※このお話しはパラレルです※
いつもの2人とは、設定が異なりますので、くれぐれもご注意を!! 以下、スペック詳細をお読みになって、OK,問題無しっっ。 と思われる方のみ、『第1話 はい、こちら夫婦探偵社。』へ、お進み下さいませ。
❤僚(夫)❤ 凄腕探偵。(あくまでも探偵、スイーパーでは無い。) 別名:新宿の元種馬。今は、嫁一筋。(一応) 頭脳明晰で超強いケド、カオリンにだけ弱い。 カオリンLOVEだけど、セクシーお姉さんに釣られる事、多々有り。(弱点) 妻の呼び方は、カオリン、鬼嫁、鬼軍曹など。基本、尻に敷かれている。 ❤香(妻)❤ 探偵助手。おっちょこちょいで、お人好し。 料理上手なので、フラフラと落ち着きない夫の❤を胃袋からガッチリ掴んでいる。 抜群のルックスと、愛嬌の良さでご近所のアイドル。(ファンクラブ有) リョウちゃんLOVEだけど、怒らせると凶暴。 夫の呼び方は、リョウたん、リョウちん、りょお(怒)、モッコリバカなど。 ❤槇ちゃん❤ カオリン兄。警視庁刑事部捜査第1課、刑事。 基本、妹に激甘なので、しばしば情報を漏らす。(無意識に) 僚とは、幼馴染み。 ❤ミック❤ 新聞記者。事件の臭いを嗅ぎつける嗅覚は犬並み。 僚とは、学生時代からの友達。飲み・遊び仲間。女好き(弱点) 只今、警視庁・鑑識班のかずえちゃんに猛アタック中。 ❤野上冴子❤ 槇ちゃんの上司。女豹。僚は、時々彼女に釣られて利用される。カオリンの天敵。 ❤かずえちゃん❤ 警視庁・鑑識班。知的なクールビューティー。 ❤伊集院夫妻❤ 冴羽家とご近所の、仲良し夫婦。カフェ経営。 カオリンと、美樹ちゃんは、町内会のゴミ出しマナー向上委員会のメンバー。 ゴミ出しマナーには煩い。 ❤教授❤ 僚の祖父。世界のあらゆる情報を覗ける凄い男らしいが、詳細は不明。 実は、冴羽家の嫁であるカオリンのファンクラブの会員でもある。
こんな感じで、何故だか勢いで思い付いちゃいました(テヘ) テンション的には、2時間ドラマみたいな感じと思って戴けたら幸いです。
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「やあ、香チャン。いつも綺麗だねぇ~~、今日はピーマンが安いよ。」 八百屋のオヤジは、香のファンクラブの一員だ。 本日のお勧めを紹介する時に、いつも一言多い。 「そうなの?失敗した~~。スーパーで買っちゃったぁ。人参は?」 そう訊ねるのは、この近所では知らない者はいない、 美人人妻の、香チャンである。 美人なだけでは無い、プロポーションはモデル並みだ。 そして、何より気さくな人柄。愛嬌たっぷりだ。 香は何処で買い物をしても、いつも少しだけおまけして貰える。 美人は得なのだ。 「人参は普通かな。安くも高くも無し。そのかわり、モノはイイよ。」 そう言って、籠に盛られた人参を指差す。 確かに、色も良く、新鮮で美味しそうだ。 「じゃ、それにする。」 香はニッコリと笑う。ビニール袋に詰める時に、オヤジは林檎を1玉一緒に入れた。 わぁ、いつもありがとうオジサン。 これ、おまけな。 そう言ってニッと笑う中年のオヤジに、 香は満面の笑みで、礼を言う。 香は何処からどう見ても、一見人妻には見えない。 しかし彼女には、夫がいる。 冴羽僚。 彼もこの界隈では、知らぬ者はいない凄腕の探偵だ。 190㎝を超す、大男で男前。 しかし、探偵と知らなければ、ただの遊び人である。 彼も一見、所帯持ちには見えない。 彼らは、所有するビルの1フロアで、探偵事務所を開いている。 香は八百屋を出てから、次は最後の薬屋へ向かう。 シャンプーの詰め替えが切れていた。後は、僚のヒゲ剃りの替え刃。 自動ドアから店内に入ると、冷房が効いていて気持ちイイ。 汗がスッと引いてゆく。 香は、いつも使っているシャンプーと、 リンスも安かったのでついでに籠に入れる。僚のヒゲ剃りはレジの近くだ。 レジには並んでいる者も無く、香は真っ直ぐレジに向かった。 レジには、この店の店主がいた。 彼もまた、良く知る顔馴染みだ。 「やぁ、香チャン。今日はコンドームが安いよ。」 この店のコンドームの売り上げには、冴羽夫妻は随分貢献している。 香は、たははと乾いた笑いを漏らして、 「…わかった。僚に言っとく。」 と答える。 特売は、明日までだからぁ~~~。というオヤジの声を背に、香は薬屋を後にした。 冴羽家の家計費の中で、コンドームだけは僚のポケットマネーなのだ。 消費量がハンパ無いので、僚のお小遣いの中からまかなって貰う事にしている。 買い物袋が2つに、エコバッグ。 野菜や、シャンプーなど、意外と重たいモノが増えてしまった。 それでも2人のアパートは、もう目と鼻の先だ。 「ただいまぁ~」 僚がソファに寝そべって、新聞を読んでいると愛しのカオリンが帰って来た。 どうやら、そのままキッチンに直行したらしい。 パタパタという足音が、リビングの前の廊下を素通りする。 僚がキッチンに行くと、 香は冷蔵庫の中に、今買って来たものを仕舞っているとこだった。 「カオリン、おかえり。」 そう言った僚を振り返った香は、満面の笑顔だ。 「ただいま、リョウたん。」 僚は、この随分年下の可愛い嫁が好きで堪らない。 自分がサラリーマンなんかじゃ無くて良かったと思うのは、こういう時だ。 いつだって、一緒にいられる。 僚は香に近付くと、取敢えずお帰りのチュウをする。 取敢えずのチュウにしては、多少濃厚である。 暑い屋外から帰って来た香は、僚の胸に凭れてのぼせる寸前だ。 そして沸騰気味の頭で、香は大事な事を思い出した。 「あ、リョウたん。そう言えば、薬屋のオジサンが今日と明日は、コンドーム特売だって言ってたよ。」 それを聞いて、香を抱き締めていた僚の腕がピクンと反応する。 「おぉ、マジか?カオリン。」 僚の問いに、香はコクンと頷く。 「そんじゃ、俺ちょっくら買って来るわ。」 僚はそう言うが早いか、薬屋へ向かった。 こういう時の僚のフットワークは、羽毛並みに軽い。 僚が薬屋へ出掛けたので、香は冷蔵庫へ食材を仕舞う続きに着手する。 香は僚が大好きで、チュウするのも大好きだけど、 如何せん僚は、いつも突然だ。 香の都合など、お構い無しにやって来るので、 香はいつも、家事を中断せざるを得ない。 まるで大きな駄々っ子だ、そう思って香はクスリと笑う。 香が冷蔵庫の扉を閉めたと同時に、リビングの電話が鳴った。 冴羽家のリビングには、電話が2台ある。 1台はプライベート用。もう1台は、お仕事用だ。 「はい、こちら夫婦探偵社。冴羽商事でっす!!」 僚は30分程で帰って来た。 ついでに、煙草を買う為にコンビニに寄ったらしく、 香の好きな、上にクリームが乗って、カラメルソースの付いてない、 森永のプリンを買って来てくれた。 「うあぁ、リョウたんありがとう。ご飯の後で食べようね。」 本日の冴羽家の夕飯は、チンジャオロースと、ブロッコリーとエビの炒め物と、 人参サラダと、キャベツと油揚げの味噌汁だった。 夕飯後、香はプリンを、僚はコーヒーを飲みながら、香は突然思い出した。 「あぁっっ!!」僚はポカンとして、香を見詰める。 僚がプリンを買ってきてくれた事で、舞い上がった香はすっかり忘れていた。 「り、リョウたん。ゴメン。そう言えば、さっき依頼が入ったの。明日午前11:00に、キャッツで待ち合わせ。」 テヘッっと、香が舌を出す。 カワイイ嫁は、時々サザエさんばりに、おっちょこちょいだ。 まぁ、今晩の内に思い出しただけ、今回はまだマシだ。 リョウたんこと冴羽僚は、ニヤリと笑う。 「カオリン、お仕置きな。」 妻・香の額に冷や汗が伝う。 今夜はきっと、長い夜になりそうだ。
※少しだけ、長めのお話しです。登場する、事件・企業名など、 全て、フィクションでっす。あしからず。 翌日、午前。 夫婦探偵社の2人は、眠い目を擦りながら、 約束の10分ほど前に、『喫茶キャッツ・アイ』に赴いた。 2人の事務所は、一応冴羽アパートの5階にあるが、 そこは、膨大な資料の山で、常にとっ散らかっており、 クライアントとの折衝は、主にこの喫茶店か、 冴羽アパート・6階のリビングで、済ませる事にしている。 昨夜は、“お仕置き”と称して、 第5ラウンドまで頑張った所で、香のKO負けという事で2人は眠りに就いた。 AM4:15の事だった。 カウンター越しに大欠伸する2人に、伊集院夫妻は苦笑する。 結婚3年目の2人だが、倦怠期という言葉には縁が無いらしい。 11:00に、人と待ち合わせだというが、 こんな調子でイイのだろうかと、伊集院夫妻の方が心配になる。 「はい、少し濃いめに淹れといたわ。眠気覚ましに。」 そう言って美樹が、2人の前にカップを差し出す。 “眠気覚まし”という言葉に、香は真っ赤になる。 自分達が寝不足だという事が、ばれてるようで落ち着かない。 まあ確かに、ばれているのだが。 一方の僚は、そんな事など一切気にしないタイプなので、 「わお、美樹ちゃん、サンキュー。」 と脳天気に答える。 僚にしてみれば、毎晩嫁を可愛がるのは当然の事なのだ。 セックスレスの方が、余程恥ずかしい。と僚は思っている。 2人がマッタリ、緊張感の欠片も無くコーヒーを啜っていると、 赤ちゃんを抱いた、1人の若い女性が入って来た。 電話で香が指定した、店内奥の窓際のボックス席へ座った。 時刻は11:03 間違いない、依頼人だ。 僚と香は見詰め合って軽く頷くと、自分達のマグカップを持って席を移動した。 「失礼します。鈴木博子さんですね?」 香がそう声を掛けると、伏し目がちだった彼女がハッと顔を上げる。 艶やかな黒髪のロングヘアー。黒目がちの真っ黒な澄んだ瞳。 透き通るような、白い肌。起伏に富んだ、ボディライン。 しかし、表情だけは何かを思いつめたような、深刻なモノだった。 マズイ、超美人だ。香は瞬時に、僚を振り返る。 マブイ、モッコリちゃんだ。僚は、鼻の下をこれでもかと伸ばしている。 香は内心ムカムカするが、ひとまず深呼吸してニッコリと依頼人に向き直る。 「それじゃ、アナタ方が?」 「えぇ、冴羽です。」 「はじめまして、私、鈴木博子と申します。エースカンパニーという、食品卸の会社で経理事務をやってます。」 彼女がそう自己紹介すると、香がハッと息を呑む。 「あ、あの。エースカンパニー・・・」 「今、話題沸騰中ってやつね。」 僚は、飄々と呟く。 今世間を騒がせている事件が、実はこの会社で起こったために、 連日、テレビでその名を聞かない日は無い。 事件の発端は、とある飲食店で重大な食中毒事件が発生した事だった。 この店で出された、豚肉を食べた客3人が酷い中毒症状で死んだ。 その材料を卸していたのが、エースカンパニーだ。 保健所の立ち入り調査は、その飲食店は勿論、この会社にも及んだ。 そして、導き出された結果が、店側の落ち度では無く、 材料の生肉に、悪質な消費期限の偽装工作があったというモノだ。 そして、この会社の社員が1名、指示・実行役として逮捕されている。 しかし一貫して、この会社の上層部は知らなかったと、関与を否定している。 死人が出るといった、悪質な事件にも関わらず、 社長以下、取締役らの連日のいい加減な対応に、 マスコミも、ここぞとばかりに炎上している。 「確か、逮捕者が出てたよね。連日テレビでやって無い日は無いし。正直、今仕事どころじゃないんじゃない?」 僚が依頼人に訊ねる。 彼女は黙って俯くと、今にも泣き出しそうに下唇を噛む。 3人の間に、重苦しい沈黙が流れる。 そして、意を決したように、彼女が語り始めた。 「…その逮捕された社員というのは、私の上司で経理課課長の山本大輔さんです。…でも、課長は…無実なんですっっ。」 彼女が悲痛な面持ちで、僚と香に訴える。 香は連日のテレビや新聞の報道で、この件には少なからず関心があった。 その会社が卸していたのは、飲食店だけでは無いのだ。 都内のスーパー数店にも、卸していた。 一歩間違えば、その肉を食べていたのは、自分達かもしれないのだ。 思春期男子並みに食欲旺盛な夫が、もしも被害に遭っていたらと想像するだけで、 香は泣きそうになる。 「どういう事か、詳しく聞かせてくれる?」 僚は淡々とした、しかしいつもと違ってやけに鋭い口調で、そう言った。 彼女もそんな僚をしっかりと見据え、頷いた。 彼女の話しに寄れば、 そもそも、今回逮捕された山本課長は、テレビで言われている様な、 商品の管理や出荷に関して、指示を出来るような立場には無く、 全くの畑違いであるという事。 商品の管理をする部署は別にあって、 そこを統括していた小田島という社員が、事件後行方不明である事。 社内では、小田島の事に関して欠勤が続いているが、 まるで触れてはいけない、タブーのような扱いになっている事。 商品管理部に、同期の子がいてそれとなく訊いてみようかとも思ったが、 案の定、今その課は他のどの課よりも、大変な事になっていて、 ピリピリムードが漂っているし、だから小田島の件については、 彼女も、漏れ聞こえてくる噂程度にしか解らないという。 いずれにせよ、今その会社の中で何か重大な事が起きている事、 そして、その為に山本課長という人柱が立てられようとしている事。 それが彼女、鈴木博子に解る全てだ。 「…課長は、無実なんです。」 僚は彼女の話しを訊いて、1つ腑に落ちない事がある。 それは、何故ただの部下の1人でしかない彼女が、 この件について何の確証も無い疑惑を、 こうして必死になって解明しようとしているのかという事。 普通、彼女のような若いOLサンなら、 これだけ悪い意味で話題になってしまった会社を、 どうやって上手い事、キリのイイ所で見切りをつけようかと、 悩むとこでは無いのか。彼女には、そんな気配は見受けられない。 事件の真相を暴いてやりたいという一心に、僚には見える。 それと、彼女が連れている赤ん坊。 この子は一体、何なのか。 「どうして、上司の為にそんなに必死なんだ?彼に惚れてるとか?」 僚はわざと、探るように訊ねる。 「…そう言うんじゃ、無いです。この子、課長の息子さんなんです。正太君って言います。まだ、7か月です。この子が生まれて、たったの1カ月で課長の奥様は事故で亡くなりました。」 