かった。
香のここ数日の、マイブーム。進路相談である。


「ねぇ、リョウたん?」
「ん~~~?」
「リョウたんはどうして、探偵サンになったの?」
「・・・・・・。」
その質問に、僚は珍しく暫し沈黙した。
もしかしたら、寝てる???と、香が思いかけた時、漸く僚が口を開いた。
「子供の頃から、なりたかったから。」
香がどうして?と訊くより先に、僚が笑いながら訊いた。
「なに、カオリン。進路相談?」
「うん。高校のあとは、どうしたら良いのかよく解んなくて。・・・お兄ちゃんは、大学に行った方がイイって言うケド。」
「行かないの?大学。」
「うん。行かない。」
「ふ~~ん、いんじゃね。今は、大学行ったって、就職できるとは限らねえし。」
「リョウたんなら、そう言うと思った。」
そう言って、香は笑う。


「ねぇ、もしもね。」
「うん。」
「探偵サンにならなかったら、何してた?」
「ん~、弁護士か検事じゃね?」
「っええぇ!!な、何で。」
「何でって・・・司法試験受かったから?」
「マジ?!」
「まじ。」
「現役で?」
「あぁ。」
「てか、何で探偵サンしてるの???てか、何で法学部???」
「ふふふ、変か? 別に学問として法律に興味があっただけだよ。単なる、知的好奇心。なんで、探偵してるかっていうと、ガキの頃からなりたかったから。なんで、弁護士にも検事にもならなかったかっていうと、別に興味が無かったから。」
僚の答えは、単純明快で、簡潔で、香はすんなり腑に落ちた。
けれど、僚が法学部を志望した最大の動機は、コンパで女の子受けがイイからという事は、
勿論、将来の嫁には内緒だ。





じゃあ、どうして探偵サンになりたかったの?

・・・・・・・・・・・・・。

リョウたん???  訊いちゃいけなかった?

うんにゃ、全然。    俺の、両親がね。

うん。

昔、夫婦でやってたの。探偵事務所、あの新宿のビルで。

ホント!?!? 初耳。

うん、初めて話すもん。誰にも言った事無いし。槇ちゃんにも、ミックにも。

そうなのっっ???

ああ。・・・で、俺の将来の夢は夫婦で探偵事務所やる事なの。

・・・・ふ、ふ~ふ??? 夫婦?

うん。だからカオリン、別にそんなにマジで悩む必要ないぞ、進路。

は?

いずれにせよ、おまぁの職場は最終的には、冴羽商事だから。

・・・・・・・・え?




香にとっては、寝耳に水である。
ある意味それは、プロポーズなのかもしれないが、
反論も質問の余地も無く、僚はアッサリとその話題を打ち切った。
「カオリン、今日は晩メシ 焼肉連れてってやろうか?」
「ホント~? だったら、食べれるかも。」
「ゲンキンなやつ。」
僚はそう言って、爆笑した。
僚は香が生まれた時からずっと見てきたのだ。香の扱いは誰より心得ている。
きっと、この先香は何の疑問も無く、僚の術中に嵌って行く。











その週の週末、僚は秀幸と新宿のとあるバーで飲んでいた。
僚は日頃、香とばかり遊んでいるようだが、本来僚の親友は秀幸なのだ。
如何せん秀幸は忙し過ぎて、こうして2人で酒を飲むのは数ケ月振りだ。

「オマエ、最近しょっちゅうウチに入り浸ってるらしいな。ちゃんと、香から聞いてるんだぞ。」
「だってリョウちゃん、暇なんだもん。それにカオリン、かき氷作ってくれるし。」
秀幸は眉を顰めて、盛大に溜息を吐く。
「なぁ、僚。アイツは受験生なんだぞ?邪魔するなら、ウチには出入り禁止だ。」
「大学には行かないって言ってたけど?カオリン。」
「・・・・・今だけだ。今はまだアイツもどうしていいか解って無いだけだから。」
秀幸はそう言って、バーボンを呷る。



槇ちゃん。

ん?

別に良いんじゃない? まだ、若いんだし。そんなに慌てて先の事を決めさせなくても。

・・・・・・でも、誰でもこのタイミングで向き合うもんじゃないのか?自分の人生に。

そりゃそうだけど。俺もミックも、あんまし大学って影響してないな正直、今の生活に。

お前らは、サンプルとしては極端すぎる。参考にならん。

ま、そらそうか。でもさぁ、女の子ならさ、もう1つあるじゃん?選択肢が。

何だよ?

・・・・結婚。


ブブッッーーーー
秀幸はグラス3分の1ほどのバーボンを、盛大に吹き出した。
「ばっ、馬鹿か?オマエはっっ。香は、まだ17だ。」
「あぁ?女の子は16から結婚できるな、確か。」
「・・・・・・・。」
秀幸の眉間には、クッキリと深い縦皺が刻まれている。
僚はニヤッと笑うと、飄々と呟く。
「だってホラ、カオリンは家事は完璧にこなすし。かあいいし。案外、サッサと嫁に行くんじゃね?」
「・・・・僚、酒が不味くなることは、これ以上言わないでくれ。」
「そうか?槇ちゃん、今はそんな事言ってけど、嫁き遅れたら遅れたで、俺の育て方が間違ってたとかって嘆きそうだからな。」
「・・・・・・(図星)」



結局な、槇ちゃん。女の子はイイ男に見染められて、大切にされるのが一番幸せだって。



僚の洗脳は、何も香に限った事では無い。
現に秀幸は今、それも一理あるかもしれないと、納得しそうになった。
それでも、香の相手に相応しい男など、そう簡単には秀幸は認められそうも無い。
香を愛していて。
香を幸せにしてやれる力があって。
香を誰より理解してやれて。
そんな男などなかなかいない・・・。
秀幸の視線が、一瞬目の前の親友に留まる。

いやいやいや、無い無い無い。
確かに僚は、秀幸の次に香の事を理解している。
まるで兄妹のように仲睦まじい。
何より香が慕っている。
けれどこの男の最大にして、致命的な問題点。
素行が悪すぎる。
何なんだよ、新宿の種馬って。
どんな事したら、そんな通り名が付くんだよ。

まあ、僚の事は問題外だとして、香の嫁入り問題はこれから先、秀幸のもっとも悩ましい事の1つだ。
それはひょっとして、就職よりも頭が痛いかもしれない。
もうそろそろ、そんな事も考え始めなくてはいけないのか。
秀幸は先日の香の言葉を思い出して、ヒッソリと微笑む。


『私ね、お兄ちゃんのお嫁さんになりたかった。』


いつまでも、あの小さかった頃の香のままなら良いのにと秀幸は思う。
そんな兄は、大事な事を失念している。



問題は、
子供の頃、誰のお嫁さんになりたかったかではなく、
実際に現実問題として、誰のお嫁さんになりたいかである。




(つづく)






第6話 遂に兄バレ

「カオリン、今日も遊びに行ってもイイ?」



香の携帯に掛かって来たのは、僚からの電話だった。
まだ午前中、早い時間だった。
「リョウたん、今日は私、絵梨子と出掛けるんだよ。」
「何処にぃ?」
「プール。絵梨子のパパがね、絵梨子と私にお揃いで色違いの水着をくれたから、泳ぎに行こうって話しになって。」
「・・・・・・何色?」
「???何が???」
「水着。」
「絵梨子はピンクで、私はオレンジ。」
「形は?」
「え?水着の???」
「あぁ。」
「ビキ」「俺も行く。」
香の答えを皆まで聞かずに、僚は被せ気味にそう言った。
「え?リョウたんも?急に言われても、絵梨子に訊いてみないと分かんないよ?訊いてみて、リョウたんに折り返すね。」
「あぁ。」
絵梨子の答えは、勿論OKだった。
前々から絵梨子は、一度香の言う“リョウたん”とやらに会ってみたいと思っていたところだった。



結論から言うと、この日僚は2人の無邪気な女子の引率をして、心底良かったと思った。
夏休みのこの時期、2人が行く予定にしていた遊園地に併設されたプールは、
盛りの付いたガキ共の溜まり場で。
香も絵梨子も、そんな野良犬のような奴らの視線を一身に浴びていた。
恐らく、僚が周りで睨みを利かせて監視していなければ、ナンパされ放題だったであろう。
香がプールに行くと言った瞬間から、悪い胸騒ぎを感じた僚の勘は正しかった。
そういうワケで危険は回避できたものの、
良いカッコし過ぎた僚は、その日の何から何まで2人に奢り、結構な出費であった。







「ねぇ、リョウたん。夏休みの課題で、解んないとこがあるんだけど。」



夏休みも後半に差し掛かった日の昼下がり、僚の携帯にそんな連絡が入った。
「ヨシ、じゃあ俺が手取り足取り、教えてやろう。お代は、チュウで良いから。」
その後槇村家へ馳せ参じた僚は、宣言通りみっちり4時間ノン・ストップで微分積分について教えた。

「・・・カオリン、これ2年で習うんじゃなかったっけ?」
「・・・えへへ。いまいち良く解ってなくて。」
「・・・お仕置きな。」

僚はそう言うと、香にキスをした。
僚の講義は、スパルタ方式だ。
理解するまで、身体に覚えさせる。まぁ、この場合、もはや微分積分は全く関係ないが。





夏休みの間、2人は何かと理由を付けては外出し、時々勉強をして、
でも相変わらず、香は進路について考えを変える気にはならなかった。
そんな風に過ごすうちに、長いようで短い夏休みは終わってしまった。
香は夏の間に少しだけ日焼けをして、僚とのキスが少しづつ当たり前になってきた。
そして、2学期が始まった。






それは、まだまだ残暑とも言える、夏の名残の9月半ばの事だった。
秀幸の帰りは、毎晩相変わらず不規則で。
時には、帰れない日もあった。
僚は邪な気持ちとは別に、純粋に防犯と言う意味で香と共に槇村家で過ごす事も、多々あった。
不思議な事に、春や秋のように気候が良くなってくると、住宅街に変質者が現れる確率も高くなってくる。
香1人で留守番させるには、少しだけ心許ない。
いつだったか、秀幸の帰りを待ってうたた寝した香が、寝惚けたまま玄関を開けるなり、
僚に飛び付いた事があった。
もしもあれが、僚では無かったらと思うと、僚は不安で堪らない。



週の半分近く、僚は槇村家で夕飯を食べた。
ごく稀に、秀幸も一緒の時もある。
2人だけの時は、近所のビデオ屋にしょっちゅうDVDを借りに行った。
その日も、そんないつもの1日だった。



秀幸が仕事を終えて帰途に着いていると、家の近所ですぐ目の前を歩く2人が目に入った。
妹と親友。
妹の手には、ビデオ屋の青い手提げ袋。
何やら楽し気に、話しながら歩いている。
そして、

シッカリと繋がれた、妹と親友の手と手。

誰が見ても見惚れる程の体躯の持ち主の親友と、スラリと華奢なしかしかなり長身の妹。
制服を着ていない香は、まるで、大人の僚と違和感なく並んで歩いている。
“恋人同士”に見えなくも無い。
秀幸はそんな事を考えてしまった頭をブンブンと振る。


いやまさか。
あいつらに限って。
僚と香は、昔っから仲が良かったじゃないか。
僚は、俺と香のもう1人の兄弟みたいなモンで。
まさか、そんな事。


秀幸は心の中で、誰にともなくそんな言い訳を並べながらも、
何故だか、2人に声を掛ける事も出来ず、コッソリ息を潜めて2人のあとに続いた。
どうして声を掛けられないと思ったのか、秀幸自身にも良く解らなかった。
気が付くと、家はもうすぐそこで。
2人は近道の公園の中へと進んだ。
秀幸は、普段はそこは通らない。
それでも、思わずあとに続いて公園の中に入ってしまった。
少し遅れてやって来た秀幸が見たモノは、




キスをする、妹と親友の姿だった。





後から思い返すと、秀幸は自分でも我を忘れていたと思う。
いきなり2人の前に躍り出て、僚の胸ぐらを掴んだかと思うと、殴り飛ばしていた。
僚は殴られても、覚悟はしていたのかジッと秀幸を真剣な表情で見据えていた。
香だけは、状況が良く掴めずにポカンとしていた。

「僚っっ、キサマ。よくも、香にっっ」

まるで吐き捨てるようにそう言った秀幸の方が、殴られた僚よりも辛そうな表情だった。
僚は無表情で、秀幸をジッと見詰めた。


「オマエとは、金輪際、絶交だ。香に近付いたら、殺す。」
帰るぞ。

秀幸は、香の手首を掴むと有無を言わさず香を連れてその場を去った。
その場に残された僚は、唇の端を指で拭った。
切れて血が滲んでいた。
「・・・・・・あらら。槇ちゃん、本気かな。」
言葉とは裏腹に、僚の表情は暗かった。
いつかは2人の付合いは、ばれるだろうと覚悟はしていたけれど。
最悪のパターンってヤツだ。
僚は思わず、月を見上げた。




秀幸に引き摺られるようにして家に帰り着いた香は、
玄関の中に入って漸く、事の次第が呑み込めて来た。
その途端、涙が止まらなかった。
僚も自分も、何も悪いことなどしているつもりは無い。
ただ、好きなのだ。僚の事が。
けれど、兄にとってそれは、許し難い事のようだった。
香は掴まれた兄の手を、自分の手首から振り払った。


「・・・香。」
そう言って名を呼ぶ兄の顔は、先程の激しい表情から一転、困ったような表情だ。


「いつから・・・」
「お兄ちゃんがっっ」


2人の声が同時に重なる。
香は構わずに続けた。
「お兄ちゃんが、リョウたんと絶交するのなら、私はお兄ちゃんと、一生口利かない。」
そう言って香は、自分の部屋に駆け込んだ。
秀幸はこの状況で香と何を話せばいいのか、全く解らなかった。
ただ、悲しかった。
どうしてこんな風になってしまったのか。
玄関から先に進めずに、秀幸は呆然としていた。



香は自分の部屋へ駆け込むと、ベッドに突っ伏して泣き続けた。
ビデオ屋の手提げ袋は、ラグの上に放ったままで。



僚と2人で借りた、
ウォン・カーウァイ監督作品の、“恋する惑星”は、
結局、1度も観ないまま返却期限になって、香が1人で返しに行った。



それまで、上手く回り続けた幼馴染みと兄妹の歯車は、
その夜、突然止まってしまった。



(つづく)




第7話 ラブ・レター

秀幸は、香の携帯電話を勝手に解約した。
元々香は高校生なので、秀幸の承諾無しに勝手に契約は出来ない身分だ。
秀幸は香の“保護者”だから、契約するも、解約するも秀幸次第だ。
家の電話は、常に留守電になっている。
相手を確認してからでないと、電話には出ないのが兄妹の昔からの習慣だ。
秀幸が家に電話を掛けても、香は出てくれなくなった。
だから秀幸も、用がある時は留守電に向かって話しかける。
傍で香が聞いてくれていると信じて。



9月の半ばに、秀幸と僚が絶交して以来、僚と香も逢っていない。
電話すらしていない。
秀幸はあの公園で、怒りにまかせてあんな事を言ったモノの、
内心は、秀幸のいない所で2人が逢瀬を重ねれば、それを止める事など出来ないと思っていた。
けれど2人は意外にも、逢う事を止めた。
香はこの所、殆ど自室に籠って勉強している。
毎日の炊事や家事は、いつも通りやっている。
秀幸が帰宅すると、ラップを掛けたおかずがテーブルの上や冷蔵庫の中に置かれている。
けれど、今までのように楽しそうに温め直してくれる事はしなくなった。
というか。
あの宣言通り、あれ以来香は1度も秀幸と口を利かない。
秀幸は何度か香と話し合おうと、部屋の外から声を掛けたけれど香からの返事は無かった。



電話や、直接逢う事は止めた2人だったが、1つだけ続いている事があった。
3日に1度ほど、香宛に僚から手紙が届く。
香は決して、郵便受けの確認はせず、その手紙を毎回郵便受けから取り出すのは秀幸だ。
秀幸はそれを、キッチンのテーブルに置いておく。
そしたらいつの間にか、香が仕舞っているようだった。
秀幸もさすがにその手紙を、勝手に見るような真似だけはしなかった。
勿論、気にはなる。
妹は可愛いし、絶交したとはいえ、僚はやっぱり自分にとって唯一の存在、だとは思っている。
それでも、幾ら気になったとしても、2人の信書を勝手に見るような真似だけは、
やってしまっては、おしまいだと思っている。
果たして、香がそれをちゃんと読んでいるのか、返事を書いているのか、
秀幸には何1つ、解りようも無かった。


いつの間にか季節は変わり、11月の半ばになっていた。











珍しく、飲みに行かないかと誘って来たのは、ミックの方だった。
秀幸も翌日は非番だったので、OKした。
場所は、歌舞伎町のとあるバー。
そう言えば、秀幸が前回ココに来たのは、夏に僚とだった。
あの頃はまだ、香と僚の付合いの事など、全く知らなかった。
この世には、知っていた方がイイ事と、知らなくてもイイ事がある。
秀幸は正直、知りたくなかったと思う。
これまで秀幸がもっとも信じて来た、妹と親友を同時に失った気分だった。



「ねぇ、ヒデユキ?」
「ん?」
「まだ、リョウと仲直りしてないのかい?」
「・・・・・・・。」
秀幸は無言でバーボンを呷る。
ミックはやれやれと肩を竦めると、小さく1つ溜息を零す。
「あのさぁ、ヒデユキ。余計なお世話だとは思うケド、聞いてくれないかな。」
「何をだ?」
そう言って、ミックに向き直る秀幸の表情は、意外にも穏やかだった。
「リョウってさぁ、ハッキリ言ってダメダメじゃん?主に、女性関係。」
思わず秀幸の眉間に深い皺が刻まれる。
あの夜の公園での、キスシーンが脳裏に甦る。
「・・・あぁ、最悪最低だ。」



ミックはそんな秀幸に、フッと頬を緩めると、楽しげに続けた。
「アイツさぁ、前は“新宿の種馬”なんて呼ばれて、ここらじゃブイブイ言わせてたけど、最近パッタリと浮いた話が無いんだよね~~、病気かな???」
恐らく、最近って言ったって、どうせ数週間程度の話しだろ?と、秀幸は思いつつミックに訊ねる。
「・・・最近って、いつの話しだよ。」
「ん~~~、この1年以上?少なくとも、1年と2~3ヶ月は女遊びはやって無いと思う。」
「・・・・・・・・ウソだろ?」
ミックは、小さく首を振ると、ホント。と呟いた。
秀幸は虚を突かれた気持ちになって、思わず素直な感想が漏れた。
「何でだろう。」
「何でって、ヒデユキ。」
ミックは、フフフと笑う。
「カオリの為だろう?」
「・・・どういう意味だ?」
またしても、秀幸の表情は険しくなる。



「多分、リョウは。ボクらが思っている以上に、マジだよ。カオリの事。」



まさか、と秀幸は思う。
思いたかった。
けれど、そう言えばここ最近の僚の言葉を思い出す。
“でもさぁ、女の子ならさ、もう1つあるじゃん?選択肢が。”
“・・・・結婚。”
“女の子はイイ男に見染められて、大切にされるのが一番幸せだって。”

そして、この2ヶ月の僚からの、香宛の手紙。
これまでの幼馴染み3人の、固い絆。
それを反故にしてまで、果たしてあの頭のイイ僚が、遊びで香に手を出すだろうか。



「マジねぇ・・・なぁ、ミック。マジだろうが遊びだろうが。」
秀幸はそれまでで一番鋭い眼光で呟いた。


許せねぇモンは、許せねぇんだ。


「・・・そんなモンかねぇ。」
「そんなモンだ。一人っ子のオマエには、可愛い妹を持った兄貴の気持ちなんか解るもんか。」
秀幸はそう言うと、グラスの中のバーボンを一息に呷った。











「槇村らしくないんじゃない?始末書なんて。」

そう言いながら、秀幸の書類の山を築いているデスクの上にコーヒーを置いたのは、
同僚(と言っても、階級は向こうが少しだけ上だ。)であり、恋仲の野上冴子だ。
秀幸は昨日、些細なミスを犯した。
幸い捜査には支障は出なかったが、些細なミスが命取りになるのがこの商売だ。
というワケで、秀幸は今、始末書と格闘している。
恐らく秀幸は、刑事になって初めてその書類を見た。



「俺だって、ミス位するさ。油断する事もある。買い被り過ぎだよ。」
秀幸はそう言うと、署内の福利厚生費から購入されている、まずいインスタントコーヒーを啜る。
「・・・ホントに、それだけかしら?」
「どういう意味?」
秀幸は手元の書類に目を落としたまま、冴子に訊ねる。
「この所、何となく上の空だし。“色々と”お悩みがあるそうじゃない?」
「・・・・ミックか?」
冴子は否定も肯定もせず、肩を竦める。
ただ彼女の楽し気な瞳に、秀幸は眉を顰める。



冴子は、僚ともミックとも面識がある。
ただ、ココに頻繁に出入りして普段から何かと話す機会が多いのは、ミックだ。
秀幸は観念したかのように、眉をハの字に垂れて冴子に愚痴る。
「なぁ、野上。」
「なぁに?」
「俺は、兄貴として器が小さすぎるんだろうか。・・・それに、人間として面白味に欠けるんだろうか。」
「まぁ。随分、自信無さ気な言葉だこと。」
そう言って冴子は、フフフと笑う。
「あのね、槇村。」
「ん?」
「貴方は、真面目過ぎるのよ。まぁ、それが貴方のイイ所じゃなくて?」
「・・・真面目過ぎるか。」
「えぇ。」
「俺さぁ、僚に絶交だって言ったんだけど、やっぱり何処かでアイツの事憎めないんだよな。・・・・アイツには、一生勝てない気がする。器の大きさも。ユーモアも。悔しいケド、ルックスも。」
そう言って、秀幸は自嘲気味に笑う。



「そぉ? 大丈夫よ。貴方、充分面白いから。まぁ、多少シスコンに過ぎるケド。ある意味、それも魅力のうちよ。」
「どういう意味だよ。」
「そのままの意味。」
そう言って、冴子は笑いながら自分の持ち場へと戻って行った。
秀幸は少しだけ、気分が晴れているのを感じた。











その夜、秀幸が仕事を終えて家に着いたのは、午前2:00を回った頃だった。
いつもなら、とっくに眠っている筈の香の部屋から、小さく灯りが漏れていた。
ドアが、細く開いていた。
秀幸はそっと、その部屋の中を覗いてみた。


ベッドサイドのシェードランプだけが、煌々と点けられたまま、
香はブランケットに包まって眠っていた。
秀幸はそっと、足音を立てないようにベッドサイドへと近付く。
手には1枚の便箋が握られている。
頬には涙の跡。
久し振りにゆっくりと見詰める妹の寝顔は、
まるで小さな子供の頃と、1つも変わらないと秀幸は思う。
秀幸はそっと、香の頬を撫でた。
香は小さく眉を顰めると、身じろぎをした。
そして、その拍子に手の中から、紙切れがハラリと落ちる。
恐らくは、僚からの手紙だ。



秀幸はその時初めて、その手紙を拾い上げ読んでみた。


『カオリンへ。

 元気かぁ~~~? オレは元気だ。急に寒くなって来たから、風邪引くなよ。
 
 ちゃんと、勉強やってるか?
 
 受験するしないは、カオリンの人生だからよく考えて決めればイイんじゃないかと思うケド。

 でも、自分の為に、勉強する事は大切な事だよ。
 
 受験には関係無く、今、沢山色んな事を学ぶのは、一生の財産になるから。

 まぁ、遊ぶのはいつでも出来るし(笑)
  
 俺ら位の歳になるとさぁ、もうやる事っていったら遊ぶ事ぐらいだぜ?

