#1.事の起こり

「おじちゃん、だぁれ?」
それが、5日振りに意識を戻した香の、僚の顔を見て言った第一声だった。

「え゛ぇ゛~~~?う゛そおぉぉ~~ん」

直後、閑静な住宅街に、情けない僚の叫びが響き渡った。




話しは、10日ほど前に遡る。
新宿駅東口伝言板には、2ヶ月半振りに『XYZ』の3文字があった。
例に漏れず、例の如く、依頼人は冴羽商事恒例、もっこり美女である。
依頼内容も、ド定番のボディガードであった。
だがしかし、話がここで終わらないのが、冴羽商事の冴羽商事たる所以である。
ただの、ボディガードや人捜しなら、
そこら辺の探偵事務所でも事足りるのである。
何故だか、単純なストーカーからのボディガードが、
怒涛の急展開および、二転三転のドンデン返しを経て、
実はコッソリ冴子から、押し付けられていた揉め事にも絡んで来て、
更には、海坊主が抱えていた、案件とも絡んでいて、
果ては、ミックの追っていたスクープにも関わるという、
かつて無い程の、予想外の依頼へと発展した。
しかし、
この事件の詳細は、今回の顛末とはまた別の話なので、
ココでは割愛させて頂く。

未だかつてない波乱の騒動にも関わらず、
依頼から5日目に、僚・香は勿論、海坊主、ミック、
更には冴子(となれば、警視庁)まで、総出で大団円を迎えた。(警視庁は、主に後片付けだ。)
そしてそれは起こった。
奇跡のスピード解決および、円満解決(なんと!死者0、しかし怪我人多数)
かと思われた、最終局面、
大暴れの現場となった、郊外の廃墟で(昔は、薬品工場であったらしい)、
旧日本軍の忘れ形見の、不発弾が爆発した。
今まで静寂を保っていたその地で、トラップを仕掛けるわ、
重機を乗り回すわの大暴れの末、寝た子を起こしたという所である。

不発弾自体は、半世紀以上も昔の代物である。
半分腐りかけており、威力の程はさほどでも無く、
よっぽど、海坊主のトラップの方が危険ではあるが、
まさしく、虚を突かれたとはこの事で、
突然の事に成す術も無く、全員が呆然とした。
そして、ただ1人香が、爆風で数m吹き飛ばされたのである。
幸い落下地点には、柔らかい草が茂っており、目立った外傷も無く、
一見すると、ただ眠っているだけにも見えたが、
それから5日間、香は眠り続けた。



香には、3日間昏睡の上、記憶喪失という前歴がある為、
誰もが固唾を呑んで、見守り続けた。
そして誰より、落ち込み憔悴しきっているのが、僚であった。
それは傍目にも痛々しい程で、一時たりとも、
香の横たわるベッドの脇から、離れようともしないのだった。

幸い、この度の大暴れに関しては、桜田門からのお咎めは一切無しだった。
黒幕に政界に繋がる、太いパイプを持った警察幹部が関わっていた事、
まぁ、偶然の産物ではあったが、不発弾が爆発した『事故』として、
処理するのに都合が良かった事。
多少、素性の知れない如何わしい連中が、大暴れしたとしても、
そこは警察も目をつぶって、ある程度の所で幕引きにしたのだ。
しかし、その全てを踏まえて、後日ミックが匿名のスクープとして、
発表したのは言うまでもない。

しかし、この際そんな事は、僚にとってはどうでも良い事だった。
冴羽商事にも、当初の依頼による依頼料も振り込まれ、
無事何事もなければ、今頃は香の機嫌も上々で、
夕飯のおかずも、少しばかり充実していたはずだった。
それが、今のこの状況である。
予測不能の出来事だったとはいえ、
何故よりによって、香が吹き飛ばされねばならなかったのか。
どうせなら、ミックを故郷のアメリカまで吹き飛ばしてくれればよかったのに、
と嘆く僚であった。



横たわる香を見詰めながら、僚は深い溜息を吐いた。
どうやら香は、腕や足に軽いかすり傷はあったものの、
命に別状のあるような、大怪我も無い。ひとまずは、一安心ではある。
教授の診察によれば、脳波にも異常は無く、脳や神経にも損傷は無いとの事。
しかし、眠り続けてもう5日になる。
僚の脳裏には、嫌な予感が過る。

『記憶喪失』

前にも、これと同じような事があった。
前回は香の証言によると、
「2~3日で、すっかり思い出してた。ちょっと、記憶が混乱していただけ。」
らしい。
しかしあの時は、たまたまそうだっただけかもしれない。
あのまま、記憶を失くしたままだった可能性だってあるのだ。
それ以前に、今回はまだ目を覚ましてもいないのだ。
もしも目を覚ました香が、記憶を失っていたら、あの時とは違うのだ。
きっと、今の僚には耐える事など出来ないだろう。

香とキスをする仲にまで、やっとの事で漕ぎ着けたのは、つい最近の事である。
相手は超が付く程の、奥手の香である。
少しの進展も、日々の努力あってこそであり、
毎日が一進一退の攻防で、ここまで来たのだ。
今ではキスの最中に、
勿論服の上からではあるが、おっぱいを触る所まで攻略していたのにっっ。
ここで記憶を失くされては、僚の努力が水の泡である。
“フリダシに戻る”だ。
僚の最終目標は、遥か彼方遠い遠い頂なのだ。
今更、登山口には戻れない、戻りたくはない。
香の命の無事が確保された今となっては、僚の望みはただ1つ。
香の記憶の無事である。
周りの誰もが、僚の憔悴振りに言葉を失い、
まるで腫れ物に触るように接する中、
当の本人はそんな事を考えていたのである。




昏睡から丸5日目。
「んん~~~。」
今まで、ぐっすり眠っていた香が、小さく呻いた。
僚は目を見開いて、香に声を掛ける。
「香、大丈夫か?聞こえるか?」
僚の呼び掛けに、香の瞼が2、3度フルフルと震え、パチッと目を開いた。
「おぉっ~~、香おはようっっ!!! 大丈夫か?どこも痛くないか?」
僚のテンションとは対照的に、
香はどこかボンヤリとした表情で、辺りを見回した。

(まぁ、そうだな。5日も寝てたんだ。寝惚けるのも無理はねぇ。ここはひとまず、俺が落ち着かねば・・・)
僚は、1つ咳払いをすると、
「香?痛い所は無いか?」
と、落ち着いて問いなおす。
すると、キョトンとした表情の香が、まるで子供のようにかぶりを振った。
その香の表情に、どことなく違和感を覚えた僚であったが、
次の瞬間、夢であって欲しいと切に願った。

「おじちゃん、だぁれ?」
・・・・あ?意味が解んねぇ。
これって、あの香ちゃん?
あの僕ちんの大好きな、もっこり美人の香ちゃん?・・・だよねぇ????
何か違う、何かがおかしいと、僚の野生のカンが警鐘を鳴らし続けている。
すると、香がもう一度言った。

「おじちゃん、だぁれ?」

えーと、おじちゃんって、まさか俺の事かな?
なんか・・・良っく解んねぇけど、香が子供になってる???
「え゛ぇ゛~~~?う゛そおぉぉ~~ん」
一進一退どころじゃねぇ。
3歩進んで、2歩下がるどころじゃねぇ!!
フリダシじゃねぇ!!!!!