えぇっっ!!と、香が思わず声を上げる。 唇を尖らせて、今にも泣きそうだ。 香は赤ちゃんと、動物が大好きなので、 それらが辛い目に遭う話しを聞くと、すぐに泣く。 僚はそんな香を見て、クシャクシャと頭を撫でる。 「カオリン、大丈夫か?」 そう言って、優しく頭を撫でる僚に香も落ち着きを取り戻す。 「 …うん、ごめん。大丈夫。続けて?」 香がごく小さな声で先を促す。 彼女は、えぇ、と言うとこれまでの経緯を説明した。 山本課長が妻を亡くした時、子供はまだ生後1カ月だった。 亡くなった妻の両親も、数年前に他界しており、 課長自身の親は、年老いた母が九州にいるだけであった。 生後1か月の乳飲み子を、遠く離れた、年老いた母に預けるのも到底無理で。 それでも、事が事だけに母も2ヶ月近くは上京して、手伝ってくれていた。 しかし年老いた体に、生後間もない乳児の世話は堪えたらしく、 流石に体調を崩してしまい、それでも世話を買って出てくれようとする母を、 山本は、半ば強引に故郷へ帰した。 それからは子供を、職場近くの託児所に預け、 男手ひとつで育児に奮闘していたのである。 そんな彼の事は、同じ課の全員が良く知っていたので、 フォロー出来る事はやっていたし、少しでも役に立てればと、 女子社員が交代で、課長の夕食の分の弁当を持参したり、 彼がどうしても、託児所に迎えに行けない時は、 他の社員が迎えに行ったりもしていた。 託児所の方も、彼の事情が解っていたので社員証を見せると信用してくれた。 職場の仲間みんなで、育児に励んでいたのである。 「今回の事件で、私達が真っ先に心配したのは、この正ちゃんの事です。初め、私達はまさか課長が関わっているなんて有り得ないし、そんな事警察が調べればすぐに解る事だから、すぐに帰して貰えるよって、安易に考えていたんですケド…」 思いの外、彼に掛かった濡れ衣は晴らされる事も無く、 拘留も延長された。 小さな子の環境を、コロコロ変えるのは良くないと、 自宅でこの子を預かる人間を決めようとなった時、彼女に白羽の矢が当たった。 何より、この子が1番懐いているのが、彼女だった。 しかし事件の方は、ますます泥沼の様相を呈している。 課長の子供を、部下達が面倒見ているという事は、 極力、内密にした方がイイのではないかという事になった。 公になれば、施設に預けるという話になって来る。 部下たちは全員、課長を信じているのだ。 きっと何事も無く、釈放されると信じているので、 それまでは、何処か安全な所に“正ちゃん”を隠しておけないか。 そして願わくば、課長の無実を晴らす事が出来ないか。 それが、彼女達の考えだった。 「1人の女子社員が、新宿駅でこのビラを見付けて。」 そう言って、彼女が差し出したA4判のチラシに、 冴羽夫妻は、重々心当たりがある。 『何でもやります!!夫婦探偵の冴羽商事。円満解決で、家内安全、夫婦円満。』彼らは、この何でもやりますという文言と、 “夫婦探偵”という所に、一縷の望みを託した。 そこなら、自分達の大切な“正ちゃん”を、安全に匿ってくれるかもしれないと。 そして、課長の無実を晴らしてくれるかもしれないと。
結局、夫婦探偵社の2人は、その依頼を受ける事にした。 そもそも香は、そのニュースが報道された当初から、興味津々だったし、 それに何より、生後7か月の赤ちゃんを目の前にして、 僚はともかく、香が断る事など有り得ないのだ。 そうなれば自然、依頼は受ける事になる。 基本的に冴羽家は、セックスでの主導権を除いては、 僚は香に絶対服従のスタンスなので、香が断らなければ、僚もそれに従うまでだ。 もっとも、今回に関しては、僚も勿論受けるつもりではあったが。 2人は鈴木博子から、大きめのトートバッグを預かった。 その中には、正太の着替えや、おもちゃ、哺乳瓶、オムツやミルクが入っている。 それでも今この現状では、最低限度の荷物である。 そしてもう1つ、香は博子から、離乳食のレシピを手渡された。 この所、漸く正ちゃんが離乳食食べれるようになったんです。 と嬉しそうに笑う博子は、まるでこの子の母親のようだと、 僚と香は思ったが、彼女曰く、課長に惚れている訳では無いそうなので、 その事には、触れないでおいた。 兎にも角にも、乳児を預かってしまった2人である。 『それでは、宜しくお願いします。』と、 ペコリと頭を下げて帰って行った、彼女の背中を見送りながら、 2人は呆然である。 「だ、大丈夫かな?リョウたん。」と、香が呟く。 「うん、どうだろ?カオリン。」と、僚も呟く。 取敢えず、2人の強い味方は今の所、インターネット先生だ。 まぁ、解らない事は、取敢えずググればいんじゃね?って事で。 何とも頼りない、即席パパ&ママである。 それから数十分、2人はキャッツで過ごし、遅めの昼食を食べた。 正太には、早速キャッツで粉ミルクを作ってみた。 水はこだわりの、ナチュラルミネラルウォーターだ。 東京都水道局の水道水では無い。きっと、旨い筈。 小一時間2人と一緒でも、正太は泣く事も無く、終始ゴキゲンだ。 キャッツからアパートまでの道すがら、 交差点で信号待ちをしている間に、香は先程のムカムカを思い出した。 あの美人の依頼人、鈴木博子に対して、 これでもかと、鼻を伸ばしていた僚。 あの顔を思い出しただけで、香の頭に血が上る。 「 りょお?そう言えばさっき、博子さん見て デレデレしてたよね?」 僚にしてみれば、突然不機嫌になった香の目は、三角に吊り上り、 嫌な感じに、ギラギラ光っている。 「ししし、してねぇしっっ!!ナニ言ってんの?カオリン(汗)」 焦った僚の目は、泳いでいる。 「してたじゃん。てか、目ぇ泳いでるし。りょおの、 モッコリバァカ!!」 「っんだよっっ!!そのモッコリを昨夜、散々おねだりしてたのは、何処のどいつだよ?こんの、 鬼嫁っっ!!」 ウォッホン!!…これ、止めんかっ!子供の前で、夫婦喧嘩なんぞ、みっともない。ほれ、坊ちゃんがビックリしとる。」 背後から、いきなりの見知らぬ爺さん登場である。 僚も香も、思わず目が点だ。しかし、そんな2人になど目もくれず、 マイ・ウェイ爺さんは、僚の腕に抱かれた正太を覗き込むと、 「うむっっ。坊は、パパ似じゃな。将来、男前になる。フォフォフォ…」 と言うだけ言って、我が道を歩いて去って行った。 一同(正太含む)、ポカ~~ンである。 「いや、違うんだってば。」 僚の虚しい呟きと共に、3人はもうひと巡り赤信号を待つ事となった。 その間に、妙に冷静になった2人は、言い合いするのもバカバカしくなったので、 すっかりいつもの2人の、仲良しテンションに戻っていた。 「ねぇ、リョウたん。ミルクとかオムツとか、こん位で何日分かなぁ?」 香はバッグの中を見ながら、僚に訊いてみる。 「ん~~~、サッパリ解んねぇ。取敢えず、買っといた方がイイかもな。」 「そだね。」 2人はいつもの薬局へ向かった。 つい昨日、僚がコンドーム・3ダース(最新超薄型0.02㎜、12個入り、計36箱) を購入した、件の薬局だ。2人は、結構な常連だ。 冴羽夫婦が、赤ん坊を抱いて来店したのを見た瞬間、店主は我が目を疑った。 あれだけ頻繁に、コンドームを購入してゆく夫婦が何故??? 至極もっともな疑問である。 しかし2人は、店主のそんな暑苦しい視線をもモノともせず、 真剣な表情で、粉ミルクを選んでいる。 そして、紙オムツのコーナーともなると、もうお手上げだ。 何サイズを選んでいいモノか、全く解らない。 生憎出先では、インターネット先生も頼りにならない。 2人はカウンターに赴いて、未だ呆然としている店主に訊ねる事にした。 2人が声を掛ける前に、先手を打って質問して来たのは、店主の方だった。 「…り、リョウちゃん。あんた、あんだけのコンドーム。何に使ってんの?」 「避妊だよ。それ以外、何に使うって~の?」 僚は、このオッサン頭おかしいんじゃねぇの?なんて思いつつ答える。 「じゃ、その子なに?」 店主は、正太を指差す。僚は思わず、苦笑する。 「落ち着け、オヤジ。種付けから、こうなるまで1年半かかる。つーか、いつカオリンが子を産んだよ?コイツはちょっと、ウチで暫く預かってんの。」 店主は漸く我に返り、ポリポリと頭を掻く。 「いやぁ~~、確かにそうだよねぇ。すっかり焦って、ワケ解んなくなったよぉ。あんだけしょっちゅうコンドーム使ってんのに、子供出来るって。さすが種馬!!なぁんて思っちゃったケド、さすがにそれは無いかぁ。」 ハハハと笑うオヤジに、僚は深い溜息を吐く。 この一連の流れに、香は真っ赤になって固まっている。 僚はそれを見て、更に溜息を吐く。 この先、一体どうなる事かと、少しだけ心配になる冴羽僚(34)だった。 ※ つい、原作の大好きな1シーンを、アレンジしてブッ込んじゃいました(テヘ) 平にご容赦を~~~(汗)
※ 少し長めのお話しでっす。 僚と香が、正太を預かってから3日目。 午前中のキャッツ・アイに、香が正太と2人でやって来た。 僚が朝ご飯を食べてから、調査に出掛けたので、 香と正太は、2人で公園に散歩へ出掛けた。 その帰りにキャッツでひと休みだ。 先程までは、香に抱っこされてキャッキャとはしゃいでいた正太は、 すっかり遊び疲れて、ボックス席の広いソファの上でお昼寝タイムだ。 そんな正太を、香は時折本当に愛おしげに見つめる。 まるで可愛くてしょうがないと言うように。 「今日は、冴羽さん一緒じゃないのね。」 美樹がそう言いながら、香のカップにお替りを淹れる。 「うん。今回は、私が正ちゃんに掛かり切りだから。リョウたんは、今日は1人で聞き込み。それと、おじいちゃん(教授)の所。まぁ、まずは情報収集からね。」 そう言って、香はニッコリ微笑む。 「でも、ほーんと香さんって、赤ちゃん好きなのね。正ちゃんとも、すっかり打ち解けて、なんかホントの親子みたいだわ。」 そう言って美樹は笑った。 「うん、大好き。可愛いもん。それに、正ちゃんとってもイイ子なの。人見知りしないし。でも、それってもしかしたら、お母さんいなくて、周りの色んな人に面倒見て貰って来たからなのかなって思うの…」 …もしも、そうなら。少しだけ可哀相かなぁ、なんて思うの。 と言って、香はしんみりする。 美樹も正太の母親の事を、初日に聞いていたので頷く。 正太は、母親の事はきっと覚えていないだろう。 少しだけ、しんみりムードになってしまったので、美樹は殊更明るく香に言った。 「そんなに赤ちゃん好きなら、そろそろ冴羽さんと子作りしたら良いのに。」 バフッッ(爆)軽く爆発音がしたかと思ったら、カウンター越しに、 香が全身真っ赤に染めて、もうもうと湯気を上げている。 美樹も香もお互いに、子供のいない若くて健康な人妻だ。 それならば、子作りの話し位するだろうに、香はこの手の話しは一切奥手だ。 彼女の旦那とは、対照的に。 香は急に、何だか恥ずかしい話しの展開になってしまって、俯いてしまったが、 美樹に言われて少しだけ、考えてしまった。 僚と19歳で結婚して、早3年。 今まで、子作りの話しをした事など、そう言えば無かった気がする。 香は確かに、赤ちゃんや小さな子は大好きだけど、 自分が母親になるなんて、考えた事も無かった。 でも僚は、香よりも12歳も年上なのだ。 今まで、考えた事無いのかなぁ?と、香はふと思った。 香の初Hの相手は、僚で、初恋もファーストキスも、僚だ。 ずっと、大好きだった。 僚は香と初めてHした時からずっと、コンドームを使っている。 欠かした事は無い。 僚はそこの所、どう考えているんだろう?と香は考えた。 僚はと言ってるけれど、香とて今美樹にそう言われるまで、何も考えて無かった。 そうなんだよね、夫婦の間にはいつか子供が出来るんだろうケド、 ずっと避妊してたら、ずっと赤ちゃん出来ないよね。当たり前だけど… 今まで特に気にもしていなかった、あの0.02㎜の薄い膜が、 何故だか、僚と自分を隔てる壁になったような気持ちだ。 香は、近々僚と話し合ってみようと思う。 一方の、モッコリ旦那である。 妻がこれからの家族計画について、悶々と悩み始めた事など知る由も無く、 今日彼は営業マン風スーツに身を包み、 高円寺のとある寂れたマンション前にいた。 エースカンパニー㈱、商品管理部主任、小田島昇の自宅マンション前。 このマンションの事は、リサーチ済みだ。 今日び珍しく、オートロック無し。営業マン・セールスマンの類は出入り自由だ。 小田島は、1階奥の突き当りの部屋。 その数室手前の部屋に、管理人の60代の夫婦が住んでいる。 管理人夫は囲碁が趣味で、日中の大半を近所の囲碁クラブで過ごしている。 管理人妻は噂好きで、夫が出掛けているのをイイ事に、 営業マン風のお兄ちゃんを見付けると、 いいカモとばかりに管理人室に呼びつけて、話し相手にするのが日課だ。 今日の僚の狙いは、管理人妻こと、村上花子(64)だ。 会社の方から攻めた所で、出てくる話は博子が言っていた事が関の山だ。 僚は不在だと分かっている、小田島の部屋の呼び鈴を数回鳴らす。 予定通り、小田島は不在のようだ。 如何にもガッカリと、これまた予定通り、肩を落として廊下を歩いていると、 案の定、僚に手招きするオバハンがいた。 村上花子だ。 僚の小芝居は、ここからが本番だ。 「お兄さん、セールスの人?」 「えぇ、まぁ。」 「あの部屋の人に用があったの?」 「えぇ。以前にもご利用を戴いたお客様だったもので、ちょっと近くまで来たついでに挨拶でもと思いまして。…でも、お留守のようでしたのでまた出直します。」 そう言って、僚は極上のスマイルを放つ。 これで大概の相手は、僚に悪い印象は持たない。 言わずもがな、村上花子も例外では無い。 「お兄さん、時間ある?ちょっと、お茶ぐらい飲んでいきなさいよ。」 「イイんですか?じゃ、ちょっと呼ばれようかな。」 そう言って、管理人室へと案内される。 まずは、第1関門突破である。 「でぇ?お兄さん、何屋さん?」 村上花子は、冷やした麦茶をグラスに注ぎながら、僚に問う。 「えぇ~~と、ちょっと申し上げにくいんですが…」 「何?何?変なモノなの?」 噂好きの血が騒ぐのだろう、彼女は心底楽しそうである。 