 早く、カオリンが大人になって、また一緒にガキの頃みたいに遊べるようになるまで、
 
 首を長くして待ってるぜぃ。頑張れよ、カオリン。

 じゃあな~~~。                    リョウちゃんより。   』




それは何だか、秀幸が思っていたような所謂“ラブ・レター”とは、違っていた。
この2ヶ月半、香と口を利かなくなってから、普段の会話すら無い中で、
夏ごろに話したきりの、進路の話など一切話せるような状況では無かった。
妹にとって、これまでの人生で恐らく一番大事なこの時期に、この家の中を。
秀幸は、口すら利けない環境にしてしまった。
そうしたのは、紛れも無くあの9月の日の自分だ。


妹に出来た“彼氏”を許せないという感情に振り回され過ぎている事に、
秀幸は自分自身が、とても情けないと思った。
この親友からの妹に宛てた手紙は、今まさに、秀幸が香に掛けてやりたい言葉と同じだ。
だから。
この手紙を書いた、僚の気持ちが良く解る。
香を愛しているという気持ちが。
こんな環境の中で、少なくとも香にこうやって言葉を掛けてやってくれる相手がいる事に、
それがたとえ、絶賛・絶交中の憎たらしい親友のモノであったとしても、
秀幸は心から感謝していた。



もしかしたら、自分はただ単にヤキモチを妬いていただけかもしれない。
大好きな妹と親友が、仲良くやっている事に。
何だか、仲間外れにされたような気持ちになっていただけなのだ。
大人ぶっている割に、自分の心の中のそんな子供みたいな感情に、秀幸は苦笑すると、
そっとその便箋を折畳むと、香の机の上に置いた。
ランプを消して、香に布団を掛けてやると、秀幸は来た時同様そっと、自分の部屋に帰った。
仕方が無いので、不本意ながら、いつかは僚の事を許して、
また3人でメシを食うんだろうな。と、秀幸はヒッソリ笑った。


(つづく)






第8話 プチ家出

槇村兄妹のクリスマスは、いつも至ってシンプルだ。
香は12月になると、子供の頃から使っているクリスマスツリーを納戸から出して来て、
いつも1人で、リビングに飾り付ける。
オーナメントは、毎年微妙に、変わったりもするので、
それはきっと香が、何処かから買って来たりするんだろう。
いつも仕上げのてっぺんの星だけを、秀幸の為に取っておいてくれた。
『はい、お兄ちゃんのお星様。』
いつもそう言って、手渡されるそれは子供騙しのプラスチックの安物だ。
それでも寒い深夜に家に帰って、香はとっくに眠っていても。
リビングで、ちかちかと瞬く電飾の灯りを見ると、とても温かい気持ちになった。



今年はもう12月も半ばを過ぎようという頃になっても、
槇村家のツリーは、納戸の中で待機したままだ。
あの夏の終わりの夜の、公園での出来事以来、3ヶ月近く。
兄妹は口を利いていない。
一体、進路の件はどう考えているのか。
事の発端とも言える、幼馴染みのヤツの事をどう思っているのか。
兄に対して、未だ怒っているのか。
秀幸には、香の心の中が解らない。
香の兄歴17年9カ月にして、秀幸は初めて妹との接し方について死ぬほど悩んでいる。



子供の頃は、ただただ可愛がるのが秀幸の役目だった。
と言っても香は、子供の頃からお利口さんで。
とっくに他界した母のいない家庭で、
仕事に忙殺され気味の父と、一回りも歳の離れた兄の3人家族の中で、
自分の役回りや、空気を読む子供だった。
自分の淋しさや甘えを、『いけない事』だと思っている節があった。
だから尚更秀幸は、香が可愛くて仕方なかった。
けれど。



もしかすると、あの小さかった香の面影に縛られて、
秀幸は未来を見る事を、忘れているんじゃないのかと自問する。
今現在の、少女から大人への河を必死にもがきながら泳いでいる、
等身大の妹の姿を、一体自分はどれだけ理解してやれているのか。
秀幸は、たとえ香が答えてくれなくても、クリスマスには一緒に過ごそうと提案するつもりだ。
2人だけで食べれるだけの小さなケーキを買って来て、夕食を食べる。
それだけで充分じゃないか、と秀幸は思う。
進学をしないとか、僚の事が好きだとか、いつか自分の元を巣立って羽ばたいてゆく事とか。
今はまだ。






クリスマス・イブの夜、
秀幸は予想以上に早目の帰宅が実現できた。
年末の防犯ムードが高まる署内では、毎年年明けまでの半月は、
日付が変わる前に帰宅できれば恩の字で。
実を言えば、この早目の帰宅も野上冴子のフォローの賜物だ。
いつもの自宅への留守電に、妹宛のメッセージを吹き込む。
もうすぐ、帰るからと。
香が、すぐ傍で聞いている事を信じて。



秀幸が自宅に帰ったのは、21:00を過ぎた頃だった。
家の中は真っ暗で、
香はいなかった。



留守電のランプが点滅して、2件のメッセージがあると表示されていた。
1件は、数十分前に己が吹き込んだ、帰るコール。
そしてもう1件は、
絶交中の幼馴染みからだった。
秀幸が吹き込む、少し前にそのメッセージは残されていた。


『・・・・あ、もしもし。槇ちゃん?久し振り。俺だけど。
 カオリン、ウチに来てるから。
 何時になっても構わないから、迎えに来てやってくれないかなぁ。
 待ってる。じゃ。                         』


僚の声は、至っていつも通りだった。
あんな事があった事も、秀幸と絶交中だという事も、微塵も感じさせない穏やかな声だった。
久し振りに聞く親友の声に、妙に緊張しているのは自分だけかと、少しだけ可笑しくなる。
こういう時、僚には敵わないと秀幸は思う。
いずれにしても、このメッセージだけでは香が何をしに僚の元へ行ったのか、
2人が今どうしているのか、サッパリ解らないので秀幸は小さな紙袋を提げて、僚のアパートへ向かった。









僚の部屋のカギは開いていた。
よくある事だ。
相変わらず不用心な幼馴染みに、秀幸は警察官の顔で苦笑する。
親友は、独身男1人には広過ぎる部屋に、学生の頃から独り暮らしだ。
勝手知ったる親友の家なので、秀幸はサッサとリビングへ赴く。
そこにいたのは。
ソファの上に丸くなって眠る、ブランケットに包まれた妹だった。
部屋の中は暑い位に暖められ、リビングの片隅に置かれた加湿器が小さくコポコポと音を立てている。
妹の頬には涙の跡がある。
そして、肝心の僚の姿は何処にも無かった。


屋上の扉を開けると、僚は手摺に凭れて煙草を吸っていた。
秀幸が扉を開けた音に、咥え煙草で振り返る。
「よぉ、久し振り。」
そう言った僚は、全くいつも通りだ。
「・・・あぁ、久し振り。」
暫し無言で向かい合う。
「カオリン、下で寝てるから。」
「あぁ、見た。」
秀幸はゆっくりと歩を進め、僚の隣に並ぶ。
僚は何も言わず、マールボロのパッケージを差し出す。
秀幸も何も言わずに、1本取り出して咥える。
僚が秀幸の煙草の先に火を点ける。



どの位そうしていたのか、僚は大きく煙草のけむりを吐き出すと、秀幸に向き合った。
「俺、謝んないから。 悪い事してるなんてひと欠片も思ってねえし、香の事、マジだから。」
秀幸も僚から一瞬も視線を逸らす事無く、答える。
「俺も、許す気は無いから。 お前みたいなオンナ癖の悪い男に妹はやれん。」


けれど2人の間には、もう既に穏やかな空気が戻っていた。


2人は知っている。
これからの行動で、誠意を示していくしかない事を。
これからの行動次第で、理解するしかない事を。
何より2人にとって、1番大切な女の気持ち1つでこれからが決まる事を。
「で? なんで香がココにいるんだ?」
秀幸が本題に触れる。






香が僚の部屋に来たのは、夕方の事だった。
昔の僚なら、クリスマス・イブのそんな時間に部屋にいる事など無かった。
いつからか。
僚はどうでもイイ女を引っ掛ける事や、飲み屋の女を口説く事が面倒臭いと思い始めた。
20代の初めの頃は、それこそ僚に落とせない女はいないのでは、という勢いだった。
僚とて、来るものは拒まなかったし、据え膳は片っ端から喰いまくった。
それでも、特定の誰かと付き合う事の意味は解らなかったので、遠慮した。
ひと言で言えば、ロクデナシだ。


そして、そんな僚の頭の片隅に常にあったのは、香の存在だ。
その頃はまだ、小学生や、中学生だった、幼馴染みの妹だ。
勿論、僚はロリコンでは無いし、幼い香を性の対象として見た事など無かった。
でも何故か、将来は香を嫁にすると思っていた。
勿論、香が大人になってから。
そしてこの1~2年。
僚はハッキリと自覚した。
香に恋い焦がれている自分を。
秀幸に激しく嫉妬する自分を。
それはもう、歯止めの効かない感情だった。

香を愛している。




「・・・夕方、泣きながらココに来たんだ。」
僚がポツリと呟く。


あの日から、お兄ちゃんと一言も口を利いていないって。
自分でお兄ちゃんに、一生口利かないって言ったけど、後悔してるって。
自分が俺の事を好きになったばっかりに、俺と兄貴の仲まで裂いてしまったって。
もう、・・・・生きて行けないって。
カオリン、限界だったんだな。
泣き疲れて、眠っちまった。



僚の言葉を聞いて、秀幸は激しく己を責めた。
もう僚に対する怒りというより、むしろ自分自身に対する怒りの方が勝っていた。
「ごめん、槇ちゃん。」
「謝らないんじゃなかったのか。」
「カオリンに惚れてる事は謝んないケド、正式な手順を踏まなかった事は別だし。結果的に、カオリン泣かせたのは、俺のせいだし。・・・まさか、槇ちゃん達がこんな風になってたなんて思っても無かったし。」
秀幸は、フッと微笑む。
確かに僚は、素行は悪いし、手も早いケド。
妙に素直な所があるのだ、いつも。
不真面目なのに、妙に律儀というか。
何より、香が限界を感じて逃げ込んだ場所は、僚の胸だった。



「起こすのも可哀相だし、寝たまま連れて帰るだろ? 車出してくるよ。」
僚がそう言って、ガレージへ降りようとするのを、秀幸が制した。
「いや、今夜はココに泊めてやってくれ。」
僚は目を見開いて、まじまじと秀幸を見詰める。
「・・・・何言ってんの? 正気か?槇ちゃん。」
「まさか、手ぇ出すつもりは無いだろ?てか、出したら逮捕するから。」
そう言って、秀幸はフッと笑った。


それから、これ。
香が目覚めたら、渡しといてくれ。クリスマス・プレゼントだ。



そう言って秀幸が僚に手渡した紙袋は、某携帯ショップのモノで。
中身は、香の新しい携帯電話だった。
秀幸が怒りに任せて、僚と連絡できないように解約した古い携帯には、
メモリーの中に、僚と一緒に撮った沢山の写真が収めてあって、
使い物にならない小さなそれは、それでも香の宝物だった。
そして、きっとこの新しい最新機種の携帯にも、これから先沢山の思い出が刻まれる。


「手ぇ出したら、殴るぐらいじゃ済まんぞ~~~」
そう言いながら、帰って行く秀幸の背中を見送る僚の頭の上に、粉雪が降り始めた。
香だけが、兄達の仲直りなど知らずに、暖かい部屋の中でスヤスヤと眠っている。
朝目覚めたら、香のサンタは新しい携帯電話と、仲直りの報せを届けてくれている。
僚は雪の降る屋上で、幸せそうに笑う香の顔を想像して温かい気持ちになった。


(つづく)





第9話 年越し

秀幸と香と僚は、3人で初詣に行った。
秀幸は大晦日の夜、辛うじて年を越す1時間ほど前に帰宅できた。
香は朝から(モノによっては、2~3日前から。)おせちの準備をして、
僚はその隣で、終始ふざけていた。
帰宅後、風呂から上がった秀幸も揃ったところで、3人は除夜の鐘を聴きながらそばを食べた。
そして、真夜中過ぎから初詣に出掛けた。
晴れ着の人の波の中、3人とも普段着(バッチリ防寒)で。
長い参道の列では、まるで子供のようにしりとりをした。
昔から3人の中ではお決まりの、最後が『ん』でも終わらない、カオリンルールのしりとりだ。
例えば『うどん』と言ったら、普通は終わりだが、このルールに則ると、
次は、『ドングリ』だったり『ドンキホーテ』だったりする。


それは香がまだ小さかった頃の、12歳という兄達との年齢差を補うハンディ・キャップだった。
いつしか香もすっかり大きくなったけど、このルールだけは3人の中で生き続けている。
何処まで行っても終わりが無い。
それは3人にとって、しりとりに限った事では無いのかもしれない。





クリスマスの朝、僚の部屋のリビングで目覚めた香は、
新しい携帯電話のプレゼントと、兄と僚の絶交が解かれた事を聞かされた。
そして、僚と久し振りにキスをした。
秀幸に、手を出したらただじゃおかないと言われた僚だが、
僚の中では、キスは手を出すうちには入らないらしい。
手を出すというのは、まさしく、香を抱くという意味で。
さすがに僚も、まだそれまでの決断は出来ないでいる。
何しろ香は、高校生である。


香はその朝、僚の手製の朝食を食べ、来た時とはまるで別人のように笑いながら、
送って行くという僚に手を振って、槇村家へ帰っていった。
そしてその夜、兄妹は3ヶ月振りに仲直りを果たした。
香の新しい携帯の待ち受け画面は、僚と香の自画撮りの2ショットだ。
仲直りした途端、香に屈託なくその待ち受けを見せられた秀幸は、非常に複雑な気分だった。
妹の心を巧みに掻っ攫った親友は憎たらしいけれど、
妹が楽しそうに笑う顔は、正直、満更悪いモノでも無い。
そして、今現在その妹の笑顔を引き出せるのは、ある意味では“ヤツ”なのだ。


「ねぇ、お兄ちゃんも一緒に撮ろうょ♪ 仲直りの記念写真。」
そう言って、香が無邪気に頬を寄せる。
まだ今の所、僚と自分は50:50かなと、秀幸は思う。
僚と写した“記念写真”と同じように、秀幸にも同じ機会が与えられる。
屈託ない笑みが向けられる。
けれど、いつか確実に。
妹のその心の天秤がどちらかに傾く時が、やって来る。
いや、秀幸には傾かないんだろう。兄妹だから。
そして、秀幸は少しだけ思った事がある。


もしもこの先、いずれにしても香が誰かのモノになるのなら。
まるで知らない赤の他人を、一から理解するよりは。
気心の知れた、香を知り尽くした、まるで兄弟のようなアイツに、託してもイイのかなと。
まぁ大前提として、
僚の身辺が洗いざらい、綺麗サッパリ整理されてからでないと、というのは、絶対的に譲れないが。
オンナ癖という点に於いて、ミックの証言はあるものの、
秀幸はまだいまいち僚を信用出来ないでいる。
逆に言えば、その点をクリアさえすれば、香の相手として僚は申し分ないのではないかと。








漸く辿り着いた賽銭箱前にて3人は、三者三様それぞれ違ったお願い事をする。

『香が卒業後の事、本腰入れて考えてくれますように。  (秀幸)』

『今年中には、カオリンとキス以上の関係に進めますように。(僚)』

『お兄ちゃんとリョウたんが、ケンカしませんように。
 お兄ちゃんが、仕事で怪我する事などありませんように。
 リョウたんといつか、探偵サン出来ますように。
 その前に、やりたい事が見付かりますように。
 それから、それから、ええと・・・・          (香)』





「ほれ、カオリンいつまで拝んでんだ。次、支えてっぞ。」
僚にそう言われて、香は漸く名残惜しそうに参拝の列から外れる。
そしてニッコリと微笑むと、次はおみくじだね。と言って、
おみくじの入った箱の方へと、2人の手を引く。










3人の仲直りのクリスマスのすぐ後には、香の冬休みが待っていた。
クラスメイトの殆どが受験の追い込みで、課外を受けたり、予備校に通う中、
香の冬休みは、のんびりしたモノだった。
夏休み同様、僚は槇村家へ入り浸り、夕飯を香と2人で食べ、秀幸が帰るまで一緒に過ごした。
もうその頃には、秀幸には僚の意図が解っていた。
ただ単に、恋人として傍に居たいのではなく、用心棒を兼ねているのだという事に。


昼間2人はコタツに座って、ミカンを食べたり、テレビを観たり、勉強をしたりした。
1つのみかんを、3口ほどで平らげる僚を香が笑ったり。
再放送の退屈なドラマを観ているうちに、2人してうたた寝したり。
今の所、受験の予定は無いけれど、
香の苦手な世界史の、僚によるスパルタ式講義(チュウのお仕置き付)が始まったり。


あの秋の淋しかった3か月間など、まるで無かった事のように。
3人の温かな日常は、アッサリと続いている。
まるで、終わりの無いしりとりのように。







「うわぁ、また大吉だぁ」
香は驚異の強運の持ち主で、初詣は大概、大吉だ。

「中吉か。」
秀幸は毎年、可も無く不可も無い。

「・・・・・・凶って。」
僚は大抵、極端な結果を引き当てるが。
彼に関しては、運の良し悪しなどそれ程、関係無い。
強引に運を味方に付けるのが、冴羽僚という男である。



年明けも相変わらず、いつもの3人だった。
それでも、この年はきっと前の年以上に、色々ある筈だったが。
始まりは穏やかに幕を開けた。



(つづく)





第10話 チヨコレイト

「ねぇ、香?」

それは、お昼休みの事だった。
絵梨子は、トトロの形に造られたとろろ昆布に包まれたおにぎりを、
フォークで崩しながら、その話しを切り出した。

「ん~?なあに?」

香はのほほんと答える。
年が明けてから、お弁当は専ら2人で食べている。


以前は丸々1時間、ガールズトークに華を咲かせ合っていたクラスメイト達は、
センター試験を終えるまでは、寸暇を惜しんで昼休みまで自習していたし、
それが済んだ今となっても、合格発表が済むまでは何処かピリピリムードで。
早々と受験を放棄した2人は、何だか少し浮いている。
話題と言えば試験の事ばかりの空気に嫌気がさして、2人で食べようと言い出したのは、絵梨子だった。
それに2月に入ってからは、登校日も減っている。
もっとも、合格発表や入学手続きや、センター以外の何らかの試験を受ける生徒たちは登校しないし、
次にクラス全員が揃うのは、きっと卒業式だ。
そういった予定の全く無い2人は、わりかし出席率だけは高いが、
後は卒業式までの、消化試合のようなモノで。
以前にも増して、学習意欲には欠けている。
2人にとって今や学校は、お弁当とガールズトークがメインの場となっている。



「卒業した後の事、まだ決めてないんでしょ?」

珍しく絵梨子が、進路の件に言及した。
ここ最近の2人の話題は殆どが恋バナで、その約8割は、香と例の“リョウたん”の事である。
夏休みに3人でプールに行った後も、絵梨子は数回僚と会う機会があった。
秋口からクリスマスまでの、兄妹と彼の例の一件も香から詳しく聴いて知っている。
そして、冬休み以降の2人のラブラブ振りも。
もっとも香に言わせれば、今の所、兄からのお許しを得た訳では無いので、
『別に、ラブラブとかそんなんじゃ無い。』との事。
しかし巧みな尋問によって、2人の間の殆どの情報を聞き出した絵梨子の認識は、
『ラブラブバカップル』である。
香の兄とも面識のある絵梨子だが、兄の件に関しても、お許しも何も。
ほぼ公認と見て間違いは無いだろうと、判断している。
香の兄は、常に香中心で世界が回っているから。


「う~~ん、決めてない。えへへ。」

香は苦笑しているモノの、そこはかとなく呑気だ。
香には昔からこういうとこがあると、絵梨子は思う。
香と絵梨子は、中学の時からの親友だ。
高校受験の時も、香はどこか他人事だった。
結局は、一番仲良しの絵梨子と同じ高校(しかも、家から一番近いし。)に行く事にして、今に至る。

「じゃあさ、4月から、パパんとこで働かない?」 「ほぇ?」

突然の絵梨子の申し出に、香はポカンとなる。
それでもそれが、何だかとても、香は良いアイデアに思えた。
どうせ何処かで働こうと、漠然と考えていた香だったし。
それなら絵梨子と一緒に、同じ職場で働けるのは、とても楽しそうだ。

「・・・でも、募集してるの?」

香が訊ねると、絵梨子は苦笑しながら答える。

「てか、パパから訊いてみてくれないかって頼まれたの。だから香さえ良ければ、即決定なんだけど・・・」

「ホントに???」

「うん。」

「もちろん、働くっっ!!!」

というワケで、香の進路はアッサリと突然に決定した。

「・・・でもね、絵梨子。」

「ん?どうしたの?」

「わ、私、将来結婚する時は、お仕事辞めなくちゃいけないの。」

「・・・・・・・。」

突然の話題に、今度は絵梨子がポカンとする番だった。





いつ?

何が?

だから、その結婚て。

・・・さぁ?

何それ。

だって、リョウたん次第だから。

でも、結婚するのは決まってんの?

うん。

で?結婚したら、お仕事辞めてくれって?

うん。

意外と古風なのね、彼。

う~~ん。てか、結婚したら一緒に探偵サンやるの。

・・・・・へぇ。

凄いでしょっっ???

なんか、楽しそうだね。香。

うんっっ!! すっごく楽しみなのっっ!!!

・・・・・・・・・解った。それも含め、パパに伝えとく。

ありがとう(笑)


ニッコリと笑う天真爛漫な親友を見て、
間違いなくバカップルだなと、絵梨子は確信を深めた。







「ねぇねぇ、それよりさ。絵梨子はどうするの? バレンタイン。」

実は絵梨子にも、ちゃんとした彼氏がいる。
僚と香ほどではないけれど、年上で、大学3年生だ。

「う~~ん。私、お菓子なんか作った事無いし・・・、やっぱり、デパートに行って買って来ようかなって思ってるケド・・・」

「そうなんだぁ。簡単だよ、レシピ通りに作れば。」

「香は?作るの?」

「うん。例年通り。」



これまで香は毎年、兄の分だけ手作りをして渡してきた。
今まで、兄と父以外の人にチョコをあげた事は無かった。
でも今年は“彼氏”がいるのだ、香にも。
多分、バレンタイン当日にも、僚はいつも通り槇村家へやって来るだろうから、
その日はご飯のあとに、チョコを使った何らかのデザートが食卓に上る予定である。


僚との付合いに関して、秀幸にお許しを貰っていないと思っている割には、
香はいつも、僚との事は秀幸に対してオープンである。
秀幸とすれば、変に隠し立てされれば、真っ向から反対したくもなるが、
至極当然のように、目の前で仲良くされれば、それを咎める理由も無い。
そんな事でいちいち苦言を呈する方が、まるで仲が良い事を僻んでいるようで。
何だか小姑みたいじゃないかと、複雑な心境にもなる。
それを見越した香の作戦。というワケでは勿論無い。
あくまでも香は、何の狙いも無く、ただ単に仲良しなだけだ。僚とも、秀幸とも。
結局秀幸はあのクリスマスから、なんだか釈然としないまま、早くも2ヶ月近く経とうとしている。
香の無意識のペースに、まんまと嵌められている。


一度、2人とシッカリと向き合って、どう考えているのか問い質したいと思っている秀幸だが、
もしかして、まさか、万が一。
2人の口から“将来”を約束するような、決定的な話しなど出ようもんなら、
暫くは立ち直れそうに無いので、いざとなると自分から避けてしまうという困ったジレンマに陥っている。
兄の心は今現在、千々に乱れている。
そんな秀幸は、まさか2人が将来結婚して、夫婦探偵になろうねなんて言っている事など、
残念ながら、知る由も無い。











バレンタイン当日。
やはり予想通り、僚はいつものようにやって来た。
その日の晩ご飯のメニューは、
クラムチャウダーと、
豚肉の生姜焼きと、
ポテトサラダと、
インゲンとベーコンの炒め物と、
春菊のお浸しだった。


そして香はデザートに、ガトー・ショコラを焼いた。
小さめの型で、秀幸はお星様の形、僚にはハートの形。
粉砂糖を振って仕上げた所に、ピンク色のチョコペンでメッセージを描く。
お星様には “いつもありがとう”
ハートには “だいすき”
年が明けて以来、これといって大きな事件も無く平和な秀幸は、今日は19:00には帰宅して、
3人揃って食卓を囲んだ。






その香からのバレンタインの贈り物を目の前にして、
秀幸は暫し、考え込んでしまった。
僚はハートなのに、どうして俺は星なのかと。
しかし、次の香の言葉で謎は解けた。

「去年のクリスマス、ツリーの飾り付けしなかったでしょ?だからこれは、お兄ちゃんのお星様。」

香はそう言ってニッコリと微笑んだ。
この場にいる3人のうち、そのケーキの形に妙に引っ掛かっているのは、きっと秀幸のみだ。



「ねぇね、美味しい? リョウたん?」
早くもそのハート形にスプーンを突き立てている僚に、香は楽しそうに訊ねる。
「あぁ、旨いよ。食うか?カオリンも。」
香は、コクコク頷く。
僚はスプーンでひと口すくって、香の口元へ差し出す。
香も何の疑問も無く、口へ運ぶ。
「うん、おいしい。」
その光景に、ヤキモキしているのは秀幸だけだ。


僚の食べ差しのスプーンでっっ
あ~~んとか、しやがってっっ
それって、間接キッスじゃないかっっ


否、2人がキス位、しょっちゅうやってるのは、秀幸とて知っている。
それでも、今この目の前で。
ジットリと見詰める兄の視線を物ともせず。
2人は、堂々とイチャついている。
しかし、これは何処までが恋人としての振る舞いなのか、
ただ単に、子供の頃の延長線上の仲の良さなのか。
もしかしたら、こんな風に悶々と苛立っている自分の方が、厭らしく受け止め過ぎなのか。
秀幸は、もはや正常な判断基準を見失いつつある。



その時突然、香が思い出したかのように、2人に報告した。

「あ、そう言えば。私、お仕事決まったよ。」



えっ???



さすがは親友同士である。
秀幸と僚が、見事にハモッた瞬間だ。




ひ:どういう事だ?

か:3日前にね、絵梨子から誘われたの。絵梨子のパパの会社に就職しないかって。

ひ:北原さんって言うと、アパレルメーカーの。

か:うん。パパは、デザイナーなんだって。

ひ:で?何の仕事をするんだ?

か:・・・・・・・さぁ?



秀幸と僚は、思わず顔を見合わせる。
時々、この妹は突飛な事をやらかすが、今回はなかなか意表を突かれた。
まさか、就職をアッサリ決めて来るとは。



ひ:香、何の仕事なのか確かめもせずに決めたのか?

か:えへへ、そう言えば聞いて無かったや。

り:そんなんで、OKなの?カオリン。

か:・・・・ダメかな?

ひ:ダメかどうかは解らんが、普通は気にならないか?どんな仕事か。

か:ん~~~?じゃあさ、普通のOLさんって、会社で何やるの?

り:会社とか、部署によるんじゃねえの?

か:でしょ?だから、私も入社してみなきゃ良く解んない。

ひ:ま、確かに。

か:4月から働く事と、いつか結婚したら辞める事だけ決まってるの。

ひ:・・・・・・・・・・・・・・・・・(怒)。

か:??????

り:カカカカ、カオリン(汗)  お風呂の準備しなくてイイの?