3歩進んで、地球半周分下がった感じである。

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#2.おじちゃん達の苦悩と困惑

「まぁ、香クン本人の話し振り。冴子クンの話し。それに簡単な知能テストの結果を総合するとじゃな、ほぼ4歳児程度といったところじゃの。フォッフォッフォッ。」
何が可笑しいのか、教授はそう言って笑った。
俺はなんも可笑しくねぇ。
あれから、目覚めた香を、色々調べるうちに明らかになった事は、ただ1つ。
今の香は見た目こそ、いつもの極上のもっこりちゃんではあるモノの、
中身は、4歳児なのだ。

爆発に巻き込まれたショックによるものか、
それとも他に何か原因があるのか、それすらも解らないが、
5日間眠り続けて、目を覚ましたら4歳児になっていた。
そりゃ、4歳児の目に映る俺は、確かにおじちゃんだわな。
たとえ、二十歳のモッコリお兄さんであっても、おじちゃんだ。
香はあれから俺に、
「お兄ちゃんと、お父さんはどこにいるの?」
と訊いてきた。
『お父さん』が、生きていると思っている。
冴子の話によれば、香の養父が死んだのは、香が5歳の時である。
その父親が生きていると思っているのなら、今の香はそれ以前の香である。
槇村は、その頃はまだ高校生であり、
俺達が槇村の友達だと言うには、多少無理があるので、
一応、警察官である親父の友達だという事で、適当に誤魔化している。
香は、腑に落ちない表情ではあるモノの、
今の所は、俺達の苦し紛れの嘘で騙されている。

兄貴と親父は、今とても大切な御用があって、
香の事を、仲良しの僚おじちゃんに預ける事にして、
旅に出た、という筋書きだ。
何ともザックリした嘘ではあるが、
そこは4歳児なので、何とか上手く丸め込んでいる。
だが、フトした時や、新たな人物を見付けた時に、
(例えば、目覚めたと聞きつけて飛んで来た、ミックや伊集院夫妻)
片っ端から、訊ねている。
「お兄ちゃんは何処にいるの?お父さんのお友達なの?」
そして、誰も明快な答えをくれる人間が居ないと悟って、
急に不安になったのか、
「お兄ちゃんとおうちにかえる~~、かおりのおうちにかえるの~~」
と言って、大泣きした。
今香は、俺の腕の中で、時折小さくしゃくりあげながら、
泣き疲れてクッタリしている。
こうしていると、まるで本当に子供のようだ。
身長は、175㎝なんだけど。


香が昏睡から覚めて、もうすぐ丸1日経とうとしている。
泣き疲れて、数時間眠った香が起きた時には、すっかりご機嫌も回復していた。
何故だか香は、すっかり俺に懐いている。
しかし、香におじちゃん呼ばわりされるのは、耐え難いので、
「りょう」と、呼べと教え込み、香も無邪気に俺の事を、「りょお」と呼んでいる。
「なんかホント、香さんていうより、かおりちゃんって感じよね。見た目は、香さんそのままなのに不思議ねぇ。」
と美樹ちゃんがポツリと呟いた。
今回は、記憶喪失というか、幼児がえりというか、
何とも、奇っ怪な症状の為、皆一様に深刻になると言うよりも、
むしろ、興味津々である。

そして、僚にとっては困った事に、中身4歳児の香は、異常なほど可愛いのだ。
手に負えない。
今現在も、恨めし気にジットリ見詰める僚の視線の先には、
何やら、教授と楽しげに会話する香の姿がある。

「かおりのおうちは、お父さんとお兄ちゃんとかおりの3人だけなの。だから、おじいちゃんはいないの。」
「そうかね。淋しいかい?」
「ううん。さびしくないよ。かおりは、お兄ちゃんがいちばん好きなの。うちには、おじいちゃんいないけど、ミナちゃんちは、おじいちゃんとおばあちゃんがいるの。」
「ミナちゃんは、お友達かい?」
「うん。いつもいっしょに公園であそんでるの。おじいちゃんは、誰のおじいちゃんなの?」
ココで香の言うおじいちゃんとは、言うまでも無く、教授の事である。
「誰のおじいちゃんか・・・、そうじゃなぁ、僚のおじいちゃんみたいなもんじゃ。」
“みたいなもの”というのが、どういう意味なのか解らずに、
香は不思議そうに首を傾げている。

俺が、そんな老人と4歳児の遣り取りを、ボンヤリと眺めていると、
海ちゃんが、口を開いた。
「まぁ、何だその。そんなに落ち込むなよ。おじちゃんって言われたのは、お前だけじゃねぇ。俺も言われた。結構傷付くな、実際。」
どうやら、慰めてくれているらしい。
知ってる。
海ちゃんの場合は、おじちゃん呼ばわりに加えて、
「どうして、髪の毛が無いの?」
と、訊かれていた。
4歳児の香に、空気を読む能力はまだ無い。
そしてまた、ミックもおじちゃん呼ばわりされた1人である。
ケッ、ザマーミロ。
ミックの場合、常日頃が脳天気なので、たまに落ち込むぐらいで丁度良い。
アイツ、香におじちゃんって連呼されて、少し涙目だったもんな。
しかし香のヤツ、俺らにはしっかり『おじちゃん』って言いながら、
美樹ちゃんと冴子には、『お姉ちゃん』って言いやがった。
美樹ちゃんはともかく、
俺らがおじちゃんなら、冴子だって、『おばちゃん』だろうがよ。
そんな事を思い出しつつ、海ちゃんに毒づく。半分八つ当たりだ。
「うるせぇ。お前は、見た通りおじちゃんだろうが。俺の場合は、二十歳のモッコリお兄さんにも関わらず、おじちゃんって言われたんだ!!! お前より、3割増しで傷付くわっっ。」


「りょお?もっこりってなぁに?」
さっきまで、教授と話していたはずの香が、
俺のすぐ傍にやって来て、そんな事を訊いてきた。
おぉ、やべぇ。今のコイツの前では、うっかり冗談も言えねぇ。
こんなに無垢な瞳をキッラキラさせて、
『もっこりって、なぁに』って訊かれても、答えられるかっつぅ~の!!
教育上良くねぇ。
でも、果たして今更教育が必要なのか?実際の香は、26歳なワケで・・・
はぁ・・・いつか元に戻るのかねぇ。
まだ1日しか経っていないのに、26歳の香に逢いたい。
4歳児の香は、確かに非常に可愛いが、
俺はやっぱり26歳の大人の香が好きだ。
香は目の前にいるのに。
あぁ、いつもみたいにキスしたい。
いかんいかん、考えれば考える程、不埒な事しか頭に浮かばん。
4歳児の脳なら、上手く丸め込めば、簡単に手出し出来んじゃねぇか?とか。

・・・やばい。俺、野獣になっちゃうかも。

#3.暇を持て余した、科学者たちの遊び

「香、外で遊ぶか?」
「うん!」
僚がそう問うと、香は元気いっぱいに返事をして、
それまで1人大人しく、お絵描きをしていたノートや色鉛筆をお片付けした。
父親と槇村のしつけが良かったのだろう。4歳の香は、お利口さんである。
お片付けを終えた香は、両手を挙げて、
「りょお、抱っこして?」
と、無邪気に僚にお願いしてきた。

香が4歳児になってから5日。
未だ原因不明の為、経過を見る必要があるとして、教授の家で生活している。
1度香は、教授に抱っこしてくれと、せがんだらしい。
しかし、サイズを考えろ香よ、と僚は思う。
如何せん、中身は4歳児でも、彼女は身長175㎝の、長身美女なのだ。
さすがの教授も、抱っこは僚か海おじちゃんにお願いしなさい。と言ったそうだ。
それ以来、僚は度々、
「抱っこして。」
と言われるが、僚の脳は僚の意思とは関係なく、
『抱っこ』
と聞いて、100%イヤラシイ事を連想してしまう。
まさかこんな形で、己の煩悩と戦う日が来ようとは、僚は夢にも思わなかった。
ハッキリ言って、苦行である。
しかし僚にしてみれば、香に自分以外のメンツに
「抱っこして。」
などと言わせるワケにはいかない。
危険すぎる。
中身は4歳でも、香本体は妙齢のもっこり美女である。
迂闊な事は、させられない。
特に、ミックなどもっての外である。
しかしここは、教授宅。あのエロ外人も、頻繁に出入りするのである。



今香のお風呂や、着替えの世話は、かずえちゃんがやってくれている。
4歳の香は、まだ1人でシャンプーが出来ないらしい。
実際の香は26歳なので、恐らく能力的にはシャンプーぐらい出来るだろうが、
思い込みとは恐ろしいもので、香曰く、
「髪の毛は、いつもお兄ちゃんが洗ってくれるので、自分では洗えない。」
らしい。
何故だか俺は、今ここに居ない槇村にイラッとした。
アイツ、高校生の時に、妹と風呂に入ってやがったのかと。
・・・でもまぁ、妹つっても、4歳だしまぁそうなるのか。
そんなワケで、かずえちゃんも必然的に、いつもよりココにいる時間が長くなり、
それに便乗して、あのバカ天使もやって来るのである。4歳児の香目当てに。
アイツぁ、ロリコンだな、間違いねぇ。
だが、やたらと香に媚びて、何のかのとスキンシップを図ろうとするミックに、
当の香は、ホトホト嫌気がさしているようで、
26歳の香なら、絶対に言わないであろう、罵声をミックに浴びせている。
『ミックきらい!!』
『さわっちゃ、ヤダ』
『りょおの方が、すき』
あぁ、空気を読む能力なんて、無駄な能力だな。
子供の香は、正直で素晴らしい。
ミックはドMだから、それでも
「カオリは、かわいいなぁ」
と言って、香の頭を撫でて目を細めている。
オイ、ミック。かずえちゃんが、尋常では無い殺気を放ってるぞ。
その辺で、いい加減止めとけ。

