vol.1 嗚呼、勘違い。(それが槇村香)  

槇村香は怒っていた。
否、それは怒りと言うにはあまりにも、静かな感情。
むしろ、悲しみに近い感情かもしれない。

つい1月ほど前、
友人でもある同業者の伊集院夫妻が、奥多摩のとある教会で結婚式を挙げた。
列席したのは、いつものメンツ。
このメンバーが一堂に会して、何のトラブルも起きない方が、妙な話しで。
例の如くその日は、結婚式どころの騒ぎでは無かった。
僚と香を狙った、ラトアニアの反政府勢力、ハラノ・クロイツ将軍率いる、
テロリスト集団が厳かな式に乱入して来て、見事に式はぶち壊された。

美樹と海坊主は銃撃を受け、香は連れ去られた。
幸い美樹の怪我は命に別状も無く、香も無事連れ戻された。
この数日来、美樹も漸く怪我から復帰し、
暫く休んでいたキャッツ・アイも、再開した。
そもそも伊集院夫妻は、あの程度の事でくたばるほど、やわでは無い。
海坊主は言う間でも無く、実は美樹も、見掛けとは裏腹になかなかの猛者なのだ。
何しろ彼女は、鍛え方が違うのだ。
子供の頃からの師匠が、海坊主である。
所詮、多勢に無勢のテロリスト集団など、
シティハンターとファルコン・美樹の、相手では無いのだ。

そして僚と香の間には、そんな逆恨み集団の攻撃などより、
もっと大変な事が起こっていた。
さらわれた香を助け出す際に、それは起きた。
クロイツ将軍との遣り取りの中で、僚が香とコンビを組んで以来初めて、
香に対する己の気持ちを打ち明けたのだ。
否、初めてと言うには、いささか語弊があるかもしれない。
それまでの6年間に亘って、僚自身も何度かは、
自分の気持ちに素直になってみようかと思った事もあったのだ。
それとなく遠回しに、香に伝えてみた事もあるにはあったのだが。
どうもタイミングの悪さや、香の鈍感さが災いして香には上手く伝わらなかったし、
そうなると僚も、改めて仕切り直すのも妙に照れ臭いし、
そんなこんなで、いつの間にか月日だけが無情に流れて行ったのである。

僚にしてみれば、それはいつでも良かったのかもしれない。
キッカケさえあれば、遅かれ早かれ、香に己の気持ちは伝えただろう。
1~2年前の僚なら、香は堅気の男と一緒になる方が良いのでは、
と言う気持ちもあるにはあったが、ここ最近では少し違っていた。
海原と戦った辺りから、僚は少しづつ変わり始めた。
何より僚自身が、香が居なければ、
この先、自分が生きている理由も無いと言う事に、改めて思い至ったのである。
ある意味では、あのユニオン・テオーペとの最後の戦いは、
僚にとっては海原と、香にとっては槇村との、1つの区切りのようなモノだった。
海原も槇村も、僚と香にとってはかけがえのない人物であり、
2人のこれまでの人生の中で、最も大きく影響を受け、愛した人物である。
彼等の“死”を2人で乗り越えて、僚はもう香無しでは生きてはいけないと悟った。
だからもしあの時、香が記憶を失くしていなければ、
僚はあの時に、気持ちを告げていただろう。
その後も何度かチャンスはあったモノの、僚は悉く玉砕していた。
そして、1月前のあの時に漸く、香にも解るように、
ハッキリと自分の想いを言葉に出来たのだ。
香も侭ならぬ恋に何年も苦しんで来たけれど、
僚とてそれは、同じ事だった。香への気持ちを固めるまでに、僚も苦しんだ。

しかし、あれから1月経過した今、槇村香は静かに怒っていた。
この際、ツケの事は別問題である。
それは、力づくで男性からの依頼を僚に受けさせれば済む話で、
今までも、そうやって解決して来た。
問題は僚が毎晩の如く通っているのが、キャバクラやラウンジといった、
綺麗なお姉サンたちのいるお店ばかりだという事。
香にしてみれば、これまでツケの支払いなど、
僚を介して、幾らか顔見知りの彼女たちは、
皆一様に女性らしく、美しく、セクシーである。
僚が夜毎、あのような方々に囲まれて、鼻の下を伸ばして喜んでいる。
その事実と、1月前のあの湖畔での、あの優しい言葉。
香に対して言った、『愛する者』という言葉。
そのどちらが、僚にとっての本心なんだろうと思うと、
香の心には、沸々と怒りが込み上げてくる。