それならいっそ、このひと時をもっと面白く、 僚ははっちゃけてやろうと思う。僚なりのサービス精神だ。 僚の口はペラペラと、適当な事を繰り出す。 「まぁ、大して変なものでも無いんですが…中にはとても気に為さるお客様もおられますので…秘密ですよ?信用問題なんで。あくまでも今からする話は、この管理人室の中だけの、秘密って事で。」 僚がそう言うと、村上花子は満面の笑みで、コクコクと頷く。 こうして、大した事ない話しでも、 僚から先に、秘密を打ち明けるという体にして話しを進めると、 案外、相手の持っている“秘密”で返してくれる場合がある。 特にこういうタイプのオバサマは。 「まぁ、表向きは健康食品。ぶっちゃけて言えば・・・・精力剤です。 モノがモノだけに、ご家族に知られたく無い方や、 とても、気にされる方がいらっしゃるので、 あくまでサプリメントとして取り扱ってますけどね。 …それがですねぇ、ちょっと効き目が凄いんですよ、えげつない位。 お陰様で、中年から中高年の男性方には、結構ご支持賜ってるんですよ。 どうです?管理人さんも、ご主人に一服盛ってみます?精・力・剤❤」 僚はそれまでの爽やかセールスマンの雰囲気に、 すこぉしだけフェロモンを、プラスする。 女は幾つになっても、女だ。 たとえ、20代でも60代でも。 あくまでも、さり気無く男を感じさせる事で、警戒が解れるし口も滑る。 これが、匙加減を間違うと、逆に警戒が強まってしまう。 そこら辺の駆け引きは、微妙なのだ。 僚には生まれながらに、そう言った事には類稀なる才能がある。 「やぁだ、お兄さん。ウチはほらもう、そういうの全然無いから。夫婦もねぇ、この歳になると空気みたいなモノなのよ。」 彼女はそう言って、僚の肩にバシバシツッコミを入れる。 格闘家かっっ!オノレはっっ! と思わず僚も、一瞬切れそうになるほど、力強い。 でもねぇ、と村上花子は続ける。 「…多分、小田島さんには、もう2度と会えないかもよ?」 「え?お引越しかなんかされるんですかね?」 村上は、ニヤッと笑う。 「お兄さん、小田島さんの勤め先知ってる?」 「いいえ、知りません。」 「あの、エースカンパニーなのよ。それも、事件に結構関わってたみたいなの。」 「ほ、ほんとですか?…ハッ、じゃあもしかして逮捕されたって、小田島さん?」 村上は首を振る。 「いや、それは無いね。小田島さんね、あの事件が起きた直後から、ココにはいないの。逮捕者って、確か事件から何日か経って出たでしょ?それに、逮捕の報道から後に、ココに警察が何度も来てるのよ。拘置所にいるなら、ココに来る必要無いでしょ?」 僚は眉間に皺を寄せて、神妙な面持ちで、 ならば小田島さんは何処に居るんでしょうか?と呟く。 村上は、ニヤリと嫌な顔で意味あり気に口元を歪める。 「死んでるね。」 「な、なんか、怖いすね(汗)冗談キツイっすよ、管理人さん。」 「私は、結構本気でそう思ってるよ。あんな偽装事件、社員1人の一存じゃないでしょう?多分、消されてるわね。」 僚も、その可能性は視野に入れている。 この村上の勘も、満更悪くない所を突いていると、僚は思う。 もう少し突いて、彼女の見解を聞く価値もありそうだ。 「でもほら、幾らなんでも殺しなんて…、身内の人なんかが、気付くじゃないですか、小田島さんがいない事。」 小田島には、身近に近親者などがいない事は、僚もリサーチ済みだ。 村上は、首を振る。 「10年以上ココで暮らしてるケド、彼に身内が尋ねて来た事なんか、無かったよ。」 「あ、じゃ、じゃあ、彼女とか?精力剤使ってるし?」 勿論、精力剤の件は作り噺だが。 「お兄さん、あの人に彼女いる様に見えた?見えたんなら、目医者行ったがイイよ。」 僚は、タハハと乾いた笑いを漏らす。村上花子(64)、恐るべし。 そして、村上は続ける。 「ほらぁ、なんて呼ぶんだったかど忘れしたけど、家とかホテルとかに派手な女の子呼んで、遊べるってのがあるでしょ?何時間幾らとかって。」 「あぁ、デリヘルとかっすかね?」 「そうそう、それよ。良く呼んでたみたいよ?小田島さん。それに、駅前のパチンコ屋でも良く見掛けたし…ギャンブルは好きみたいね。」 僚はそこまで聞いた、小田島の生活振りから推測するに、 会社側にとっては、金で動かせる駒だったのかと思う。 「…だからねぇ、多分、お金の為だったんじゃない?会社の不正に加担して、幾らかボーナスが出てたんじゃないのかね?で、いざという時は、切り捨てられたと。」 図らずも、僚と花子の見解は見事、一致した。 最終的に僚は、小1時間ほど管理人室で、 小田島以外の事も含め、様々な噂話に付き合わされ、帰り際には、 この界隈で、精力剤をセールスして喜ばれそうなご家庭を、 5件ほど、教えて貰った。 僚は生憎、そんなモン売って無いから、綺麗サッパリスルーしたけれど。 小田島の件以外で、僚が個人的に気になった話しは、 5階に住む23歳キャバ嬢が、下の階の4人家族のベランダに、 しょっちゅう、派手な下着を落として、揉めるという件だ。 もしも僚ならば、揉めるどころか、大歓迎ウェルカムなのだが、 生憎、下の階の主婦は、典型的な教育ママで、 子供に害があると目くじらを立てるらしい。 人生、色々だ。 僚は結局、香の居る我が家が1番だな、なんて思う。 香が昼前に帰って行った、喫茶キャッツ・アイに、 昼過ぎ、僚がスーツ姿で訪れた。 「あら、冴羽さん。スーツだなんてお珍しい。」 美樹が笑って言った。 「ま、たまにはね~。好きになっちゃうでしょ?美樹ちゃん。」 美樹は、ふふんと鼻で笑うと、 「残念でしたぁ、生憎私、ファルコン以外の殿方に興味無いの。」 とアッサリ交わす。隣では、無口で大きな彼女の夫が真っ赤になっている。 日頃の僚のこんな口癖は、ほぼ惰性で、 彼が嫁にしか興味が無い事は、周知の事実である。 「午前中、香さんと正ちゃん来てたわよ。公園にお散歩に行ったって。」 僚は、そうか、と言ってふんわりと笑う。 “香”のひと言で、僚はいつも随分無防備な顔で微笑むが、 恐らく、僚自身にその自覚は無い。 「香さん、正ちゃんの事可愛くて仕方ないみたいね。もう、デレデレ。」 「そうなんだよ。今、家ではリョウたんは、二の次みたい(笑)」 「子作りしたら良いのに。自分達の子なら、更に可愛いわよ。」 「子作りねぇ…」 僚は、コーヒーを啜って黙り込む。 僚と香が結婚したのは、僚・31歳、香・19歳の時だった。 香は、僚の幼馴染みで親友の、歳の離れた妹だ。 子供の頃の香にとって僚は、多分“もう1人の兄貴”程度の認識だったと思う。 しかし僚にしてみれば、昔から香は、“大事な嫁”なのだ。 だから少しづつ、シフトチェンジを図りながら、 香が僚の嫁になるまで、慎重にここまで導いてきた。 そして香は基本、超ピュアなので、僚の事を微塵も疑う事無くずっと、ラブラブだ。 香の初恋から、ファーストキスから、初モッコリまでを、 僚は全て残さず美味しく平らげた。 それでも、香と恋人関係になるまでの僚は、それなりに色々やって来た訳で。 その挙句の、種馬呼ばわりなのだ。 片や香は、何から何まで相手は僚で。 恋人らしいデートも、セックスも、それは常に僚との出来事だ。 僚は香が好き過ぎて、ひとまず我物にしてしまおうと、早々に夫婦になった。 しかし人妻とは言え、香はまだ22歳だ。 僚の中では、2人はまだまだ恋人のような気持ちなのだ。 勿論、ゆくゆくは僚だって、香によく似た子供は欲しいし、作る気満々だけど、 まだ当分は、良いかなと思っている。 何より、子供を産んで最も大変になるのは、確実に香なのだ。 幾ら父親が手伝っても、母親にしか解らない苦労が有る筈だ。 そんな色々は、まだいい。と、僚は思う。 僚はまだカワイイ嫁を、自分の腕の中で甘やかしていたいだけだ。 そんな心の中を、イチイチ人に説明するのも、面倒臭い。 僚は飄々と、受け流す。 「子作りねぇ…この前、コンドーム3ダース買ったばっかだし。」 僚のそんな呟きに、美樹は反射的に突っ込まずにいられない。 「それって、何か月分よ?」 僚は少しだけ考える素振りを見せて、答える。 「3ヶ月弱?」 美樹は思わず、頭の中で電卓を叩く。 この目の前の男は、単純計算で1日当たり、4個~5個ほど使う気である。 「冴羽さん、因みに使用済みのコンドームは、可燃ごみでOKよ。」 美樹と香は、町内会のゴミ出し何とかかんとか委員会のメンバーなのだ。 僚は微笑みながら、頷いた。
その夜、冴羽夫妻の寝室。 「 ねぇ、リョウたん。見て?超カワイイよ。ホント、天使みたい。」 暫く正太の横に添い寝して、寝かせつけていた香が小さな声で僚に言った。 漸く、眠ったらしい。 乳児を預かってしまった2人だが、恋人夫婦2人の部屋に、 赤ちゃん用品など、有る筈も無く。 ベビーベッドも、ベビー布団も無いので、 取敢えずは来客用の敷布団を、2人のベッドの傍の床の上に敷き、 上掛けは、大人用では大きすぎるので、柔らかなバスタオルを、 タオルケット代わりに使っている。季節は夏なので、その点では助かった。 僚は普段、熱帯夜には少しだけ冷房を強めに効かせて、 香に引っ付いて眠るのが好きだが、 正太を預かってからの冴羽家(香)は、正太中心で回っているので、 強い冷房はお預けだ。設定温度は、29℃になっている。 僚はこの数日、汗をかきながら眠っている。 僚は、夫婦のキングサイズのベッドに横たわり、 肘を枕にして、香と正太を見詰めていた。 昼間、美樹に“子作りしたら良いのに”と言われた事を思い出す。 目の前の可愛い妻は、この数日、とても楽しそうに乳児の世話をしている。 僚はベッドから起き上がると、香の傍に行く。 確かに、生後7か月の赤ちゃんは、カワイイ。 どんな動物も、赤ちゃんは自分を守る為に、可愛く出来ているモノなのだ。 しかしだ、と僚は思う。 赤ちゃんよりも、何よりも、この目の前の女が1番カワイイ。 僚は香をサッサと横抱きに抱え上げると、クスッと笑った。 「ささ、カオリン。赤ちゃん寝かせつけたら、今度はリョウたん寝かせつける番だよぉ。頑張ろうね~~❤」 毎日の掃除洗濯炊事よりも、突発的な即席子育てよりも、 香にとって何より大変なのは、もしかしたら夫を寝かせつける事かもしれない。 何しろ、簡単には寝てくれないのだ。この、モッコリ夫は。 それでも2人は結局我を忘れて、行為に熱中する訳だけど、 途中、僚の手がサイドボードに伸びた時、 香は心の中で、あ。と思った。0.02㎜の、2人の薄い壁。 「ん?どした?カオリン。」 そう言って、僚が香の額にキスをする。 「ん~ん。どうもしないよ。………リョウたん。」 「ん?」 「大好き。」 「うん、俺も。カオリン。」 香は僚の広くて厚い胸板に、顔を埋めた。 ひとまずは、“子作り”も“育児”も忘れて、2人は夢中で互いを求めた。 それから軽く2ラウンドほど、夫婦のスキンシップに勤しみ、 2人はベッドの上で、探偵と探偵助手としての会話を始めた。 「…お金の為に、不正に協力してたのか…許せない。3人も亡くなってるのに。」 「まぁ、まだそうと決まった訳じゃねぇけど。その可能性もあるって事。」 「うん、そうだった。…でもよくバレ無かったね。管理人さんに。」 「カオリン、俺を誰だと思ってんの?そんなへまはやらかしません。」 「でも…プププ。精力剤って…ウケル。」 もし管理人さんが、旦那さんに使うって言ったらどうするつもりだったの? と言って、香はクスクス笑う。 クスクス笑う香に合せて、サワサワ触れる柔らかな猫毛が、 僚の裸の胸元を、柔らかくくすぐって、僚はまた少しだけムラムラするけど、 この数日香は、2ラウンド以上は絶対に応えてくれない。 曰く、正ちゃんが起きるでしょ?との事。 やっぱり、まだ子供は要らないと、僚は思う。 「あ?そんときゃ、そん時。何か適当に言って誤魔化すの。」 「でもぉ、小田島さん。ホントに、殺されちゃったのかなぁ?」 「どうだろうね。でも、1つハッキリしてるのは、食中毒事件が発生した直後から、小田島の事を見掛けた人間はいないって事。まぁ、重要参考人、もしくは犯人の1人であるのは間違いないだろうね。」 「…どうして、山本さん捕まっちゃったんだろう。」 香が淋しげに、正太を見詰めながら呟いた。 今現在、正太には代理とは言え、愛情を注いで2人で世話してはいる。 しかしどうして、こんな小さな子が、 大事なたった1人の父親と、引き離されねばならなかったのか。 きっと、拘置所の中で山本は正太の事だけが気掛かりだろう。 そう思うと香は、博子があんなに一生懸命に、 山本の無実を訴えていた気持ちが、少しだけ解る気がする。 一体、警察は何をやっているんだろう?小田島を見付けるのが先ではないのか。 そんな香の呟きに、それこそがこの事件のカギだと僚は思う。 捕まった山本が、経理課の課長だという事実。 そこにはきっと、金にまつわる何らかの事情が隠されている筈だ。 そして警察も、その点には気が付いている筈だ。 しかしそこは、何らかの確たる証拠が欲しい所だ。 この件は、まだまだ根が深いし、まだまだ調べる事が山積みだ。 「あ、そういやカオリン。昼間じっちゃんが、明日はカオリンと正太も一緒に、3人で来いってさ。今日頼んできた資料を、明日取りに行くからさぁ。」 「おじいちゃんが?何だろ?」 「ほら、この季節じゃん?例の…」 「あ。お中元か。へへへ、助かる。」 僚の祖父は、2人の新宿のビルから30分程の、 某高級住宅街の豪邸とも言える、日本家屋に独り暮らしである。 しかし、独居老人などと言う言葉とは、縁遠い。 未だ現役バリバリの、エロジジイだ。 僚の両親は、若くして事故で亡くなっているので、 僚にしてみれば、親代わりの唯一の親族だ。 香には、おじいちゃんが何をしている人なのかは、未だに謎だが、 どうやら、政財界の様々な重鎮を相手にする、凄い人らしい。 何故だか香は、彼に滅法気に入られており、実の孫以上に可愛がられている。 祖父の家には、その多岐に亘る謎めいた交友関係の結果、 盆暮れには、膨大な量の付け届けが送られて来るのだ。 老人1人で消化出来る量ではない。 特に夏場のギフトは、何故か果物や生ものが多く、 毎年2人が消化要員として、駆り出されるのだ。 