教授、かずえちゃん、ミック、俺、香の5人で晩メシを喰っている時に、
突然、教授が言い出した。
「のぉ、僚よ。そろそろ香クンと2人で、アパートに戻ってみてはどうかね?」
「良いんすか?」
「まぁ、ケガも大した事無いしのぉ。もう、ほぼ治ったようなもんじゃ。あとは、記憶の方じゃが、もしかするとアパートに帰れば、住み慣れた環境じゃ、何か思い出すヒントが隠れておるかもしれん。」
「でも、コイツ1人じゃ風呂も入れないんすよ?」
「ふぉふぉふぉ、お前さんが面倒見てやれば良かろう?お前さんは、料理もひと通りできるしのぉ。今までは、生活の一切合切、全部香クンに任せきりで、お前さんが子供みたいなモンだったからのぉ。たまには、香クンに尽くして、楽させておあげ。」
そんな教授の言葉に、開いた口が塞がらない俺だったが、
更に止めを刺したのは、香である。
「かおり、りょおと一緒におふろに入るっっ!!!」
ブッ―――
味噌汁を噴出したのは、ミックである。
「あら、良いんじゃない?冴羽さん。かおりちゃんが、そう言ってるんだもの。気にする事無いんじゃない?教授もそう思われるでしょ?」
「そうじゃのぉ。香クンがこう言っておるんだから、問題ないじゃろ?」
そう言って、ニッコリと微笑みあう科学者2名。
コイツら絶対、俺と香で遊んでやがる。
「し、しかしっっ、それじゃあ俺の理性が保てませんっっ!!! 俺、この通りのモッコリスケベですよ?!」
・・・おおっと、俺は何で拳を握り締めて、本音を晒しているんだ??
・・・や、やばい。何か嫌な汗が出てきた・・・
しかし、教授はどこ吹く風、ケロッとした表情で答える。
「まぁ、どうにかなったらなった時じゃ。香クンは中身は4歳でも、立派な年頃のモッコリ美女じゃ。そもそも、お前さん達がどう考えておるか知らんが、はたから見れば立派な夫婦みたいなもんじゃ。今更、お前さんが香クンとどう過ごそうが、別にロリコンなどとは、思わんから安心しなさい。のぉ?かずえクン。」
「そうですわね。香さんは、立派な成人女性ですもの。淫行には、該当しないんじゃないかしら?」

・・・はぁ~~~=З この狸どもめっっ。
そんな事言いながら、目は笑ってねぇじゃねぇか。
要するに、今の香に手を出そうなんて、
とんでもねぇ、野獣ロリコン野郎だって言ってるようなモンじゃねぇかよ。
そんな俺の気も知らず、香は旨そうにモグモグとメシを喰っている。
「かずえお姉ちゃん、これすご~くオイシイ♪」
そう言って、カボチャの煮付けを喰う香に、
「あら、かおりちゃん良かったわ。どうも、ありがとう。まだ、沢山あるからいっぱい食べてね♪」
と、微笑むかずえ。
俺は一体、今何処にいて何をやっているんだ?
これ、夢じゃねぇよなぁ?
意識が遥か彼方、宇宙の方まで飛んで行きそうな状態だ。
一方、隣のミックを見遣ると、
コッチも先程味噌汁を噴いて以来、ずっとフリーズしたままらしい。
しかし誰も、そんなミックに構う事も無く、淡々とメシを喰っている。

はぁ、俺、アパートに香連れて帰って、平常心保てるかなぁ。
でも、さっきの、
「おふろ入るっっ!!!」
ってセリフ。
是非とも、おとな香に言って頂きたい(ニンマリ)
いやっっ!!!! いつの日か香が元に戻った暁には、
ずぇったいにっつ!言わせてみせるッッッ!!!!


野望に燃える僚であったが、その日がやって来る保証は、今の所無い。

#4.おうちに帰ろう♪

「ねぇねぇ、りょおのおうちは遠いの?」

翌日の昼メシまで、教授の家で喰ってから、俺達はアパートに戻る事にした。
一応帰った後も、3日に1度は診察を受けに来ることになった。
それ以外は、特に何もなく、とにかく普段通りの生活を送ってみなさいとの事。
まぁ、さすがに“依頼”を受ける訳には、いかんだろうけど(苦笑)

クーパーの助手席から、窓の外を眺めながら、香が楽しそうにそう言った。
んー。『りょおのうち』っつ~か、おまぁの家でもあるんだけど・・・。
「んにゃ、そんなに遠くないぞ。車なら、あっという間だ。」
「そっかぁ~。かおりのおうちには、くるまはないんだよ。だから、りょおのくーぱー、すっごくたのしい♪」
えーと、その席、ほぼお前専用なんすケド。
「そうか?んなら、ちょびっと遠回りして帰るか?」
「わぁ!ホントぉ?」
「あぁ、ドライブして帰ろう。」
「やったぁぁ♪」
俺は思わずにやけてしまう。何だよ、超カワイイじゃねぇか。

「それに、買いモンもして帰んねぇと、晩メシの材料なんもねぇからなぁ。」
「ごはんは、りょおがつくってくれるの?」
「まぁな。おまぁ、作れねぇだろ?」
「うんっ!!!」
香は大きく頷く。兄にいつも褒められる、良いお返事だ。
「かおりのおうちはね、お兄ちゃんがごはんつくってくれるんだよ♪お母さんは、かおりがあかちゃんの時にしんじゃったの。だから、お兄ちゃんがつくるの。」
「香は、兄ちゃんが好きか?」
「だぁいすきっ!!!せかいで1番すきっっ。」
ハイ、即答ですか。
「な、なら何だ。そのまぁ、兄ちゃんと俺とどっちが好きだ?」
ええと。俺は一体、何を訊いてるんだ?
ひょっとして、すげぇバカみたいじゃねぇか?
「お兄ちゃん。」(自信満々で)
ハイ、撃沈。
訊くんじゃ無かった。
「でも、りょおもやさしいから、すき。お兄ちゃんと、お父さんの次に、すき♪」
・・・な、何だよ、チクショウ。カワイイじゃねぇか。
ヤベッ、ますます顔がにやけてしまう。

「お兄ちゃんと、お父さんはいつかえってくるの?」
今までの笑顔と打って変わって、香は心配げに訊いてくる。
ギクッッ、や、やばい。
槇村の事、迂闊に話題にしたら、こう切り返されるワケね。覚えとこう。
「あ、あぁ、おまぁの兄ちゃんと、父ちゃんは今とおぉっても大事なご用があるからな。ちょっと、すぐには帰って来れねんだけど、それが済んだら1番におまぁの事迎えに来るからな。」
チラッと香の顔色を窺いつつ誤魔化すが、
香は眉を顰めたまま、何事か考え込んでいる。
「りょおのおうちに行っちゃったら、お兄ちゃんたちお迎えに来られないかもしれないよ?かおりのこと、わすれちゃったらどうしよぉ?」
香は目に涙を一杯溜めて、今にも泣きそうな顔でそう言った。
俺は思わず、いつもみたいに香の猫毛をクシャクシャと撫でて宥める。
「ばぁか。おまぁの事、忘れるワケがねぇだろ?俺の家も、2人ともちゃあんと知ってから、大丈夫だ。心配するな。」
「ほんとう?」
「ああ。俺は、おまぁにだけは絶対嘘は言わねぇから。約束する。」
「うん。わかった!!!」
香はニッコリ笑って、良いお返事をした。
まるで、そうする事で兄が早く迎えに来てくれるとでも思っているかのように。
・・・ばぁか。槇村がおまぁの事、忘れるワケねえだろ?
多分、アイツの心残りは、100%お前の事だけだよ。