いったい、何度目だろう。
僚の思わせぶりな言葉で、一瞬だけ浮かれてしまう香。
そしてそれが、ただの勘違いだったんだと思い知らされる、連日の僚の朝帰り。
あの湖畔での告白から1か月。
香は心の中で、決意を新たにしていた。
もう2度と、僚から何を言われても、絶対に勘違いはしない。
浮かれたりしない。
自分は僚にとって、あくまでもパートナーなのだ。
パートナーとして、誰にも文句は言わせないように、強くなるしかない。
香は僚を、誰よりも愛しているつもりだ。
尊敬していて、少しでも近付きたくて、いつでも背中を追いかけている。
だけどその反面、まるで香の心を弄ぶかのような、
僚の言動が、非常に憎たらしいのだ。


(つづく)
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vol.2 意外に、自分の事は解って無い。(それが冴羽僚)

何かココの所、香が怒っている気がすると、僚は思う。
表面上は至って普通、何処がと言われると良くは解らないけれど、
何かしら、不穏なモノを香に感じるのである。
特段、香を怒らせるような事は、今の所心当たりが無い。
ナンパは相変わらずの日課で、香に目撃されれば、容赦なくハンマーを喰らう。
ツケで飲んで帰れば、取敢えず玄関先で制裁を受ける。
以前の香だったら、そうやって一通り僚にお仕置きをすれば、
根に持つ事も無く、カラッとまたいつもの明るい香に戻ってくれていたけど、
最近は、どうも様子が違う。

実は1月ほど前、今までに無い程にハッキリと、香に好きだと告げた。
それ以来、妙に香を意識してしまい、飲みに行く回数が増えている自覚はある。
でも、僚の夜遊びは今に始まった事でも無いし、
何より、僚が告白をして数日は、香もすごく機嫌が良かったのだ。
僚もこのまま、少しづつでもお互いの距離を縮めていけたら、
なんて淡い期待を抱いてもいた。
しかし何だか最近、状況が悪化している様に感じるのだ。
距離を縮めるどころか、ハンマーを喰らっていても、簀巻きで放り出されても、
肝心の香の心が、前ほど感じられないというか、
香の心がもっと何処か別の場所にあるようで、僚は内心ビクビクしていた。

香の事となると、こんなにも臆病になってしまう己に、
僚は心底、情けなさを感じていた。
一体、香の心を捉えているモノが何なのか?
香が今何を考えているのか、僚は訊いてみたいけれど、
訊くのが怖いような気もする。
もしも香の心が、自分へと向いていないのだとしたら、
僚にとってそれは、きっと死ぬ事よりも辛い。
こんな気持ちになるなんて、僚にとっては初めての経験だった。

この1か月、僚の頭の中は香1色。
寝ても覚めても、香、香、香。
どんなに飲み歩いていても、夜の街を徘徊しながら、
心の何処かで、早く家に帰りたいと切望しているのだ。
ならば最初から、飲みになど行かなければ良いのだろうケド、
家に居たら居たで、香を目の前にして理性を保っていられる自信が無いのである。
それでもさすがに今夜は、大人しく家に居る事にしようと、
夕食後にリビングで、芸術鑑賞をする事に決めた。

暫くしてリビングに入って来た香は、
自分のマグカップだけを持って来ていて、ソファへと腰掛けた。
僚がいる事など、一切無視で雑誌を取り出す香に、
「香チャン、リョウちゃんの分のコーヒーは無し?」
と、僚が訊ねる。
すると香は、一瞬キョトンとして、
「え?出掛けるんじゃないの?」
と訊き返す。
…そんなに、俺と居たくないのか?
と、香の何気ない一言にイチイチ凹む僚であった。
しかし、凹んでいる事などおくびにも出さず、
「居ちゃ、悪いか?今日はリョウちゃん、芸術鑑賞するって決めたの。コーヒー、頼むわ。」
と、平静を装う。

「今、淹れるから、ちょっと待ってて。」
香はそう言い残して、キッチンへと立った。
数分後、僚のマグカップを持って現れた香は、僚の前にカップを置くと、
先程淹れた自分のマグカップをトレイに乗せて、雑誌を片付けた。
そして、リビングを出て行こうとする香に、
「なに?もう雑誌読まねぇの?」
僚は思わず、無意識に引き留めていた。
すると香は、俯いたまま僚と目すら合わせずに、答える。
「うん。今日はもう、お風呂入って寝る。僚が飲みに行かないなら、私も起きて待ち構えてる必要も無いし。久し振りだから、早く寝る。」
それだけ言って、香はリビングを出て行った。