特に若干1名、驚異の胃袋を持ったヤツが居るので、重宝されている。 翌日3人は、午前中の内に祖父の家に、資料を取りに行き、 帰りには、膨大な量のビールやその他諸々、頂戴して来た。 医者としての側面も持つ祖父は、正太の健康状態をチェックし、 問題無いと太鼓判を押してくれた。 帰りの車内は、まるで本当の幸せ家族の行楽帰りの様に、 和気あいあいムードだった。 何より、香の機嫌が上々なので、僚はそれが1番だ。 帰りにキャッツに寄って行こうか、となって寄り道した。 しかしそれが、僚にとっては運命の分かれ道だった。 カウベルの涼しげな音をさせて、喫茶キャッツ・アイの店内に3人が入ると、 そこには珍しい先客がいた。 野上冴子。 警視庁新宿署刑事部捜査第1課、刑事。 香の兄、槇村秀幸の上司でもあり、恋仲でもある。 通称、警視庁の女豹である。 彼女は、恐らくこの世で1番僚を手玉に取るのが上手い人間だ。 その手腕は、香をも凌ぐ。 香が僚を操れるのは、愛情の成せる業だが、同時に香も僚に操られている。 冴子の場合、その色気で持って僚を利用する。 哀しいかな、それが僚の唯一の弱点で、毎度冴子には痛い目に遭わされてきた。 いわば、香にとっては冴子は、天敵だ。 「あら、お久し振りお2人さん。僚、先月はどうもありがとう。助かったわ❤」 そんな冴子の言葉に、香の片眉がピクリと持ち上がる。 「冴子サン?先月って何の事?先月、何日の事かしら?」 香の表情が、恐ろしく急変する。 僚は青白く固まったまま、ゴクンと唾をのみ込んだ。 何だか、ヤバイ事になって来た。 「まぁ、僚、香さんに説明しなかったの?呆れた人ねぇ。…え~とね、7月20日、金曜日よ。青少年が夏休みに入る週末に、焦点を合わせての捜査だったから❤」 冴子は、悪びれる事も無く、堂々と僚の隠し事を暴いた。 それを聞いた香は、 この夏愛用のシルバーのレスポートサックの、小さめのバッグから、 これまた愛用の、オレンジの革の手帳を取り出し、何やら確認する。 「ねぇ、僚。その日、私の手帳に寄れば、ミックと飲みに行った事になってるケド、どういう事かしら?説明して貰える?」 そう言って冷酷な瞳で僚を睨む香は、いつもとは別人である。 実は、香の怒りに火を点けると、他の誰より凶暴で手が付けられない。 僚はダラダラと冷や汗を流し、いや~だからそのぉ~~まぁあれだ…などと、 意味不明の言葉を呟いている。 香はそんな事では埒が明かないので、早速裏を取る。 バッグから携帯を取り出すと、 もう1人の重要参考人、ミック・エンジェルに電話を掛ける。 2コール目で、彼は出た。 『ハァイ、カオリ!!どうしたの?リョウに内緒で、デートのお誘いかい?勿論、OKだよ❤』 いきなりの暑苦しいテンションに、香は彼の言葉の後半部分はサクッと無視して、 「こんにちは、ミック。ところで、アナタ7月20日の夜、何処で何してた?」 いきなり本題だ。 『ん?20日?Sorry,ちょっと待っててね。…その日は、え~と取材で九州に行ってたね、そんな事よ』 「OK、ありがとうミック。助かったわ、じゃ。」 プチッ、ツーツーツーツーツーツー。 ミックがまだ何か言ってはいたが、香は通話を切った。 携帯と手帳をバッグに仕舞いながら、香は軽く一息吐くと、 膝の上の正太を、カウンターの向こうの美樹に預ける。 その直後、香は何処からともなく、 トゲトゲの付いた重量200tの鉄球を振りかぶる。 「こんのクソモッコリがぁっっ!!まぁた、色気で釣られやがって。一遍、三途の川でも渡って来いっっ」 鉄球は見事、僚にクリーンヒットし、 僚はキャッツ・アイの壁と、鉄球の狭間で気を失った。 その後、香は正太を連れて、僚を1人置き去りにして帰って行った。 夕食は、正太を連れたまま、ファミレスで済ませ、 20:00頃に、アパートに戻ると僚も帰ってはいたが、 アッサリとスルーして、香は正太と風呂に入ると、 さっさと6階の客間に鍵を掛けて、眠ってしまった。 今日の香は、正太と2人でゆっくり快眠だ。 モッコリ旦那の世話など、知ったこっちゃないのだ。 暫く僚は客間のドアの外で、香に謝り倒していたが、 その頃、香は既に夢の中だった。 僚は淋しく1人、夫婦のいつもの寝室で枕を抱き締めた。 こんな日は、キングサイズのベッドまで、自分を嗤っているような気がする。 「クスン(涙)リョウちゃんも、乳幼児になりたい。」 もはや、無理な願いである。 翌朝、僚が重たい身体を引きずって、キッチンのドアを開けると、 香はいつも通り、朝食を作ってくれていた。 機嫌も、‥‥悪くはなさそうだ(?)鼻歌交じりであり、 僚を見て、あ、リョウたんおはよ~、と言った。 食卓のベンチの上に、チョコンとお座りした正太は、哺乳瓶を握っている。 僚は、お、おはよ。と答えて、正太を膝の上に乗せながら、 いつもの席に着く。 新聞を広げつつ、咳払いをして、改めて軽い感じで謝る事にする。 「あ、あの~。カオリン?」 「ん~?なぁに、リョウたん?」 「ご、ごめんな、昨日の事。」 ノーリアクション。 時計の針の音まで聴こえる、静けさ。 フライパンの上で、目玉焼きが焦げる音。 正太が哺乳瓶を、チュパチュパしている音。 僚は自分自身の心臓が、バクバク言う音が耳の傍で聞こえる気がする。 暫くして、香がくるりと僚を振り返る。 満面の笑顔を湛えている。 「ねぇ、リョウたん?」 「は、はい。」 「もしもこの先、リョウたんが……」 僚はゴクリと唾を飲んで、香の言葉を待つ。 浮気したら、リョウたん殺して私も死ぬから♪ そのつもりでね❤カオリンの愛の言葉はリョウたんにとって、身震いするほど刺激的である。
香は僚に、浮気をしたら殺すと宣言した後、 フライパンの火を止めると、僚に近付いてキスをした。 僚の膝の上には正太がいて、僚は新聞を握ったままだった。 不意打ちの香からのキスに、僚は少しだけ驚いて、 そしてますます彼女に惚れる。 可愛くて、美しくて、気が強くて、優しくて、儚くて、恐ろしい女。 ゾクゾクする程、イイ女。 時々こうして僚の心臓を鷲掴みにして、掻っ攫って行く。 けれども、本人にその自覚は皆無で、無邪気な女。 触れただけで、離れて行こうとする小さな頭を、 僚はグッと押さえて、今度は僚から3倍返しのキスをお見舞いする。 勿論、謝罪のキッスである。 自分の頭上で、繰り広げられる妙な光景を、 正太は、ミルクを飲みながら見上げる。 香は、僚の肩をグッと押して、無理やり僚を引き剥がす。 真っ赤な顔と、小さな声で。 「 リ、リョウたん。正ちゃん見てるから…」 なんて事を、上目遣いで僚に訴える様は、 まるで、今すぐ押し倒してくれと言っているようなモノで、 僚は昨夜のお預けも相まって、もう少しで理性が決壊する所だった。 それを辛うじて堪えたのは、これ以上彼女を怒らせない為だ。 取敢えずは、大人しく朝ご飯を食べないと。 冴羽家のリビングに、1本の電話が入ったのは、 そんなオアツイ朝食タイムを終え、まったり3人で寛いでいた時だった。 結局2人は、まるで昨日のケンカの事など無かった事の様に、 いつも通り、ラブラブで、正太は終始ゴキゲンだ。 代理とは言え、パパとママの仲の良さは、少なからずベビーにも伝わるらしい。 「はい、冴羽でぇ~~す。」 香が電話に出ると、電話の相手は依頼人、鈴木博子だった。 「何だって?博子ちゃん。」 僚が香に、電話の用件について訊ねる。 「ん~~、何かね、同じ経理課の先輩を、私達に会わせたいんだって。なんか、話しがあるみたいだよ。でも、会社内では大きな声では話せないからって。」 取敢えず香は、その日の午後4時にキャッツで待ち合わせる事にして、 電話を切った。 その日、いずれにしても僚は5階の事務所で、 これまでの資料を元に、作戦を練る予定だったので、 15:00になったら、呼びに来て。と言って、事務所に籠った。 こういう時の僚は、一応真剣に仕事をしているらしいので、 いつも香は邪魔しないようにしている。 12:00過ぎに1度、昼食の準備が出来たので、5階に電話を入れる。 香が、持って行こうか?と訊ねると、僚は、いや一緒に食う。と答えて、 5分ほどすると、自宅に戻って来た。 本日のランチは、ナポリタンと、トマトとバジルとチキンのサラダ。 デザートには、昨日祖父に貰った、岡山産の立派な白桃を剥いた。 正太にも、同じ桃を裏漉ししたモノを、少しだけ食べさせてみた。 どうやら正太は、生まれて初めて桃を食べたようで、とても喜んで食べた。 「美味しい?正ちゃん。甘いでしょ?」 キャッキャとはしゃぐ正太に、香はニコニコ笑いながら、 自分の食事にも手を付けず、正太の世話をしている。 そんな香を見て、 僚は少しだけ、自分達に子供がいたらこんな感じかな、と思う。 それは何だか、悪くない気がした。 ハッキリ言って、きっと幸せだろう。 食後はまた、僚は事務所に籠り、 香は正太を昼寝させ、その間に家事をこなした。 15:10頃に、香はあ、と思い出した。 僚が15:00になったら、教えてと言ってたんだった。 香はグッスリ眠った正太をリビングに残し、5階に降りた。 5階で僚は、煙草を吸いながら何やら、パソコンを睨んでいた。 正太を預かって以来、僚が堂々と煙草を吸えるのは、この部屋だけだ。 「リョウたん、15:00過ぎたよ。」 香が声を掛けると、僚はニッコリ笑って手招きする。 香はキョトンと首を傾げながら、僚の座るデスクまで近づく。 それは、目にも留まらぬ早業だった。 気が付くと香は、僚の膝の上に座らされ、荒々しい口付をされていた。 抵抗する前に、香の身体からは力が抜け、僚のされるがままとなった。 ただ、僚を呼びに来ただけの筈が、何故だかいつの間にか、 僚の劣情に火を点けてしまい、それでも時間が無いのは僚も解っていたので、 手短に、しかし手を抜く事無く、カワイイ嫁を悦ばせ、 軽く1ラウンド、交えた。 香は正直、この部屋にまでコンドームを常備していた僚に驚いた。 僚にしてみれば、備えあれば憂い無しという所だ。 気が付くと、15:45を回っていた。 「リョウたん、やばいよっっ。待ち合わせ16:00だから!!」 2人は、慌てて身支度を整え、寝起きでポヤンとした正太を連れて、 キャッツへと急いだ。 到着したのは、キッカリ16:00. 博子と、その先輩社員の小川が、待っていた。 「ごめんなさい。お待たせして。」 香が恐縮して、2人に謝った。 「あ、いいえ。私達もたった今来た所なので、お気に為さらず。」 博子が答える。 「コチラのお2人が、正ちゃんを預かって下さってる、冴羽さんご夫妻です。」 博子は隣に佇む、生真面目そうな眼鏡を掛けた女性に、2人を紹介する。 「そして、コチラは私の先輩社員の、小川美穂子さんです。」 2人にも、彼女を紹介する。 少しだけ、世間話をして打ち解けた所で、話しを切り出したのは博子だった。 やはりと言うか、当然と言うか、エースカンパニーは、 もはや通常の営業が出来るような状態では無く、 もう既に、4分の1程の社員が、辞職した事。 会社に出ていても、ピリピリとしたムードで、 軽々しく会話も出来ない雰囲気で、正直息が詰まる事。 やはり、あの段階で正太を、2人に預けて正解だった事。 少しでも、事件に関連がありそうな社員は、 少なからず、警察に事情を聴かれている事。 そして、小川が博子に相談を持ち掛けたのが、昨夜の事だった。 小川が神妙な面持ちで、僚と香に説明した。 「あれは、3ヶ月ほど前の事でした・・・・ 帳簿に不審な点があるような気がして、課長に報告したんです。 それでも、一応最終的な収支は合っているし、何処が操作されているのかは、 正直、膨大なデータを拾い出さないと、 証明出来ないんじゃないかというレベルの、些細な違和感です。 それでも、気付いたからには、報告しないと。 後から大問題になっても困るし、と思ったんです。 すると課長は、実は課長も前から、同じように感じていたと仰ったんです。 でもこの件は、自分が裏で調べるから、 私にはいつも通りに、業務をこなすようにと言われて。 証拠は何も無いんですケド・・・。 課長は何か重大な事に、気が付いてしまったんじゃないでしょうか? だから、この事件のどさくさに、 犯人に仕立てられたんじゃないかと思うんです。 誰か、課長に罪を着せてしまいたい人物がいる。 不正経理と、食品偽装。 この2つの罪の真犯人は、同一の人間じゃないでしょうか?」 僚はここまでの話しを聞いて、小川に質問する。 「君は?不正経理そのものは、確かにあったと思う?」 すると小川は、キッパリと頷く。 「存在すると思います。ただ、証拠が無いので証明は出来ません。実は、偽装した例の食肉の取引に関しては、関係する書類は全て押収されてますし、今の現状では私達の手で調べるのも無理な状態で。」 そう言って、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。 僚は、ニヤリと笑う。 「実は、俺もそうじゃないかと思う事が、何点かある。しかし、やはり君の言う通り証拠は何処にも無い。でもね、果たして山本課長が警察で事情を聴かれていて、何も話していないだろうか?多分、話してるんじゃないかな。だからこそ、拘留が延びているとも考えられる。」 そして、もう一度全員の顔を見て微笑む。 「警察に捕まったからと言って、イコール犯罪者では無いんだ。重要参考人。あくまで、事情を知っているから、捜査に協力しているんじゃないかな。意外と、警察も馬鹿じゃないから。」 僚はそう言って、のんびりとコーヒーを啜る。 香は少しだけ、明るくなった表情で、僚に問う。 「じゃあ、正ちゃんのパパが帰って来るのも、時間の問題かな?」 香は期待を込めた視線で僚を見詰めて次の言葉を待つ。 「ん~~~、それは、ハッキリこうってのは言えねぇけど・・・ま、そういう可能性もあるってだけで、警察が意外にバカかもしれない場合もある。」 何だよ、それ。と、香は唇を尖らせて僚の肩をパシンとはたく。 ま、いずれにしても。と、僚は博子と小川に言った。 「君たちに、この話を聞いて良かったよ。外部の人間が考える憶測よりも、内部の人間の情報の方が、より真実に近いだろうから。たとえ、証拠が無くてもね。焦らずとも、機は熟す。何より、罪を犯した人間が、今頃1番焦ってるだろうから。」 僚の言葉に、彼女たちも漸く安堵した。 その時、香に抱っこされていた正太が、珍しくグズッた。 恐らく、昼寝の途中で中途半端に連れて来られて、まだ眠いのだろう。 「どした?正ちゃん?眠いの?ほら博子お姉ちゃんだよ、久し振りだね。」 香が正太をあやしながら、博子の方を向かせる。 何しろ正太は、博子の事が大好きだったのだ。 博子も、久し振りに会った正太を抱っこしようと手を伸ばすが、 肝心の正太はむずかって、ますます香のシャツをギュッと握って離さない。 博子は、少しだけ淋しい気持ちになった。 数日見ないうちに、正太はすっかり香に懐いている。 まるで、本当の親子みたいに。 正太は香の、白いコットンのシャツの胸に顔を埋め、 グズりながらも、指をしゃぶり始めた。 きっと、もうすぐ眠るだろう。 (くそぉ~~、俺も乳幼児になりたいっっ) 白昼堂々、公衆の面前で、 人妻の胸に顔をスリスリして、泣きながら甘えて、 そのまま昼寝なんて、そんな事が許されるのも。 今だけだからなっっ!!こんのチビ助がぁっっ!!!僚が涼しい顔をして、内心そんな事を考えていると、 カウンターの奥で点けられているテレビから、フト気になる名前が聞こえた。 「ごめん、海ちゃん。テレビの、ヴォリューム上げて。」 伊集院隼人は、首を傾げながらも音量を上げた。 ニュースを聞いて、その場にいた僚以外全員が、凍り付く。 そのニュースは、 エースカンパニー㈱ 商品管理部主任、小田島昇の遺体が発見された。 というモノだった。 図らずも、管理人・村上花子(64)の推理は、見事的中した。