少し遠回りをして、ついでに郊外の大型スーパーに寄った。
いつもの近所のスーパーに行って、顔見知りに会ったらまずいからな。
今の香に、普段の調子で声なんか掛けられた日にゃあ、
確実に、面倒臭ぇ事になるのは、目に見えている。
暫く、買いモンは俺達のテリトリー外で済ました方が良いな。
まぁ、暫く買いに出ずに済むように、今日は買い溜めしとくか。
そんな事を考えながら、カートを押して売り場を回る。
香は俺のジャケットの裾をしっかり握って、後ろから付いて来ている。

普段なら、俺がカートにポンポン放り込むと、
やれ、しっかり値段を確認しろだの、
やれ、賞味期限の長いヤツを選べだの、
これは高いから、こっちにしろだのと、イチイチダメ出しが飛んで来るのだが、
今日の香は、何にも言わない。
それどころか、さっきは野菜売り場で、カリフラワーを見て、
「りょお、これはなぁに?」
と訊いてきた。
いつもは、香の小言のいちいちも、面倒臭えと思っていたけれど、
いざ、何も言わねぇとなると、やっぱ少し淋しいもんだな。
まぁ、カリフラワー知らねぇ香ってのも、楽しいっちゃ楽しいケド。

「おまぁは、何か欲しいモンはねぇか?お菓子はいらねぇのか?好きなモン買ってやるぞ?」
ついつい、甘やかしたくなるな。
「ううん。いらない。」
「イイのか?」
「うん。」
まぁ、今はこう言ってるけど、家帰ってグズッたりしても困るから、
適当に見繕って買っとくか。
まっ、香(この場合は大人の方)が良く食べてるやつとか、好きそうなやつなら、
同じ香なんだから、喜ぶだろう。
ガキと動物は、食いモンで釣るに限るからな。

ひと通り、食材を選んでカートに入れてから、日用品のコーナーを覗く。
何か買っとくモンは無かったか、と暫し考えていたら、
文房具が置かれているコーナーで、香が立ち止まった。
そして、折り紙を手に取ると、俺を上目遣いで見上げて、
「これ。」と言った。
「欲しいのか?」
俺がそう問うと、コクンと頷いた。
「んじゃあ、こん中に入れとけよ。」
と言ってカートを指差すと、香は満面の笑みで、

りょお、ありがとう

と言った。
カワイイじゃねぇかっっ。
俺は断じて、ロリコンではないけれどっっ、
やっぱり、香は香だ。何歳でも、きっとカワイイに決まっている。
子供の時でも、しわしわのばあちゃんになっても。


家に帰り着いて、買って来たものを整理して片付けていると、
袋の中から、折り紙が5パックも出てきた。
アイツ、いつの間にこんなにカートに入れたんだ?
こんなに大量に、一体何に使うつもりか。
いつもの香なら、無駄遣いだと眉を顰めるレベルだ。

4歳児の考える事は、読めねぇ。理解不能だ。

#5.お風呂問題

日も暮れて、晩メシも済ませて、
俺と香、リビングで2人寛いでいる。
香は、俺の作った料理を、
「すごく、おいしい。」と、褒めてくれた。
だが、その後に続いた言葉は、
「お兄ちゃんのごはんの方が、おいしいけど。」だった。
そうだった。コイツには、空気を読む能力が欠けているんだった。
地味に凹むな、やっぱり。

食後にコーヒーを淹れて、香にはココアを淹れてやった。
しかし香は、ココアには目もくれず、
俺に背を向けて床にペッタリと座り込んでいる。
何やら、俺が聞いた事も無いような、不思議な歌をずっと口遊んでいる。
『北風小僧』がどうのとか、『カンタロー』がどうのとか。
今まで香が、そんな歌を歌っている姿を見た事が無いので、
少し、不思議な気持ちになる。
そして恐らくは、さっきの大量の折り紙で、何やら夢中になって遊んでいる。
そうやって大人しく、1人で遊んでいてくれるのは、正直俺も助かる。
どうも随分と、機嫌もイイみたいだし。

それにそんな事よりも、もっと重大な懸案事項が俺にはあるのだ。
例のお風呂問題である。
多分、当の香は昨晩己が、

かおり、りょおと一緒におふろに入るっっ!!!

と言った事など、ケロリと忘れている。
いっその事、このまま無かった事にして、1人で入るよう説得するか?
ん~、でももしそれで、溺れたりしても困るしなぁ。
まぁ、体は大人の香なんだから、溺れる事は無いか?
この際、1人で入れるようになる為の、練習だって言って誤魔化すか?
・・・・それが、ベストだろうなぁ・・・
俺が1人で考え込んでいると、
いつの間にか香が傍に寄って来て、俺の顔を覗き込んできた。

「りょお?」
「おぉ、どうした?」
「かおりね、なんかねむくなってきたから、もうそろそろおふろに入ろう?」
キタッ――――
しかも、忘れてねぇじゃんっっっ!!!!
どうするよ?俺。
まだまだカオリンとは、チューしかしてないのにっっ。
服の上から、コッソリおっぱい触るだけなのにっっ。
イキナリ、いきなり居機茄璃!!!(何か妙な漢字で変換しちゃってるし)
お、お風呂ですか。モチロン、全裸ですよね?神様。
・・・俺、多分無理だと思う。
それで、香に何もしないなんて、絶ぇっ対っっ無理な話だ。
多分、色んなとこ。
触っちゃたり、揉んじゃったり、舐めちゃったり、
してしまいそうだっっ!!!  いや、きっとする。

「どおしたの?りょお?おふろ入らないの?」
ダメだダメだダメだダメだダメだ
こんな丸っきり俺の事信じ切ったコイツに、不埒なマネ出来るワケがねぇ。
俺は、お兄ちゃんだ。この際、お父さんでもイイ。
とにかくっっ、保護者に徹するのだっっ!!!

コイツは女じゃねぇ、ただのガキだ。
コイツは女じゃねぇ、ただのガキだ。
コイツは女じゃねぇ、ただのガキだ。

『香を女として見ませんフィルター』を、久々に装着する時がやって来た。
はぁ~~~=З 苦行だ。拷問だ。再びこの気分を味わう日が訪れるとは・・・
なんか、腹決めるしかなさそうだな、タハハ。



風呂に湯を溜めながら、俺の着替えと香の分の着替えも準備する。
その間も香は、楽しそうに歌を歌っている。
やっぱり、俺の知らない歌だ。
槇村なら、知ってるんだろうな、きっと。
そう思うと、複雑な気持ちになった。その感情に名前など無い。
それは嫉妬とも、違う。
俺にとって、初めて湧き上がる気持ち。
気が付いたら、香の事を背中からきつく抱き締めていた。
この瞬間だけは、香が何歳だろうと関係ない。
香が香である事に変わりは無く、愛しくて堪らなかった。
「りょお?どうしたの?」
香は歌うのを止めて、首を傾げている。
「あぁ、そろそろ風呂の湯、良いかもな。入ろうか?」
「はぁ~~い♪」
緩めた俺の腕から、香はスルリと抜け出すと、風呂場へと走って行った。




今俺は香と2人、脱衣所で服を脱いでいる。
これがいつもの香なら、万々歳で言う事なしなのだが、
如何せん相手は、純真無垢および、天真爛漫の4歳児である。
ココで、欲情するワケにはいくまい。(浴場なんだけど、なんつって)
俺は極力香を視界に入れないようにして、そそくさと服を脱ぐ。
「ねぇ、りょお?ぬいだおようふくは、ココでいいの?」
と、洗濯かごを指差す香。
「あ、あぁ。そこに入れといてくれ。」
「はぁい。」
今、チラッと見たけど、香下着しかつけてねぇ。
う゛ぅ゛っっ、触りてぇ。
俺が己の煩悩と死闘を繰り広げている最中、
香はと言えば、何やらフンフン言って半泣きになっている。
「ん?どうした?」
「これが、ぬげないの。」
ブブブブ、ブラジャァですか。
「あぁ、ちょっと向こうむいてみろ?」
と俺が言うと、香は素直に従って、背中を向ける。
プチンとホックを外して、肩紐を落としてやる。
「ねぇ、りょお。これはいつも着ないとダメなの?かずえお姉ちゃんが、これ着ないとダメだっていったけど、かおり、いつもはこんなの着てないんだよ?1人じゃ着れないの。」
そう言いながら、香が俺の方へとクルリと向き直る。
思わず、目が泳いでしまう。
桃のような、柔らかそうなおっぱいが目の前にある。
当ったりめぇだっっ。1日中ノーブラでウロウロさせられっかっての。
「あぁ、着ないとダメだ。おまぁ、パンツはちゃんと穿くだろ?」
「うん。」
香が満面の笑みで頷く。
「それと同じだ。これもちゃんと着ないとダメだ。」
「そうなの?」
「そうだ。そういうモンなの。ホレ、入るぞ。」
「うわぁ~~い♪おふろ~~☆」
香は、楽しそうに浴室のガラスの扉を開けた。