か:あ。そうだった。ありがとう、リョウたん。忘れるとこだった。




ちょおぉぉっと、待っっつたぁぁぁあ!!

香がお風呂場に行く為に、立ち上がろうとしたのを引き留めたのは、秀幸だった。
「結婚、するのか?」
秀幸の声は、微かに震えている。
「うん。するよ。」
香は飄々と答える。
「いつ?」
「さぁ?まだ、解んないケド。2人で探偵サンするの。」
香は“誰と”という具体的な事には言及しなかったが、“探偵”と言えば“ヤツ”しかいない。


秀幸は首がもげそうな勢いで、僚の方へ向き直り無言で圧力を掛ける。
肝心の僚は、額にタラリと冷や汗を垂れながら、ハハハと乾いた笑いを漏らしている。
そんな兄達を後目に、香はニッコリ笑うともう一度言った。


いつなのかは、まだ解らないケド、結婚はするんだよ。お兄ちゃん。



そう言って、香は今度こそ風呂場へと向かった。
残されたのは、苦笑するしかない僚と、
真っ白く燃え尽きた、槇村秀幸(30)・独身・シスコン であった。


(つづく)






第11話 お誕生日

香が18歳になった、3月31日。僚が初めて香を抱いた夜。
僚は腕の中で疲れ果てて眠る香に、この世に生まれて来てくれてありがとうと、心の底から感謝した。
そして香の寝顔を見ながら、己の心に固く誓った。
死ぬまで、一緒に生きようと。









3月に入ってすぐに、香が晴れて高校を卒業した。
卒業式の日、秀幸は勿論、何故か僚まで参加した。
香1人に対し、父兄は2人である。
何でオマエまで来るんだ?と、学校に着くが着くまで釈然としない秀幸だったが、
そんな事よりも、香の一大イベントの方が秀幸にとっては重要なので、
卒業式会場の、学校の体育館に足を踏み入れた途端、
僚の存在などすっかり忘れて、これまでの香との18年間をしみじみと振り返っていた。
秀幸はその日、ジャケットとパンツ合計8か所あるポケット全てにハンカチを仕込んでいた。
こと香に関する事では、秀幸の涙腺はおぼろ豆腐並みに脆い。
それは、僚も合点承知だ。
「槇ちゃん、俺もハンカチ3枚用意してるから、足りない時は言ってくれ。」
「おぉ、サンキュ。すまんな、僚。」


卒業証書を受け取って、壇上から自分の席へ戻る途中で、
香は兄と恋人の方を見詰めて、ニッコリ笑った。
そんな香に僚は、手を振って応えた。
もう、香の制服姿はこれで見納めだ。
秀幸はそう思うと、またもや涙を拭った。
僚は横目でそんな幼馴染みを観察し、思わず苦笑する。

卒業式でこれなら、結婚式はどうなんだよ、と。

式が終わった後も、香は友人たちに囲まれて暫くは2人の元へ戻れそうな状態では無かった。
それを遠目に見ながら、秀幸と僚は言葉少なだ。
香の周りには、下級生の女の子達が殺到し、香の制服のブレザーのボタンは全て無くなった。
「懐かしいな。俺も卒業式の時は、帰りには学ランの前、肌蹴て帰ったな。」
僚が目を細めて呟く。
「・・・俺は、しっかり襟元まで留まったままだったな。」
秀幸は、苦笑しながらポツリと呟く。


香と絵梨子が、そのほか数名の女子達と楽しそうに携帯で写真を撮り合っていると、
1人のいかにも人気のありそうな、背の高い男子が香の前にやって来て、何かを渡した。
秀幸と僚がいる場所では、どんな遣り取りが行われているのかは定かでは無いが、
香の恥ずかしそうに困ったような顔と、周りの女子達の冷やかすような甲高い声で、
おおよその見当は付く。
男子は、手紙のようなモノを香に押し付けるように手渡すと、逃げるように何処かに走り去った。
青い春である。
秀幸も僚も、何故だか意外にも穏やかな気持ちで、そんな光景をボンヤリと眺めていた。


「・・・カオリン、モテモテだな。」
「そうだな。仕方ない、可愛いから。卒業生の中で一番、可愛いからな香が。」
淡々と、そんな筋金入りのシスコン発言を繰り出す秀幸に、僚は軽く引いてしまう。
秀幸との長い付き合いの中で、そのシスコン振りには充分慣らされてはいるつもりの僚も、
度々こうして、度肝を抜かれる。
恐らく彼のシスコンに、底は無い。
こんな時に僚は、やっぱり秀幸には敵わないと思う。
勿論、香を愛しているという点に於いて、誰にも負けないつもりだが。
それでも、この男にだけは一生勝てる気はしない。
また、勝とうとも思わない。





バレンタインの夜。
秀幸は、香の突然の結婚宣言に暫く放心していた。
あの時、風呂を沸かしに行った香に取り残された僚は、秀幸に何を言われるんだろうと、
内心冷や冷やしたが、秀幸は僚に苦情を言う言わない以前に、すっかり魂が抜けたようになっていた。
そんな幼馴染みの姿を見たのは、後にも先にもあの時だけだった。
秀幸は、こと香に関しては、完熟したトマト並みに打たれ弱い。
暫く呆けた秀幸に、僚は小さな声で訊ねられた。


いつ?
何が?
今、香が言ってた事。
・・・結婚?


秀幸は無意識に、耳を塞ぐ。
僚はいたたまれない思いで、苦笑する。


別に、何も具体的には話したワケじゃねぇし。
・・・・そうか。
槇ちゃん? ・・・・怒ってんの?
・・・・・・・・・・・。
大丈夫か?
・・・・・・・・・・あぁ。
・・・そ、そういうワケだから。特に深い意味は無いんじゃね?今のカオリンの言葉。
・・・・・・だとイイけどな。・・・・・僚?
なななななに?(汗)
手ぇ出してねぇだろうな?
出してねぇよっっ
・・・・・信じてるぞ。
お、おぅ(何か、ずっしり重いなぁ。。。)




そんな遣り取りがあった事など、香は知らない。
遠くから、楽しそうに笑っている香を見ながら、僚は思う。
それでも、多分。秀幸には悪いが、僚はきっと香に手を出すだろうと。
またそれが、健全な若い男女というモノだ。
いつまでも親兄弟に遠慮していては、子孫は繁栄しないのだ。
たとえ殴られても、逢う事を禁じられても。
今度こそ、香と2人駆け落ちでも何でもするという意気込みで、僚は近々香を抱こうと思っている。
香は本日をもって、もう高校生じゃない。
子供じゃない。
3人の世界が変わるのも、もうすぐ。 時間の問題になって来た。







香が絵梨子の父の経営する会社に初出社するのは、4月5日の予定だ。
卒業からの約1カ月弱、香は僚と沢山デートした。
絵梨子とも、頻繁に出掛けた。
2月までは、大きな事件も無く、比較的のんびりしていた秀幸だったが、
香の卒業式の数日後、厄介な事件が起こって、また忙しい毎日を過ごしている。
僚と香が、ほぼ連日デートを重ね、僚がしょっちゅう槇村家に入り浸っている事は、
秀幸も解ってはいるが、如何せん2人とゆっくり向き合う時間も無い程、秀幸は仕事に忙殺されていた。
帰宅できない日も、ざらだった。
秀幸の気掛かりはこの所、1つだけだ。
香が僚と、よもや“外泊”などというふしだらな真似などやっていないかどうかという事。
ここ最近秀幸は、夜中や明け方近くに帰宅して、
香が部屋でスヤスヤと眠っている事に、ホッと胸を撫で下ろす毎日だ。


それでも、香はもう高校生では無いし。
表立って2人の恋路に立ちふさがる理由は、1つ無くなった。
今現在、辛うじて秀幸の拠り所とする正当な理由は、ただ1つ。
香はまだ、未成年だから。
しかしそれとて、いつまでそんな言い訳を己の心に言い聞かせ続ければイイのだろうと、秀幸は考える。
たとえ秀幸がどう考えようと、結局は2人の問題で。
秀幸に香と僚の行動を縛り付ける事など、幾ら兄・親友と言えど、出来る事では無い。
恐らく僚は、そのうち香を抱くだろう。
その時自分は、現実とどう折り合いを付けるべきなのか、
僚がどうあれば、香の彼氏として認めてやれるような心境になれるのだろう。
秀幸は今、恐らくこれまでの人生で、もっとも難しい局面を迎えている。






香の誕生日の日、初めは3人でいつもの食卓でお祝いする予定だった。
その5日前の、26日は僚の誕生日だったので、香はケーキを焼いた。
秀幸も21:00頃に帰って来たので、3人で楽しく過ごした。
香の誕生日もまた、同じように過ごす予定だった。
けれど、前日の30日から、秀幸は捜査の為に東北へと行く事になってしまった。
秀幸と冴子が追っている犯人(ホシ)が、そちらの方面にどうやら逃亡しているらしい。
まず間違いなく、香の誕生日に秀幸は一緒に過ごせない。


その話しを聞いた時、香はガッカリして落ち込んでしまった。
秀幸のあまりのシスコン振りに、つい忘れそうになるけれど、香は香で筋金入りのブラコンなのだ。
香はガッカリしているけれど、僚にとっては絶好のチャンスが訪れた。
香の18歳の誕生日、僚は一晩中2人きりで過ごせる。
これは、やるしかないんじゃないのか。
僚は思ったより、早くに訪れたこのチャンスを活かす事にした。



それは、3月31日の朝の事だった。
香の携帯に、僚からの1本の電話が入った。

「おはよう、カオリン。誕生日、おめでとう。」
「おはよう、ありがとう、リョウたん。」
「で、突然だけど。」
「ん?」
「今日は、俺ん家来いよ。」
「リョウたんの?」
「あぁ。折角、誕生日なのにカオリン自分家だったら、自分で料理やっちゃうじゃん?今日は、俺がカオリンに尽くす日なの。」
「・・・・・・・ホント?」
「あぁ。槇ちゃんいなくても、俺が2人分お祝いしてやる。」
「ふふふ。ありがとう、リョウたん。」

と言っても、僚が料理を作るワケでは無い。
少しだけかしこまったレストランに連れ出して、2人で食事した。
前もって僚が頼んでおいた、食後のケーキと店員達からのハッピーバースデイの唄のサプライズに、
香はとても喜んだ。
僚は香の華奢な首筋に、クロスのチャームが付いたシンプルなネックレスを着けてくれた。
誕生日プレゼントだ。



そして、その夜。
2人が帰ったのは、僚のアパートで。
気が付いたら香は、僚の部屋のベッドで生まれて初めての体験をした。
恋人というのは、そういう事をするらしいと、何となく知ってはいたけれど。
まさか自分が、僚とそんな事をするなんて香は全く予期していなかった。
とても大変で、何だか恥ずかしかったけど、同時にとても幸せだった。
幸せな気分のまま、香はいつ眠ってしまったのかさえ解らなかった。







「・・・・もしもし。」
電話の向こうの声は少しだけ、緊張を含んだモノだった。
僚は屋上で、煙草を吹かしながら携帯を耳に当てている。
香は寝室で、グッスリ眠っている。
すっかり疲れ切って寝てしまったので、きっと朝まで起きないだろう。
「寝てた?槇ちゃん。」
僚の声は、いつも通り穏やかだ。
「・・・いや、起きてた。どうした?」
やはり秀幸は、若干緊張している。



あのさ、槇ちゃん。俺さっき、香の事抱いたから。



「・・・・・・わざわざ、報告か?」
「うん。   秘密にしたくないから。」
「それは。」
暫く、沈黙が流れる。
「オマエに抱かれるって事は、香も望んだ事なのか?」
「あぁ、勿論。」
「それなら、イイんじゃないか。」
「へ?」

秀幸の意外な言葉に、僚は思わず間抜けな声になる。

「香にとって大事な事なら、俺の胸糞悪い感情なんて二の次だ。オマエに対するムカツキなんか、更にその次だ。けどな、僚。もしも、これから先香を傷付けるような真似をしたら、冗談抜きでオマエを殺すから。覚悟しとけ。」
「わりぃ、槇ちゃん。それだったら多分、俺、天寿を全うしちゃうわ。槇ちゃんの事、殺人犯にはさせられねぇしな。」

2人は、ヒッソリと笑う。
秀幸は意外にも、すんなりと受け止められた自分に驚いた。
何より、香が幸せそうに笑っている所が、容易に想像できたのだ。
もう秀幸は、感情に任せた己の怒りだけで香を泣かすような事だけはしないと、
半年前と同じ轍は踏まないと、あの雪の降る日に誓ったのだ。



全ては、香の幸せの為に。
妹がそれでイイのなら、この際何でもアリなのだ。
槇村秀幸(30)独身・シスコン。
諦めの境地に達して辿り着いた、1つの結論である。



(つづく)






第12話 お仕事

その日香が初出社を終えて、帰宅すると兄と彼氏が仲良く玄関先で待ち伏せていた。



秀幸は、香が中学生の時に家庭科の裁縫実習で作ってプレゼントした、デニム地のエプロンを着けている。
香が僚の部屋に泊まって、晴れて名実ともに『恋人同士』になった翌々日、
兄は無事、犯人を検挙して帰宅した。
それ以降は、また少しだけ時間に余裕が持てたのか、この数日は早目に帰宅している。
それにしても、時間はまだ17:15である。
こんな時間に秀幸が家に居るのは、今日彼が久し振りの非番だからで、
晩ご飯は、秀幸のお手製だ。
しかも今日は、『カオリン・新社会人祝Ver.』という事で、結構豪勢だ。


おかえり~~~、カオリンっっ


揃いも揃って大男の、敏腕刑事と不良探偵が、仲良く微笑みながらハモる姿は、
心に後ろ暗いモノがある人間にしてみれば、きっと軽く恐怖だろう。
しかし、彼らを忠犬とするならば、彼女は飼い主のようなモノなので、
彼女は全然平気だ。 ただいまぁ、と言ってニッコリ笑う。



そんな彼女は、今朝下ろし立ての真新しい濃紺色のスーツに身を包んでいる。
如何にも新入社員と言ったリクルートスーツに、真っ白なブラウス。
控え目なヒールの地味なパンプスと、アニエスb.の黒いシンプルなバッグ。
SEIKOの腕時計と、スーツは兄から贈られた、入社祝だ。
けれど。
きっと明日からは、もう袖を通す事は無いだろう。



ところで、香(カオリン)。お仕事どうだったぁ?



またしても声を揃えながら、2人が訊ねる。
訊ねながらも、僚は香の手からバッグをもぎ取り、
秀幸は香のお気に入りの、クリーム色のスリッパを揃える。
何処の新婚さんプレイだよと、突っ込む者は残念ながら、この場にはいない。

「ん~~~~とねぇ。・・・何か、思ってたのと全然違った。」

思いがけない香の返事に、2人は顔を見合わせて首を傾げる。
そんな様子の彼らに、香は眉尻を下げて苦笑する。

「ま、まぁ。取敢えず、着替えて。お仕事の話しは、それからゆっくりな。」

その秀幸の言葉に、僚と香も頷く。




その後、秀幸はキッチンに戻り、ご飯の支度の続きに取り掛かる。
もう8割方は出来ている。
あと少しで、準備は整う。
秀幸は、スパイスとハーブをまぶしてオーブンに入れた、
鰆のローストの様子をオーブンの外から眺めつつ、先程の香の言葉を反芻する。
香の思っていた“お仕事”とは、一体どんなモノだったのだろう。
そして、実際の“お仕事”とは。
秀幸は自分の職場にも、毎年配属されて来る新入りの面々の事を思い出す。
彼らは大概、極端に気が利かないか、暑苦しい位気を回し過ぎるかのどちらかだ。
どちらにしても、数ケ月もすれば成長して、ちょうど良い空気感を掴むものだ。
ただ単に、まだまだ世間を良く知らないだけだ。

でも。社会人の先輩ぶってそんな事を、妹に諭したら。
お兄ちゃん、ウザイ。って、思われるかな、なんて。
後輩の刑事が聞いたら、2度見、3度見されるような事を考えている。







一方、何処までもクソ真面目な兄を後目に、恋人たちである。

香がスーツから部屋着に着替える為に、自分の部屋へ向かうと、
僚もさも当たり前かの如く、くっ付いて来た。

「あ、あの・・さ。リョウたん。」

香はクローゼットの前で、真っ赤になってモジモジしている。

「ん~?何ぃ? カオリン。」

僚は香のバッグを、机の上に放るとニッコリ笑いながらそう言って、ベッドに腰を下ろす。





え、えとね。・・・い今から着替えるから。
うん。知ってる。
///////テ、テレビでも観てきたら? リビングで・・・・
大丈夫、今ニュースしかやって無いから、つまんない。
う。 ぇえと、でも。その。・・・だから。     恥ずかしいし




そう言って、真っ赤になって俯く可愛い恋人を、僚はニヤニヤ笑いながら見詰める。
仕方が無いのだ。
彼は昔から、軽い変態で、香のストーカーなのだ。
恋人や幼馴染みと言えば聞こえはイイが、受け取り方1つで立場は変わる。
香の誕生日に初めて夜を共にしてから、その後はまだキスしかしていない。
僚は今週末は、香を自分の部屋に呼ぶ予定にしている。
実質、秀幸公認の仲になったとはいえ、流石にこの槇村家の一室で香を抱くほど、僚の面の皮は厚くない。
ていうか、最中に秀幸に踏み込まれでもしたら、面倒臭い。



「カオリン、おいで。」

そう言って、僚は香の華奢な手頸を掴むと、ベッドの上の自分の膝の上に香を座らせる。
おかえりのチュウ。
そう言って、楽し気に香にキスをする。
香もスーツ姿のまま、僚の胸に凭れてグッタリと力を抜く。
結局、2人は何にも変わらない。
香の制服が、スーツに変わっただけの話しだ。
少しだけ、控え目なメイクをした香。
ベージュのパンティストッキングを穿いた香。
少しづつ香が、僚の腕の中で護られながら、大人になっていく。



「会社の中って、やっぱ男の社員もいるんだろ?」

僚は既に、自分の知らない世界に飛び出した香の周りの、全く知らない架空の人物に嫉妬している。
こういう事だけは、妙に気が早いのだ。彼は。
香は帰宅早々の、僚からの濃厚な“おかえり”のアイサツに、グッタリしながらもコクンと頷く。
頭の中で、お姉ぇ言葉のヘアメイクの男を思い出す。
ごくごく短い短髪は、微妙な緑色に染められ、紺色と白のボーダーのシャツを着て、
妙にぴっちりした赤いスキニーパンツを穿いていた。
鏡越しに見た彼の左耳には、小さなリングのピアスが付いていた。
香の肌が綺麗だと褒めてくれた。
髪の毛を触りながら、柔らかくて羨ましいとも。
果たして彼を、“男性”社員と言ってイイのかは、甚だ疑問を感じるが。


「なんか、妙に妬けちゃうんだけど。職場の男共に。」

僚はそう言って、もう一度咬みつく様なキスをする。
暫く経って、僚の胸に凭れた香が、甘い絡み付くような舌足らずな声で呟いた。


大丈夫だよ。
私は、リョウたんの彼女なんだから。
心配しないで。


そう言って、潤んだ瞳でニッコリ笑う香を、僚は思わず押し倒しそうになる所だった。
寸での所で、必死に理性をかき集め、煩悩を押し殺した。
何しろ秀幸が同じ屋根の下、エプロンを身に着け嬉々として、夕飯を作っているのだ。
いつ、準備が出来たと呼びに来るかしれない状況で、エッチするなんて危険すぎる。









秀幸がもうそろそろ出来るぞ、と香の部屋に声を掛けに行くかと思った矢先に、
2人は揃ってリビングに戻って来た。
香はスーツから、ベビーピンクの柔らかなTシャツとスウェット地のショートパンツに着替え、
メイクも落としたのか、ピンク色のシュシュで結んだ前髪の下の額は、ピカピカと輝いている。
洗顔の水が冷たかったせいか、それとも他に何か理由があるのか。
香の頬は心なしか、少しだけ赤い。
秀幸は一緒に戻って来た悪友を見ると、小さく溜息を吐いた。

(ったく。・・・何をしてたんだか。)

それでも、この数日。
あの妹の18回目の誕生日の、親友からの報告以来。
秀幸は意外と、落ち着いている。
それ以前は、あんなにも不安で不安で堪らなかった香の貞操の危機は、峠を越せば、何という事も無く。
何より香は、僚と一緒にいてとても楽しそうである。
そして秀幸は改めて思うのだ。
もしも香が僚以外の、秀幸の全く知らない男と付き合っていたら。
そして、秀幸も、僚も、誰も知らない所で、密かに“女”になって。
ある時突然、

お兄ちゃん、私結婚します。

なんて言われた可能性だってあったのだ。
その可能性に比べたら。
やはり、香の相手が僚だという事は、もしかすると。
最良の結果だったのかもしれないと。












「やっぱり、お兄ちゃんのご飯が1番オイシイ。」

香がそう言いながら、ニッコリ笑う。
久し振りだから、腕が鈍ってるな。味噌汁が、ちょっと塩辛い。秀幸はそう言って、苦笑する。
僚はガツガツと平らげながら、改めて槇村家の味だな、と思う。
秀幸は香の料理の先生だ。
その槇村家の味は、ゆくゆくは冴羽夫妻の味になり、
僚はこの先、死ぬまで香に胃袋をガッチリと掴まれる事となるのだけれど、
今の時点では、その事は誰も知らない。



「・・・それで? 今日は1日、どんな仕事をやって来たんだ?」


秀幸が訊ねる。
僚も興味深々と言った様子で、香の言葉を待っている。
香は何故だか、少しだけ口籠もっている。


ええと、・・・その事なんだけど・・・・


香は、昼間の事を思い返す。







『株式会社 キタハラ』は、新宿に程近い千駄ヶ谷に、オフィスを構えている。
デザイナーの北原社長以下、13名の小さな会社に、本日付で2名の新人が増えた。
1人は、社長の娘でもあり、デザイナーを目指す絵梨子と。
もう1人は。
スラリとした長身で、驚くほど長く美しい手脚と、美少年を思わせる中性的で神秘的な美貌を持った、
槇村香である。
社長が彼女を、是非にと、招いた真相は。
彼女を、モデルとして起用したかったからである。
北原氏は中学生の頃から、娘の親友として香とは面識がある。
その頃から、密かに狙っていたのだ。
ゆくゆくは彼女に、自分のデザインしたモノを着せて、イメージを形にしたいと。
これまでもコッソリ、香をイメージして作ったモノを、
絵梨子とお揃いという、カモフラージュをしつつプレゼントして来た。(例:水着とか。)



秀幸と僚は知らないが、北原氏の手掛けるブランドは、20代半ばから30代後半の、
主に働く女性達には、なかなか人気のブランドで。
数あるファッション誌には、毎月何らかの形で取り上げられている。
有名な雑誌モデルの中にも、このブランドのファンだと公言している者も少なくない。
そのブランドの、イメージモデル・イメージアイコンとして、これから先香は活躍する事となる。
勿論、香が将来結婚する迄、という意向はシッカリと伝えられている。
たとえ期限付きでも、北原氏にとっては満足な人材補強である。



香は早速、会社に着くやいなや、地味なスーツを着替えさせられ、
件のヘアメイク担当の彼に、色んな化粧を施され、
沢山、写真を撮られた。
しかし、今日のモノはあくまで練習みたいなモノで、少しづつ慣れて貰えば良いからと言われた。
オフィスは、千駄ヶ谷だが。
恐らく、これから先の香の主な勤務先は、渋谷にあるスタジオになるらしい。
勤務の日程も毎日というワケでは、無いらしい。
取敢えず明日から、この秋に発売される香水のイメージポスターの撮影が始まる。







香の話しを聞いて、兄と恋人は、しっかり数十秒固まった。
まさか突然、目の前の可愛い妹(恋人)が、モデルデビューとは。
寝耳に水である。
男性社員に嫉妬などというレベルでは無いと、僚は頭の中が真っ白になる。
漸く親友と妹の恋愛沙汰も落ち着いて来た矢先の出来事に、秀幸は大きく溜息を吐く。
こと妹の事に関して、秀幸の気苦労が絶える気配は無い。
そんな中、いつもと変わらずニコニコと兄の手料理に舌鼓を打つ香をヨソに。



槇村秀幸(30)独身・シスコン、冴羽僚(30)独身・変態、の両者は、
突如、食欲も減退し、ガックリと項垂れている。
その春の槇村家の変化は、あまりにも劇的であった。


(つづく)




第13話 香の夢

「ねぇ、青木さん。」

香が話し掛けたのは、香を担当しているメイクアップアーティストの、彼である。
初めの頃の香には、知る由も無かったが、彼は別にオフィス・キタハラの人間では無い。
あくまでも彼は、香の為に北原氏が契約したヘアメイクだ。
香は全く解っていないが、彼は中々の売れっ子で、
業界内でも数多のモデルやタレントたちから、“ご指名”を受けている。
香(正確には、北原氏)もその中の1人というワケだ。
香がそれを知ったのは、入社後1か月以上経ってからだった。


香は初めに絵梨子から、父の会社で一緒に働かないかと持ち掛けられた時、
これまで同様、就職しても絵梨子と一緒に過ごせるんだと喜んだけれど。
実際の所、絵梨子は千駄ヶ谷のオフィスにいる事の方が殆どだし、スタジオに顔を出すのも偶にの事だ。
むしろ香がいつも顔を合わせるのは、専らこの青木という彼だ。
カメラマンは、その撮影の時々で違う人がやって来る。
スタイリストは、主に北原氏か、そのアシスタントの女性である。
いつだって変わらない仕事場での話し相手は、青木だけだ。
「なぁに? カオリン。」
彼が鏡越しに、ニッコリ笑う。









4月の初め、槇村秀幸は香の雇い主である、デザイナーの北原氏の元を訪れていた。
その事は勿論、香は知らない。
初出社のあの日、香が帰宅した夕飯の席で、秀幸が聞かされた事実はまさに青天の霹靂で。

可愛い妹は、兄の勧めには乗らず結局は受験はせずに、自分一人で就職を決めて来た。
まぁ、それは百歩譲って、良しとしよう。
何事も、自分で出来るように頑張るんだよ、そう言い聞かせて自立心旺盛な子に育てたのは、
自分であるという自覚が、秀幸にも無いワケでは無い。
しかしだ。
まさか。
よもや。
モデルになるなんて。
否、香自信が、確固とした意思の下、モデルになりたかったのなら、多分応援しただろう(?多分。)
けれど、どう考えても。
それまでの香から、そんな希望など一切聞いた事は無かったし、
ただただ、流されるままに始める仕事としては、
いささか問題が多過ぎるのではないかと、秀幸は思ったのだ。

まぁ、ぶっちゃけて言えば。
そんなチャラチャラした商売で、人一倍世間知らずな妹が、右も左も良く解らないままに。
海千山千の狼のような業界人に、良いように言い包められて、弄ばれやしないのか。
という、多少先走り感が否めない、兄心ゆえの心配なのである。



結論から言うと、秀幸は香の勤め先に出向いてみて、多少なりとも安心はした。
秀幸の脳内では、モデル=テレビなんかに出ている芸能人 という図式が成立っていたが、
北原氏によれば、香はあくまで キタハラ・ブランドのイメージ・アイコンで、
所謂、雑誌モデルなどとは別物と考えて戴きたいとの事だった。
だから、幾ら評判が良く人気が出たとしても、一切素性を明かすつもりも無ければ、
テレビに出演させたり、過密なスケジュールを押し付ける事も無いし、
そもそも芸能事務所では無いですから、との事だった。

香さんが表現する着こなしまで含めて、当ブランドの作品だと思って戴きたいんです。
お兄様が、ご心配なさるような事は決してございませんので。

それでも、超が付く程のシスコン兄貴が、アッサリと納得したのは、
彼がとても真摯に、仕事に対する考えを語ってくれたからかもしれないと、秀幸はのちに振り返る。
何より香自身は、今の所とても楽しそうに仕事に臨んでいる。
それが何よりの答えかもしれないと、秀幸は考えている。










青木は、色んなモデルやタレントや女優たちを担当しているが、
ココの所の彼のお気には、専ら香だ。
何しろ素直で、まるで子供のように純粋でカワイイのだ。
売れっ子のモデルたちは、確かにとても美しいし、魅力的だが。
険しい荒波を揉まれて、人気モデルの座を射止めただけあって、
大概、鼻っ柱の強い、プライドの高いタイプが殆どだ。
また彼女たちは同時に、いつその自分の地位を脅かされやしないかと、常にピリピリしている。
そんな彼のクライアント達の中にあって、香だけは異色だ。


そもそも、話しをしていて思うのが、彼女は一切ファッションの事になど無関心だという事。
意外と、そんな無心な所がイイのかもしれないと、青木は思う。
出来上がった写真を見ると、まるで心臓を鷲掴みされるような衝撃を受ける事がある。
自分というモノが有りながらも、自分を消している。
完全に服を纏った作品の一部へと、擬態している。
そのクセ、ひとたび素に戻ると普通の、否、普通以上に天真爛漫な18歳の女の子なのだ。
青木は、初めて香に会った日の事を思い出す。
紺色の地味なスーツを着て、ポカンとしたままされるがままに変身した彼女を。
思い出す度に、少しだけ笑ってしまう。





あのね、昨日夜寝る前にね、気付いたの。

何を?