槇村秀幸は、忙しい男だ。 基本的に刑事などと云う仕事には、休みなどあって無いようなモノで、 偶の非番を、突発的な事件で台無しにされる事も多々ある。 同じ職場の野上冴子とは、もう結構長い付き合いになるが、 結婚話などと云うモノは、一向に持ち上がる気配も無い。 お互い、多忙を言い訳にしている節があるが、 これに関しては、また別の側面もある。 野上冴子は、結婚という言葉に縛られるような女では無い。 そして、秀幸もまた然り。 妹夫婦とは対照的に、世の中の晩婚傾向の代表のような2人である。 デート中の会話ですら、気が付くと話題は事件の話しだ。 そんな忙しい秀幸に追い打ちを掛けるように、事件は次々起こる。 世の中には、事件がゴロゴロ転がっていて、 ちゃんと前と足元を見て歩かないと、いつ巻き込まれるか解ったモンじゃない。 彼らの署内で今最も熱いヤマが、例の食中毒事件を発端とした、 一連のエースカンパニーによる、食品偽装事件だ。 つい先日までそれは、生活安全課の取り扱い案件で、 秀幸の所属する捜査1課には、 ぶっちゃけ関係無いといえば、関係無い事件だったのだが、 事態が急転したのは、昨日の事だ。 事件のカギを握ると目されていた男が、絞殺体で発見された。 時期が時期だけに、遺体は半分腐乱しかけており、 現場に急行した秀幸は、久し振りに超ド級に悲惨な仏に対面した。 己の死肉は、偽装出来なかったらしい。 心の中で、冷静にそんな感想を呟ける程度には、秀幸も刑事である。 小田島発見前の、偽装事件単体の時には、秀幸の署内での立場は、 あくまでも、違う部署の署員。直接的には、無関係だ。 しかし実の所、槇村秀幸個人としては、全く無関係とは言えないのだった。 秀幸には、この世で1番カワイイ妹が、1人いる。 19歳という若さで、自分の親友でもあり、悪友の冴羽僚にまんまと引っ掛かり、 現在、齢22にして、人妻である。 初めの内こそ、ヤツの素行を知っているだけに、 親友を殺してやろうかと思ったが、何だかんだで2人は幸せそうである。 その妹夫婦がなんと、この事件の唯一の逮捕者であり、拘留中の、 山本の生後7か月の男児を、預かっているのだ。 警察はその事実を、把握していない。 知っているのは、秀幸と野上冴子だけである。 山本本人には、彼の職場の部下からの伝言によって、 子供は信用おけるとある人の元で、安全に預かって貰っていると、 伝えられているようである。 まぁ、確かにあの僚の元なら、安全だし、 香が一緒なら、信用おける。なので、間違いでは無い。と、秀幸は思う。 小田島が、絞殺体となって現れた、今。 事件は晴れて、捜査1課へと移され、 殺人及び死体遺棄事件として、新たに捜査本部が設置された。 指揮を執るのは、野上冴子。 槇村秀幸も、チームの主力メンツとして、ガッツリ事件に関わる事が決定した。 食品偽装の件に関しては、引き続き、 生活安全課が主体となって、進めていくようだが、 今後は基本的に、1課との協力体制で捜査が進められる。 このヤマは、単なる食品偽装事件でも、殺人事件でも無く、 両者が複雑に絡み合った、ごく稀なケースである。 犯罪及び、事件解決にマニュアルなどは無い。 あるのは、刑事の嗅覚と地道な捜査の積み重ねだ。 そして、現在拘留中の山本は、同社の経理課課長である。 ヘタすると、ココにまた更に、国税当局が絡んでくる可能性もある。 なんせ、槇村秀幸は忙しい男なのだ。 チームの陣頭指揮を執って、奮闘する恋人を見るにつけ、 きっとあと数年は、余裕で結婚出来ないであろうと、苦笑を漏らす。 僚は結局、なんだかんだ言って上手くやったよな、とミック・エンジェルは思う。 僚と秀幸とミックの3人は、高校からの腐れ縁だ。 しかし、僚と秀幸はもっと昔から、僚と香に至っては、 香が生まれた時からの、付き合いだ。 その子を、最終的に自分の嫁にするまで、 僚は洗脳という名の、愛情を注ぎ続けた。まさに、継続は力なりというヤツだ。 それにしても何故、僚は香があれ程の上玉に育つ事を、予知出来たのだろう? 先見の明というヤツか。 ミックが香と初めて会ったのは、香が4歳の頃だった。 確かに非常に可愛い少女だったけれど、その彼女を嫁にしようなどとは、 普通は、微塵も思いはしない。 しかしどうやら世の中には、常人には計り知れない思考回路を持つ男もいるのだ。 のちにミックは、僚に訊いた事がある。 香の成長をずっと間近に見て来て、 一体、いつの時点で、香を嫁にしようと思ったのかと。 その時僚は、さも当たり前とでも言いたげに、 「あ?そりゃあ、アイツが生まれた時からだ。」 と、答えた。恐るべし、サエバ・リョウ。 ヤツはいつだって、常人とかけ離れたレベルの世界で、飄々と生きていて、 そのクセ、しっかり(ちゃっかり?) 美人で、ナイスバディで、カワイイ年下の嫁をGETしている。 人生、良い所取りだ。 それに秀幸みたいに、朝も夜も無く駆り出される忙しい身でも無い。 ミックの様に、〆切に追われる事も無い。 僚のボヤキと言えば、ごく偶に香を怒らせて、オアズケを喰らう程度の事である。 そのオアズケにしても、かなりな自業自得ってヤツで。 そう考えると、僚ほど恵まれた奴もいないと、ミックは思う。 この数日、僚と香は何やら依頼の関係で、赤ん坊を預かっているようだ。 2人のビルの真向いのビルに、居を構えるミック・エンジェルは、 時折、3人連れ立って楽しげに、出掛けて行くのを見かける。 その姿は、まるで本当の親子のようであり、 特に僚は、自覚は無いのだろうが、この上なく幸せそうな顔をしている。 あんな顔をするぐらいなら、サッサと自分達の子供を作ればイイのに。 種馬のクセに、とミックは思う。 そうなのだ。そう言えば、昔の僚はそんな風に呼ばれていた事もあった。 実際に種付けるようなヘマは、1度として無かったが。 そしてミックも、そんな僚に負けず劣らず、 この新宿で、僚と双璧を成す女好きのプレイボーイだった。 ミックの好みのタイプは、美人でスタイルが良くて、少しだけバカな子だった。 連れて歩くのに見栄えがして、口先だけの言葉を喜んでくれる女の子。 でも、いつからだろう。 もしかすると、僚が女遊びを止めて、突然結婚を決めた時辺りからかもしれない。 ミックの好みは少しづつ変化して、今現在ミックが落とそうとしている子は、 知的な、クールビューティーだ。 どんなに迫っても、返り討ちに遭う。 それでもいつか、落としてみせると、闘志が湧いてくるのだ。 彼女の名前は名取かずえ。 警視庁・鑑識班。証拠品の分析・解析に関しては、スペシャリストである。 彼女に出会ってミックは、簡単に落とせる子には興味が持てなくなった。 「俺は正直、山本の逮捕について、生活安全課のスタンスが良く解らない。」 秀幸は、冴子に漏らした。 調べれば、調べる程、偽装事件の真相へのベクトルは、小田島を差している。 それなのに、生活安全課は山本を逮捕した。 これが金銭絡みの疑惑などでの捜査ならば、山本で間違いは無いだろうが。 もしも初動で、小田島をあたっていれば、山本を逮捕する事も無かっただろうし、 小田島が殺されずに、済んだかもしれない。 何かが少しづつ、ずれている。 「そこにこそ、今回の問題が浮かび上がって来るんじゃ無いかしら。意外と真相は、足元に落ちてるかもしれないわ。」 どうやら、冴子との見解は一致したらしい。 …闇は、生活安全課に有り、か。 秀幸がそんな事を考えていると、胸ポケットの携帯が振動した。 ポケットから取り出した、少し古い機種のくたびれた携帯電話。 電池パックの外側には、香が一緒に撮ったプリクラを貼ってくれた。 液晶には『ミック』の文字。 「…もしもし、槇村。ん?あぁ。署内だよ。…って、オマエ、今何処からかけてる?」 冴子と槇村が、別棟の鑑識のラボに到着した時、薄暗い室内には、 ミックと、鑑識班の名取かずえがいた。 「って、何でオマエがココにいるんだよ?」 秀幸のミックへの視線は、まるで不審者へのそれだ。 しかしそんな含みのある、視線や言葉など、ミックにはまるで柳に風である。 ペロッと舌を出して、肩を竦めると飄々と答える。 「別に大した事じゃ無いさ。missカズエと食事にでもと、デートのお誘いに来たんだけど、来てみるとこの有様。」 ラボの、かずえのデスク周りが、見事に荒らされている。 「どういう事?名取さん?」 冴子が、かずえに事情を聴く。 かずえの説明によれば、 ミックがやって来る、ホンの少し前。 ココの所連日の残業続きで、疲れが溜まっていたし一息入れようと、 10分ほど、ラボを離れ休憩していた。 例のエースカンパニー絡みで、偽装事件から殺人事件まで、 一貫して担当しているのは、かずえともう1人の男性署員だが、 彼は今日はどうしても、残業出来なくてかずえが1人で残っていた。 もう少しで、今日の仕事も目処がつきそうだと、デスクに戻ると、 この状態だった。 そこに、ミックがデートのお誘いに現れたという事だ。 「それで?何か、盗られたモノは?」 冴子が確認する。 「いいえ、生憎証拠品や、重要なサンプルなんかは、こんな所には簡単には保管しません。盗られて困るような物は何も。」 そう言って、かずえは首を振った。 「そう。それでも一応は、現場を押さえておきましょうか。もしも、犯人があなたのデスクと特定して、そしてあなたが例の事件を担当しているのを踏まえて荒らしたのなら、捜査上何らかの、手掛かりになるかもしれないわ。」 それから数時間かけて彼らは、綿密に現場写真を残し指紋を摂った。 お陰で今日も、ミックはかずえをデートには誘えなかった。 ミックはその現場で、微かな残り香を嗅ぎ分けていた。 それはここ最近、何処かで嗅いだ匂いだった。 特徴的な整髪料の香り。しかし、他3名は気付かなかったようである。
夕方、僚は少し早目の風呂に入っていた。 本音は、香と2人仲良くバスタイムといきたい所だが、 ここ最近の僚のお相手は、正太(♂・7か月)である。 正太のお風呂は、僚の役目だ。 1日だけ、例の冴子の一件で香を怒らせた時以外、毎日僚が風呂に入れている。 正太は一見、香にべったりかと思いきや、意外に僚にも懐いている。 どうしても泣き止まない夜泣きなど、僚が抱いて家中をウロウロ歩き回ると、 不思議と落ち着いて、眠ってくれたりする。 父親を思い出すのかもしれないと、僚は思う。 僚は別に、小さい子供が好きでも嫌いでも無い。否、無かった、と言うべきか。 今まで特には、小さい子供のいる生活を、考えた事が無かった。 けれど今回の件で、それを経験してみて、意外と悪くないと思える自分がいる。 大昔、遊びまくっていた頃には、女を孕ませるなんて以ての外と思っていた。 そんな事は、面倒以外の何物でも無く、真っ平御免だった。 香と初めて結ばれた時は、香はまだ10代だったし、 無責任な事はしたくなかったので、きちんと避妊した。 2人の中で、自然と習慣になったそれは、 今も夫婦にとって、当たり前のエチケットで。 それでも僚は、ハタと気が付いた。 もう香は立派な大人だし、家庭を築いた今となっては、 いつ赤ちゃんが出来ても構わない環境は、整っているんじゃないのかと。 もし今、この腕の中の小さな存在が、本当の。 自分と香の子供だったなら。 そう考えただけで、僚の鼻の奥の方がツンとする。 そして、そんな感情が一体何なのか、 未だ良く解らない僚は、少しだけ戸惑っている。 もしかして、俺は子供が欲しいんだろうか? じゃあ、香は? 香はこんな俺を、一体どう思うだろう。 正太を抱いて、僚が風呂から上がると、キッチンで香は、晩ご飯の支度をしていた。 「ちゃんと、パタパタしましたかぁ?」 香が正太のホッペを突いて、質問する。 勿論正太が答える訳も無いが、僚の腕の中で手足をバタつかせてご機嫌だ。 因みに、香の言う“パタパタ”とは、ベビーパウダーの事である。 汗をかくこの季節、汗疹にならないように気を付けないといけない。 僚はまた、思わず先程までの想いに囚われる。 何より香がこれ程までに、子育てに適応できるとは思っていなかった。 夜泣きだろうが、何だろうが、香はいつもニコニコしながら、正太の世話をする。 我が子でも無い、預かった他人の子にそれが出来るのなら、 きっと我が子なら尚の事、育児ノイローゼなどとは無縁で子育て出来るだろう。 僚の目には香が、今までよりもずっと、大人の女に見える。 食卓の上には、夕飯の準備が大方整っている。 和食メインの、彩り良い野菜中心のメニュー。何故か、伏せて置かれた茶碗が3つ。 1つ多い。 それだけで、僚には解る。 「槇ちゃん、来んの?」 