俺と香は、もう長い事一緒に暮らしている。
今まで一緒に風呂に入る事など無かったが、まぁ突発的な事故みたいなモンで、
お互い、チラッと裸を見てしまう事位は、何度かあったが、
今香の裸を目の当たりにして、改めて綺麗だなと思う。
真っ白で滑らかな肌。
シミ1つ、傷1つ無いその身体。
引き締まって、無駄な肉など付いていない健康的なスタイル。
長い脚。
誰も触れた事の無い、真っ白な身体。
無垢な身体。
俺は自分でも驚くほど、さっきまでの煩悩の波が引いていた。
普段、グラビアを眺めて芸術作品などと、ほざいている俺だけど、
まさにそれは、この事だと思う。芸術的なまでに、綺麗だった。
この綺麗なモノを、一時の劣情で汚してしまうのは勿体無いと思った。
もしも、抱くとすれば、それはお互いの気持ちが重なった時だ。
俺1人のイヤラシイ感情だけで、そうなる事はきっと有り得ない。
一瞬のうちに、自然とそう思えた。

「香、体は自分で洗えるか?」
「うんっ、だいじょおぶっっ。」
「じゃあ、髪の毛だけ洗ってやるな。ホレ、そのイスに座ってアッチ向いてみろ。」
「はぁい。」
香はそう言うと、俺に背中を向けてイスに座る。
「湯かけるから、目ぇつぶってろよ~?」
「はぁい。」
香のクセ毛を、泡を立てて洗ってやる。
それだけで、何故だかとても幸せな気持ちになった。涙が出そうな程。
不思議なことに、そこにイヤラシイ感情など、欠片も湧いてこなかった。
それから、お互いに背中を洗いっこし、湯船に浸かった。
さすがに俺達2人が同時に入ると、
少し広めのウチのバスタブでも少し窮屈だったので、
香が俺に背中を向けて、俺の脚の間に座っている。
香はまたしても、俺の知らない歌を上機嫌で歌っている。
そんな香の体を、後ろからそっと抱き締める。
いつか、香の記憶はちゃんと戻るんだろうか?
また、俺は26歳の香と暮らせる日が来るんだろうか?
すごく会いたかった。あの香に会って抱き締めたい。
そう思いながら、香のつむじにそっとキスを落とすと、
「香、そろそろ上がろうか?」
そう言って、香の身体を抱き上げた。


#6.2人の夜

風呂から上がって、僚は香の柔らかなくせ毛にドライヤーをあてる。

香がいつも自分でやっていた、その風呂上りの彼女の日課が、
実は今まで僚は、とても好きだった。
それは、風呂上りの脱衣所か、リビングで行われていたが、
香にしてみれば、場所は何処でも良いのだろう。その日の気分次第だった。
リビングで乾かしている時は、いつもコッソリ観察した。
濡れてペシャンとなった髪の毛が、徐々にふわふわになっていく様や、
彼女から漂う甘いシャンプーと、清潔な石鹸の香りが大好きだった。
脱衣所で乾かしている時は、用がある振りをしてワザワザ見に言った事も、
実は、数知れず。軽く、変態である。

その大好きな日課を、今僚は己の手で執り行っている。
これを幸福と言わずして、何と言おう。
湯船に浸かっている時に、この日課を思い出してから、
僚はずっと、天にも昇る心地である。
そして、香の方も僚の大きな温かな手と、ドライヤーの温風に包まれて、
気持ち良いのだろう。
まるで日溜りの仔猫のように、ウトウトしている。

そういや、風呂入る前に眠たいって言ってたもんな。

僚は半分眠りかけた香を抱き上げ、香の部屋へと向かうと、
いつもの彼女のベッドに寝かせた。
その頃には、香はもうすっかり寝息を立てて眠っていた。
こうして見ると、いつもの香となんら変わり無いように見える。
帰りの遅い僚を待って、リビングのソファで眠り込んでしまった時と同じだ。
その時も、僚がこうして香をここまで運ぶ。

この次目覚めた時は、今のこの世界に戻って来てくれ。

僚はそう願いながら、香の柔らかな唇にそっとキスを落とした。
そして僚は、香の部屋の灯りを消すと、自分の部屋へ帰った。



僚が慌てて飛び起きたのは、それから数時間後の事だった。
階下で、盛大に泣いている香の声がして、目が覚めた。
僚が何事かと、枕元の時計に目を遣ると、まだ真夜中だった。
とりあえず、急いで降りてみると、
リビングの床に座り込んで、香が号泣していた。
僚は慌てて香を抱き上げると、ソファに座った。
香を、僚の膝の上に向い合せに座らせると、宥めるように背中を撫でた。
泣きながら香は、何度も『お兄ちゃん』と、槇村を呼んだ。

僚が、ゆっくりと背中や頭を撫でてやっていると、
暫くして、香は落ち着いてきた。
そして、しゃくり上げながら、
「しらない・・おへやにねてた・・の。りょ・・・おがいなか・・ったから、・・・・こわか・・ったの。」
途切れ途切れに、香がここで泣いていた理由を述べた。
どうやら、目が覚めてたった1人、知らない部屋(彼女の部屋なんだけど)にいて、淋しかったようである。

「そっか、ゴメンな。淋しかったな。」
僚がそう言うと、香がコクンと頷いた。
僚はほぼ無意識のうちに、香にキスをしていた。
思わず我に返って、焦って唇を離した僚を、
香はキョトンとした表情で見上げている。
4歳児にはまだ、キスの意味は解らない。

ま、まぁあれだ。寝惚けてたんだな、俺も。
うん、涙は止まったな。とりあえず。

僚は、1人頭の中で自分自身に、無意味な言い訳をしてみる。

「しゃあねぇな。俺の部屋で寝るか?俺のベッドで眠れるのは、特別な女だけなんだぜ?」
と僚が茶化すと、香はコクンと頷いた。


まぁ、特別な女ってのは、お前なんだけどさっっ。





それから丸2日は、何の変化も無く過ぎて行った。
相変わらず僚は、自分自身の煩悩に苦しめられながらも、
時折ふと穏やかに、自分でもビックリするほど一切のイヤラシイ感情無しに、
香を愛しいと、心底感じる瞬間が訪れた。
いっそ、清らかさとも言うべき愛情。
自分には、一生無縁だと思っていた感情。
もし自分に、娘か妹がいたらこんな気持ちなのかと思う。

3日目、教授の所に診察に連れて行ったが、芳しい結果は得られなかった。
香の健康状態は、すこぶる良好で、
4歳児になってしまった事以外は、全く問題は無い。
当の香自身は、自分が診察を受ける意味すら解って無い。
香は、『おじいちゃん』と『かずえお姉ちゃん』に会えたと、非常に喜んだ。
しばらくは、広い庭を駆け回ったり、
かずえと遊んだりして過ごしたが、
僚が、そろそろ帰ろうか、と言うと少しだけ淋しがった。
それもそうだ。
2日間、僚と香はずっと家の中に、籠り切りだった。
と言うより、僚は家事に追われていた。
いつもなら、香がやってくれていた事を、
今は、僚が香にしてやらなければならない。
改めてやってみると、意外にやる事は多く、3度の炊事の合間に、
掃除や洗濯をするモノの、気付くとあっという間に日が暮れている。
今更ながら、当たり前のように過ごしていた日常を思い、僚は香に感謝した。


まぁ、明日からは少しづつ外出もするか。
いつもなら、キャッツで美樹ちゃんやかすみちゃんとダベッたり、
時には、絵梨子さんとランチに行ったり、
それなりに、少ないながらも友達付き合いしていた香だ。
1日中、家に籠り切りっていうのも、精神衛生上良くねぇな。