やっぱり、何かいつもと違う。
香は、明らかに、あからさまに、僚を避けている様に僚には感じられる。
まるで何を言っても、お互いに心に何にも届いて行かないような感覚。
嘗てこれ程までに、淋しく感じた事があっただろうか?
一体、自分達の間にある、この見えない壁は何なんだろう?
「…なんか、今日は眠れそうにないかも。」
無意識にそう呟く僚は、まるで途方にくれた迷子のようであった。


(つづく)

vol.3 終わりの見えないすれ違い(いつもの2人)

僚には、香の不機嫌の原因が解らない。
2人の中で、今までと変わった事といえば、香に対して1度だけ、
『愛する者』と、打ち明けた事。
何が何でも生き延びて、何が何でも守り抜くという言葉に、一切の嘘は無い。
あの時僚は、自分でも信じられない程、正直になれた。

しかしだからと言って、その日を境にいきなり、
香に対して己の欲望の全てをぶつけるのも、如何なモノかと、僚は考えている。
あれからいつも通り、ナンパをし、エロ本を読み、夜遊びに興じた。
そして香も、そんな僚に対して表面上は、
ハンマーでぶっ叩き、簀巻きにして屋上から吊るしたり、
ツケの額について、コンコンと説教を垂れる。
傍から見れば、至っていつも通りの2人であったが、
お互いに、胸中では理由の解らないモヤモヤが、渦巻いていた。

考えている事は同じなのだ。
お互いにあの直後は、これで2人の関係も少しは進展するのでは?
と、淡い期待を抱いていた。
しかし現実の2人は、以前となんら変わらない、いつも通りの生活を送っている。
確かにそれは、裏社会で生きる2人にとって、
何も変わらないというだけで、恩の字なのかもしれない。
だけど1度は、あの危機的状況の中で、甘い雰囲気になったのだ。
こうも変わらな過ぎると、考えなくてもイイ、余計な事まで考え過ぎてしまう。

その結果として香は、
あの時の僚の発言は、時折見せる僚のいつもの気まぐれであり、
真に受けるのは止めにしようという、結論を導いた。
これ以上、香自身が妙な期待を抱かないで済むよう、
極力、己の僚に対する恋心から、今まで以上に目を背けるように、努めていた。
僚はあくまでも、香をパートナーとして傍に置いてくれているのだと。
だから香がそれに応える為には、
もっともっと僚の負担にならないように、強くなるだけだ。
香はいつしか、静かな怒りを昇華させて、
パートナーとしての、新たなる意気込みへと変えていた。
そこに、甘えや恋心の入る余地は無い。

一方、僚は。
あの告白の日から、自分の中の“香”という存在が、
日に日に大きくなって行く事へ、多少戸惑いを感じていた。
僚がそんな気持ちになったのは、生まれて初めての事だった。
これまで僚自身、香に惚れている事は充分自覚していたつもりだが、
あの日、ハッキリ言葉にして以来、
まるで枯れる事の無い泉のように、次から次へと香への気持ちが溢れ出てくる。
ただ純粋に、愛おしいという気持ちから、
今すぐにでも、香を押し倒して全てを奪いたい、という邪な願望から、
香に近付く全ての男を、抹殺してやりたいという危険な独占慾まで。
正直僚自身、その様な己の感情を持て余していた。
日がな1日、そんな事ばかり考えていては、いつかそれこそ。
香に本当に嫌われてしまうような事を、口走ってしまいそうで。

習慣というのは、怖いモノで。
知らず、己のそんな感情を紛らすかのように、
夜の街へ足が向く僚なのであった。
僚も香も、お互いの心の中の事など、知る由も無く。
夜毎、盛大にすれ違い続ける、2人だった。


(つづく)

vol.4 それはきっと、お互い様。(どっちもどっち)

ギクシャクとした気まずい空気が、2人の間に漂い始めて、暫く経った。
秋の初めの伊集院夫妻の結婚式から、約1か月半。
早いモノで、12月に突入し、気の早い街はクリスマスムード一色だ。
12月に入ってすぐに、冴羽商事に1件の依頼が舞い込んだ。
20代半ば、香とそう歳の変わらない若い男からの依頼であった。
勿論僚は、それだけで断るに充分な要素だとは思ったが、
年末年始を目前に控え、このひと月程の己の飲み代を考えると、否とは言えず。
香に押し切られる形で、この依頼を受けざるを得なかった。

依頼人は、とある大企業の御曹司であり、ルックス、性格、共に申し分なく、
僚の野生のカンが正しければ、この依頼の1週間の間に、
完全に香に、惚れている。
そして、依頼自体はそう難しいモノでも無いが、
いつも以上に、香が張り切っている様に思えて、僚は気に食わない。
一方、香の方はといえば、
そんな僚の、ジットリした嫉妬になど気が付くワケも無い。
ただ香としては、“あの湖畔の日”以来、まともに入った依頼らしい依頼である。
あれから決意を新たにした香は、僚のパートナーとして頑張ろうと思っている。
今こそこれまで以上に、完璧なサポートをこなしたい。
僚の相方は自分しかいないのだと、証明したい。
そう思うと香は、自然と張り切ってしまう。