「うん、さっき電話があったの。」 親友で幼馴染みで同い年の義兄は、極度のシスコンで。 10日に1度ほど、メシを食いにやって来る。 年中忙しくしているクセに、妹と過ごす時間を捻出するのは、苦にならないらしい。 僚が香と結婚すると言った時、1人猛反対したのは秀幸だった。 それが香19歳の時で、実質その2年前、香17歳の時から2人は付き合っている。 僚が初めて香を抱いたのは、香が高校を卒業してすぐ、 18歳になった誕生日の夜の事だった。(因みにキスは、もっと前に経験済み。) だから、別にそれは自然な流れだったし、むしろ手を出しといて、 責任取らなければ、それはそれでおかしいだろ?と、僚は思ったが、 秀幸は意固地なまでに、猛反対した。曰く、まだ早いと。 初めの内こそ、下手に出てご機嫌伺いしていた僚も、大概でウンザリして、 それなら、いつなら早くないのかと訊ねると、秀幸は急に黙り込んだ。 とどのつまりは、大事な妹を掻っ攫われるのに、早いも遅いも無く。 イヤなモンは、イヤだという事らしい。 そんな、珍しく駄々っ子な兄上に、シビレを切らしたのは香だった。 香とて、秀幸に負けず劣らずのブラコンだが、その時ばかりは兄にキレた。 もしもこのまま、僚と香の結婚に反対なら反対でも別に構わないと。 嫌なら、結婚式にも参加しなくてもイイと。 言う事を聞かない自分を、見限ってくれてもイイ。 それでも自分は、兄貴を一生愛しているし、尊敬している。 それは、死ぬまで変わらない。 だけど、どんなに反対されても自分は、僚と結婚すると言ったのだ。 僚と結婚して、世界一幸せになるのだと。そして、笑って死ぬのだと。 それは初めて、香にとっての僚の存在が、秀幸を超えた瞬間だった。 その場には、僚とミックもいたが、不覚にも僚は嬉しくて泣きそうになった。 改めて、自分の選んだ女が間違い無かったと、再確認した。 そして秀幸も、その日を境に反対はしなかった。 そして、今に至る。 香と秀幸は別々に暮らし、こうして時々秀幸が顔を出す。 あの時の猛反対は、一体何だったのかという程、その後円満だ。 きっと、こうして新しい家族が出来上がっていくんだろう。 今では僚は、時折心配げに大きなお世話な発言を繰り出す親友に、 俺達の事より、自分の結婚の心配でもしろと、言い返す。 秀幸と冴子は、付き合いは長いクセに、結婚のけの字も無い。 2人とも、ガチガチにお堅い仕事人間だ。 もう少し、下半身に忠実に生きればイイのにと、僚は思う。 もっとも秀幸に言わせればもう少し、理性を働かせろと言うに違いない。 嫁の兄貴がガチガチにシスコンな俺の苦労もちっとは解れと、僚は思う。 本日の晩飯は、 薄味で柔らかく煮込んだカボチャの鶏そぼろあんかけ、 素揚げした太刀魚の南蛮風、 焼き茄子、出汁巻き卵、 オクラと豆腐と海藻のサラダ、 ネギと長芋の味噌汁。 玄米ご飯。 因みに、正太のメニューは、 茹でたカボチャを裏漉しして、ミルクで伸ばしたものと、10倍粥。 僚と秀幸は、ヱビスビールを飲んだ。 祖父の家に届いた、お中元のお零れだ。 あらかた食事も終える頃、ミックもやって来て、 冴羽家は、ますます賑やかになった。 いつもなら、食後はコーヒーの僚も、 そのままリビングで男3人、ビールを飲んだ。 すると自然に、例のエースカンパニー事件の話題になる。 三者三様、それぞれに事件に関わっているのだ。 秀幸は先日、拘留中の山本の取り調べに、初めて立ち会った。 秀幸ともう1人の刑事が担当したが、もう1人の同僚が来る前に、 数分、山本と2人きりになる時間があったので、 秀幸は、彼の息子は自分の妹夫婦が、責任を持って預かっている事を話した。 だから、安心して欲しいと。 山本は、とても安堵した表情で微笑んだ。 彼が随分精神的に参っている様に、秀幸には見えた。 山本が、何か言いかけた所で、同僚が入って来たので、 結局、その後は形式的な取り調べだけで、山本との初対面を終えた。 「正太君のお父さんには、正太君が元気でやっている事伝えておいたよ。」 秀幸が香にそう言うと、香は嬉しそうにニッコリ笑った。 良かった、と。 香はそれが1番、心配だった。 きっと、拘置所の中で彼が最も知りたいのは、大事な赤ちゃんが今無事かどうか。 それだけじゃないかと。 「でも、槇ちゃんも、冴子も、1課の人間は山本の事は、やはり無実だと思ってるわけね?」 「ああ。偽装と、殺しには無関係だと思う。けど、経理関係で何か隠している事があるようだ。その件が、果たして内部告発者なのか、当事者なのか。こればっかりは、今回証拠も何も無いから。まず、そもそも立件すら出来ない可能性もある。今後の調べ次第だな。」 証拠ねぇ、と僚は思う。 証拠と言えばさぁ、とミックが口を挟む。 「こないだの、カズエのデスク荒らしの件、進展あったの?」 と秀幸に問う。僚が首を傾げたのを見て、秀幸が掻い摘んで顛末を語る。 「…それって、内部の人間じゃねぇの?そんな時間にそんなトコで。」 僚がそう言うと、秀幸は苦笑する。 「まぁな、俺もそうは思うが、現に関係者以外のヤツが若干1名、立ち入りしてたからな。」 と言って、ミックをチラリと横目で窺う。 ミックはまるで他人事で、飄々と肩を竦めて見せる。 「あの時さぁ、気付かなかった?ヒデユキ?…微かに、整髪料の匂いがしてたんだよね。あれ最近、確かに何処かで嗅いだ気がするんだけど、いまいち思い出せなくて…」 ミックの、“整髪料”という言葉に、 秀幸の口からポツリと、1人の人物の名前が漏れる。 「…生活安全課、立石。」 その瞬間、秀幸とミックの脳内に1人の初老の男の姿が浮かぶ。 キッチリと、撫で付けられた艶のある、オールバック。 ミックは1週間ほど前、彼を取材している。 ミックが、パチンと指を鳴らす。 「それだ、ヒデユキ。思い出した。」 男達は、顔を見合わせて頷いた。少しづつ、パズルのピースが埋まってゆく。 あぁぁ~~、ダメだよ。正ちゃん、なんでもあむあむしちゃ。香が素っ頓狂な声を上げる。 「どうした?カオリン。」 僚が訊ねる。 「正ちゃんが、これ…お口に入れて、あむあむしてたの。」 それは、正太の着替えやオムツの入った、トートバッグの持ち手だ。 手で握る所だから、汚いでしょ。お口に入れたら、と香が苦笑する。 持ち手は、ヨダレでベトベトだ。 香は正太を抱き上げると、 「何でもお口に入れたら、ポンポンいたいいたいだよ。」 と、正太に言う。 その時、香は正太の異変に気が付いた。 あ。…あぁぁぁ~~~更に、素っ頓狂である。 「今度はナニ、カオリン。」 そう言った僚に香は、半分涙目で手招きする。 首を傾げて近付いた僚に、香は見て見て、と正太を抱き上げる。 「…歯、生えた?」 思わず、僚の顔にも笑みが広がる。 まるで、我が子の成長を喜ぶかのような2人に、 秀幸も、ミックも微笑ましい気持ちになる。 それでも、暫くして香はポソリと呟いた。 ホントは、パパが1番に喜ぶ筈だったんじゃないかなぁ、と。 なんか、切ないなぁ。 もう、1カ月近く逢って無いんだよ。山本さん。 赤ちゃんの1か月なんて、あっという間に成長するのに。 僚は香の頭をクシャリと撫でると、 「写真、いっぱい撮っといてやろうか?」 と言った。 香は、もっと早く気付けば良かったと言って、ニッコリ笑った。
うあぁ~~~、マジかよ?勘弁してくれ~香がキッチンで朝食を作っていると、 リビングから、僚の情けない叫びが聞こえてきた。 リビングには今、正太もいる筈だ。 香がベッドを出て来た時、僚はまだ半分寝惚けていたので、 正太だけ抱っこして、リビングに降りて来た。 けれど正太もまだ、ウトウトしていたので、 リビングの毛足の長いラグの上に、寝かせていた。 どうやら僚も、2人に遅れる事40分弱、漸く起きて来たらしい。 「どうしたの?リョウたん。」 香がリビングに顔を出すと、僚は軽く涙目だった。 「どうもこうもねぇよ、カオリン。」 見てよ、コレ。油断したぁ~~、やられたぜぇ。 と言って、香が見せられたのは、僚のスマホ。 先月、機種変したばかりの、2代目である。 それが何故だか、濡れている様に見える。 「何で濡れてんの?お水零したの?」 僚はそんな香の問いに、力なく首を振る。 「…いや、俺が起きてきたら、チビがモグモグしてた(涙)」 その水分の正体は、ヨダレである。 「リョウたん、電話何処に置いてたの?」 と訊ねる香に、僚は、ココ。と、ローテーブルを指差す。 漸く、お座りとハイハイが出来るようになった正太が、どうやって取ったのか。 香は首を傾げる。 高さの無いテーブルと言えど、正太サイズなら、 立ち上がらなければ、取れないだろう。 「正ちゃん?もしかして、たっち出来たの?」 香は僚のスマホの惨状など、すっかり忘れて正太を抱き上げる。 どうやら落ち込む僚を後目に、香は喜んでいるらしい。 正太は、大人の事情など意に介さず、愉しげにダァダァ言っている。 「ね?もう1回、たっちして見せて?正ちゃん。」 すごいねー、リョウたん。正ちゃん、たっち出来たみたいだよー。 香のハイテンションとは対照的に、僚は抜け殻のようになっている。 よく見ると僚のスマホは、ヨダレでベトベトなだけで無く、 大きな液晶画面の片隅が一部、真っ黒になって完璧にイカレテいる。 新しく生えて来た正太の乳歯は、 僚のスマホに、多大なダメージを与えていたようである。 せめて歯茎なら、ヨダレ被害だけで済んだのに。僚は天を仰いだ。 「ねぇ、リョウたん?やっぱ、噛み噛みするオモチャ買ってあげなきゃかなぁ?多分、歯が生えてきて、違和感があるんじゃないかなぁ?」 香は呑気にそんな事を言っている。 (…リョウたんにも、新しいスマホ買って欲しい…) 僚は心の中で、そう思ったが、きっと香にそう言っても、間違いなく却下だ。 朝から、正太に打ちのめされた僚であったが、 11:04現在、5階の事務所にいた。 自宅部分の、6・7階はほぼ香のテリトリーで、 常日頃、清潔が保たれている。 フローリングの上には、塵1つ無く、曇り無く磨き上げられている。 風呂もトイレもキッチン周りも、全て香の管理の下、清掃は勿論、 消耗品などのストックの管理から何から、全て香が把握している。 屋上の一角では、家庭菜園にもハマっており、 この時期では、トマトやオクラや茄子が実をつける。 ハーブ類に至っては、殆どが自家製だ。 元々このビルは、僚の所有する地下1階・地上7階建ての住居用ビルで、 地下は、冴羽家のガレージと、物置になっている。 1階から4階までは、賃貸物件だが今の所、使って無い。 香には理由は良く解らないが、僚曰く、面倒だからという事である。 5階1フロアが、冴羽商事の事務所で、6・7階が夫婦の愛の巣だ。 今このビルに住むのは、冴羽夫妻のみである。 2人が結婚する以前から、僚はココで暮らし、事務所も今と同様開いていた。 独り暮らしだった部屋は、3年経った今、僚には何処に何が仕舞ってあるのか、 一切合切、香任せだ。 5階の事務所に関しては、香は僚のテリトリーだと認識しているようだ。 たとえ乱雑に散らかっていても、勝手に触ったりしない。 1フロアを、5つほどの空間に仕切って使っている。 一応、シャワーやキッチンもあるにはあるし、ベッドも置いている。 しかしこの数年、この部屋で香と寝たのは、数回程度だ。 1番最近ココで香を抱いたのは、数日前であの時は、 依頼人との待ち合わせの時間が迫っており、随分慌ただしかったので、 乱雑なデスクの上(及びその周辺)で、事に及んだ。 まぁ、あれはあれで燃えるし、全然アリだな。と、僚は思う。 基本的に僚の性欲に、“T・P・O”など存在しない。 しかし何はともあれ、香がこの部屋にあまり手を出さない事は、 僚としては、内心非常に助かっている。 大した事では無い。別に浮気をしているとか、香を邪険にしている訳では無い。 書棚の奥、六法全書のカバーでカモフラージュした、 ハードコアDVDセット全8巻組。 百科事典の半分ほどは、ケースに中身は無く僚のコレクションが入っている。 デスクの上に軽く小積まれた書類に紛れた、エロ本。 それ以外にも、僚本人にすら良く解らない程に、僚のお宝が隠されている。 僚にしてみれば、他愛ない趣味なのだが、6・7階に持ち込めば、 まず間違いなく、間髪入れずに処分されるのは目に見えている。 僚はもしも自分の死期が近付いたら、キチンと整理しなければならないと思う。 もしも自分が死んだ後、香がこれらのコレクションを発見するとなると、 流石にそれは、幾ら僚でも恥ずかしい。 だから僚にとって最も困るのは、不意な突然死である。死に方は大事だ。 カワイイ嫁の為にも。 僚は何も、正太に携帯をあむあむされて、いじけたからココにいる訳では無い。 あれから数時間、正太の所業に関しては僚は既に、諦めの境地に達した。 しかし午後からは、ハンズに行ってベビー用品売り場で、 歯固めを買う事を決意した。これ以上の被害を出さない為だ。 僚は昨夜の秀幸達との話しを考えながら、事件の事について考察していた。 偽装事件と、殺人事件については、捜査1課の考えとしては、 山本は関与していないと、踏んでいるらしい。 どうも、生活安全課の内部で、何やら怪しいヤツがいるらしい。 この際、冴羽商事にとっては、事件の真相などは二の次だ。 山本の今後の処遇が、僚たちにとっては最も重要な事だ。 どうせ事件自体は、会社の幹部が関与しているのは、十中八九間違いないのだ。 警察は奴らの関与を示す、証拠集めをしているのだ。 それでは、山本についてはどんな可能性があるのか。 まずは証拠が挙がり、不正経理が行われていたのが前提で考える。 山本が当事者である。こうなれば勿論、山本起訴。 山本が内部告発する。事情を聞かれて、無罪放免。 証拠も何も無く、不正経理の存在も不明の場合、 偽装と殺人の件の、真犯人逮捕、真相解明で、山本釈放。 いずれにしても、まだ暫くは親子の感動の対面は、先の事になりそうだ。 そんな事を考えていると、事務所に香がやって来た。 もう昼飯か?早くね? 時刻は11:23である。 「リョウたん、ちょっとイイ?」 そう言って、入って来た香は手に何やら握っている。 「どした?カオリン。何かあった?」 うん、それがね…香が説明を始めた。 