その夜、事件と言う程の事でもないが、1つ軽いハプニングが起きた。
いつも通り2人で風呂から上がり、
就寝の為に、僚の部屋のドアを開けて仰天した。
僚の大きなベッドが、一面色とりどりの紙吹雪で覆われている。
勿論、犯人は香しかいない。
香はまるで、テストか何かの結果を待つような、
期待を込めた目で、僚を見上げている。
しかし、今から眠る気満々だった僚は、思わずイラツキが声に出てしまった。
「香!!なんでこんなに散らかしたんだ?これじゃ寝れねえだろ?」

すると、香は大きな目の縁に、みるみる涙を溜め、眉をひそめて、
今にも泣き出しそうに、唇をグッと噛み締めている。
そして、泣くまいと堪えながら、少しづつ事の次第を説明した。
途中、何度も詰まりながら、話も何度も横道に逸れかけ、
それでも辛抱強く、僚は香の話しに耳を傾けた。

その結果、香の話を総合すると、
どうやら以前に、槇村の布団にも同じ事をやったらしい。
その前に、兄妹2人でTVを見ていた時に、アニメの中の主人公が、
お花畑の中で眠るシーンがあったという。
それを見た槇村が、
『お兄ちゃんも、香と一緒にお花の中でねんねしたいね。』
と香に言ったのだ。
それを香は覚えていて、お花は無理だから、
代わりに折り紙でそのシーンを再現したのだ。
その布団を見て、槇村は、
『ありがとう。よく出来ました。』
と言って、褒めてくれたらしい。
それを聞いて僚は、まぁそうだろうなと思った。
槇村なら、きっとそう言うだろう。
多分、僚が見ていたのと同じように、
2~3日かけて、折り紙で夢中になって、お花を作っている香の背中を、
槇村も見ていたに違いない。
ただ、僚や兄を喜ばせる為だけに、夢中になっているあの姿を。
そう思うと、僚は思わず香を抱き締めていた。


おまぁの1番好きは、槇村に譲るよ。
俺は、父ちゃんの次の、3番目でも構わねぇ。


でも、こんな僚を、喜ばせようと考えてくれた。
ただそれだけで、僚は香が愛しくて堪らなかった。
やっぱり、槇村にはいつまで経っても敵わないケド、
僚は耳元で香に囁いた。

「ありがとう。よく出来ました。」

僚がそう言って、クシャクシャと頭を撫でると、香は満面の笑顔で、
「りょお、ねんねしよう?」と言った。
「あぁ、寝よっか。」
2人は、折り紙で散らかったベッドに寝転んだ。
香の顔にも、髪の毛にも折り紙が張り付いている。
しかし、そんな事を気にも掛けずに、香は暫くすると、
スゥスゥと、寝息を立てて眠ってしまった。
僚はそんな香の寝顔を、飽きる事無く眺めた。
それは、とても心が満たされる眺めだった。
槇村が、あれ程までに香を溺愛していた、気持ちの一端が解った気がした。



それにしても、香のヤツいつの間にこんな事したんだ??
あ~あ、明日はまず起きたら、朝メシの前に掃除機かけねぇとな。



#7.2人の生活

香が4歳児になってしまって、もう早いもので3週間近くが経過した。
相変わらず、3日に1度は教授の元へ通い、
何ら進展の無い状況に溜息を吐いた。
いつも寝る前には、香の寝顔を見ながら、次目覚める時こそ、
26歳の香になって、戻って来てくれと願ってみるが、
やはり、朝起きると4歳のお子ちゃまカオリンなのだった。
俺は無垢な香に、瞳を覗かれる度に心が苦しくなってゆく。

あれは、いつだったか。香が、
『お兄ちゃんたちが、かおりのことを忘れてしまって、迎えにこないかもしれない』
と言った時、俺は香に、
お前の事を、兄貴が忘れるワケがねぇ。
きっと、迎えに来るから。だから、俺は
「お前にだけは、絶対に嘘は吐かない」
と思わず、口走っていた。
でも、俺が今香に吐いている、最大の嘘。
1番吐いてはいけない、バレてはいけない嘘。

槇村が、もうこの世には存在していないという事。

今、この目の前の香は、槇村が世界の全てだ。
槇村がいつか自分の元から、消えてしまう等とは夢にも思っていない。
いつか、必ず自分を迎えに来てくれると信じている。
もしもこのまま、香がずっと4歳のままならば、
果たして俺の元に居て良いのだろうか?
一緒にいる相手として、俺は相応しいのか?
まさかまた、この堂々巡りの日々に、舞い戻るとは思わなかった。

俺はこの数ケ月、少しづつではあるが、
香と共に生きる上での、あらゆる迷いを絶ち、
彼女を、女として見る事に改めて目を向け、
自分なりに、香のペースに合わせ努力してきたつもりだ。
それなりの覚悟を決めて、キスもしたし、
それ以上の事も、アレコレやるつもりでいた。
これからという矢先の、今回のこの一件である。
香が寝ている時や、1人でボンヤリ煙草を吹かしている時など、
ついついまた、手放すべきか?という心が、頭をもたげる。
しかし一方では、香のこの今の状態は、通常の状態では無く、
言ってみれば、原因こそ不明だが病気の様なモノであり、
その様な状態の香を、手放す事は、あまりにも無責任ではないのかとも思う。

いつ元の香が戻って来ても、俺はいつも通り香を迎えてやりたい。
「お帰り。」と言って、抱き締めてやりたい。
ただ、その日がやって来るのか?
それこそが、今俺を最も悩ませている。




しかし、暗い事ばかり考えていても埒は明かない。
特に香と過ごしている間は、そんな事を考えている暇も無い程、
香に振り回されている。
相変わらず香は、突拍子も無い事をやらかしたり、
俺を笑わせたり、和ませたりしてくれている。
本当は、年齢なんか関係無いのかもしれない。
4歳でも、26歳でも香は香に違いない。

この3週間の間に、香と色んな所に出掛けた。
『くーぱー』の助手席がお気に入りの香を乗せて、沢山ドライブをした。
26歳の香なら、きっと大切な場所に違いない、
港の近くの公園や、教会の近くの湖にも足を延してみたりした。
少しでも、何かを思い出すキッカケになればと思ったのだ。
傍から見れば、他愛ないカップルのデートに見えるかもしれないが、
実際は、まるで家族の行楽みたいな気分だ。
それでも、俺は結構楽しんでいる。
香が喜んだり、楽しんだりしている事自体が、俺を楽しませている。

キャッツへも、いつも通り顔を出している。
香は『美樹お姉ちゃん』も『海おじちゃん』も大好きで、
俺と何処へ行って来たとか、何が楽しかったかとか、
まるで、本当の子供のように目をキラキラさせて、2人に話して聞かせる。
今までと違うのは、
話題に俺への愚痴が無い事と、飲み物がコーヒーでは無い事。
初めのうちこそ、おじちゃん呼ばわりされて、傷付いていた海坊主も、
4歳の香にはメロメロで、すっかり骨抜き状態だ。
何かってぇと、ケーキ食わせたり、パフェ食わせたり、甘やかし放題だ。
すっかり、おじちゃんキャラが定着している。

この3週間で1度だけ、冴子の依頼で狙撃の仕事をした。
その夜だけは、キャッツの2人へ香を預けた。
「俺は、大事なお仕事だから、イイ子でお留守番出来るか?」
と訊いたら、香は嫌がるワケでも無く素直に頷いた。
もしも、香が嫌がれば冴子の依頼など、
反故にしてもイイとさえ思えた自分自身に驚いた。
仕事をサッサと済ませて、
冴子との会話もソコソコにその足で伊集院宅へと、香を迎えに急いだ。
香はぐっすり眠っていたが、海坊主は起きて待っていた。
タコは、「きっと、来ると思った。」と言って、ニカッと笑った。
連れて帰る為に抱き上げた、香の柔らかさが想像以上に俺を癒してくれて、
改めて、俺にとっての香という存在の大きさを、思い知らされた。