青木さん、青ちゃんなのに、髪の毛 緑色なの。



そう言って香は、クフフと笑う。
青木は親しみを込めて、青ちゃんと呼ばれている。
“青木さん”と呼ぶのは、香だけだ。
青木も思わず、釣られてフフフと笑う。



ブルーの時もあったわよ。ピンクも、赤も。オレンジも。

へぇ~~、そうなんだぁ。  ピンク可愛いかも。

アタシも意外とお気に入りだったけど、いまいちだったわね。評判は。

そう?可愛いと思うケドなぁ。 青木さんに似合うと思う。




青木は、香のクセ毛を痛めないように優しくこてを当てながら、
クルクルのカーリーヘアに仕立ててゆく。
鏡越しに、香と目が合ったので、小さな声で、ありがと。と呟く。
青木はゲイだから、女の子には特に興味は無いけれど、
香に関しては、不思議と興味が湧いて来る。
まるで、例えるならば。
可愛い妹のような感じだ。










香が就職してから、早2ヶ月。
当初心配していたほど、香の職場に危険分子は無さそうではあるが、
冴羽僚は1点だけ、気になってしょうがない人物がいる。


香は、毎日仕事に行くワケでは無い。
入社前は、OLになるとばかり思っていた僚であったが、予定は大幅に狂い、
何故だか香は、モデルになっていた。
香が写っているファッション雑誌の写真広告を、僚は一応きちんとチェックしている。
しかし、香自身は、OLだろうが、モデルだろうが、何だろうが一切変化は無い。
自分が写っているモノになど、さして興味は無さそうだ。
まぁ、香らしいと言えば、香らしい。


その香の職場にあって、僚がもっとも気になっている存在。
それは香の話しの端々に、しょっちゅう登場する“青木さん”である。
ヤツは、香担当のヘアメイクらしいが、それがどうやら男なのだ。
あまりにも香が、青木さんの事を話題にするので、僚はちょっと面白くない。
何度か香に、自分の知らない男の話しをされるのは気に食わないと、僚は伝えたが、
香はさも意外そうにキョトンとして、何で?青木さんは大丈夫だよ。などと言うのだ。
でも、ソイツ男なんだろうが。と、僚が応戦するも、
う~~~ん、そうなんだけど、そうじゃないの。と、香の説明ではいまいち埒は明かない。


何しろ、香なのだ。
超が付く程の天然鈍感娘である。
これは、手遅れになる前に1度、
その青木とやらに会っておく必要がありそうだと、僚は考えている。











午後すぐからの4時間にも及ぶ撮影も一段落して、
香が再び青木の待つメイクルームへと戻って来る。
その頃には、まだこの世に発表される前の最新流行の洋服は脱いで、
香はバスローブを纏っている。
今日の撮影はこれまでだ。
そして戻るや否や、香はとても大事そうにクロスの付いたシンプルなネックレスを着ける。
撮影以外では、香はいつもそれを身に着けている。


ねぇ、カオリン。

ん?

前から訊こうと思ってたんだけどね。

なぁに?

そのネックレス、彼からのプレゼント?

////////。

図星なのね。カワイイ。

・・・た、誕生日に貰ったの。

どんな彼?優しい?

・・・うん。それに面白い。探偵サンしてるの。

へぇ。・・・珍しい職業ね。



そんな会話を繰り広げながら、青木は淡々とメイクを落としてゆく。
香は構わず、傍らのバッグを引き寄せると、携帯を取り出す。



この人。リョウたん。


そう言って香は、待ち受け画面を見せる。
(うわぁ、超イイ男。)
青木は思わず、ときめいてしまいそうになる。
そんな青木の心など露知らず、香は続ける。



私ね、リョウたんと結婚したら、2人で探偵サンやるの。

このお仕事、続けないの?

うん。もう、リョウたんと探偵サンする事は、決定なの。

へぇ、何か楽しそうね。良いんじゃない?

そんな風に言ってくれたの、青木さんだけだよ。何か、友達とかは不思議そうな顔するの。

あら、夢が無いのね。素敵じゃない、夫婦探偵。



香は楽しそうに、そうでしょ?と言いながら、コクコクと頷く。
青木は香の頭をガシッと掴むと、はい、動かな~~い。と言いながら、
オイルを馴染ませたアイメイクを、優しく拭き取っていく。
そんな時に、絵梨子は現れたのだった。





「香ぃ~、オツカレ~~~~」
鏡越しの親友に、香も嬉しそうに笑う。
「わぁ、絵梨子ぉ~~~。オツカレ~~~~」
「香ぃっっ、イイ人連れて来たわよ。」
そんな絵梨子の言葉に、香はキョトンと首を傾げる。



直後、メイクルームにやって来たのは、香の大好きなリョウたんである。

「うわぁ、リョウたんっっ! どうして???」

(えぇぇぇ~~~、実物はもっと、カッコイイじゃああぁぁん  by.青木)


「お迎えに来た、偶には。 飯食って帰ろうか。」
「わあい、やったぁ。   あ。そうだ。」







か:リョウたん、コチラがいつも話してる、青木さんだよ。

青:はじめましてぇぇ(ブリッ)

り:ど、どうも。カオリンがいつもお世話になってます(汗)

絵:(苦笑)






冴羽僚の心配は、杞憂に終わった。
香の説明では、良く解らなかった事について、今夜はじっくりベッドで事情聴取だな。
と、僚は心に決めた。
槇村香は、そんな恋人の今夜の予定など知る由も無く、
もう既に、女子3人で賑やかにガールズトークを始めている。



(つづく)





第14話 僚の夢

「っっぁん  リョ ウた  ん、だいすきっっ」


腕の中の香が昇り詰めたのを確認するかのように、僚もその後に続いてブレーキを解除した。
今現在、2人が我を忘れてセックスにのめり込んでいるのは、
槇村家の香の部屋である6畳間の、シングルベッドの上だ。
もうこれで、本日2度目だ。



僚と香が初めて結ばれてから、4カ月弱。
最近では香も随分慣れて、今の所2人は寸暇を惜しんでセックスしている。
その日はど平日で、只今の時刻 11:24
僚は朝の9:40頃から遊びに来た。
朝っぱら、おはようのキスからの流れで一気に突入してしまった。
香の部屋の、薄いブルーのカーテン越しに太陽は燦燦と降り注ぎ、部屋の中は、バカ明るい。
7月の真夏日の中で、激しい運動をするにはエアコンは必須で。
2人は体の内側から熱くなって汗だくだが、身体の表面は冷たい空気が冷ましてくれている。



この数日、香は撮影続きでこうして2人きりで逢えるのは、1週間ぶりだ。
その代わり、これから10日ほど香は休みなので、その間はずっと一緒にいられる。
生憎、僚は今現在3つほど依頼を抱えているモノの、そのどれもが依頼人とはさほど接触する必要も無い。
仕事をこなしながら、恋人の相手をする位、僚にとっては朝飯前だ。
体力が違うのだ、並みの男とは。
初めの内こそ、槇村家の中で香を抱く事に、僅かながら遠慮する気もあるにはあった僚だが、
香が仕事にも慣れてきて、僚もそのペースに慣れて来た頃には、
むしろ、香の今の状況は、正直オイシイという事に気が付き始めた。
平日のど真ん中、僚も香も時間はたっぷりある。
絶対に秀幸が帰って来る可能性の無い時間帯に、2人は心置きなくセックスに励む。
勿論、僚の部屋に香を泊める事も時にはあるけれど、やはり秀幸はイイ顔はしない。
万事円満に、平和に過ごせるのが、昼間の香の部屋なのだ。
その事に残念ながら秀幸は、気付いてないけれど。



「リョウたん。」
「ん~~?」
香の甘い声に、僚は香のクセ毛に顔を埋めたまま答える。
未だ2人は、繋がったままだったりする。


あのね、私最近変なの。
何が?
/////リ、リョウたんと一緒にいるとね、
うん。
・・・・・・・・。
一緒にいると何?
リョウたんの、指とか、喉の所の骨とか見ちゃうとね、
・・・うん。
・・・・・・エッチな気分に、   なっちゃうの////
まじ?
まじ//// みたい・・・


僚はこれ以上無い程に、ニヤケてしまう。
この4カ月、手塩にかけて僚好みに仕込んで来た成果が、漸く芽生え始めたのだ。イイ兆候だ。



別に変じゃねぇよ。
・・・ホント?大丈夫かなぁ?
あぁ、それ言うなら、俺なんかとっくにどっかイカレてるよ。
????
ずっと、毎日でも、カオリンとやりたいもん。
/////////(噴火)
だからぁ。 カオリンは、至って正常。健康な証拠です。
ホ、ホントかなぁ(疑・汗)


何ならもう一遍、試してみる?



耳元でそう言って囁く僚の声を聞いただけで、香の瞳はもう既に潤み始め、
まるで熱に浮かされたように、コクンと頷く。
2人は、第3ラウンドに突入した。
繋がったまま、次に移行したのは初めてで。
僚は頭の片隅で、コンドームの事が少し気にはなったけれど、構わず続行した。
そんなものは、途中でどうにでもなるだろうと。
今は取敢えず、“エッチな気分”になってしまった、可愛い恋人を悦ばせるのが先決である。









その後2人は、一緒に風呂に入り(そこでも軽くイチャついた)、少し遅めの昼食を摂った。
そして、今現在。
槇村家の仏間の縁側に2人で寝そべって、ダラダラしている。
傍らには、お盆に乗ったガラスの器。
器の底には、青い水と、濃いピンク色の水が薄っすらと残っている。
2人はまるで1年前と同じように、仲良くかき氷を作って食べた。


この1年、色々とあって。
暫く逢えない日々とか、
柄にも無い僚のラブレターだとか、
香のプチ家出とか、
初めての夜だとか。
香の就職とか。けれど、結局の所2人は去年と何も変わらず、夏を過ごしている。
香は少し大人になったし、2人は正真正銘恋人になった。
もう今では、幼馴染みだった頃の気持ちは、少し忘れかけている。
今では2人とも、片時も離れてはいたくない。


僚はすぐ隣で同じように、ボンヤリと寝そべって鼻歌を歌う香の手をそっと握る。
香は少しだけ僚の方を見詰めたけれど、またすぐに視線を天井に向けて、鼻歌の続きを歌う。
僚はあおむけの姿勢から、横向きに寝返りを打って、香の側頭部にそっと顔を埋める。
香は擽ったそうに、クスクス笑いながら、それでも天井を見詰めている。
それはまるで大きな子供が、甘えているようで。
傍から見ればきっと、妙な光景である。
それ以上、僚も何をするでも無く、香の口遊む良く知らない歌を聞いている。
このままずっと。
このまま、死ぬまで一緒にいたいと、僚は心の底からそう思っている。

(・・・やばい、好き過ぎる。)


ねぇ、リョウたん。


いつの間にか、歌が終了していた香が口を開く。


なに?カオリン。
今日も、泊まってくでしょ?
うん。
晩ご飯、どうする?
・・・・焼肉、食いに行こうか?
わぁっっ、ホント???
ああ。
やったぁ~~~。  お兄ちゃんにも電話しとかなきゃ。行けるかな、お兄ちゃん。





僚は思わず苦笑する。
やっぱり、秀幸には敵わない。
けれど昔のように、そんな事にはもう嫉妬しない。
何故なら、そんな筋金入りのブラコンな香ごと、僚は愛しているのだから。












翌日2人は、僚の祖父の家に行った。
一応今現在、僚は依頼を受けている身なので、時には仕事もしなくてはいけない。
何やら、祖父宅(と言っても、子供の頃はココで育った僚なので、言ってみれば実家だ。)で、
調べ物があるとの事で、香はその大きな屋敷と庭園の中で、のんびりと寛いでいた。
香もココには、物心ついた頃から何度となく遊びに来ている。
勝手知ったる、僚の実家である。



「仕事の方は、どうじゃ? 順調かね。」

そう声を掛けられたのは、香が池のほとりで錦鯉にエサをやっている時だった。
その数十匹の、丸々と肥えた鯉たちは祖父の大事なペットだ。

「あ、おじいちゃん。もう、お仕事イイの?」
「儂は、もう済んだんじゃが。あやつは、もうちょっと掛かりそうじゃな。」
「ふ~~ん。」
つまらなそうに、池の傍にある岩に腰を下ろした香に、祖父は ホレと言って、何やら手渡す。


わぁ、パピコ~~~。


祖父の手と、香の手に、それぞれ半分こづつの、白いパピコが握られている。
祖父も香の隣の岩に、腰を下ろす。


仕事は?楽しいかね?

うん、まぁまぁ。みんな、イイ人ばかりで、良くして貰ってるの。

そうか。僚が心配しとろう。あれはちょっと子供っぽい所があるからのぉ。

最初は、・・・なんか心配してるみたいだったけど、この頃は平気だよ。

どうかの? あれで結構、しつこいからな。フォフォフォ。

でもね、おじいちゃん。

ん?

私ね将来的には、リョウたんと結婚して、2人で探偵サンやるんだよ。

ほぉ。それは、カオリンの考えか?

初めはね、違ったの。前に、リョウたんの夢は夫婦で探偵サンする事なんだって聞いて。
で、一緒にやろうって。リョウたんの夢なんだって。
だから、今は私の夢でもあるの。

そうか。・・・早よう、結婚してウチの嫁に来てくれ、待っとるよ。

うん。私、リョウたんのお嫁さんになる。





そう言って笑う将来の冴羽家の嫁に、老人は目を細める。
池のほとりには立派な楓の樹が植えてあって、2人の上にちょうど良く日陰を作ってくれている。
秋になると、その葉は真っ赤に染まる。


池の傍に来るとね、鯉さんたち寄って来るんだよ。エサ貰えるって解るのかなぁ。

そうじゃな。こやつらも、意外に賢いモンじゃ。

そうだね、あの白と黒と赤の斑点の子が可愛い。他の子よりも、肥ってる。




そう言って、香は池の中を指差す。
昔から、僚にとって香が特別な存在である事を、祖父は知っていた。
僚が小学生の頃、彼の両親の事を話して聞かせた事がある。
夫婦で探偵をしていた、息子夫婦だ。
彼らは、僚の成長した姿を見る事無く、この世を去った。
何1つ不自由なく育った僚が、しかし何処かで強く家族を求めている事は、
誰あろう、祖父が一番良く知っている。



だから、僚が司法試験を終えて、探偵になると言い出した事も。
香を自分の嫁にと選んだらしい事も。
祖父にとっては、とても自然な流れのように感じられる。
何1つ、驚きはしない。
僚は一見、フラフラと生きているように見えて、
あれで結構、しっかりと人生のプランを練っているタイプなのだ。



フォフォフォ。意外に、賢いのぉ。



香はその祖父の言葉は、錦鯉の事だと思っている。
それはまだまだ、無垢な18歳の夏の事だった。




(つづく)




第15話 秋の気配

「ねぇ、お兄ちゃん。今度のお彼岸、24日は非番でしょ?」
「あぁ、特に事件でも起きない限りは、休めそうだよ。」


香が押し麦を混ぜたご飯を頬張りながら、秀幸に訊ねる。
秀幸は、さんまの塩焼きを突きながら答える。
秀幸はさんまの内臓の苦い所も好きなので、秀幸の分は丸のまま焼く。
僚と香は、苦い所はあんまり好きじゃないので、焼く前に取り除いて綺麗に洗う。
僚は揚げ出し豆腐を食べながら、2人の会話を聞いている。


ここ最近、槇村家で僚が夕飯を食べているのは、殆ど習慣になっていて。
秀幸もわざわざ、来てたのかなんて言わない。
秀幸が仕事から帰ると、当たり前のように僚がいる。
偶にいなかったりすると、香とケンカでもしたんじゃないかと、むしろ心配になったりする。
小さなケンカをした位で、2人がどうこうなるとは秀幸も思ってはいないが、
少なくとも、香が悲しい思いをするのには間違いは無いので、その点での心配だ。
僚の事はどうでもイイのだが。


そして、何日かに1度は泊まってゆく。
特に、翌日が香の休みだったりすると、まず間違いなく泊まる。
昔は一応、客間に寝ていた(客なのかどうかは別として)が、今では香の部屋で寝る。
勿論秀幸としては不愉快だけど、香が納得しているのだから口出しはしない。
あの3月の僚からの報告以降この半年間、2人が至極健康的な性生活を送っている事ぐらい、
秀幸も馬鹿では無いので、重々承知だ。
時には、夜遅くに秀幸の携帯に、今日はリョウたんのウチに泊まるから。と、
香からの連絡が入る事もある。
ちょうど1年ほど前には、僚と香のキスを目撃して、あんなに逆上していた秀幸が。
今では仲の良い2人を見て、微笑ましい気持ちになったりもしているのだから不思議である。


「じゃあ、24日にお墓参りに行こう?ウチのお墓と、リョウたん所と。私も、24日はお休みだから。」
「あぁ、そうだな。皆で行ける日に行っとかないとな。」


皆で行ける日とは言いつつも、この場合、槇村兄妹が僚の予定を確認する事は無い。
僚は365日、いつでも大丈夫だから。
槇村家の墓は、奥多摩のとある霊園の中にある。
冴羽家の墓も、そのすぐ近くの寺にある。
昔から、墓参りは3人で行った。
墓参りの後は、少し山の奥の方に行った所の、
湖の周りの遊歩道で散策し、弁当を食べてのんびりするのが毎年の決まりだ。
墓参りとピクニックを兼ねている。


香は早速、テーブルの上にメモ帳を取り出す。
ボールペンの挟まれたページを香が開くと、そこには何やら書き込まれている。

「ねぇねぇ、お兄ちゃんは、お弁当のメニューで何か希望ある?」

どうやら、今年の弁当は兄達のリクエストを元に作られるらしい。
先だって書き込まれているのは、どうやら僚のリクエストらしい。

「僚は?何をリクエストしたんだ?」

「ん~~?唐揚げとか、いろいろ。でも、カオリンの飯だったら何でもイイ。旨いから。」

「ねぇ、お兄ちゃん。おかずはね、もう殆どリョウたんが言ってたヤツで、リクエスト締め切りなの。お兄ちゃん、おにぎりの具で何か考えない?」

秀幸は思わず苦笑する。
ひとに訊いておきながら、おかずのリクエストは“リョウたん”優先らしい。

「ん~、じゃあ。お稲荷さんは?」

「「あ、イイねぇ~~。」」

僚と香の声が重なる。
香を巡って、いつも男2人はバチバチと火花を散らしてはいるモノの、
結局の所、3人揃って仲良しなのだ。
秀幸と僚の幼馴染み歴27年、香を含める3人の場合、18年。
それはもう殆ど、兄妹みたいなものである。
そして、近い将来3人は、本当に兄妹になる。











香がモデルの仕事を始めてから、約半年。
キタハラの広告には、全て香が起用されている。
ファッション誌の広告グラビアの中の香は、普段の香とは全く別人だ。
というか、写真ごとに見事に全て、別人である。
それぞれ全て完璧に、違う作品を演じ分けている。
それでも、同一のモデルだと一目で解るオーラを放っている。


とりわけ、この秋に発表された香水のイメージグラビアは、各方面で絶賛されている。
この半年間、香は名前も、年齢も、一切非公開でやっている。
それは、秀幸の意向は勿論、オフィス・キタハラの方針でもある。
香はあくまで、作品の最後を仕上げる、重要な要なのである。
しかしココに来て、その香の素性を知りたいという問い合わせが、北原氏の元に殺到しているのだ。
香は、何処かのモデル事務所に所属しているというワケでは無い。
高校を卒業して初めての仕事が、今の仕事で。
他でキャリアがあるワケでも無い。
同じ業界の中でも、香の情報に関しては謎のベールに包まれているのだ。


勿論、カメラマンや、青木は外部の人間である。
しかし彼らは皆、これまで十数年に亘り、北原氏と信頼を築いてきた間柄である。
香サイドの意向や、北原氏の方針は重々心得ている。
彼らから、香のプロフィールに関する情報が漏れる事は、まず無い。
これまで香の写真を見て、ファンになったという人間から、同業者のプロに至るまで、
色々な意味で、香に注目が注がれるようになってきたのは、紛れも無い事実だ。
何処に問い合わせれば、香に仕事の依頼が出来るのか。
広告グラビア以外で、目にする機会は無いのか。
この秋少しづつ、ネットを中心に、香の情報に関して色々と話題になり始めていた。











秋のお彼岸を迎えて、季節は少しづつ秋めいている。
新宿の街中は、まだまだ残暑厳しい気温だが、
東京も外れの山の中に来れば、涼しいを通り越して少し肌寒い。
勿論、毎年の事なので、3人は慣れたモノでそれぞれ薄い羽織りモノを用意して来た。
墓参りをつつがなく終え、両家の墓も半年振りに綺麗になった。
お参りもソコソコに、早く湖に行こうと強請る香に、兄達は苦笑する。
墓参りもさることながら、香にとってはむしろ、この後のピクニックが一番の目的なのだ。



そのいつもの散策スポットは、湖を取り囲むように、遊歩道が続いている。
昨今のトレッキングブームのせいか、例年よりも若い年齢層のグループが目立つ。
平日なのに、結構人出がある。
湖を眺めながらゆっくりと歩く秀幸の少し前を、僚と香が手を繋いで歩く。
香がフト立ち止まって、僚のパーカーのフードの中に石ころを入れる。
僚は香の頭をクシャクシャと撫でると、落ち葉を拾って香の髪の毛の上に乗せる。
香はきゃあきゃあ言いながら、はしゃいでいる。

(ったく、何やってんだか。)

秀幸は苦笑しつつも、幸せな気分になる。
去年の今頃は、ちょうど怒りにまかせて香の携帯を解約した頃だ。
僚に絶交を言い渡し、香に口を利いて貰えなくなった。
あれがたった1年前の事かと思うと、秀幸は何だか無性に可笑しくなった。
あの時から、自分達は何1つ変わらないのに、それでも随分変わってしまった。
これはきっと、成長というのだろう。
30にもなって、まだ成長できる余地のあった事が、秀幸は少しばかり驚きだ。