しかし、僚の想いはまた違っていた。
どんな状況下に於いても、依頼人を気遣い、時には毅然と彼を庇う香に、
依頼人は、日に日に香に心酔している。
気付いていないのは、当の香本人だけである。
僚は内心イライラしていたが、
そんなイラツキを、何処にぶつけてイイのやら解らずにいた。
今回の香のサポートは、完璧である。
ただ張り切って、力んでいるだけでは無い。
この1週間ほど、何度か香のお陰で危ない所を、
間一髪、切り抜けた事があった。
それは何も、銃の腕前や腕力があればイイというモンでもないのだ。
香の何気ない一言や、気づきは僚とはまた違った角度で役に立っている。

ここ最近の2人は、
お互いの気持ちを良く掴みきれずにいて、ギクシャクしていたけれど、
いざ仕事となると、伊達にこの6年コンビを組んでやって来た訳では無い。
阿吽の呼吸で、僚の言わんとする事を無言のうちに理解して立ち回る香に、
僚も全幅の信頼を寄せている。
しかしそれと同時に、そんな凛々しい香に、
第3者である依頼人が、ますます夢中になるという、
僚にとってはまさに、負のスパイラルによって、
全くどうしていいのか解らない状況へと陥っていた。

悪いのは決して、香では無いと僚は思う。
香は依頼人の事など、何も特別な目では見ていないのは、誰の目にも明らかだ。
香はあくまでも仕事として、一生懸命に全力を尽くしているに過ぎない。
それが香にとって、至極真っ当な普通の事でも、
否だからこそ、依頼人は香に惚れこむのだ。
香が香であるただその事だけで、異性を惹き付けるに充分な要素を満たしている。
頭では解っていても、僚には己の感情を上手く処理する事が出来ずにいた。

依頼人の仕事に同行し、ガードする日々の中で、
アパートに戻った束の間のひと時に、香のサポートに助けられた事など、
僚は褒めてやりたいと思う反面、
心とは裏腹に、そっけない態度を装ってしまう。
些細などうでも良いような点を論って、更に厳しい事を言ってしまう。
僚にはそれがただの八つ当たりであると、自覚があった。
しかしどうしても、一歩踏み出す勇気が無いのだ。
本当は香を抱き締めて、ありがとうと言いたい。
いつも香の支えがあってこそ、
自分が頑張れているのだという事を伝えたい。
このひと月程の間に感じる、2人の間の言いようの無い見えない心の壁。
僚は自分の想いが、ただの独りよがりに過ぎなかったらと思うと、
本心とはまた違う、弱気な感情がその行動にブレーキを掛ける。

そんな意外にもナイーブで弱気な僚の心を、知ってか知らずか。
香はますます、真剣に取り組むのだ。
元々香は根が真面目なだけに、
僚のアドバイスという名の八つ当たりになど、気が付くはずも無く。
“そっか、次からは気を付けないとっっ!!”などと、拳を握る。


そして、依頼も最終局面を迎えた頃に、
僚の最も望んでいなかった事は、起こるのだった。


(つづく)

vol.5 シティハンター〈労働担当〉参上!!(僚もたまには仕事する)

※ 第5話は、少し長めでっす。そして、リョウちゃんが『お仕事』してマッス。
  苦手な方は、ご注意を!!(大してグロくはありません)





もう少しで、今回の依頼もカタが付きそうな矢先、
依頼人を庇った香が、敵サンに攫われてしまった。

僚はこれまで以上に、己の腸が煮えくり返るのを感じた。
相手のレベルは、大方予想がつく。
恐らくは今まで同様、無事に香を救出する事には、何の不安も疑念も無いが、
流石に今回ばかりは、ちょいと手加減出来ねぇかもな、と僚は思う。
依頼人の意向は、極力穏便に敵方を捕えて、警察の手に委ねるというモノだ。
けれど、僚にとってはこの世で1番大事な相棒に手出しをされたのだ。
あくまでも“極力”だからな、と僚はニヤリとほくそ笑む。
うん、これは不可抗力の正当防衛って事で、遠慮なく行かせて貰おうと、
僚は、香の待つ敵のアジトへと急行した。