毎日、朝起きると、まず1番に香にキスをした。
勿論、軽く触れるだけのヤツだ。
さすがに、舌絡めたりすると、それは淫行に該当するような気がする。
まぁ、いつもこれだけ尽くしてんだから、自分へのご褒美だと思ってもバチは当たんねぇだろ?と、自分勝手に解釈している。
香は初めキスする俺に、首を傾げて、
「りょお、なにしてるの?」
と訊いてきたから、俺はさも当然の如く、
「あ?朝のアイサツだ。兄ちゃん教えてくれなかったか?」
と答えておいた。
勿論、槇村が教えるワケねぇんだけど、
この際、槇村をダシにして、それが世の中の常識なのだと強調しておいた。
今後の為だ。
「うぅん。お兄ちゃんはしないよ。あさのアイサツは、かおりのおうちでは、おはようございますだよ。」
「そうか。でも、俺の家ではオハヨウを言った後にチュ―なんだ。覚えとけ。」
「はぁい♪」
香は、俺を全く疑わない。
朝晩のアイサツのチューは、ここ最近の俺の楽しみの1つだ。

そして、不愉快な事も1つある。
向かいの、金髪エロ男が、しょっちゅうウチにやって来るのだ。
「カーオーリちゃんっっ、遊びましょう♪」
と言っては、勝手にウチに上がり込む。
一遍、冴子に不法侵入で逮捕して貰うか?
が、良く考えたら、当の冴子もウチへ来る時は、専ら不法侵入だからな。
教授の家にいる間は、ミックを毛嫌いしていた香だったが、
この所は慣れたのか、元々人見知りするタイプでも無いし、
一緒に絵を描いたり、TVを見たりして仲良くしている。
悔しい事に、ミックも元々、ヒトの心を掴む事に長けた男だから、
すっかり香を、懐柔してやがる。
しかし、ひとたびミックが過剰なスキンシップを図ろうと企むと、
香は途端に、眉を顰めて、
「いやだっっ!!! ミック、さわんないでっっ。」
と、明確に拒絶している。
よし、イイ子だ香。
本能で、良いおじさんと悪いおじさんを、見分けている。
ザマーミロ、ミック。
俺の毎日は、香とのオハヨウのチュ―で始まり、おやすみのチュ―で終わるんだ。風呂だって、毎日一緒に入るんだ。
どんなにお前が足繁くウチに通って、香に媚を売っても、
香は俺のモンなんだよっ!!! 思い知ったか。


初めの内こそ、夜中に目を覚まして、
「お兄ちゃんがいない。」
と言って、槇村を恋しがって泣いた事もあったが、
ココのところ、その回数もグッと減り、俺の隣でスヤスヤと眠ってくれる。
だから、俺は安心していた。
少しづつでも、今のこの俺との生活に慣れていってくれれば、それでいい。
俺も香との関係を考えて、暗くウジウジと悩んだりもしているケド、
何より、今この状況に戸惑っているのは、香本人の筈だ。
突然、
『世界で1番好きなお兄ちゃんと、お父さん』
がいなくなり、得体の知れない筈の、
『りょう』
という男との奇妙な生活。
それでも香は、俺を疑う事無く、真っ直ぐ信じている。
3番目に俺が好きだと言ってくれた。
だから、俺も信じる事にする。
香が、きっと何事も無く、帰って来てくれると。

26歳になって、俺の事を世界で1番好きだと言ってくれる事を。



#8.槇ちゃんの返事

それは、突然の事だった。
もうじき、4歳の香との生活も1か月になろうかという頃、
また夜中に突然目覚めた香が、大泣きしたのだ。
もうそうやって夜泣きするのも、最近ではいつの事だったか分からない程、
この所は、香の様子も安定していたので、正直、俺は驚いた。
いつも、香がぐずったらそうするように、
香を抱き締めて、背中を撫でてやりながら、
「大丈夫だ、大丈夫だから。」
と、耳元で言い続けたが、香はずっと、
「お兄ちゃん。」
と、槇村を呼び続け、泣き続けた。
いつもなら、暫くそうしているうちに、泣き疲れて再び眠ってしまうのだが、
今回はそうはいかなかった。
何か、余程嫌な夢でも見たのか、
夜が明けて部屋が明るくなる頃に、ようやく眠った。

それから、2時間ほど眠って起きて来た香は、
いつもの4歳の天真爛漫な香で、俺は内心ホッとした。
いつものように2人で朝メシを食い、
香が1人で、リビングで歌を歌いながら遊んでいるのを横目に、
俺は洗濯や掃除を片付けていた。
初めの内こそ、時間の使い方に戸惑い、気付くと1日中家事に追われている俺だったが、最近では慣れたモンである。
昼頃までには、一通りの事を済ませ、
さぁ、香と一緒にキャッツにでも行くか。と思って、ふとリビングを覗くと、
香が床の上で、ぐっすりと眠っていた。
まぁ、無理もねぇか。昨日は殆ど、寝て無いもんな。
固いフローリングの上で、爆睡する香を抱き上げると、
寝室に運んで寝かせた。
暫くは起きそうにないので、俺は香をそのまま寝かせて家を出た。




ココへ来たのはどの位振りか。2~3か月振りか。
俺は、槇村の墓の前でボンヤリ煙草を吹かしていた。
正直、昨夜の香の様子に、深く傷付いている俺がいる。
最近では香は、あまり槇村の事は言わなくなっていたし、
前にも増して、俺に甘えてくれるようにもなっていた。
だけど、彼女の心の奥底は、また違うモノだったのかもしれない。
槇村の話をしても、何も変わらない状況に、
もしかすると香自身(たった、4歳なのに!)、心のどこかで諦めようと、
必死に我慢していたのかもしれない。
そもそも、俺が香に吐いた嘘は、正しい事だったのだろうか?
香があんなにも大泣きしたのは、俺にも責任があるんじゃないだろうか?
槇村が迎えになど来てくれない事は、
アイツもどこかで、薄々感じているんじゃないか。
そう思うと、胸が痛んだ。

「なぁ、槇ちゃん。お前、ホント馬鹿だよ。何でアイツ残して、サッサと死んでんだよ?アイツはお前の事、世界で1番好きなんだぜ?何で、俺なんかにアイツ託してんだよ?俺がもしお前なら、絶対に俺みたいな男に、大事な妹預けたりしない。おまぁ、マジで何考えてたんだょ・・・」
俺は気付いたら、冷たい石に向かってぼやいていた。
槇村が答えなどくれる筈もねぇ事は、
百も承知だが、無性に、槇村に逢いたかった。


携帯が鳴ったのは、ちょうどその時だった。
着信は、キャッツからだ。
「もしもし。」
俺が電話に出ると、美樹ちゃんが1つ溜息を吐いて、
「冴羽さん、今どこ?香さんが大変だから、今すぐお店に来て?」
そう言うだけ言って、電話を切った。
美樹ちゃんの声の後ろで、香の大泣きする声が聞こえた。
でも、呼んでいるのは、『お兄ちゃん』では無かった。
聞き間違う事は無い。
確かに、聞こえたんだ。
『りょお』と、俺を呼ぶ声が。
それが全てのような気がした。
それが、槇村からの返事のような気がした。
「すまん、槇ちゃん。俺達のお姫様が、ご立腹だ。ちょっくら、行って来るわ。」
槇村の墓に、煙草を供えると、俺はキャッツへと急いだ。

俺がキャッツに到着した時、香は海坊主の膝の上で、泣き疲れて眠っていた。
キャッツは何故か、準備中の札を出し、ブラインドを降ろしていた。
恐らく2人とも、大泣きする香を宥めるのに必死で、
接客どころでは無かったのだろう。
ボックス席のシートで、香を膝の上に乗せた海坊主は、
疲れ果てて、グッタリしている。コイツのこんな姿、後にも先にも初めて見た。
「悪ぃ、2人とも。迷惑かけた。香のヤツ、あんまりぐっすり昼寝してたもんだから、すぐ戻るつもりで出掛けたんだ。」
そう言う俺に、美樹ちゃんは苦笑しながら、
「いいえ、私達も冴羽さんに電話掛けた時が、1番テンパってたから。」
と言って、溜息を吐いた。
海ちゃん同様、コチラもかなりお疲れのようだ。
グッタリしながらも、俺にコーヒーを淹れてくれた。