遊歩道をゆっくり時間を掛けて、一周した所で3人は駐車場の、
僚のミニクーパーへと戻って来た。
車に積んでいた、重箱の大きな包みは僚が抱える。
温かいほうじ茶を入れた、アラジンのタータンチェックの魔法瓶は、秀幸の担当だ。
香は、プラスチックの食器類と食後のフルーツの入ったトートバッグを提げる。
レジャーシートを広げる場所は、先程歩いている時に、3人で大体の場所に目処を付けている。
イイ感じに日当たりの良い、開けた場所を遊歩道の脇に見付けたのだ。


3人は湖の畔で、お弁当を食べた。
普段、ごみごみした都会の真ん中で生活する彼らにとって、
澄んだ空気の中、太陽の下で食べる香の手料理は、格別に美味しかった。
秀幸は、抱えている事件の事を忘れてしまうほど寛いだ休日は、本当に久し振りだった。
僚はもしも秀幸抜きで香と2人なら、
間違いなく野外でイチャイチャピクニックなのになと、不埒な事を考えている。
香は兄達が寛ぐシートから少し離れたところで、夢中になってドングリを拾っていた。
1年前とは打って変わって、実に平和な秋の休日だった。












一方その頃、都会の真っ只中の オフィス・キタハラでは、不穏な事が起きていた。
彼らの小さな事務所に於いて、今や欠かせないアイドル的存在となった槇村香宛の1通の手紙。
それは明らかな、脅迫状である。
恐らく差出人は、変質的なストーカーによるモノ。
手紙の内容は、非常に身勝手で独りよがりな戯言で、差出人の言い分によると、

槇村香は、己と愛し合っており、今すぐに一切の仕事を辞めさせて己と一緒になる事。
これ以上、この様な破廉恥な仕事を続けるのならば、続ける事が出来ないようにしてやる。
商売道具のその顔に、ナイフを突き立ててやる。

との事。
そして、一枚のグラビアの切り抜きが入れられており、
その顔の部分にはカッターナイフで、執拗に切り込みが入れられている。
手紙は、手書きでは無い。
そして、もっとも恐ろしいのが、香の本名がフルネームで記載されていた事。
事務所の人間、全員が凍り付いた。



彼女の兄が心配していたのは、こういう事なのかもしれないと北原氏は考えていた。
何しろ彼は、警視庁・新宿署の捜査一課の刑事だ。
だからこそ、香の素性を明かして欲しくは無いと言っていたのかもしれない。
とにかく、香の身の安全だけは、何としても確保しないといけない。
警察にでも何でも、協力を要請して全力で香を守らねば。







幼馴染み3人は、そんな事が起こっている事など、まだ知らずにいた。


(つづく)






第16話 ボディガード就任

その怪文書と、気味の悪い雑誌の切り抜きを見た時、秀幸は血の気が引いた。
今までに、こんな事件を見た事が無いワケでは無かった。
近年、ストーカーの類が関係する事件というモノも、少なくない。
被害届が提出されて、気を付けていたにも拘らず、
残念な事に危害を加えられるケースというモノも、少なからずある。
そしてそれが、実際に身内の身に降りかかる事態となって、
改めて、その恐ろしさを痛感した。
相手は恐らく、普通の精神状態では無い。
相手が誰かも解らない。
コチラは、全く顔の見えない相手に怯えているのに、向こうは陰から香を見ている。
名前を知っている。
何処までの個人情報を握られているのかすら、見当が付かない。
実際それは、計り知れない恐怖だった。



香本人には、手紙や切り抜きなどは、直接は見せなかった。
秀幸と僚は、北原氏からの連絡を受けた時点で、すぐに香には見せるべきでないと判断した。
キタハラの事務所で、そのブツを確認したのは、秀幸と僚だった。
これが香宛に自宅に届いたワケでは無く、会社に届けられたのがまだしも不幸中の幸いである。
ポジティブに考えれば、まだそこまでの個人情報は割れていない可能性もある。
(勿論、楽観は禁物だが。)
その日のうちに被害届は受理された。
暫く、仕事を休ませようかと言い出した秀幸に、異を唱えたのは、意外にも僚だった。



僚曰く。
それでは、アチラの思惑に乗るだけで、調子づかせても何ら解決にはならない。
解決どころか、エスカレートする可能性もある。
この際、相手を苛立たせて、炙り出した方が手っ取り早いと。
要は、香を守り通せばイイだけだと。

ナイフでも何でも持って来い、返り討ちにしてやる。

そう言って不敵な笑みを浮かべる僚は、妙に鬼気迫るオーラを纏っていて。
さすがに秀幸の職場でも、これだけの空気を纏える人物はそうそう居ない。
そして、本気で切れた僚のえげつなさは、誰より秀幸が知っている。
確かに、ちょっとイカレたストーカー程度なら、僚の相手では無い。
今の所、犯人の目処は全く立ってはいないけれど。
僚は笑いながら、冗談とも本気ともつかぬことを呟いた。

香の仕事を辞めさすのは、相手を締めてからでも遅くはねぇ。絶対、仕留める。

そう言った僚の口角は、不敵に吊り上って弧を描いていた。
秀幸は、暫く休ませようかと言ったワケで。
香が仕事を辞める辞めないにまでは、言及してはいないが、
僚はハッキリと、“辞めさす”と言った。
勿論、実際にそう至るまでには、直ぐにというワケにもいかないであろうが、
そんな些細な一言で、秀幸は僚の本音を垣間見たような気がした。
そして、秀幸もまた、本心は僚と同じだ。












「リョウたんが、ボディガード?!」
「あぁ。このゴタゴタが解決するまで、仕事場も家でも常に一緒だ。」
「勿論、警察の方でも、郵便物の手掛かりから何らかの情報は、割り出している所だ。」

改めて秀幸と僚は、香にこれからの事を説明する。
仕事は今まで通り、普通にこなす。
ストーカーの脅迫には乗らずに、むしろ来るなら来いのスタンスで臨む。
(僚としては、ホシが出てくれば恩の字。むしろ、返り討ちにする腹積もり。)
香のガードは、24時間体制で僚があたるよう、北原氏に正式に要請された。
(あくまでも、株式会社キタハラから、冴羽商事への正式な依頼である。)
この場合の懸念材料は、僚の公私混同による“夜の”密着ガードであるが、
そんな事は、2人がわざわざ口外しなければ穏便に済む話しである。
警察の方は、今の所実被害が無いので手の出しようが無いのが現状だが、
唯一の手掛かりの脅迫状の分析と、今後の動きを注視するという方向で固まった。
いずれにしても次の手は、この先の展開次第である。


取敢えず、仕事の行き帰りは全て僚と一緒に。
仕事以外での外出は控え、どうしても出掛ける時は必ず、僚か秀幸と行動を共にする。
個人情報を読み取られるような会話は、極力避ける。
不特定多数の人間が出入りする場所に、近付かない。
香に自衛出来る事は、数少ない。
後は、会社と警察と冴羽商事が一体となって、守るしかない。











真夜中、日付が変わった香の部屋では、今ではもう殆ど使っていない香の勉強机に向かって、
僚がボクサーパンツ一丁で、パソコンのキーを叩いていた。
泊まり込む際に持ち込んだ、僚のノートPCだ。
ベッドでは、香が幸せそうにスヤスヤ眠っている。
つい1時間ほど前、“夜の”密着ガードは3ラウンドを迎えた途中で、僚のTKO勝ちで終了した。
秀幸は今夜、仕事で帰って来られなかった。
あくまで夜の“仲良しこよし”をボクシングに例えるならば、2人の力の差は歴然で。
香がボクササイズ目的でジムに通うOLだとすれば、僚はヘビー級世界王者のようなモノだ。


それにその夜は、半分はこうして香を深い眠りに誘うという目的も、僚にはあった。
現に少しだけいつもと違って、
激しく高められた香はすっかり消耗しているので、恐らく、朝まで目を覚ます事は無い。
僚が覗く液晶の画面には、モデルとしての香に該当するようなキーワードで検索してヒットした、
様々な情報が写し出されている。
世の中に氾濫する、有象無象である。
9割方は、どうでもイイゴミのような情報。
それでも中には、手掛かりになりそうなモノも隠されている。


僚が一字一句逃すまいとチェックしているのは、某巨大掲示板。
タテマエとしては、犯罪的な書き込みは削除される事になってはいるが、
実際には、それを取り締まるしくみも、法律も機能不全だ。
削除されるスピードを、アップロードされるスピードが遥かに凌いでいる。
そして、そこにそれはあった。


“誰か、このモデルの事詳しく知ってるやつ情報くれ。”
“ヤバイ、このこカワイ杉。惚れる。”
“あ~、そのこ。マキムラカオリだよ。てか、中学一緒だった。”
“この子、幾つ?”
“渋谷で、実物みた事ある。まじ、別の生き物。”


僚は、そんな無機質な文字の羅列に、腹の底からムカツキを覚えた。
こうやって、ネットを介した情報交換が行われている以上、
情報が1人歩きしてしまうのは、もはや誰にも止められないし、悪意を突き止めるのは容易ではない。
この文字を、今僚と同じ時に目にしている、頭のイカレタヤツがいても不思議では無いのだ。
だから犯人が、香の名前を知っていたとしてもなんら不思議は無い。
そして遅かれ早かれ、香に対する何者かの興味がある以上は、こうして情報は晒され続ける。


僚は明け方まで、反吐が出そうになるだけのそんな確認作業を黙々と続けた。
きっとヤツも、こんな中から情報を得、あの手紙を書くに至った筈だ。
この事件を解決したら、僚は香に仕事を辞めさせようと考えている。
取敢えずは、近い内に祖父の自宅に赴いて、今現在晒されている香の個人情報について、
全て抹消する手立てがないか、策を講じるつもりである。
僚の脳裏にカッターナイフで切り裂かれた、香の写真がチラつく。


絶対に守ってみせる。


僚は幸せそうにぐっすり眠る恋人を、薄暗い明け方の部屋でいつまでも見詰めていた。



(つづく)








第17話 ゲイが身を助ける 

香の会社に、妙な手紙が届くようになってから、2ヶ月弱。
早いモノで、もう11月も終わろうとしていた。
常に先々のトレンドを創ってゆく業界に於いて、外の季節と真逆の仕事をしている香は、
翌年春に発表される、柔らかな色合いと薄手素材の、
軽やかな衣服をアレコレ着せられ、それに合わせたメイクやヘアスタイルを施される。
このスタジオの中に於いて、僚に出来る事は特に無いので撮影中の香に見惚れている。


ねぇねぇ、冴羽ちゃん。

ん~~?

カオリンとは、幼馴染みでしょ?

あぁ。

どの段階で、恋になったの???

・・・何で?

んふふ。単純なる、野次馬的興味?(半疑問形)




僚は、ジットリとした恨めしそうな目つきで、小さく一言『黙秘。』と呟く。
野次馬的興味を半疑問形にして僚にぶつけて来たのは、オレンジ色の短髪のヒョロヒョロの男である。
ヘアメイク担当の青木繁は、春先から夏にかけては、緑色のカラーリングをしていたけれど、
彼曰く“秋の紅葉に合わせて”オレンジ色に、イメージチェンジを図った。
香曰く“青ちゃんなのに、オレンジ”である。
彼は本当は、香のような天然の栗色の髪の毛に憧れているらしい。


香のガードを北原氏に依頼されてから、2ヶ月弱。
毎日では無いにせよ、スタジオに居る時には必ず顔を合わせる青木と僚は、今では結構、仲良しだ。
それ以上に、香と青木は仲良しだが、その事に関して僚は、特には嫉妬もしない。
彼に関しては、嫉妬対象外である。
むしろ時折、背後に妙な視線を感じる事の方が、僚にとっては問題で。
明らかに青木は、僚の筋肉質な臀部を凝視している節がある。
青木に関しては、香の方の心配よりむしろ、自分自身の貞操を死守する事が僚にとっては先決だ。



繁には、教えてやんねぇ。

えぇぇぇぇ~~~、何よそれえ。冴羽ちゃんてば、いぢわる。

繁は、どMだろ?

いやぁん。解ったぁ?



僚は、ワザと青木の事を『繁』と呼ぶ。その方が、男らしいからだ。
そして青木は僚に呼び捨てにされて、喜んでいる。
そこまでの一連の流れが、最近の2人のじゃれ合いなのだ。
お陰で最近のメイクルームの空気は、まるでゲイバーのノリである。
ただ、アルコールが入っているかいないかだけの違いだ。
香も、リョウたんと青木さんが仲良しになってくれて良かった。と、喜んでいる。
勿論香は、僚が少しだけ、貞操を奪われる恐怖を抱いている事など、知る由も無い。











あれから手紙は、未だ週に2~3通のペースで送られて来る。
僚が香の周りで張っている事を、どうやら相手も察知しているらしく、
実際の行動として、香の前に現れて来る事はまだ無い。
しかし、手紙の内容は確実に酷いモノになりつつある。
ゆっくりとではあるものの、しかし確かに変態(ストーカー)の鬱屈した欲望も、蓄積されつつある。
これで、実際には出て来ないしただの変態か、で済ませてしまって警備を怠れば、
恐らく相手は、その時を狙って香を襲うに違いないと、僚は踏んでいる。
向こうが焦れて行動に移すのを、ただ待っていればいづれ尻尾を出す。
その時が、仕留めるチャンスだ。
今はまだ、お互いに膠着状態だ。


送られて来た手紙は、全て秀幸に託され警察で証拠として保管されている。
使われている紙、文脈の特徴、消印の押されている範囲が、ある特定の区内の数か所の郵便局である事。
切手には唾液は使わず、水を使って貼られている事。
詳しく解る事はその程度だが、警察の見解としてはまず同一犯の犯行と見て間違いは無いだろうという事。
必ず会社宛てに送られて来る事、今のところ自宅周辺では不審な人物は見掛けない事からして、
まだそこまでの情報は掴まれていない可能性が高い事。
しかし秀幸は用心の為に、家の外回りに数か所、監視カメラも設置した。
そして香の寝室には毎晩、用心棒が寝泊まりしている。
その点だけは、秀幸の腑に落ちない部分でもあるが(部屋は別でもイイだろ、と)、
確かに、秀幸の帰れない晩などは、僚がいてくれれば安心出来る。



ネットの方の対策は、迅速だった。
僚は数日に亘り、様々な検索を掛けて香に関する情報がどの程度氾濫しているのかを探った。
それを元に、祖父の元を訪れたのは、香のガードを始めて4日目の事だった。
結論から言えば、あれ以来、ネットには香の情報は一切出て来ないようになっている。
何をどうしてその様な工作が出来るのかは、祖父以外は解らないが、
祖父の事に関する情報は、この世の中に漏れないように厳重なセキュリティが働いている。
もう随分昔から、祖父はそうやって世の中の表舞台で知られる事は、殆ど無い。
祖父という人物を知る人間は、ほぼ100%面識がある者だ。


僚に関しても、それは同様だ。そこに、もう1人槇村香が加わった。
『なに、簡単な事じゃ。』
そう言った祖父の事を思い出す度、僚は初めからそうしなかった事を悔いた。
それに関しては、完全に抜かった。
今僚は、祖父に協力を要請して、これまでの悪質な情報の発信元の特定を急いでいる。
個人情報を勝手に第3者が晒した事については、相手を特定できれば、
法的な手段を取る事も、可能になるかもしれない。









香は今、クリームイエローとイエローグリーンのグラデーションが鮮やかな、
少しだけ光沢感のある、目の詰まったコットンのワンピースを身に着けている。
裾に行くほど、グリーンが濃くなっている。
五分袖の袖口には、サーモンピンクの小さなボタンがポイントにあしらわれ、
少しだけAライン気味の、膝上10㎝のスカートの下には、柔らかいピンク色の薄手のタイツを穿いている。
眩しくて目を開けていられないような強い照明にも、何度も落としては塗り、塗っては落とすメイクも。
特に指示をされる訳ではない、レンズに向かって色んなポーズをとってみる事も。
この数ケ月、もう随分慣れっこで。
ここ最近では、こんなお洋服でリョウたんの前に現れたら、どんな顔するかな。とか。
こういうの、リョウたん好きそうだな。とか。
これは、リョウたん受けより、私の趣味だな。なんて事を考えながら、楽しんで撮影に臨んでいる。


秋の初めに、会社に変な手紙が送られて来た事は、香も兄達に聞かされた。
社長も秀幸も僚も、妙にピリピリしていて、秀幸は家の出入り口周辺に監視カメラを取付けた。
香はその手紙とやらを、ちょっと見てみたい気もしたけれど、秀幸と僚にダメだと言われた。
あれから、相変わらずその手紙は続けて送られて来ているらしいけど、
正直、香にはいまいち、狙われている実感が無い。
何処に行くにも、僚と一緒だし。
家の中でも、ずぅっと一緒だ。
この状況がむしろ楽しいと思っていたりするけど、さすがに秀幸にはそんな事は言えないので、
一度、僚に言ってみた。

なんか、いっつもリョウたんと一緒だから、楽しいの。と。

すると僚は、ニッコリ笑って、それでイイ。と言って頭を撫でてくれた。
必ず捕まえるから、カオリンは楽しめ。と。
僚は昔からこうなのだ。
香がちょっとお兄ちゃんには言えないかなと思うような、ジョークや不謹慎な事を、僚になら言える。
僚のリアクションはいつだって、香の予想した通りで。
リョウたんなら、そう言ってくれると思ってた。という結論に至る。
それに、今までこんなに可愛い女の子みたいな服を着たところを、僚に見せた事など無かったので、
僚がスタジオの片隅で、自分の事を見ていてくれる事が香は素直に嬉しかった。



お疲れ様~、30分休憩して次のに着替えようか?


今日のスタイリストは、北原氏のアシスタントで、そのワンピースのデザインもした女性だ。
彼女がそう声を掛けて、一旦休憩に入る。
強いライトが消されて、香は一瞬、眩暈を覚える。
目の奥で急激な照度の変化に、ピントを合わせようとしているのが解る。
撮影が長時間に及ぶと、意外と疲れるのは目である。
香も、メイクルームの方へと戻りかける。


僚の携帯が着信を知らせたのは、その時だった。
発信は、秀幸だった。
僚はスタジオの外の廊下に出て、電話に応じた。


青木は、メイクルームに戻る香の背中を見ながら、
ポットに用意されたハーブティーを、香のマグカップに注ぐ。
午前中から、合間1時間の食事休憩を挟み、5時間ほど撮影を続けている。
香は目が大きいからか、あまり長時間強い照明に晒されると、目が乾き気味になるらしい。
マグカップと、スチームで温められたおしぼりを持って、メイクルームへ向かう。












「あ、あの?何か?・・・御用ですか?」

香がキョトンとして、その彼に訊ねる。
確かさっき、次のに着替えるって言ってたから、もうこのワンピースは脱がなきゃだし。
早くお化粧落として、少しの間だけでも目の周りの疲れも解しておきたい。
それなのに。
何故だか、そのヒトは香の控室にいた。
今日のカメラマンさんは、もう何度も撮って貰った事のある人だった。
撮影中も何かと気に掛けてくれる、優しい人だ。



彼は、今日初めてお目に掛かった。
カメラマンさんには、大抵2~3人アシスタントの人がいて。
今日も彼を含めて、3人の人がいたような気がする。
何度かやはり一緒に仕事をした事がある人たちだ。
そんな中で、彼は今日が初めてだった。
その人が、一体香の控室で何をしているんだろう?香には、今の状況が咄嗟には把握出来なかった。
疲れていたせいもあるのかもしれない。


「あの。今から、着替えなきゃいけないんで・・・」

香はそう言いながら、何かただ事じゃないオーラを、無言のその男から嗅ぎ取った。
香の背中を、嫌な汗が伝う。
心の中で、僚や青木の名を呼ぼうとするのだけど、喉の奥に何かが痞えたようになって声が出せない。
香は一歩、後ずさる。
その時、香の肩に触れたハンガーラックに掛けられた、木製のハンガーが落ちて派手な音を立てた。


ガラアァァーーン


青木がメイクルームに足を踏み入れたところで、奥の更衣室で派手な音がした。
香1人の気配だけでは無い、何か強烈な違和感を青木は感じた。
躊躇無く、青木は仕切りのカーテンを開いた。
目の前には、手にサバイバルナイフを持った、カメラマンのアシスタントが立っていた。
その奥には、真っ青になって震える香。
















何やってんだぁっっ、テメェ、ゴルア(怒)



僚が秀幸との通話を終えて、スタジオの中に戻ると奥のカーテンで仕切られた部屋の方から、
野太い声が聞こえた。
間違いなくあれは、繁の雄叫びである(苦笑)
僚は一目散に、その小部屋へ向かう。


青木は咄嗟に、手に持っていたアツアツのマグカップの中身を、その男の顔面めがけてぶちまけた。
男は怯んで、ナイフを手から離す。
おどろおどろしいナイフは、鈍く光りながら床を滑り、香の足元で止まった。
それを見逃さなかった青木は、すかさず香に指示する。

「カオリン、それあっちの棚の下に向けて蹴って。」

香は震えながらも頷くと、華奢なヒールに包まれた脚でその一旦は自分へと向けられた凶器を、
こつんと、蹴った。
ナイフはまたしても、クルクルと弧を描きながら作り付けの棚と、床の間の狭い隙間へと入ってしまった。



冴羽ちゃぁぁぁあん、怖いわぁ。助けてぇ。


次の瞬間、僚がカーテンの向こうから現れた。
その時には、腰を抜かして呆然としている香と、男の上に馬乗りになって逆エビを決めている青木がいた。

「やるじゃん、繁。」
「やぁだぁっ、早く交代してよっっ。怖いんだからねっ。」
「はいはい。」

僚は苦笑しながらも、青木と交代して傍にあったベルトで、変質者の手足を拘束した。
青木が震えている香に駆け寄り、抱き締める。
漸く安心した香は、無意識にぽろぽろと涙を溢した。
その時初めて、僚は青木に嫉妬した。
その役は、是非とも自分がやりたかったのに、と。


(つづく)






第18話 クリスマスのご予定

12月に入ってすぐに、香はクリスマスツリーの飾り付けをした。
去年香が生まれて初めて、飾り付けられる事の無かったそれは、2年振りに納戸の外に出た。

箱はもう随分古びているけれど、これまで香が大事にしてきたそのツリーは、
何処も傷む事も無く、青々している。
プラスチックで出来たモミの木の幹に、人工芝みたいな安っぽい葉っぱ。
雪に見立てられた、白い綿。
銀色に塗られたプラスチックのまるでアルミホイルのような、お兄ちゃんのお星様。
これまで何度も秀幸は、新しいのを買ってやろうかと提案してきたが、その都度、香が却下している。
これから香が嫁に行くまでに、あと何度これを飾り付ける日が来るのだろうと、
秀幸が思っている事など、勿論香は知らない。



リョウたん、コレはその下の方。

コレは? このトナカイ。

それは、反対側。



秀幸はソファでコーヒーを飲みながら、そんな香と僚の遣り取りを見ていた。
去年は、3人それぞれがバラバラで。
ちょうど今頃は、秀幸は香の事で色々と悩み多き季節を過ごしていた。
今年は一転、秀幸の非番のこの日に、3人揃ってこうして昼間から平和に過ごしている。
3人はつい1時間ほど前に、秀幸の作った鍋焼きカレーうどんの昼食を終えている。
秀幸は非番の日には、出来るだけ料理をする事にしている。
きっと、もう少ししたら、香があの銀色の星を差し出して、

はい、お兄ちゃんのお星様の出番だよ。

と、言うに違いない。
それは槇村家の、12月のしきたりだ。
いつまでもずっと、この先も続くと信じていたこのしきたりも、
いつかはきっと、僚の役目になるのだろう。
そう思うと、目の前でヒトの気も知らず、
呑気に最愛の妹と、イチャイチャと飾り付けをしている親友に、秀幸はムカついてきた。
こんな事なら、僚の分だけ激辛鍋焼き地獄うどんにしてやれば良かったと、後悔している。





この秋の、一連のストーカー騒ぎは、11月の終わりに片が付いた。
撮影中のスタジオで、犯人は牙を剥いた。
犯人はカメラマン志望の美大生で、つい最近、例の北原氏とも親交のあるカメラマンの元に、
アシスタントのアルバイト兼、半分弟子入りのような形で入り込んでいた。
その実、そのカメラマンが、香の撮影にも関わっているという事を突き止めた犯人が、
上手い事、その懐に潜り込んだという顛末だ。


ヘアメイクの男性(?)の機転により、事件は最も穏便な形で幕を閉じた。
香は数時間は、ショックで呆然としていたモノの、その日は僚が付き添って先にスタジオを後にし、
家に帰ってからも僚が宥め、早めに休ませた。
その甲斐もあってか、翌日にはすっかり元に戻っていた。
それでもその日以来、北原氏は大事をとって春の新作のポスター撮りは、今の所中断している。
秀幸は僚からの連絡を受けて、あの日すぐに現場に急行した。
犯人が顔面に軽い火傷を負った以外は、他に怪我人も出ず、
何より秀幸としては、香が無事だった事が全てである。



あれから数日、秀幸の不満は僚がずっと泊まり込んでいる事だ。
たまに昼のうちに、香と2人で自分の部屋にも帰ってはいるようだが、
何故だか、夜になると当然のように槇村家で過ごして、泊まってゆく。
秀幸は、香と僚があの香の部屋で、秀幸のいない間に何をしているのか、
恐らくは健康的な若い恋人同士がやる事は、一通りやっているだろうとは思っているが、
もうそれ以上は、考える事を放棄している。
真剣に考え始めると、またしても2人の仲を邪魔しかねないからだ。
僚の事は、正直どうでも良いけれど、香を悲しませる事だけは秀幸には絶対に出来ない。
残念ながら、どうやら妹の幸せは、兄の忍耐の上に成り立つものらしい。



お兄さま、準備が出来ましたょ♪



香がおどけながら、いつもの銀色の星を差し出す。
僚もニコニコして、そんな香を見詰めている。
それまで考えていた、妹の幸せと兄の忍耐に関しての考察は、一旦脇に押しやり、
秀幸もニッコリと笑いながら、お星様を手にツリーへと近付く。










香がゆっくりと10日ほど休暇を取って、ポスター撮りは再開された。
休みの間は、いつものように僚とのんびり過ごした。
どちらかの家で、マッタリ過ごしたり。
そろそろ、クリスマス仕様になり始めた街をデートしたり。
いっぱい、キスをしたり、エッチをしたり。
クリスマスツリーの飾り付けをしたり。
そうする内に、あのスタジオでの怖い出来事は、まるで随分前の出来事のように感じられた。
もう一応事件も解決したし、あれ以来怖い事も起こっていないので、
一旦、僚のボディーガードの契約は、11月末で切れた。


それでも、スタジオへの送り迎えだけは、僚がやってくれた。
あの事件が起こる前は、香は平気で1人で電車に乗って何処にでも出掛けたし、
スタジオのある、渋谷や、事務所の近くの原宿でお買い物をするのも平気だった。
けれど、少しだけ怖い事もあるんだという事が解った。
本当は、もうすぐクリスマスなので、僚と秀幸にプレゼントを選びに出掛けたいと思っているけれど、
1人で出歩くのは、僚(秀幸も)的に無理そうなので、
せめて絵梨子と2人で出掛けようと香は考えている。



ねぇ、カオリン。

なぁに?青木さん。

冴羽ちゃんもイイ男だけど、お兄ちゃんも渋くて素敵ね。

うん。そうでしょ? やっぱり、さすが青木さんは見る眼が違うね。

まぁね。カオリンのお兄ちゃんは、もしかしたらこれまでで№1かも。

ホントぉ~~???