香は1時間ほど前、正太が昼寝を始めたので、家事に取り掛かる事にした。 洗濯をしようと思って、フト気が付いた。 昨夜、正太が噛み噛みしていた、あのトートバッグも洗ってしまおうと。 あれから、正太の手が届かない所に置いているあのバッグを、 どうやら正太は、未だ諦めておらず、オムツや着替えを取り出す度に、 目で追っている。余程、噛み心地が良かったのだろう。 それでも、持ち手を口に入れるのは、香としてはどうも気に掛かるし、 もしも今朝の様に、目を離した隙に口に入れていても、 洗濯していれば、少しは安心かなと、香は考えたのだ。 思い立ったが吉日。早速、中身を全部ぶちまけて、いざ洗濯機へと思った時、 バッグの底から、それは出て来た。 香はまず、博子に電話を入れた。 『どうしました?香さん。』 「あ、あの。博子さんに聞きたい事があって。」 『何でしょう?』 「あの、正ちゃんの着替えの入ったバッグだけど…あれって、博子さんのですか?」 『いいえ、あれは課長のモノです。正ちゃんが、託児所に通い始めた時に買って来たみたいですけど。それが何か?』 「あ、いや~、その。洗ってもイイかなと思って…」 『ああ、何だそんな事。イイと思いますよ。あれ、キャンバス地だし。』 「あ、有難うございます。すみません、くだらない事で電話して。」 博子は、クスッと笑うと、気にしないで下さいと言った。 そして幾分声を潜めて、どうせ仕事はピリピリしてる割に、暇なんです。と囁いた。 香は、何故か釣られてヒソヒソ声で、どうして洗おうとしたのかの経緯を話した。 正太の歯が生えた事。何でも口に入れようとする事。 僚のスマホが、血祭りに遭った事。もしかしたら、たっちしたかもしれないケド、 それはまだ、現場を押さえてはいない事。 博子は、そんな正太の様子を楽しそうに聞き、 やっぱり、貴方たちに預けて良かった、とポツリと呟いた。 博子との電話を終えて、香は掌の中のそれを見詰めた。 あのバッグが、山本課長のモノとなると、これも彼のモノ。 香は、5階の僚の元へ向かった。 これなんだけど…。 そう言って、香は手に握っていたモノを、僚に渡す。 USBメモリスティック。 所有者は、恐らく山本。 「どう思う?リョウたん。」 「うん。」 意外と、真実はすぐ傍にあるのかもしれない。
「槇村刑事、コチラが鑑定の結果です。」 そう言って名取かずえが、秀幸に手渡した分厚いファイル。 エースカンパニー事件の殺しの方、小田島の司法解剖の所見や、 遺留品などの鑑定の結果である。 そしてもう1つ、生活安全課保健衛生第2係・係長、立石忠の、 櫛(毛髪付)のDNA鑑定の結果、および指紋情報である。 立石の櫛に関しては、少しだけ根回しして、本人に覚られない様に、失敬した。 汚い手は、お互い様だ。 仲間内のデスクを荒らすよりも、秀幸の方が数段、紳士的な手段を使った。 あの夜、ミックの言葉に閃きを感じた秀幸は、 数日間、徹底的に立石の人となりを調査した。 勿論、冴子の許可は取ってある。正式な捜査活動の一環である。 何なら、令状を取っても良かったが、立石自身はまだ泳がせていたかったので、 違法すれすれの所で、綱渡りをしてみた。 それでも綱渡りは、秀幸の得意技だ。 一課の中でも、なかなか真似出来ないと、一目置かれている。 ヒトは見かけに寄らないとは、まさしくこの事である。 その甲斐あって、今現在秀幸の手元には、立石の超個人的情報がある。 そして、超が付かない普通の個人情報だけでも、 充分、興味深い調査結果が出た。 立石の妻・依子の兄は、エースカンパニー代表取締役社長、今沢良雄である。 立石は、捜査対象者のガッツリ身内だ。 日本国国民は、基本的に職業選択の自由が、憲法によって保障されている。 しかし警察という組織では、必ずしもその限りでは無いのが、現実だ。 身内に罪人がいる場合、まず採用される事は無いし、 その逆で、意外と親子2代で警察官とか、一族郎党、警察関係者なんて事が、 往々にしてある。 現に、秀幸の父もまた刑事であったし、野上冴子の父親に至っては、 警察官僚、所謂キャリアというヤツで、結構なお偉方である。 しかし例えば、嫁の兄が会社経営者であっても、何ら問題は無い。 そんな事を言いだしたらキリが無いので、 署員1人1人の嫁の兄妹の事など、普通は話題にもしない。 それにそれが問題なら、妹の旦那が不良探偵という方が、余程問題アリだ。 彼は、まぁ罪人では無いが、大昔大勢の女を散々泣かせてきた。 罪深い男だが、それを裁くのは警察でも裁判官でも無く、神様だけだ。 今の所、ヤツは心の中で懺悔しながら、妹一筋で生きている。 だから、立石の妻の兄が、経営者でも何ら問題は無い。 しかしひとたび、そんな義理の兄が捜査対象に浮上したならば、 その時点で、捜査から外れるのが常識で。 自分がその中の、けん引役なら尚の事、 その上の上司にでも伺いを立てて、指示を仰ぐのが普通の感覚だろう。 しかし立石の場合、どうやら自らこの事件に深く関与している節がある。 問題は、妻の身内がマルタイである事を隠していた事。 殺害された小田島の遺体の爪の先から、僅かな皮膚片が採取され、 尚且つそれが、立石のDNA型と一致した事。 荒らされたかずえのデスクの一部から、立石の指紋が採取された事。 彼は、自分が警察官である自覚に乏しいようだ。 (証拠残し過ぎ…。馬鹿か?コイツ。) ま、だからこそ焦って、鑑識のラボになんか忍び込んだ(つもり)だろうケド。 秀幸は、静かにその突っ込み所満載の、鑑定結果を閉じた。 後は、コイツを公表するタイミングを、指揮官(さえこ)に相談しよう。 一方、僚と香の2人は正太を連れて、祖父の家に居た。 USBを発見してから、3日。 僚は泊まり込みで、祖父と一緒にデータを分析している。 僚が泊まり込むと言うので、香も付いて来たのだ。 何だかんだでこの2人、引っ付いていたいのは僚だけでは無いのだ。 やはり想像通り、USBの中に保存されていた情報は、 不正経理の存在を示すモノだった。 恐らくは、山本が1人で時間を掛けて収集した、会社の根幹を揺るがす情報。 それを見て、僚には大体の筋書きが見えてきた。 ザックリ言えば、その中身はエースカンパニーと、取引先2社の取引の記録だった。 基本的にこの会社の取引は、まず商談が纏まったら、 取引先コードというモノを、登録する。 そうしないと、商品の受発注・出荷などは出来ないようになっている。 コード自体は、ただの数字の羅列だが、社内の顧客情報に照らし合わせると、 取引相手の詳細情報を、呼び出せるようになっている。 取引先2社を、仮にA、Bとする。 祖父の潜り込んだ、エースカンパニー内部情報の顧客リストに寄れば、 AもBも、都内にある企業という事になっている。 因みに僚は、登録された所在地に実際に行ってみたが、 そこは、コインパーキングと、寂れた倉庫だった。 (そして、後に解った事だが、この倉庫の所有者はエースカンパニーであった。) これが何を意味するのか。 2社は架空の会社で、この数年間に及ぶ取引の記録は、全て架空の取引だ。 その間、膨大な金額が動いている。 恐らく2社の振込先は、名義を変えたエースカンパニーのモノである。 そして、この架空の取引に食品偽装も、密接にリンクしている筈だ。 在庫として抱えている商品価値の無い食品が、 日付の改ざんと架空の企業を通過する事で、新たな商材として生まれ変わる。 どんな錬金術だよ、と僚は呆れかえった。 その結果、全く無関係のサラリーマンが3人、会社帰りの晩酌で命を落とした。 まるで、ブラックホールだ。 そんな目に見えない落とし穴に、もしも自分が落ちたら。もしも、香が落ちたら。 そんな事が起こったら、僚はきっと発狂する。 綱渡りの報告書を携えて、冴子に相談する前に、 秀幸の携帯に1本の電話が入った。 不良探偵だ。 面白いネタが挙がったというのだ。 今沢サイドから、攻め込む算段を整えているという。 とにかく、僚の祖父のあの屋敷に来いとの事で、 秀幸は手の中のファイルと、携帯を見比べて取敢えずファイルは、 もう一度、かずえに預けた。 今の所、その中身を知っているのは、彼女だけだ。 微妙なタイミングの問題で、今はまだこの情報は収めておきたい。 秀幸がそう言うと、かずえは深く頷いた。 機密情報を保管する、特殊な金庫へとそれを仕舞った。 彼女の口の堅さは、署内、いや警視庁一だ。 まずは先に今沢だ。 立石には、動かぬ証拠が揃っている。焦らずとも、捕獲できる。 「いや、何。今沢を逮捕する、宴でも開こうと思ってな。」 開口一番、その老人はにこやかにそう言った。 彼は、日本有数の企業のお偉方に顔の利く、いわばフィクサーのようなモノで。 僚の祖父だ。 恐らく、本気を出せば警察のトップに圧力を掛けるのも、無理な話では無い。 この祖父にして、あの不良探偵アリだ。 彼の説明に寄れば、色んな方面に顔の利く自分には、 これまた色んな輩が、お目通しを所望するが、 勿論自分の理に適わない相手には、イチイチ返答をしないし、会わない。 そんな輩の中には、例の今沢の名もあった。 これまで何度か、お誘いを受けた事があるが、会った事は無い。 「今晩、会ってみようかのぉと、思うておる。」 場所は、神楽坂の料亭。 メンツは、この祖父と、僚、そして今沢。 「お前さん、今沢には面は割れとるかの?」 祖父は、秀幸に訊ねる。 「いいえ。この数日、別角度の調べを進めてたので。」 「じゃあ、お前さんも同席するとイイ。ボイスレコーダーは、忘れずにな。」 秀幸も加わった。 会の名目は、 『今沢良雄くんを励ます会。』 これから若手有望株の実業家と、 ピンチに陥った経営者を、上手く取り持つ架け橋。それがご隠居の役目だ。 そしてその実態は、悪辣な犯罪人を検挙する、 『今沢良雄くんを逮捕する会』なのだ。 「カオリン、今日は俺、青年実業家らしいよ?」 「ふふふ、カッコイイ。リョウたん、頑張ってね♪」 ねぇ、正ちゃん。リョウたん、頼もしいですねぇ~~、 などと戯れる妹夫婦を見て、秀幸は深い溜息を吐いた。 今夜は長い夜になりそうだ。
とある料亭の一室で、その宴は催された。 今沢良雄はこのひと月ほど、かつてない苦境に立たされていたので、 その日の午後に急遽入った1本の電話が、 まるで天上から真っ直ぐ垂らされた、蜘蛛の糸の様に思えた。 神はまだ、こんな自分を見放されなかったと。 しかし、蜘蛛の糸は意外に脆いのだ。 慾や保身に目が眩むと、真っ直ぐ地獄に叩き落される。 彼はまだ、自分が地獄行きのチケットを受け取った事になど、 微塵も気が付いてはいない。 元々おめでたい脳ミソの持ち主だから、仕方ない。 今沢には、食中毒で死んだ3人と、絞殺された小田島の分も纏めて、 地獄を巡って貰う事が、今夜確定する。 「お初にお目に掛かります。今沢と申します。この度は、私のような不束者の為に、この様な席を設けて戴きまして、誠にありがとうございます。」 畳の縁に額を擦り付けんばかりに、今沢が口上を垂れる。いっそ、土下座である。 僚は思わずニヤケてしまう。馬鹿な奴、と。 秀幸はもうこの時点で、腸が煮えている。 その空っぽの頭を、被害者の為に垂れてみろと。 しかし表面上は、穏やかな実業家たちの会食の始まりだった。 それから遡る事数時間前、僚祖父宅。 「…それで、突然今夜な訳ですね。」 半分呆れ気味で、秀幸が確認する。 一応後で、冴子にだけは掻い摘んで報告しておかないと、 後から何を言われるか、分かったモンじゃない。 「善は急げと言うじゃろ?」 祖父と孫は、ニタニタと笑っている。 この状態の2人を目の前にして、否は無い。 「でも、お兄ちゃんのカッコじゃ、とてもじゃ無いケド青年実業家には見えないよ。良く見えて、刑事だね。」 と、香がニッコリ笑いながら、毒を吐く。 ああ、香。 じゃあ、悪く見えたとして、何に見えるんだい? うだつの上がらない、サラリーマンかい? それとも、リストラされた中年かい? 心の中で秀幸は、思わずさめざめと泣いてしまった。 「ウチに寄って着替えなきゃ。」 微笑む香に、決して悪意は無い。 夕刻まだ早い内、いつもよりも随分早いが、僚は正太と一緒に風呂に入っている。 その間に、香は秀幸のスーツを見立てていた。 秀幸は猫背なので、僚よりも背が低く見えるが、実際にはさほど変わらない。 僚ほどでは無いが秀幸もまた、長身の部類に入るだろう。 サイズ的には、僚のスーツでも問題ない。 香は、なるべく爽やかな感じになるように、コーディネイトする。 兄は折角男前なのに、壊滅的にセンスが無いと香は常々感じている。 「お兄ちゃん、もうちょっとオシャレに気を遣わないと、冴子さんに嫌われちゃうよ?」 こんな事を言ってくれるのは、妹だけだ。貴重な意見である。 こうやって、スーツやYシャツやネクタイなどを、 選んでくれる香を見ていると、いつの間にか香も、 『奥さん』になったんだな、なんて秀幸はしみじみ思う。 「何か、久し振りだな。こういうの。」 秀幸がポツリと、呟く。香も笑って、そうだね。と言う。 「香、幸せか?」 秀幸は、何がとは訊かない。全てがだ。 果たしてこのカワイイ妹は、あの時宣言したように、 世界一幸せになってくれたんだろうか? 秀幸にとって、それはむしろ、自分自身の幸せよりも重要な事なのだ。 「うん、世界一幸せ。」 香はそう言って、屈託なく笑った。 「そうか。」 秀幸も、自然と笑顔になる。 決して認めたくは無いが、まぁ、僚がイイ男だという事は解っている。 香が幸せなら、秀幸はそれだけでイイ。 「堅苦しいアイサツは抜きじゃ。生憎儂は、窮地に立たされた男を見ると、放っておけんタチでのぉ。」 と言って、老人はフォフォフォと笑った。 この場合、『窮地に立たされた男』と言うのは、山本課長の事だが、 今沢が勝手に、勘違いする分には、知ったこっちゃない。 その事にこの場のメンツの中で、今沢だけが未だ気付いてはいない。 半分涙目で、ありがとうございますっっ、なんて、感動している。 そんなおめでたい思考回路のバカを目の前にして、3人は呆れてしまうが、 一応、小芝居は続く。 「まぁ、そんな事より、今日は今を時めくピチピチの若者2名を連れて来てみたんじゃ。