縛り上げられて気を失っている香を見て、なけなしの僚の理性は吹き飛んだ。
生け捕りなどという生易しい手段は、僚の選択肢には無い。
先方に言葉を継がせる間もなく、
僚はその場にいた3人の男達を次々と撃ち抜いて、息の根を止めた。
幸い香は気を失っているので、僚の凶行を目撃せずに済んでいる。
すぐに香に駆け寄った僚は、香を縛り上げる縄を解き、
香の全身を、くまなくチェックする。
そして着衣に乱れが無い事だけは、僚はひとまず安堵した。
それでも、香の真っ白な肌に残る、クッキリと紅い縄目と、
殴られたのだろう真っ赤に腫れた頬。血の滲んだ唇。

そんな相棒の姿を確認すれば、僚はまたしても言いようの無い怒りが込み上げる。
少し離れた、コンクリートの上に転がる屍をチラリと一瞥すると、
簡単に殺してやったのは、間違いだったかと顔を顰める。
もう少し、甚振ってやるべきだったか。
しかし、たった今仕留めた輩は所詮、捨て駒に過ぎない。
これまでの調べで、今回の黒幕はとっくに掴んでいる。
甚振るのは、ソイツらだな。コイツらの分も纏めて、責任とって貰おうか。
早くも僚の標的は、切り替わった。

香を抱き上げた僚は、血の匂いでむせ返る薄汚い現場をとっとと後にする。
屍たちのねぐらは、簡単には余人を寄せ付けない所にヒッソリと存在する。
彼らを守る為の場所だったそこは、彼らが屍になった今では、
僚の凶行を隠匿するための場所に変わる。
誰かが彼らを見付ける頃には、
白骨になった街のゴロツキなど、身元すら特定される事は無いだろう。
助手席でダラリと力なく横たわる相棒を連れて、
僚は急いで教授宅へ愛車を走らせた。

教授の診断の結果、香の怪我は大したものでは無く、
縛り上げられた際の手足の擦過傷と、顔面の数か所の殴打の痕。
恐らく気を失っている原因は、何らかの薬品を嗅がされている為であろう。
いずれも深刻な症状でも無く、
心配はいらんじゃろ?すぐに治るよ。
と、教授の太鼓判が押された。
あと半日もグッスリ眠れば、じき目を覚ますだろうとの事。
傷の方も、2~3日もすれば回復する。

「それにしても、僚よ。お前さん、香クンの事となるとすっかり目の色が変わりよる。メロメロじゃのう♪いいのぉ、若いモンは。フォフォフォ。」
脳天気な教授に、僚はつい今まで自分自身が如何に取り乱していたかに気付く。
「ななな、何言ってんすか。それより、ひとまずコイツの事お願いしときます。今から、片ぁ付けて来ます。今晩の内には、片付きそうなんで。」
僚はそれだけ言い残すと、再び夜の闇へと紛れてしまった。
そんな僚を見ながら、かずえが教授に呟く。
「冴羽さん、随分素直になったんじゃありません?香さんの事、心配で堪らない様子でしたわ。さっきは、顔真っ赤だったし・・・」
そう言ってかずえはつい今しがたの僚の顔を思い出すと、プッと吹き出す。
教授の言葉に、いつものポーカーフェイスも崩れて、
真っ赤になって照れる様は、まるで少年のようだった。
後にも先にも、僚の感情をあれ程までに揺さぶる人間は、槇村香ただ1人だ。
教授もかずえも、もう何年も前からその事は解っていた。
近頃やっと気が付いたのは、当人達だけだ。

その頃、まさかそんな事を噂されている事など知る由も無い僚は、
今回の黒幕であるところの、ある大物代議士の邸の前にいた。
この代議士とつるんでいるのは、
依頼人の父親が経営する企業Aの乗っ取りを企む、同業他社のライバル企業Bだ。
表面的には、友好的に見える両社だが、
その実、企業Bには企業Aを、喉から手が出る程乗っ取りたい事情がある。
企業Aは、他社に真似出来ない独自の技術を持っている。
この不況の最中、業績も右肩上がりである。
そして極め付けが、4代目でもある若き御曹司の依頼人である。
彼は若くして、なかなかの切れ者と業界内では、評判だ。
父親である現社長をも凌ぐ実力の持ち主と、目されている。
人柄も良く、人望も厚い。
企業Aとしては、これから数十年、後継者にも恵まれ安泰なのだ。
そして企業Bとしては、盤石な技術力を手に入れ、
有能で邪魔な未来ある青年を、抹殺したい。というのが、今回の顛末だ。
これまで幾度も命を狙われた依頼人が、最後に辿り着いたのが、
新宿駅東口伝言板だった。