えぇ、アタシが言うんだから、間違い無いわ。

お兄ちゃん、料理も完璧なの。私、家の事は全部お兄ちゃんに習ったの。

・・・完璧だわ。










その頃、槇村秀幸は張り込み中の車内で、盛大にくしゃみをしていた。
同乗する相方の野上冴子は、後部座席に置かれた箱ティッシュに手を伸ばしながら、
なぁに?槇村。風邪? 大丈夫?
と真剣な表情で、心配している。
確かに秀幸の背筋に悪寒が走った気がしたが、まさかその頃、
妹たちがそんな事を、噂していた事など知る由も無い。


でも、去年はあんなに悩んでたけど、今年は安泰ね。ストーカーも捕まったし。

・・・それが、そうでも無いんだな。

どういう意味?


秀幸は、苦笑しながら溜息を吐くと、ここ数日の複雑な兄の心情を冴子へ愚痴った。
例の、妹の幸せと兄の忍耐の相関関係と両立に関する考察である。
そんな秀幸の、他人にはどうでもイイ悩みに、今度は冴子が苦笑する番である。


相変わらずねぇ。・・・ねぇ、槇村?

ん?

その分じゃクリスマスは、香さん、僚に独占されるんじゃない?

・・・・・・・・(怒泣)。

そんな顔しないで?   たまには、過保護もほどほどにして、デートでも楽しまない?

・・・誰と?

・・・失礼ね。私以外、誰がいるの?



秀幸は、思わずフフッと頬を緩める。
周りの誰もが一切気付いてはいないが、秀幸と冴子は付き合っている。
なかなかの切れ者だが、一見パッとしない地味な風采の秀幸と、
父親がお偉方で、その上仕事も出来て、見るからに華やかな冴子。
彼らには、何処にも共通点など見受けられないし、仕事上とは言えバディを組んでいる事すら、
周りの連中にとっては、意外な取り合わせに映るらしく、
陰で、コソコソと“警視庁の月とすっぽん”などと揶揄されている。
これで付き合っている事が知れたら、何を言われるか解ったモンじゃない。


ふふ。じゃあ、早く事件解決しないとな。

そういう事。


俄然、秀幸のモチベーションは上がる。
先程までの、妹と親友の何たらは、もうすっかり忘れている。
ある意味野上冴子の手に掛かれば、秀幸を操縦する事に関しては、右に出る者はいない。
ただ1人、香を除いては。














師走とは良く言ったモノでそうこうしている内に、あっという間に24日はもう目前だ。



今年は1週間ほど前から、秀幸は仕事で遅くなると宣言した。
勿論、仕事でもあるが、その後は冴子とデートである。
僚はそんな事は重々承知なので、兄達2人はそれぞれの恋人と過ごす事は暗黙の了解である。
香だけが唯一、え~。今年は3人でケーキ食べれると思ったのになぁ。と、淋し気だ。
秀幸は思わず冴子との約束も忘れて、なるべく早く帰るからと言いそうになったが、
寸での所で、その言葉をグッと呑み込んだ。


このまま、いつまでも妹に執着していても、香も自分もいつまで経っても大人にはなれないと、
秀幸は、己の心に言い聞かせた。
いつかは、香も自分の元から巣立つ日が来るのだ。
それがいつなのかは、まだ誰にも解らないけれど、その相手は兄では無いのだ。
その事実だけは、香がこの世に生まれた時から決定している事だ。

「イイじゃん、カオリン。カオリンには、リョウたんがいるじゃん。」
そう言って、僚が茶化す。
「ん~~~、そうだけどぉ。お兄ちゃんも、リョウたんもみんな一緒のが楽しいでしょ?」
そんな事を言う香に、僚はニィ~~~ッと口角を上げると、何やら耳打ちをした。

(そら、槇ちゃんにだって、クリスマスのご予定があんだろうよ。邪魔しちゃ悪ぃよ。)
(・・・そうなの?)


香のただでさえ大きな瞳が、真ん丸に見開かれる。
香はポカンとしながら、秀幸に訊ねる。

「・・・お兄ちゃん、彼女さんいるの???」

僚がわざわざ小声で耳打ちしたのも意味が無い程の、どストレートな質問である。
秀幸は途端、耳まで真っ赤にする。
そんな秀幸を見て、僚は内心、あぁ、やっぱコイツらは兄妹だな。などと、妙な感心をする。
秀幸はご飯を喉に詰まらせそうになりながらも、小さく頷く。

・・・・あぁ、まぁ。い、い、一応な。・・・この歳だし。

その秀幸の答えを聞いて、香は急にパァッと笑顔になる。
いつも仕事で忙しくして、父が亡くなって以来、
自分の人生を後回しに香の世話をしてくれた兄に、恋人がいるのは香にとっても喜ばしい事だ。
香は僚と付き合うようになってから、好きな人と一緒に過ごせる事の幸せを僚に教えられた。
そんな人が、兄にもいるのだったら、それはとても幸せな事だ。


お兄ちゃん、どんな人?優しい人?綺麗な人?

あぁ、とってもイイ人だよ。俺には勿体無い位。その内、香にも紹介するよ。

ホントぉ?

あぁ。

良かったぁ。クリスマス、デートゆっくりして来てね。私も、リョウたんと過ごすから。



その香の言葉に秀幸は、今度はブフッと味噌汁を吹く。
僚は内心、忙しねぇなぁ、と思いつつ布巾を無言で手渡す。
秀幸も無言で受け取ると、吹き出した味噌汁を拭き取る。
否、覚悟はしていた。
香と僚が、仲良くイチャイチャと聖夜を過ごす事は。
この数週間、考えまいとしていても、嫌でも色々と考えた。
自分自身の恋人との、偶にのデートにも正直心が躍る。
しかし、やっぱり。

忍耐か・・・


槇村秀幸(31)独身・恋人あり。
相変わらず、妹離れは出来ていないようである。


(つづく)





第19話 約束

クリスマス・イブの日、秀幸が出勤するのを僚と香は2人で手を振って見送った。


朝食は、3人で揃って食べた。
今日の晩ご飯は別々だから、せめて朝ご飯をお兄ちゃんと食べようと、香が言ったからだ。
勿論、僚はその前の晩もお泊りしている。
最近では、自分の部屋より槇村家にいる時間の方が長い。
秀幸がスクランブルエッグを作り、香がパンケーキを焼いた。
僚は、コーヒーを淹れた。
秀幸を見送った後、香はキッチンで洗い物をし、僚はリビングのコタツに座ってテレビを観ていた。
洗い物を水切りかごに乗せ、エプロンを外した香は少しだけ僚の方を窺う。
幸い僚は、朝のニュース番組に集中している。
香はそのまま1人で、自分の部屋に戻る。







クローゼットの奥から取り出したのは、綺麗にラッピングが施された箱が入った2つの紙袋。
1つは秀幸へ。
もう一つは僚へ選んだ、クリスマスプレゼントだ。
そのプレゼントの片方を持って、香は兄の部屋へ向かった。
香の部屋と兄の部屋は、間にキッチンや水回りを挟んだ、端と端だ。
最近では、秀幸が眠っている時でも、僚は構わず始めちゃったりするので、
多少なりとも、部屋同士が離れていて良かったと、香は思う。
かちゃり、とドアを開ける。


兄の部屋はいつでも、几帳面に片付いている。
学生の頃から使っている年季の入った机の上には、デスクトップのパソコンと、
何やら良く解らない、難しそうな本。
警察官には、昇任試験というモノがある。
秀幸も忙しい仕事の傍ら、勉強しているらしい。

「お兄ちゃんは、大変だね。」

香は机の上に置かれた本に、そっと触れる。
香は高校を卒業して以来、机に向かう事など殆ど無いので、秀幸の事を改めて尊敬してしまう。
小さい頃、一緒に遊んでくれた兄。
父親が亡くなってからは、家の中の色んな事を教えてくれた兄。
特に料理は、香は全て兄から学んだ。
香はグレーのキルティングのベッドカバーの掛けられたベッドの上に、そっと紙袋を置いた。
明日、秀幸が帰ってから目に留まるように。





香はまた自分の部屋へと戻ると、もう一つの紙袋を取り出した。

僚へのクリスマスプレゼント。

赤い包装紙に包まれて、シルバーのリボンが巻かれている。
これらのプレゼントを選びに出掛ける時にも、過保護な兄達とひと騒動あったのだ。
あのストーカー事件以来、秀幸も僚も、香が1人で出歩く事を禁じている。
撮影の送り迎えは僚がしてくれるし、食材の買い出しに行くのも僚と一緒だ。
香も、別にそれが嫌なワケでは全然ないけれど。
それでも、プレゼントを渡す相手と一緒に、プレゼントを選びに行くなんて、
絶対、ダメだと香は思った。
だから、2人に何処に出掛けるんだ?と詰め寄られても、言わないつもりだったのに。
2人の粘りに負けて、香は言ってしまった。


っだぁからっっ、お兄ちゃんと、リョウたんのプレゼントを選びに行くのっっ。
秘密なのっっ!!


そう言って、半ば涙目で2人をキッと睨む香に、秀幸も僚も思わず、
ご、ごめん、と謝ってしまった。
ちゃんと、1人じゃなく絵梨子と青木と3人で行く事にしてるからと、懇願されると、
目的が目的なだけに、苦笑しながら2人はやむなく許可したのだった。




秀幸にはヤギ革の柔らかな表紙の、新しい来年の手帳と、カシミヤの柔らかいブルーグレイのセーター。
これからまだまだ寒いから、兄にはニットを贈ると決めていた。
手帳は予定外だったけど、秀幸に似合いそうな良いデザインのモノがあったので、大奮発だ。
僚にはラムレザーの、しなやかで柔らかいイタリア製の黒の手袋。
きっと僚の大きくて指の長い、カッコイイ手にとても良く似合う。
その僚の手を想像するだけで、香の胸の奥で小さな焔が点る。
こんな気持ちがあった事を、香に教えてくれるのはいつも僚だ。
僚と一緒にいない時にも、香は僚の手の形や、僚のTシャツに顔を埋めた時の微かな匂いや、
僚の唇の温度を思い出すと、いつも幸せな気持ちになれる。


香は僚のプレゼントが入った小さな紙袋を、ラビットファーのトートバッグに入れる。
この冬、香が愛用している可愛らしいそのバッグは、青木からのお下がりだ。
女子力の極めて高い男子・青木繁の持ち物は、大抵女の子仕様だ。
仕事柄、流行のサイクルが目まぐるしく変わる彼の、とっておきのお気にを、香が譲り受けた。
荷物の多いフリーのヘアメイクらしく、見た目の割に大容量な所も、
香が気に入っている点の1つだ。
香はお返しに、手作りでがま口を作ってプレゼントしたら、彼は大層喜んだ。
因みに、そのがま口は今現在、頭痛持ちの青木の鎮痛剤を入れるピルケースになっている。
バッグにプレゼントを仕舞うと、香はリビングにいる僚の元へと戻った。




僚はコタツに座り、ミカンを剥いていた。
けれど不思議な事に、食べる訳でもなく外側のオレンジ色の皮が綺麗に向かれたミカンが、
まるのまま、2つ置かれている。
白い筋も綺麗に取り除いてある。

食べないの?リョウたん。

香はごく自然にコタツの僚の隣に座りながら、訊ねる。
僚は何も答えず、ニコニコして香を見詰めると、香の肩を抱き寄せてこれ以上無い程密着する。
香は思わず、クスクス笑う。

どうしたの?リョウたん?

相変わらず、僚は答えずにニコニコしたまま、ミカンを一房香の口元に差し出す。
どうやら、香の為に剥いてくれたらしい。
香は、ありがとう。と言うと、パクッと食べる。
香が呑み込む前に、もう1つ差し出される。
香は笑いながらも、まだ食べてるよ、と言ってもう1つ口に入れる。
何度かそんな事を繰り返すうちに、香は思わず僚の人差し指をそっと口に入れた。
僚の口角が、そっと持ち上がる。


まるでそれが合図であったかのように、2人はお互いの唇を貪り合う。
柑橘の味の、甘酸っぱいキスが何度も交わされる。
キスの合間に僚は香を押し倒し、香は僚の胸に顔を埋め。
2人はそのまま、己の欲求に素直に従った。
冬の朝の、コタツとオイルヒーターの暖房の中で、2人はセックスをした。







「・・・リョウたん、もうそ・・・ろそろ、出掛ける・・準備しないと。」

漸く香の息が整い始めた頃、香は僚の膝の上でそう言った。
因みに2人は裸ん坊で、僚はソファを背凭れにして座っていて、
その上に、香が跨る形で僚の胸に凭れている。
つい先程、2人は満足したばかりで、時刻はまだ午前10時を回ったばかりだ。
僚は返事の代わりに、香のつむじにキスを落とす。






本日、クリスマス・イブの恋人たちの予定としては、今夜は僚の部屋で過ごす事にしている。
2人で昼間から、少し高級なスーパーに買い出しに行き、
2人で共同で手の込んだ料理を作り、それを食べて、その後はベッドになだれ込む。
僚は秋口から、前もって人気のレストランの予約を取る事も考えたけれど、
やっぱり止めにして、2人で自分の部屋で過ごす事に決めた。
レストランに連れ出す事は、クリスマスじゃなくても時々やってるし、
わざわざ、混み合った所に出向くのも、僚の好みでは無い。
それに何より、今日は香に少しだけお酒を勧めてみようと思っているのだ。


香は立派に働いているとは言えまだ未成年だし、秀幸に知られたら大目玉だが、
僚の家でならバレる事も無いだろうという、企みがあるワケだ。
先日から、2人で料理をしようと計画を立て、メニューはもう決めてある。
槇村家では僚は食べるの専門だが、意外にも料理は秀幸並みに出来るのだ。
元々、器用で手際の良い男なので、自宅に居る時は専ら、自炊だ。
調理道具も、一通り何でも揃っている。
まぁ、最近は殆ど槇村家に入り浸っているので、道具の出番はめっきり無いのだけれど。


実は、僚が自分の部屋に女の子を招き入れるのは、香が初めてだった。
と言っても、香は小さい頃からよく遊びに来ていたし、秀幸と一緒に泊まって行く事もあった。
だから、この場合は“彼女”としてという意味だ。
香と付き合い始めて、1年8か月。
香が僚の部屋で、初めて手料理を作った時から、7か月。
そして、恋人として、恋人らしいクリスマスを迎えるのは初めてだ。
1年前はまだ、今にして思えば妹以上恋人未満だった。


僚が、こんな風に恋人のいるクリスマスを過ごす事は、生まれて初めてだ。
無駄に経験は豊富だけれど、肝心の経験はすっ飛ばして生きてきたのだ。
香が何もかも初めてのように、僚だって何もかも初めてだ。
恋人を思って、笑顔になる事も。
好きな人と過ごす幸せを噛み締める事も。
全部、全部香が教えてくれた。









コクンと、香が深い緋色をした液体を、ひとくち飲み下す。




美味しい?

ん~~、思ったよりは。でも、シャンパンの方が好きかも。



眉をハの字に下げた香に、僚はニッコリ笑うと、じゃあこっちは俺が飲む。と言って、
香の飲みかけのワインの入ったグラスを取り上げると、別の細長いグラスに、
薄い黄金色の微発泡の液体を、静かに注ぐ。
はい、と手渡されたグラスを、香はニッコリ笑って受け取る。
香の目の前の皿に、僚がナイフで薄く切った肉をサーブしてくれる。
塊の牛肉に香辛料やハーブを塗り込めて、ローストしたモノだ。
食後のケーキは、香が焼いた。
昼間から、午後中かけて2人はキッチンに立った。
料理をしながら、何度もキスをした。


きっと温かいこの部屋の外は、車が渋滞し、流行のイカしたレストランはカップルだらけで。
煌びやかなイルミネーションの下には、またしても人の渦が出来ているのだろう。
そんな浮ついたデートも、楽しみの1つかもしれないけれど。
やっぱり、僚は2人でこの部屋でのんびり寛ぐ事にして正解だったと思っている。
特に、この後の展開を考えたら。











香が切り分けたケーキを食べながら、コーヒーを飲んだ。
2人分サイズの、こじんまりしたイチゴのケーキ。
その時、香がソファの上に置いていたバッグを持って来て、
何やら恥ずかしそうに、モジモジしながら紙袋を取り出した。


あのね、リョウたん。・・・これ。プレゼント////

お。サンキュー、開けていい?


真っ赤な顔で頷く香に、僚も早いとこプレゼントを渡したい気持ちをグッと押さえる。
可愛いラッピングを解くと、出て来たものは、
黒い革の手袋だった。
一目で上質だと解る、柔らかなラム・レザー。
僚はその場で、嵌めてみせると、香はニッコリ笑った。


じゃあ、俺からのも受け取って貰える?


僚の問いに、香は嬉しそうにコクンと頷く。
ちょっと待ってて、と言って僚が席を外す。
香は一体何をくれるんだろうと、ワクワクしながらイチゴを頬張る。
数分後、香の背後からふわっと、僚が腕を回して香の腕に抱かせたのは、
イエローブラウンの、耳に黄色いタグの付いたテディ・ベアーだった。


うわぁ、可愛い。


と、香がクマに夢中になって目を輝かせていると、僚はいきなり香の椅子の横に跪く。
香が何事かと僚を見詰めた時に、僚はピンク色のベロアが張られた四角い箱を差し出した。
そして、それを開いて見せた。















まるで、ドラマや映画みたいだった。
いつもおちゃらけて、笑っている僚が、いつになく真剣な表情をしている。
小さなカワイイ箱の中身は。


華奢なプラチナに小さ目のダイヤが5つ一列に並べられた、キラキラ光るリングだった。


香は、予想外の僚の贈り物に、ポカンとして僚を見詰めた。
初めは、そのリングの意味は解らなかった。




「かおり。」


僚が、“カオリン”じゃなくて、ちゃんと真剣に香の名を呼ぶ。


「はい。」


香も、真正面に僚と向かい合う。





俺と、結婚してください。
俺と、死ぬまで一緒に生きて下さい。
俺の前で、ずっと笑っていて下さい。



気が付くと、香の目には涙が溢れていた。
すぐ目の前の、僚の胸に飛び込む。
まるで、映画みたいで、ドラマみたいで、漫画みたいだけど。
これは全部、本当の事なのだ。



勿論、喜んで。






この後、2人はイチゴ味のキスをした。





(つづく)








第20話 兄の葛藤

槇村秀幸は、己がこんなにも狭量な人間だという事実を、30過ぎのこの歳になるまで知らなかった。


否、勿論知っている。
親友の妹に対する想いが、本気であるという事は。
あの夏の終わり、香がまだ高校生だった時。
僚が自分に内緒で香に手を出していた事を知った時には、当然怒り狂ったし、
あの当時は、僚の手癖の悪さについては、殆ど病気に値すると思っていて。
長い付き合いの親友であっても、その点だけは信用おけなかった。
けれどあれから、1年以上の時を経て、仲良く幸せそうな2人を目の当たりにし、
もう1人の悪友のフリーライターにも、逐一裏を取り(勿論2人は知らない事だが)、
僚の女遊びが、事実上完全に終息しているのも、確認済みだ。
(尤も、殆ど毎日、槇村家に入り浸っている僚に、夜遊び・女遊びする時間など皆無であるのは明白だが。)



何より、秀幸の僚に対する信頼が、確固たるものへと変化したのは、この秋の一連の事件からである。
あの時僚は、秀幸とはまた違った視点で、香の事を深く愛しているという事を、まざまざと見せつけた。
今現在に至っても、香の知らない所で、僚はあの件に関して動いている。
だから秀幸は。
香がいつか、僚の元へと嫁ぐのだろうとは、
心の何処かでは、考えていないワケでは無かった。



けれど、香はまだ18歳で。
社会にも漸く出たばかりの、まだホンの世間知らずの小さな妹だ。(あくまで、秀幸目線でという事だが。)
3週間ほど前に、ツリーの飾り付けをした昼下がりには、
あと何度、あんな妹の姿を見る事が出来るのだろうと、
若干、センチメンタルな気分に浸っていたシスコン兄貴だったが、
まさかあれが最後だったなんて、まだ考えたくは無かった。
クリスマスの朝、恋人との一夜を遠慮なく過ごしてきた秀幸は、自室のベッドの上の贈り物に破顔した。
秀幸にとってサンタクロースは、いつだって妹だった。



去年、秀幸30歳、香17歳のクリスマスプレゼントは、
3ヶ月振りの仲直りだった。
秀幸13歳、香生後9か月の、香の生まれて初めてのクリスマスプレゼントは、
初めて1人で立ち上がれるようになった事。
秀幸18歳、香5歳のクリスマスプレゼントは、
保育園で作って来た色画用紙で出来た、クリスマスカードだった。
もう香本人は忘れてしまった色んな事を、秀幸はきっと一生忘れられない。



25日のクリスマスの日は、
歳末防犯の為の特別勤務シフトで、秀幸は午後から翌明け方までの担当になっていた。
だから、午前中は自宅に居た。
10時頃、香と僚は2人揃って帰って来た。
イブを2人で過ごし帰宅した、香の左手薬指にはリングが光っていた。
そのリングが、手頃なファッションリングなどでは無い事ぐらい、秀幸とて一目で判る。
それに幸せそうな妹の顔を見れば、2人の間でどんな遣り取りが交わされたのかは、一目瞭然で。
帰宅早々2人が改まって、お兄ちゃんに話があるの。なんて、
切り出された秀幸は、耳を塞いでしまいたい気持ちだった。



香の18歳の誕生日の夜の、僚のあの電話報告以来。
香と僚は秀幸に対して、オープンな付き合いをしてきた。
さすがの僚も、秀幸の眼前であからさまにイチャつく事は無かったが、
(秀幸の目にイチャイチャに映る事が、確かに多々あった事は否めない。)
大事な話はいつだって、僚が必ず報告した。
けれどその朝の報告は、香から切り出した。
ダイニングの4人掛けのテーブルに、2人と兄が向かい合う。
気持ちを落ち着かせる為に、秀幸自ら淹れたコーヒーの薫り漂う中、
彼は、妹のその言葉をハッキリと聞いた。



お兄ちゃん、私ゆうべ。リョウたんに、プロポーズされたの。
勿論、喜んで受けるつもりです。



そう言って微笑む妹は、秀幸が初めて見る、大人の女の顔をしていた。
いつの間にか。
“小さな妹”は、大人の階段を駆け登っていたようである。
テーブルの下では、愛する者同士、しっかりと手を繋いでいる。
そして秀幸は、これまでの長い親友との付き合いの中で、一番真剣な表情をした僚を見た。



お兄さん、香さんを。
私の妻とする事を、お許し下さい。



そう言って、深々と頭を下げた僚に、秀幸が言えた言葉はただ一言。
『考えさせてくれ。』だった。
勿論、秀幸とて頭の中では、理解している。
2人の決意の中に、秀幸の“考え”など挟む余地は無い事は。
2人が真剣に、未来を見据えている事は。
2人が一緒になれば、まず間違いなく幸福になって、
2人を引き裂けば、自分自身をも含め不幸になる事は。
けれどそんなに簡単に割り切れる程、秀幸は物分りのイイ兄貴では無い。



いつまで、考えさせてくれ。なのか。
何を、考えさせてくれ。なのか。
秀幸は何1つ詳しい事は言わなかったケド、2人も何も訊かなかった。
そんな事1つとっても、それはまるで、2人の本気の表れのような気がして。
秀幸は、正直打ちのめされた。
2人は決して、早まって結論を出そうと焦っている訳でも無く。
一時の気の迷いでも無い。
それは、言葉など無くとも、秀幸に充分伝わった。





だから、秀幸は今。
妹たち2人にというより、むしろ自分自身の混沌とした心に向き合う必要があるのだろう。
今までの忍耐の中で、今回は最大級だ。
何しろ事は、妹の嫁入りだ。
秀幸の胸中で、妹の幸せを願う気持ちと、相反する己の利己的な感情が激しく葛藤していた。



(つづく)






第21話 心の準備期間

「・・・お兄ちゃん、反対なのかな。     私達の結婚。」


ホットカーペットの敷かれた香の部屋で、僚と香は何をするでも無くゴロゴロしている。
2人とも、仰向けに寝転んで、天井を見上げている。
香は天井から吊るされた蛍光灯の丸い傘に、左手を翳す。
キラキラと輝くのは、僚から貰った宝物。
クリスマスに僚が嵌めてくれてから、一度も外していない。
さすがに、撮影中はまずいかな?と、香は半ば諦めていたけれど。
意外にも社長は、OKだよ。と、ニッコリ微笑んだ。
それどころか左手を、ポケットに突っ込んだポーズや、髪の毛の中に差し込んだポーズを提案してくれて、
旨い事絶妙に隠された指輪は、写真には写ってはいなかった。
僚は、パタリと寝返りを打つと横向きに寝転んで、香のコメカミに鼻先を埋めた。
僚はまるで犬になったみたいに、ワザと鼻をくんくん鳴らす。
香はそんな僚が可笑しくて、クスクス笑う。


クリスマスの日の午前中、2人は秀幸に結婚したい旨、伝えた。
2人なりに、精一杯、誠実に秀幸に向き合ったつもりだ。
それに対する秀幸の答えは、『考えさせてくれ。』というモノだった。
その後、3人の関係は一切変わらぬままだ。
一昨年と同じように、平和に年も暮れ。
去年と同じように、しりとりをしながら、初詣の列に並んだ。
ただ1つ、今までと違うのは、香の左手の薬指のリングだけだ。
去年は元日から、署に詰めていた秀幸は、今年は非番だった。
3人揃って、お節や雑煮を食べ、僚と秀幸は酒を飲み、3人でマッタリとゲーム(桃鉄)をした。
秀幸が意図的に避けていると思われる、“結婚”の話題には3人とも敢えて触れなかった。
あれからもうすぐ、1か月半だ。
数日後には、バレンタインがやって来るというのに。
秀幸は未だ、“考え中”のようだ。



ん~~、どうだろうね。・・・・でも。俺さぁ、カオリン。

なぁに?