たまには、新しい知恵も勉強せんとなぁ。」 そう言って笑う老人が、若干1名。 その言葉を合図に、僚と秀幸も嘘八百を並べ始める。 「初めまして、山田と申します。主に不動産なんかを扱っております。」 僚は今夜、山田である。新宿のビルのオーナーなので、あながち間違いでも無い。 「初めまして、佐藤と申します。IT関連の事業を立ち上げました。」 秀幸は今夜、佐藤である。『IT関連』と言う言葉は、 こういう時は非常に便利である。中身空っぽの輩をケムに巻くには、 調度イイ、肩書だ。 それらは全て、今沢が到着する10分ほど前に、3人で打ち合わせた、 シチュエーションプレイの設定である。 ザックリとした設定以外、あとは全てアドリブ。 ちょっとした、ベテラントリオ芸人並みの、コンビネーションだ。 それから1時間ほどは、テンポ良く祖父がその場を仕切り、 つつがなく和やかムードの歓談が、繰り広げられた。 その雰囲気を見る限り今沢は、 己の所業で死人が4人出ている事への、良心の呵責はあまり無いようだ。 仕方ない、人間が腐っているから。 そしてとうとう、話題は次のステージへ進む。 「ところで、今沢クン。」 「は。」 「例の今回の事件、君らはどうやらあの事件は、一社員の勝手な行いだと説明しとるが、実際の所はどうなんじゃね?」 あまりに直球な質問に、一瞬今沢の表情に迷いが見て取れる。 この場で、どう答えるのが正解なのか。 どうやら、判断能力にも欠けている男らしい。 ハッキリ言って、正解は無い。どの道、終点は地獄だ。 秀幸としては、このまま開き直って、ぶっちゃけて貰いたいのが本音だ。 ジャケットの胸ポケットには、ボイスレコーダーを仕込んでいる。 「今沢クン、儂ぁね、事の善し悪しには正直、興味はありゃあせん。 今回の由々しき問題は、勝手な行いをした社員を、見過ごしてしまった事じゃ。 まぁ、あれはあくまで表向きの見解で、 本当は、君ら幹部も把握していて、逮捕された1人には会社の為に、 苦汁を飲んで貰ったというなら、感心は出来んが、得心は行くがの。 社長業で大事な事はの、今、会社の中で起こっている事を、 常に掌握しておる事じゃ。 社員に良い様に利用されるようでは、まだまだ修行が足りんようじゃのぉ。」 多少、誘導尋問の感が否めないが、今沢にキラーパスが送られた。 「もも勿論っ、あの件は私も把握しておりました。しかし、ここまで事が大きくなってしまったのは、全て私の不徳の致すところでございます。」 見事、誘導尋問に誘導されてくれた。 今日びゴキブリでさえ、学習能力はある。 ゴキブリホイホイにだって、そう簡単には誘導されない。 そんなお茶目な今沢に、僚がダメ押しのアシストをこれでもかと畳み掛ける。 「へぇ、ご存じだったんですね。何が行われていたのかを。」 「あ、えぇ、まぁ。ワタクシ共の認識と致しましては、その~。お客様がお口にされて、差支えない商品だとは考えて…おりました。はい。」 「なるほど、大丈夫だと思われる範囲で、微妙に日付は改ざんしていたと?」 「…えぇ、まぁ。そう言ってしまうと、身も蓋も無いですが…」 そう言って、今沢は俯いてしまった。 如何に厚顔無恥な男でも、正面切ってこの話題を論ずるのは、 いたたまれないらしい。 「…ところで、スイッチの方はしっかりONにしといたかの?山田クン。」 そう言って、確信犯の狸ジジイが、秀幸を見詰める。 「ご隠居、私は佐藤です。」秀幸が冷静に突っ込む。 「山田は俺だよ、じいちゃん。」僚がニヤニヤ笑う。 今沢は、いまいちこの状況に付いて行けずに、ポカンとしている。 「もう、面倒じゃのぉ。どっちが山田でも佐藤でも、田中でも高橋でも構ぃやせん。秀坊、サッサと手錠掛けてやんなさい。」 いきなり、小芝居を打つのが面倒になった狸ジジイに、 秀幸は苦笑しながら、今沢へと向き直る。 もうその時には秀幸は、鋭い眼光を湛えた刑事の顔をしていた。 「すまんね、今沢さん。俺のIT関連ってやつ、あれさぁ、“いけない輩を逮捕する”って意味なんだわ。え~、そういうワケで、改めまして。21:18、今沢良雄さん、アナタを食品衛生法違反および不当表示防止法違反、その他いろいろで、逮捕します。」 へ???今沢は、完全に狐につままれたような顔をしている。 「オッサン、この人ね。警視庁新宿署の捜査一課の刑事さんなの。」 僚が楽しげに、今沢に種明かしをする。 その時、奥の襖がスッと開いた。 現れたのは、金髪碧眼の新聞記者、ミック・エンジェルだ。 「ハァイ、グランパ。ナイスプレイだったよ。」 「やぁ、ミッちゃん。儂の事、渋めに書いといてくれよ。どうせ、世間様に顔は出さんのじゃから。ホレ、折角だから、今沢社長の写真も撮っといてやんなさい、記念に。」 爺さんとミックは、何故だか昔から妙に仲が良い。 どうやら、気が合うらしい。 隣の間にミックを仕込んでいるなんて、僚も秀幸も全く知らなかった。 秀幸の連絡を受けて、署から応援が来るまでの間に、 今沢は漸く、己がゴキブリホイホイに引っ掛かった事を悟った。 もはや悪あがきする気力も無いのか、ガックリと項垂れている。 蜘蛛の糸は、途切れるどころか、初めから存在しないのだ。 僚はもう既に、そんな男達の宴の痕などどうでも良いので、 顔馴染みの女将に、折詰を作ってくれるよう頼んでいる。 カワイイ嫁への、手土産だ。 こうして、つつがなく、 『今沢良雄くんを逮捕する会』 は、無事お開きとなった。
蓋を開けてみると、事件はあっけなく終息を迎えた。 始まりは、数年前から続く不正な架空取引だった。 決算を迎えても、その不正に気が付く者がいなかった事で、 悪事は加速した。 架空取引の額も大幅に跳ね上がり、手口も巧妙化かつ大胆なモノになった。 そして、そこに新たな欲が上乗せされた。 それまでは、在庫として処分され、マイナスとして計上されていたモノを、 事実を歪曲する事で、プラスに転じる事を思い付いたのだ。 それでも、今沢1人で出来る事では無い。 新たに3人の取締役が、逮捕された。 実行役として、小田島昇が被疑者死亡のまま送検された。 小田島は、予想通り金に釣られての犯行だった。 しかしその小田島も、さすがに3人もの被害者が出る事態となり、 怖くなったのだ。 元々彼は、気の小さい男で事件後、警察に出頭すると言い出したのだ。 そして、その小田島を殺害して口を封じたのが、立石忠だった。 立石は今沢の義理の弟で、都合のイイ事に今回の事件を担当する警察官だった。 そして、義兄の今沢に莫大な借金をしていた。 それと時を同じくして、 経理課では少しづつ、金の流れの不自然さを疑う者が出ていた。 不運な事に山本は、会社の機密に関する情報をPCからアクセスした形跡を、 取締役の1人に気付かれてしまった。 そして、突然の逮捕である。 裏で、立石が今沢と結託しているので、それは自然な流れだった。 しかし立石と今沢にとっては自然でも、周りからすれば不自然極まりない。 生活安全課の中でも、何故山本なのかと言う声もあったという。 初めから、小田島を疑う声もあった。 しかし、立石の強硬なゴリ押しによって、捜査すらも歪曲される所であった。 無理も無い、この時点で小田島がこの世にいない事は、 立石だけが知っていたのだから。 事件の全容は、明らかにされつつあったが、 山本は、すぐには帰って来られなかった。 何しろ、色々と知っている重要な情報提供者なのだ。 容疑者と言う不名誉は払拭されたが、今度は事実を公にする為の戦いである。 秀幸は、もう容疑者では無いのだし、帰っても構わないと山本に伝えたが、 当の山本は、全てが終わるまでこのままで良いと言った。 何より息子の事は、槇村刑事の妹さんご夫妻を信じていますと。 山本は内心、きっといま正太の顔を見れば、逃げ出しそうになると思っていた。 イヤな事も、会社の事も全て投げ出して、現実から逃げてしまう。 だから全てを終わらせて、経理課長としての責任を果たして、正太に会いたかった。 そんな山本に、秀幸は僚と香が撮影した、正太の膨大な写真を差し入れた。 一方、冴羽商事の2人は、山本の容疑は完全に晴れ、 後は彼が、正太の迎えに来るのを待つのみなので、 完全に擬似子育てを楽しんでいた。 当初の依頼人である、鈴木博子はエースカンパニーを退社して、 近々実家に戻り、花嫁修業を始めるらしい。 実は彼女には、結婚を約束した彼がいたらしく、 これを機会に、結婚するらしい。 「良かったね、博子さん。幸せになって欲しい。」 香はニコニコしてそう言った。 僚はそんな香を、心底愛している。 結婚と聞いて、幸せを連想する人間は、結婚生活が幸せだからだ。 そして、僚は香と一緒になって、宇宙一幸せだ。 今現在、僚の不満は1つだけ。 傍で眠る正太を起こさないように、セックスの最中に香が声を押し殺している事。 まぁ、それはそれで、逆に燃えるんだけど。 そんな事も忘れるぐらい、よくしてやろうと。 相変わらず、エアコンは正太に合わせて、弱冷房だし、 お風呂もずっと、男同士だ。 午前中は早くに起こされて、涼しい内に3人揃って公園へお散歩だ。 正太がお気に入りの砂場で遊んでいる間、僚は少し離れたベンチに座り、 香と正太を見詰める。 僚にはもう、解り始めていた。己の気持ちが。 こんな風に香と過ごして、傍に赤ちゃんが居て。そしてそれがとても幸せで。 子供が欲しい。 僚は自分が、こんな気持ちになるなんて、未だに少し信じられない。 それでも、香と居るとしばしば信じられない程幸せになるのだ。 今更、どんな自分に出会っても、僚はもう驚かない。 香はいつの間にか、近所の若いママたちとすっかり友達になっている。 勿論、正太が預かっている子で、自分は代理ママなのだとは話している。 それでも、いつか赤ちゃんが出来たら、その時もヨロシクねと言われた。 僚も香も少しづつ、家族計画について考え始めていた。 2人の気が付かない間に、恋人の季節は終わり、 いつの間にか、2人は改めて夫婦として歩き始めていた。 正太は、初めて2人に会った時よりも少し大きくなった。 あのスマホ襲撃事件以来、時々つかまり立ちが出来るようになった。 お粥も少しづつ、水分が少ないモノを食べられるようになった。 乳歯も、下2本だけだったのが、上の歯も薄っすら白く見えてきた。 少しづつ、季節が移って、 まだまだ暑いけれど空気には確実に、秋の気配が混ざっている。 そして、山本が帰って来た。 2人が初めて会った山本は、とても真面目そうで優しそうな男だった。 久し振りに逢った息子を抱き締めて、静かに泣いた。 何度も何度も、2人が恐縮してしまうほど、礼を言った。 僚も香も心の中で、感謝をするのはこちらの方だと思っていた。 赤ちゃんがいる幸せに、正太が気付かせてくれた。 山本は正太を連れて、故郷の九州に帰る事にしたらしい。 母親に正太を見て貰いながら、新しい職場で心機一転頑張るそうだ。 有難い事に、地元の友人が起こした会社を、手伝って欲しいと言われたそうだ。 少しづつ、山本親子にも幸せな時間が戻ってくる予感がしていた。 山本が正太を連れて帰ろうとした時、正太がグズッた。 香に甘えて、離れようとしなかった。 香も正太と別れ難かったけれど、心を鬼にして泣いている正太を、 山本の腕へ委ねた。 もう2度と会えなくても、正太は僚と香の初めての“ベビー”だった。 正太を玄関で見送って、2人はリビングに戻った。 リビングのローテーブルの上に、小さくてカラフルなオモチャがあった。 僚が買って来た、歯固め。 滑らかな軽いプラスチックのそれは、小さな輪っかが3つ繋がった形で、 香の手の中で、カチャカチャと小さな音を立てた。 つい数十分前まで、正太はそれを噛み噛みして遊んでいた。 その姿を思い出すと、香はとても淋しくなった。 力なくソファに腰を下ろした。 「正ちゃん、忘れて行っちゃった。」 そう言うと、香の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。 僚はそっと香の横に座ると、淋しがる香の肩を抱き寄せた。 夫婦2人だけのリビングが、こんなに静かで広かったのかと、ふと思った。 「リョウたん。」 香の声は少しだけ、鼻声だ。 「ん?」 僚の声は、限り無く優しい。 「…正ちゃんの事を思ったら、パパと一緒におばあちゃんのとこへ帰るのがね、」 香は少しだけ、息を整える。 「うん。」 「帰るのが、…一番なんだけど…でも、淋しいの、リョウたん。」 そう言った香は、相変わらず泣いている。 僚はそんなカワイイ妻を抱き寄せる腕に力を込める。 そして、シャンプーのイイ匂いのするコメカミに口付ると、耳元で囁く。 「ねぇ、カオリン。赤ちゃん作ろうか?」 そんな僚の言葉に、香はまじまじと僚を見詰めると、 次の瞬間、またぽろぽろと大粒の涙を溢しながら、 僚の胸に顔を埋めた。 僚の背中に腕を回して、くぐもった声で、うん。と答えた。 カワイイ嫁の了承を得て、僚の口角がチェシャ猫張りに弧を描く。 そのまま彼女を抱き上げると、寝室へ向かう。 「っって!!??えええ~~~!!リョウたんっっ、今から???」 「むふふ。もちろ~~~ん❤善は急げって言うじゃない?カオリン?」 時刻は、13:36 未だ、太陽は燦燦と煌めいている。 残暑は厳しいと言えど、暦の上ではもう秋だ。 この数年なりを潜めていた種馬が、今長い沈黙を破って再び目覚めた。 天高く馬肥ゆる秋。 新宿の種馬が、その実力を如何なく発揮する季節が到来した。 (完) ようやく、夫婦探偵、事件解決致しました。 ここまでお付き合い戴きました皆様、誠にありがとうございます。 ワタクシの中では、今回2時間サスペンスドラマ風になればと思い、 書いてみました。
今回書いている途中で、拍手数が3000を突破致しまして、 改めて、書き進める力となりましたっっ(感涙) バカップルな2人は、書いていてとても楽しかったデッス❤
途中、沢山のコメントを戴きまして、まだお返事が中途半端なのですが、 そちらの方も、近々書いて参ります。 夫婦探偵、また何か事件が起こったら現れるかもしれません… どうも、ありがとうございまぁっぁああっす!!
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