そして、この一連の事件を影から操っていたのが、
今回の黒幕でもある、この大物代議士である。
企業Bは、この政治屋の後援会という名のパトロン連中の中でも、
最大の支援者である。
流石は類友。腹黒い奴には、腹黒い奴らが群がって来るのだ。いつの世も。
僚はこの数日間、企業Bと腹グロ代議士の周りの黒い疑惑の色々を、
徹底的に、野良犬の様に嗅ぎまわっていた。
そしてこの両者を、再起不能に叩き潰す事の出来る程度の情報は、
2~3、掴んでいた。
そしてその情報は、もう既に冴子の手に渡っている。
奴らが、合法的に葬られるのも時間の問題であり、
僚があと1つやるべき事は、
今回の一件で、薄汚い奴らが相棒に手を触れた事への『御礼』だ。

都内一等地にある、如何にも成金風の趣味の悪い『豪邸』。
一見、頑強なセキュリティシステムも、僚にとってはただのお飾りである。
警報ですっ飛んでくる警備会社なんかに丸投げしないで、
自分の身は自分で守るのが、1番だなっと僚は心の中で嘯く。
もっとも、侵入者は僚なんだけど。
飄々といつもの調子で、まるでナンパに向かう時のような足取りで、
僚は当の代議士先生の眠る寝室へと赴く。
オノレのこれから先の悪夢など、まるで知る由も無い肥え太った狸親父は、
呑気に高いびきで、眠っている。
僚はそんなターゲットのパジャマの襟首を掴み、
無言でベッドの上から引き摺り下ろす。
突然の不穏な来訪者に、一気に眠気が吹き飛ぶターゲットだったが、
あまりの恐怖に、言葉も、悲鳴すらも出ない。
何しろこの数日、この目の前にいるシティハンターと呼ばれる男の命を、
獲って来いと、三流どころのチンピラ共に散々命じたのは、
他でも無い彼自身なのだ。
そしてその不穏な男が、今こうして易々と寝室に潜り込み、
丸腰でパジャマ姿の己の額に、黒光りする銃を突き付けている。

「オッサン、よくもまぁ、うちのカワイイ相棒に手ぇ出してくれたね?タップリ礼をさせて貰おうか。」
そう言って口元を歪める僚に、
代議士はまだ一言も発する事も出来ず、固まっている。
僚の歪んだ口元は、一見笑っている様にも見えるが、
その漆黒の瞳は、まるで氷の様に冷たく光っている。
代議士がこの数日金で雇った輩など、
所詮この目の前の男とは、棲む世界が違ったようだと、彼は今漸く気が付いた。
この邸には今現在、彼の家族、使用人を合わせ、10人弱の人間が眠っている。
しかしこの真夜中に、主であるこの男の寝室に、
よもやこの世で最も物騒な男が侵入しているなどと、夢にも思っていないだろう。
そしてこの邸の警報システムは、僚の手によって全て遮断されている。
ついでに、電話線も、ネット回線も全てお陀仏だ。
復旧するには、翌朝1番にNTTを呼ぶ事になるだろう。
この邸の中にいる素人共の10人やそこら、黙らせて、震え上がらせる事など、
僚にとっては、赤子の手を捻るより容易い。

「で?誰から殺られたい?取敢えず、オマエの1番大切な娘から犯ってやろうか?18だっけ?オマエの目の前でヒーヒーよがらせてやろうか?その後で、親子仲良くあの世に送ってやってもイイんだぜ?」
そう言って嗤いながら、僚は静かに撃鉄を起こす。
サイレンサーを付けたパイソンを、
だらしなく失禁している男の股間へ向けると、
当たるか当たらないかすれすれの、床の上に一発放った。
恐怖のあまり、代議士は完全に白目を剥いている。
気を失いかけている標的の頭に、僚は一発蹴りを入れる。
死なない程度に。
彼はもう一度、夢の世界に旅立った。
次に目覚めた時は、彼は代議士から犯罪者に転落している筈だ。

僚はパイソンを懐に仕舞うと、その代わりに携帯を取り出す。
真夜中の電話の相手は、警視庁の女豹・野上冴子女史だ。
「冴子、準備OKだ。」
僚は手短にそう言うと、電話を切った。
「さてと。リョウちゃんは、こんな趣味の悪い成金屋敷からは、とっととトンズラしますかねっと。長居は無用❤」
僚は、警察が踏み込む予定の正面玄関を避け、裏口から悠々とその場を離れた。
そして、裏口へ向かう邸内の廊下を歩きながら、
次はミックへと連絡を取っていた。
ミックを経由して、警察が踏み込むと同時に、
マスコミ各社も、現場に急行する手筈になっている。
否、むしろこの近くの何処かで、彼らは既にスタンバイしている筈だ。
全てが、僚のシナリオ通りに運んでいる。
これで、後々どんなに代議士サイドから、警察に圧力を掛けても、
申し開きの出来ない証拠を、ガッチリ抑える事が出来る。
その上僚には、冴子にもミックにも大きな貸しが1つできる。
「グフッ❤リョウちゃんてば、天才?後は、愛しのカオリンのお迎えに行くだけぇぇぇっと❤」