俺ね、槇ちゃんの気持ちも解るから。

・・・お兄ちゃんの、・・・気持ち??

ああ。カオリンとキスしてて、殴られた時も。絶交だって言われた時も。
カオリンと初めてエッチした時も。カオリンと、2泊3日で旅行した時も。結婚するって言った時も。
槇ちゃんは、絶対に沢山我慢してるんだよ、きっと。

・・・・・・???



僚は不思議そうに己を見詰める香の頭を、ワシャワシャ撫でる。
今晩、秀幸は帰って来ない。
2人はもう、晩ご飯も食べたし、お風呂にも入って、パジャマにも着替えている。
後は、眠るだけ。




カオリン。

ん?

槇ちゃんにとってはね、カオリンは宝物なの。この世で一番大切なんだよ。
だから、幾ら俺と長い付き合いでも、そう簡単には譲れないんだよ。

そういうモノかな?

ああ、そういうモンなの。・・・もしもね、

・・・うん。

もしもカオリンが、俺じゃない知らないヤツを連れて来て、ソイツと結婚したいって言ってたら、
俺だって、絶対に認めなかったと思うよ。どんなにイイ奴でも。

・・・ふ~~ん。なんか、複雑なんだね。

そういう事。

////で、でもね、リョウたん。

ん?

わ、私。多分、どんな風になってても、リョウたん以外の人なんて選ばなかったと思うよ/////

/////////まじか。

う、うん(頷) 私ね、中学生の時に初めて好きになったヒトは。   リョウたんだったから。

(//////////////////照。)



だからね私、リョウたん以外のヒトなんて、考えられないんだょ?







僚はもうそれ以上、お喋りなどする気は無かった。
突然ガバリと起き上がって、香を抱きかかえると、そのままベッドへ横たえて唇を重ねた。
僚の方こそ、香以外など考えられないと思っているのに。
軽妙に見えて、意外と照れ屋な30男は。
一回り年下の可愛い恋人に、
己が常日頃、照れ臭くてどうしても言えないような甘言を。
サラリと、囁かれてしまった。
心底愛している相手に、同じだけ愛されてしまっている。こんなどうしようもない自分が。
それならば。
その愛に応えるべく、キスをして、悦ばせて、守って、養って、一生、添い遂げるしか。
自分の愛を表現する方法は無いと、僚は思う。
そして。
どちらが先に召されても、幸せな人生だったと言えるように。言って貰えるように。
僚は息をするように自然に、香を愛し続けるつもりだ。末永く。


今現在秀幸が考え中なので、2人の結婚問題は1㎜も進展はしていないけれど。
香は、近々結婚したいという事は、去年のうちには社長に伝えた。
突然言って、急に仕事に穴をあけるワケにはいかないし、
ゆっくりと社長と話し合った結果、
ちょうど入社から丸1年、3月一杯までは頑張ってみよう。という結論を出した。
そして、社長が是非にと提案したのは。
ウェディング・ドレスを、デザインさせて欲しい。という事だった。
香は僚にも逐一、仕事を辞めるタイミングと、ドレスの話しを報告した。
僚はニッコリ笑って、賛成してくれた。
仕事の事は香の納得いくように決めればイイし、ドレスは楽しみにしとく、と。
だから、2人には何の障壁も無い。
唯一、秀幸のシンキング・タイムを除いては。










バレンタインデーの前々日。
祖父に協力して貰っていた、例のネットの件に動きがあった。
香はあの事件は、11月の終わりのあの時に解決したと思っていたけど、
どうやら僚は、密かに動いていたようだ。
狙いは、個人情報を晒した発信者を突き止める事。
そして、その日漸くそれは判明した。
犯人は、香と絵梨子の中学時代の同級生で、意外と近所に住む19歳の女だった。
僚は香にその話をする前に、絵梨子に連絡を取った。
2人がどの程度、その女と付き合いがあるのかを探る為だ。
下調べ無しに、香へその話しをするには、あまりにもショックが大きいかもしれない。


結果は、絵梨子はその相手の名前を聞いて、
あぁ、何となく覚えているような気がする。といった程度だった。
香はどうだろう?と、僚が訊ねた絵梨子の答えは、多分覚えて無いんじゃないかな。というモノだった。
絵梨子曰く。
私達とは、全く違うグループに居た子だから。との事。
それでも、卒業アルバムさえあれば、お互いの住所まで判ってしまう。
とある掲示板では、香の本名を晒した彼女は、
別の所で、槇村家の住所を晒していたのだ。
一歩間違えば、香の被害は何処まで及んでいたか解らない。
たとえ彼女が、まだ19歳の未成年で、香の同級生だったとしても。
僚にとっては、殺してやりたい、クソ女だ。


僚の報告を聞いて、秀幸は警察官として彼女の自宅に赴いて任意同行を求めた。
例のストーカー本人から、あのネットの個人情報を閲覧して、参考にしたという自供も得ている。
香に怪我は無かったとはいえ、脅迫行為、暴行未遂などの罪は意外と重い。
そして、その事件に一部であるといえ、彼女も加担したのである。
事情聴取をされるのは、自然な流れである。
ネットでのそういった行為は、意外と軽視されがちだが、それは相手を特定できないからである。
僚の執念と、祖父の力があれば、アッサリ特定出来てしまうのだ。恐ろしい事に。
僚と秀幸は、散々迷ったけれど、香に報告だけはしておこうという結論を出した。
今回の事件の当事者は、あくまで香なのだ。
香にも、知っておく権利はあるだろうと。


けれど、タイミングは最悪だった。
年が明けて何かと事件続きで、いきなり忙しくしている秀幸が、
たまたま一緒に夕飯を摂れたのが、バレンタイン当日で。
次一緒に飯食う時にでも話すか、という兄達の打ち合わせ通り、
和気藹藹のムードで終えたバレンタインディナーの後に、それは香に報告された。





「・・・それで、その彼女は逮捕されちゃうの?」

案の定香は、自分の身が危険に曝された事や、警戒の為に日常生活に不便を強いられた事は、
すっかり思考から抜け落ち、その元同級生の身を案じた。

「今はね、まだ聴取の段階だよ。これからの、彼女の話し次第だよ。」

秀幸が、淡々と説明する。

「でも。・・・もう事件は解決したんだし。けが人もいないし・・・逮捕されないよね?」

「・・・残念ながら、たとえ軽い罪だったとしても、何らかの違法行為には当たるだろうね。」

「っそ、そんなっっ・・・」

「なぁ、香。今回は、無事に解決出来たけど。必ずしも毎回、そう上手くいくとは限らないんだよ?
 運が悪ければ、お前が殺されていたかもしれないんだ。
 ・・・お兄ちゃんたちは、香ほど優しくないからね。たとえ、軽い罪でも彼女を許せないんだよ。」

「彼女、何してるの?学生さん?働いてるの?」

「大丈夫だ、香が心配する事じゃ無い。彼女もきっと、反省してるから。」




香の表情は、全く腑に落ちたモノでは無かった。
同じ学舎で、時を同じくして学び、平等に未来があった、彼女と自分の道を分けたもの。
一体、それが何なのか。
深い大きな河を挟んで、まるでお互いが対岸に立たされたような気がして。
香はワケも無く、悲しくなった。
夕食までは3人幼馴染み水入らずで、楽しく過ごしていたのに、
香は暗い表情のまま、自室へと引き上げた。
やはり、付き合いの無かった相手とはいえ、香には多少なりともショッキングだったようだ。
間の悪い日は、何処までも悪いモノで。
そんな晩に、秀幸には緊急招集が掛かった。


「・・・香の傍に、ついていてやってくれ。」

秀幸が玄関先で、廊下の先の香の部屋のドアにチラリと視線を寄越しながら、僚に言った。

「あぁ、解ってる。」

「・・・・・なぁ、僚。言うべきじゃ無かったかな?」

「いや、そうは思わんよ。大丈夫だ。カオリンは、自分で考えて受け止める事の出来る子だから。」

「そうだな。・・・ふふっ、もっと信じてやらんとな。アイツの強さを。」

「あぁ、気にせず行って来いよ。冴子が、お待ちかねだぜ?」




頼んだぞ。ああ。









僚が香の部屋に入ると、香は布団を頭から被ってベッドの上で、入り口に背を向けて寝転んでいた。
電気も消したまま、部屋の中は真っ暗だ。
僚はゆっくりとベッドに近付くと、ベッドの傍らのカーペットの上に座る。
そっと手を伸ばして、布団の上から香の頭を撫でる。
今、目の前の恋人が何を思っているのか。僚はひとつ残らず、知りたいと思う。
もしも心に見えない傷を負ったのなら、優しく手当してやりたいし、
僚で出来る事ならば、どんな我儘でも聞いてやりたいし、
不安な気持ちになっているのなら、その華奢な体を抱き締めてやりたいと思う。
そう思いながら、僚は彼女の頭を撫でる。


暫くして、香はもそもそと寝返りを打つと、そっと布団から顔を出した。
暗くて表情は良く解らないけれど、微かに瞳が潤んでいる事は、
微かに入る光の加減で、僚の目にはハッキリと解った。


リョウたん?

ん?


香の声は、少しだけ掠れている。


どうした?

・・・おみくじ。大吉だったのに、今年はイヤな事ばっかり。


そう言って、香はスンと洟を啜る。
今年の初詣も例に漏れず、香のおみくじは大吉だった。
僚は布団の中にそっと手を差し入れる。
香の華奢な手を握る。
僚の手に、薬指のリングが触れる。


でも、イイ事もあるじゃん。

なに?

結婚するし、俺と。

・・・・・・それも。お兄ちゃんは、反対みたいだし・・・


僚は香の瞳を、ジッと見詰める。
暗さにも慣れてきた僚の目は、少し戸惑ったような香の瞳が揺れるのを見逃さない。
ベッドに少しだけ凭れて、香の額にキスをする。


俺はするよ、必ず。いつかは、槇ちゃんも賛成してくれると思ってる。

そうかな。

うん、親友の俺が言うんだから、間違いない。だから、諦めないでよ、カオリン(泣)



眉尻を下げておどける僚に、香は漸くクスッと笑う。
僚はニヤッと、口角を持ち上げると、香のシングルベッドに遠慮無く潜り込む。
香を抱き締めて、慰める。
これから先、どんなイヤな事があっても、僚だけは香の味方だと、自らの行動で何度でも伝える。










それから更に数日後、僚と秀幸は一軒のバーに居た。
2人のマドンナは、今日は女子会だ。
絵梨子の家で、香と絵梨子と青木(一応、ジャンルは女子。)の3人で、パジャマパーティだそうだ。
深く考えないようにしている香だったケド、やはりまだココのとこ何処か晴れない表情だ。
事情を知っている彼女たちが、香を慰める為に企画したのだ。
そんなワケで、愛しの妹と恋人に振られた幼馴染みたちは、飲み会だ。
初めは、他愛の無いバカ話に興じる2人だったが、酒が進むにつれて僚がその話題を持ち出した。



・・・なぁ槇ちゃん、そろそろ考えてくれた?


そう言われれば何の話しか、秀幸にも皆まで言わずとも解る。
香の嫁入り問題だ。
秀幸は、神妙な面持ちで僚に体ごと向き直る。



まだ、早いんじゃないか?香はまだ19になる手前だし、仕事だって始めて1年も経って無いじゃないか。

だからその仕事を、辞めさせたいんだっつーの。



それは、僚のまごうこと無き本音だ。
あの例の事件は、まだ何処か3人の心の奥で確実に尾を引いている。
今回の犯人は、何事も無く捕まったけれど、次何も無いとは限らない。
僚としては出来るだけ早目に、あんな目立つような仕事は辞めさせたい。
香には、直接は何も言わない僚だけど、僚の本音を香に覚らせる事の無いまま、
幸せな寿退社で、幕を引かせたいと思っている。
秀幸は、僚の意図など解り過ぎるほど解るので、途端黙り込む。




ならさ、いつだったらイイの? いつなら、槇ちゃん的には早くないワケ?

・・・・・・・・・・。

(要は、嫁には出したくないって事ね、タハハ。)



黙り込む秀幸に、僚は思わず苦笑する。
秀幸の割り切れない気持ちなど、僚にも痛いほどよく解る。



ま。俺は何年でも待つから、良く考えてよ。俺が言うのも、変な話しだけどさ。
槇ちゃんの気持ち、すっげぇ解るし。
俺がもしカオリンの兄貴だったら、乱暴なのは承知で、一生嫁になんか出さねぇと思うし。



そんな事を言う娶る張本人に、秀幸は思わずフフッと笑う。
勿論、良く解っている。
妹も親友も、自分の答えを気長に待っていてくれている事を。
自分自身が、子供染みた時間稼ぎをしているに過ぎない事を。
それでも秀幸は、まだ腹を決められないでいる。
香が嫁に行く。
自分の妹である前に、僚の妻になる。
自分がいつだって優先だった事が、全て夫優先になる。
別の所帯を持つ。
何よりそんな大仰なこと以前に、香の居ない家に毎日帰る事。
全てが、秀幸にとってはまだまだ受け入れがたい事だらけだ。


今はまだもう少し、自分だけの妹であって欲しいと、秀幸は思う。



(つづく)







第22話 お花見

槇村家の小さな庭には、まだ若い桜の樹がある。
その香と同い年の桜は、香が生まれた数日後に、父親が苗木を植えたモノだ。
だから実年齢としては、香よりも一足早く“成人式”かもしれないけれど、
それでもこれから先、何十年、何百年と続く彼らの命からすれば、まだホンのひよっこだ。
それでも、毎年健気に薄ピンクの花を咲かせる。



言い出しっぺが誰だったのかは、定かでは無いが。
まだまだ五分咲きの槇村家の庭で、花見が催される運びと相成った。
チラホラ蕾が綻び始めた、3月末日。
香は1年間頑張ったモデルの仕事を、辞めた。
ついひと月と十日ほど前僚に、仕事だってまだ本格的にやり始めたばかりだし、と言った秀幸は、
実の所、香が仕事を辞めて一番ホッとしている張本人だ。
だから、あれはただの言い訳で、本心では未だ香の嫁入りへの覚悟が出来ていないだけの事だ。
その事は、誰あろう秀幸本人が最も自覚している。
お花見と、香のお疲れさん会と、親友飲み会と、色々な意味合いのお花見だ。



メンツは、槇村兄妹に、僚にミックだ。
いつもと大して変わり映えのしないメンバーだけど、4人は仲良しなので気にしない。
秀幸以外は、時間に余裕のあるメンバーなので、スケジュールは秀幸次第だった。
桜はまだまだ五分咲きだったけど、次の彼の非番を待つとなれば確実にお花見ではなく、
お葉っぱ見になるので、この際贅沢は言えない。
香と秀幸は、昼間から2人でキッチンに立ち、僚とミックは、買い出しに出掛けた。
沢山の料理やつまみを作りながら、秀幸と香は色んな話をしたけれど、
“結婚”の事だけは、相変わらず話せる雰囲気では無い。
正直、香はその点について、兄には大いに不満があるけれど、
その度に僚の言葉を思い出して、グッと堪える。



『槇ちゃんにとってはね、カオリンは宝物なの。この世で一番大切なんだよ。
 だから、幾ら俺と長い付き合いでも、そう簡単には譲れないんだよ。』



香も兄が大切だ。
僚とどうしても結婚したいけど、兄に喜んで貰えないのは、やっぱり悲しい。
それでも、この僚の理屈からいけば、相手に関する問題では無いようなのでそこが唯一の救いだ。
それにいつかみたいに、怒り狂って絶交と言ってるワケでは無いし。
香と僚の付合い自体には、異を唱えているワケでは無い。
だからきっと、僚の言う通り今は秀幸も、“心の準備”をしているのだろうと、
香は自分自身を、半ば無理やり納得させる。






香は少しだけビールを飲んだ。
秀幸は顔を顰めていたけど、元来口先の達者なミック・エンジェルの屁理屈に丸め込まれて、
渋々、見て見ないフリを決め込んだ。
香は漸く19で、本当ならあと丸1年、お酒とたばこは法律違反だ。
法学部卒2名(うち1名、司法試験合格)、警察官1名というメンツの中で、
何とも緩~~~い感じだが、僚&ミックvs秀幸という構図になれば、秀幸が折れるほか手立ては無い。
けれど。
僚以外は知らないのだ。
とっくの昔、去年のクリスマスに。香が初めてお酒を飲んだ事。
それは、香と僚だけのささやかな秘密だ。
いつまでも、子ども扱いする兄をヨソに、妹は確実に大人になっている。
恋をして、お酒を覚えて、秘密を持つ。
その甘い媚薬のような人生の喜びを、香は最愛の恋人によって教え込まれた。






2月下旬の、僚と秀幸のバーでのやり取りからも、軽く1カ月以上が過ぎている。
けれど結局、何ら進展は無い。
否、それでも秀幸としても、毎日ずっと考えているのだ。
考えない日など無い。
少しづつ、秀幸の心は2人を祝福する方向へと傾いている気がしないでもないが、決定打はまだ無い。
この所、3人でいても不自然に、“とある話題”を意図的に避けている感は、否めない。
3人で一緒にテレビを観ていて、
結婚情報誌のCMや、結婚相談所のCMや、ウェディング・ドレスのCMが流れると、
槇村家のお茶の間は、何とも言えず微妙な空気に包まれる。
それが嫌で、最近では専ら香は洋画のDVDばかり見ている。
しかしそれとて、ラブストーリーは意図的に避けている。
最近の彼らには地雷が多すぎて、言葉を選んで会話をする事に、正直全員疲れ気味だ。



だから、ミックがその発言をした時に、3人は完全に固まった。
思わず僚はミックの脛を、蹴り上げた。
昔から彼は、肝心なところで空気を読み違える才能を持ち合わせている。


で?式はいつなのさ?やっぱり、6月?



香は完全に聞こえないフリをした。
僚はフリーズしながらも、ミックに蹴りを入れた。
なので、秀幸は思わず苦笑する。
改めて、周りの人間にどれほどの気を遣わせているのかを、痛いほど自覚させられる。


・・・ま、まだ。ハッキリと決まった訳じゃないしなぁ。


小さな声で呟かれた秀幸の曖昧な一言が、どうやらその晩の地雷のスイッチだった。
爆発したのは、香。



・・・お兄ちゃん、もうイイよ。もうヤダ。もう疲れた。
私、今までお兄ちゃんに賛成して貰うまでは、結婚できないと思ってたけど。もういい。
もしもこのまま、お兄ちゃんが私達の事お祝いしてくれなくても。私、リョウたんと結婚します。
お兄ちゃんが嫌なら、結婚式にも出て貰わなくても構わないし、
こんな我儘な妹なんか、縁を切って貰っても構わない。
それでも、私はお兄ちゃんを愛しているし、尊敬もしてる。それは、死ぬまでずっと変わらないから。
だから、もう私。
リョウたんと結婚するの。
リョウたんと結婚して、世界一幸せになって、そしていつか笑って死ぬの。
だからもういいよ、お兄ちゃん。
私も勝手にするから、お兄ちゃんも勝手にしてっっ!!!!



途中号泣しながら、香は一息にそう宣言すると、それっきりその夜は部屋から出て来なかった。
鍵の掛けられたドア越しに、僚が何度も声を掛けたけど、香は開けてはくれなかった。



香が自室に引き上げた後の縁側で、悪友3人はしんみりと酒を酌み交わした。
ミックは、何度も秀幸に謝った。
僚は何とも言えない顔で、苦笑した。
そして、当の秀幸は。
まるで魂が抜けた、抜け殻のように呆然としていた。
確か、2年前の雪の夜に自分自身に誓ったんじゃ無かったか。
自分の感情だけで、香を理不尽に泣かせる事だけは、絶対にしないと。
それなのにまんまと、同じ轍を踏んでしまった。香を泣かせた。
僚に何度も、香を泣かせるな、香を傷付けるなと、口を酸っぱくして言い続けてきた己が。
結局、香を一番傷付けている。
偉そうに兄貴面して、一番未熟なのは恐らく自分自身なのだろうと、
秀幸は自己嫌悪の真っ只中に、浸っていた。




ビール1本分のアルコールと泣き疲れた眠気によって、熟睡していた香が目覚めたのは、明け方だった。
もう外の世界は、すっかり春で。
枕元の目覚まし時計は、6:00少し前を指していても、カーテン越しの窓の外はもう明るい。
昨夜、香は鍵を開けなかったので、もしかしたら僚は昨夜は泊まらなかったかもしれない。
それは、完全なる八つ当たりで。
香は少しだけ悲しくなった。
勿論、自分が昨日兄に投げ掛けた言葉は、ハッキリと覚えている。
あれは本心であり、本心では無い。
勿論、兄に縁を切られて構わないなんて、香は微塵も思っていない。
それでも溢れ出る言葉は、自分でも止められなかった。
言いながら、自分の言葉に自分が傷ついた。
そして、何よりきっと。
秀幸を傷付けた。



仕事が忙しくて、すれ違ってばかりの父に代わって、期末ごとの通知表を1番に見せるのは兄だった。
学年で誰よりも上手に一輪車に乗れるようになって、得意げに披露したのも、褒めてくれたのも兄だった。
友達とケンカをして帰って八つ当たりをする香を、優しく受け止めてくれたのは兄だった。
生まれて初めてバレンタインのチョコレートを贈ったのも、兄だった。
料理を教えてくれて、トイレ掃除を出来ない子はお嫁に行けないよ、と言ったのも兄だった。
父を亡くして、兄と2人だけの家庭で。
初めての生理も、初めてのブラジャーも、何もかも兄には相談した。
兄は兄以外に、父親であり、母親であり、役割を超えた大事な家族だ。
その兄と絶縁する事など、香が出来ない。
香はタオルケットに顔を埋めて、少しだけ泣いた。



その時、小さく控え目にドアをノックする音が聞こえた。
先程から香は、キッチンで秀幸が動いている気配には気が付いていた。
多分、もうすぐ仕事へ行く。
その前に、香は謝っておかないとと思った。
秀幸は刑事だ。
父も刑事だった。
父は、仕事中に命を落とした。
もしもこんな風に、兄を傷付けたまま、秀幸が香の前から居なくなってしまったら。
香はきっと、一生後悔する。






カチャリ。


目の前で、妹の部屋のドアが開く。
昨夜、香が泣きながら部屋に籠ってしまったのは、ホンの数時間前の事なのに。
秀幸には、随分その数時間が長く感じられた。
昨夜は殆ど、眠れなかった。
けれど。
もう腹は決まった。
僚以外、香の相手として、相応しい男がいるだろうか。
答えは、NOだ。
どうあがいても、どんなに問題を先送りしても、いづれ先々で香を嫁に出す事になるのなら、
それはきっと、今なのだろう。
秀幸の想像していたより、随分早くその時が訪れてしまったけれど。
香が幸せになるのなら。
早いも遅いも、関係無いだろうと、秀幸は昨夜ハッキリとそう覚った。
どうやら妹が、この小さな巣を巣立つ時がやって来たらしい。
それなら自分は、精一杯その羽ばたきを応援してやるだけだ。






ドアを開けて出て来た香は、昨夜のままの服装で。
泣き腫らした目が、少し赤い。
秀幸の胸が、チクリと痛む。


ごめん・ごめんなさい


謝ったのは、2人ほぼ同時で、声が重なる。2人は、思わずクスクス笑った。
2人ともちゃんと解っているのだ。
お互いの、苦しい、割り切れない、でも成長する為に必要な胸の痛みと、感情を。
そして、心から願う事は、ただただ幸せに生きる事。




香。
なぁに。
幸せにならなかったら、承知しないぞ。
うん。
お前が悲しむような事があれば、俺はいつだってアイツの元から連れ戻すから。
うん。
お兄ちゃん。
ん?
大好きだよ。
あぁ、知ってる。




漸く、妹離れが出来る(?)かもしれない、槇村秀幸(32)。
麗らかな春の朝の事だった。


(つづく)


最終話 Junebride

リョウたん、私これがイイ。
じゃあ、それに決めようか?