「サンキュ。」
コーヒーを飲みながら、俺は昨夜からの事を話した。
果たして俺は、香に本当の事を、槇村はもういないのだという事を、
最初から、話すべきだったんじゃないのかとか。
昨夜香が、一晩中『お兄ちゃん』と呼び続けている間、
まるで俺など、目の前には居ないかのような香の様子に、正直凹んだとか。
すると、美樹ちゃんは俺を見てクスリと笑った。
「バカね、冴羽さん。」
「へ?」
「さっきの香さんの様子、冴羽さんにも見せてあげたかったわ。」
そう言って、美樹ちゃんは視線をぐっすり眠った香へと移す。
「香さん、目が覚めたら僚がいないって言って、わんわん泣きながら、アパートからここまで走って来たのよ。ココに来てもずっと、りょう、りょうってアナタの事だけを呼んでたのよ。一言もお兄ちゃんって言わなかったわ。」
美樹ちゃんは、ニッコリ笑って続けた。
「私ね、そんな香さんを見て、いつもの彼女を思い出したわ。いつも、冴羽さんをハンマー振り回して追っかけてる香さん。・・・冴羽さん、香さんがこんな風になってから、1度だって夜遊びしないし、ナンパもしない。教育上、良くないからって悪い言葉も使わない。私、冴羽さんが空気読んで、口を慎んでるとこなんて初めて見たわ。冴羽さんが、一生懸命パパやってる事、みんな知ってるもの。香さんもきっと、誰より知ってるわ。伝わってるわよ。」
俺は、正直照れ臭かった。
俺が必死に己の煩悩と戦ったり、4歳の香の発言に一喜一憂している姿は、
傍から見ると、パパ業だったのか。そんなつもり、毛頭無かったが。

この際俺は、パパだろうが、兄ちゃんだろうが、彼氏だろうが何でもイイ。
香は、香だ。
たとえ今の香が心の中で、『お兄ちゃん』を1番に慕っていても、
今、一緒に居て、アイツを抱き締めてやれるのは、この俺なのだ。
アイツが、俺を呼ぶのなら、俺はアイツに。
香に、答えてやるだけだ。
お前が愛しいと。

俺は、お前が1番愛しいのだと。


#9.おかえり、香

香が大泣きして、キャッツの2人が天手古舞した、翌日の朝。
俺は香が、ムクッと起き上がる気配で目覚めた。

ん?もうそんな時間か?ブラインドからは、縞々の朝日が差し込んでいる。
俺も起き上がると、まだ寝惚けてボンヤリしている香に、
オハヨウのチュ―をする。
「おはよ。今から、メシ作ってやるから待ってろ。」
と言い残して、先にキッチンに降りた。
大人の香は、いつも早起きでテキパキとしているが、
さすがの香も、4歳の時は、いつも朝はグズグズしている。
1度は起きても、俺が朝メシを作っている間に、また寝てしまっている事もある。
俺にとっては、そんな香も可愛くて堪らない。
まるでこれまでとは、正反対だけど、
朝、香を起こす事は、密かな俺の楽しみだったりする。

スクランブル・エッグを作りながら、ついつい歌を口遊む。
『北風小僧のカンタロー』の歌だ。
4歳の香の、目下お気に入りの1曲で、
このひと月、ずっと聴かされている俺も、自然と覚えてしまい、
気が付くと、歌っている始末だ。どうよ、コレ。
北風小僧の唄、歌いながら、惚れた女の為に朝メシ作る、殺し屋って。
なかなか、支離滅裂だな。
でも今の俺は、こんな自分が結構気に入っている。
ふと、香がキッチンに来る気配がした。

ちぇっ、今日は自分で起っき出来たのね、香ちゃん。
僚ちゃん、つまんなぁい。

キッチンに入って来た香は、真っ赤な顔で、俺をまじまじと見詰めると、
「僚、いったい何やってんの?!」
と訊いた。その一言で、俺には解った。
香が帰って来た。
俺はガスの火を止めると、香の元に駆け寄り、香を抱き締めた。
そして、1番言いたかった言葉を、彼女の耳元に囁いた。

「おかえり、香。」




朝、目が覚めると、何故か僚のベッドで寝ていた。
隣には、僚。
私はしっかりパジャマを着ているし、
真冬でも無い限り、滅多に着ないスウェットを、僚もしっかり着ている。
何なの?この状況。
どんなに必死に思い出そうとしても、昨日の事が思い出せない。
何で私、僚と寝てるんだろう?
お互いに、お酒飲んで酔っ払ってって感じでも無いし、いったい何なの?
寝起きの上手く働かない脳ミソでは、全く思い出せない。
そうやってボンヤリしていると、僚も起き上がった。
きっと僚も、この謎の状況に、驚くに違いないと思ったのも束の間。
僚はさもいつもの事と言わんばかりに、私に軽くキスすると、
「おはよ。今から、メシ作ってやるから待ってろ。」
とだけ言い残して、下に降りて行った。

そそそそ、そりゃあ、最近はその、り、僚と、キ、キスぐらいしてたケド、
こんな風な状況は、正直初めてで・・・・何なの?
きっと、私の顔は今真っ赤だろう。鏡を見なくても解る。
でもまぁ、何か今の様子だと僚は正気のようだし、
これは、アイツに訊いてみるしかなさそうね。
とりあえず、キッチンに行こう。

キッチンの傍まで来ると、何やら良い匂いがする。
僚が、さっき言ってた通り、朝ご飯を作っているらしい。
そして何故か、歌を歌う僚の声が聞こえた。
『北風小僧のカンタロー』の歌。
私が本当に小さな頃、大好きだった懐かしい歌。
でも、何で僚が知ってるんだろう?
そんな歌を、僚が歌っているという事が、とっても不思議な気がした。

それから、キッチンに入って僚に声を掛けたら、
僚は本当に驚いた顔をした。
けれど次の瞬間には、それはそれは嬉しそうに微笑むと、
私に飛び付いてきて、息が止まりそうな程きつく抱き締めてきた。
そして、耳元で優しく囁いた。
「おかえり、香。」

私は、何故だか良く解らないけれど、それを聞いた途端、涙が溢れた。
何故だか、とても大切な事を忘れてしまっている気がした。
でもそれは、覚えていなくても、大丈夫な気もした。
僚のその言葉に、例えようも無い温かさを感じた。
私の細胞レベルにまで染み込んだ、
兄貴やお父さんの記憶と、同じ種類の温かさだ。


あの、不思議な朝から数日経った。
あれから、私の身に起こった不思議な出来事を、
周りのみんなから、聞かされた。
でも、肝心の僚は照れて、あんまり教えてくれない。
美樹さんによると、あの1か月、僚は本当に私を大切にしてくれていたらしい。
まるで、『パパ』みたいだったと。
私は、僚があまり多くを語ってくれなくても、幸せだと思う。
何となく、解る気がするから。
きっと私は、まるで兄貴にしていたみたいに、僚に甘えていたと思う。

1度だけ僚に、
「北風小僧の歌、何で知ってるの?」
と訊ねたら、僚は本当に恥ずかしそうに笑って、
ひと言、
「秘密。」と言って、私に優しくキスをくれた。
そんな僚が、何だかとても可愛くて、愛しかった。

今朝、僚の部屋の掃除をしていたら、
部屋の隅に、小さな折り紙の欠片をみつけた。
私はそれを見て、何だかとても幸せな気持ちに包まれた。
良くは覚えていないケド、
それはきっと、大切な大切な僚との思い出だと思った。
私はそれを、そっとポケットに仕舞うと、
掃除の後で、その赤い小さな折り紙の欠片を、自分の手帳に挟んだ。

ただいま、僚。

(おしまい)






『リョウ、努力する!!』完了致しました。
最後まで、お付き合い戴き、誠にありがとうございますm(_ _)m

え~、お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、
今回のタイトル。
原作の、しおりちゃんの話しで、カオリンが子育てに奮闘した回に、
『香、努力する!!』
というタイトルがついていた事に、起因します。

リョウちゃんVer.で、パパ業に奮闘するリョウちゃんを書いてみたくて、
このお話を思いつきました。
かと言って、どこのお子様を育てて貰うか、
思い付かなかったので、カオリンに4歳になって貰いました (´σ´)テヘ
カオリンが、記憶喪失になる経緯や、原因に関しては何も考えてません(汗)
かなり、強引でしたけど、
そんなに都合良くイイ感じの事件は思い付きません(爆)

途中、沢山の拍手やコメント戴きまして、
本当にありがとうございます。
改めて、お返事も書かせて戴きまっす☆
いつも、見に来て戴いて、ありがとうございまっす!!!!
また、いつでも遊びに来て下さいませ。

お待ちしてまぁっす(´∀`)ノ
   ケシ。