僚のクーパーは、心なしか快調に、教授宅へと走り去った。


(つづく)

vol.6 それでも、地球は回る。(ごく稀に前進する事もある)

僚が例の成金屋敷から、一目散に帰って来て数時間後、
香は教授の家で目を覚ました。
頭の奥が、ズキズキと疼いている。
まるで酷い寝不足か、二日酔いの様に頭痛と眩暈がする。
思わず、重い溜息を吐く。
カーテンの隙間から、室内へと差し込む光すら、今の香には耐え難い。
眼球の奥に、酷い違和感がある。

「おぅ、起きたか相棒。」
ベッドの傍らに置いてある椅子に、僚が座っている。
一体、いつから教授の家に居て、今がいつで、僚がいつからそこにいるのか、
良く思い出そうとしても、ボンヤリした今の香にはちょっと難しい。
僚は、優しい表情でニッコリ笑っている。
香は僚のそんな顔は、未だかつて見た事が無い気がした。
その表情は、美人の依頼人や、ナンパしたカワイコちゃんや、
美しい人に対して、僚が見せる男の顔だ。
香には絶対に見せない僚の顔。縁の無い世界。
・・・・否、1度。
たった1度だけ、香にも見せてくれた。
湖の畔での、あの時の顔だ。
そう思うと、香は急に照れ臭くなった。
きっと今、顔真っ赤だろうなと、香は思わずブランケットに潜り込む。

あの日から、1か月半。
僚と香は、お互い強く求め合いながらも、すれ違い続けていた。
その挙句の、今回の一件だ。
僚は眠っている香の傍にいて、この数時間で覚悟を決めた。
あの時、僚は心に決めたんだった。
香とともに生きてゆくと。
それなら、何を躊躇う事があるだろうと。
何より今回、多少怪我はしたけれど、香が無事で。
凌辱される事も無く、自分の元へ戻って来てくれた。
それでも、次が無いとは言い切れない。
命が無事である保証は、何処にも無い。
2人の住む世界は、そういう場所だ。まるで、この世の果て。
殺さないと、殺される。
その中で、生き抜こうと誓ったのだ。
殺さず、生きる。
僚にはもはや無理だけど、香にはそうやって生きて行って貰う予定だ。
その為なら、僚は何だってする。
それこそ、殺しでも。

僚がブランケット越しに、香の小さな頭を優しく撫でる。
「香、安心しな。頭痛は、1~2日寝てりゃ、じき治る。大丈夫だ。」
僚の声音は、限り無く優しい。
香は起きてすぐよりかは、少しだけハッキリして来た頭で、
昨日の午後からの事を、少しづつ思い出す。
依頼人の後を尾行ていた、怪しい連中に捕まってしまった事。
抵抗したら、何度か殴りつけられた事。
それでも構わず抵抗したら、何か薬品を嗅がされた事。
それ以降の、記憶が欠落している。
あれ程、僚の足手纏いにならないように、気を張っていたのに、
香は相変わらず、詰めの甘い自分が歯がゆい。

そして今こうして、教授のお宅に僚と居るという事は、
いつもの様に、僚が迎えに来てくれたのだろう。
香は未だ顔が火照って、真っ赤になっている自覚は有ったけど、
そっと、ブランケットから顔を出した。
僚はやっぱり、ニコニコと笑っている。
このひと月、僚の気持ちが良く解らなくて、苦しかった。
もう僚に叶わぬ恋をするのは、終わりにしようと考えていた。
もう、諦めようと。
たとえ僚が、他の誰かを好きになっても、
自分が僚のパートナーであり続けられるのなら、
それで充分だと、香は思う事にした。
それなのに、いま目の前で僚の笑う顔を見ていると、香は無理だと思う。
涙が出そうになるのを、必死で堪える。
僚を、諦めるなんて出来ない。
(・・・出来ないよ、僚。)
香を迎えに敵方に乗り込んだ僚が、怪我1つ無さそうなので、
香は心の底から、ホッとした。
僚が生きていてさえくれれば、それが香の幸せだ。