2人が選んでいるのは、寝室のカーテンだ。
リビングや、そのほかの部屋もつい数十分前に決まった。
2人はインテリア・ショップで、この数時間、1人の中年の女性店員のアドバイスを受けながら、
カタログや、見本生地を見比べつつカーテンやラグを選んでいる。
女性店員は、やたらめったら、
“新婚さんには、コチラなんか人気ですよ。”とか。
“寝室は新婚さんにとっては、一番大切ですから”とか。
“新婚さん”発言を連発している。
その度に、いちいち真っ赤になった香は。
“あ、あのまだ。け、結婚式は6月だから・・・”とか。
“あの。まだ、奥さんじゃないです。”とか、しどろもどろで言わなくてもイイ返しをしている。




僚はそんな香を、いちいち可愛いなぁと思いながら、それでも突っ込まずにニヤニヤしている。
春先に、漸く秀幸が2人の結婚を前向きに考えてくれるようになった。
キッカケは、ミックの発言に端を発した“お花見事件”である。
ミックに自覚は無いが。
僚と香にとって、ミック・エンジェルは文字通り、愛のキューピッドだった。
当のミックは、僚が結婚できるんなら、ボクだって婚活するなんて言いながら。
相変わらず、派手に夜遊びをやっている。
曰く、出会いを求めてアグレッシブに、婚活中との事。
そんな彼にも、僚は敢えて突っ込まずにいる。



式までは、もう後3週間だ。
先日、香が着るドレスが完成したと、僚は報告されたけど。
残念ながら、まだそれを見る事は出来ない。
絵梨子と青木によれば、新郎はバージンロードに新婦が登場するまで、その姿を見てはいけないらしい。
可愛らしい迷信に過ぎないけれど、女子とはそんなジンクスを大切にしたい生き物らしい。
今の所、香のそんな美しい姿を拝めたのは、オフィス・キタハラの面々と、青木と、秀幸だけだ。
秀幸は、この所何かにつけて、すぐに泣く。
結婚のお許しは貰ったものの、3人で一緒に食事をしている時などに、
突然、涙腺が崩壊して、センチメンタルになる30男に、新郎新婦は正直閉口している。
その妹のドレス姿を、仕事の途中で抜けて見に行った秀幸は、
その晩、案の定おいおい泣いた。
僚はもう最近では、これも一つの結婚前のイベントの一環だと思って、割り切っている。



そして、ドレスに関しては、香もまた一方ならぬ想いがあるらしい。
ドレスの試着の為に、絵梨子の元を訪れた日の晩。
香のシングルベッドで、1ラウンド終了した後で、僚は腕の中で甘える恋人にその話を聞かされた。
初め、ドレスのデザインを任せて欲しいと頼まれた香は、
てっきり社長である北原氏が、手掛けるモノだとばかり思っていたけれど。
実際、それをデザインしたのは、絵梨子だった。
絵梨子の記念すべき、初めての作品は親友のウェディング・ドレスだったのだ。



勿論、香は一目見てそのドレスが気に入った。
真っ白では無く、少しだけ生成りがかったような、真珠色。
香の持って生まれたスタイルの良さを、最大限活かせるように、
体に寄り添ってフィットしつつも、裾にかけて流れるようなフォルム。
至ってシンプルで、刺繍などのごてごてした装飾は一切無し。
ウェディング・ドレスでは珍しく、背中が大きく開いたデザイン。
香の肌の色や、背骨や鎖骨までも計算に入れた上での、引き算の美しさ。
香には、子供っぽいリボンやお花や、刺繍なんかは似合わない。
と、絵梨子に熱っぽく語られて、香は多少引き気味にドレスに袖を通したのだが、
集まってくれた兄を始め、青木や、社長や、元先輩社員や、元上司たちに、
綺麗だ綺麗だと褒められて、漸く結婚するんだという実感を噛み締めた。
そして、
誰よりも、僚に早くそのドレスを着た姿を見て貰いたかった。
2人に関わる全ての人に、幸せになりますと宣言したかった。



リョウたんにも、早く見せてあげたいの。



腕の中で、香が頬を染めてニッコリ笑う。
僚は正直、結婚式なんて柄じゃないけれど、それでも香が楽しんでいるのならそれに越した事は無い。
そして恐ろしい事に、僚自身が身に着けるシルバーグレイ(!)のフロックコートも、
北原氏プロデュースにより、着々と準備が進められているらしい。
僚は式当日まで、極力自分自身の事は棚上げにする事に決めている。
考えれば、考える程、恥ずかしくなってくるからだ。
だから僚は結婚式の話題は、一時中断して、19歳の花嫁の唇をもう一度塞いだ。








結婚式の1週間ほど前に、香に1人だけで遊びにおいでと、僚の祖父からお呼びが掛かった。
僚の実家の応接間で、祖父に手渡されたモノは、
雫の形をしたクリスタルのトップが揺れる、シルクのリボンのチョーカーだった。
美しい装飾品と、おじいちゃんの取り合わせに、香は思わず首を傾げる。


それはな、あれの母親が結婚式で身に着けたモノじゃ。

リョウたんの?

あぁ。

あやつは、写真でしか両親を知らんしの。子供の頃から、ずっと家族に憧れておったんじゃよ。

リョウたんが?

あぁ。のぉ、カオリン。

はい。

あれを、幸せにしてやってくれ。

はい。不束な嫁ですが、努力いたします。



結婚すれば、彼は香の祖父でもある。元より、小さい頃から香はおじいちゃんが大好きだった。
槇村家は祖父も祖母も、もう父方も母方も他界している。
香と秀幸は遠い親せき筋を除けば、ほぼこの世で2人だけの肉親だ。
それは僚とて、同じようなモノで。
この祖父の一人息子の、更にその一人息子。
僚にとっての肉親は、この祖父1人だ。
だから、僚にとって大切な家族は、香にとっても大切だ。


その翌日は、絵梨子と青木と一緒にランチをした。
事務所の近くに最近できた、小さな洋食屋のオムライスに、この所女子2人が嵌っているらしい。
他愛の無い話しをしながら、昼食を食べて、締めにケーキまで食べて。
最終的には、翌週に迫った結婚式の話題になる。


青木は、香に可愛らしい包みを差し出した。
なに?と、香が訊ねたら、いいから開けてみて?と、楽しそうに微笑む。
包みの中から出て来たのは、薄いブルーのガーターベルト。


青ちゃんだから、ブルーだよ。


そう言って、青木は笑った。
絵梨子から渡されたモノは、白い木綿のハンカチだった。
本当なら、借り物は既婚者の友人にというのが、デフォルトだけど。
19歳と20歳の彼女たちの友人の中で、結婚第1号は香なのだ。
中学の時から、ずっと親友だった絵梨子の木綿のハンカチはまるで、
中学の制服のセーラーの、白いリボンを思い出した。
初めて教室で口を利いた頃の2人は、この木綿のように真っ白な乙女だった。
2人はいつの間にか大人になってしまったけれど、中身は多分あの頃のままだ。


私より先に、香が結婚するなんて予想外だった。



そう言って、絵梨子が笑って見せた。
今はデザインやお洋服に夢中の絵梨子が、将来結婚する時には。
既婚者の友人として、香が何かを貸す事が出来る。
それは、ずっとずっと2人の友情が続いてゆく証でもある。





その夜、香は僚の部屋に泊まった。
秀幸は、今晩も帰って来られない。
僚と香は、夕方から新しいカーテンを吊るし、香の選んだクリームイエローの毛足の長いラグを、
リビングのソファの前に敷いた。
香がたらこのパスタと、ゴボウサラダを作って、僚が脂の乗った鱸を酒蒸しにした。
2人で時間をかけて食事をして、食後に香がコーヒーを淹れた。


カオリン。

ん~~?

これから、ずっと死ぬまで。こんな風に、コーヒーを淹れてね。

・・・・(涙)


香は、真っ赤な顔で涙を溢すと、コクンと頷いた。
泣くなよ、と言って僚は指先で、香の涙を拭う。
幸せだったのだ、物凄く。
こうして、色んな人から愛されている事が。
愛しい人に、ずっとコーヒーを淹れてくれとお願いされる事が。



カオリン、これ。



僚が、立ち上がってテレビの置かれたキャビネットの上から、白い包みを持って来る。
香はもう何となく、解ってしまった。
ソファに座る香の傍に、僚がやって来る。
真新しいラグの上に、胡坐をかいた僚が香の形のイイ脚を、スッと撫で上げる。
たったそれだけの事で、香の背筋に微弱電流が走る。
ショートパンツから伸びた香の綺麗な脚に、僚が唇を寄せる。
唇をキュッと引き結び眉根を寄せる香を、僚は上目遣いで見上げながら、呟く。



これね、絹の靴下。新しいモノを何か、新調しないとね。



そう言って、式当日にはその新しい靴下に包まれる予定の形のイイつま先に、僚は恭しくキスをする。
そこから先は、いつもの如く。
まずは軽く、ソファとクリームイエローの新婚さん仕様のラグの上で、2人は愛し合った。





幸せな花嫁に。
何か新しいモノを、これからの新たな未来の為に。
何か古いモノを、先祖や家族の絆をより深める為に。
何か借りたモノを、友人や良き隣人に恵まれるように。
何か青いモノを、聖母マリアにあやかって清い愛を貫くために。



2人の前には、まだまだ新しい真っ新な未来が続いている。















6月のその日。
空は真っ青に晴れ上がり、夏の少し手前の爽やかな風が穏やかに吹いていた。
梅雨の真っ只中の、たったの1日。
奇跡のような晴れ間だった。
それは多分、初詣の香の大吉おみくじの効果だろうと、僚は考えている。
僚の嫁は、何だか得体の知れない強運の持ち主なのだ。
僚は香に関して多少の事では、驚かない。


アッシャーの2人は、僚とミックの大学時代の友人の中から、見栄えのするメンツで選考した(笑)
ベストマンは、勿論ミック。
日頃の素行を鑑みると、結婚式自体が場違いな、罰当たりなプレイボーイだが、
秀幸は今日は、“花嫁の兄”なので、致し方ない。
ブライズメイドは、絵梨子ともう1人、高校時代の共通の友人で、あと1人は。
香のたっての希望で、青木繁が務めた。
青木は、自分の人生の中で、友人のブライズメイドを務める事が出来るなんて、
思ってもみなかったので、思わず大爆笑した。
やはり香は、初めて会った初出社の日から、相変わらず面白い子だと青木は思う。
モデルなんかにしておくには、勿体無いと青木はいつも思っていた。
そしてこの結婚式で、改めてその自分の考えは間違っていなかったと確信した。


厳かに幕を開けた式の皮切りに、アッシャーの2人が真っ赤な絨毯を転がした。
祭壇の脇には、ニヤニヤと笑いを噛み殺したミックが立っている。
僚のフロックコート姿が、どうやらミックの笑いのツボを刺激するらしい。
神父さまは、横目でチラリとミックを見ると、小さく咳払いをした。
ブライズメイドが、1人づつ入場する。
通常、ブライズメイドは揃いの衣装を準備する。
けれど、青木繁がドレスを着るワケにもいかないので、
彼は色だけ揃いの、薄いピンク色の細身のスーツを着ている。
勿論、そんなものは何処にも売って無い。
もう半分やけくそで、北原氏が作ってしまったのだ。
持つべきものは、デザイナー兼親友の父である。


ブライドオブオナーの絵梨子が、3番目に入場する前に、もう一度香を振り返る。
絵梨子自身がデザインした、ウェディングドレス姿の親友は、今まで見たどの時より、美しく輝いている。
絵梨子は、今日何度目かのハグをする。


香。
なあに。
綺麗だよ。
ありがとう(笑)、緊張する~~~。
大丈夫だよ、楽しんで。
うん。


絵梨子は、香のベールを少しだけ整えると、バージンロードに向かった。
そんな妹たちの遣り取りを、斜め後ろから見守っていた秀幸が、そっと香の隣に並ぶ。
いつもは寝グセだらけで猫背の兄は、黒いタキシードを着て髪の毛もきちんと、青木にセットして貰った。
なんと、秀幸は眉毛までカットされて整えられた。
青木曰く、男前度が3割増しだそうだ。
秀幸がそっと腕を差し出す。香も微笑んでそっと手を添える。
それまでずっと、朝から緊張し通しだった香は、秀幸の隣に立って何故だかとても落ち着いた。
教会に鳴り響く厳かなオルガンの音色が、転調したのを合図に、
槇村兄妹は、赤い絨毯の上に一歩踏み出した。


ねぇ、お兄ちゃん。何だかヘンな感じだね。

ヘラヘラ笑っちゃダメ、もっと神妙にして。



結局の所、槇村兄妹は相変わらずで。
バージンロードを歩きながら、誰にも聞こえない程の小さな声でお喋りしている。


お兄ちゃん。

ん?

幾らお仕事で疲れてても、湯船で眠っちゃダメだよ。

ああ。

シーツ洗うだけじゃなくて、たまにはお布団も干してね。

ああ。

寝グセついたまま、出掛けちゃダメだよ。

ああ。




いつの間にかバージンロードも、もうそろそろお終いで。
もうすぐ目の前には、フロックコート姿の新郎が佇んでいる。
今この時、初めて見る新婦の姿は想像以上に美しく、新郎はすっかり見惚れている。



香。

はい。

絶対に、何が何でも、世界一、幸せになってくれよ。

うん、行って来ます。

帰って来るんじゃないぞ。

はい。









そして妹は、19年間傍にいた兄の腕から、するりと抜け出して。
一歩前に進み出る。
新郎が、左手をそっと差し出す。
新婦は、そこにそっと右手を重ねる。
2人が手を取り合って、祭壇の前に進み出る。






これで完全に秀幸の小さな妹は、僚の妻になってこれから先の幸せは僚に託された。
親友で幼馴染みの悪友は、出来の悪い、憎たらしい、でも超絶イイ男の。
秀幸の義弟になった。
これで、幼馴染みの3人は本当の兄妹になった。













1カ月後、冴羽家リビング。





カオリン、拗ねてんの?

だって、キングボンビーの時にワザと上通って行かなくてもイイじゃん。

しょうがないなぁ、じゃあお兄ちゃんの電車の上通って行っても良いぞ。

やだよ、お兄ちゃん稚内じゃん。目的地、飫肥だから。

って事で、目的地一番乗りは俺だな。






幼馴染み3人は、結局何も変わらない。
3人集まって、食事して、遊ぶ場所が、槇村家茶の間から冴羽家リビングに変わっただけだ。
昔は僚が、しょっちゅう槇村家に入り浸っていたが、
今では、仕事が忙しいクセして、秀幸がしょっちゅう冴羽家に入り浸っている。
多分、槇村香は宣言通り、世界一幸せになる。





(おしまい)
















いっやぁあ~~~、終わりましたっっ。
めおとへの道のり。
今までで、もっとも長い全23話。ようやっと、完結致しましたっっ(汗)
実は、メオトシリーズの結婚までの道のりを書いてみようと思ったのは、
ある朝、目覚めたばっかりの、寝惚けた脳内の発想でして(爆)

いやぁ、寝起きって怖いすね(テヘ)
軽々しく、ネタを着想するもんじゃないっすよ、マジで。
でも、何とか結婚出来て、鶴亀です(*´∀`*)

この後は、実はある大尊敬の絵師様による、リクエストもお受けしており。
また、何か楽し気なお話しをアップ出来たらな、なんて考えておりまぁぁっす!!
それでわ。
長々と、最後までお付き合い下さいました皆様方。
並びに、温かい拍手とともに、楽しみにして下さる旨のコメントをして戴いた、皆々様方。
誠に有難うございました m(_ _)m
更新を続ける、モチベーションになりましたっっ(感謝)

ばははぁぁ~~~い (´∀`◎)ノシ


リョウたん&カオリンのクリスマス。(第4弾・夫婦探偵)

香は乱れた呼吸を整えるように、クッタリと僚の滑らかな大胸筋に凭れ掛かる。
寝室の照明は、部屋のコーナーに置かれた電気スタンドだけで。
オレンジ色の仄暗い灯りの中で、結婚半年の新婚夫婦はつい先程まで熱心にセックスに励んでいた。
僚は香の華奢な腰に逞しい腕を巻き付けると、柔らかなクセ毛に顔を埋める。
自分と同じシャンプーの薫りが彼女から薫って来ると、不思議とひと際甘く感じられる。
そのキングサイズのベッドは、2人が結婚するのに合わせて新調したモノだ。


ヘッドボードに体を預けて座った僚の膝の上に、香は座っている。
というよりも、完全に脱力している。勿論、2人して全裸である。
無理も無い。
夫は精力絶倫で。
今夜はもう既に、嫌と言うほど啼かされてもうこれ以上は、続行不能だ。
香はもうへとへとで、今にも眠ってしまいそうな状態なのに。
片や相方の僚はと言えば、香の髪に顔を埋めながら、またしてもムラムラしている。
それでも、基本的に妻を溺愛する夫は、彼女の状態はいつもきちんと見定めている。
今夜はもう、セックスはおしまいだ。
続きは、明日(夜とは限らない)のお楽しみである。
もうこれ以上は無理だ、というギリギリの所まで、香はほぼ毎晩愛されている。







香が僚と寝るようになって、まだ2年に満たない。
けれども今では、香は僚がいないと淋しくて寝られないと思う。
勿論、たまには何もしない夜もある。
ただ同じ布団に包まって、僚の匂いを嗅ぐだけで香は安心する。
これまでの人生で、僚とこうして寝ている時間の方がまだまだ短いのに。
香はもう、実家のあの自分の部屋のシングルベッドでの寝心地は忘れてしまった。


2人は6月に結婚して、新しい生活の中で初めての冬を迎えている。
寒いケド、エアコンは乾燥するから嫌だという嫁に、僚が買って来たのはデロンギ社のオイルヒーターだった。
空気を汚さないそれは、地味に部屋を暖める優れもので。
火照った2人の寝室には、強すぎず乾燥しない、優しい暖房がとても効果的である。
それでも、ココまでの状態にまで持って来れば、暖房要らずだ。
僚は大抵暑くなって、香が眠った後にヒーターを切る。
香は僚をカイロ代わりにして、一晩中ポカポカだ。
以前の香は冬は毎年、寝る時に厚手の靴下を履かないと足元から冷えて眠れなかったケド。
今では“カイロ”のお陰で心地良い疲労感を感じながら、素っ裸で寝てしまってもちっとも寒くは無い。
2人は専ら、地球に優しい新婚生活を送っている。


12月になって、冴羽家のリビングにはコタツが登場した。
僚はこれまで、1人で暮らしていた時はエアコンだけで過ごしてきた。
この部屋のリビングに、コタツが1つ増えただけで結婚生活の実感を得て、僚は幸せを感じている。
香とこうして暮らしている事が。
香にメロメロに愛されている事が。
香を骨の髄まで愛している事が。
僚は幸せで仕方ない。


香が物心ついた時から、大事にしてきたクリスマス・ツリーは実家に置いて来た。
あれは、大事な槇村家の歴史なので。
この冬からは、僚と香の冴羽家の歴史を始める為に、新しいツリーを購入した。
2人で仲良く飾り付けをして、今年から仕上げの星を飾るのは僚の担当になった。




はい、リョウたん。お星様、お願いします(笑)

ラジャー。それでは、参ります。




僚はおどけながらも、厳かな気持ちでてっぺんに銀色のプラスチックの星を飾る。
これは1年前まで、秀幸の役目だった。
結婚式で、秀幸の手から僚へ託された彼女の人生を。
僚は思いがけず、その12月の何でも無いありふれた晩に、今一度噛み締めた。
大事な兄妹たちの冬の儀式を、親友から取り上げたからには。
僚には何としても、香を世界一幸せにする使命がある。
そして勿論自分も、何としても宇宙一幸せになるつもりだ。


お兄ちゃん、どうしてるかなぁ。ツリー。



香が淋しげに呟く。
11月には、週に1度ほど2人の新婚家庭に夕飯を食べに来ていた秀幸だけど、
12月になってから、まだ1度も顔を見せていない。
師走の刑事に、プライベートなど皆無だ。
まず間違いなく、槇村家のツリーは納戸のいつもの場所に眠っている筈だ。
僚は思わず、淋しげな最愛の妻を抱き寄せてキスをした。
そして。
彼女を甘やかす提案をする。
僚はこの世で一番、香に甘い。















よし、完成。



香がそう言って微笑んだのは、槇村家のリビングのいつものツリーの前だった。
僚と香は完全なる自由業の人間なので、冴羽家の飾り付けをした翌日は。
朝から2人は香の実家へ帰って、ツリーを飾り付けた。
僚は前の晩、香を抱き締めて耳元で囁くように提案したのだ。


『じゃあ、たまには俺達が槇ちゃんとこ、行こうか?』


香はその僚の言葉に、満面の笑みで頷いたのだ。
結婚してもなお、シスコンはシスコンだし。ブラコンはまた、ブラコンなのである。




ついでに、冷蔵庫には大量のホーロー容器に保存した、様々な常備菜。
冷凍庫には、カレーとシチュー。
秀幸は日頃、家事や炊事など不自由なく自分でこなす。
けれど年末のこの時期、きっと出来合いや外食で済ませている事は、冷蔵庫を見れば一目瞭然だった。
だから香は、久し振りに夫抜きの純粋に秀幸の為だけの、手料理を作った。
それも、ほんの数年前までは当たり前の事だったけど、
気が付くとこうやって実家に戻って来たのすら、物凄く久々の事だった。



その日1日、香のアシスタントを務めた僚は、
香の詰めたおかずの最後の容器を冷蔵庫に押し込んで、香を見遣る。
コタツに座って、秀幸宛てのメモをしたためている。
リビングのコタツの天板の上に置かれた、“お兄ちゃんのお星様”と置手紙。


『お兄ちゃん、
 
 お仕事、お疲れ様です。

 おかず、作っといたから食べてね。

 外食やお惣菜は、なるべく控えてね。
 
 時間が空いたら、ウチに食べに来てね。

 それと今年も。

 お兄ちゃんのお星様、お願いします。置いておきます。

                        かおり』



2人がツリーを飾って、おかずを作って、置手紙を残した頃にはもう外は真っ暗になっていた。
今日の冴羽家は秀幸とは逆に、
いつもはこれでもかと腕を振るって食卓を整える奥方を労う為に、外食だ。
そして僚は、香に内緒で横浜の港の傍のホテルに部屋を取っている。
(昼間、香の目を盗んで予約した)
これがクリスマスだったら、予約など取れないだろうケド。
何の変哲も無い、不景気真っ只中の師走のど平日のホテルのスイートルームなど、余裕で空いている。
たまには場所と気分を変えて、でもやる事はいつも通り、夫婦の愛のスキンシップである。
僚はクリスマスには、家でのんびり香と過ごすつもりでいる。
でも、恋人同士のように甘いデートをするのも捨て難い。
だからデートは、世間様より一足先にがら空きでサービスも良いこの夜に実行する事に決めたのだ。
そんな僚の今夜の予定など。
香はまだ知らない。







数時間後。
サプライズの平日デートで、すっかり盛り上がった新婚さんたちが唇を重ね合った頃。

クタクタになって帰宅した秀幸は、リビングに灯る電飾の灯りに頬を緩めながら、
今年も、安物の銀色のお星様を飾り付けた。







番外特別編  槇村家の幸せ

おはこんばんちわ、ケシでございます(*´∀`*)ノシ

30周年記念の完全読本、CHファンの皆様はもうお読みになられたと思いますのでネタバレです。
完全読本の中の、北条先生への10のインタビューの最後の質問の答えを読んで、
まんまと先生の術中に嵌り、狂喜乱舞致しまして(´艸`*)お子様ネタを書いちゃいました。

当ブログは、色んな設定がありまして、パラレルも沢山書いてまして、
その中で唯一、お子様ネタを書いてたのがこれまで、漁師パラレルの所の息子ちゃんだったのです。
それ以外、今後も書くつもりは無かったのですが。もう1つ、
夫婦探偵の方もチラッとそれっぽい所まで書いて進展してないままだったので、そっちで書いてみました。
これまでの時系列で言ったら、


夫婦探偵夜明け前(結婚前)

不実

偽装

女衒

お子様←NEW


こんな感じです。
それぞれの事件別にカテゴリ分けしてるので、番外を入れるのは夜明け前の所にしました。
夫婦探偵シリーズ未読の方は、時系列に沿って読んで戴けた方がより面白いかと思われます。

そして、前回更新の時に言ってました、もう1つのnaseさんとのコラボはコチラだったのです(*´∀`*)



という訳で、本編は追記で。
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