・・・依頼は?どうなったの?
そう訊ねる香の声は、思いの外小さく掠れていた。
僚の瞼の裏に、昨夜の痛々しい香の姿が過る。
今すぐにでも、抱き締めてしまいたい欲望を、
僚はグッと押さえて、眉を吊り上げておどけて見せる。
「無事完了。なんか敵サン、疑惑の代議士と勝手に自滅してくれたみたいよ?」
そう言って、僚はそれまで自分が読んでいた新聞を、香に手渡す。
香が首を傾げながら目を通すと、第1面にデカデカと、
ある大物代議士と、そのパトロンの企業のトップが、
緊急逮捕される記事が掲載されている。
1面トップのカラー写真に、手錠を掛けられた代議士と、
その隣には、顔こそ写ってはいないモノの、
警視庁の女豹こと野上冴子が写っている。見間違うワケは無い。
そのキャリア・ウーマンらしい、きりっとしたスーツに香は見覚えがある。
その写真1枚見ただけで、裏で僚が暗躍した事ぐらい、香には解る。
(因みに、その写真はミックが写したものだ。)
僚は細かい事は何も言わないし、だから香も何も訊かない。
依頼人も、自分達も無事なら、それでイイ。

そっか、良かった。これでもう、安心だね。
そう言って薄く微笑む香が、あまりにも儚くて、
消えてしまいそうで、僚は堪らず香を抱き締めた。
我慢など、とうに限界を超えた。
「良くねぇよ。このジャジャ馬。無茶しやがって・・・、心配掛けやがって。」
そう言って香の痛々しい頬を、優しく撫でる僚の目は、
言葉とは裏腹に、限り無く甘い。
香にとって、そんな僚の姿はまるで未知の生物だ。これ誰?である。
真っ赤な顔で、香は首を傾げる。
「どうしたの?りょ、」
香の質問は、最後まで口に出される前に、僚の唇に呑み込まれた。
香はあまりにも急な事で、その展開に着いて行けなかった。

りょおのくちびるがあたしのくちびるとくっついているこれってきす?
しかもいがいとりょおのくちびるやあらかいやふふふたばこのにおい。

漸く理解して、香は目を閉じた。
閉じた瞬間、涙が一筋香の頬を伝った。
香は僚の背中に腕を回して、自分を抱き締めてくれている僚を抱き締めた。
ここまで辿り着くまでに、2人はどれだけかかっただろう。
何度、その手を離そうとしただろう。
それでもその度に、その手を離せずにいた。
大好きだから。
ケンカもするけど、お互いじゃないとダメだから。
香は僚じゃ無きゃ、僚は香で無いと、生きていたってしょうがない。
だから、2人は一緒に居るんだ。これからもずっと。
僚が唇を離して、今度は涙が伝った香の頬にそっと、唇を寄せる。

2人は恥ずかしくて顔を見れないので、
香は僚の胸に顔を埋めていた。
僚は香のクセ毛に顔を埋めていた。
それでも、穏やかで甘やかな時間がゆっくりと流れた。
2人はそれを、楽しんだ。
暫くして、僚が前から気になっていた事を、香に訊ねた。
香が怒っていた理由。
香の答えは、シンプルなものだった。
健気で可愛らしい、香らしいヤキモチの現れ。
そしてそんな事にも気付かず、遠回りをしていた己に、僚は苦笑する。
お互い、腹を割って話せば、何てこと無いただのすれ違い。
どんだけ周りが見えなくなっていたのか、どんだけ惚れてんだ、俺。
香の答えを聞いた後の、僚の感想である。

それならばと、僚はニヤリと笑う。
このひと月、遠回りしてしまった分を、ここらで一気に巻き返さねば。
夜遊びなんぞしている暇は無いのだ。
折しも、季節はこれから、クリスマス、年末年始と楽しいイベントが待っている。
都合のイイ事に、今回の依頼で破格の報酬を頂戴した。懐も温かい。
チュウをしちゃった、2人の心も温かい。
もうこれは、2人して幸せになるしかないんじゃねえの?
僚は香の耳元で囁く。
「なぁ、香ぃ。怪我が治って、ウチに帰ったらさぁ・・・」

モッコリしようね❤

香はこれ以上無い程、真っ赤になって固まっている。
「ほれ、取敢えず今はゆっくり寝てろ。」
僚はそう言って、固まった相棒をベッドに横たえると、
優しくブランケットを掛けてやる。



これから先、楽しくて、気持ち良くて、幸せで、満ち足りた、
2人の愛の生活が始まる事を、槇村香はまだ知らない。



(おしまい)






何とか、2人にハッピーになって戴けましたぁ(*´∀`*)
コメントのお返事、随分遅くなってますが、
必ず書きますので、暫しお待ちくださいませm(_ _)m
ここまでお付き合い戴き、ありがとおございましたぁぁあ~